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2012年4月25日 (水)

あたり前の子供たち

(2012年4月通信No.126おまけより)
U-9クラスのある日、子供たち同士で二人組を作らせました。仲のよい子で二人組を子供たちが作ります。同じ学校から来ている友達がいない子は一人になりました。その子自身は、誰かと組もうとするのですが、他の子たちが、サッと仲良し組を作ってしまうんです。仲良しでくっつくことも悪いことではないので、こういう時は、前後の様子から、働きかけることもそのまま様子を見続けることもあります。この時はもう少し様子を見ることにしたのですが、途中で「こういう二人組」という条件を入れました。
すると、さっき一人になってしまった子が条件を守りながら誰かと組もうと動きました。「あ、組む」と思ったら、それを見ようとしない子がいます。見えているのに、見ようとしない。組もうとしている子にとっては、その日、こういうことが続いている形になりました。
子供同士でも、普段のやり取りから、相性が合う、合わないと感じることはあるでしょうし、普段、あまり一緒に練習をしていない子と組むことが苦手な子もいるでしょう。ちょっかいを出したり、出されたり、色々していますから。ただ、その時は、「いくらなんでも、それはない」と思える状況でした。
***子供は、こういう時でも、自分の気持ちを最優先してしまうことがあるので、友達を見ようとしないこの子が「悪い子だ」なんていうことではありません。この子だけでなく、他の子の中にも、見ようとしない子もいました。また、この時に友達と組もうとしても組めなかった子は、他の曜日では色んな子と二人組をスムーズに作っています。友達と距離があるわけではありません。***
その後、いったん休憩し、練習を再開。
すると、集合の時に、さっき誰かと組もうとしても一人になり困っていた子(A君とします)と、どう考えてもその子と組むことが自然だったのにその子を見ようとしなかった子(B君とします)の間で、ちょっとしたことがあったようです。集合後、B君がA君に何度か文句を言っていました。そして、A君に「クソッ、あっち行け」と。
「クソッ」という言葉はいい言葉とは言えません。ですが、子供は自分の知っている言葉でしか伝えられないので、こういう言葉をよく使います。ですから、もちろん使い方によっては注意をしますが、この時はこの言葉使いについては触れることはしませんでした。それよりも、大切だと思うことが他にありましたから。こういう時は、あれもこれもとたくさん言いたくなるのですが、子供の受け取れる範囲を考え、言うことを絞らなくてはならないことがあります。この日は、私はそれまでの様子を見ていて、相手の子を見ようとしないB君に、タイミングを見て、一人になった時の気持ちを教えなくてはならないなと思っていました。そして、この、「あっち行け」を聞き、これ以上は延ばせないな、と。
そこで、B君に「豊田コーチの方へ行け」と言いました。豊田も二人組を組む時の様子をしっかり見ていましたから、必要な話をしてくれるはずです。このまま、みんなの前で注意をするのではなく、この段階では、私が子供たちに練習の説明をしている間に別の場で豊田から話を聞かせ、それでわかればいいかなと。
しかし、B君は豊田の方に行こうとしません。「なんで? (A君が)俺のボールを蹴ってきたんだよ!」と言っています。豊田の方に行くようにと何度言っても行きません。ここでそういうやりとりをせず、そういうことも豊田と話させようと思っているのに、ずっとその場で続けて色々と言っているので、それまでの行動も考えて、これはもう、「ここでバシッと行くよ」ということにしました。
A君にも悪いところはあったでしょうが、B君は文句だけを言い、「悪いことをしたのだからA君があっちに行くのはあたり前」というようなことをずっと言っているので、「だったらやっぱりお前もあっちへ行け」と言いました。
B君はその日の練習中、それまでの時点で、私が話していてもちゃんと聞かず、見本を見せている時にも「知っている」と言って見ず、実際に違うやり方で練習をすることが何度もあったので、その都度、注意をしていました。そして、この時も、私がB君の「あっち行け」という言葉を拾う前の時点で、その前に注意をされた時と同じようにボールをつき、横を見ながら話を聞こうとしていました。だから、「お前も何度注意しても、そうやっていて、話をちゃんと聞かないだろう。だから、あっち行け」と。
