その他

2012年3月 7日 (水)

時の流れ

(2012年3月通信No.123おまけより)

もうすぐ今年度の練習が終わりますが、どの学年の子もすごく成長したと思います。
中学生はもちろん、小学生クラスの卒業を控えた6年生も、6年生を追いかけてきた5年生も、U-12クラスの中でお兄ちゃんたちに囲まれて練習を頑張ってきた4年生も、U-9クラスで一番お兄ちゃんの3年生も、タフな3年生といつも遊んでいた2年生も、ボールが大きく見える年長さん、年中さんも・・・
もう、みんな、「うるさいくらい」に元気で(とてもいいことです!)、毎日、元気を発揮しつつ、本当によく成長してきたと思います。
そして、(これまで、ここでは他学年の子のことを触れることが多かったですが)、その「うるさいくらい」に元気な他学年の子に囲まれながら、一年前はまだピヨピヨしていた1年生の子たちがしっかりと成長してきたことも見逃すことができません。
1年生といえば、4月に、U-6クラスからU-9クラスに上がり、急にクラスの人数が増えたり、知らない子が増えたりする学年です。
「どうしよう…」という子も多かったはずですし、困った表情を見せる子がいたことも覚えています。
いつも一緒に遊んでいる友達が練習に来ていないと、泣いてしまうくらい、コートの中に入るのを嫌がる子もいましたし、友達が来ていても、コートに入るのが「嫌だ!」という子がいました。
(こういうことは、今の1年生の子に限ったことではなく、毎年よくあることです。特に、幼稚園くらいの子から、小学1年生くらいの子までは、こういうことがちょくちょくあるんですよね。悪いことでも変わったことでもありませんので、親御さんは特に気にする必要はないと思いますし、「他の子やコーチたちに迷惑では?」と思われる方もいるようですが、そんなことも全くありません。親として、そういう時でも「エイヤッ」とコートの中に子供を入れることはしづらいかもしれませんが、そういうことがあっても、コートに連れてきてもらえたらと思います。あとは、何とかします・・・と言っても、練習前に、仲のよい子がその子に声をかけてくれたり、仲の良い子の親御さんが声をかけてくれたりして、私たちが何かをする必要がないこともたくさんありますが。)
さて、4月の頃はそんな様子を見せることもあった1年生ですが・・・とてもお兄ちゃんになったと思います。
まずは、プレー面での成長から・・・動きがすごく速くなり、技術もすごく上がり、ずっとボールを追いかけ・・・「あんなことできたっけ?」「あんなに速かったっけ?」「あんな感覚を身につけたんだ!」というぐらい、一年前とはまったく違う動きを見せています。身体的に、素早さ、身のこなし、バランスのとり方などがとても成長する時期なので、練習した内容を十分に吸収し、様々な要素が成長しています。
そして、こういうプレー面だけでなく、他の部分でも、すごく成長したなと思います。
転んでしまうとすぐに泣いていた子、なかなか起き上がれなかった子が、泣かずに起き上がるようになったり、
友達に謝らなきゃならない場面で、なかなか謝れなかった子が、ちゃんと謝れるようになったり、
知っている子がいないとコートの中に入ることができなかった子が、入ってこられるようになったり・・・
今では当たり前のように見えるこれらのことでも、一年前の様子を思い出すと、すごく成長していることがよくわかります。
このようなことは、つい、以前の姿を忘れてしまい、成長を見逃してしまうこともありますが、当たり前にできていることの中に、たくさんの成長があることや、小さな成長がいくつも積み重なっていることを、忘れないようにしたいと思います。
もちろん、まだ、涙が止まらないこと、「嫌だ!」となってしまうこと、転んでも立てないことがあるかと思いますが、少しずつ成長していることは間違いなく、きっとまた一年後には、当たり前のように成長した姿を見せてくれることでしょう。もちろん、他の学年の子もですが。
涙のあとをほっぺにつけたまま笑い、顔を手で拭いたあとを残しながら、みんな、優しく笑い、強く笑い、はじけ、元気に走っていますね。
成長を見せる子供たちに、時が流れていることを感じさせられます。
一日一日を大事にしたいと思います。一日一日の成長を覚えておきたいと思います。
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千葉市で開校中 TEL : 042-534-3766
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背景

(2012年3月通信No.123おまけより)

表面上は同じ行動でも、その行動が生まれる背景や理由、経緯が全く異なることや、逆に、表面上は違う行動でも、それらがまったく同じことがあります。
ですから、ソラでは、「表面上は同じ行動」でも、子供たちが注意される時と褒められる時があります。
矛盾しているようですが、背景・理由、それまでの経緯などを考えると、そうなることがあるのです。
それらを考えないで、褒めたり、注意したりする方が、矛盾がないように思えますが、実際には、そのような働きかけでは、逆に(真の部分では)矛盾することがあったり、真に迫れないことがあるので、背景や理由、経緯を大切にしています。
もちろん、こういうことを考えた上で、より真に迫っていくまでの過程として、あえて、「表面上の行為」を取り上げて、[褒める・注意をする]ということもありますし、そこにいる子を育てるために、他の理由から、背景・理由などに関係なく、線を引いて注意をする事もありますが。
このように、背景や理由、経緯などは、コーチングを行う上でとても大切な要素ですが、それらによって、表面に出る行動、現象はあまりにも様々なので、それらを踏まえてのコーチングは、面白いと思うと同時に、非常に難しいとも感じています。
・・・ある行動が生まれる背景や理由が色々あるということについては、皆さんもよくご存知だと思いますので、ここでは、コーチの立場で、私が昔、サッカーの分野で「えっ?」と感じたことをお話しします。
コーチになってから3年くらいたった頃、名選手のインタビューを聞いていて、驚いたことがありました。
だって、その選手は、「自分が名選手になれたのは、素質・才能のおかげだ」なんて言うんですもん! 
子供にサッカーを教える時に、「努力が大事だよ」と言うことの多かった私には、「えー?!」でした。
あとで、子供たちに、「あの名選手も“努力が大事”って言っていたぞ」という話をしようと思っていたのに。
そのインタビューを見た直後は、「まったくもう~」・・・なんて思っていたのですが・・・その選手はそんなことを言いそうにないんですよね(それまで、他の場での受け答えとかを色々見ているじゃないですか、そういう様子からは、そんなことを言いそうにないんですよね)。
だから、私が、彼の言うことを正しく理解できていないんだろうなと思いました。
そして、同じようなことを他の選手も言っていることがあるのを見て・・・「ははーん」と思ったのです。
彼らはみんな、普段の言動(といってもテレビや雑誌を通しての印象ですが)を見ると、謙虚なんです。
そこで、次のように考えました。
例えば、「努力」というものが、「すごく大変なこと」だと思っていたら、自分が、そういう大変なことをして名選手になったなんて、言いにくいこともあるのではないかな? と。
だから、「自分は大変なことをしたわけではない」「本当は、自分よりも他の人の方がすごいんだよ」と言うために、「素質・才能でここまできた」と言うこともあるのではないかな、と思いました。
そして、それとは逆に、「素質・才能はなかったけれど、努力でここまで来た」という人は、「自分には、素質・才能があったから」というと、なんか自分が“特別”なようになってしまうから、「自分は“特別”ではないんだよ、みんなと一緒だよ」「他の人の方がすごいんだよ」と言いたくて、「努力によってここまできた」と言うのかもしれないと(もちろん、生まれ育った国の文化などが影響している部分もあるでしょうが)。
・・・真逆の言い方ですが、真の名選手は他の選手の良さをちゃんと理解し、他の選手の良さを認めているのだということなのだと思います、きっと。
背景を考えれば真意を捉えることができても、背景を考えなければ真意を捉えられないこともあるのだなと、強く感じた出来事でした(実際には、私には、名選手の考えは正確にはわかりませんので、推測が正しくないかもしれませんが、先程のように考えることがあってもおかしくはないと思います)。
そして、場所が変わり、時間もたち、今、ソラの子たちを見ていますが・・・
ソラの子は、みんな、色んな行動を取ります。それが良さであり、今、彼らがすべきことでもありますから、これでいいんです。ただ、まだ、大人が必要な年代でもあります。
ですから、あとは、私たちが彼らの行動を正しく理解できるかどうか、です。
そのためにも、背景、理由、経緯をしっかり考えられるようになりたいと思っています。そして、より正しく彼らを見ていきたいと常に考えています・・・が・・・これが本当に難しく、いまだに見誤ることが・・・。
ですが、子供たちの成長がかかっているので、できる限り、背景を考えながら、子供たちの真の部分を見ていきたいと思います。

