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2006年2月

通信No.36おまけ「空間」

■空間・・・
ついこの前はすごく心地よい空間だったのに、今日は全く違う空間になってしまう...。そんなことがよくあります。そんな中だからこそ子供たちが成長するのだとも思いますが、それでも、理想の空間とかなり離れてしまった時には、悔しくて、悔しくて、たまりません。詳細はここでは触れませんが、2月の第4週も、U-9クラスでそんなことがありました。
…もちろん上手くなることは大切です。しかしスクールは“表面上”上手くなる(上手くプレーできる)空間かどうかなんてことより、そこにいることが意味のある空間であるかどうか、それが重要なのです。
あそこにいる一人一人が互いに影響を与え合って、そしてテクニックが身につくから、グラウンドに子供たちが集まる意味があるのです。表面的なテクニックなんかでなく、中身のつまったテクニック、自信、力が着くのです。自分の力だけでなく、友達の力、可能性を認識する力がつくのです。
気持ちや存在がバラバラなままで上手くなる、そんな空間にはしたくありませんし、そんな中での上達なんかに負けないくらいの、強い、力のある上達を、グラウンドでは、させたいと思っています。
―スクールの時はあらゆる言葉が飛び交います。時には許せない言葉も出てきます。よく気持ちをぶつけているように見えるかもしれませんが、あれでも実は抑えている時もあります。抑えなくてもいいのでは、と思われるかもしれませんが、抑えることが必要なこともあるのです。もちろん、そのままストレートに伝えることもありますが。
思いは伝えなくてはなりません。「お前の今の言葉は許せない」、それを伝えるために気持ちを抑えない方がいいこともあるかもしれません。でも、それでは逆に気持ちを伝えられない可能性もあるのです。
私が友達を注意しようとして、私が間違っているような時には、私に向かって「違うよ、こういう理由があるんだよ」ということを言ってくれる子もたくさんいます。こういう子が増えればいいと思います。
しかし、彼らはまだ子供です。まだ大人に“怒られる”のが「怖い」と感じてしまう年齢です。“怒る”ような形で接し、「“汚い言葉を言ったら怒られる”だから汚い言葉は言わないようにしよう」「“怒られるから”悪い言葉は言わないようにしよう」「怖い」から言うことを聞く、そんな風になってしまったら、いけないんです。形や見た目ばかり強要して、“形ばかり整える”空間、そんな風になってしまってはいけないんです。
本当に伝えるべきことを、いかに伝えていくべきかー。
私なりにその時、その空間で感じたことを、より子供たちに伝わるように伝える努力はしていますが、それでも、後で子供たちの顔を思い出し、もっと違うアプローチの仕方があったのではないだろうかと、反省することも少なくありません。
これからも、場合によってはその場にいる子供の誰かが嫌な気持ちになってしまう空間に(もちろん望んでなんかいませんが)、なってしまうことがあるかもしれません。
それでも、表面上の綺麗さや上辺だけのフェアプレー、そんなものではなく、もっと奥に目を向け、色んなことを子供たちが感じ、強い成長をできるよう、努力していきたいと思います。
至らぬ点もまだまだあるかと思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。

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通信No.36おまけ「2人の関係(続編)」

■2人の関係・・・続編(U-9クラス)
前通信で紹介した「追いかけ・追いかけられ」2人組の続編です。実はちょっとした続きがあるのです。通信No.35で、お互いの気持ちを理解し、気持ちの面でもプレー面でもお互いに良い影響を与えあった様子はお伝えしましたが、あの、ちょっとした友情プレーがあった翌週、「追いかけた」側の子(友達に何とかシュートを決めさせようと努力していた子)がスクールをお休みしたのです。
友達が休むことを伝えると、「追いかけられた」側の子は残念そうにしていました。
そしてその翌週(休みから友達が復活)、ゲームの時にチーム分けをしようと子供たちを集め、チームにする子供の名前を「××君(実際には呼び捨てです)と○○君と...」と言っていると...
“追いかけられていた”子が、さり気なく、そろりそろりと(実際には小鳥のようにちょっとずつ跳ねながら)○○君(追いかけていた子)の方に近寄って行くではありませんか。そばにいれば同じチームになれると思ったようです。ピョンピョン近づいて行きます。思わず笑っちゃいました、可愛すぎて。今回は“偶然”同じチームになれたようで、その2人はとても喜んでいました。これからも、気持ちを伝え合う経験、失敗やら成功やらをたくさんして、多くの楽しい仲間を作って欲しいものです。