A君は、友達にちょっかいを出して相手を怒らせることがあります。そういう部分に対して注意をすることもあります。ですから、B君が、そういうA君の行動を見ていて「一緒にやりたくない」と思っても自然なことではあります。ただ、それを踏まえて考えても、二人組を組まなかった場面は受け入れることができませんでした。
こういう子供同士のやりとり、それぞれの立場の気持ちは、他の子たちにもわかってもらう必要があります。もちろん、本人にも、自分の言動に対してふさわしい大きさで受け取らせる必要があります。
そこにB君がいるままで、みんなの前で話をしました。
練習の最初にあったこと、それまでの経緯を話しました。もしかしたら、A君は、二人組を組めなかったことをそんなに気にしていなかったかもしれません。でも、あの様子は、普通に考えれば、たぶん、キツい。だから、「そういうことがあれば、ちょっかいを出して、友達になろうとすることもあるだろう」という話をしました。
それでも、B君は納得がいかないという様子です。それはそうでしょうね、本当はボールを蹴られて怒っているのに、自分が怒られているのだから。話をされても感情がおさまらず、素直に「そうだ」とはならないでしょう。でも、いいんです。ちゃんと話を聞ける状態の、他のみんなが理解することも大切ですし、それに、経験をしないとわからないことがたくさんありますから、B君には経験が必要なのかもしれませんし。子供の場なので、それはできます。話を聞ける状態のみんなにしても、おそらく、言葉での説明を繰り返すだけではだめで、経験するだけではダメで、言葉と説明を適度に、適量、受け取る経験が必要でしょうが・・・。
さて、その話を終え、練習の説明に入りました。
すると、練習の説明中、A君は、“でーん”と寝そべり、「話は聞きません」「やりません」を体全部で意思表示。これも、いいでしょう。取る行動としてはとても自然です。私はべつに何も言いません。それに、ここでそれに答えちゃ、今回はダメですから。
ふーん、やらないんだねと、さっさと練習の説明を終え、場所を移動して練習を開始。B君は、“でーん”のまま、一人になっています。・・・こういう時、一人でポツンとなっている子のことを気にする子もいます。そういう子は優しいと思います。でも、そういう子のことを気にしない子が優しくないかと言えば、決してそんなことはありません。これは、自分も怒られちゃうのが嫌だからかばおうとしないとか、自分だけ楽しければそれでいいとか、そういうこととはちょっと違います。色んなことに対する子供の許容範囲の、自然な大きさです。だいたい、子供同士で遊んでいる時でも、普通は、勝手にしすぎたら、相手にされなくなります。雑で酷かもしれませんが、それで覚えていくべき部分でもあります。もちろん、気にしてあげる子もいますが、「優しい」とか「優しくない」というのとは違う部分なんですよね。大人なら、「何で気にしてあげないの?」と思うかもしれませんが。
そして・・・“でーん”と寝ているB君を置いたままで練習をしていると、B君が姿勢を変え、座りました。座るといっても、べつに、反省を表そうとしているのではありません。きっと、こちらで練習している空間と自分のいる空間が離れていると思い、さびしくなったのでしょう。それでもほうっておいて、練習をしました。
すると、B君はそばにあったマーカーを拾い、練習している方に向かって投げ始めました。マーカーがそばまで飛んできていますが、私はそれにも反応を示しません。まだ、様子見で投げている感じです。そして、座っていたところから手に取れる範囲にあったマーカーは全て投げきってしまいました。
マーカーを投げ、様子を見ても反応がなかったと感じ、今度はB君は場所を移動し、落ちているマーカーを拾い、すぐそばから、完全に練習を邪魔できるところまで、投げ始めました。
それでもしばらくほうっておきます。もちろん、私も、危険かどうかには気をつけています。
そして・・・どんどん投げて邪魔をし、他の子も「危ない」と言い初めたところで練習を止め、話をしました。
お前だって、かまってほしいと思っているのに誰も相手をしてくれなければ、ちょっかいだってだすだろう、嫌なことだってするだろうって。さっき、A君がお前にやったことと、今、お前がやっていることは同じだろう。一緒にやろうと思っても相手にされなければ、こういう方法をとるしかなくなるだろうって。
そして、他の子にも話をしました。
その日、練習に早めに来た子が、とても明るい子なのに、「まだ友達がだれも来ていないから」という理由で、コートに入りにくそうにしていたこと、
みんなにとっては、友達ってそれぐらい大切なものなんだっていうこと、
だから友達を作ろうとして、色んなことをしてしまうことがあること。
もちろん、いつも友達にちょっかいを出すばかりでは、相手が嫌がることだってあるということも。