******この「見誤り」を少しでも減らすためにも、手を向け、目を向けているのですが・・・それでも難しい部分があることも十分承知しているので、背景、経緯をより深く理解することで、見誤ることを少しでも減らそうと、よく「些細なことでも連絡を下さい」というご案内をさせて頂いています。
ですから、本当に、何かあったら連絡を頂けると助かります。
子供たちを正しく見ることができないということは、コーチとして、とてもつらいことなのです。

手からは何も出ていません

(2012年3月通信No.123おまけより)

私は手を色んな方に向けることがあるので、子供から、「何やってんの?」と、聞かれることがあります。
保護者の方からも同じことをたまに聞かれることがありますが、簡単に言うと「指さし確認」です。
家事や他の仕事と同じように、スクールを行う時も、「見るべき場所」と「意識を向けていなければならない場所」が、同時に複数存在します。
全体を見渡す,フォーカスして一カ所を見る,全体を見ながら他の場所を意識する,一カ所を見ながら全体を意識する等々・・・様々な形で、起きている事や雰囲気をつかむ必要があるので、私の手は、そういう時に見る場所や意識する場所のうちのいくつかに向けている感じです。
そして、基本的には、視線と手の向きは違うことがほとんどなのですが、状況により、手と視線が重なることもあり、特に、情報を一気に取ろうとする時は、向けた手に、もう片方の手を添えることもあるので、手から何かを出しているような感じになり・・・子供から、「何しているの?」と聞かれてしまうのです。
手を使わない時もありますが、よほど自分の調子が良い場合を除き、今は手を使っています。
ちなみに、昔は手を使うことはなく、体中で現場の雰囲気を感じるようなイメージを持っていました。
ですから、豊田にも、「上半身が裸のような感じで、体中で子供の気持ちや雰囲気を感じろ」とか「背中に大きなバッテンの傷があって、そこから雰囲気を感じるカンジ」などと・・・「何をコイツは言ってるんだ?」と思われるような要求をしていました。もちろん、本当に傷があったら、私はギャーギャー言いながら、子供たちには目もくれず、近くの病院に直行しますが・・・(失礼!)。
そのような感じで、昔は現場の雰囲気を感じ、指さし確認なしでも意識すべきことの優先順位が崩れることや、自分のイメージと現象との間にギャップを感じることは少なかったのですが、数年前から、そうではなくなってきたので、「これはイカン」ということで、手で確認をするようにしたのでした。

***コーチング中は、より広い視野を持つことが大切なのですが、それでは逆に見えなくなるものもあります。
ソラの空間は、単純な「子供の空間」なのですが、子供たちがずっと関わり合って来た上でできている空間でもあるので、一瞬の場にも、複雑な絡み合いや深い意味が含まれていることがあります。
そんな空間の中には、目で見て意識をするだけでなく、(意識はしていても)見ない方が良い場所,見ていても見ていないように(子供たちに)思わせなくてはならない場所もあります。
私たちの視線を子供たちが必要以上に感じてしまうと、子供たちの動きや反応が若干変わってしまうこともあるので、素の部分での子供たちの変化や成長に対し、正しい判断をできないこともあるからです。また、そういうことを判断できる、せっかくの機会が、訪れなくなってしまうこともあるからです。そのため、こちらからの働きかけや視線を感じさせないようにしなければならない状況もあるので、「広い視野」と言う基本を大事にした上で、「見ない」も含め、空間を感じるようにし、そして、その「見ない」部分をしっかりと把握するためにも、意識を外さないようにするためにも、手を向けていることがあります。

2011年12月19日 (月)

遠回り・・・

(2011年12月通信No.118より)

