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2012年4月25日 (水)

終わり

(2012年4月通信No.125おまけより)
小学生クラスで卒業生を送り出して感じたことがありました。
それは、もっと、「終わり」ということを意識させても良かったのかもしれないということです。
私は、これまで、「卒業」と言っても、会おうと思えばいつでも会えることで、関係が終わるわけではないということを、子供たちには言ってきました。
それは、子供たちを取り巻く環境や子供たちの社会で起きていることを考えた時に、彼らが出て行く先々でのことが少しだけ心配だったからです。十分に成長した子供たちで、次のステージをちゃんと歩める力をつけたとは考えているのですが、それでも、まだ中学生の子供たちではどうにもできないことがあるかもしれないと思っているからです。
ですから、不安になる子や助けが必要になる子がいれば、安心させたい、支えたいと思い、「卒業」というものを、そのように捉えるように伝えてきました。
また、私自身は、以前、他の団体に所属していた頃は、卒業生を送りだすのがとても嫌でした。会社の中での活動でしたから、私が異動になることもあるし、本当に離れてしまう感じがするんですね。ですから、本来は喜ぶべきことなのですが、卒業の時期はちょっとブルーになることもありました。今のように、いつもコートで子供たちとの時間を過ごしていましたし、サッカーよりも子供が好きになっていった、そうさせた子供たちとの時間でしたからね。
だから、ソラでは、そういう子供たちへの自分の思いからも、「卒業」といっても関係が終わるわけではないと捉えるようにしていたのかもしれません。
私はここで、これまでにそういう捉え方で子供たちを卒業させてきたし、コートにも立ってきました。
ですが、そうして子供たちを送り出した時に、今年は、これまでとは少し違う印象を感じる部分もありました。
今年卒業した子がこれまでの子よりも劣るとか、関係が薄いとか、そういうことではありません。子供たちに何か悪いところがあったとか、足りないところがあったということではまったくありません。一人一人、本当に子供らしくて、ソラ的な意味で、「いい」子たちばかりでした。卒業前に見せたソラでの子供たちの空間は、「言うことなし」という空間がほとんどで、驚くほどでしたし。
ただ、ソラの子に限らず、今の子たちは(こういう、ひとまとめにするような表現は良くないと思いますが)、何年も前に卒業させてきた子たちとは、普段の時間の過ごし方が違うということを、こちらがもっと考える必要があったのではないかと思ったんです。
ゲーム機での繰り返せる遊びや好きな時に電源を入れて始められる遊び、習い事などの限られた人数で過ごし、さらにその中でも個人での結果を目的として過ごす時間の増大・・・これらが悪いとは言いません。
ですが、こういう中で、一般的に、「終わり」に対する捉え方、「友人と共有する空間」に対する捉え方、そして、「友人と共有してきた空間の終わり」に対する捉え方が、少しずつ変わってきているのかもしれないと感じました。すごく極端な言い方をすると、「終わりはない」と捉えるというか・・・。
私はもともと、「終わりはない」と捉えて欲しいと思いながら、卒業生を送り出してきましたから、ある意味、理想とも言えるのですが、すでにそういう捉え方をする傾向が強くなっているのなら、逆に、「終わり」をもっと意識させるべきだったかもしれないと、そんなふうに思いました。
子供たちが、また明日にでも会えるかのように卒業していくことはとても自然でいいものだし、ソラに限らず、その時の空間のことを真に理解できるのは、時間がたってからであることが子供の場合は普通です。私が子供の頃も、そんなにしっかりと卒業を捉えてはいませんでしたし、偉そうなことは言えないのですが・・・。
ですから、子供たちの卒業の仕方は自然でいいのですが・・・でも、今後、子供たちが過ごしていく環境や時間を考えると、以前とは違う形で「卒業」というものをこちらが考えてあげる必要があったのかな、「終わり」というものをもう少し強めに理解させる必要があったのかなと、そう思いました。今年卒業した中学生の子たちの様子を見て、特に。