A君にも、B君にも、他の子にもわかるように。こういうことで悪循環になることもありますから・・・。
子供なら、こういうことを繰り返してしまうものなんです。そう、誰でもすること、されること、です。過剰に反応することじゃない。でも、みんなが知るべきこと。だから、みんなの前で、バーンと言い、話しました。
そして、話した後に、みんなに、「今日、B君がやったようなことを自分もやってしまいそうな人、手を挙げて」と聞いてみました。みんな、手を挙げました。これでいいじゃないですか。みんな、「自分だってやっちゃうかもしれない」なんです。それでいいんです、子供なんですから。何も経験せず、失敗せず、いきなりみんなの気持ちをわかる大人になんてなれるはずがない。だから、そういう意味では、「みんな、同じだぞ」って、言いました。
みんな、別々の子、違う良さを持った子です。でも、これから学ぶべきことがたくさんあるという意味では同じ。誰がいい子で誰が悪い子だなんて、そんなつまらない評価なんてできるわけがない。だから・・・変な分け方を覚えず、みんなでたくさんここで、子供の世界の平等さで、関わり合っていってほしいなと思います。そして、お互いに成長していってほしいと思います。
・・・たまに、ご自分のお子さんに対して、「もっと注意しちゃってもいいですから!」と言われることがありますが、こんな風に、わかる範囲のこと、わからなければならない範囲のことは、絶対にバンッと渡します。ですから、ご心配なく。皆さんがご想像される何倍も、私は嫌なコーチなのです。
これからも、みんなの前で誰かを怒ることはあると思います。また、ここでこうしてお話をすることがあるかと思います。ただ、おわかりだとは思いますが、怒られた子が悪い子というわけでは絶対にありません。もし、子供の頃の私がここにいたなら、間違いなく、誰よりも怒られているでしょう・・・。それに、他の場では、おそらく、そんなに怒られないですむかもしれませんし。ここだから、そうやって怒られるだけです、はい。
それから、私は怒ったら(怒らなくてもですけど)、放っておきはしません。もし自分がその子を「落とす」ような感じになるのなら、絶対に、前よりも高いところまで連れていきます。ただ怒鳴るだけなんてしないし、ただ否定するだけなんてこともしません。意地でもしません。コーチですから。
スクールは一年間で(正直に言えば卒業するまでの間で)子供たちを成長させようと思っているので、一回の練習内で[凹むところから回復させるところ]まで持ってくることはしないこともありますが、絶対に放ってはおきません。
・・・こんな風に怒っていたら、子供には、そのうち嫌われるかもしれませんが・・・でも、私が、怒った子のことを嫌いになることは100%ありません。私は勝手に、ソラの子をみんな大好きです。

= = = おまけのおまけ = = =
*今回に限らず、子供たちの注意すべき行動に対して、ここ数年、「みんなの前で注意」することをあえてしています。この日の数日前にも、みんなの前で注意をする場面があり、その時も、誰でも間違ったことをする、みんなの前で注意されることがある、だから、みんなの前で注意されることは恥ずかしいことじゃないと話しました。周囲がそう理解すれば、注意される本人も少しは楽に話を聞けるかもしれませんし、注意されたことを必要以上に捉えることもなくなるでしょう。人前で注意をされることは、この先もどこかであるでしょうが、本人がそれを誤った形で捉えたり、返したりしてはいけないと思いますし、周囲の人間が、注意されている人を誤って評価してしまってもいけないと思います。
今回、私がB君に注意をしている時に、B君がこちらを見ずにちゃんと話を聞けないでいると、ある子が「恥ずかしいんじゃないの」と言いました。この子もたくさん注意をされることがあるので、気持ちをわかるのでしょう。みんなの前で注意をしない方がよい理由には、こういうものもあります。恥ずかしさからちゃんと話を聞けないのです。そういう部分も理解した上でやっていますが、こういう経験を自分がすることで、注意されている子の気持ちをわかってあげられるようになるのは良いことだと思います。
この他にも細かい色んな考えから、みんなの前で注意をされる経験も必要かなと、今は考えています。
但し、安易にそのような形での注意をするわけではありません。恥ずかしい思いをさせたいのでもありません。みんなの前で注意するというのは、ゲーム中に子供がしたミスに対して怒鳴るというのとは全く違いますので、念のため・・・。また、当然、注意する内容、対象、そこまでの経緯にもよりますから、基本的な働きかけ(人から注目を集めない状態で話を聞かせる)をすることも多くあります。いずれにしても、必ず、本人、周囲の子の成長につながることを目的にします。変なプライドのために注意をするわけではありませんから、子供との間に変な力関係が生まれることはなく、こういうことがあった時はたいがい、練習の終わりには私がボロクソに言われていることもあります。

