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2010年9月22日 (水)

やっと「ホッ」-安全第一

(2005年9月 通信No.27より)ずっと気になってしまうこと、早く安心したいこと、そんなことがスクールをやっていると、たくさん出てきます。たくさんの子供と会うので、しかも子供達はいつも表情が違ったり、色々なことに敏感に反応するので、これは当然といえば当然ですが。ちょっと前も、実はそんなことがありまして・・・。

スクールを開催する上で一番大切なもの、それは“安全”です。
これは他の何よりも優先されるべきです。楽しいからといって危ない行動が許されてはいけません。子供の気持ちを優先させたいからといって、大ケガが起きそうなのを放っておくわけにはいきません。もちろん、“危険”という段階に発展しそうにないことは、(多少の失敗が必要なのはみなさんもおわかりでしょうが)逆に大ケガを防ぐ力を身につけさせるという意味でも、見守ります。大歓迎です。
ただ、大ケガに発展しそうなことや事故に発展しそうなことは、防げるのなら防がなくてはなりません。
ふざけているとも(集中していない)、楽しんでいるとも、両方の見方をできる行為や雰囲気に対しては、それが大ケガに発展しそうなことの前兆なのかどうか、見極めるのが非常に難しいものです。
それでも、コーチの人数や状況によっては、そのような場合でも、もう少し様子を見てから、もうちょっと行為や雰囲気が発展してからでも、(それが大ケガに発展しそうなことだと判断したら)すぐに修正をすることができるのであれば、それまで様子を見ることができます。そうすることによって、より自然な雰囲気の中で伸びる部分があれば、それを伸ばすことができます。しかし、同じような行為、雰囲気でも、コーチの人数が少なかったり(大変に申し訳ありませんが、「ソラ」になる前にはそのようなことが数回ありました)、人数は足りていても何らかの理由で役割分担がいつもよりうまくいっていない時には、もう少し様子を見てからでは修正をできなくなる可能性があるため、その前の段階で行為や雰囲気に対して、注意を与えるなどして修正をしなければならないことがあります。
そのため、見た目は「同じ雰囲気なのに」注意されたり、または注意されないことがあり、子供にとっては、「どっち?」と疑問に思うことも出てきてしまいます。こちらでは明確なラインがあっても、子供達にはわかりづらいことでしょう。それが続くと、子供がコーチの顔を見て行動をとるようになることもあります。これはコーチにとっても、子供達にとっても良くありません。そんな基準で行動を決める、決めさせるべきではありません。可能であれば避けたいものです。ただ、それでも守るべきものとして、子供達の安全に勝るものはないので、その優先順位を守るために、そのような注意をすることがありました。
ケガを避けることに意識が向くあまり、言い方も、表情もちょっと厳しくなってしまいました。
そんなことの何回目かに、注意をしようとした時(すでに私の顔はちょっと怒っています)、一人の子の、私を見る表情から、その子が「あ、コーチが怒る」と察したのがわかりました。それからその子は友達に注意もしてくれましたが、それは、どちらかというと怒られないようにするための注意で、(当然と言えば当然の行為ですが)かなりダメージを受けました。これは間違いなく私の責任ですので。
その子はとても伸び伸びしている子で、実は楽しい雰囲気が大好きなのは、よく知っています。冗談に絡んでくるタイミングもなかなか絶妙なものを持っています。いいところを突いてきます。
でもまだ2年生。その時は、私が注意をするから、自分も友達もそうならないよう、気持ちを抑えているように見えました。もちろん、年齢に関係なく、コーチが間違ったことを言っていたら「違う」とコーチに言えなければなりませんし、自分の思ったことを伝えることは必要ですが、「ふざける」ということは実に微妙で、「楽しんでいる」との差を認識するのは(特に友達のそれを認識するのは)非常に難しいので、抑えることになるのはある意味当然でしょう。その子も、他の子も、普段は思ったことを私にどんどん言える子ばかりですが。それでも、抑えるくらい、微妙なことで、さらに、その時の私の雰囲気がそれを助長させてしまったのでしょう。大いに反省です。
その子は「しゃべりながら練習する」時も、「黙々と練習する」時もあります。コーチが何かを言わなくても、自分で好んで、「しゃべりながら」の時も「黙々と」の時もあるのですが、両方に共通しているのは、その時の表情は、目、手の先、足の先までしっかりとエネルギーを持っていて、しっかりと動いているということです。
見かけ上は全く違う行動ですが、本質は同じなのです。身体全体で楽しんでいるのです。

