オーバーな動き
(2012年1月 通信No.120「おまけ」より)
ある日のUー12クラス・・・・ワザの練習をしている時に、ボールタッチが違う感じになっている子がいました。
このワザは、タッチの仕方にポイントがあるので、そのポイントを意識する・しないで、練習の効率やワザの吸収率が変わってきます。その、大切な部分が違うタッチになっていました。
その子は、ソラに入ってからまだ数カ月なので、そのタッチのポイントを個別に教えてあげるのもコーチの仕事の一つです(時期ごとの目的、一日の中でのその練習の位置づけや目的、個別に覚えるべきことの優先順位などから、教えない方がいい状況、教えた方がいい状況など、色々あります)。
この時は、様子を見て、ポイントを示した方がいいケースかと思いましたが・・・
よく見ていると、(順番で)その子の前にいる子が、自分がやる直前に、「こうやるの」と教えてあげています。教えてあげて、自分の順番が終わった後は、その子のやり方を見ています。
やり方が直らないと、また教えています。それでも、伝わらないので、今度は、自分がやる時に、ポイントがはっきりとわかるように、動きを極端にやるようになりました。ですが、それでも伝わらず・・・よりはっきりとポイントを示すために、動きはさらにオーバーになっていきました。もう、「ここをこうやるの」という声が聞こえてきそうなほどです。説明の仕方は、相手の子に合った言葉で、動きで強調すべき部分も、わかりやすいスピード、大きさで、すごくいい見本になっていました。
その様子を見て、私はそのまま二人を見守ることにしました。教えてもらっている子は、もしかしたら、その練習時間内では感覚をつかめないかもしれません。ですが、明らかに「伸びる」二人だったので、それでもいいんです。こういうことは、その時だけでなく、後の、大きな成長につながるのです。―と思っていましたが、いつの間にか、「いい見本」を見ていた子は、しっかりとマスターしてしまいました。
この時、私は言葉をかけていませんし、見本も見せてはいません。子供たちが互いに伸ばしあったのです。
教えてもらった子が上達したのは言うまでもありませんが、教えてあげた子も上達・成長しています。
「教えてあげた子が上達したの?」と思うかもしれませんが、はい、しました。
サッカーの練習のことですし、イメージしにくいかとも思いますので、ちょっと説明します。
まず・・・
見ていた印象としては、「見本」となるくらい、はっきりとポイントを意識することで、正確な動きを覚え(この子の場合は、すでにその動きを習得していたので、動きを思い出すという感じですが)、次に、教えてあげた子ができるようになったのを見て安心し、自分の順番の時の動きが、どんどん速くなっていきました。正確さと速さ、これは共に大切な要素ですが、その両方に磨きをかける練習になっていました。
すでに練習したことのあるワザなどに対しては、「知っているから」とやる気を下げて練習に取り組むことが子供ならありますが(メニューや雰囲気作りで、そうさせないことも必要です)、「知っている」と「できる」ということは違います。さらに、「できる」と言っても、そのレベルは様々(緊張状態でもできるとか、無意識にでもできる等)です。知っていることでも、正確さと速さの両方を磨いていくことはとても大切なのです。
こうして、ポイントを意識して練習していると、動きがより身に付き、ゲーム中も、無意識にポイントを捉えている動きが出るようになるんです。
この子は、人に見せよう、わからせようとするほど、ポイントを強く意識していましたから、動きの吸収はものすごかったはずです。
次に・・・こっちの方がすごいことかな・・・
この、教えてあげていた側の子は、どうしても気持ちが練習に入らない時もちょくちょくあり、私としては、「もっと練習中の自分の上達、上達による達成感を得る機会も必要だな」と感じていた子です。
しかし、この子の場合は、“ケラケラ”とふざけるような、「ウヒヒヒ」と楽しむような感じで練習やプレーをしている時に、色んなことを吸収していたり、いいプレーをして自信をつけたりしているようにも見えるので、この子の段階的には、練習中の「できるようになった!」という達成感をまだ強要すべきではないとも思っていました。ですが、そろそろ、そういうものも感じさせたいとも思い・・・ふむ、どうしたものかと思っていた子です。
