明日、足はどこに向かう? どのように向かう?
そのようなことをされて、その子が明日、どんな気持ちで学校に行くんだろうか。その前に、今日をどんな気持ちで過ごすんだろうか。
どうして、それを想像できないんだろうか。子どもだからか・・・。経験が足りないからか・・・。でも、じゃあ、そうしたことを覚える機会が大切だと、そうしたことを考える機会が必要だと、なぜ思えないんだろうか。
こうしたことは、いつ、だれが、どこで教えるべきなんだろうか。
今の時代の中で、子どもたちがやりとりをしながら、自然に覚えていけることなのだろうか。
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あ、ソラの皆さんに言っていることではありませんのでー。スクール中に何かあったとかではないです。(今日も、あの子たちのサッカーは良かったですよー!) 完全に独り言です。はい。
歳をとると独り言が増えますね。
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ちょっとだけ、話をかえて。
もうそろそろ書いてもいい頃かな・・・。
もう、ずーっと前ですけどね、ソラが始まって数年たった頃、ある人の書いた本を「貸しましょうか?」って。
なんかね、保護者の方向けの本なんですけどね、(働きかけ方とか子どもの勉強とかに)「いいですよー。貸しましょうか?」って。
あははは、その時は軽く断りましたけどね。
だって、書いた人の話しているところ、見て、気づいたことがあるから。切り抜き的なものではないから、見える部分はあるから。
本質には触れていないもの。なぜ、保護者がそう考えたり、そういう言動を起こすのか、そこ(問題の根本部分)には一切触れていないから。(次の段階のところにたくさんアプローチをかけている。)
それでも、部分的に「そう」というものはあるかもしれないけど。
でも、それは、部分的に使える道具なだけだから、それでは他の道具もたくさん必要になってしまう。(解決したようで、(原因が同じ)違う問題が来た時には、元に戻ってしまう。)
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なぜこんなことを書いているんでしょ。
子どものことを良い形で支えて行こうとしている保護者の方が、自分の子育てのせいかと悩んだり、自分を否定したり、自己嫌悪に陥ってしまうことがあります。本当に、相手の気持ちをわかるようにとか、人に迷惑をかけないようにとか、そういう、大人になっていく時に大切なことを大事に思っている方たちが。
自己嫌悪になんてならなくてもいいはずなのに。子どもへの自分の働きかけや言ったことが間違っていたのだろうかとか、きつく言いすぎてしまったとか、不安や自己嫌悪に。
もちろん、その時のその働きかけは微妙だということもあります。こうした時に、「こういう言い方もありますね」とか私も言うことがあります。でも、なぜその人がそういう働きかけになってしまうのか、そこを考える必要があります。問題は保護者の方ではないことだってあります。
って、書いていると、責任を転嫁することをすすめているように捉える方もいるかもしれませんが、そういうことを言っているのではありません。私の知らない人のことについては、ここに書いてあることは当てはまらないこともあるでしょう。
ちなみに、同じ働きかけ方でも、状況や環境によって、プラスにもマイナスにもなることがあります。
だから、そこが問題ではないこともあるのです。それについて、例えば反省することはあってもいいのかもしれませんが、自己嫌悪に陥る必要はないのです。
どうか、このブログを読んでいる(読み続けることができるような)皆さんは、自分のせい? とか思わないで頂きたい。
このブログを気持ちよく読み続けられる人は・・・けっこう、稀ですよ。
子どものことを大きく、深く、温かく見れる人じゃないと、読み続けるのは、難しいようなブログなので。しかも、忍耐力も必要でしょうから。そんな人が自己嫌悪に陥る必要はないですよ。
ということで、またまた伸ばすぞ、子どもたち、です。
***補足***
誰かの本から学ぶことなんてないよー、と考えているわけでは、まったく、まーったくありません。
むしろ、学べることは多いと考えています。と言っても、今はあまり読めないですけどね。
他の職業の人の話でためになることがあるって、よく思います。読みながら、「えー、この人、こんなことを考えつくんだ、すごーい!」とかもあります。
なので、学べる本ってたくさんあると思っていますよ。
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