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2011年5月24日 (火)

ふざけるな(通信No.109おまけより)

ここ数回、6年生の成長を書くことが多かったですが、2月最終週のある日、私は6年生を強く怒りました。
持っている力を発揮しようとしないことが多かったから。
ソラを、ただ思い出を語るだけの空間にするのには、まだ少し早いでしょう。卒業まで一ヶ月もあるのです。
練習前や休憩中にする、いつもの相手とのいつもの話を、練習中にするのも(そういう話をする時間はちゃんとある、または足りなければ練習後にでも作れる)、ちょっと違うでしょう。卒業まで一ヶ月しかないのです。
「も」と「しか」、矛盾するようですが、その矛盾するような時間でも、変わらずに大切なものがあります。
それは、その時間の中で、力を出すこと、力を出し存在することです。
それができて初めて、「も」・「しか」のどちらであっても貴重な時間になるのです。
彼らの持つ力とは、「成長できる」という力。同じ場になどとどまらず、先に進むことができる力。
この力を使い、一人一人、個人として、団体として、卒業までの間に、まだどこまで進めることでしょうか。
そんな時間・空間の中での、2月の最終週だったのです。
その曜日、6年生の全員が頑張っていなかったのではありません。
でも、最初の練習から、ただダラダラ、何となく時間を過ごす、そんな子が数人。前回、同じことを注意されているのに。そして、そのような雰囲気に対し、この日も注意をし、「やる」と答えたのに、変わりません。
その後のグループ分けの時の様子、ペアを組む時の様子を見ても・・・。
ある子は、すごく頑張っていました。
言われたこと、これまでのこと、周りの子のこと、自分のことを十分に感じ、考えて練習している子もいました。この子はこんなに頑張っていて、でも、他の子に、まずは自分で気づいてほしくて、この子のことをそこでは褒めることができず、この子には申し訳ないですがキツイ雰囲気のままで、「気づけ、全員」という感じです。
2月の最終週 - たくさんゲームをできる日で、休憩の後はゲームになるのですが・・・このままいつものように休憩にしてゲームを行っても、ゲームは良いものにはならないでしょう。・・・この日は、アルバム用の、6年生へのメッセージ用の紙を子供たちに渡すことにしていたので、ゲームはできる限り楽しいものにしてほしかったのです。そのためにも、ゲームが始まってから注意をするのは、できれば避けたいところだったのです。・・・
練習開始前の段階では、(6年生に色々と言ってきたこともあり)“ゲーム前の練習で色んな学年が混ざって練習をし、みんなで力を出しあって楽しく前半を終え、後半のゲームは面白さでいっぱい”・・・という私のイメージだったのですが・・・そうは行かず。
そこで、休憩前にみんなを集め、話しました。 ― 4~6年生の子みんなに、中途半端だった前半分を取り返すために休憩中にあることを「やっておこう」と。
これができれば、おそらく、楽しいゲーム、力の溢れるゲームになるでしょうから。
子供たちにそれをできるか確認したら、「できる」と。
そして、その休憩中 - やらず・・・。
「やる」と言ったことをやっていない状況 - 4・5年生の子も、決して褒めることはできない状況でしたが、4・5年生の子は、まだそういったことの意味がわからない可能性があります。
でも、6年生の子にはわかるはずです。これまでの経験や話をされてきたことを考えればわかることなのです。でも、それをできず・・・というより、「やらず」です。
ここまで来ると、(これまでの様子を見ても)そこで注意をし、その後のゲームを楽しくしても、到達できる楽しさには限度があると思えたので、そこでは注意をせず、ただ様子を見ました。
そして、その後のゲームは - 
予想に反して、注意をするほどには悪くありません。
こういう時は無理に注意はしません。ちゃんとできていることに対して、こちらの意地で注意をしても、子供たちの伸びにはつながりません。ですが、冷静に分析すれば、努力していないことに対する穴はちゃんと見えてきます。みんなが努力して向かったゲームと、そうでないゲームとで、同じものになるはずがないのです。
様子、要素をよく見ます・・・“パッと見”そんなに悪くはなく、動きもほどほどにあり、声もほどほどに出ていますが、その日に頑張らなかった分を取り返せる声でも動きでもありません。その日までに獲得していたもので、その時は頑張っていなくても、これまでの蓄積でできたものです。力を出し切っているとは言えません。
*日頃の努力の積み重ねは大切です。ある意味、声が出て、動きがいいのは、これまでに子供たちがしてきた努力の成果です。ウォームアップがあまり良くなくても、いきなりここまでできるのであれば、「すごい」と言うこともできるでしょう。でも、それが、彼らの持つ力を発揮したものかと言えば、答えは「ノー」なのです。
*このゲームで最も声を出し、動いていたのは、4・5年生の子たち。これは、休憩中の“言ったことをやっていない”という現象は、やはり4・5年生には、まだ言ったことがわからなかったのだということを示しています。
やるべきことをわかっていたのにやらなかったのなら、積極的な姿勢ではないので、ゲームでいきなり積極的になろうとしても、(例え、それまでの蓄積があったとしても)うまくはプレーできないものですから。
ところが、この日の4・5年生はそこまで動きの悪い子はいなかったので、まだわからなかったという方が当たっているのでしょう。もちろん、話を聞く姿勢などに問題がなかったか、ちゃんと聞いていればもっと理解できたのではないか、さらに動きが良くなっていたのではないか、という部分はありますが・・・。