*今回、B君は私にすごく怒られちゃっていますが・・・優しいところがたくさんある子です。明るくて、ちょっと調子に乗りすぎることもありますが・・・“わかりやすい反抗”も含めて、行動にウソがなく、素直でいいと思います。

*この日は他にも話をしました。こうやって、注意をされてしまった子を見て、「自分もやりそう」とか「自分もしちゃうかも」と思う子は、気持ちがわかってあげられるのだから、注意された子に対して、休憩の時とかに声をかけてあげたっていいんじゃないのか、と。普段は話を聞かずに注意をされる子も、この時は話を全て聞き、「うん」とわかった目をしていました。

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終わり

(2012年4月通信No.125おまけより)
小学生クラスで卒業生を送り出して感じたことがありました。
それは、もっと、「終わり」ということを意識させても良かったのかもしれないということです。
私は、これまで、「卒業」と言っても、会おうと思えばいつでも会えることで、関係が終わるわけではないということを、子供たちには言ってきました。
それは、子供たちを取り巻く環境や子供たちの社会で起きていることを考えた時に、彼らが出て行く先々でのことが少しだけ心配だったからです。十分に成長した子供たちで、次のステージをちゃんと歩める力をつけたとは考えているのですが、それでも、まだ中学生の子供たちではどうにもできないことがあるかもしれないと思っているからです。
ですから、不安になる子や助けが必要になる子がいれば、安心させたい、支えたいと思い、「卒業」というものを、そのように捉えるように伝えてきました。
また、私自身は、以前、他の団体に所属していた頃は、卒業生を送りだすのがとても嫌でした。会社の中での活動でしたから、私が異動になることもあるし、本当に離れてしまう感じがするんですね。ですから、本来は喜ぶべきことなのですが、卒業の時期はちょっとブルーになることもありました。今のように、いつもコートで子供たちとの時間を過ごしていましたし、サッカーよりも子供が好きになっていった、そうさせた子供たちとの時間でしたからね。
だから、ソラでは、そういう子供たちへの自分の思いからも、「卒業」といっても関係が終わるわけではないと捉えるようにしていたのかもしれません。
私はここで、これまでにそういう捉え方で子供たちを卒業させてきたし、コートにも立ってきました。
ですが、そうして子供たちを送り出した時に、今年は、これまでとは少し違う印象を感じる部分もありました。
今年卒業した子がこれまでの子よりも劣るとか、関係が薄いとか、そういうことではありません。子供たちに何か悪いところがあったとか、足りないところがあったということではまったくありません。一人一人、本当に子供らしくて、ソラ的な意味で、「いい」子たちばかりでした。卒業前に見せたソラでの子供たちの空間は、「言うことなし」という空間がほとんどで、驚くほどでしたし。
ただ、ソラの子に限らず、今の子たちは(こういう、ひとまとめにするような表現は良くないと思いますが)、何年も前に卒業させてきた子たちとは、普段の時間の過ごし方が違うということを、こちらがもっと考える必要があったのではないかと思ったんです。
ゲーム機での繰り返せる遊びや好きな時に電源を入れて始められる遊び、習い事などの限られた人数で過ごし、さらにその中でも個人での結果を目的として過ごす時間の増大・・・これらが悪いとは言いません。
ですが、こういう中で、一般的に、「終わり」に対する捉え方、「友人と共有する空間」に対する捉え方、そして、「友人と共有してきた空間の終わり」に対する捉え方が、少しずつ変わってきているのかもしれないと感じました。すごく極端な言い方をすると、「終わりはない」と捉えるというか・・・。
私はもともと、「終わりはない」と捉えて欲しいと思いながら、卒業生を送り出してきましたから、ある意味、理想とも言えるのですが、すでにそういう捉え方をする傾向が強くなっているのなら、逆に、「終わり」をもっと意識させるべきだったかもしれないと、そんなふうに思いました。
子供たちが、また明日にでも会えるかのように卒業していくことはとても自然でいいものだし、ソラに限らず、その時の空間のことを真に理解できるのは、時間がたってからであることが子供の場合は普通です。私が子供の頃も、そんなにしっかりと卒業を捉えてはいませんでしたし、偉そうなことは言えないのですが・・・。
