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2023年5月17日 (水)

オウンゴールから③(サッカースクール・ソラ*千葉北スカイランド校)

同じく、2011年通信から・・・

■オウンゴールから・・・③
オウンゴールは「失敗」として取り上げられることも多いので、ここでは、「失敗」に関連する話を。
よく、保護者の方から、「子供には、サッカーを通じて人の気持ちを理解できるようになってほしい」「サッカーを通じて、子供には協調性を養ってほしい」ということをお聞きします。
私も同じように考えています。
そして、それらを学ぶためには、まず、自分自身が色んなことを経験し、その時の気持ちを体に留め、体内に吸収することが必要だと考えています。自分として十分にその時の気持ちを感じないで、他の人の気持ちを考えることなどなかなかできません。
失敗をした時、水が土に染み込んで行くような、その時の気持ちが心に自然に染み入るくらいの状態であれば、自然な範囲での受け取り方をでき、十分に体内に吸収することができると思います。
ですが、失敗したことに対して、まだ合わぬ厳しさやプレッシャーを与えられる中ではどうでしょうか。
例えば、サッカーでのオウンゴール・・・ボールに触れようとして追いかけた結果、間に合わなかったり、失敗をしてしまったりした場合は、(プレーしたくてボールを追ったのですから)自分の思ったようにプレーできなかった時点で、その子は十分にそれに相応しい「ちくしょう!」を自分で受け取っているのです。
それなのに、それ以上の形、大きさで、その経験を吸収させられているように感じることが多くあります。
不自然な形や大きさでその失敗(実際には失敗ではないことがほとんどですが)を周囲から強く押し付けられてしまったり、認識させられてしまったりすると、その時に感じるべき本来の気持ちが生まれません(もちろん、失敗をしっかりと教えるべき段階や状況もあるとは思いますが)。
これでは、当然、その時に吸収すべきものを自分の体に吸収できません。
その結果、これは試合会場などでもよく見る光景でありますが、失敗をした子が次に失敗をした時に、自分の失敗だとわかっていてもそばにいた誰かのせいにしてしまうことや、他の子が失敗をした時に、その子を「必要以上」に責めてしまうことがあります。
実際には、まだ子供たちは、自然に体に入った悔しさや悲しい気持ちでさえ、他の子の立場に置き換えることが難しい年代なのです。
「お前のせいだ」と言われた子が、「人にこういう風に言われるのはこんなに嫌なんだ、こんなに悲しいんだ」とか「失敗した時の気持ちってこういう気持ちなんだ」と理解することができるかどうかを、自然な範囲での経験の中でさえ、まだ気をつけて見てあげるべき年代なのです。
ですから尚さら、失敗をしてしまった時には、必要以上の大きさや形で周囲がそれを受け取らせようとなんかせず、相応しい大きさ、形でその時の気持ちを吸収する経験をたくさんしていく必要があるのです。本当に、自然な大きさ、空気の中でいいのです。
ですが、失敗が必要以上にクローズアップされる環境・・・試合結果が必要以上に意識されるような環境ではそのような環境になりやすいかと思いますが・・・そのような環境、子供が相応しい大きさ、形でその時の気持ちを感じられない環境がまだまだ多いと感じています。何年も前に、これと似た話で、子供に適していない競争環境や厳しい練習環境の中では、子供たちを強く、優しくしていくどころか、逆に弱くしていくことがあるというようなことを書いたことがあるので、また同じようなことを書いていると思われるかもしれませんが・・・。
子供に接する者として、彼らに相応しい、より自然にプレーでき、起きたことをより自然に吸収できる環境を作っていきたいと思います。また、このような環境の中でも、子供たちが伸び伸びとプレーできるようにと、勝敗よりも子供の伸びをまず考えられる、とても深く、大きな、余裕のある姿勢で子供たちに接している方がいることも知っています。そのような方を心から応援しています。

 

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