・・・ちょっと時間を戻し、休憩中の様子 ー
最初から頑張っていたある子は、私が「やっておくように」と言い、そして自分たちで「やる」と答えた「休憩中にすべきこと」をみんながやっていない様子を見て、「これでいいのかな・・・」と感じているようでした・・・(他の子は前述の通り、もしくは、感じていてもそこまで強くは感じていないようでした)。
その後、その子のいるゲームでは、スタート時にボールをその子にばかり渡しましたが、それはこういう理由です。すべきことをせず、ただゲームの時に「ボールちょうだい」と言っても、私はパスなんかしないのです。

さて・・・力を出し切っていないゲーム・・・残念ですが、ゲームを止め、全員を集め、何度か話をしました。
4・5年生も決して褒めることができる状態ではありませんでしたが、この時は特に6年生の子に対して話を。
6年生の子に対して話をするのであれば全員を集めることなどしなくても良さそうですが、4・5年生も努力が足りなかったのは確かで、また、6年生に話すことで、4・5年生にも十分に伝わることもあるでしょうから。
実際、この話の後に、それまでとは比較にならないほど、声も動きもよくなった4・5年生の子がいます。
ただ、それを本来するはずの6年生の子が「できず」でしたが・・・。

・・・結局、その日は最後まで「6年生全員が一人残らず力を出すこと」、ゲームが「力の溢れるもの」になることはありませんでした。
頑張っていた子には、本当に申し訳なかったと思います。
でも、頑張っていた6年生の子は、友達からの信頼をもらっています。だから、それで十分でしょう。
前回の練習では、終了時に「○○って、パスがすごく丁寧だよね」と、ある5年生の子が私のところに来て嬉しそうに言って帰りました。また、以前も、すごく動きの速い5年生の子が、その子のことを「○○って、速い!  さっきまであそこにいたと思ったらさ、もうここにいるの!」と言っていました。
こういうプレーでの頑張りだけでなく、ゲームの時に、ゲームの順番待ちをチームでしている時の頑張りも、きっと、周囲の子がこの子を信頼する原因なのでしょうが。
・・・ゲームの順番を待ちながら、年下の子と話す雰囲気。自然に話す時もあれば、「話そう」という、ちょっと挑戦する感じで話す時もあり、友達のために力を出したり、自分が成長したいという気持ちを出したり。
4年生の頃は、そこまで周囲と関わるようなことはなく、年上のお兄さんたちに引っ張ってもらう感じだったのに、今では立派に、自分がそういうお兄さんになっています。
そういう子に対して、一番そばにいる子供たちが何も感じないはずがないのです。そして、そういった信頼感は、相手にも伝わるものです。きっと、当人には大きな充実感、達成感を与えるでしょう。
ですから、申し訳ないですけど(友達からたくさんの信頼ももらっているから)・・・許せ、です。
もちろん、そういう子と互いに影響をし合って、自分の力を出す子、挑戦する子も、いましたが・・・。

