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2010年9月22日 (水)

やってしまった

(通信No.21より)
基本を忘れてはいけませんね、そんなことをつい最近、子供たちから教わりました。
4月は色々とルールのことで話をする機会がありました。クラスが変わり、新しい一年が始まる月なので、通常より話をする機会が多かったかもしれません。毎回、同じようなことを言っていると「またか」というような感じになってしまいますが、ルールを守れないとケガ・事故の起こる可能性もありますので、守るべきことは伝える必要があります。スクールで子供たちに言っているルール、これはスクールを楽しく行っていくために必要な、これだけは守らないといけないという、最低限度のことです。
さて、新年度のスクールが始まってから3週目の木曜日。
あるクラス・グループの休憩中に、ボールがネットを越え、コートの外に出てしまいました。意図的に、ボールをよほど高く蹴らないと、なかなか越えない高さのネットです。ネットに向かって高くボールを蹴ることは禁止しています。
幸い、外に出たボールはバイクのコースには入りませんでしたが、もう少しで入りそうな場所に転がっていて、一歩間違うと大きな事故につながるところでした。おそらく、そのボールを蹴った子は、そんな大変なことだとは思っていなかったのでしょうし、他の子も同じようにボールを蹴っていました。「誰が悪い」ということではなく、そういうことが起きる雰囲気になってしまっていたのでしょう。
その直後に、ルールの大切さを話すため、一緒に練習していたグループの子をみんな集めましたが、集合するときも、みんなが自分の好きな事をしていて、団体としてはバラバラでした。すぐに集まる子、ボールを蹴りながら集まる子、まったく集まる気配のない子...。
まったく集まる気配がないといっても、それはその時にやりたいことにのめり込んでいて他の人の声が聞こえないという子もいると思うので、それがよくないことだと一概には言えませんし、集まるときにワクワクするようなことがあればきっとすぐにみんな集まるでしょうから、そんなワクワクさせる力を私が持っていないということなのでしょうが(悲しい事実...)、伝えたいことを伝えられない状態、話をしたい人がいるのに話を聞けない状態は良くありません。ルールの大切さを話すと同時に、集まる時は早く集まること、コーチが話をしている時には話を聞くこと、この二つを守るよう、子供たちには言いました。また、ルールについては、内容を若干修正し、さらにわかりやすくするため掲示をすることにしました。
そして、その翌週。
子供たちには、掲示されているルールを確認してからコートに入るように言いました。練習中は低学年の子でもしっかりルールを守っていて、安心しました。子供たちにとっては、遊びを制限されているようで、もしかしたら、つまらなかった子もいるかもしれませんが、楽しみなシュート(ルールで禁止しています)ができないとわかると、リフティングやドリブル、フェイントの技を練習する子、短い距離でのパスを楽しむ子など、それなりにみんな工夫をして、ルールを守りながら、楽しむことができていました。
そして、練習終了時、集合の合図をするといつもより早く子供たちが集まりました。機械的にただ早く集まるのはあまり好きではありませんが、友達とちょっかいを出し合いながらも走ってきたり、リフティングをしながらも早く集まろうとしていたり、形は様々でも早く集まろうとしている様子がよくわかりました。こんな、「遊びたい、でも集まらなきゃ」「集まらなきゃ、でもちょっかいだしちゃおう」という感じで集まる時が、私は結構子供らしくて好きです。
―が、みんなが集まっている中、集まらない子、というか早く集まろうとしていない子がいます。
みんなで共通認識を持った直後だったので、みんなの前でその子に注意をしました。―が、一回目の注意で伝わらず、二回目でも伝わらず、という様子でした。私も大きな声で結構しつこく言いましたが、全く伝わっていない様子でした。
この子は普段、良く話しかけてくれますし、単純な練習やゲームでも、一生懸命に取り組む子です。悔しさも嬉しさもプレーで表せる、子供らしくとても素直な子です。その子が素直に注意を受け入れなかったー「何かおかしいな」・・・あとで冷静に考え、気づきましたーそうです、私の注意の仕方をもっと考えるべきでした。