ソラの子はよくしゃべります。そういう雰囲気で練習をさせているということもありますが・・・。
サッカーだけのことを考えればちょっと遠回りという気もしますが、私は(現代の子供たちには特に)こういう遠回りは大切だと思っています。サッカーでの成長を考えても、もっと大きく、サッカー以外のことを含めて考えても。
*****この前、今の6年生の子が、「そういえば、“体操のお兄さん”って、いたよね!」と言っていました。
体操のお兄さん? ・・・はい、いたんですよ、昨年、ソラに。よくしゃべる子。
練習の時に、「体操のお兄さんだよ~♪」と言って、年下の子と遊んだり、冗談を言ったりして、練習を楽しいものにしてくれていたんです(その子の親御さんが、その様子を見て、「自由すぎますよね・・・」とおっしゃっていたのを覚えています)。
私はそういう、おしゃべりあり、笑いあり、もちろん真剣ありの、子供らしい雰囲気・空間がとても好きでした。
もちろん、こういう雰囲気とはまったく逆の、「いつも黙々と」が悪いわけではありませんし、嫌いなわけではありません。矛盾するようですが、私は「黙々と」も大好きです。「黙々と」練習するからこそ上達することもありますからね。
ですが、今、子供たちが身を置いている社会環境、これから子供たちが育っていく社会環境を考えると、色んな理由から、友達と互いに接してほしいと思うのです。たくさん話してほしいと思うのです。「黙々と」の大切さもわかっていますのでそうさせる時もあります。そういう考えもある上で、「話させたい」と思うだけなので、話させる雰囲気にする場合は、少なくとも「黙々と」で得られるものを超えるだけのものは得させなくてはならないと思っています。
さて、この、「自由」だった「体操のお兄さん」は・・・中学生になり、どうなっているんでしょう・・・?? ? 
ところで、中学生になると、親やコーチから離れて時間を過ごすことが多くなります。そういう中では、「自分がどうするか」「自分でどうするか」が非常に大切です。中学生の年代は、小学生の頃よりも物事を論理的に考えられるようになりますし、真剣に行うことで得られる達成感をより強く感じられるようにもなります。こういう精神面での大きな成長を見せる時期ですが、遠回りでも、しっかり成長してきた子は、サッカーへの気持ちが年代と共に変化し、こういう、「自分」が大切な時でも、年代に合った好きさを追いかけられる、感じられると私は思っています。
また、一方で、中学生の年代は心肺機能が発達する時期でもあり、「やりたい」ことを小学生の頃よりも長時間続けることができるようになります。その結果、技術もどんどん上達し、上達するからもっと好きになり、好きになるから練習し、さらに心肺機能が発達・・・という、心・技・体での好循環が起こります。人間の心と体は、不思議なほどバランスが良くできていますね。
子供にとって自然な環境であれば、心と体、もちろん取り組む対象の技術も、バランスよく、どんどん育っていくんですよね。
おっと、さっきの子に話を戻して・・・中学生になった今・・・この子のサッカーへの意欲は高まるばかりです。
この子は6年生の頃、試合の日程を教えてくれ、「見に来れば」と言ってくれたことが数回あったのですが、普段も安心できる環境で練習しているのだろうというスクールでのこの子の様子や、もともと6年生の試合はあまり見に行かないようにしているということもあり(理由はここには書きません)、また、どうしても見に行けないタイミングであることも多く、結局、試合を見には行けませんでした。卒業後もサッカーや練習のことで何度か連絡を取り合っていたのですが、小学生の時に連絡をもらいながらも結局見に行けなかったということが気になっていたので、そして、今もなかなか試合を見に行けないので、数ヶ月前、小学生の子の試合を千葉に見に来た日に、この子に連絡をしてみました。
その日は雨だったのですが・・・、急な呼び出しにも関わらず、その子はやって来ました。お風呂に入った後だったようなんですけど・・・(もちろん、保護者の方に事情を話し、了解を得てから呼び出していますからね)。
公園で色々と話しましたが、まったくふざける様子もなく、「なるほどなるほど」と話を聞いていました。
そのまま公園で別れましたが・・・「雨に濡れたついでに走る」ということで、その後、走りに行ったそうです。
その後も、年代・経験に合ったサッカーへの取り組み方を感じさせるような連絡が何度か来ました。
この前は、今のチームでの試合の入ったDVDを見せてくれました。とにかく良いプレーヤーになりたいようです。
本当に成長したと思いますが・・・改めて、この子の小学生の頃を思い出すと・・・よくしゃべってはいましたが、場を感じ、周囲の子の気持ちをよく考えていたと思います。ですから、場を壊したり、人を傷つけたりする冗談はありませんでした。
よくしゃべり、ふざけていましたが・・・それは、その時々の空間、時間をとても大切にしていたということなのでしょう。
この子は、小学生の時のソラでの最後の練習の日に、学校行事から駆け付けてくれたのですが(楽しいディズニーランドから!)・・・こういうことからも、その時しかない空間を、本当に大切にする子だったのだと思います(学校の友達とはまだ会える状況でしたから、学校での空間・友達のこともちゃんと大切に思っています)。
そして、そういう気持ちは今もしっかりと、いや、さらに成長させた形で持っていて、中学生になり、今しかない時間、サッカーを思いきりできる時間をとても大切にしているように思います。
この子も遠回りをしていたように思いますが・・・今の、サッカーにまっすぐ向かっている様子、サッカーだけに限らない成長の様子を見ていると、やっぱりそういうことが大切だったのではないかと思います。
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2011年7月28日 (木)

子供の毎日

(2011年6月 通信No.114おまけより)