さてさて・・・私が、「全員」になんでこだわるのか・・・
頑張っている子がいるのだから、それでいいと思われるかもしれません。もともと、個人で伸びようとしている、伸ばそうとしているのですし、「全員がそういう姿勢でできなければならない必要があるのか?」と思われるかもしれませんが、その必要が「ある」のです。
一人がやらないだけで、全員で注意される必要があるのか? - 「ある」のです。
今の、この時期の、こういう奴らの揃っている、この空間。
全員に力がある。それをみんな見ている。自分ができたことを知っている、友達ができたことを知っている。
頑張らなくてはならない時に、頑張れたことを、自分、友達、ともに見ている、知っている。
そういうことがあっての、今の空間なのです。
これまで時間をかけて、友達と関わり合ってきたのです。
友達が力を出さない時に放っておいてどうするのでしょう? 
全員に、伸びる力だけでなく、関わる力があるのに、肝心のところで関わらないでどうするのでしょう? 
これが、他のスクールだったら、一人一人がバラバラで頑張れば、それぞれに対して「がんばったね」でいいのでしょうが、ここでやろうとしてきたことはそんなことじゃないんです。
ずっと関わりを持ってやってきたのです。
最初はおっかなびっくり、友達との関係を持っていたかもしれません。「こんなことを言ったら嫌がられるかな」という感じの子もいたかもしれません。でも、もうその段階は通り過ぎなくてはなりません。
友達が頑張っていない時でも、注意もできず、励ますこともできず、引っ張ることもできず・・・友達に合わせて、力を発揮しないでおく気なのか。
「力を出さないでもいいよ、だって、それが君なのだから」? 
ー ふざけるな。自分をナメるな、友達をナメるな。そう思います。
この日、私は言葉かけを、表面上は否定的な口調で、呼びかけではなく、言い切る形にしています。
その前の週までの流れを考えて、そうしているのですが、それは、私の言葉の後に本来続く、「だからこうしよう」という部分は、彼らができること、すべきことだからです。
「なかなかできなかったことに、一度、やっと挑戦した。やればできた。でも、やるのは大変なことだし、ボクはやろうと思えばできるのだから、今はべつにやらないでいいや」・・・? ・・・・まさかそんな風に思ってはいないでしょうが、やればできることをやらなければ、成長しないどころか力を発揮できなくなるのは当たり前です。
使い続ければ、やがてそれが自分にとっては当たり前の状態になります。つまり、一つ上の段階に進める。そして、その成長した段階が普段の自分になり、さらにそこを基本にして、「前に進める」力を発揮し、また一つ上に向かって成長していきます。これを繰り返し、力を使うことができれば、どんどん成長していけます。
ですが、使わない力は衰えます。
やればできる - そんな経験をしたのなら、やっていけ、一歩成長した自分をまた土台にして、さらに成長していけ、そう思います。くそっ、ちょっと悔しい一日でした。

こういう日の練習後は、またちょっと独特の感じがあります。
何となく何かを言いたそうな子、気まずそうな子…。言葉を待つことも、こちらから声をかけることもあります。
もう何年も前ですが、やはりこういう時に、練習後に同じような雰囲気で、「わかってたんだけどさ、何となく、(友達に)言えなかった」「言わなきゃと思うんだけどさ、何か言えないんだよね」と言っていた子もいます。
ちなみに今回は、こちらから話しかけると、顔を少し赤らめ、ポリポリと頭をかきながら、「いやぁ、だってさぁ」と言いながら、その日の練習後に話したことをわかっているようだった子、頭をポンとたたくとそれを受けながら、「次はやんなきゃ」という感じの子、自分から挨拶に来て、自信を感じさせる子など・・・みんな、これまでの子のように、その日を持ち帰っていきました。
・・・卒業前に、この後、歩いていくために必要な種を植えることができれば・・・いや、種を植えることなどはできないですね、もともと彼らは種を持っている。であれば、できることは…一人一人がどんな種を持っているのか、できる限りしっかりと見ておきたいと思います。「卒業したらさようなら」なんて思っていませんから。

