見えなくなるもの・・・
(2006年6月 通信No.42より②)
家に帰ると、玄関で子供のクツが飛び散らかっている,或いはランドセルが投げ捨てっぱなし・・・こんな光景、よくありますよね。
「だらしないなぁ」と思いつつも、小さい頃からの成長を見ている皆さんは「相当急いで家に入ったな」「トイレでもガマンしてたのかな」「きっと帰ってすぐにジュースでも飲んだな」「友達の家にすぐに遊びに行きたかったんだな」・・・というところまで、イメージできちゃうんでしょうね。
子供たちのプレーを見ていると、いつもと同じプレー、いつもと違うプレー、その子にとっては珍しいプレー、ずっと挑戦を続けているプレー・・・などなど様々なプレーを見せてくれます。
一見、普通のプレーでも、ずっと挑戦を続けていたことを知っていれば、すごいことだと思えますし、嬉しく感じます。ちょっと雑なプレーでも、それまでの経緯を見ていたら納得できることもあります。
子供のやっていることですから、日常生活もサッカーの練習も同じですね。
その現象が生まれる前の段階の行動を、一緒に見ていたり、知っていたらわかることがたくさんあるんですよね。でも、気がつくと一緒にいる時間が短くなったり、見ていない時間、知らない時間が多くなって、その現象の前の段階の状況をイメージできなくなったりして、それで、その現象に対する捉え方に差 - 過去と現在の捉え方の差,子供と自分の捉え方の差 ― が、生まれてしまい、成長に気づかなかったり、困っていることに気づかなかったり、一緒に喜べなかったり、悲しめなかったり・・・なんてことが、私達コーチや親御さんにも起きてくるのかもしれませんね。
日常の中での成長に、皆さんきっとたくさん気づいてあげられているのだと思いますが、私はサッカーコーチなので、サッカーのことで話をすると、子供たちを支えている人間が、そういう成長に気づくことは、ちょっと難しくなっているのかもしれませんね。今やサッカーは人気スポーツ。あらゆるところで「すごい少年」を見る機会が増えています。また、大会での戦績で評価を与えられることも増えています。周囲に見えるものが増えたことが原因で、見えなくなったものがあるのかもしれません。周囲(スクール生以外の子の空間)の様子を見て、最近ちょっとそんなことを感じます。
- 普段の生活では、授業時間や習い事が増え、少しずつ一緒にいる時間は少なくなっていきます。サッカーでも、自分で練習する時間が増えたり、親やコーチの前で練習する機会は少なくなっていきます。それは仕方ないことです。だからその分、こっちが色んなことを思い出し、見えない時の姿をイメージすることが必要ですね。「転んだ時はいつも泣いていた」とか、「ヘラヘラしてても実は傷ついてた」とか、「器用じゃないから周囲の子の何倍も努力してた」とか・・・。
コーチも、その時の現象しか見えず背景や経緯を摑めないと、現象の捉え方が浅く、子供を伸ばすことなどできません。子供のそばに普通にいること、これは大変なことなのかもしれません。でも、伸ばそうと思ってそばにいる以上、そういった背景や経緯を常に思い出す、イメージすることを忘れてはいけないと思います。そんなことも感じて、グラウンドに立ちたいと思います。
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