また、この子は、仲のいい子とプレーをすると、とびきり伸び伸びとプレーしますが、一人だけポツンと他のグループに連れていくと、なかなかそうはできないタイプでした。
環境の変化をすごく感じ取れる子なんです。ですから、スクールでも新年度などで環境が変わった直後は、元気がなくなったり、練習が上の空になってしまったり、行動が普段と変わってしまうこともよくありました。
こういう様子もずっと見てきているので、こういう部分でも少しずつ成長できたらな、と思って見ていました。
***ちょっと寄り道***
・・・環境の変化を感じてしまう子は他にも多くいると思いますが、悪いことではないと思います。それだけ、普段の環境を自分でつかんでいるということ、普段の友達を大切にしているということでもあります。ちなみに、今回お話ししているこの子は、過去に、友達の引っ越しが気になって、何を言っても、何をやっても、全然元気の出ない日がありました・・・。
また、学年が上がるにつれ、環境の変化に敏感になる子がいるかもしれませんが、それはそれで自然なことです。高学年になると協調性が発達してきますが、それは、周囲のことをより認識するようになるということでもありますから(心の発達は、サッカー技術にも関係しますが、ここでは触れないでおきます)。
私は、このような、「新しい場に戸惑い」、そして、「でも、大丈夫になった」という経験は大切だと思っています。子供たちがずっと同じ環境にいるということはありません。少しずつ、世界を広げ、外の世界に出て行きます。もちろん、「どこでも、最初から全然平気!」というタイプもいいと思いますが、少なくとも、「新しい場が苦手ということ自体は、マイナスということではない」ということです、はい。
***寄り道終了***
こういう部分での成長は、すぐにポンッとは表れないことがあります。ただし、機会やタイミングなどで、ポンッとなることもあります。そういう時を逃さない方がいいことがあります。・・・でも、焦ってはいけないこともあります。あー、難しい・・・・。
さて、これまでに、練習中に“ケラケラ伸び”や、環境・グループにより力を出せなくなる様子を見せていたこの子ですが・・・・
その日、私はこの子だけを普段の仲良しの子たちと切り離し、違うコートでゲームをさせました。
その日のそれまでの流れから単純に考えれば、さっき、タッチのやり方を教えてあげていた子と一緒のグループにしてあげた方がいいように思えますが、「今日は、もっと奥を狙える」と - これはコーチのカンです(カッコいいでしょう! 外れることもあるんですけどね~・…ウソウソ、そんなに外しません!!!)。
すると…「あれ? 今まであんなにパスをもらおうとしてたっけ?」「あんなに動いてたっけ?」…「!?」」だらけです。
プレーする表情からは、「おふざけの時の、仲のいい友達と一緒の時にしか見せない」楽しさや、“ケラケラ伸び”とは違う部分からの達成感を得ていることがわかりました。しかも、それらを、「普段はあまり一緒に練習をしない子たちとの中で」「うまく行ったことや上達を自分自身で感じるプレーをすること」から、得ていることがわかりました。
この子には、こういうものを知ってほしかったんですが、友達のために行動していた結果、心と体がいつの間にか、いい準備状態になり、ゲームでのプレー、動き、気持ちが一歩進み、大きな成長の芽を、ピッと見せました。この部分の成長は、大きかったと思います。
わかりにくかったかもしれませんが、教えてあげた子が上達・成長した部分、おわかり頂けたでしょうか。
・・・ところで、この子の成長の芽が出るきっかけを作ったのは、最初に出てきた、タッチの仕方を間違っていた子かもしれません。もちろん、この子が友達に対する優しさを持っていたということを見逃してはいけませんが。
教えてあげたら、友達が成長し、自分も成長する。教えてもらっているけど、自分も友達を成長させている。
そういうことが、本当にたくさんあるんですよ、子供の場には。
今回は「教える」という行動でしたが、「教えてあげる」という行動とは全然違う行動にも、たくさん、互いを成長させる要素があるんです。経験してきたことや考えていることが凸凹の子たちであればあるほど。
先程の二人の子たちの間には、スクールの経験年数に違いがありましたが・・・
