「ゲキ楽しいじゃん!」
「えっ? なに? どういうこと? ああ、その「ゲキ」ね。「激辛」的な感じで「ゲキ」を使ったのね」と思ったのは、低学年の子と話している時。
「コーチはね、みんな(一人一人)と話していると、それだけで楽しいよ。でもね・・・」みたいな話をした時のこと。
「じゃあ、(コーチは)激楽しいじゃん!」と子どもに言われました。
私はその子ともよく話すし、他の子とも話すし、そういうことをその子はよく知っているので、「じゃあ、(こんなに話しているコーチは)激楽しいじゃん!」っていうことなのでしょう。
・・・そう、「だからね、他の人とも話してごらんよ」です。
SNSが発達しまくっていますけど、当たり前の気持ちの「認めてほしい」が元になっていますもんね。「認めてほしい」はあって当たり前というか、ないといけない本能というか。ないと存在できなくなってしまうから。
ただ、その「認めてほしい」の表し方とか認めてもらおうとするやり方とか認め方とか、そういうところがとても大事で、そこを覚えたり、理解したりする必要があると思いますが、人の持つ「気持ち」としては、あって当たり前、必要な感情だと思っています。
で、SNSを見ていればわかりますが、「普通では認めてもらえない」(またはそう考える、感じる)から、「より特別に」が加速して、見え方がすごく気にされて、で、その、見え方にこだわって作ったものが認めてもらえて嬉しかったり。ただ、たまに、そこに少しさびしさがあったり?(SNSでまったく活躍していない私にはわからないことがそこにはあるのだと思います(;´Д`))
こうして「発達しまくっているSNS」でもそのパワーの源は「認めて欲しい」。
あと、歌詞とかでもよくありませんか? 着飾らなくてはならないことや自分を大きく見せなくてはならないことへの考え方とか気持ちとか。これまた私には別世界のことですが・・・。こうしたことからも、認めて欲しいと思うことはどんな人にも共通であって、でも、見た目とかで認めてもらおうとするときつくなることもあって、ということなんでしょうね。
・・・で、ですね、子どもと話すだけで楽しいのですが、だって、本当に、「へー、こんな風に思うんだぁ」「こんな風に感じるんだぁ」「こんな顔して話してる・・・嬉しそうだな」とか、「楽しかったんだろうな」とか、そういうことだらけですし。
面白いことを言ってくる時はそれだけで面白いし。面白いかどうかに関係なく、「そうなのかぁ」だし。
なので、本当に話すだけで楽しいんですけどね、たぶんなんですけど、こうした会話でお互いに「認められてる」を感じているんだと思います。だから、楽しいし、嬉しいのだろうと思います。話す側も、話してもらう側も、受け取っているのだと思います、認められていることを。
すごく発達している分野(SNS)の原動力や、すごく活躍されている方の感じることの元となる部分を、あの子たちとの普通の会話で得ることができるんですよね。
認める、認めて欲しいは、あっていいし、必要なこと。
それを知らぬ間にもらえるあの子たちとの会話やあの子たちの様子。
そりゃ、「激楽しい」なわけです。
すべての場でこのような形でそれを得られるかといえば、決してそうではないということも私は見て来ていますので、なおさら、ここでのあの子たちの話が面白く、楽しいのです。
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