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2011年7月28日 (木)

子供の毎日

(2011年6月 通信No.114おまけより)

ふと思い出したもので・・・ちょっとだけ、昔話を失礼します。
では・・・・今から10年前、小学6年生の頃のことです(はい、30年近く前ですね、わかっています)。
毎日サッカーをして遊んでいたら、ある日、となり町の学校の子たちと試合をしようということになりました(私がチームに入ったのは6年生の3学期。これはそれよりも前のことで、チームでの試合ではありません)。
小学生の高学年と言えば、グループ意識が強い時期です。それ故、逆に隣のクラスの子たちとは仲があまりよくなく、ライバルのような感じ。なので、学校内では、他のクラスと激しく「試合」をしていたのですが(メチャクチャ本気です)、ある日、「今度、違う学校のヤツラと試合やろうぜ」ということになったのです。
いつも一緒にサッカーをして遊んでいる子の中に、野球チームに入っている子がいて、その子が野球の試合で知り合った他の学校の子と話ができるということで。
自分たちで学校の代表というか、試合に出るヤツ・出たいヤツを決めて、「交代はどうしよう」とか「ポジションはどうしよう」とか、色々決めていきました。
それまでは、自分のクラスだけでそういうことを決めればよかったのですが、今度は全クラス合同でチームを作るので、他のクラスの「文化」も取り入れなくてはならず・・・普段から仲が良いわけではないので、面倒と言えば面倒なのですが、チームを作らないと試合をできないので、普段は「敵」の隣のクラスとも協力です。
そして、チームや交代の約束ができ、あとは試合の日を待つだけ。
「サッカーの試合をやる」といっても、「サッカーやろう♪」ではなく、「知らないヤツラとの試合」です。
さて、試合の日、「強いヤツらなのかな」「どんなヤツらなんだろう」と、ちょっと緊張。
そんな中、「おい、来たぞ!」と誰かの声がして、となり町の「知らないヤツラ」が登場です。
「来たー!」という感じです。乗り込んで来た分、なんか向こうの方が強く、かっこ良く感じます。
そして、迎えた後、今度はそんな「ちょっと強そうに見える相手」と、試合時間やら交代方法やらを決めます。お互いに違う学校の「文化」があり、ちょっと面倒だけれども、これも試合のためなので・・・。
そして試合が始まり、私はスーパープレーを連発…今、「やれやれ」という声が聞こえてきたので試合終了。
試合終了後、べつにすぐに帰ってもいいのですが、野球などで知り合いのいる子たちはその子たちで集まって話したり、知り合いのいない子はそこらへんでボールを蹴ったりして、適当に時間を過ごしていました。
「試合が終わったら“終了”ではつまらない」と、みんなが思っていたんでしょうね。
でも、さすがに知らないヤツラの中にはなかなか飛び込んでいけず、みんな、「興味あるけど・・・」「話したいけど・・・」という感じでした。
すると、突然、「キャー!」という声が! 
みんなが驚いて声の方を見ると、相手の学校の子が校庭の中央で叫んでいます。
友達が「どうした?」と聞くと、「おばあちゃんが梅干しを食べて、すっぱすぎた時の声」と言いながら、もう一発、「キャー!」。
どうやら、一発ギャグ。非常識な一発ギャグですが、そこは小学生なので許して下さい。それにしても人騒がせな・・・。しかし、この一発ギャグで、何となくお互いの線が消え、少しずつ知らぬヤツラと目が合うようになったのです。
私も知らぬヤツと目が合いました。その瞬間、何かを言わなきゃと思い、頑張って、とっさに出た言葉が、「おサルがウキャキャ」・・・ああ、悲しい小学生・・・。すると、相手も「何かを言わなきゃ」と、とっさに出たのでしょう、「ゴリラがウホホ」・・・。
そして、また私が「ウキャキャ」、相手が「ウホホ」・・・これを色んな動物で何パターンか繰り返し、いつの間にか、そいつとPK対決をすることに。とんでもないバネを持っていて、驚きました。
