コーチの仕事って
(2007年9月 通信No.61より)
■貫禄
7月、U-12クラス、ある曜日のストレッチ中・・・話の流れ的に、私が「あ、ごめん、実は俺、仙人だったんだ」と言うと(←どんな流れだ・・・)、子供たちが「ウソだー!」。
「ホント、普段は雲の上にいる」・・・と言ったものの「あれ、雲の上にはいないよな」と思い、「それとか山奥にいる」と付け加えたのですが(そういう問題じゃないですよね)、この“雲の上”に子供が食いつき、「はー? ぜってい(“絶対”のムキになった時の発言型)ウソだ!」とある子が言い、さらに他の子が、「(雲の上に)行ってみ! 5分でいいから行ってみ! 絶対無理だから!」と、顔を真っ赤にして力いっぱい声をあげ・・・・。
『お前ら、ウソだってわかるだろ。そんなムキになるなよ。それに「5分でいいから」って・・・長いよ! 俺には5秒だって無理だ、雲の上に行くなんて。』(以上、心の声)
その後、ちょっと練習をしてから休憩に。数人が「トイレ行ってくるー!」と。
すると、さっき「5分でいいから行ってみ!」と言った子が、素の顔で「あ、トイレ・・・」と言いかけた後すぐに「あぁ・・・、トイレ行っていい?」と言い直しました。
あれ? 何で言い直した? 言い直してそれ? -ん? 普通にしゃべりそうになったところを敬語に置き換えようとしたんじゃないの?
どうやら逆だな、丁寧に聞きそうになったところを普通の言葉に直したんだな。
んー・・・、それにしても、子供たちが、こんなにコーチに突っ込んでくるスクールって・・・。
練習中も、見本を見せる時に失敗すると嬉しそうなんですよね。見本が上手くいくと、「今ゆっくりだね」(=「だから上手くできたんでしょ」の意)やら、「もっと速くやってみて」(=「きっと失敗するから」の意)などという言葉をかけ、“挑発”してきます。そんな言葉を受けて速くやる時もあります。それで失敗すると嬉しそう。逆にそれでもうまくいくと「じゃぁ、もっと速くやってみて」とまたムキに・・・。
見本って、きれいなのを見た方が嬉しくないの?? ? 君たち。
いったい彼らは私のことをどう思っているんだろう?
あの話し方、表情からすると、友達・・・いや、友達ならもっと優しくしてくれるよな。
ライバル? ・・・でも、ライバルだったらもっと敬意を持っても良さそうだし・・・。
生意気でうるさい人? ・・・んー・・・たぶん、これだな。
コーチに対してこの態度。
尊敬しているわけでも憧れているわけでもないコーチのいるスクールに(普通はもうちょっと“キラキラ”している目でコーチを見ると思いますが、あいつらの目はギラギラしている・・・)、いつもここに来てくれているということは(ちなみに「仙人」の話をした日は“雨”!)、コーチではなく、色んな友達に会えるこの場が好きで来ているということなので、(ちょっと悲しいですけどぉ)実はこんなに嬉しいことはないのですが・・・。
まぁ、こんな“貫禄”のない私ですが、かわりに豊田コーチに貫禄が・・・あ、まだな~い! だって、今はまだまだ“エネルギー”、“情熱”、“若さ”が持ち味の時期ですから。私にはないすがすがしさ、躍動感があります。
・・・ということは貫禄ある人物不在? えーっ、それは困る・・・
あ、ああ、あああ、いたぁ! 見学されている皆さん、貫禄ありますよ~! 良かった、良かった。これで安心。
■コーチの仕事って
そして他の日のU-12クラス・・・この日、私は5・6年生のゲームを見たのですが、期間的なポイント・目標としていることが、多少はできているけれども(学年を考えると)まだ良くなりそうなので、プレーの吸収状況を確認するために私もゲームに参戦。
すると、ある子から「コーチが(ゲームに)入ると何かシラける」という言葉が。
コーチとしてこんな言葉を言われることは対外的にかなり格好悪いことなので、わざわざ取り上げることもないかと思うのですが、実際にグラウンドであったことですし、今さら格好つけるようなキャラクターでもありませんので。それに、今までの接し方(これからも変えませんが)からもらった言葉なので(=自分の責任)載せちゃいます。
こういう言葉をそのまま受け取るようなことは私はしません。私自身、子供の頃にちょっとかまって欲しい人に嫌な言葉を言うこともあったし、じゃれたり、言い合いを求めることもあったので、(この子が私に好意を持っているのかどうかは別として)「私」に対する子供の言葉には、まず感情的には反応しません。子供が、他の子供に言う言葉や、豊田コーチに対して言う言葉には、子供の理解の度合いによって、話をするようにしていますが。
もちろん、私も人間なので「子供に好かれたい」という気持ちはありますが、あくまで「育てる」のがやりたいこと、やるべきこと。好かれた上で子供が伸びたら、それは結構なことですが、何よりも嬉しいのは(例え好かれなくても)子供が伸びること。これは格好つけているわけでもなく、これまでに色んな子と接してきて、色んな場で色んな子を卒業させてきて思っている自然なことです。あ、「好かれなくても全然平気」なんてことはありません。そりゃ、残念だし悲しくもなります。それでも、「子供が伸びれば、別にそれでいいや」―このスタンスでここまでやってきた上でのことなので、今回の子供の発言も自分の中では納得できることなんですよね。話すと長くなるし熱くなるのでこれ以上お話ししませんが、「子供を伸ばすこと」にこだわるために作ったのがソラですから(来た子は必ず伸ばします!)。
さて、この日 ― 私にそう言った子に対しては、練習が始まる前から、実はかなり厳しめに(ゲーム中のプレーには)私がプレッシャーをかける予定でした。かなり前にも、この子には同じようにかなり厳しいプレーで接してみたことがあります。その時に、すごく強い動き、速い動きを見せたので、機会を見て、この刺激を与えるようにしているのです(ここではこの子に対してどう接する予定だったかということを取り上げていますが、同様に、他の子にも、「この子はこういう感じで働きかけて今は伸ばす」というものがあります)。
この日は、先ほどの言葉を言った後なので、その子は「さっきの言葉を言ったから」と誤解してしまう可能性もありましたが、これで行く必要があったので、決行!
