あたり前の子供たち
(2012年4月通信No.126おまけより)
U-9クラスのある日、子供たち同士で二人組を作らせました。仲のよい子で二人組を子供たちが作ります。同じ学校から来ている友達がいない子は一人になりました。その子自身は、誰かと組もうとするのですが、他の子たちが、サッと仲良し組を作ってしまうんです。仲良しでくっつくことも悪いことではないので、こういう時は、前後の様子から、働きかけることもそのまま様子を見続けることもあります。この時はもう少し様子を見ることにしたのですが、途中で「こういう二人組」という条件を入れました。
すると、さっき一人になってしまった子が条件を守りながら誰かと組もうと動きました。「あ、組む」と思ったら、それを見ようとしない子がいます。見えているのに、見ようとしない。組もうとしている子にとっては、その日、こういうことが続いている形になりました。
子供同士でも、普段のやり取りから、相性が合う、合わないと感じることはあるでしょうし、普段、あまり一緒に練習をしていない子と組むことが苦手な子もいるでしょう。ちょっかいを出したり、出されたり、色々していますから。ただ、その時は、「いくらなんでも、それはない」と思える状況でした。
***子供は、こういう時でも、自分の気持ちを最優先してしまうことがあるので、友達を見ようとしないこの子が「悪い子だ」なんていうことではありません。この子だけでなく、他の子の中にも、見ようとしない子もいました。また、この時に友達と組もうとしても組めなかった子は、他の曜日では色んな子と二人組をスムーズに作っています。友達と距離があるわけではありません。***
その後、いったん休憩し、練習を再開。
すると、集合の時に、さっき誰かと組もうとしても一人になり困っていた子(A君とします)と、どう考えてもその子と組むことが自然だったのにその子を見ようとしなかった子(B君とします)の間で、ちょっとしたことがあったようです。集合後、B君がA君に何度か文句を言っていました。そして、A君に「クソッ、あっち行け」と。
「クソッ」という言葉はいい言葉とは言えません。ですが、子供は自分の知っている言葉でしか伝えられないので、こういう言葉をよく使います。ですから、もちろん使い方によっては注意をしますが、この時はこの言葉使いについては触れることはしませんでした。それよりも、大切だと思うことが他にありましたから。こういう時は、あれもこれもとたくさん言いたくなるのですが、子供の受け取れる範囲を考え、言うことを絞らなくてはならないことがあります。この日は、私はそれまでの様子を見ていて、相手の子を見ようとしないB君に、タイミングを見て、一人になった時の気持ちを教えなくてはならないなと思っていました。そして、この、「あっち行け」を聞き、これ以上は延ばせないな、と。
そこで、B君に「豊田コーチの方へ行け」と言いました。豊田も二人組を組む時の様子をしっかり見ていましたから、必要な話をしてくれるはずです。このまま、みんなの前で注意をするのではなく、この段階では、私が子供たちに練習の説明をしている間に別の場で豊田から話を聞かせ、それでわかればいいかなと。
しかし、B君は豊田の方に行こうとしません。「なんで? (A君が)俺のボールを蹴ってきたんだよ!」と言っています。豊田の方に行くようにと何度言っても行きません。ここでそういうやりとりをせず、そういうことも豊田と話させようと思っているのに、ずっとその場で続けて色々と言っているので、それまでの行動も考えて、これはもう、「ここでバシッと行くよ」ということにしました。
A君にも悪いところはあったでしょうが、B君は文句だけを言い、「悪いことをしたのだからA君があっちに行くのはあたり前」というようなことをずっと言っているので、「だったらやっぱりお前もあっちへ行け」と言いました。
B君はその日の練習中、それまでの時点で、私が話していてもちゃんと聞かず、見本を見せている時にも「知っている」と言って見ず、実際に違うやり方で練習をすることが何度もあったので、その都度、注意をしていました。そして、この時も、私がB君の「あっち行け」という言葉を拾う前の時点で、その前に注意をされた時と同じようにボールをつき、横を見ながら話を聞こうとしていました。だから、「お前も何度注意しても、そうやっていて、話をちゃんと聞かないだろう。だから、あっち行け」と。
A君は、友達にちょっかいを出して相手を怒らせることがあります。そういう部分に対して注意をすることもあります。ですから、B君が、そういうA君の行動を見ていて「一緒にやりたくない」と思っても自然なことではあります。ただ、それを踏まえて考えても、二人組を組まなかった場面は受け入れることができませんでした。
こういう子供同士のやりとり、それぞれの立場の気持ちは、他の子たちにもわかってもらう必要があります。もちろん、本人にも、自分の言動に対してふさわしい大きさで受け取らせる必要があります。
そこにB君がいるままで、みんなの前で話をしました。