ふと思い出したもので・・・ちょっとだけ、昔話を失礼します。
では・・・・今から10年前、小学6年生の頃のことです(はい、30年近く前ですね、わかっています)。
毎日サッカーをして遊んでいたら、ある日、となり町の学校の子たちと試合をしようということになりました(私がチームに入ったのは6年生の3学期。これはそれよりも前のことで、チームでの試合ではありません)。
小学生の高学年と言えば、グループ意識が強い時期です。それ故、逆に隣のクラスの子たちとは仲があまりよくなく、ライバルのような感じ。なので、学校内では、他のクラスと激しく「試合」をしていたのですが(メチャクチャ本気です)、ある日、「今度、違う学校のヤツラと試合やろうぜ」ということになったのです。
いつも一緒にサッカーをして遊んでいる子の中に、野球チームに入っている子がいて、その子が野球の試合で知り合った他の学校の子と話ができるということで。
自分たちで学校の代表というか、試合に出るヤツ・出たいヤツを決めて、「交代はどうしよう」とか「ポジションはどうしよう」とか、色々決めていきました。
それまでは、自分のクラスだけでそういうことを決めればよかったのですが、今度は全クラス合同でチームを作るので、他のクラスの「文化」も取り入れなくてはならず・・・普段から仲が良いわけではないので、面倒と言えば面倒なのですが、チームを作らないと試合をできないので、普段は「敵」の隣のクラスとも協力です。
そして、チームや交代の約束ができ、あとは試合の日を待つだけ。
「サッカーの試合をやる」といっても、「サッカーやろう♪」ではなく、「知らないヤツラとの試合」です。
さて、試合の日、「強いヤツらなのかな」「どんなヤツらなんだろう」と、ちょっと緊張。
そんな中、「おい、来たぞ!」と誰かの声がして、となり町の「知らないヤツラ」が登場です。
「来たー!」という感じです。乗り込んで来た分、なんか向こうの方が強く、かっこ良く感じます。
そして、迎えた後、今度はそんな「ちょっと強そうに見える相手」と、試合時間やら交代方法やらを決めます。お互いに違う学校の「文化」があり、ちょっと面倒だけれども、これも試合のためなので・・・。
そして試合が始まり、私はスーパープレーを連発…今、「やれやれ」という声が聞こえてきたので試合終了。
試合終了後、べつにすぐに帰ってもいいのですが、野球などで知り合いのいる子たちはその子たちで集まって話したり、知り合いのいない子はそこらへんでボールを蹴ったりして、適当に時間を過ごしていました。
「試合が終わったら“終了”ではつまらない」と、みんなが思っていたんでしょうね。
でも、さすがに知らないヤツラの中にはなかなか飛び込んでいけず、みんな、「興味あるけど・・・」「話したいけど・・・」という感じでした。
すると、突然、「キャー!」という声が! 
みんなが驚いて声の方を見ると、相手の学校の子が校庭の中央で叫んでいます。
友達が「どうした?」と聞くと、「おばあちゃんが梅干しを食べて、すっぱすぎた時の声」と言いながら、もう一発、「キャー!」。
どうやら、一発ギャグ。非常識な一発ギャグですが、そこは小学生なので許して下さい。それにしても人騒がせな・・・。しかし、この一発ギャグで、何となくお互いの線が消え、少しずつ知らぬヤツラと目が合うようになったのです。
私も知らぬヤツと目が合いました。その瞬間、何かを言わなきゃと思い、頑張って、とっさに出た言葉が、「おサルがウキャキャ」・・・ああ、悲しい小学生・・・。すると、相手も「何かを言わなきゃ」と、とっさに出たのでしょう、「ゴリラがウホホ」・・・。
そして、また私が「ウキャキャ」、相手が「ウホホ」・・・これを色んな動物で何パターンか繰り返し、いつの間にか、そいつとPK対決をすることに。とんでもないバネを持っていて、驚きました。
そんな感じで仲良くなった頃、もう帰る時間に。
「おサルが・・・」ー「ゴリラが・・・」で別れました。まともな会話はゼロ。
でも、これでもいいんでしょう、きっと。お互いに顔を覚えましたからね(数ヶ月後、中学校で一緒になった時には笑いました。「あ、あの時の!!!」って)。
こういうことができて、面白かったです、子供の頃。
この試合の成立には、学校の先生も誰かの親も関わってはいません(もしかしたら、まとめ役の子の親が色々助言をしてくれたり、見えないところで先生が助けてくれたりしていたのかもしれませんが)。
自分たちで決めて、自分たちで行動して、そして、終わって、友達までできて。
皆さんも、こういう、子供の時にしかできなかった経験がおありだと思いますが、それらの経験が、その後、大きく役に立っていると、きっと感じられていることでしょう。私もそう感じています。
ですから、やっぱり、子供の時には、「子供」として、毎日を思い切り過ごしてほしいと思っています。
ソラの子は、グラウンドで言い合いをしたり、やってはいけないことをやってしまったり、よくします。
そうすると、友達との間で心のぶつかりが生まれたり、私が吠えたり・・・とにかく色々なことが起きます。
本当に凸凹のスクールです。
最初から「こういうことは言ってはダメ」「やってはダメ」と言えば、スクールはスムーズに進むと思うのですが、子供の時には子供として、凸凹の山をたくさん走って欲しいので、こんなやり方をしています(もちろん、安全に関することなどで、何かが起きる前に防ぐべきことは事前に注意します)。
あ・・・一応断っておきますが、「子供として過ごす」とは「どんな時でも甘えてOK」とか「何でも許される」というのとはワケが違います。子供として当然受けるべき「しっぺ返し」は受けさせますから。
そんなことを繰り返しながらも、いつもグラウンドに跳んでくる・・・ですから、ソラッ子が私は好きです。
それにしても・・・話は試合に戻りますが、試合をやる時には色んな仲間がいて助かりました。
顔の広いヤツ、話を進めることができるヤツ、体のでかいヤツ、小さいヤツ、優しいヤツ、理解の早いヤツ・・・みんな、長所・短所、両面あるから、チームとしては、それがガッシリはまると強くなるのでしょう。
ソラの子も、色んな子がいますからね、どんなチームになっていくのか楽しみです。
**********
スクールとは直接関係ないことですが・・・
ちょっと前、子供が事故に遭わずにすんだという話をテレビでしていた時に、主に子供の命を救った方の機転について話がされていました。「みんなも覚えておいた方がいい」というような感じで。
ですが、その現場の映像には「立ち入り禁止」という看板が映っていました。その映像を見て、ヒネクレ者の私は機転の方より、その看板があるのに入ってしまったということの方に意識が行ってしまいました。
機転を利かせ、命を救ったことは確かに素晴らしいことですが、(本来なら防げる)命を失う危険をなくすことが重要なはずです。
「立ち入り禁止」の場所の危険は、大人でないとわからない部分があるかとも思います。
子供ではその先を想像できないこともあるでしょう。ですから、説明や話をしてもわからないこういう部分は、大人が「絶対ダメ」と言うしかありません。
子供の時には子供らしい経験、冒険をして欲しいとは思いますが、「ダメ」な部分があるのも確かです。
子供の成長の糧になる「子供にさせるべき子供の経験」と、子供ではまだその危険度を理解できない「させてはいけないこと」・・・・非常にバランスが難しいと思いますが、それぞれの場で、子供に接する大人がしっかり考えていかなくてはならないことだと思います。
私も子供の集まる現場に立つ以上、コーチングメニュー同様、これらのことも、しっかり考えて行きたいと思います。
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2010年9月26日 (日)

効果がない練習? 