そんな感じで仲良くなった頃、もう帰る時間に。
「おサルが・・・」ー「ゴリラが・・・」で別れました。まともな会話はゼロ。
でも、これでもいいんでしょう、きっと。お互いに顔を覚えましたからね(数ヶ月後、中学校で一緒になった時には笑いました。「あ、あの時の!!!」って)。
こういうことができて、面白かったです、子供の頃。
この試合の成立には、学校の先生も誰かの親も関わってはいません(もしかしたら、まとめ役の子の親が色々助言をしてくれたり、見えないところで先生が助けてくれたりしていたのかもしれませんが)。
自分たちで決めて、自分たちで行動して、そして、終わって、友達までできて。
皆さんも、こういう、子供の時にしかできなかった経験がおありだと思いますが、それらの経験が、その後、大きく役に立っていると、きっと感じられていることでしょう。私もそう感じています。
ですから、やっぱり、子供の時には、「子供」として、毎日を思い切り過ごしてほしいと思っています。
ソラの子は、グラウンドで言い合いをしたり、やってはいけないことをやってしまったり、よくします。
そうすると、友達との間で心のぶつかりが生まれたり、私が吠えたり・・・とにかく色々なことが起きます。
本当に凸凹のスクールです。
最初から「こういうことは言ってはダメ」「やってはダメ」と言えば、スクールはスムーズに進むと思うのですが、子供の時には子供として、凸凹の山をたくさん走って欲しいので、こんなやり方をしています(もちろん、安全に関することなどで、何かが起きる前に防ぐべきことは事前に注意します)。
あ・・・一応断っておきますが、「子供として過ごす」とは「どんな時でも甘えてOK」とか「何でも許される」というのとはワケが違います。子供として当然受けるべき「しっぺ返し」は受けさせますから。
そんなことを繰り返しながらも、いつもグラウンドに跳んでくる・・・ですから、ソラッ子が私は好きです。
それにしても・・・話は試合に戻りますが、試合をやる時には色んな仲間がいて助かりました。
顔の広いヤツ、話を進めることができるヤツ、体のでかいヤツ、小さいヤツ、優しいヤツ、理解の早いヤツ・・・みんな、長所・短所、両面あるから、チームとしては、それがガッシリはまると強くなるのでしょう。
ソラの子も、色んな子がいますからね、どんなチームになっていくのか楽しみです。
**********
スクールとは直接関係ないことですが・・・
ちょっと前、子供が事故に遭わずにすんだという話をテレビでしていた時に、主に子供の命を救った方の機転について話がされていました。「みんなも覚えておいた方がいい」というような感じで。
ですが、その現場の映像には「立ち入り禁止」という看板が映っていました。その映像を見て、ヒネクレ者の私は機転の方より、その看板があるのに入ってしまったということの方に意識が行ってしまいました。
機転を利かせ、命を救ったことは確かに素晴らしいことですが、(本来なら防げる)命を失う危険をなくすことが重要なはずです。
「立ち入り禁止」の場所の危険は、大人でないとわからない部分があるかとも思います。
子供ではその先を想像できないこともあるでしょう。ですから、説明や話をしてもわからないこういう部分は、大人が「絶対ダメ」と言うしかありません。
子供の時には子供らしい経験、冒険をして欲しいとは思いますが、「ダメ」な部分があるのも確かです。
子供の成長の糧になる「子供にさせるべき子供の経験」と、子供ではまだその危険度を理解できない「させてはいけないこと」・・・・非常にバランスが難しいと思いますが、それぞれの場で、子供に接する大人がしっかり考えていかなくてはならないことだと思います。
私も子供の集まる現場に立つ以上、コーチングメニュー同様、これらのことも、しっかり考えて行きたいと思います。
=サッカースクール ソラ=
千葉市で開校中 TEL : 042-534-3766
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2011年7月14日 (木)

