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2010年9月25日 (土)

本来の楽しさを見失うな! 

(2008年11月 通信No.76より)

最近、ソラの保護者の方だけでなく、以前に教えていた子の保護者の方からも「チームに入った方がいいか」「どういうチームがいいか」というご質問をよく頂きます。
そこで、まだ小さな子にはあまり関係ないかもしれませんが、そのような方たちにご参考になる部分もあるかなということで、少し前に見にいった子供たちの大会での様子を見て感じたことをお伝えします。
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少し前に見に行った、子供たちのミニゲームの大会。
ある子の、一つのプレーが気になりました。
この子のプレー以外にも、気になることはたくさんありましたが、それらの気になる内容も詰まっているような、一つのプレーです。
この子のドリブルはスクールで何度も見ています。スピードの変化、方向の変化がものすごく自然で、ゴールに向かってドリブルすればするほど、技術、素早さが向上していくような成長力、吸収力も持っています。ドリブルをしながら、まさに一瞬一瞬、新しいものを得て上達していくような感じです。
さて、その子の、気になったプレーとは・・・
ドリブル中に相手チームの選手のタックルを受け、相手の足がかかり、転倒したプレー。
自然に見えるかもしれませんが、不自然です。だって、スクールでの動きを見る限り、あれぐらいのタックルなら十分に察知できるし、飛び越えてドリブルを続けることもできたはずなのに。
転倒してフリーキックをもらえれば、キック力のある子がシュートを打てる。小さなコートだから、考えようによってはどこでもシュートを打てる距離なんです。そうすれば、チームが勝つチャンスが生まれます。だから転んだのでしょうか? 
あの転倒は誰のためなのでしょう。
―あそこで相手の足を飛び越えて、その結果バランスを崩してドリブルが失敗したら、あの子は怒られちゃうのかな? 
転んでいれば得られたフリーキック、得点のチャンスを逃して、怒られちゃうのかな? 
でも、飛び越えた方が、本人は絶対に楽しいだろうに―。
ケガをしないために、きれいに受け身を取って転ぶこともありますが、そういうのとは違います。
本当のプレーなら、相手の必死のタックルを飛び越えてドリブルを続けたり、バランスを崩しつつもゴールに向かったりする時の楽しさを思いきり感じられるのに。そういう時の頭と体の動きはものすごく、たくさんのことが体にズバッと入ります。
自分に今ある力のちょっと上のことに挑戦し、それを手に入れる。そして、今度はそれを「今の自分の力」「土台」にして、また挑戦をして・・・。そして、どんどん楽しく、上手になっていけるのに。
―あのプレーは・・・きっと、自分のしたいプレーじゃないということは自分でもわかると思います。それとも、まさか、もう、わからなくなっているんでしょうか。自分の気持ちに素直にゴールを目指すプレーより、倒れて反則をもらう方に喜び・安心を感じるようになっているとしたら、なんてもったいないのでしょう。これからたくさんの、「自分の可能性」を感じる経験をしていけるはずなのにー。
そういえば、ボールを相手に取られた時に、すぐにそのボールを取り返そうとできない子もいます。
自分のポジションや役割を考えて「追えない、追わない」経験をしているうちに、気持ちのままにボールを追う動きが自然に減ってくるのでしょう。これもさっきの転倒と同じです。
ボールを取られて悔しいからどこまでも追いかける、そして追いつく、或いは全力で追ったのに追いつけないという経験もとても大切です。頭と体の働き、こういう時はものすごく、とても成長します。
こういう自分の可能性をたくさん感じられるプレーの楽しさこそ、これから伸びていく子がもっとも知らなくてはならないことだと思うのですが、それを知らず、自分のプレーを抑え、勝利を重ねていくような場面をたくさん見ると、子供たちが本当の楽しさを知っていけるのか、心配です。
自分の本来のプレーをすることを我慢しても、その後で「優勝」や「レギュラー定着」といった良い結果を得られるから、プレーに満足していなくても、それがあまり気にならなくなる。本来すべき挑戦を抑えることで他の嬉しさを得る結果、いつの間にか、自分が本当に挑戦した時の楽しさより、周囲に評価される肩書きを得る方が楽しい、嬉しいと錯覚していってしまう・・・なんてことにもなりかねないのではないだろうかと思います。
もちろん、メダル、順位、資格といったものを子供が欲しがるのは自然です。子供の自信や成長に大きくプラスになることもあります。ですが、子供がこれらを目標にするのと、大人が目標にするのでは意味が違います。子供のそういう気持ちをいかに成長に結び付けていくか、これが大人のすべきことだと思います。
本当は、試合には勝てなくても、100%の達成感を感じられることもあるし、試合に勝っても、100%の達成感を得られないこともあります。ある時点での対外的な一つの基準に過ぎない目の前の目標に向かって、もっと大切なものを犠牲にしながら一生懸命にボールを追いかけている子を見ると、そういう、自分自身の体中で感じることができる本物の達成感を、しっかり知っていって欲しいと強く思います。

