遊べるかー?
今日のU-12クラス。
はい、コラコラコラです。
とはいえ、それまでにあったプラスはすごく多く、空間としてはとても良かったと思います。
それなのに、なぜ、終了数分前に、「コラ」があったのか。
それは、何度も失敗を繰り返し、色んな精度を上げていくためで。個性をお互いが理解し、空間をさらに意味のあるものにするためで。
今日のようになること、これまでにもありましたから。
同じ子が同じように振る舞うこともありましたから。
こういうことを繰り返し、それでもそいつがいいヤツだから、遊ぶ。「そいつはこういう時に怒るぞ」ということがわかれば、一緒に遊ぶんだから、「そこはちゃんとしよう」となりますもんね。もちろん、そう思われるような関係づくりを普段から少しずつしていく必要があるでしょうが。
同じように、「あいつはこういう時に凹むからな。こうなったら励まそう」或いは「そうなるのを防ごう」等・・・・。
それぞれの子が存在することで、その空間の意味はより濃く、よりいやすくなるでしょう。
そうした関わりを強くするために、コラッと言っただけです。
そして、その後・・・それまでは何となくスタートし、どこかに「はぁ?」感のあったゲームが、「行くよ」「スタート」「はい」等の声から始まるようになりました。
その声は、色々。しかもいつも同じ子がかけるわけではなく。
いいじゃん、ね。
「スキを見せたら負けだよー。お前らが油断してるから悪いんだよー」もあり、「正々堂々」もあり。
遊んでいる時にどれが適してどれが適していないのかは、遊んでいるみんなが決めるもの。
それらを見つけることができずにやっているだけでは、バラバラで一つのものに参加しているだけ。
そうじゃなく、一緒に遊んでいるんだ。
関わっているんだ。
そんな空間を・・・作れる子供たちに、はい、拍手。
イヤな気持ちで帰った子も、嬉しい気持ちで帰った子もいるでしょうが、いいんです、それで。
キリのいいところで終了。自分の好きなタイミングで終了。
・・・なーんてこと、遊びであるもんかい。だからそれぞれの子が色んな気持ちになり、その時の気持ちを覚えているから、他の子がそういう気持ちになった時のことがわかるんだ。
だから、いいんです、あれで。
ソラッ子は・・・みんな・・・いいと私は思います。