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通信No.35おまけ:子供への対応

スクール時、特にゲームの時などは友達同士で足がちょっとかかったりすると子供が転んでしまうことがあります。
コーチとして駆け出しの頃は、練習中に子供がちょっとでも倒れたりすると、心配ですぐに走り寄っていました。しかし、その後数年たち、(子供が倒れた時に)こちらとしては行ってあげたくても、本人の力で立てるかもしれないと思う時は、行くのを我慢するようになりました。
行かないかわりに、心の中で「立て、立て」と思っていました。(→自分の力で、もしくは友達の励ましの声で立てたりできることはすごいことだと思ったからです。)
もちろん、そんな対応法を可能にするにはかなり注意深く子供たちを見なければならないですし、日頃の様子をよく頭に入れておく必要があります。(→すぐに様子を見に行かなければならないという時にはすぐさま駆けつけていましたし、高い集中力で現場を見るよう意識もしていました。)
しかし、その分、それまでは転んでも自分で立てなかった子が自分の意思で立てるようになったり(その時はとても嬉しいです)、友達同士で何とかしたりすることもあり、そんな光景を見ては嬉しく、またこれで良いと思っていました。
そして、おそらくこの方法が、子供のハートを育てる上でも良いのだと、自分では少し前まで思っていました・・・・・・・・が、今は違います。
自分が見ていた状況からする、自分の判断に関わりなく、まず近づくようにしています。(→考えを改めたのには理由がありますが、それにはここでは触れないでおきます。)
近づいて、まず確認をするようにしています。
すると、不思議なもので、大丈夫な場合は、みんな自分で立ち上がるのです。それまでは同じような状況でもなかなか立ち上がらなかったような子でも。
ちょっと頑張れば立てるのにしばらく倒れてしまっている時などは、こちらが心配そうに具合を尋ねると「な~んちゃって」(明らかに痛いのにちょっと我慢して)と言って立ったり、「痛くないよ」「できるよ」と言ってすぐ立ったりして。
そして次からは同程度の転倒やケガなら私が駆けつける前に「大丈夫!」と言わんばかりにサッと立ち上がるのです。
不思議ですね、さっきまではクルクルだったのがいつの間にか天然アフロ...ってこれはさっきのネタじゃないかー!  (きっとこの時点でお読みになっている方が5分の1に減少:ソラダス予想)
不思議ですね、こちらのアプローチは全く違うのに、同じような現象が起きるんです。(→今気づきましたが文字で書くと“アプローチ”と“アフロ”って似てますね。あ、5分の1から8分の1に...。)
ただ、これでは子供が転んだ時にコーチとしてはすぐに行くのでも、遠くから見守るのでも、どちらでもいいのでは? ということになりますね。もちろんどちらにも意味があるのでしょうし、表面上の現象は同じでも子供たちの心の中で起きていることはきっと違うのだと思いますが。
それでも何故すぐに近寄るようにしたのかというと、答えは簡単です。
(そのような精神的な部分に関係なく)いくら注意深く見ていたって、ケガなどに対する自分の判断が誤っている可能性があるからです。過信するな、ということでそうすることにいたしました。
特に何かを結論づけるような話ではありませんが、ちょっと驚いたので皆さんにもお伝えしたく...。

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