これまでに見てきた子の中にも、実際に、「もともと子供らしい、挑戦のつまったプレーをすることの楽しさを知っていた子なのになんでだろう」と思うほど、プレーの質が変化してしまう子がいます。
自分自身の可能性(自分だってまだ気付かないくらいの!)を感じられるプレーをする楽しさよりも、外からの評価を得ようとするプレーが多くなってしまうことがあります。
自分がサッカーを上手になるために、資格、順位などを得ようとするための姿も、「挑戦」と捉えることができるかもしれませんが、見ていると、それを手に入れるためのプレーは「失敗しそうなことよりも成功しそうなことを選ぶ」といった行動が多くなるようです。
これを、挑戦と言えるのか。例え、言えるとしても、子供たちの、これからの可能性に相応しい挑戦かと言えば、そうではないと思います。子供たちは、好きなことでは「強くなりたい」「良い成績を取りたい」と思うのが当たり前なので、良い成績を得ることで自分たちが強くなった、うまくなったと思うのも自然です。それらを得ようと努力するのは自然なことですし、そういう気持ち自体が別におかしいというのではありません。ただ、見ていると、外から得る評価・成績と、子供たちの成長とのギャップが大きいと私は思うのです。また、評価される部分が必要以上にクローズアップされてしまっているとも思います。そのような中では、尚更、本質的な楽しさを、もっと強く知っていく必要があると思います。
このように、本人的には同じ「挑戦」をするようなプレーをしているつもりでも、「質」が大きく変化してしまう子を、何人か見てきました。
実力がつき、一時的にちょっと自信過剰になる、ということはよくあることですが、それ以上に、プレーの本質まで変わってしまう。本当に不思議でした。
そんな中、先ほど書いたある大会を見に行ったんです。
この大会(ミニサッカー)には、この「不思議」に感じた子たちは来ていませんでしたが、そこでのプレーを見て、感じたことはこれまでに書いたようなことで・・・。
そして、ミニサッカーでの子供たちのプレーとは全く別に、「なんでプレーが変わったんだろう、なんで楽しいと思う部分が変わってきたのだろう」ということもずっと考えていたら、そういえば、この子たち(プレーの質が変化した子たち)も、だいぶ前に試合を見に行った時、今回のミニサッカーで見たようなプレーをしていたということを思い出したのです。
別に無理にこじつけようとしてはいません。実際に、考え始めた時点では、全く別の問題として私は見ていました。本質的な楽しさをわかっていた子のプレーが変化する理由となるような背景は理解したのですが、それにしても、「なんでその背景がこんなに影響する?」と考え続けていただけでした。
そして、今回、全く別のことが気になり、ミニサッカーを見に行き、さっき挙げたようなプレーを見て、「こんなプレーを続けていたらどうなっていくんだろう」・・・と考え続けていたら、「不思議」と思っていたこととミニサッカーでのプレーがくっついたんです。
もしかしたら、こういうプレーを続けることが、結果的に先ほどの「不思議」な現象に結びつくこともあるかもしれないと。もちろん、他の考え方もあるはずで、自分の考えが絶対に正しいとは思いません。まだまだ考える必要はあります。それでも、(これでも)もう何年も、何人もの子供たちを見てきた上での考えなので、(今回のケースに当てはまるかはともかく)こういうことも可能性的にはあると思います。
成長するんですよ、子供たち。これからも、とても。

元プロ選手だった方でさえ、子供たちに指導する立場になった時に、「コーチのサッカー経験を子供に押し付けないこと」「コーチのサッカー経験で子供に教えすぎないこと(戦術的なものも含め)」ということを、コーチングの大切なこととして述べている方がたくさんいます。
プロになるほどサッカーの本質的なプレーを楽しんだ方たちですから、楽しんでいる時にどれだけ伸びるかということ、指導者の考えの枠内に押さえつけることが、色んなプレーをできるようになる可能性のある子供たちにとってどれだけもったいないかということを良く理解されているのでしょう。経験を伝えることと、自分の経験してきた枠に子供をあてはめることとは違います。
それぐらい、子供の発想力は本当にすごいものなのです。
ですが、指導者の考えの枠の中で、“枠内で得られる最高”を得る経験をしていく子の中には、こういう枠や常識にとらわれない発想・発見の楽しさやすごさを忘れていってしまう子もいます。
本当に子供たち、これからずっと、成長していくんですよ。

