ふと思い…
先ほど、ふと思ったことを。
練習の時に、たまに「そんな聞き方じゃわからないだろうに」と思うことが・・・思うだけでなく「こらテメーら」と注意をすることが多いですけどね。
高学年では、悪気なーく、「何となく聞いている状態」になる子が昔に比べて増えてきたかもなぁ・・・なんて思いまして。
別に話を聞いていない子が、不真面目な子かといえばそうではないんですよね。
・・・なんてことと、昔の先生のこととかを書いていたこともあり、「今の先生って、授業の時、どんな風に感じているんだろう」なんてことも考えてしまいました。
今は塾に通っている子も多くいると思います。塾でやることって、学校で習うことの復習をするクラスもあると思うんですけど、どちらかというと、先に進む授業の方が多いのかなと想像しています。
だから、(想像のまま話しますけど)学校の授業中は、「知っている」と思うことが多くなって、「もう塾でやった」と、ちゃんと聞かないようになっても不思議ではないか・・・と。
本当はそれでも聞いた方がもちろんいいと思いますけど。
だって、「知っている」と思っていても、それは「形式上」知っているというだけのことも多いと思いますし、塾で覚えること・覚えさせることとは違うことで、「知っておいた方がいい」と思うこともたくさんあると思うので。
塾での勉強の仕方によっては、知識というものに関するとらえ方を学べないこともあるかもしれないかな・・・なんて思いました。
勉強を先取りすることによって、伝えようとしていること、教えようとしていることを「無意識に、何となく聞く」という、何か矛盾するようなクセ(?)がちょっとだけ身に付く可能性もあるかなぁと。
学校で先生がいくら伝えようとしても、そういう顔をされていたら、いつまで本気で伝えようとできるのだろうかと思います。しかも、授業でやっていることを子供たちが塾などですでに学習しているのだろうと理解した上では、すでに知っていると思われることを本気で教えるのは、難しいかもしれないなぁ、なんて。もちろん、それでも、本気で教えるべきでしょうし、その先生の授業を必要としている子もいるのでしょうから、そういう子のためにも本気で教えるべきでしょうが・・・いや、実際にそうされていると思いますけど、でも、もしかしたら、強い気持ちを持っていても、伝えにくさを感じたりして、もしかしたら、こういうことから、[伝えるー受け取る]という部分の発達・成長の面において、先生と生徒の間で悪循環に陥っているような部分もあるのではないだろうか、なんて思いました。もしそうなっていたとしても、もちろん、両者の責任だけではないと思いますけど。
ちなみに、私が高校の時の授業で「教わって良かった」「話を聞いていて良かった」と思うことの一つは、数学での授業で先生が言った「数字のとらえ方」のこと。
「平均」とかを扱う授業の前に、雑談のように先生が話してくれました。
よく、「平均」ということで、色んな数値が発表されますが、その平均値は、例えば、わずか数人がとんでもなく高い数値を持っていることもあり、その結果、平均の値が、普通の人の値からはかなり離れた高い数値になることもあると。
だから、「先生は(小さくまとめると)平均値などの数値を必要以上の大きさ・形ではとらえない」というような話でした。
これは、ただ数式上の平均を求めたり、答えを求めることを繰り返していても理解できなかったことだと思います。ですが、結構、「おう、その通り!」と思ったので、先生に教えてもらった「良かった」と思うことの一つです。ちょっと雑談っぽいことでしたが、話してくれて先生どうも!
それから、これも数学ですが、生徒の宿題を一つ一つ見回っていた先生が、私の回答方法を褒めてくれたことがありました。何で褒めてくれたかと言うと・・・それが優れた回答方法だったからではありません。(→残念!)
他のみんなが同じ回答方法だったらしいのですが、私のものだけ違っていたようです。どうやら、みんな同じ式(効率的な式だったのだと思います)で、参考書に載っているようなものだったらしく、私だけ違う、おそらく「不効率な、幼稚な回答」だったと思うんですけど・・・「自分で考えた」ことを褒めてくれたんです。
その時、先生は、一つの答えを導き出すのには色んな方法があること、そして、それを自分で考えることが大切だというようなことを話してくれたと思います。
これも、効率よく問題を解くことばかり教わっていたらもしかしたら実感できなかったかもしれません。先生サンキューなのです。