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2012年2月 3日 (金)

水たまりは「見ず」たまり? 

(2012年2月通信No.121おまけより)
この頃はサッカーでも何でも、とにかく情報が飛び交っています。
それらの情報を常につかんでいないと取り残されたような感じになったり、不安になったりするかもしれません。
そして、飛び交う情報の中に飛び込んで、子供に当てはめてみたら、それを子供がうまくできなかったり、表情が変わってしまったりして、「なんでできないの?」「これで楽しくなるんじゃないの?」と、さらに不安が広がることがあるかもしれませんが・・・そういう時って、内容がまだ子供に合っていないものであることもたくさんあるのではないかと思います。先取りしすぎというか。
サッカーに関して考えれば、内容などにもよりますが、情報をつかもうとした結果、後でやればいいようなもの、精神的な発達や身体的な発達と合っていないようなものを先取りのような形で覚えてしまうこともあります。
私は、こういう先取りを繰り返していくことに対して、先に進むことへの期待よりも、もったいなさを感じます。
先取りのようなものを心と体で受け止める時は、吸収面を考えると、たぶん、100%じゃないと思うんですよね。もちろん、理解できたり、覚えたりできることもあると思います。でも、その内容を覚える時に本来学ぶべき事の理解度という意味では、100%ではないのではないかと思うんですよね。
気持ちの面でも、楽しい、嬉しいと感じるかもしれないけれど、そう感じる強さが100%ではないということがあっても不思議ではないと思うんですよね。
ですから、先取りして、次の段階に進み、そこでまた一つ次の段階のことを先取りして、そうして、ずっと進んでいったら、80%とか90%の吸収、楽しさ・嬉しさを重ねていくようで、もったいないと思っちゃうんですよね。
先取りする内容が、後でもできることで、後でやる方が十分に嬉しさを感じられるようなものなら、なおさら。
だから、その時に十分に理解できる内容のことを100%でやればいいのではないかと思うんですよね。楽しさや嬉しさも、その時に100%感じられるような経験をできたらいいなと。それを各段階でできたらいいなと。
・・・そういえば、この前、雪が降りましたが・・・
大人になってからと子供の時とでは感じ方が違うものってたくさんありますよね。
背が伸びてからでは感じられないこと、ありますよね。
歩幅が変わったり、目の高さが変わったりしたら感じられないことって、たくさんありません? 
知識が入ってからでは感じられないこと、ありません? ・・・そういえば、私は、5歳くらいの時、太陽がとても大きく、近くに見えた日に、「走って行けば着く」と思い、走ったことがあります。芝生をいくら走っても大きいままで、近くに見えるのになかなか着かず、友達が「もうやめよう」と言っても走って、とにかく走って、最後はバラ線にひっかかって、「イタッ!?」となって止まりました。それで何を得たかはわかりませんが、走れて良かったと思います。先に太陽について教わり、「走っても行けない」と知っていたなら、走らなかったでしょうけど、知らないで、走ろうと思えて良かったと思います・・・。
それに、感じ方が似ていても、大人の時と子供の時とでは、「ちょっと」違うことだってありますよね。
この前の「雪」もそうですね。子供はただ喜びます。大人も、「きれい」「触りたい」と喜びます。でも、大人の場合は、「大変だ」ということもわかっています。子供はそういうことに関係なく、「触りたい」「食べたい」「きれい」「冷たい」「踏みたい」等々・・・、その時に感じられる全ての感じ方で捉え、ただただ喜びます。初めての時はさらに「こうしたらどうなるの?」という「?」があります。
この、「似ているけれど確実にちょっとある違い」は、「大きい」のだろうと思います(もちろん、知らないままで経験するのでは遅い、取り返しのつかないような、大人が知っている危険は先に教えなくてはならないと思います)。
そして、「水たまり」。
子供は水たまりがあると遊びます。のぞきこむ、石を投げる、中を歩く、走る、飛ぶ、生き物を探す、底にあるものを探す、波紋を見る・・・小さな水たまりの中に、いくつものものを見ているのでしょう。
「水たまり」って、雨が降ればすぐにできるし、そこまでめずらしいものではありませんよね。それに、大人から見れば、そこでできることも限られているようですけど・・・きっとそうではないんでしょうね。
見たことのないことが詰まっていたり、新発見がたくさんあったり、知っているけど「面白い」と思えるものがたくさんあったりするんでしょうね。
この、決してめずらしくない水たまりに、子供が、子供でいる間は、何度も、ずっと、心を捉えられるのは、それだけ楽しいこと、吸収できること、成長できることがたくさんあるということだと思うんです。
こうした、子供の時に十分に栄養になること、すべきことって、無理にどこかに飛びつかなくても、たくさん、子供のまわりにあるんだろうなって、私は思います。私もそうですが、大人になると、そういうことに気づきにくくなってしまうのかもしれませんけど・・・。
大人になっても、そういう、子供の時に楽しいと思ったことを楽しいと感じたり、やりたいと思ったりすることがあると思いますが、その元は子供の時の体験にあり、そして、大人の時と子供の時とで似ている気持ちになることであっても、確実にある「捉え方の違い」の意味は大きいんだろうなって思います。
だから、こういう、その時しか100%で感じられない経験をたくさんしてほしいなって思うんですよね。そうじゃないともったいないって思っちゃうんですよね。
雪とか水たまりとかサッカーとか・・・子供を見ていると、その時、その目の高さで見れること、白い部分がたくさんある心で感じられるものを大切にしてほしいなって、思います。

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