目を見ようよ
最近、よく思うことは、相手の目を見れない子が増えてきたということです。
自分が悪いことをした時に、注意をされるという時に、相手の目を見れない。
えぇ、見れないのが自然、当たり前という時もあるでしょう。自分で「悪いことをした」と思うからこそ、相手の目を見れないという時もあるでしょう。恥ずかしさから見れない時もあるでしょう。でも、ちょっと逃げすぎなような気がします。
相手の真意を感じるために、相手の気持ちをより感じるために、相手の目を見なくてはならないこともあります。
この、「見なくてはならない時」に相手の目を見れない子が多くなってきているように感じます。
ゲーム機で遊ぶことが増えたり、自分の世界だけで遊ぶことが増えたり・・・それ自体は別に悪いことではないのかもしれませんが、ただ、人の目を見て伝えあうという、最も基本的な経験が以前より不足気味な気はします。
友達と遊ぶ時も「ゲームをしながら会話」したり、「一緒にいてもお互いにゲームの画面を見ながら会話」したり。
ケンカをしても、目をみなくては。しっかり目を見なくては。じゃなきゃ、学べるものも学べないでしょう。
しっかり見よう、心に受け止めよう、人の気持ちを。
自分の目で見れる範囲、見れること、受け取れることでいいから、しっかりと。
ーそう、思います。