ちなみにちなみに、今、中学生クラスにいる子たちの代は・・・
今の中3の子が6年生の時は、こういう時期を少し早めに通り過ぎました。
その後、毎回もがきながら、それでも挑戦していた姿を今でもすぐ思い出せます。私にバシンとぶつかってきた子もいます。私にだけでなく他の子にもバシンと当たる、言う。本気だから、空間が少し「キツイ」方向に変わってしまうこともありました。でも、成長する空間が成長しない空間になってしまうことはありませんでした。
こういうことを誰かがしても、一歩前に進もうと本人が必死にしていた行動だから、友達が離れることはありませんでした。ぶつかるけれど、離れない。時にはぶつかり返し、時には受け止め、支えていました。ものすごく、頭・心・体を、みんなが使っていたと思います。また、そんなふうにもがいている友達を見て、自分も「やらねば」と、みんなで力を出し合っていました。ですから、みんな、本当に、しっかり成長していきました。
そして、その学年の子に混ざってゲームをし、当時の6年生が成長途中で作り出した、そんな、結構「キツイ」雰囲気の中でも、結構「キツイ」プレーに対しても、逃げず、しっかりと対抗していた一つ下の学年の子。
特に、「キツイぞ」と思う相手、雰囲気、プレーに対しても頑張れた子もいました。
その子が、今の中学2年生になり、まだ頑張っています。もともと力のある子でしたが、奥底にある力、意志は相当強いと私は思っています。
他にも、大変な努力をしている子ばかりでした。来た時の顔を見て、「よく来たぞ」と思ったものです。みんな、自分なりに挑戦し、成長を続けていきました。
そして、この代の子と練習し、昨年卒業した今の中学1年生の子の代も、常に、どこかに、周りを頑張らせようとできる子がいました。残念ながら、ゲームでのプレーではちょっと遠慮する場面、たがいに90%くらいで対決することもあり、注意をしたこともありましたが、それを除けば、怒ったり、冗談を言ったり、方法は様々でしたが、一緒に練習してきた友達を引っ張る努力をできる子、そしてそれに応える子が多くいました。
生意気で、態度のでかい子も多かったですが、常に、言ったことには応える、人の言葉を理解しようとする、そして、理解したことは実践してみせようとする強さがありました。卒業する2週間前と1週間前の練習でも、私に本気で文句を言えるほど。そして、それらの文句に対して答えた私の話を、目をそらさず、私をにらみつけながら聞き、決して逃げず、翌週にはしっかりと成長した姿を見せる子がいました。最後の練習の2週間前、1週間前に私に強く注意をされた子たちは、今もソラで一段階完全に成長しきった姿を見せています。

・・・ここでは、そうやって、みんな、力を出して来たのです。
一人一人が、本当に最後の最後の瞬間まで、力を発揮してきたのです。
そんな子たちと一緒に練習をしてきた今の6年生が、力をつけていないわけはないのです。
実際に、先ほどの、頑張っていた6年生の子は、とんでもなく力をつけましたから。
この子が4年生の時、初めて親御さんからご連絡を頂いた時のことを今でも覚えています。
その後、ソラに通うことになり、当時の6年生の子のプレーを外で見た時に、かっこよく見えた6年生。
その6年生に負けないくらい、この子はかっこ良くなったと私は思います。
少しずつしっかりと成長し、ここまで良く来ました。一生懸命なところ、優しいところ、人のことをよく見るところ、たくさんの良さを持ち、その良さを生かし、ここまで来ました。
まさに努力、努力の継続の成果。ここまで成長し、本当にすごいと思います。