(2010年6月 通信No.97より)

U-6クラスやU-9クラスの保護者の方から、どんな練習をしたらいいのか、ご質問頂くことがあります。
子供たちは、公園などで少人数でのサッカーをしていると本当に上手になります。
例えば4人で遊んでいるなら2人チームを作って試合、8人で遊んでいるのなら4人チームを作って試合。人数が半端なら、チームの人数に差があっても構いません。これで、ドリブルもキックも、かなり自然に上手になります。
ただ、ご質問を多く頂くのは、友達と遊ぶ時のことではなく、親御さんと練習する時のことや子供が1人で練習する時のことが多いようなので、ご質問を頂いた時は、わかりやすい練習をご紹介するようにしています(子供たちは、動きの素早さや身のこなしの器用さを身につけていく時なので、鬼ごっことか、ボールの取りっこなどはすごく効果が高いと思いますし、効果が高いだろうな、という想像もしやすいかと思います)。

さて・・・ではここで何を取り上げるかというと、「本当に効果があるのかな?」という練習について、ちょっと。
皆さんもやったことがあるかもしれませんが、そうです、コーンを置いてのジグザグドリブルです。
この練習は、「あまり効果がない」と言われることがあります。
大きな理由は、試合中は状況がどんどん変わるからです。
試合中は相手が(コーンのように)等間隔に止まっていることはありません。
変化する状況の中で、判断をしながらプレーするのです。ですから、コーンを等間隔に置いたような、状況が変わらない中での技術を身につけてもあまり効果がない、ということらしいです。
こういうことは、何年も前から言われていますし、「ある国ではこういう形でのドリブル練習はやらないらしい」なんて聞くこともありますが、それでも私はこの練習形式は結構効果があると思います。
やり方によっては、試合中のプレーに近づけることができますから。
試合中にドリブルをしていて、1人目は抜けても2人目に取られてしまうのは、1人目を抜いた後にコントロールが乱れたり、2人目の相手選手が“突然表れる”形になったりすることが原因であることがあります(他の原因もたくさん考えられますが、ここでは触れません)。
ですから、ジグザグ練習でも、そういう状況にできれば、十分に効果のある練習になるのです。
スタートの方法をちょっと難しくしたり、コーンの置き方をちょっと変えたり、他にも様々な方法で、そういう効果を得ることができます。
工夫の仕方は色々あるのでここでは詳しく書きませんが、そんなに難しく考えなくても、単純にスピードを速くさせるだけで、試合に近い状況になることがあります。スピードを速くすると、コントロールが乱れ、突然、コーンが目の前に表れるような感じになることもあります。やり方次第で、等間隔に置かれたコーンでも、目の前に相手が急に表れた形にすることができるのです。
こういう状況をたくさん作り出すことができれば、とっさに判断しなければならないことも多く、試合に近い状況を多く経験でき、そのような状況で、どのようなボールタッチをすればいいのかを経験することもできます。
但し、試合中の、「相手がいてボールを取られるかもしれない状況」をイメージして練習するので、見た目には失敗を多くするような感じになりますから(そうじゃないと意味がないので)、もし、コーチや保護者の方がそばについている場合には、そのような失敗を責めていては、本当に効果がなくなってしまいますが。高学年などは自分で状況設定をして、かなり本気でできるかもしれませんが、まだそこまでの意識を持てない年代・段階であれば、無理に追い込むような形ではなく、遊び感覚で、失敗を恐れず、楽しむような雰囲気でできるといいですね。

また、課題の与え方や状況設定の仕方については、ケガを防ぐために注意した方がいい部分もあるので、無理にはおススメしませんが。
ただ、この練習を継続した子が、
・ドリブル時のバランスがとても良くなったり、
・ドリブル時のボールコントロールがすごく良くなったり、
・コントロールミスをしても、その後の対処方が良くなったり(対処できる種類が増える、或いは種類は増えなくても身のこなしがスムーズになる)、
・ゲーム時のドリブルがよくなっている
 ・・・というのは事実です。
ちなみに、ドリブル技術以外の部分でも効果があります。実際に成長を見てきた感じだと中学生くらいでも工夫次第でとても効果のある練習になるように思います。

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ある大会を見ていて

(2010年6月 通信No.97より)

ある大会で(ソラの子の所属していないチームの)試合を見ていて思ったのですが、応援する時は、子供たちの表情をもっと見るといいと思いますよ。
まずは、自分の子と友達の子の顔から見ましょうか。
そうすれば、例えば、失敗した時でも、子供がどんな気持ちだったのか、想像することができますから。
プレーの分析はできなくても(見どころがちょっと違うと、本来必要な働きかけとは全く逆の働きかけをしてしまうことがあります。プレーを正しく分析することは難しいこともあるので、できなくてもいいと思います)、子供の気持ちやその時の考えがちょっとわかれば、応援も、よりその時の状況にあったものになると思いますし。
さて、続いて見て欲しいのは相手チームの子。特に失点後のゴールキーパーの顔ですね。
自分の応援するチームが得点をしたら、応援する人は喜ぶのが自然なので、必要以上に相手チームの子のことを気にしなくてもいいと思いますが、外から見ている時には、余裕があったら、相手チームの子の顔も見た方がいいと思います。
ちなみに、この時に見た、ソラの子のいない試合。ソラの子はいないので、私はそのゲームをしている子供たちに強い思い入れはありませんでしたが、それでも、かわいそうになってしまいました。
なぜなら、あまりにも子供たちが外からの応援(?)の影響を受け過ぎているからです。
プレーにも表情にもそれは表れているし、得点をした子も、その時の表情は喜ぶというよりも「解放されてホッとする」という感じで。そんな顔でしかプレーできないのはかわいそうでした。サッカーはもっと面白いのに。
それに、自分のチームを応援しているのでしょうが、相手チームの子のプレーがどんどん消極的になるくらいの応援で、あれでは相手チームの子は力を100%出せないでしょうから。
プレーをしているのは子供たちなんですけどね。あれでは互いに自分たちの試合を楽しめないでしょう。
その時の試合結果だけを気にするのであれば、(絶対に子供の試合では必要ないと思いますが、5000歩譲って→)相手チームの力が出ないようにすることも必要かもしれません(←5000歩譲っても、相手の力を出させなくするのは、応援する人ではなく、試合をしている子供たちであるべきだと思いますが)。
ですが、相手チームが力を出せない、委縮している状況で得点を重ねても、それが本来の力だとは思いませんし、そういう状況で試合・プレーを重ねても、やっている子はあまり上手にはならないと思います。
相手がめいっぱい力を出し、イキイキしている方が、自分たちの本当の力もわかるし、上手にもなります。チームに入っている、いないに関わりなく、公園で子供たちがサッカーをして遊んでいる時はすごくみんな上手になりそうな動きをしています。これが良い例です。
もし、子供だけで試合をしていたら、そういう、イキイキとしたプレーが多くなりそうな試合でも、外からの応援のせいで、そうなっていないような試合を見て、「あぁ、ここに(よく子供の表情を見てくれているので)ソラの保護者の方がいてくれたらな」と思ったのでした。
*何年も前ですが、ゲーム大会をした時に、優勝したチームの子が全員喜んでいる中、1人だけ、つまらないという顔をしている子がいました。みんな、優勝して大はしゃぎなのに。しかも、この子はサッカーをすごく好きなのに。
気になって、なぜか聞いたら、黙ったまま、アゴである方向を指しました。隣に並んでいたチームの子が1人、泣いていました。なるほど・・・・。まだ子供なので、本当はそんなことに気付かなくてもいいのかもしれませんが、相手の表情を見て、子供でもこういう行動をすることがあるのです。
大人はよく「相手の気持ちを考えて」と言いますが、「相手の表情を見ること」は、相手の気持ちを考える時にとても大切ですよね。
「相手の気持ちを考えて」・・・子供が大人に言いたかったりして・・・。
*ソラの保護者の方と話していると、自分の応援がうるさいことをちょっと反省される方もいますが、ソラの保護者の方の声は、ちゃんと「応援」になっていると思いますよ。
ただ、もうちょっと子供のことを褒めてあげてもいいと思いますけど~。皆さん、友達の子には優しいのに、自分の子には厳しいんですから・・・。