ですから、子供たちの卒業の仕方は自然でいいのですが・・・でも、今後、子供たちが過ごしていく環境や時間を考えると、以前とは違う形で「卒業」というものをこちらが考えてあげる必要があったのかな、「終わり」というものをもう少し強めに理解させる必要があったのかなと、そう思いました。今年卒業した中学生の子たちの様子を見て、特に。
今年、中学生クラスを卒業した子は四人。ここでは最も付き合いの長かった二人のことを取り上げます。
一人は、四人の中で最も早く卒業する日が来ました。
その子は、最後の練習の日、練習が終わってもなかなか帰ろうとしませんでした。
特別な話をするわけではありませんが、昔の話をしながら、なかなか帰ろうとしませんでした。時間がかなり遅くなってしまっても、親に「待って!お願いだから、もう少し待ってて!」と一生懸命お願いをして、そこでの最後の時間を過ごしていました。
あの子のあの表情、あの言い方・・・。そこで過ごす友達との最後の時間をすごく意識していたんだなって、とても感じました。
また、もう一人の子は、その数日後の最後の練習後に、やはり、なかなか帰ろうとしませんでした。
さっきの子と同じように、特別な話をするわけではないのですが、昔の話を色々として、ただ一緒に時間を過ごしました。
そして、私は十分に話をしたので、「帰る前に、豊田コーチに何か言ってから帰れよな」と言うと、しっかりと考え、立派に挨拶をして帰りました。その場をわきまえているというか、子供なりにけじめを知っているというか、そんな感じがしました。
この二人は中学生だから、小学生の子たちとは物の考え方も捉え方も違うでしょう。ですが、そういう年齢的な考え方とは違う部分で、小学生の子たちとの違いを感じました。
「何でだろう」と数日考えました。
そして、「もしかしたら」と思う部分がありました。
この二人は、ソラの前身のスクールの時に、「閉校」を経験している子たちなんです。
二人とも、当時は幼稚園の年長でした。先に書いた子の方は、(本人は忘れているでしょうが)当時、閉校が決まった後に、「弟がね、ここに来るつもりだったんだよ」「弟がここにくるはずだったのに」と何度も私に言っていました。
彼らはまだ年長さんだったので、その頃のことはもうあまり覚えていないでしょうし、世間を認識できる範囲も年長さんの大きさ、目の前にあることが全てだったでしょうから、「閉校」ということも、そこまで強烈に印象に残る経験というわけではなかったかもしれません。ですが、二人とも、その後、ここで再会してからも、あの頃の話をよくしていました。あの頃は私がもっと若かったとか(ほうっておけ)、あんなコーチがいたよねとか・・・。
ここで再会して、帽子を取って遊んだりしながら、いつの間にか、中学3年生になっていたんですよね。
ずっと一緒にいたし、すでに小学生の頃に渡したアルバムには、会いたければいつでも会えるということがわかるように書いてあるし、私の連絡先を二人とも知っているし・・・だから、今回、二度目の卒業をしても、また会おうと思えば会えるし、決して終わりではないし・・・そして、それはソラに来ている友達同士の関係でも同じであると捉えられるだろうと・・・ですから、むしろ、今の小学生の子たちよりも、自然に「バイバイ」でもおかしくないのですが、この子たちは、そうじゃなかったんです。
もしかしたら、「閉校」というものが(年齢的に大きなインパクトを与えなかったとしても)、物事には終わりがある(こともある)ということに対する理解、物事の終わりや区切りに対する理解に多少影響を与えたのではないかと、そう感じました。
そして、それによって、あの子たちがここでの最後の時間、友達とのここでの最後の時間をあのように過ごし、あのような形でここから巣立って行ったのなら、「終わり」を意識することは大切なことなのだと思いました。
子供たちに対しては、サッカー以外の部分でも、色々な思いを勝手に持っています。(すみません。でも、皆さんの邪魔にはならないようにしますので、お許しを。)あの子たちには、二度と閉校を経験させまいと思って、今日までやってきました。あの子たちの卒業で、今、ソラに在籍している子の中には、当時の閉校を知る子はいなくなりました。とりあえず、私にとっての大きな仕事の一つは終わりです。
これからは、第二章というところでしょうか・・・。
今年卒業した彼らが教えてくれたものを大事にして、子供たちがより成長していける時間、場所をここで作っていきたいと思います。
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