サッカーを[ずっとしている]と[始めたばかり]というサッカー経験の違い、サッカーを[すごく好き]と[そんなに好きというわけではない]というサッカーへの思いの違い、性格、体格・・・様々な違いがあっても互いに成長できる関係になれるのが「子供の場」なんです。これまでに、「うちは、習い事として、サッカーをしているだけなので、ここにサッカーを練習に来ている他の子に迷惑をかけてしまうのではないか、サッカーへの思いがこんな感じでも、スクールに来ていいのだろうか」と心配される方の声を聞くことがありましたが、今、お話ししてきたように、そんな心配は、ここではいらないんです。ソラは、子供の場です。
***また寄り道***
他にも同じような思いを持っている方もいるかもしれませんので、少しだけお話しを…
何年も前ですが、高学年のある子が他の習い事の関係でソラをお休みした時に、お休みの理由を知っている友達が、「サッカーが一番好きでないのなら、来なければいいのに」と言ったことがあります。あ、優しい子ですからね、この子。これは、「一番好きじゃないなら、来るなよ」という意味ではなく、自分の場合は一番サッカーが好きで、上手になりたいからここに来ているけど、友達は、「一番好き」じゃないのに、なんで無理して来ているのだろう? と、単純に疑問に思ったのでしょう。
その時、私は、「一番好きでなくてもいい」という話をしました。サッカーを一番好きなわけではなく、他にも好きなことがあって、他の人の方が自分より上手だから、ゲームや練習で大変な思いをすることもあって…それでもここに来るのって、お前たちと一緒にいるのが楽しいからでもあるんじゃないの? って。それに、自分より他の人の方が上手なのに、いつもここに来て頑張れるのって、すごいことじゃないの? って。
この子たちのその後ですが…この時に休んだ子はサッカーを続け、中学でもサッカー部で頑張っているようです。
また、「来なければいいのに」と言った子は、友達に出すパスが、より相手や状況に合ったものになり、相手が自分にしたパスがちょっとずれても、何とか取れるようにと、より一生懸命走るようになり、すごく成長していきました。
***寄り道終了***
もちろん、「一番好き」はいいことです。でも、「一番好きというわけではない」でもいいんですよね。子供のサッカーは、本来、それでも続けられるものであるべきなのだと私は思います。
それに、サッカー選手になるかどうかということに限った話ではなく、これから子供たちがどういう風に夢を持ち、育ち、力を発揮していくかなんて、まだまだわからないのですから。
大人になり、様々な分野の第一線で活躍している人の話でも、子供の時には違う夢を持っていたという人が多くいます。さらに、第一線かどうかに関係なく、社会に出て、家族のために仕事をしたり、誰かのために何かをできたり、自分が幸せを感じたり、人に幸せを感じさせたり、そういうすごいことをできる力があるんですから。
子供の時は、その時に力を発揮できる体と心に成長するための栄養をつけているところ。
笑ったり、泣いたり、走ったり、転んだり、起き上がったり・・・子供たちは忙しいですが・・・こういう中にこそ栄養が詰まっていて、子供たちにはたくさんの栄養が必要で、たくさんのことを覚えていくべきで、そして、実際に子供たちはどんどん栄養を吸収し、育っていくことができるので・・・ソラでは、子供なら、カモンなのであります・・・そして、「カモン」と言っておきながら、「バカモン」と子供に言うこともある、とんでもないコーチなのであります・・・が、そんな時には豊田が私にレッドカードを出すので安心なのであります・・・ということで・・・
ソラではやっぱり、子供なら、カモン! なのであります。
*今回のように、偶然起きた事を生かしたり、逆に、ある効果を狙い、意図的に子供たちを組み合わせたり、離したりすることがあります。そういう意図・糸で子供たちを結ぶと、子供の空間ではすごく色んなことが起き、成長を見せます。私たちがそういうことをしっかりできさえすれば、様々な違いを持つ子が集まった方が、より可能性のある空間を作れ、「子供たち、カモン」と大声で言えるし、皆さんにも安心してもらえます。ですから、こういう、目には見えない部分を大切にしたいと思っています。
=サッカースクール ソラ=
千葉市で開校中 TEL : 042-534-3766
★ソラ・HPに戻る→ http://www.sonoyosade.com
★ソラ的な日々 http://solasolasola.cocolog-nifty.com/sola
★通信の「おまけ」 http://solasolasola.cocolog-nifty.com/omake