練習の最初にあったこと、それまでの経緯を話しました。もしかしたら、A君は、二人組を組めなかったことをそんなに気にしていなかったかもしれません。でも、あの様子は、普通に考えれば、たぶん、キツい。だから、「そういうことがあれば、ちょっかいを出して、友達になろうとすることもあるだろう」という話をしました。
それでも、B君は納得がいかないという様子です。それはそうでしょうね、本当はボールを蹴られて怒っているのに、自分が怒られているのだから。話をされても感情がおさまらず、素直に「そうだ」とはならないでしょう。でも、いいんです。ちゃんと話を聞ける状態の、他のみんなが理解することも大切ですし、それに、経験をしないとわからないことがたくさんありますから、B君には経験が必要なのかもしれませんし。子供の場なので、それはできます。話を聞ける状態のみんなにしても、おそらく、言葉での説明を繰り返すだけではだめで、経験するだけではダメで、言葉と説明を適度に、適量、受け取る経験が必要でしょうが・・・。
さて、その話を終え、練習の説明に入りました。
すると、練習の説明中、A君は、“でーん”と寝そべり、「話は聞きません」「やりません」を体全部で意思表示。これも、いいでしょう。取る行動としてはとても自然です。私はべつに何も言いません。それに、ここでそれに答えちゃ、今回はダメですから。
ふーん、やらないんだねと、さっさと練習の説明を終え、場所を移動して練習を開始。B君は、“でーん”のまま、一人になっています。・・・こういう時、一人でポツンとなっている子のことを気にする子もいます。そういう子は優しいと思います。でも、そういう子のことを気にしない子が優しくないかと言えば、決してそんなことはありません。これは、自分も怒られちゃうのが嫌だからかばおうとしないとか、自分だけ楽しければそれでいいとか、そういうこととはちょっと違います。色んなことに対する子供の許容範囲の、自然な大きさです。だいたい、子供同士で遊んでいる時でも、普通は、勝手にしすぎたら、相手にされなくなります。雑で酷かもしれませんが、それで覚えていくべき部分でもあります。もちろん、気にしてあげる子もいますが、「優しい」とか「優しくない」というのとは違う部分なんですよね。大人なら、「何で気にしてあげないの?」と思うかもしれませんが。
そして・・・“でーん”と寝ているB君を置いたままで練習をしていると、B君が姿勢を変え、座りました。座るといっても、べつに、反省を表そうとしているのではありません。きっと、こちらで練習している空間と自分のいる空間が離れていると思い、さびしくなったのでしょう。それでもほうっておいて、練習をしました。
すると、B君はそばにあったマーカーを拾い、練習している方に向かって投げ始めました。マーカーがそばまで飛んできていますが、私はそれにも反応を示しません。まだ、様子見で投げている感じです。そして、座っていたところから手に取れる範囲にあったマーカーは全て投げきってしまいました。
マーカーを投げ、様子を見ても反応がなかったと感じ、今度はB君は場所を移動し、落ちているマーカーを拾い、すぐそばから、完全に練習を邪魔できるところまで、投げ始めました。
それでもしばらくほうっておきます。もちろん、私も、危険かどうかには気をつけています。
そして・・・どんどん投げて邪魔をし、他の子も「危ない」と言い初めたところで練習を止め、話をしました。
お前だって、かまってほしいと思っているのに誰も相手をしてくれなければ、ちょっかいだってだすだろう、嫌なことだってするだろうって。さっき、A君がお前にやったことと、今、お前がやっていることは同じだろう。一緒にやろうと思っても相手にされなければ、こういう方法をとるしかなくなるだろうって。
そして、他の子にも話をしました。
その日、練習に早めに来た子が、とても明るい子なのに、「まだ友達がだれも来ていないから」という理由で、コートに入りにくそうにしていたこと、
みんなにとっては、友達ってそれぐらい大切なものなんだっていうこと、
だから友達を作ろうとして、色んなことをしてしまうことがあること。
もちろん、いつも友達にちょっかいを出すばかりでは、相手が嫌がることだってあるということも。
A君にも、B君にも、他の子にもわかるように。こういうことで悪循環になることもありますから・・・。
子供なら、こういうことを繰り返してしまうものなんです。そう、誰でもすること、されること、です。過剰に反応することじゃない。でも、みんなが知るべきこと。だから、みんなの前で、バーンと言い、話しました。
そして、話した後に、みんなに、「今日、B君がやったようなことを自分もやってしまいそうな人、手を挙げて」と聞いてみました。みんな、手を挙げました。これでいいじゃないですか。みんな、「自分だってやっちゃうかもしれない」なんです。それでいいんです、子供なんですから。何も経験せず、失敗せず、いきなりみんなの気持ちをわかる大人になんてなれるはずがない。だから、そういう意味では、「みんな、同じだぞ」って、言いました。
