こうして私はコーチになった・・・最終回
私は高校時代、「謙虚になる」で失敗したことを以前に書きました。
小学校の時の卒業アルバムに、先生が書いてくれた、「山さんならサッカー、サッカーなら山さんと言われるようになってね」という言葉は、短い言葉ですが、ずっと覚えています。あ、「山さん」とは私の小学生時代のあだ名です。あ・・・あと、そうはなれませんでした、はい。
よく、プロになった選手が、「子供の時からプロになるって決めてた」とか言うでしょ。だいたい、大人に近づき始める中学の頃には、バシッと言いますよね。
私もそうでした。家庭の事情もあって、中学3年生の時点で、高校を卒業した時に選手になれそうになかったなら、働くと考えていたんです。だから、高校はサッカーだけで選んだのですが、かっこいい人の話は本当にプロになれるのに、私の場合はかっこ悪くてなれませんでした。それどころか、そうまで考えて行った高校で、思い切り挫折したのですから。もちろん、挫折しなくても、「なれなかった率」超高いですけど。
ですから、高校3年の進路選択時点でも、卒業後はすぐ働くつもりだったのですが、ここで、担任の先生と顧問の先生の強いすすめもあり、急遽進学が決まったのでした。親は、もちろん、最初は断っていました。現実的に、無理な話でしたから。それはそうです、私もずっと「働く」と言っていましたから。でも、本当に根気強く先生が親を説得してくれたのです。そして、進学が本当にギリギリの段階で決まり、もちろん、それは、その方が結果的に親を楽させることができると言われたからですが・・・。
そして、大学卒業前、本当ならやりたい事とか決まっているはずだったのに、「どうしてもこれ」というものが私にはなくて。
選手になれなかったから、他のものを早く見つけなくてはならなかったのに、見つけられず。ゼミの先生には「君は甘いな」と言われましたが、もちろん学費を自分で稼いでいたし、それなりに仕事について考えてもいたんですけどね・・・サッカー選手になれないのなら、何でも同じだったんですよね。
そして、DMに書いてあったキャッチコピーをみて、業種とかに関係なく、ただ、ここは社長が良い人そうだ、良い会社そうだというところに決めたんです。パソコンが嫌いなのに事務用品会社に入ったのはそういうことでして。
そして、親を楽させようと入った会社をやめてしまい、結局、この世界にきてしまいました。
人生は本当にどうなるかわからないものですね。小学生の時に描いたものとも、中学の時、高校の時、大学の時、社会人一年生の時に描いたものとも違います。サッカーコーチを目指し、目標としていた希望の団体に入った時のものとも。
不思議ですが、その時にすべきことを一生懸命してきた結果、なぜかここにたどりつきました。
豊田とスクールに立っている時、私は、子供の頃にサッカーをしていたような感覚になります。幸せです。
笑うし、悔しがるし、喜ぶ。もちろん、怒ることも。周りにはどう見えるかわかりませんが、でも、「謙虚」と「消極的」をもう間違えたくはないし、なによりも自分らしくない時間など過ごしたくないのです。
きっと体が高校時代の自分の嫌さをすごく覚えていて、そんなの二度と受けつけないのでしょう。
だから、これからも、今のように、きっといきます。
今すべきことを全力でしたい。
この先にどんなことが待っていて、どんな形に進んでいくのか、今はわからないけれど、ただ好きで、無心にボールを追いかけ、サッカーを楽しんでいた時のように、コーチングをしていきたいと思います。
ということで、「こうして私はコーチになった」・・・終わりです。
次回からは、「こうしてモジャモジャ頭になった」を・・・を?
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