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2013年8月28日 (水)

等身大の経験を

昨日のU-9クラス。ちょっとしたドリブルの競争メニュー。
自分の番の時に、隣のグループの子が脱線して入ってきてしまったら、「邪魔」と言う子。そう、邪魔なので、「邪魔」というのは普通です。
ですが、もう、ずーっと言っている。しかも、脱線しちゃったのは年下の子で、一生懸命やっているのに、脱線しちゃっただけ。もう、必死で戻ろうとしているのに、「邪魔」と大きな声でずっと言われて。
そして、「邪魔」と言っている子は、自分の番が終わってもずっと隣で文句を言っている。まったく。
でも、それは競争に一生懸命になっているだけ。子どもは普通、一生懸命になるので、そりゃ、気持ちもわかるのです。子どもによっては、それは責任感からということもあるし、簡単には怒れない部分もあるし、まあ、そんなことに関係なく、邪魔をされたら怒ることも自然と言えば自然なのです。
ただ、言われちゃっている子のことを考えても、言っている子のことを考えても、そして、まわりの子のことを考えても、取り上げた方がいいと思って取り上げました。
まずは、「邪魔」と言っている子にわかるように話し、「お前だって、これまでにそういうこと、あるぞ、あったぞ」と言いました。「へ? そんなことあった?」と、[ちょっと反省+強がり+認め]の形で答えてきたので、「あー、あったよ。でも他のやつはお前に言わなかっただけだ」と。すると、「へー、あった? そうなの? へー」と、[強がり+認め]で答えました。
これをみんなの前で話しているので、みんなの前で怒られている感じですけどね。だから、こういう言い方になるのもわかるんですけどね。でも、ふふふ、この子、誰のいないところでそっと話しても、こういう話し方なんですよ~ん。
そう、みんなの前で怒られているの図ですけどね、だって、そうじゃないとみんなにもわかってもらえないでしょう? この子がただ一生懸命に競争をやっているだけだということを。ただ一生懸命にやっている子、がんばっている子がこういうことを言うことがあるんだよ、べつに悪いやつじゃないんだよ、ということも伝えないといけません。あ、ちょっと断っておきますが、他の場での、こういう言動を全て肯定するわけではありませんからね。今回の「邪魔」という子の言葉とは全然ちがう「邪魔」「お前のせい」が確実にありますから。それは子どもの責任であることも、大人の責任であることもあると思いますが。そういう、人工的な、加工された、責任のなすりつけや、成長を生まぬ声とこの子の声を一緒にはしないで頂きたい。
話を戻しましょう。
そう、「こいつは一生懸命なんだよ」ということを伝え、その上で、もう一回、「でも、お前も言い方考えろ」「相手のことを考えろ」的なことを話しましたが。
とは言っても、競走中にいちいち周りの子のことばかりを考えて競争なんてできないのが普通で、それでいい時なので(夢中になったら、そうなることが自然ですから)、だから、自分が一生懸命にやりなって言いました。すぐには(こういうことを理解することは)できないし、やりながら考えるのだって難しいから、だから、一生懸命、競争をやりなって。そうすれば、その時に嫌なことがあれば、ちゃんと自分で覚えていけるから。がんばっても失敗することがあることを自分で経験すれば、覚えていけるから。
そんな話をして、さて、そこで、もう一回、競争!
競争は3人で1チームなんですけどね、今回はどういう流れにしようかなと思い、一緒のチームにすることで様子を見ることにしました。途中で、「邪魔だ」と言った子、言われた子を同じチームに。それだけで、今回はお互いのことをわかることだし。
で、その競争で、「もうすぐゴール」というところで、並んで待っている2人の方へ一人の子がボールを懸命に戻りながら投げる。戻りながらだからちょっとボールに勢いがあり、待っている2人の「頭」に当たる。そして、そのはねっ返りが、懸命に戻っている子に当たる。そしてそして、それがまた2人の方にはね返り、頭に当たる。2人の間でまた当たる。3人目もそこにいて、またはね返りが当たる。
もうですね、わずか0.何秒という間に、3人の頭の間でボールがボボボボンとなったわけです。ウソみたいでしょ? これ、本当なんですよ。こんなの、やろうと思ってもできないですよ。もう、それだけでおもしろいわけです。
ゲラゲラですよ。そして、競争をまたやったら、今度はボールがどっかに行って、「ワー」+「ゲラゲラ」。
偶然を超える必然で、こういうことが起こるわけです。不思議でしょう?
そして、競争は終了。
一応、みんなにも、その時に起きたことを少し話しました。
嫌なことを言われた、「嫌だな」で終えてはわからないことも、あいつ邪魔した、「嫌だな」で終えてはわからないこともあるんだよって話しました。だから、ちょっとぐらい嫌なことがあっても、やめないようにって。
本当に、こんなことが起きるんですよ。
・・・・・・・・・・・・・・さて、なんで、わざわざみんなの前でこういうことを取り上げるか、この2人のためであることはすぐにわかってもらえると思いますが、他の大勢の子のためにも、絶対に必要なことです。