「その良さで」ーこれは、逃げに使うものじゃありません。しっかりと自分を認め、歩いていくためのものです。
さて、残り一ヶ月。ここまで凸凹の成長を繰り返してきた彼ら。きっと、これまでのように、持つ力を発揮し、これから歩いて行くための力をつけていくと思います。ここを出て行く時の、成長した姿を楽しみにしています。
******もちろん、大きく成長した他の曜日の6年生・・・これまでに何度も私を驚かせ、たいがいのことではもう驚かなくなっている私を、卒業間近のこの時期になっても驚かす、すごいヤツラ・・・毎回、力を出し切り、一回毎に成長を続けているすごいヤツラの、ここを出て行く時の成長した姿も楽しみにしています。

*つい前、「もっと早く来れば良かった」と言ってくれた子がいます。数年前も、この言葉を言った子がいました。ただ、その時は嬉しいというより、申し訳ないという気になったのを覚えています。その子の言った、その時の言葉には、「間にあわなかった」という気持ちもなくはなかったと思え、そう思わせてしまったことが、申し訳なかったです。
その時、もっと力があればと思いました。もちろん、仲間に助けられてですが、その時の自分にできることを全てやり、それでも間にあわなかったのなら、それは、単に私の力が足りなかったからです。他に理由などありません。
実は少し前、もう体の動かなくなった私を見て、中3の子に「コーチ、いつまでこの仕事やるの? もう体が動かなくなってるの、自分でもわかってるんでしょ~?」と言われました。見抜かれてる! (無理もないか・・・。)でも、コーチは体ではなく、心で行うもの。そして力もまだまだ。ですからこれからも、現場で力をつけていきたいと思います!

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関係は、いや、成長は続くのです(通信No.108おまけより)

前に、「ちゃんと投げろよ」から始まった、ある6年生と4年生の子の関係について書きましたが、次のスクールでも、その関係が続いていること、子供たちが実際に成長したことを表す場面を見ることができたので、ちょっとだけ・・・
練習中、4年生の子の靴ヒモがほどけ、みんなが動いている中でしゃがみ、ヒモを結び始めました(危ないので、外で結ぶように通常は言いますが、状況により、そのままそこで結ぶのを見ていることもあります)。
すると、6年生の子(前回、「ちゃんと投げろよ」と言った子)もヒモがほどけ、すぐに端に行き、ヒモを結び始めました。そこで、私は、まだヒモを結んでいる途中だった4年生の子に、「外で結べ」と言ってみたのです。
一番近いところで安全な場所に行くか、6年生のところに行くか、それとも、6年生の子を避けるか、さて、どこへ ー
・・・そして、この4年生の子が行ったのは、6年生のところだったんですね。
前の出来事が、ただの嫌な体験で終わっていたなら、違うところに行ったでしょう。いいですよね、子供って。
そして、次の練習では、この6年生の子は、前練習でバトルをした5年生の子(やはり前通信で書いた5年生の子です)の名を、「○○、こっち来い!」と呼んでいまして。いいですよね、この子ら。
・・・が、この時は○○君を呼んだ直後に、その6年生の子は、もっと気にすべき相手がいたことに気づき、「やっぱり、△△、こっち、こっち!」と言い直し、5年生の子は「・・・」となっていましたが・・・。
でも、ずっと前からある色んなことも、ちゃんと頭と心に残っているこの6年生の判断は、とてもいい判断です。
5年生の子には、ほんのちょっとだけ気の毒ですが、でも、自分と6年生の子の関係(良い関係であること)は理解できたでしょうし、上出来です、みんな。こんな感じで、互いが関わっていくんですよね。
こんなことを見ていると、小さなことに含まれる大きなこと、一つのことに含まれる多くのことを感じることができ、すごく嬉しくなります。
そういえば、先日、ある方が、試合会場で、お子さんがソラの友達と会った時のことを教えてくれました。
その方のお子さんと、友達との、「試合どうだった~?」「これからだよ~」「俺らは負けたよ~相手が強いよ~」「もう一試合あるから次は頑張れよ~」「だよな~ 頑張るよ。○○も頑張れよ~」「じゃ、またソラでな~」というやりとりを見ていて、なぜだか、うるうるときたそうです。
他の方も、同じような経験・思いをされたことがあるかと思います。
これからも、皆さんで子供たちを見ていきましょうね。
子供たちと、ソラに関わるみんなで大成長&大HAPPYしちゃいましょうね。・・・足を引っ張ったらごめんなさい。