かなり厳しくボールを奪い、可能な限り負かそうとしました。
あ、「コーチなんだから、勝つに決まってるでしょ」なんて思ってる人、います?
そんなことないんですよ~、私ですから! そして、相手の子だって、十分に育ってますから。
そのゲームの中で、(やりあう中で)こんな場面がありました。
その子のドリブルしていたボールがラインの外にでる。普段なら、ボールをドリブルしていた子に「出た・出ていない」を判断させ、その子がプレーを続けたなら続けさせます。
―が、この日は、その子はプレーを続けましたが、私が、「出てる。こんなの(自分で)気付かなきゃだめだ」と言って、ボールを返させました。
その時、彼がコートに戻るのと私が外に行く際に、たまたま彼の肘と私の肘がぶつかりました。別に私は謝らず。そうしたら、次にボールが外に出た時、今度は、すれ違いざまにその子から私に腕をぶつけてきました。私はこんなの、大好きです。暴力を振るうとかでなく、汚いことをするとかでもなく、悔しいこと、お前には負けないということを相手に伝える。簡単にあきらめるのでもなく、ムキになれる。相手がコーチだって、ゲームを一緒にやっていれば関係ないでしょう(こういう段階に全ての子が来ているわけではないので、まだそういう段階にない子に無理やりこのようなサッカーを強いることはしません)。
楽しみ方は、「今の年代、現時点での経験、現時点での好きさ」で違うのです。でも、サッカーを好きになればなるほど、年代が上がればあがるほど、真剣にやった時の、こういう勝負、こういうゲームがしたくなるんです。
今、ふざけるような感じでゲームをすることもありますが、それも、後でこういう真剣なサッカーの楽しさを知るためです。段階があるんです。先に、まだそこまで耐えられない状況で無理にここまで真剣なサッカーをやり、形だけでそれを覚えてしまうと、その後で、ふざけるようなサッカーを知った時に、(それまでにその楽しさを知っていないと)そっちにのめり込んでしまうこともあります。そうなると、本来、心の発達的にも、体の発達的にも、真剣なサッカーに耐えられる(そういうサッカーの中で、心身ともに成長できる)年代なのに、それに耐えられず、本当のサッカーの楽しさや自分の可能性を知らないで終わってしまう可能性もあるのです。それでは順番が逆なんです。ふざけてやる、手を抜いてやる楽しさは、真剣にプレーする時の楽しさ、悔しさには到底かないません。そうならないためにも、年代、クラスによって、“今”楽しむべきサッカーを楽しんでいるのです。
あ・・・すみません、話がちょっとそれました。戻します。
そう、そうして体をぶつけてくるほどムキになって「対決オーラ」を出している子。
でも、ゲーム中、彼が浮いているボールをコントロールしようとしている時に私が奪いに行くと、そのボールがほんの少し彼の腕に当たっただけなのに、プレーを続けるのを彼は自分でやめました。“明らかにやめる”というのではなく、「手に当たったから本当は俺のボールじゃない」という感じで、相手(私)にボールを譲る格好です。本人がどう思ったか知りませんが私にはそう受け取れました。そこまで思っていなくても、「手に当たったことを黙ってプレーをそのまま続ける」気がなくなったのは確かでした。つまり、ムキにはなっていても、頭にはきていても、正々堂々とプレーしているのです。ずるをして勝つのではなく。
他の場面でも一生懸命やっていたのはわかります。だからこそ、この「対決オーラ」を出している子の挑戦を、適当に私が受けるわけがなく、できる限りのことをしたのでした。
もう6年生。生意気な口だってきく時期です。うまく気持ちを伝えることができないことだってあるでしょう。私達も、接し方を考えなければならないでしょう。でも、接し方を考えることはあっても、逃げるようなことをしてはならないのです。
この日は、最後までバシバシ行きました。
この子のプレーは2年生の時から見ています。この子が急激に成長したのは、4年生の時のサマースクール。もちろん、それまでも子供らしいすごい速さで上手になっていました。しかし、それまでとは全く質の違う成長でした。それまで、ただ可愛かっただけの表情を見せていたこの子の表情に、強さが加わりました。また、子供から大人に向かう途中の複雑な表情も時おり見せるようになりました。子供らしさ、男らしさ、素直さ、素直になれない苦しさも。
それぞれの段階で、一人一人、伸び方は違いますが、しっかり成長してほしいと思います。
一人一人、“今”楽しむべきサッカーは違っていいのです。
今の彼らが、それぞれの立場で楽しむべきサッカーに優劣などありません。
どれも、素晴らしいサッカー、魅力あるサッカーです。
これからも、みんなが、それぞれのサッカーを楽しめますように。
そんな子供たちの成長を見るために、子供に何と言われようが、私はまだまだグラウンドに立ちます。これからも、どうぞよろしく。
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