自然に出た手に拍手
(2008年7月 通信No.73より)
U-12クラス。
子供たちは、特別に仲のよい友達が一人だけいる子や色んな友達と仲良くしている子がいます。
どちらもいいことです。でも、周囲にいる色んな子の良さを知ってほしいし、周囲の子に自分の良さを伝えてほしいので、友達や仲間はたくさん増やしてほしいとも思っています。
さて、6月のU-12クラスで次のようなことがありました。
ゲーム中に、自分のキックを止めに来た相手の子が転ぶ。それに対して、ボールを蹴った子が、転んだ子が体を強く打たないようにさっと手を出す。転んだ子の勢いは、その手に触れるほど強いものではなかったですが、さっと手が出たんです。そして、使わなかった手を引っ込めて、転んだ子に「大丈夫?」と。
当たり前のこと ― そう思われるかもしれません。でも、これは特別なことでした。
私は本当に嬉しかったです。心配して手を出したことが、とても、本当に、嬉しかったです。そして、その後の、「大丈夫?」の一言も。
この子は、ある特定の子とはとても仲がよく、表情もとても素直に出します。その、仲の良い子と一緒にいる時はとても子供になって、体もよく動いているし、声もよく出ているし、表情もいきいきしています。
でも、その他の子とは少し距離がありました。別にこの子が悪いわけでもなんでもありません。本来、この子には何の責任もないのに存在する距離 ― この距離が気になり、ずっとどうしようか考えていました。
考えて働きかけをしても、それがすぐに効果を出すことはなく、考えて、考えて・・・働きかけては様子を見て・・・という日が続いていました。
これまで何年も子供たちを見てきています。じっと待たなければならないことがあることも、焦ってはいけないことがあることも、私も十分にわかっています。それに、働きかけたところで、今の私の力で、この距離をすぐに取り除くことができるかと言えば、正直、そんなことはできないかもしれません。
でも、一年は長いようで短いものです。何もしなければ、一年はあっという間にたってしまうんです。
できるかどうかではなくて、これは、コーチとしてやるべきことなんです。努力することはできるんです。
今のクラスで練習をするのは一年間。だから、この中で得られるものは得られるだけ得てほしいと思います。ここにいる中で得られる成長は、できる限りしてほしいと思います。
どこまで伸びるのかということをおそらく本人はわからないでしょうが、この年代の子はとてつもなく伸びるんです。たった一年でも、存在の掛け合わせの力は非常に大きく、それが力を発揮した時には、その伸びには限界などありません。
それをこの子にもしっかり知ってほしくて、この一年を大切にしたくて、考えて働きかけて、・・・なんてことを繰り返していたのでした。
そして、今日見れた、一見、当たり前の、でも、実は大きな意味のある光景・・・。
実際に、私たちの働きかけが効果を上げたのかといえば、そうでない確率の方が高いでしょう。
でも、こうして自然に他の子に接する姿を一日も早く見たいと思っていたので、例えそれがコーチの働きかけの結果でなかったとしても、それはそれとして謙虚に受け止めて、そんなこととは全く別に、ただ嬉しいんです。
はじめの一歩 ― 歩き出したんですよ。
もちろん、これからまだまだ伸びていかなくてはいけません。距離だって、まだ全てがなくなったわけではありませんし、私との距離も、まだ残念ながらあります。これも私の責任、問題です。力不足を痛感しつつ、でも方法を見つけ、絶対に何とかします。まだまだ伸びることができるんですから。油断しないで、妥協しないでしっかり見ていきます。とにかく、私は私にできることをするだけです。
それに、例え私の力が及ばなくても、一歩自分で前進した子、前進させた周囲の子たち・・・この子たちならやってくれる、そう思っています。
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