取り取り
(2009年9月 通信No.85より)
「自分の子が足を引っぱっているように思えて、つい子供を怒ってしまった」なんていう経験、皆さんはありませんか。私も、自分の子のミスが原因で、他の子の努力が台無しになってしまったら、怒ってしまうかもしれません。
自分の子を大切に思っていれば、他の子が大切に育てられていることもよくわかります。
自分の子が頑張っていれば、他の子が頑張っていることもよくわかります。ですから、その子たちに嫌な思いをさせるのは申し訳ないと思う方もいらっしゃるでしょう。
でも、本当は、見ている方が、自分の子が「足をひっぱるかどうか」心配にならなくてはいけない試合なんて子供には必要ないし、本人たちもそんな風には考えていないのではないかと思います。見ている人がこう思ってしまう環境に子供たちのサッカーがなっていること、試合をそういう意味を持つものにしてしまっている環境が問題なんでしょうね。もし、子供が「あいつが足を引っ張った」なんて思うような感じのチームなら、そのチーム作りは間違っていると私は思いますが。
・・・そうそう、子供の頃、ドッヂボールの時とかに取り取りでチームを決めませんでしたか?
『取り取り』・・・リーダー格の2人でジャンケンをして、勝った方から、「○○がいい」と言って、チームメイトを選んでいく。
当然、上手な子から先に選ばれ、その遊びが不得意な子はなかなか選ばれず、ちょっと嫌な気持ちに・・・。それでも、毎回、「ドッヂボール、やりたい人?」と聞くと、そのなかなか選ばれない子も「やる」と言って来ませんでしたか?
もし、本人は気が進まなくても、友達が「やろうぜ」と声をかけ、やりに来ることが多かったでしょう。
残酷なようですが、「あり」ですよね。だって、「勝ちたいから強いヤツを選ぼう」だけでなく、「(上手じゃなくても)アイツが好きだからアイツと一緒になろう」とか、他にも「アイツには前に負けたから、違うチームになろう」「アイツとアイツは仲がいいから同じチームにしよう」「アイツ、元気ないな。同じチームになろう」など・・・色んな思いが含まれていましたもんね。
その上で決めたチームだから、そりゃ、負けたら悔しくて、ある程度の文句や不満を言っても、誰が足を引っぱったなんて言うことはなかったですよね。もしあっても、適当な大きさの言い合いやケンカが起きて、そんな時は誰かが、言われた子の気持ちを考えて、「そんなことを言うな」と言うなど、ちょうどいい大きさで収まって。そして、もちろん次の休み時間も『取り取り』。
それに、取り取りの評価は、ドッヂボールで「頑張れば、次は早く選ばれる(強くなったと仲間に認められる)」こともあって、固定的なものではなく、頑張り次第で変えられました。友達の声でも変えられました。
そして、当然のように、ここに限っての評価 ― 休み時間が終わり授業に戻れば、取り取りでなかなか選ばれなかった子が知識の豊富さで周囲に認められ、グループで答えを考える時には頼れるリーダーになることもありました。
他にも、図工で「すげー!」、音楽で「うまい!」、冗談で「面白い!」なんて認められたり。
体育の時間だって、足がみんなのように速くなくても、力強さで活躍できる子がいました。
ちょっと残酷な(?)取り取りは、嫌な思いも少しはあるでしょうがその時だけのものでした。
こう考えると、昔の授業の感じ、雰囲気って良かったですよね。
一人一人のことを、先生だけでなく、周囲の子が見る時間がたくさんあって。泣いている子の様子が気になり、授業が中断することもありましたもんね。
みんな、普段の友達のことをよく見ているから、自分にも得意なことや苦手なことがあることを知っていて、友達にも得意なことと苦手なことがあることを知っていて、そして、それをわかった上で遊んでいたから、「足をひっぱる、引っぱられた」なんて、大人になった私たちが思うほどには思ってなかったんじゃないかと思います。そんな毎日を子供たちは楽しんでいましたよね。
取り取り、得意、不得意、自分、友達・・・たくさんのことを含んだドッヂボール。
ドッヂボール、子供たちは真剣ですよね。
サッカーも、真剣ですよね。同じじゃないですかね。
サッカーも、そういうサッカーならば、みんな、「また明日もやろう」になると思うのですが。
「負けたのはお前のせいじゃないよ。明日もやろうぜ」「うん、明日もやろう」になると思うのですが。
こういうサッカーをしていたら、見ている側が先程のように思うことはないでしょう。メダル、賞状、順位なんてものを必要以上に気にしないでいい環境で子供たちがプレーしていたら、先程のようなことは思わないでしょう。
プレーする子が楽しそうで、見ている人が笑顔で - こういうサッカーがたくさんありますように。
=付け足し=
ちょっと話がそれるかもしれませんが・・・ある日のU-12クラスのゲーム。ある子がシュートをしようとした時に、そばにいた味方の子がそのボールをシュートしてしまい、しかもそのシュートが外れ、チャンスを逃すということがありました。
こういう時に、「邪魔すんなよ!」とか、「俺がシュートしようと思ったのに」くらいは言うことがあるでしょう。でも、ボールが自分のところに転がって来て、シュートを打てる場面でしたから、そばにいた味方の子が蹴ってしまっても、別におかしくありません。実際に、プロの試合などでもよく見る光景です。相手にずっと覚えられているような失敗ではないでしょう。
が、この時に、「また“あの時”のように邪魔したな」という言葉が出ました(実際にはもっと具体的な言葉でした)。言われた子は、“あの時”のことも含めたような表情で謝っていましたが、そんなのおかしなことです(“あの時”が、かなり前のことなのは確かです)。
実際に、「現時点でのうまいかどうか」ではなく、今後「より上手になっていくかどうか(成長していくかどうか)」という点では、言われた子の動きやプレーの方が、ずっといいのです。
もちろん、言った子には話をしましたが、もっと問題なのは、そう感じてしまうサッカー、一生懸命にしたプレーを、こう捉えられてしまうサッカーがあるということでしょう。
子供たちが、「子供の挑戦」をたくさんできるサッカーをずっとしていたなら、こういう言葉は滅多に出てきません。本来求めるべきものを求めているサッカーなら、こんな風に思い出されることも、こんな風な言われ方をすることもないでしょう。
挑戦し、失敗してもいいということがわかったら、もっと適当な大きさで捉えるはずです。
失敗は誰にでもある、チャレンジした証拠。それに、一生懸命になれば周りを見れなくなることもある・・・この子のしたようなプレーを、「邪魔」とか「あいつのせいで」と思うような選手にはなってほしくはありません。
子供の大きさ、子供の責任、子供の自由・・・そんな子供のための、子供のするサッカーを!
=サッカースクール ソラ=
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