「天才」であることよりも大切なことは・・・

(2011年5月 通信No.113より

先日、あるお父さんが、「今まで、他の子に負けないようにという気持ちで子供には頑張れといつも言ってきたのですが、小学生がスポーツをやるのに一番大切なことは、凄くそのスポーツが好きで、凄く楽しくそのスポーツをやっているかなんですよね。人より上手いか上手くないかなんて一番重要ではないということに気づきました」と言っていました。
「他の子に負けないように」・・・こう思うのは親ならばとても自然なことですよね、私だって同じ立場ならそう思うでしょうから。それに、説明はいらないかもしれませんが、「他の子に負けないように」とは、他の子が憎いとかではなく、「自分の子がサッカーを楽しむ機会を得られるように」と、自分の子のことを考えて使われている言葉ですからね(私は試合会場でこの方が他の子のことを褒めている姿を見たことがたくさんありますから)。ただ、いくら以前の考えとはいえ、私にこういうことを言うと自分がマイナスイメージを持たれそうなのに言ってしまうのだから、正直な人だなぁと思います。それから、大人になってからだと、自分の言動を見つめ直したり、新しいことに気付いたりするのってとても大変なはずなのに、それができるなんてすごいなと思いました。
そして、最後に、「仮に伸びなくとも、それはそれでいいと思います」と言っていました。
**********

色んな分野での天才少年がテレビに登場することがありますね。
そんなのを見ると、「あんなにすごい子がいるのに、自分の子が同じことをやっていても楽しいことはないのではないか」「うちの子には他に向いていることがあるのではないか」と思う方もいるかもしれませんね。
スポーツをしている子の親御さんなら、天才とまではいかなくても上手な子が試合で活躍しているのを見ると、「上手じゃないと自分の子がイヤな思いをするのでは」と必要以上に心配になってしまうこともあるでしょう。
親御さんなら当然の気持ちでしょう。確かに上手じゃないとイヤな思いをすることがあるかもしれませんから。
実際に、上手にできないとわからない楽しさもあるでしょう。また、努力しても上手にならず、その過程で楽しさを感じないのであれば、いずれ嫌になってしまうことも考えられます(私も「上手にならないとダメ」と言うことがあります。ただ、その言葉に含ませている意味はここでは簡単には説明できませんが)。
しかし、子供にとって、好きでやっていることが上手であるかどうかということは、そんなに大きな問題ではないと私は思っています。
子供たちは、好きなことをやっている中で、
練習して少しずつ上達し、達成感を得る、
自分にできることを見つけ、それを実践することで自分の良さを知る、
上手いかどうかに関係なく、友達との関係の中に楽しさを見つける・・・・これは例を挙げておきましょう・・・例えば、自分は活躍できないけれど、友達が褒めてくれたり、ありがとうと言ってくれたり、失敗すると「頑張ろうぜ」と言ってくれたりする、雰囲気が悪くなった時に面白いことを言うとみんなが笑ってくれる等々・・・
・・・他にもたくさん、「楽しい」と思うことを経験します。
「やりたい」と思ってやっていて、そこから楽しさを感じているのであれば、それでいいのだと私は思います。
それが上手かどうかということ自体は、そんなに大きな問題ではなく、楽しいからやりたい、やりたいからやる、まずはそれでいいのだと思います。
なぜなら、「楽しい」と思うこと、「やりたい」と思うことの中には、子供が持つべき「自分に対する肯定感」が含まれているからです。
先程挙げたようなことが、なぜサッカーの楽しさにつながるのかと言えば、それは、自分の存在を認める要素が入っているからでしょう。特に、友達との関係の中に楽しさを見つけることについては例を挙げましたが、サッカーの技術やプレーとは全く関係のない部分なのに、「サッカーを楽しい」と感じることができるのは、友達との関係の中に、自分の存在を肯定できるものがあるからに他ならないと私は思います。問題があるとすれば、上手じゃなければ上に挙げたようなことを感じられない・経験できない環境の方が問題なのです。もちろん、そういう環境でも頑張れる方がいいですが、果たして、本当に子供が頑張れる環境なのか、頑張るべき環境なのか、注意して見てあげる必要があるでしょう。
逆に言えば、自分を認める要素があれば、楽しくそれを続けることができるということです。当然、続ければ、努力に見合った大きさで上達もし、以前の自分では得られなかった楽しさも見つけていけることでしょう。
そして、楽しいからまた前向きに取り組み、上達し、さらに自分への肯定感も強くなり・・・というように、相乗効果や好循環が生まれていくのです。
相乗効果がある環境、好循環が生まれている環境では、成長の仕方は、練習時間が2倍になったら2倍成長するという単純なものではなく、2乗、3乗といった成長をすることが想像できると思います。
その中で経験できること、得ることはとても計りしれません。どこまで成長するのか、まったく未知数です。
こういうことからも、「楽しい」と思えること、「やりたい」と思えること、自分を肯定できる環境・経験こそが大切なのだと強く思います。