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サッカーってね(通信No.108おまけより)

数ヶ月前、U-9クラスのゲームの時に、「勝っても、どうせ何ももらえないんでしょ」とある子が言いました。

また、最近、他の子が、「この頃、大会がないから、なんかやる気でない」と言っていました。

子供たちの試合や大会を見に行くと、こういう気持ちを持ってもおかしくない環境だと、よく感じます。

私は子供たちのプレーを見ていて、チーム所属の有無と子供のプレーの良さ、または、チームの戦績と子供のプレーの良さとはほとんど関係ないと感じていますが、それには、こういう環境も影響しているのでしょう(チームに入っていない子でも、ふだんサッカーをして遊んでいる子は、とても良い動きや発想を見せます)。

そういえば、つい先日、ある方に連絡をした際、その方の子のプレー、ドリブリ・パス・イメージ、全てがすごく良かったので、そのことを伝えたのですが、「でも、つい前の試合もボロ負けしたんですよ~」とのことで。

話を聞くと、コーチの方はやはり全員にプレーする機会を十分に持たせていたようで。なるほど、それなら、負けてしまうかもしれませんが、スクールの練習とチームでの活動との相乗効果で、子供は伸びるだろうなと思ったのでした。プレーを楽しむ経験をより多くでき、プレー自体に楽しみが詰まっていることをより多く感じることができるでしょうから(チームに入っていない子は、スクールの練習と友達との遊びのサッカーで、こういう相乗効果を得ています)。

本来、子供のサッカーには、プレーすること自体に楽しみが詰まっているので、子供たちの伸びには、そんな楽しさを見つけることができるかがとても大切なんです。

・・・子供のサッカーをしていれば、放っておけば、見つけられるであろう、そういう楽しさ。

ですが、大人が干渉しすぎ、形を変えたりすることで、本来なら気づいたところで、気づかずに通り過ぎていってしまうこともあるのでしょう。

・・・そう、例えば、子供が道を歩いていて、そのまま歩けば、その先にはきれいな花が咲いているとします。子供なら、思わずしゃがんで、じっと見ちゃうような。

だけど、先を急ぐあまり、もうすぐ見つけられた花の手前で車に乗せて行ってしまう。これって、何か残念ですよね。

もし、子供が花を好きで探していたり、興味を持ち始めて花を探しているところだったりしたなら、なおさら残念。

そして、車で行った花屋さんで、そこに飾られた花の美しさばかりが、花の持つ美しさなのだと思ったり、そこにきれいに飾られた花ばかりが花なんだと思ったりしてしまったなら、それはちょっと違いますもんね。

花屋さんに飾られた花は、もちろん、きれいです。

でも、子供が、子供の大きさで十分に美しさを感じられる花は、たぶん、道ばたに咲いているのです(花屋さんは、きっと、そういう花の美しさをよく知っている人だから、一人一人に合った花を見つけることができるのでしょう)。

こういう、子供に合った花の美しさ。

サッカーにも、そういうものがあるのでしょう。大切にしたいですよね。

・・・ところで、ちょっと視点を変えて、コーチの立場で言えば、「ここの公園の花、きれいだよ」とか、「この花はこんなにおいがするよ」なんてことを教えてあげられる人が、花に興味を持った子供には合っているんでしょうね。

・・・なんて、花の話をしちゃいましたが・・・花・・・私には似合わないですけど、その辺は放っておいてくださいね(でも、頭はお花畑みたいでしょ?) 

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