みんな、別々の子、違う良さを持った子です。でも、これから学ぶべきことがたくさんあるという意味では同じ。誰がいい子で誰が悪い子だなんて、そんなつまらない評価なんてできるわけがない。だから・・・変な分け方を覚えず、みんなでたくさんここで、子供の世界の平等さで、関わり合っていってほしいなと思います。そして、お互いに成長していってほしいと思います。
・・・たまに、ご自分のお子さんに対して、「もっと注意しちゃってもいいですから!」と言われることがありますが、こんな風に、わかる範囲のこと、わからなければならない範囲のことは、絶対にバンッと渡します。ですから、ご心配なく。皆さんがご想像される何倍も、私は嫌なコーチなのです。
これからも、みんなの前で誰かを怒ることはあると思います。また、ここでこうしてお話をすることがあるかと思います。ただ、おわかりだとは思いますが、怒られた子が悪い子というわけでは絶対にありません。もし、子供の頃の私がここにいたなら、間違いなく、誰よりも怒られているでしょう・・・。それに、他の場では、おそらく、そんなに怒られないですむかもしれませんし。ここだから、そうやって怒られるだけです、はい。
それから、私は怒ったら(怒らなくてもですけど)、放っておきはしません。もし自分がその子を「落とす」ような感じになるのなら、絶対に、前よりも高いところまで連れていきます。ただ怒鳴るだけなんてしないし、ただ否定するだけなんてこともしません。意地でもしません。コーチですから。
スクールは一年間で(正直に言えば卒業するまでの間で)子供たちを成長させようと思っているので、一回の練習内で[凹むところから回復させるところ]まで持ってくることはしないこともありますが、絶対に放ってはおきません。
・・・こんな風に怒っていたら、子供には、そのうち嫌われるかもしれませんが・・・でも、私が、怒った子のことを嫌いになることは100%ありません。私は勝手に、ソラの子をみんな大好きです。
= = = おまけのおまけ = = =
*今回に限らず、子供たちの注意すべき行動に対して、ここ数年、「みんなの前で注意」することをあえてしています。この日の数日前にも、みんなの前で注意をする場面があり、その時も、誰でも間違ったことをする、みんなの前で注意されることがある、だから、みんなの前で注意されることは恥ずかしいことじゃないと話しました。周囲がそう理解すれば、注意される本人も少しは楽に話を聞けるかもしれませんし、注意されたことを必要以上に捉えることもなくなるでしょう。人前で注意をされることは、この先もどこかであるでしょうが、本人がそれを誤った形で捉えたり、返したりしてはいけないと思いますし、周囲の人間が、注意されている人を誤って評価してしまってもいけないと思います。
今回、私がB君に注意をしている時に、B君がこちらを見ずにちゃんと話を聞けないでいると、ある子が「恥ずかしいんじゃないの」と言いました。この子もたくさん注意をされることがあるので、気持ちをわかるのでしょう。みんなの前で注意をしない方がよい理由には、こういうものもあります。恥ずかしさからちゃんと話を聞けないのです。そういう部分も理解した上でやっていますが、こういう経験を自分がすることで、注意されている子の気持ちをわかってあげられるようになるのは良いことだと思います。
この他にも細かい色んな考えから、みんなの前で注意をされる経験も必要かなと、今は考えています。
但し、安易にそのような形での注意をするわけではありません。恥ずかしい思いをさせたいのでもありません。みんなの前で注意するというのは、ゲーム中に子供がしたミスに対して怒鳴るというのとは全く違いますので、念のため・・・。また、当然、注意する内容、対象、そこまでの経緯にもよりますから、基本的な働きかけ(人から注目を集めない状態で話を聞かせる)をすることも多くあります。いずれにしても、必ず、本人、周囲の子の成長につながることを目的にします。変なプライドのために注意をするわけではありませんから、子供との間に変な力関係が生まれることはなく、こういうことがあった時はたいがい、練習の終わりには私がボロクソに言われていることもあります。
*今回、B君は私にすごく怒られちゃっていますが・・・優しいところがたくさんある子です。明るくて、ちょっと調子に乗りすぎることもありますが・・・“わかりやすい反抗”も含めて、行動にウソがなく、素直でいいと思います。
*この日は他にも話をしました。こうやって、注意をされてしまった子を見て、「自分もやりそう」とか「自分もしちゃうかも」と思う子は、気持ちがわかってあげられるのだから、注意された子に対して、休憩の時とかに声をかけてあげたっていいんじゃないのか、と。普段は話を聞かずに注意をされる子も、この時は話を全て聞き、「うん」とわかった目をしていました。
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