なるほどの質問
昨日、質問を頂きました。
「一つ聞いてもいいですか?」の内容は、「あのぉ・・・」と言いにくそうに「コーチが子どものことを“オマエ”って言うことがあるじゃないですか。名前で呼ぶ時と“オマエ”っていう時があるので、なんでかなぁ、とか・・・」とのことでした。
なるほど、そうですよねー!
その方には、基本的な部分をお話しさせて頂きました。なので、ここでは、違う感じで説明しますね。
基本的には、ソラのコーチングは全て、「表面上のことはどうでもいい」という感じで「本質にこだわる」という感じで行っています。
これは、言葉遣いも、技術練習(メニュー面)も、安全面も、その他のことも、全てにおいて。見た目では「なにそれ?」の練習をしている子が伸びるのは、そのためです。緻密~なのです。
で、これは本当は裏側なのですが、ちょっとだけお話ししますね。
アルバイトの応募に来た人の面接時、仕事の内容を話す時に、「私(山口)はとてもくだけた言葉や汚い言葉も使います。でも、アシスタントの方には、正しい言葉だけでやってもらいます。それから、私は否定する言葉も使います。でも、アシスタントの方には肯定形の言葉や呼びかける形、前向きな形の言葉だけでやってもらいます。表現的にもキレイな言葉を使ってもらいます。」と説明しています。加えて、「私(山口)はとてもだらしない格好、姿勢をすることもあります。寄りかかったり、寝転んだりすることもあります。でも、アシスタントの方には、しっかりとした姿勢で立ってもらいます。」と話しています。
そして、「そんな私を見て、あの人(山口)はちゃんとやっていないじゃないかって思うかもしれませんが、アシスタントの方には言葉と姿勢は正しいもの、肯定的なものでやってもらいます。」と話します。
もう一つ加える時には、これは私の考えでもあるのですが、「それ(表現的にキレイな言葉や肯定形の言葉)だけでは、届かないこともあるけど、だからこそ、それで行けるところのMAXの力をつける必要があります。」と伝えます。
こうしたことを話さないことはあまりないです。ほとんどのケースで話します。
そうした言葉で伝える力をつける必要性を他の理由から説明することもあります。
スタッフの人に、ただ「言葉が雑でも平気、思ったことを言って平気」だと思われてしまってはいけないからです。
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学校で、「〇〇さん」と子どものことを呼ぶことが多かったり、「あだ名がいいか悪いか」が問題になったり。それは「いじめや差別につながるから」ということを考えてのことだったり・・・。
問題はそこではないと私は考えていますので。元の思いや、元の思いから生まれるやりとりの経験、互いの気持ち、存在をどう思うかという部分が大元だと思うので。方法はその上に乗って使われているだけだから、元の思いによって、あだ名の影響だってどうにでもなる。
えーとですね、すごく頑張っているアシスタントさんに対して、子どもが「給料いくら?」って聞くことがあるんですよ。学校で仕事とかお給料とか、色々と授業でも学ぶのでしょう。で、お給料いくらって聞く時は「安い」とちょっとバカにする感じになることが多いんですよ。実際にアシスタントさんにそんなことを聞いたら、私が途中で話をしますが、その時の子ども同士の会話とかでは、そういう価値観で話されていることが多いんですよ。えーとですね、自分たちのために、一生懸命に準備をしてくれている人に対して、ですよ。
授業で仕事とかお給料とかの勉強をするのでしょう。もちろん、表現方法とか言葉とかも習いますよね。そうした子たちが、先ほどのような質問(一例)をするんですよね。興味だけでなく、評価も加えて。(もちろん、私も聞かれますよ。)
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言葉や表現方法はキレイだったとして、間違っていない言葉使いだったとして、でも、心の入っていない言葉だったとして・・・
他方、言葉や表現はキレイではないとして、間違った言葉になることもあるとして、でも、相手を思う心が入っているとして・・・
さて、どちらがいいのだろう。さて、どちらが子どもに必要なのだろう。
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言葉や行動・・・先生の思いや考えに触れぬまま、一つの行動が取り上げられることがあります。全てを肯定する気はないです。でも、切り取られた言葉・行為だけが歩き回ることがあります。「膝をガムテープでイスに固定」とか。それを肯定する気はないです。見ていないから。親御さんだったら、自分の子がそんなことをされること、されたことを想像するだけで胸が締め付けられると思います。例えば、介護が必要な家族を病院や施設に預ける時、そうした確認があることもあると思います。やむを得ない時は、「ベルトで体を固定することがある」。想像するだけで、胸が締め付けられます。本人も嫌だろうし、その本人の気持ちを想像するだけでも辛いです。でも、本当にそうしないとどうにもならないこともあるのかもしれない。だからと言って、その方法を完全肯定するわけではないですけど、そうしないと本人を守れないこともあるのかもしれない・・・。