「邪魔」と言った子に対して話している時にも、その子がちゃんと受け答えをしない時に、「こいつはこう見えてもわかってるんだよ」とみんなに言いましたが、そういう「ちょっと違うんじゃないの?」と思えることをやったり、言ったりする子がいる時に、ただ、「あの子が違う」「間違ってる」「みんなと違うことしてる」とだけ思ってしまったら、なんともったいないことか。
今は、色んな表し方、受け取り方の素を増やしていける時、増やしていくべき時なんです。それなのに、ちょっと違うと思える行動、大勢と違う言動をする子を「違う」とただ思ってしまうようでは、その素を増やしていけないでしょう? 表面上だけ整えた場で、そこから外れているものは「違う」と思うようになったら、こういう表し方があることも、こういう受け取り方があることもわかっていけないじゃないですか。そんなの、もったいない。
小さな頃は、その年代にふさわしい、多くの表し方、受け取り方があることを絶対に知るべきです。小さな時こそ、特に、たくさん、そういうものがあることを。そういうものをふくらませる力がつく時であるはずです、本来は。
それなのに、そういうものを出にくくしたり、表面上だけ整えたりすることが多い。だから、それらの多くの表し方や受け取り方の素を得て行くことができない。等身大の経験でしか得られないのに、等身大の経験ができない。
だからこそ、ここでは思いきり、させる。この頃は、大人の求めるような行動・正解と違う行動をする友達を見た時に、子どもでも大人のような目で、「違うんじゃない?」と見てしまうことがあります。でも、それは、まだまだ未発達の、経験の浅い、大人のような目。それじゃ、わからないこと、見えないことがたくさんあるのです。そうなってほしくないですからね、だから、ここではみんなに少しずつ伝えていきます。
こういうことは、自分や友達を認める・認めないということに結びついています。大きく大きく、大事にする、生きて行くという部分にも関係しています。ここではそこまで大きな話はしませんが、自分をどう認めるか、人にどう認められたいか、人をどう認めるか、そういうことの元にもなる部分です。
そこで、得るもの、失うもの。子どもの大きさでいいんです。小さなものを得たり、小さなものを失ったり。得る・失うという極端なものではなく、ちょっと嬉しく思う、ちょっと嫌な思いをする、そういう経験でいいんです。「もう遊ばない!」とか「ベー」でもいいんです。「あのやろう、今日は話してくれない!」「あ、笑った!」そういうものでいいんです。それらを十分に経験することが大切だと思います。
今回は言動を取り上げ、注意をしましたが、同じような言葉があっても取り上げないこともあります。それは、そのままで十分に、適当な大きさのしっぺ返し(得る・失う=楽しい経験をできる・できない)が起こる時です。そういう時は注意をしません。大事なのは、等身大の経験。そして、そこから、人との関わりから、認められる様々な質、それにふさわしいだけの大きさの達成感を得て行くことです。当然、得てもむなしい達成感だって、長続きしない達成感だってあるでしょう。それが必要な時もあるでしょうし、それを得ることによって失うものを考えた場合に「不要」「すべきでない」と判断することもあるでしょう。そういうものを学ぶことが必要です。
ちょうど、この文章を打っている時に、若い子たちのお店などでの行動のことを取り上げている報道を見ましたが・・・こういうことだって、認め方、認められ方の経験が関係していると私は思います。目の前の人、すぐそばの人たちと、ふさわしい大きさで、十分にそういう経験をすること、表し、得ること、失うこと、それを繰り返すこと。
大切なことです。

ちょっと長くなってしまいましたが・・・ここで子どものことを取り上げると、自分の子が迷惑をかけたのかと思う方もいるかもしれません。そうではないということを伝えるために書いていますが、それでも、自分の子、周りの子のことを考えて、そう思ってしまうかもしれません。ですから、「いいえ、みんなにとっていいことだから」「みんなにとって、嬉しい存在だから」ということで、今回は少し長めに書きました。

とはいえ・・・もちろん、これらすべてを含んだ上で、「今はちゃんとしろい」「今は整えよ」という部分はありますので、そういうことは、注意しますよ。
認める・認めない、取り上げ方、それらすべてが、大切なので、頭も心も、しっかり使い、伝えて行きます。

***プライベート・レッスンの補足
ソラでは、こうして、人との関わりを大事にしてコーチングを行っています。人との関わりと言っても、年代として十分に受け取れる範囲ということを大事にしているので、大人的な関わり方とは違いますけど。
ですが、スクールの時だけでは、どうしても解決できないことが存在するようにもなってきました。外には様々な環境があります。
それらのことを考えても必要性があるので、こういうことも、始めた理由です。

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Renraku

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