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2010年9月26日 (日)

大人のいないサッカー・・・・ その1 

(2010年7月 通信No.98より)

U-12クラスの話です。
たくさんの子のドリブル技術が向上していますが、その中に、いつも順調という感じではなく、よく自分で悩み、解決しながら成長を続けている6年生の子が一人います。
とても上達していますが、技術を身につけ満足するのでも傲慢になるのでもなく、アドバイスするとそれが自分のプレースタイルとは合わなくても吸収しようと試み、ちょっとつまずき、またさらに成長するという感じ。
見た目は凸凹。ですが、凸凹凸凹凸凸凸という感じで、長い期間で確認すると、大成長しています。
ちなみに私の髪の毛、見た目はモジャモジャ。ですが、モジャモジャモジャモジャジャという感じで、うっかり見ると大爆笑してしまいます。整えるのが面倒くさいだけです。クセっ毛が悪いのではありませんよ。
失礼・・・・・・(真面目な話をしていたんだった・・・・)話を戻して・・・
こういう成長は強いです。体や心が、成長していく時の達成感を刻んでいくでしょうから。
そんな子がいるクラスに、新しく5年生の子が入りました。
入ってから少し時間がたち、周囲の子のプレーを把握し始めた頃に、私は「この中でだれがうまいと思う?」と聞いたことがあります。みんながそれぞれ異なる部分で良いところがあり、だれがうまいとは本当は言えないのですが、この子が周囲の子のプレーをどれぐらい把握したのか、ちょっと聞こうと思いまして。
そして、この質問をした時に、この5年生の子が答えたのが、その6年生の子の名前でした。
さて、その数ヶ月後のゲームで・・・
この5年生の子が、その6年生の子からボールを取りました。
すると、その6年生の子は、すぐにボールを取り返しに動いたのですが、この時、その子はサッと腕をひっぱり、ボールを奪い返したのです。反則です。らしからぬプレー。
ちょっとぐらいの引っ張り合いなどがあっても、私はゲームを止めませんがこの時は止めました。
だって、こんなプレーをしていたら、上手にならないと私は思いますから。
正しい方法でボールを取ろうとすれば、頭の回転も体の動きもどんどん素早くなるし、多くのアイデアも浮かぶのに。この時のこの子の動きは「悪質」という感じは全くありませんでしたが、わざと腕を引っ張るのは、「取ろう」という気持ちだけでなく、「ちゃんとしたやり方では取れない」という考えが多少なりともあるからです。
これは、自分の力を成長させる考え方ではありません。
よく日本人はずる賢さが足りないと言われ、そのずる賢さの中には、こういう腕の使い方なども、場合によっては含まれていることがあります。ずる賢さは、反則でないものならいいでしょうが、反則になるものは、例え賢くても、私は認めません。審判に見破られる、見破られないに関わらず、反則は反則なのです。
だいたいそんなプレーをして、審判にバレずにボールを奪い返せたとしても、サッカーを好きなヤツがやって嬉しいプレーだとは思いませんから。そして、サッカーを好きなヤツがやられたら、すごく腹の立つプレーだと思いますから。私のスクールでは間違いなく、こういった部分は成長させません。ですから、こういう部分も含めサッカーを上達させたい人には不向きなスクールです。すみません。
プロ選手もこのような反則をすることがありますが、ここで触れると長くなるので触れません(豊田が長い話を聞く犠牲になりました)。ですが、私はそんなものないのが本来のサッカーだと思っています。
この日の練習後は、全員に対し「そんなプレーは覚えるな」と言いました。
その子はおそらく軽い気持ちでやったのでしょうし、悪意などないでしょう。
でも、この子、本当にサッカーを好きになっているのに、どんどん上手になっているのに、こんなの覚えてサッカーの“最上級の楽しさ”を味わう時間を減らしたら、もったいなさすぎるでしょう。体と心でバシッと味わうことのできる達成感。サッカーをすごく楽しみ、すごく成長しながらプレーしている時に勝手に入ってくる感覚 ― こういうものを感じる機会がたくさんあるのに、その機会をなくすのなんて、なんてもったいない。