相手のことを考えないでそのような方法を取る人もいるかもしれないので、そのような人のことはここでは触れません。ただ、相手のことを考えて、その上で、これしか今はないんだと思ってそれをやる人は、おそらく、胸が何倍も締め付けられていると思います。目の前の人の気持ち、ご家族の気持ちを想像できてしまう上でする時は、相当つらいでしょう。同じ方法でも、元の気持ちがまったく違うこともあります。(体罰を肯定しているのではまったくありません。)
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取りあげだすときりがないので、このあたりで・・・。
それぐらい、言葉使いや表現方法についても、一応、考えながら、全て使っています。だから、安易な一言を発しないように、アシスタントスタッフの応募の段階で話すことが多いんです。
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夜中の2時に、突然電話がなる・・・「?!」と思って出ると、「子どもが帰って来ない」。
スタッフとスクール後ずっと話している時に電話がなる・・・「うちの子、行っていませんか?」・・・もう夜遅い時間。そこから探しに。
明け方、電話がなる・・・。
みんな、卒業後の子どもたちです。卒業して3年たっていたり、5年くらいたっていたり。
こうした連絡を受けたりしながら、子どもに何が大事なんだろうと。
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卒業後、10年くらいたっている子と話すことがあります。卒業して数年たって、遊びに来てくれる子もいます。私と話す時に、敬語でしっかりと話す子もいれば、普通の言葉で話す子もいます。子どもの頃、「うるせー」とか私に言っていた子が、笑ってしまうくらい自然に敬語を使ったりして。敬語ではなく普通に話す子も雑さや汚さがなく、本当に自然に。
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低学年の時に初めて会って、初めて会ったその日に、私に体当たりしてきた子。比喩ではなくて、本当の体当たり。言葉もとても激しい。
その後、スクールに来ることに。最初の頃は、学校で嫌なことがあるとそのまま機嫌が悪く「サッカー(スクール)、行かない!」。そんな時は、スクールに来ても、当然、色んなやりとりがあり。そのやりとりは、時間と共に変化。と言っても、少しずつ。高学年になり、学校で嫌なことがあっても、「サッカーには行く」となり。卒業前には、「学校で嫌なことがあったのなら、ここに来れば?」と言えば、スクール以外の時間にもここに来て、取り組んで。
言葉、表現は色々でしたよ。「オマエ」も「は?」もたくさん。
でも、しっかりとその時にあったものを使えるようになっていました。相手とのやりとりで、その場で最もお互いをつなげるものに。敬語の直後にふざけた言葉、ふざけた言葉の直後に敬語、そんなことも当たり前。
素直に話し、素直に聞いた後に追いかけっこ(冗談で)。たまに「マジで怒るよ」。でも、まだマジじゃない。伝える方法があるから。
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「バカ」にも、本当にバカにしている「バカ」もありますが、尊敬からの「バカ」も、「かわいいな」の「バカ」も、応援の「バカ」も、たくさんあるでしょう?
「オマエ」も、場面場面でまったく違うのです。
さらに言うと、目の前のキミのためだけに言っている「オマエ」もあれば、そのやりとりを離れたところで見ているキミに伝えたいことがあって「オマエ」を使うこともあるのです。
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そこに何気なく置いた石。何気ないようで、いくつもの効果を生むことを狙っていたり。しかも、1秒ではなく、その後の数秒を狙っていたり。
言葉にもそんな感じで色んな意味がありまして。
なぜなら、さっき書いたように、卒業して何年たっても突然連絡が来たり、今いる方からお話を聞いたり、聞いていなくても子どもたちが色んなことを目の前で話したりしているので。そうしたことからつながっていくことも見て来ているので。
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なんてなんて、わかりにくいスクールなもので。
見ていても「なんでかなぁ?」と思うことも多いと思いますので(表面上にはこだわらないので)ご質問はお気軽にどうぞ。
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