=サッカースクール ソラ=
千葉市で開校中 TEL : 042-534-3766
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保護者の皆さんへ・お礼

(2010年3月 通信No.92より)

■保護者の皆様へ
4月からの一年間、スクールの活動にご理解、ご協力頂きまして、本当にありがとうございました。
ソラに通う子は、良い意味で子供らしくて、とても楽しい空間を毎回作っています。
「楽しい」というのは、色んなものが詰まっているという意味ですので、怒りたくなるようなことも(実際に怒ってますが)、笑いたくなるようなことも、悲しくなるようなことも、本当に色々あるのですが、“小さな小さな大きなこと”のたくさん詰まった「子供の一日」を一緒に過ごすことができ、私も毎日がとても充実しています。
このような空間なので、外から見ていて、自分の子がちゃんとやっていないように見える時や、人に迷惑をかけてしまっているように思える時には注意をしたくなる時もあったかと思いますが、そんな時でも外から声をかけるようなことはせず、スクールの空間を大事にして下さったことに感謝いたします(私やスタッフへのご意見などは遠慮なくどうぞ)。
子供たちは色んなことを経験しなくてはなりません。
自分で色んな経験をしないで、人の気持ちなどわかるようにはなりません。
まだまだ失敗をして、間違ったことをして、その時に色んなことを感じる経験をしなくてはなりません。
グラウンドで起きていることは、その時に単発的に起こることも、これまでの日々があった上で起きていることも、その組み合わせであることもあります。
その時その時で、何を経験させるべきか、何を感じさせるべきか、何を学ばせるべきか、その判断が難しいこともあります。
その時の空間をめいっぱい感じた上で、コーチとして、何をどうするか決めているので、今のように見守って頂けると非常にありがたいです。
今年度も、子供たちは、自分たちで作った空間で、それぞれ色々な部分が成長したと思います。
それも、外から支えて下さった皆さんのお陰です。ありがとうございました。

■6年生の保護者の皆様へ
卒業まで、子供たちをソラに通わせて下さり、ありがとうございました。
感謝の気持ちは言葉でいくら綴っても表せないくらいですが、ここでは、重たくなりすぎてもいけませんし、話し過ぎるわけにもいかないので、少しだけ・・・
・・・私は、子供たち、皆さんにたくさん力をもらいました。
「君には無理だ」と言われたこと、コーチを目指した時には想像すらできなかったことに、挑戦できました。
そのきっかけをくれたのは、6年前に閉校したスクールに来てくれていた子供たち。
そして、スカイランドの方に協力して頂き、保護者の皆さんに支えられ、スクールをスタートし、スタート後も、新たに加わった子供たち、子供を預けて下さった皆さんから、さらに力をもらい、コーチになる時に夢見たことよりももっと大きなものをつかむことができました。
本当にみなさんのお陰です。感謝しています。
6年前、私がスカイランドの社長さんにスクールの話をしに来た時は、「会社として」ではなく、「個人的な形」の話でしたから、話を聞いてもらえなくても仕方ないし、聞いてもらえても、スクールを開催できなくて仕方ない状況でした。
それにも関わらず、スカイランドの社長さんは、話を聞いて下さり、そして、スクールを開催させてくれたのです。
きっと、お話しした相手がスカイランドの社長さんではなく他の方であったなら、このようにスクールを続けることはできなかったと思いますし、子供たちや皆さんに会うことはできなかったと思います。ですから、スカイランドの方にも本当に感謝しています。
当時、ここでスクールを始める時に私が心に決めたこと、それは、「絶対に、子供たちに二度も閉校を経験させない」ということでした。
子供たちに「がんばれば何とかなる」なんて言いながら、目の前でスクールがなくなる経験を二度もさせたら、「がんばっても無理なものは無理」と教えるようなものです。
もちろん、実際には、がんばっても「無理」(一時的にそう映るものだと私は理解しています)なことがあるのかもしれません。
それに、子供たちには、閉校といってもどういうことなのか理解できないかもしれません。
でも、これからそういったことを学んでいく子供たちに、まだまだ自ら多くのことに挑戦していかなくてはならない子供たちに、(その時は理解できなくても後で振り返って)がんばってもダメなことがあると強く思ってしまうような経験は絶対に二度もさせない・・・これだけは最低限守りたいことでした。これをできた上で初めて他のことを追求できる、これを守る意思を持っていて初めて他のことを追求する権利があると、自分で思っていました。
今年、ソラを卒業する子の中には、閉校したスクールに在籍していた子もまだ残っています。
今年の卒業生を送り出すことができれば、閉校を経験している子は本当に少し。その子たちは、当時はまだ年中さんだったので、その頃のことはもうほとんど覚えていないでしょう。今年卒業する子が、かろうじて覚えているかどうかというところです。
(皆さんはいつも「無理しないでいいので」と温かく、応援だけしてくれましたが)子供に接する者として勝手に自分に課した課題でしたが、それをもうすぐ果たせます。
6年前の自分のままでは、きっと果たせなかったと思いますが、スクールの再開後、たくさんの子供たち、皆さん、仲間に会うことができ、ここまで来ることができました。
最初からいた子だけでなく、一年前にソラに来てくれた子も、二年前にソラに来てくれた子も、保護者の皆さんにも、ソラに来てくれた全ての方から、本当に力をもらいました。
今までに会った子供たち、保護者の皆さん、スカイランドの方・・・本当に感謝しています。ありがとうございました。
・・・これらの思いの他にも、今年卒業する子たちは、色んな状況、環境の中で、ソラでサッカーを続けてくれた子がたくさんいて、また、ソラに来る一人一人の子がそれぞれの頑張りを見せてくれましたので、彼らに対する思い、今年の子に対する特有の思いもあります。
彼らへの思いや皆さんへの思いを綴るといつも重たくなってしまって、何度も書いては消すということを繰り返したことがあります。ですから、今回は・・あとは心だけ、ドカンと放たせて頂きます。
勝手な、重たい思いかもしれませんが、どうか、届きますように。