その日は、それ以上は言いませんでしたが、言い方としてはかなりキツイもの。
こういう言い方は場合によっては逆効果にもなりますが、この子がちゃんと受け止め、また元の彼に戻ってくる自信が私にはありました。
だって、絶対に体と心に今までの成長の過程で、強い達成感が刻み込まれているはずですから。
もちろん、もう、そういうずるいプレーもサッカーの一つというような感覚が入りきっていて、私に言われても気付かなくなっている可能性もあります。
そういう段階であれば、先程のような言われ方をすれば、私に反感を持ってもおかしくありません。
さてさて、翌週の練習・・・
その6年生の子に、先週の(腕を引っ張った時の)話は特にせず、「アイツ(腕を引っ張られた5年生の子)が、お前のことを一番うまいと言っていた」ということだけをサラッと伝えました。
そうしたら、その子、「でも俺、やっちゃったじゃん」って。先週の話なんてこっちからはしていないのに。
さすがでしょ、この子。自分で覚えているし、自分から言うし。
その後、その子のプレーがまた超成長モードに戻ったのは言うまでもありません。
この子はかなり上達してきていますし、こういうずるいプレーや軽いプレーに走り出してしまってもおかしくないところまでは来ています。
でも、間違いかけても、自分でちゃんと基準の道まで戻って来ることができる。どんなプレーが楽しいのか、やっていて嬉しいのか、それをわかっている。心と体に良いものを詰め込みながら成長している証拠です。
自分で努力して技術を身につけてきた子ですから、できなかったことができるようになった瞬間や、サッとプレーがひらめいた瞬間、体がとっさに反応した瞬間の感覚、達成感を体と心が覚えているのでしょうね。
凸凹のある成長ですが、大切なものを身につけながらの成長に拍手。ついでに私のモジャ毛にも拍手。
さてさてさて、まだ話は終わらず・・・(「えーっ」という声が聞こえてきそう・・・)
一般的な話で・・・サッカーを好きな子が公園で繰り広げる「大人のいないサッカー」、いいですよ。
ムキになって、相手からボールを取りたくても、まず反則はしない。
結果的に反則になってしまうことはあっても、故意ではない。仮に一回、出来心でわざと相手の足を蹴ってしまっても、嫌な気持ちを感じたり、適当なしっぺがえしを食らったりするから、そういったことが繰り返されることがまずない(完全におふざけで、なんでもありという感じで、反則を楽しみながらサッカーをしていることはありますが、それは、それが「最高」とは思っていない上でのことですから「あり」です)。
もし本気の相手に軽い気持ちで反則をしたら、すごく怒られたりして。
お互いにかなりムキになってやりますが、反則ばかりでは絶対に成り立ちませんから、みんなで調整しながら進めるはずです。大人なんていなくても、審判なんていなくても。
なんで、こんな風にできるのかと言えば、サッカーが好きで、サッカーをやりたくてやっているからです。
何にも縛られずに、単純に、サッカーを、プレーを、楽しんでいるのです。ですから、無意識のうちに、(やってもつまらないし)反則をしようなんて思わないサッカーになっているのです。
あたり前ですよね。
審判に気付かれないように相手の服を引っ張ったり、足を蹴ったりできるようになった時の達成感と、相手を抜くことができたり、狙った所にボールを蹴れるようになったりした時の達成感と、どちらの方が強いか、どちらの方が心と体が喜ぶか、サッカーを好きな子ならわかるはずですもん。相手をあざむく達成感よりも、自分自身をより強く肯定することができる達成感の方が、人としての成長にも大きな力になるでしょうから、きっと本能でこっちを選ぶのでしょう。
― もうすぐ夏休み。子供たちはたくさんサッカーをして遊ぶと思いますが、サッカー自体、プレー自体を楽しむ経験、たくさんのことを吸収できるこういうサッカー、めいっぱいするといいと思いますよ。
どんなことが楽しく、嬉しいのか、体と心でよくわかりますから。

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