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2010年9月23日 (木)

伝えたいこと - 存在

(2006年3月 通信No.37より②)

スクールも3月に入り、いよいよ今年度の練習も残すところわずかとなりました。
3月、4月は色々と皆さんスケジュールが変わることも多く、子供たちの中にはやむを得ずスクールを辞めなくてはならない子が出てくることもあります。

・・・さてさてそんな時期ですが、2月の最終週、U-9クラスの練習時、こんなことがありました。
練習開始時、子供たちを集めると、ある子が、「3月からスクールに来ない」「辞める」と言うのです。本当だとしたらもう来週からスクールに来ないことになります。その時点では、まだはっきりとしたことを私は確認していなかったため、特にその場で確認をするようなことはしませんでした。
そして練習終了後、その子のお母さんと話をしていると、「辞める」と言った子とは学年の違う子(年下の子)がずっとそばに立っています。当然、「辞める」と言った子も、お母さんと私のそばにいたのですが、話が一息ついた時に、その、そばに立っていた子は「○○(辞めると言った子の名前)、バイバイ」とだけ言って帰っていきました。
その子に、「バイバイ」を言いたくて待っていたのです。
本当はもっと色んな話をしたかったのかもしれませんが、状況的に、それが精一杯だったのでしょう。
彼にとってはあまりにも突然のことで、「もう会えない」なんて嫌だったのでしょう。でももう会えないから、最後に何かを言いたかったのです。
その子はその後、車に乗りましたが、車の中で泣いていたそうです。
「辞める」と言った子とは学校も違うし、学年も違うし、スクールでしか接点がないと思うのですが、とても大切な存在だったのですね。

・・・・・・・私は10年位前からコーチを始めました。その時は、“サッカー”が好きで、サッカーのコーチになろうと思いました。ですから、当時の私の目標は、(もちろん難しいことだとはわかっていましたが)コーチとして、できる限りサッカー界的に高いレベルで指導をしたいということでした。例えばプロチームのコーチなど。そこで、まずはスタート地点として、子供の指導からスタートをしようと思ったのでした。
コーチの経験なんて全くありませんでしたから、まずは子供にサッカーを教えるために、子供を理解しようと、子供のことをたくさん勉強しました。そして、子供のことをたくさん考えながら、真剣に指導をしていました。
そう、最初は“サッカーが好きだから、少年サッカーのコーチになった”のです。
子供のことは嫌いではありませんでしたし、むしろ好きでしたが、どちらかと言えば、“サッカー”の方が好きだったんです。
・・・ですが、より良い指導をしようと、子供のことを考える時間が多くなり、さらに「もっと良い指導をしたい」という思いも強くなると・・・・・いつの間にかサッカーよりも“子供”がメインになってしまっていました。決して“良い人です”などと言いたいのではありません。前述のようにスタートは“サッカー”メインですからね。まさに“行動は動機を強化する”ですね。
彼らのことを考えれば考えるほど、ずっとつきあっていきたいと思うようにもなりました。当然、彼らが成長した後のことも考えるようになります。これは自然な流れです。
また、子供たちのことを勉強し、彼らの置かれている環境のことを知ったりすると、思っていた以上に彼らのいる社会は深いのだということに気づきました。
そして今―私がコーチをしている今、この時代、子供が被害者だけでなく、加害者になる事件が多くおきています。
そんな事件は起きて欲しくない、そう思うのは皆さんと同じです。
もちろん他の子も大切ですが、自分が一緒にサッカーをした子がそんな事件を起こしたり、事件に巻き込まれたりするのは絶対嫌ですし、彼らが生きて行く社会がそんなものであって欲しくない、いつの間にかそんなことを考えながら指導をするようになっていました。もちろん他にも色々なことを考えながらグラウンドに立っていますが、これは、今、子供と接する、そして卒業した後も子供たちと接したいと思っている私にとっては大切なことなのです。
―今、スクールの中で、子供と接する中で、自分に何ができるのか。
そして出した結論が、彼らに「一人一人の存在をしっかりと伝える」ということでした。
それも、ものすごい可能性を持った存在であるということを。

自分も、友達も、そういう可能性を持った存在なんだということを、互いに認識すること、知っていくこと、感じていくことーそれが、今起きているような事件を防ぐことにつながるのではないかと考えました。
子供たちに可能性を伝えたい-色々な理由からそう思っていますが、今言ったようなことも、理由の一つです。他の理由とは違う、こういった理由から出発した時の「可能性を伝える」は、単に理想ではなく、子供を育てていく大人、彼らと接していく大人の義務なのではないかとも、私は思っています。
そして、その一人一人の可能性をしっかりと、自他共に認識するためにも、“確かな”技術的な成長を絶対に達成し、本物の達成感を得られるような空間に、それも本人だけでなく周囲の人間もそれを感じられる空間にしようと、日々グラウンドでもがいてきました。しかも、それをより強いものとするため、一人一人バラバラの関係で達成するのではなく、互いに関係し、影響を与え合う中で達成したいと思ってやってきました。
外見は立派で整っているけれども、確かな成長のないような、空論で終わるような、逃げ道だらけのスクールなんかにはしたくありませんでした。これは、せっかく来てくださっている皆さんを裏切りたくないという、当たり前の気持ちでもありますが。

「一つ」「ある」という意味を持つアルファベット“a”という文字をスクール名に使ったソラの前身のスクール名が好きだったのも、新しいスクール名を「ソラ」(“素”の“良”さ)としたのも、そんな思いからです。
もちろん他にも子供たちに伝えたいことはたくさんありますし、こんな風に私が思っているのもあくまでも“私的”な心の部分ですので、それによって子供たちの技術的な伸びが偏るようなことのないようには注意していますし、プレーヤーとしての成長が偏ることのないようにも、かなり考えてトレーニングは計画をたてています。皆さんや子供たちに迷惑をかけることのないようには、細心の注意を払っています。単純なメニューが多いですが、一つ一つにしっかりと「その時に」「その環境で」「その子たちが」やる意味のあるもので、練習は構成しています。

こんな気持ちでグラウンドに立っていましたから、今回の、「一人の子が辞める」ことに対して、「ある子が泣いた」ということは、「辞める子」がその存在を日頃から友達に伝えていたということで、「泣いた子」も他の子の存在を充分に認識していたということで、私はとても嬉しかったです。
もちろん、“スクールにいたから”そういう子に育ったということはないと思っています。これまで育ててこられた保護者の方、周囲にいた方々のおかげであることはいうまでもありません。
また、実際には、その「泣いた子」以外にも、その子が辞めるということについてとても残念がっていた子供や保護者の方もいました。あの場ではっきりと「辞める」ということを示していたら、もっと影響があったのではないかと思います。
そんな子、保護者の方々がスクールに来てくれて、いてくれて、私は本当に幸せだと思っています。
ちなみにこの子はスクールを継続できることになりました! 本当に良かったです。
きっと一人一人が、互いにそんな存在になっているのだと思います。
まだ存在の示し方や、存在の受け入れ方は、子供特有の範囲、子供が自然に作る深さであるとは思いますが、こうした経験、等身大での大切な経験を積み重ねていくことが、彼らの今後の人生に役立つこと、大きな力になることを私は信じています。
頑張れ、子供たち。
年度末にまた、皆さん、子供たちに会えたことを嬉しく思うことができ、感謝しています。
ありがとうございました。
幸せをもらってばかりですみません。
4月以降、新年度が始まりますが、これからも頑張り続けます。
よろしくお願いいたします。

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