子供たちだけでする草サッカーでは、審判がいません。
もちろん、反則を受けたために転んでしまったら、審判がいなくてもちゃんと転んだ子から始めるでしょうが、わざと転んでもみんなプレーを続けるでしょう。そういう時でも、余裕のある相手の子は、転んだ子から始めさせてあげようとすることもありますが、こういう時は、転んだ子は、「反則なんてとってくれなくていいよ」と断ることがあります。それが自分のプレーでないことに気づくからです。そんなことしてボールをもらっても楽しくないことに気づくからです(お互いにふざけあって「転倒」を楽しんだり、テレビなどのマネで転んでみたいと思って遊ぶことはよくありますが)。
そして、相手が必死でしたスライディングタックルを見事に飛び越え、ドリブルすることができたなら、先ほど挙げた自分自身で感じられる楽しさに加え、相手からも「テメー、やるじゃん」という「形には見えない」勲章をもらえるのです。
奪われたボールを取り返そうと、とことん追いかけるのもそう。相手の子はそのボールを奪い返そうとしつこく追いかけてくる子のことを肌で感じるのです。「もう追いかけて来ないだろう」と後ろを振り返ったら、“マジ顔”のヤツが追ってくる。それを見て、「ゲッ、コイツ、しつこい!」「こいつの本気、すげーコエー! (怖い)」と思うのです。これも、メダルや賞状にはなりませんがすごく意味のあること。
草サッカーで、自分の意思でプレーする子たちの顔、いいですよね。
きっと、夢の詰まったプレー、「上へ、上へ向かうプレー」を、子供たちがたくさんできるから。
このような、一つ一つのプレーから楽しさを感じることができるものが詰まった試合と、スコア上の勝利や順位で得られる楽しさに比重が大きくかかる試合(それも、ある枠の中で得られる勝利や順位) ― 今、成長段階にある子供たちにとって、どっちがいいのでしょう。
子供の時には、対外的な評価、メダルとか賞状とか資格とか・・・そんなもの一切なくても、楽しくてのめりこんでしまうような、そんな本質的な楽しさを伝えてあげたいですね。
「本質的な楽しさ」は、対外的には目立たないことかもしれませんが、一つ一つ、大きな意味があると思います。こういうものを見つけられたらどれだけ楽しいか、嬉しいか。目に見えるもの、対外的に価値を指し示すものに走ってしまうと、本来の楽しさ、嬉しさを見失うことがあるということは、大人にも当てはまるかもしれませんが・・・。
ここのところ見に行った大会などを見る限り、子供たちだけでは錯覚してしまう環境があるようです。
周囲の大人の、子供にあった目が必要だと思います。だからこそ、子供を伸ばすために、大きな目で見ている指導者の皆さん、大変かとも思いますが、どうかそのまま、子供たちを見てあげて下さい。
ミニゲームの大会の時に、会場でお話しさせて頂いた方は皆さん良い目をされていました。他にも、よくご相談下さる方などもいらっしゃいます。子供たちのことを考えている皆さん、頑張って下さい! 
大会などでは良い成績などが出にくいこともあるかもしれませんが、子供が伸びるプレーを一つでも多く経験させてあげることは間違いなく子供たちの財産になります。それこそ、何年も意味を持つような。
子供たちは成長するんです、本当に。成長を楽しめる、これほど、育成年代のコーチにとって嬉しいことはありません。皆さん、頑張って下さい! 
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子供たちから「優勝した」「○位になった」「○○に選ばれた」と聞いても、これまでに書いてきたようなことが頭の中にあるので、私は「良かったね!」とすごく喜んだり、褒めてあげたりということができません。頭の中にある考えは置いておいて、せめてその場だけでももっと喜んだり褒めてあげたりすればいいと思うのですが、それができません。
自分が頑張った結果を喜んでくれない、認めてくれない - 私が子供の立場だったら、なんて嫌なコーチだろうと思います。でも、子供に合わぬものを追いかけさせられた結果、大好きなサッカーから離れてしまった子も見ています。そういう、本来なくてもいいはずのことが起きている中での「優勝」や「○位」ということを聞いても素直に喜ぶことができません。ですから、そういう時は、その分、お家の方が喜んであげて下さい。子供の努力を間近で見ているでしょうし、子供の喜ぶ顔を見ることが自分自身の喜びでもあると思います。親として、たくさん喜んで、褒めてあげて下さい。お願いいたします。

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