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SHOW “和” サポーターとブーイング

2009年12月 通信No.89より

「おまけ」は、その時にお伝えしたいことを勝手に取り上げ、「子供の様子を取り上げた内容」→「少年サッカーの環境に触れる内容」という感じできましたが、これからはまた違う感じのものも載せていこうと思います。
ここ数年、「?」と思うようなことが結構あり、これらに対する考えを豊田とは話してきたのですが、彼は聞き上手なのでじゃんじゃん私がしゃべっちゃってかわいそうなので、ここにいくつか載せちゃえということで・・・。
例えば、 “世界基準”、“世界では・・・”というような言葉・・・聞く頻度が多すぎて。場所も内容も色々・・・。
聞くたびに、ヒネクレ者の私は、古き“日本”の良さをちょっと忘れてはいませんか? なんて、思っちゃいます。「世界基準」「世界発」というより、「日本発」のことがもっとたくさんあっていいんじゃない? と。
もちろん、世界から多くのことを学ぶことは大切です。自分たちにないものを学ぶことは大切です。
ですが、外に目が行くことが多すぎて、自分たちの良さを考えることを薄れさせてしまっている気がします。
内容的には、ソラの指導理念に関係なくもないと思えるものもいくつかありますので、これまでのように勝手な言い方・考えで書いちゃいます。もちろん、「正解」ではないので、別にお読み頂かなくて結構ですので。
ということで・・・今回取り上げるテーマは・・・

「サポーターとブーイング」
■日本のファン・・・
もう10年以上前、いや、んー・・・20年以上前でしょうか・・・よく、海外から日本にプロチームが来て試合をすると、試合をした海外の選手の多くが、「日本のファンは優しい、温かい」と言っていました。
その頃、「当たり前じゃん。好きなんだもん」くらいにしか思っていなかったこの言葉が、実は結構すごい言葉だったんじゃないだろうかと、今、大人になってからは思っています。
「日本のファンは温かい」・・・あまりにも普通の言葉なので、聞き流してしまいそうです。それに、日本に来てしゃべるのですから、気を遣ってくれていると思うと、なおさら、この言葉の意味は軽くなってしまうのです。
・・・が、「これはそんなに軽い言葉でもないかもな」と・・・。気を遣っての言葉ではなく、本当にそう思って言っている部分もあったのだろうと思うのです。
当時は(今もかもしれませんが)、海外から来たプロチームの応援をみんなたくさんしていました。
「日本のチーム」対「海外のチーム」でも、海外のチームを応援する人がたくさんいたし、海外のチーム同士の対決では、どちらにも応援する人がたくさんいました。
純粋に、「好きだから応援したい、応援させて」という感じで、一人一人、思い思いに応援していた感じです。
そして、バラバラの掛け声のはずなのに、それが会場では「ウワー」って。みんなの発した色んな声や言葉が、混ざりに混ざって歓声となって会場に響いて ― 「すごいなぁ」「かっこいいなぁ」って、よく思いました。
お互いに力を出し合ったプレーを見るのが最高に楽しかったから、自然に生まれた歓声、響き。
ひいきチームが相手チームから反則を受けると「きたねーぞ!」などと言う人はいましたが、ゲーム中に聞こえてくるのは、これらも含めて、一人一人から発せられた生の声、言葉、そして、その集合体の声援、歓声、ヒヤッとした時のどよめきなどで、グラウンドで選手が選んだプレーに対してみんなでブーイングをすることも、相手チームにプレッシャーを与えるためにみんなでブーイングをすることもなかったような気がします。
そういう環境でしたから、きっと、選手も観客も本当に「サッカー」を楽しめたのだろうと思います。
だから、試合後のインタビューなどで、先程のような言葉がたくさん出てきたのでしょう。
これって、日本のすごい良さだったんじゃないのかなと思います。
もちろん、今でも、海外の選手からそういう言葉を言ってもらえることがあるかもしれませんが、今は素直にその言葉通りに受け取ることはできないような気が私はします。
だって、ブーイングや心ない非難・・・ありますもんね。昔の日本からしたら、なんか違う国みたいですね。

■ブーイング
ブーイング・・・選手やチームにプレッシャーをかけたり、非難したりするためにみんなで団結(?)する。
なんでこういうことが自然に起こる環境になってきたのでしょう・・・。
もしかしたら、何となく、「日本のサッカーは世界から遅れている」とか「サッカーの文化は世界のものが本物(通)」みたいな考えがあって、海外の応援をカッコよく思って、その中の「ブーイング」をカッコイイと思う部分もあったのかな? 海外の試合の中継でも、ゲーム中のあまり良くないプレーに対して、観客からブーイングが出ると「(観客が)よくサッカーを知っていますねぇ」みたいなことを聞いたような気もしますし。
また、日本が強くならない原因に「ホームとアウェーでの環境差がない」ことも昔は挙げられることもあり(そういう厳しい環境でプレーしないから、海外に行くとアウェーの雰囲気に飲まれ、力が出せない等)、応援するチームに強くなってほしいから、サッカーを発展させたいから、生まれてきた部分もあるのかもしれません。
ブーイング・・・・確かに、相手チームへのブーイングは、相手にとっては嫌でしょうし、後押しされるチームにとっては心強いということもあるかもしれません。ブーイングを浴びる側にとっても、悪い面ばかりでなく、それで鍛えられる部分があるのかもしれません。でも、チームや選手を心底信じていれば、相手の力を封じるのは選手たちのすべきこと(できること)であって、サポーターのする行為としては不要だと(サポーター自身が)思えるのではないかと思います。それに、逆境の中でも力を出せるようになることは大切だと思いますが、そういう力は違う場でもつけられるでしょうから。
なんか、日本の選手もサッカーも好きな私としては、やっぱり、(ブーイングなどは)日本には合っていないんじゃないのかなぁと思います。「強さと発展」を得ることに対しても、ブーイングはいらないと思いますし。
さて、ではここで、ブーイングなしで試合をしたらどうなるかをちょっと考えてみましょうか。相手への応援もたくさんあるとして。
きっと、乗り込んできた相手チームは委縮することなく、100%の力を出せますよね。そうしたら、相手がプレッシャーを感じてプレーする場合に比べて、その試合で(こちらが)負けてしまう確率は上がるでしょうね。
これは良くない結果? ・・・・でも、長期的に見たら、どうでしょう。
自分たちのホームの試合なのに、相手が100%の力を常に出せる環境で試合を続けたら(常に100%の力を出せる相手と戦っていけば)・・・当然、こちらだってどんどん鍛えられていきますよね。
耐える力、対応力だってつくだろうし、良さを遠慮なく出す相手から多くのことを学び、吸収できるでしょう。
そうした環境に慣れれば、海外に行って、相手が力を出しやすい環境で試合をしても、日本でやる時とあまり差を感じない部分もあるでしょうし。もちろん、普段、自分たちの国内では浴びたことのないブーイングを浴びて、やりにくいということもあるでしょうが、そんなのにも負けないくらいの、とんでもない強さを、ブーイングなしの状態を続けることでもつけることができるのでは? と思います。
お互いに力を出し合える、100%の相手と戦えることは、それぐらい価値のあることなのだと思います。