今年、中学生クラスを卒業した子は四人。ここでは最も付き合いの長かった二人のことを取り上げます。
一人は、四人の中で最も早く卒業する日が来ました。
その子は、最後の練習の日、練習が終わってもなかなか帰ろうとしませんでした。
特別な話をするわけではありませんが、昔の話をしながら、なかなか帰ろうとしませんでした。時間がかなり遅くなってしまっても、親に「待って!お願いだから、もう少し待ってて!」と一生懸命お願いをして、そこでの最後の時間を過ごしていました。
あの子のあの表情、あの言い方・・・。そこで過ごす友達との最後の時間をすごく意識していたんだなって、とても感じました。
また、もう一人の子は、その数日後の最後の練習後に、やはり、なかなか帰ろうとしませんでした。
さっきの子と同じように、特別な話をするわけではないのですが、昔の話を色々として、ただ一緒に時間を過ごしました。
そして、私は十分に話をしたので、「帰る前に、豊田コーチに何か言ってから帰れよな」と言うと、しっかりと考え、立派に挨拶をして帰りました。その場をわきまえているというか、子供なりにけじめを知っているというか、そんな感じがしました。
この二人は中学生だから、小学生の子たちとは物の考え方も捉え方も違うでしょう。ですが、そういう年齢的な考え方とは違う部分で、小学生の子たちとの違いを感じました。
「何でだろう」と数日考えました。
そして、「もしかしたら」と思う部分がありました。
この二人は、ソラの前身のスクールの時に、「閉校」を経験している子たちなんです。
二人とも、当時は幼稚園の年長でした。先に書いた子の方は、(本人は忘れているでしょうが)当時、閉校が決まった後に、「弟がね、ここに来るつもりだったんだよ」「弟がここにくるはずだったのに」と何度も私に言っていました。
彼らはまだ年長さんだったので、その頃のことはもうあまり覚えていないでしょうし、世間を認識できる範囲も年長さんの大きさ、目の前にあることが全てだったでしょうから、「閉校」ということも、そこまで強烈に印象に残る経験というわけではなかったかもしれません。ですが、二人とも、その後、ここで再会してからも、あの頃の話をよくしていました。あの頃は私がもっと若かったとか(ほうっておけ)、あんなコーチがいたよねとか・・・。
ここで再会して、帽子を取って遊んだりしながら、いつの間にか、中学3年生になっていたんですよね。
ずっと一緒にいたし、すでに小学生の頃に渡したアルバムには、会いたければいつでも会えるということがわかるように書いてあるし、私の連絡先を二人とも知っているし・・・だから、今回、二度目の卒業をしても、また会おうと思えば会えるし、決して終わりではないし・・・そして、それはソラに来ている友達同士の関係でも同じであると捉えられるだろうと・・・ですから、むしろ、今の小学生の子たちよりも、自然に「バイバイ」でもおかしくないのですが、この子たちは、そうじゃなかったんです。
もしかしたら、「閉校」というものが(年齢的に大きなインパクトを与えなかったとしても)、物事には終わりがある(こともある)ということに対する理解、物事の終わりや区切りに対する理解に多少影響を与えたのではないかと、そう感じました。
そして、それによって、あの子たちがここでの最後の時間、友達とのここでの最後の時間をあのように過ごし、あのような形でここから巣立って行ったのなら、「終わり」を意識することは大切なことなのだと思いました。
子供たちに対しては、サッカー以外の部分でも、色々な思いを勝手に持っています。(すみません。でも、皆さんの邪魔にはならないようにしますので、お許しを。)あの子たちには、二度と閉校を経験させまいと思って、今日までやってきました。あの子たちの卒業で、今、ソラに在籍している子の中には、当時の閉校を知る子はいなくなりました。とりあえず、私にとっての大きな仕事の一つは終わりです。
これからは、第二章というところでしょうか・・・。
今年卒業した彼らが教えてくれたものを大事にして、子供たちがより成長していける時間、場所をここで作っていきたいと思います。
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