違うタイプの2人の成長・・・
(2006年9月 通信No.46より①)
2学期早々・・・・ちょっと面白いことがありました。
子供たちのゲームは、(まだ3年生ぐらいまでは)ボールにどんどん集まります。だからこそ吸収できることが山ほどあるので、集まっていない時は集まらせるぐらいです。
当然、友達の足が自分の足に当たる、ちょっと蹴られるなんてこともたくさんあります。自分が蹴られたり、押されたりしている時は、「蹴られた」「押された」とよく気づくものですが、自分が相手を蹴ってしまったり押してしまっている時は意外に気づきにくいものです。そのため、よく言い合いが起こります。また、すぐにカッとなってしまう選手もいます。
個人的には“言い合い”はあっていいと思います。初めから抑えていてはわからないことがあると思うからです。
でも、言い合いをしたらちゃんと「嫌な気持ち」とか「言い勝ってもスカッとしない気持ち」、素直な感情・・・色んなものが自分の心にちゃんと返ってきてほしいと思っています。そして、少しずつでいいから、子供なりに成長してくれればと思っています。・・・なので、多少のことがあっても子供たち同士で感じあえる範囲であれば、外からそれを見ているのですが、感じ合えない範囲かなと思うと、私はそこに入っていきます。そして気づかせます。果たして、中に入っていくことがいいのか悪いのか、それは人それぞれ考えがあっていいと思いますが、私は、現場に立っている中で、自分なりに微妙な雰囲気の差を感じ、行動をとっているつもりです。子供の一瞬の目、ボールを蹴る瞬間の目、相手に向かう時の表情、目と足先の動きの関係などから、中に入るべきかどうかを判断しています。
この前も、微妙なラインを行ったり来たりしていたのですが、ラインを超えたかな、自分達で気づく範囲を超えたかな、ということで中に入っていった日がありました。違う入り方もあったのでしょうが、ちょっと厳しい入り方になりました。・・・・・が、これまでも、その時に応じて、自分なりに入ってきたので・・・。
さて、そんなことを繰り返しているのですが、その日、子供たちの成長を感じる出来事がありました。
前述のような微妙な雰囲気の中、かなり“熱くなっている”選手が、相手チームのゴールキックの際にボールのすぐ前に立ったのです。当然ゴールキックを蹴ろうと思っている選手は困っています。
その時、味方の選手が「ちょっと近すぎ」と言ったのです。
当然と言えば当然の発言で、わざわざ取り上げるほどのことではないように思えるかもしれませんが、ちょうど“言い合い”直後なので、ちょっとピリッとした雰囲気があり、言い難い雰囲気もありました。
こんな時は、相手チーム(目の前に立たれて困っているチーム)の選手が「ちけぇよ」(←「近い」の怒り形)と言うことはよくあるのですが、この時は相手チームの選手は誰も何も言いそうにありませんでした。その時に、まったく普通の調子で、「近い」と同じチームの選手が言えたのは、すごいことだと思うのです。しかも、その子は決して口が達者な方ではないし、文句をガンガン言うタイプでもありません。昔の彼なら言えなかったと思うのですが、本当にどんどん強く、優しくなっていて、(それは感じてはいましたが)成長を再認識させられた出来事でした。
また、「近すぎ」と言われた子は、昔はすぐに“熱く”なり(←悪いことではないです)、その度に、怒ったり、悔しがったり、泣いたりしてきた子だったので、(この子もその度に成長を感じさせていましたが)この時どんな行動をとるのか、ちょっと注目していました。
味方に言われたか相手に言われたかなんてことに関係なく、「うるせぇなぁ」と言うか友達の声なんか無視してそのまま立ちはだかるか - 昔ならそんな行動をとったかもしれません。しかし、この時は「あっ」と言って、ちょっと笑いながら後ろに数歩下がったのです。すごく自然に。
以前なら、自分が間違っているとわかっていても、自分から下がることができませんでした。間違っているのがわかっているのに下がれない・下がらない、これは強さではありません。でも、この時の彼は違い、成長して強さを身につけたことを見せてくれました。
悔しいことは悔しい、頭に来ることもある、でも、根本の気持ちの方がちょっとずつ成長してきたから、ただ感情的になるだけではなく、その悔しさの返し方も変わってきたのだと思います。
この子は今でも言い合いをよくします。でも、言い合いにもちゃんと気持ちが入っていて、逃げるような言い合いではなくて、言った後はちゃんと体も心もそれに反応しているから、苦しい時もありますが、やっぱり少しずつ強くなっている、成長しているんだと思います。強くなって、少しゆとりも出てきたのかもしれません。
本当に、特に取り上げるようなインパクトのある場面ではなかったのですが、私には2人の成長が感じられた場面でした。
ところで、最近はコミュニケーションを取る手段が発達して便利になりましたね。伝えにくいことも簡単に伝えられるようになりました。でも何も考えずにただ便利さだけを利用していると、コミュニケーション能力の発達が抑えられてしまう部分もあります。
相手の表情から気持ちを感じる力、言葉から気持ちを感じる力、言葉や表情で相手に伝える力、相手のことを考える力・・・。
今ほど伝達手段の発達していない頃は、伝える相手のこと、伝えた相手のことを考える時間が多かったと思います。
手紙を送って戻ってくるまでの時間・・・今、友達はどんなことをしているのかな、この前の手紙に書いてあったことはどうなったのかな、手紙がなかなか来ないけど病気かな、・・・自分の言い方、わかりにくかったかな・・・。
相手のことを考える時間が多かったし、自分のことを振り返る時間も多かったと思います。勇気を出さないと伝えられないこともたくさんありました。自分が強くなったり、成長しなければならないこともたくさんありました。
そりゃ、伝える力や人の気持ちを考える心・力は育ちますよね・・・
便利さに頼ったり、逃げたりしてばかりいると、失うものも大きいのですね。
さっきの2人 ― 仲間に「違うよ」ということができる、ちゃんと、互いにコミュニケーションがとれるというのは、こういう意味でもやっぱりすごい大切なことなんだと思います。
彼らはそこまで意識せず、普通にしているのかもしれませんが、勇気があったり、信頼関係があったり、色んなものが必要だと思います。子供のうちにそういったものをしっかりとつかんでほしいと思います。
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