■サポーター
相手チームに対するものだけでなく、応援するチームのプレーが悪くてもブーイングを浴びせたり、横断幕に応援にならない言葉が書いてあったりするのをたまに見ますが、それも残念なことだと思います。
・・・サポーターがチームに対して厳しくすることが、チームを育てる上で大切だというような話を聞くことがあります。
確かに、人を育てる時には厳しさも必要ですよね。でも、チームとサポーターの関係で見られる厳しさ(だと捉えられているそれらの行動?)は、必要なものなのでしょうか・・・。
その時、グラウンドで戦っている選手にしかわからないことがたくさんあるはずなのに。
純粋に好きな選手やチームを応援していた頃は、何試合続けて負けたって、(好きだから応援しているサポーターは)やっぱり、応援しかできなかったのでは?
もちろん、今も本当の意味でのサポーターと言える人はたくさんいるでしょうし、そういう応援もたくさん見ます。でも、だからこそ、思うんですよね、それでいいじゃんって。
何がチームを、選手を、「真の意味で」(注)強くするのか。
ブーイング?  結果が出ないチームへの厳しい非難? ・・・違うんじゃないでしょうか。
そういうことが“熱狂的なサポーターぶり”として表現されることもあるようですが(私はそういうのを“熱狂的”だと思いませんが)、そういうサポーター(?)の多さとチームの強さと、どこまで正比例しているのでしょうか。
ついでに言うと、選手って、実は、私たちにとっての「サポーター」でもありますよね。
どれだけの人が選手から、夢や希望、勇気をもらっているか。どれだけ応援してもらっているか、支えられているか。
私たちは、自分たちのことを選手のサポーターだと思っていますが、それは、選手たちが私たちをたくさんサポートしているからこそ思えること、感じてしまうことなのでしょう。

■日本でいいんじゃない? 
もちろん、応援しているチームが負けるのは嫌ですし、応援している人には勝ってもらいたい・・・。
でも、それは、応援する人もプレーする人も、みんながサッカーを楽しみたいからこそ思うこと。
敵地で、大ブーイングの中でプレーして勝っちゃうというのもかっこいいですが、それは外に行った時にできるので、日本国内では、海外みたいな応援ばかりではなく、“日本”でいいのではないかと思います。
それを見て世界の方が変わる部分もあるかもしれないし。
会場内での事故やトラブルを心配せず、家族連れで安心して試合会場に向かえるのって、いいですよね。
これもサポーターの作る立派な文化です。
ブーイングなしでも「強さと発展」、つかめそうだと思うのですが。
それに・・・
サッカーって、スポーツです。スポーツって楽しむものですよね。サッカーは人間が楽しむスポーツ。
スポーツなんだから、負けることだって勝つことだって、あるのが当然。
サッカーがスポーツだということをもっと理解した応援や環境を大切にしていきたいですね。
・・・あ、そういえば、ここ数年、日本はどんどん強くなっていますよね。そんな中、海外のチームが日本で試合をした後に、やはり選手がよく言ってくれる言葉があるのですが、この言葉はずっと以前からも言われていたんですよね。日本のサッカーがこんなに発展する、もうずっと前から。
どんな言葉だったかというと、「日本のファンはサッカーをよく知っている」でした。

※「真の意味で」と書いたのは、「スポーツの大きさでの強さって、どこまで必要なの?」ということもみんなで考える必要があると思うからです。試合の結果やプレーの良し悪しで、選手たちが、家族や自分の命の危険を感じるほどの強さや結果への要求・プレッシャーは、スポーツの範囲のものだとは思えませんよね。
「大げさな」と思われるような、このようなことも、サッカーの先進国と言われる国の中には、あることもあるようなのです。

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昔の遊びってすごい! 

(2009年9月 通信No.85より)

コーディネーション能力っていう言葉、聞いたことありますか? 
「能力」というと特別な力のようで、私はこの言葉を好きではないのですが・・・「自分の体を、その時の状況に合わせて思うように動かす力」みたいなものですね(ざっくりとした説明・・・)。
子供たちが自由に動き回れるサッカーをしていれば、結構養えそうですが・・・。
さて、子供のサッカーの話はここでは置いておいて(長くなっちゃいますから)、この、コーディネーション能力の大切さを聞く時には、たいがい、昔の遊びの例が出てきます。
そういえば、昔の遊びって、知恵と工夫、運動の欲求、考える欲求・・・子供が一番身につけたいものが詰まっていますよね。なるほど、すごい。
そんな昔の遊びの例としては、鬼ごっこ、缶けり、かくれんぼ、だるまさんが転んだなど・・・。
あ、これらは全部、相手をよく見る必要があるものですね。
他にも・・・木登りでは、先に登った子がこれから登る子にアドバイスをする時に、「違う、右手をそこの出っ張りまで。左足をそこ!」とか、非常によく相手の動きを見ています。後から登る子も、先に登る子の足や手の運び方をよくみています。
これらの、からだ全体を見るものだけでなく、ゴムだんなんかでは相手に飛ばせないように、指の先にちょっとだけゴムをかけて、それを見て相手が、「ずるい」って言ったり、飛んでる時の相手の足がゴムに触れないかよく見たり。体の一部をよく見て、そこから緊張を感じることとか、相手の気持ちを察することとかも、自然にしていましたよね。
将棋やオセロなどの「板」のゲームでは相手の表情や指の動きを見て考えを察したり・・・。
にらめっこなんて、本当に相手の顔しか見ないですもんね。
様々な身のこなしを養えることも大切かもしれませんが、それよりも、実は、それらの遊びに含まれていたこれらの要素 ―「相手を見る」っていうこと、人の動きやしぐさから、相手の気持ちを感じるっていうことー が、子供たちが成長していく時にはものすごく大切だったんでしょうね。
さすがですね。
「人と接する」という、本来、子供に最も大切な、最も自然な気持ちが、しっかり詰まっていたのですね。すごい・・・。

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