その時の注意の仕方は、“みんなの前で大きな声で、その子のみに”注意...一見普通の注意かもしれませんが、これではみんなから注目される形になってしまいます。他の子からの視線も感じたことでしょう。このような状態では、他の気持ちや感情が混ざってしまって、コーチからの注意や話を素直に受け取ることはできないでしょう。私も子供の頃、学校で先生によく注意をされましたが、みんなの前で注意されたり怒られたりした時には、「みんなに見られてる」ということが頭にあって、先生の話などまともに聞けませんでした。「わかったから(本当はわかっていないのですが...)早く終わらせて」そう感じながら話を聞いていました。もちろん頭にも心にも注意された内容などしっかりとは入っていません。そしてまた注意をされるのでした。トホホ。
―情けない私の話はさておき、その子が最初に早く集まらなかったのは、ゲームでのプレーに満足がいっていなかったのかもしれません。他に理由があったり、精神的な成長過程の表れなのかもしれません。もしかしたら理由などなかったのかもしれません。
しかし、いずれにせよ、最初に注意をした時の反応から、注意の仕方を誤っていることに気づくべきでした。もちろん、みんなで決めたことや守るべきことを守らなくて良いということはありませんし、みんなの前で注意をすることが必要な場合もあるでしょうが、それでも、その時はしっかりとその子にわかって欲しいだけだったので、もっとお互いに理由がわかるような、しっかりと伝えられるような方法をとるべきでした。
その時その子がとった、一見“素直でない”行動は、実は“素直な行動”で、私がつい考え忘れていた部分を気づかせてくれました。これが「うん、わかったよ、コーチ。注意してくれて有難うございました」みたいな顔をされていたら、きっと私は気づかずにいたでしょう。
子供へ注意をするという機会は、子供と付き合って行く上ではたくさんあります。注意の仕方には気を配らなくてはなりません。しかし、恥ずかしいことですが、慣れからか、その辺に関する自分の意識が薄くなってしまっていたのだと思います。「あ゛~、やってしまった」という感じです。←わかってもらえないかもしれませんが反省しています。
慣れてくるとつい見失ってしまうことがあります。この“つい”は、子供のプレーや行動を見誤る原因にもなる可能性があります。また、慣れからくる“つい”には他にも色々なことがありますが、良い結果を生むことはほとんどありません。
この“つい”がなくなるよう、改めて注意してスクールに取り組んでいきたいと思います。それに気づかせてくれた“素直な”子供にはすまないと思うと同時にサンキューです。
それから...先ほど、「集まる時にちょっかいを出し合いながら」が好きだ、みたいなことを書きましたが、もちろん、ふざけるのを推奨しているわけではありません。でも、ふざけることも大切だと思っています。ふざけるというとちょっとニュアンスが違うのかもしれませんが、子供の時に経験すべきイタズラや悪ふざけ(子供としての等身大のイタズラとでもいうのでしょうか)は必要なのではないかと思います。もちろんその内容は年齢や発達段階によって違うでしょうし、それが大きな事故につながったりしてはいけません。先ほどの、ネットを越えたボールのように、大きな事故につながるような行為は、例え子供が楽しめるものでも、ダメだという必要があります。「ちょっとふざけてしたことが大きな事故につながる」こんなことはあってはいけません。
ただ、それでも、ニュースなどで子供自体が加害者や被害者になってしまうような悲しい事件を聞くと、もしかしたら、大きな事故につながらない、子供らしいイタズラや悪ふざけが、少し足りなかったのかなと思うこともあります。
子供のイタズラは、見ていると、それが原因でケンカが起こったり、逆にケンカの仲直りの種になったり、初めて会う子を受け入れるきっかけになったり、逆にちょっと良くない方向にいってしまったり、他にも色々なことを生み出しますが、その中から、やっていいこと・いけないこと、友達との関わり方を子供達なりに学んでいるようにも思います(さらに創造性を育んでいるのは間違いありませんが)。
そう思うと、イタズラ坊主(おっと失言!)スクールの子は、かわいく、たのもしく、私の目には映るのですが、いかがでしょう。―あ、いたずらっ子が多いことを認めてしまったようなものですね、つい・・・“つい”!? (成長しないコーチ・・・)
何はともあれ(すごいまとめ方)、今後も良い空間になるよう、努力したいと思います。
今後とも、よろしくお願いいたします。

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