手からは何も出ていません
(2012年3月通信No.123おまけより)
私は手を色んな方に向けることがあるので、子供から、「何やってんの?」と、聞かれることがあります。
保護者の方からも同じことをたまに聞かれることがありますが、簡単に言うと「指さし確認」です。
家事や他の仕事と同じように、スクールを行う時も、「見るべき場所」と「意識を向けていなければならない場所」が、同時に複数存在します。
全体を見渡す,フォーカスして一カ所を見る,全体を見ながら他の場所を意識する,一カ所を見ながら全体を意識する等々・・・様々な形で、起きている事や雰囲気をつかむ必要があるので、私の手は、そういう時に見る場所や意識する場所のうちのいくつかに向けている感じです。
そして、基本的には、視線と手の向きは違うことがほとんどなのですが、状況により、手と視線が重なることもあり、特に、情報を一気に取ろうとする時は、向けた手に、もう片方の手を添えることもあるので、手から何かを出しているような感じになり・・・子供から、「何しているの?」と聞かれてしまうのです。
手を使わない時もありますが、よほど自分の調子が良い場合を除き、今は手を使っています。
ちなみに、昔は手を使うことはなく、体中で現場の雰囲気を感じるようなイメージを持っていました。
ですから、豊田にも、「上半身が裸のような感じで、体中で子供の気持ちや雰囲気を感じろ」とか「背中に大きなバッテンの傷があって、そこから雰囲気を感じるカンジ」などと・・・「何をコイツは言ってるんだ?」と思われるような要求をしていました。もちろん、本当に傷があったら、私はギャーギャー言いながら、子供たちには目もくれず、近くの病院に直行しますが・・・(失礼!)。
そのような感じで、昔は現場の雰囲気を感じ、指さし確認なしでも意識すべきことの優先順位が崩れることや、自分のイメージと現象との間にギャップを感じることは少なかったのですが、数年前から、そうではなくなってきたので、「これはイカン」ということで、手で確認をするようにしたのでした。
***コーチング中は、より広い視野を持つことが大切なのですが、それでは逆に見えなくなるものもあります。
ソラの空間は、単純な「子供の空間」なのですが、子供たちがずっと関わり合って来た上でできている空間でもあるので、一瞬の場にも、複雑な絡み合いや深い意味が含まれていることがあります。
そんな空間の中には、目で見て意識をするだけでなく、(意識はしていても)見ない方が良い場所,見ていても見ていないように(子供たちに)思わせなくてはならない場所もあります。
私たちの視線を子供たちが必要以上に感じてしまうと、子供たちの動きや反応が若干変わってしまうこともあるので、素の部分での子供たちの変化や成長に対し、正しい判断をできないこともあるからです。また、そういうことを判断できる、せっかくの機会が、訪れなくなってしまうこともあるからです。そのため、こちらからの働きかけや視線を感じさせないようにしなければならない状況もあるので、「広い視野」と言う基本を大事にした上で、「見ない」も含め、空間を感じるようにし、そして、その「見ない」部分をしっかりと把握するためにも、意識を外さないようにするためにも、手を向けていることがあります。