なぜ
今日は、偶然ですが、ちょっと面白いもの(ゲーム)を見る機会がありました。
コーチの働きかけって色々ですよね。
一般的にNGと言われる言葉のかけ方、一般的にOKと言われる言葉のかけ方などもありますが、私はそのような一般的な分け方、見方はあまり気にしません。
そのかわり、なぜそのような言い方をするのかという部分を気にしながら、見たり聞いたりしています。
なので、NGと言われるような言葉かけでも「いいな」と思うことがありますし、OKと言われるような言葉かけでも「どうかなぁ」と思うことがあります。
「なぜ、そのような言い方をするのか」という元の部分があっての声掛けなので、それによって全然違ってきますから。もちろん、言葉をかける側が、選手を見る時に「なぜ、そのようなことをしたんだろう」という見方をできていなければ適切な言葉かけはできないと思いますが、それをできている上で、どのような考えでそのような言葉をかけているのか・・・それを理解しなければ、その言葉かけが適切かどうかは判断できませんから。
・・・なんていうことを書いているのは、サッカーのコーチング以外でも、そのような言葉かけのことが色々と取り上げられることが多いので。
どうか、皆さん、悩みすぎないように・・・・。
ちなみに私は、一般的にNGと言われるような言葉かけもたくさんします。もちろん、OKと言われる言葉かけも使います。完全にケースバイケースです。
こうしたことを考える時、これまたずーっと前に読んだ本の中の一部に書いてあったことを思い出すことがあります。
とても悲しい場で、子どもが大きな声を出していた。
その時に、近くにいたおばあさんが飴をあげたそうです。
その飴をなめているおかげで、子どもはその後、静かにしていたそうです。飴をなめていたから、静かにしていたというより静かになっていたんでしょうね。
そこでは、飴をあげることとか、まあ、色々と考える材料を提示していたのですが、そういう材料とは別に、当時、私は「なるほど・・・」と思いました。
話して説明しても、その説明の仕方に関係なく、おそらく子どもは言葉を発し続けていただろうと思うので。
そして、その本を読んでからおそらく10年、20年以上たち、今、改めて、思うこと。
やはり、なるほど、ではあるのですが、他にも思うことはあり。
そのような場で、子どもの無邪気な声が、その場をより温かい方へ持って行ってくれることもあると思います。
でも、そういうことをすべて見てきたであろう人が、その場で、飴を渡して静かになるようにした。
そこには、たくさんの人への配慮、心遣いがあったんだろうと思います。
本人、親族、しゃべってしまう子の親、子ども、まわりの人・・・本当に、みんなに対しての心遣いがあったのだと思います。
そして、長く生きて来られた方が考えて、その時、その場は、おそらく、静かな時を過ごすことが親族の方のためだと思われたのだと思います。
長く生きて来られた方の、そのような場での感じること、思うこと・・・それは、おそらく、とてもそこに合っているものなのだろうと思います、私は。
(もちろん、この時と同じような状況でも、子どもが話すことが逆にそこにいるすべての人のためになることもあるでしょう。)
こうしたことも、私にとっては、飴をあげることの是非ではなく、「なぜ飴をあげたんだろう」と考えることが大事で。
そのように、「なぜだろう」と思うと、自分が色んな経験をするたびに、或いは色んなことを学ぶたびに、過去に見たもの、聞いたことからも、また新しいことを学ぶことができて。
経験がそのまままた新しい勉強材料になります。
なんていいリサイクル。
・・・と、また話が長くなりましたね・・・。
さて、さて、ではでは!
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