*もちろん、(私も「上手にならないとダメ」と言うことがあると書きましたが)色んな理由から、上達が必要なことを意識させることは大切ですが、その場合は、意識させる側の人が、上達させる理由を明確にできていて初めて、子供の努力に対して正しく評価をでき、成長する方向に持っていけるのでしょう。上達や高い水準をただやみくもに上から押しつけても、逆に良くない方向に行ってしまうこともあるため、注意が必要なのです。

さて・・・ここで、「天才少年」について、私の思っていることを書いておきますね。
天才少年がその後も順調に成長するかどうかは、本当はわからないことだと思いますが、ここでは、天才少年は多くの場合、順調に成長するということで話を進めることにします。
天才と言われる子を見ると、「ボール扱いの器用さが卓越した子」を天才と言っていることが多いようですが、
子供の時には、「身のこなしの器用さ」がとても発達しますから、「天才」が現れても不思議ではありません。
そして、「隠れ天才」があちらこちらにいることも忘れてはいけません。
子供の時に発達する「身のこなしの器用さ」が表れるのは、ボール扱いのうまさだけではありません。
鬼ごっこでの子供の動きを思い出して下さい。動きを瞬間・瞬間でキュッと変え、子供たちは逃げますよね。あのような、ボール扱いとは別の「動きの素早さ」も、身のこなしの良さ、器用さの発達の表れなのです。 
そう、小さな時には、「ボール扱いのうまさ」だけでなく、「体を器用に素早く動かす」ことも身に付く時で、これは「ボール扱いのうまさ」に匹敵するくらいの要素なのです。
ところで、天才と言うと、色んな部分が卓越しているように思われるかもしれませんが、この「体を器用に素早く動かす」ことにおいても常に周囲よりも優れているかというと、決してそうではないように私は感じます(私の印象ですが)。
これは、体を素早く動かす器用さを身につけることより、ボール扱いの器用さを身につける練習や遊びを繰り返してきたからでしょう。そうやってきたことはとても良いことだと思います。そういう力がすごく発達する時ですから。ですが、体を素早く動かす器用さを高めておかない場合、そのままでは、周囲から卓越したレベルのままでその後もプレーを続けるのは、おそらく難しいはずです。
それなのに、何故、ボール扱いのうまい天才少年たちがその後も順調に成長していけるのか。
それは、おそらく、自己肯定感が大きく影響しているのだろうと私は思います。
周囲に自分の良さを認められるから、あるいは、自分が興味のあること(ボール扱い)を、達成感を感じながら思う存分高められるから、そのスポーツがより楽しく、好きになる。
そこで好循環が生まれ、プレー中にある、無数の発達機会から、体を素早く動かす機会を逃さず、どんどん力を吸収していくのでしょう(実際には、ゆっくりに見えてもすごく速いことがありますから、天才と呼ばれる子たちの素早さや器用さを否定しているわけではありませんよ)。
適した練習内容や遊び方も影響しているでしょうが、このように、自分を肯定する気持ちが大きく作用し、成長していけるのだろうと思います(但し、自分を肯定する気持ちが行きすぎ、過信になってしまったりすると、まだ自分の持っていない、吸収できる他の部分を吸収できず、順調に成長することが難しくなってしまうこともあるのだと思います)。
このように、天才でもそうでなくても、自分を肯定する気持ちはとても大切なのだと、私は思います。
ですから、周囲からは全然「天才」と言われていなかった子でも、どんどん上手になるのでしょう。
「たくみさ」で目立たなくても、動きの活発さや素早さから、自分への肯定感を持っている子は本当にどんどん上手になっていきますもんね。実際に、それまでの経歴や所属チームでの立場などからは想像もできない活躍を、数年後にするプレーヤーもいますもんね。
ただ、子供らしく動き回ってきた経験から動きの素早さをすごく発達させている子が、そのまま普通にサッカーを続けていればどんどん伸びて行くはずなのに、伸びていけないことがありそうなのが、残念なことです。
