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2010年9月22日 (水)

前に見ていた子供たちから

(通信No.23より)

※この通信はもう何年も前のものです。ここに掲載するにあたり、若干修正した部分があるので、読みにくいですが、お許しを・・・。

元々ここではスクールの子の様子や、スクールの考えなどを書かせて頂きましたが、今回はすみませんが、このスペースを私に下さい。スクールの子ではないのですが、大切な子供達からとんでもないものをもらってしまったので。
私にとってはその子達も、スクールの子も、「うちの子」で、みんな大切な存在なので、皆さんは会った事がない子供達の事ですが、お願いします。可能性を持つ子供という部分では、スクールの子も、その子達もまったく変わりません。

(以下、私が指導していたチームの子のことを書かせて頂きます。)
担当している学年は2年生。やんちゃで、子供らしく、とても愛しい子供達です。その子達の学年の練習を担当する事になったのは約一年半前。スクールの子達同様、今までに多くの可能性を見せてくれました。
―私は6月をもってそのチームでの担当コーチを辞任する事となります。
そして、そのチームでのコーチとしての最後を締めくくる大会が、6月に行われ、1・2回戦を勝ち抜き、3・4回戦が25日に行われました。
この年代は、個人個人の力を伸ばす事がとても大切な年代です。また、サッカーだけに限らず、様々な事を吸収すべき年代です。それを第一に、今まで指導してきました。今までに練習試合をする事もありましたが、私が求めた真の結果も、スコアなどには表れない、その部分でした。もちろん、勝つことも大切ですが、外してはならない優先順位があります。これは、それぞれのチーム事情によって色々な考えがあり、どれが子供にとって一番良いというようなことではありません。私の場合がこうだった、という事だけです。
ですから、試合に勝っても嬉しくない日もありましたし、逆に試合には負けても嬉しい日もありました。良い内容で勝てる、子供達の成長や可能性がスコアにも表れるという理想的な結果を得た日もありました。

今までの成長を確認する、最初で最後の大会。私が6月いっぱいでチームから去る事は子供達も知っています。もちろん、私も、この試合に負ける事の意味を充分に認識しています。
私と子供達、さらに今まで支えてくれた保護者の方にとって、とても大切な試合でした。
結果は、3回戦目を勝ち抜いたものの、4回戦目で負けてしまいました。
この大会、子供達の優勝したいという気持ちを練習の時から常に感じていたので、子供達に勝たせてあげたい、優勝させてあげたいという気持ちで私は一杯でした。
但し、それでも、優先順位だけは守らなければなりません。
子供達の個人の力でどこまで勝てるのか、子供のサッカーでどこまで行けるのか、子供達がどこまで自分の可能性にチャレンジできるのか、こういった、今までずっと掲げてきた(試合で勝ちを求めるには難しい)理想。それを現実に変えるため、彼らの成長を見るためにも、彼らの可能性を守り、そして広げるためにも、挑戦あるのみです。

この日の2試合、敗れた試合も含めて、子供達のプレーは最高でした。普段の練習で伝えてきた事、チャレンジする事をみんな実践していました。
練習してきたのは、この年代で大切な事、個人技術です。フェイントやターンなどのドリブルテクニック。
状況に関係なく、挑戦する事を子供達にはずっと伝えてきたつもりです。
自分のゴール前でもドリブルで相手を抜いていく、相手に強いプレッシャーをかけられても(ボールを奪われたらピンチだという状況でも)ボールを後ろに下げたりするのではなく何とか前を向く、相手に向かっていく。
こんな事をずっと言って来ました。
最後となってしまった試合、1点負けていて早く点が欲しいという状態でも、子供達は、ボールを持つとまず相手に向かっていきました。自陣ペナルティエリア内でボールを持っても、そこから自分の力で前に進んでいきました。
前から2人、3人と相手選手が来ても、相手に囲まれても決してボールを後ろに下げず、踏ん張って、何とか前を向こうとしました。
相手チームから自陣深くに蹴りこまれた難しいボールでも、何とかそこからドリブルで抜いて行こうというボールの持ち方をする。フェイント、ターンといったワザに挑戦しながら、自分の力を最大限に発揮しながら、苦しい状況でも、絶対に勝ちたい状況でも、自分達のプレースタイルを決して変えず、ただひたすら挑戦していった子供達。
決して、自分の指導している子達だから言うのではありませんが、内容では負けている部分などなく、子供達は可能性を充分に見せつけました。
それが、優勝をしたい子供達のプレー。
私も優勝させたかったし、子供達も優勝したかった。それも、「自分達の可能性にチャレンジするという最も難しい事、最も大切な事を実践した上で」という、非常に難しい課題にみんなで向かっていきました。
子供達、私、保護者の方、みんなが全く同じ気持ちでした。
試合が終わり、正直、この結果については、悔しさでいっぱいでした。「何でだよ!」という事があまりにも多く、悔しくて悔しくてたまりませんでした。色々な事に耐えていた子供達のことを考えると、なおさらでした。
ただ、この試合、負けたのは、そんな戦い方をさせたコーチ、私一人だけです。子供達は誰一人として相手チームの選手には負けていません。それだけは言わせてもらいます。
少し時間が経ち、そして、思いました。
こんなに悔しい思いをしたのはいったい何年ぶりだろう...。
2002年ワールドカップで日本が負けたときも、こんなに悔しくありませんでした。
さらにその前のワールドカップ予選での“ドーハの悲劇”の時も、これほど悔しくはありませんでした。
以前、諸事情によりスクールが閉校に追い込まれた時は、子供達の「ここがなくなるのやだ」という声がすぐに私に行動を起こさせました。悔しさを感じる間もなく。この時の子供は、私に大きな力をくれました。
しかし、今回は行動を起こすわけにはいかないのです。
時には、じっと耐えなければならない時も、あるのです。そんな中での、今回の結果。
本当に、過去に思い出せないくらいの悔しさ。
そして、気づきました。子供達にとんでもないものをもらってしまったのだと。
子供、保護者、スタッフ - チームとして、同じ方向を向ける事がこんなにすごいことなのだと、改めて知る事ができました。もしかしたら、“改めて”ではなく、“初めて”と言ってもいいかもしれません。
「大切」とか「素晴らしい」とか、とてもそんな言葉だけじゃ表せないものをもらってしまいました。
サッカーを一緒にしていて、いつも、色んな可能性を見せてくれ、彼らのもつ力のすごさを教えてもらい、そんな事を繰り返していて、気づいたら、どでかいものをもらっていました。まだ2年生のくせに。
大人にこんなどでかいものを与えられる子供達 - 本当に可能性は計りしれない。
子供達には有難うとしか言えませんが、何度言ったって言い足りない、本当にそんな気持ちです。
実はまだ悔しくてたまりませんが、今回は子供達の持つ最大の可能性、「いつかは理不尽なんかもふっとばせる」という彼らの可能性に免じて、「何でだよ!」という事は忘れようと思います。
実際、子供達はとっくに立ち直ってますし...。
子供達、有難う。
 
スクールの子も、チームの子も、今まで会った全ての子へ有難うです。みんな大切な存在で、大きな可能性を持っていて、どちらの方が大切とかそんなレベルのことではありません。
スクールの通信ですが、“仲間のこと”として、今回は入れさせてもらいました。すみません。

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