ただ、その日そんな注意の仕方をしてしまったので、それからは、「黙々モード」の時はもともとの表情と変わりませんが、「おしゃべりモード」の時は99.9%くらいの“はじけ度”のように私には見えるようになりました。
100%と99.9%、その差は0.1%ですが、この差は大きいと思うのです。うすいけれど、でも見方を変えればしっかりと幅がある紙が、一枚挟まっているような感じです。「楽しそう、だけどもっとはじけられる子だったよな」そう思うことがあり、ずっと気になっていました。
本人は意識していないかもしれませんが、無意識のうちに私との関係の中で、スクールの中での「おしゃべりモード」のラインを設定してしまったのかもしれません。―これは何とかしないと、そう思っていました。
“その時のことを振り返って言葉で説明”でもいいのかもしれませんが、時間がたっていますし、もし本人が無意識のうちにラインを設定したのであれば、意識的に働きかけてもそれはなかなか外せないと思いました。
ですから、何とかするといっても、いつものようにスクールをするということしかできないのですが。
ただ、その中で、もう一度、自然に彼のおしゃべりモードがラインを超える、ラインをなくしてしまうのを待つのが一番いいと思いました。ひたすら“いつものスクールを”に徹しました・・・。
実はサマースクール中も、そんなことが頭の片隅にありました。
そしてサマースクールの第3週、この日におしゃべりモード100%! (いや、それ以上!?)の顔を見ることができたのでした。サマースクールは毎回楽しかったですが、この日は特に楽しく、嬉しくなりました。
子供は色々なことに興味を、常に持っています。それが良さです。だから、注意されたことをすぐに忘れてしまうことも少なくありません。それを超える、忘れてしまうくらいの楽しいもの、気になるものをたくさん持っているのです。また、すぐ見つけてしまうのです。さらに、注意されている時でさえ、それが興味の対象にならない話や成長にあった話でない時には、言葉は心には入らず、話を聞いているそばから、他に何か楽しいことを見つけてしまいます。だからこそ、彼らの体、心にきちんと収まるように話をしなければならないのですが(この点については悪銭苦闘の毎日です)。
言われたこともすぐ忘れてしまうような性格であったり(誰でしょう?)、もっともっとわがままであったりすれば(これも誰でしょう?)、ずっと100%のおしゃべりモードでいけたのでしょうが、彼の場合は、性格的に、発達段階的にある意味とても素直に受け入れてしまったのだと思います。
チームと同じように、一人一人が頑張っていても、ただ頑張るだけ、バラバラに頑張るだけでは良い空間はできないものです。先ほども少し触れましたが、コーチの人数的なものだけでなく、役割分担という部分でも、少しでもよりよい環境を提供できるよう、努力していきたいと思っています。彼のおしゃべりモードで見せたハッスルプレー、ナイスプレー、さらに周囲を楽しい雰囲気に持っていく様子を見て、反省するとともに、より強くそう思いました。
そして、彼のそんな表情を見れて、やっと安心できたのでした。ホッ・・・。
繰り返さぬようにせねば・・・。
ただし、だからといって甘くはなりませんよ~。
これからも「こら、小僧!」「やい、坊主!」などの言葉はじゃんじゃん言ってしまうでしょう。でも、だからきっと子供達も私に向かってあんなにひどい言葉を(うぅっ:言葉につまってしまう)、いやいや、様々なぴったりの(若い頃ならきっと傷つく?)形容詞を言えるのでしょう。
もちろんそんな言葉には負けませんし、傷つきません。良かった、ダテに年をとってないぞ。
そんな言葉を聞くと、私は「大丈夫だな、こいつら」と、さらに“ホッ”とするのです。
そういう“ホッ”は結構あるのですが。
―ちなみにサマースクール最終日もU-9クラスは注意をしているそばから、みんなで「クックックッ」。
自分も子供の頃に経験がありますが、友達と怒られている時は、なんか顔を見合わせるとお互いにおかしくなっちゃうんですよね、連帯感? 仲間意識? 怒られているのに、おかしく、嬉しくなっちゃんですよね。
そしてまさに「火に油を注ぐ」というか注ぎまくり! 状態によくしてしまいました・・・(しまった! いつの間にか回想になってる!?)
本当に子供は面白いですね。

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