それは、そのままなら持ち続けたであろう適当な自己肯定感を失くすことが原因ではないかと私は思います。
例えば、すごい素早さを持っているのに、いわゆるボール扱い巧み系の「天才」と同じようなことを要求され、それをできないと「なんでできないんだ」と周囲から言われるなどし、だんだん、自分に対し、肯定感より否定感を持つようになってしまうとか。ボール扱いの巧みさを習得するために時間を使ってこなかったからこそ、体を素早く動かせるようになったのかもしれないのだから、ボール扱いで「巧みレベル」になんてまだ追いつかなくてもいいのに、無理にそれを追わされたりして。
こういうことは本当に残念ですよね。ですから、最初に書いたお父さんの「仮に伸びなくとも、それはそれでいい」という見守り方でいいのだと思います。
こういう思いで見てくれたなら、続けて行く過程で、子供は大きな力―自分を肯定する力を手にすることができるでしょうから。
自己肯定感・・・スポーツだけでなく、他のすべてのことの土台になる、生きて行く時に大きな力を持つもの。
これがあれば、自分の思うような方向に進めなかったとしても、様々な経験の中から、たくさんの宝を見つけることができる、たくさんの財産を持つことができる、私はそう思います。
楽しみながらサッカーを続けた結果、仮に理想的な結果が出なかったとしても、自己を肯定する力を持つことができたのなら、それこそ、理想的なことなのではないかと私は思います。
ですから - 少年サッカーに携わる者として、子供に接する者として - 上手かどうかに振り回されず、子供たちが、「楽しい」と思えること、「やりたい」と思えることを大切にしていきたいと思います。
子供が楽しめることは、本来、サッカーをする場にはたくさんあるはず、ある「べき」です。
楽しんでそこにいる中で、楽しんで取り組む中で、自分を肯定できる経験を、子供たちがたくさんできるように、これからもグラウンドに立って行きたいと思います。
 ↑
こんな話を書くと、私が子供たちをたくさん褒めるように思われるかもしれませんが、ちょっと突いたくらいで落ちてしまうような肯定感を持たせようとは思わないので、ただ褒めて持ち上げ、中身が空洞の肯定感を持たせるようなことを私はしません。突いてもずれない肯定感を、凸凹の経験からつかんだ、自分の体・心と、がっしり噛み合っている肯定感を持たせたいと思っています。だから、私は・・・よく怒りま~す。たぶん、この文章を書いてから皆さんにお配りするまでの間にも10回は「うぉりゃー」と怒っていると思います(豊田は優しいです。彼がいるのでソラのあたたかい雰囲気が保たれているのです)。
たまに、私が子供を褒めているところを見た方に「優しい」と誤解されることがありますが、何を隠そう、私の笛、3カ月前に割れていますからね。なんで割れたかというと、練習中、「うぉんどりゃー」となりたいところを、どう言うべきかグッとこらえて様子を見ている時に、バキッとね・・・ええ、噛んで割ったのです。へへへ。
こういうことは1回や2回ではなく・・・。ちなみに、私は前歯がちょっと欠けているのですが、1か所は、笛に負けたところです。お陰で歯が凸凹。崩れる笑顔・・・。ま、最初から私の笑顔なんぞ崩れているので(子供たちにニコッと笑ってみせると「気持ち悪い」と遠慮なく言われます)・・・そんなことはどうでもいいのですが、子供たちには崩れぬ肯定感を - なんとか持って欲しいと思っています。
***私は保護者の方と色々とお話をさせて頂いていますが、皆さん、「なるほど」ということをおっしゃって下さり、その質・量はここには載せきれないほどです。ですので、ここでこうしてご紹介することはあまりできないのですが、今回は、ちょうど、私が「天才少年ね・・・」と色々考えていたところなので、ご紹介させて頂きました。

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