子供の言葉
(2008年6月 通信No.72より)
U-6クラス、U-9クラスでは、子供がふざけたり、友達に意地悪なことを言ったり(言われたり)という様子もよく見られますね。
見ている親御さんは自分の子に注意をしたくなる時もあるでしょう。
特に、自分の子が練習の雰囲気を壊しているように見える時には、一生懸命に練習をしている他の子がかわいそうなので、ちゃんとやらないように見える我が子に注意をしたくなると思います。
ですが、そういう時でも、皆さんには言葉を外からかけないように私はお願いしています。
おふざけ、言い合い・・・色々ありますが、一人だけでなくみんなが成長していくためにはどうすべきかを判断するために、まずは様子を見るようにしているので、これからもご協力をお願いいたします。
子供の行動には子供ならではの理由があることもあったり、理由がありそうでなかったりなんてこともたまにあるかもしれませんが・・・理由を考えた上で(こちら側で)どうするか考えなければならないこともありますし、また、理由の有無に関わらず、周囲の子のことを考えずに行動した結果、周囲の子がどう思うか、自分が何と言われるかというようなことを友達の言葉や反応から知った方がいいこともたくさんあります。
周囲の子も、自分や相手のために、例え相手が仲の良い友達だったとしても何かを言わなければならないときがあることを覚えていかなくてはなりません。
もちろん、子供の取る行動・表現が周囲に対してマイナスにしかならないという場合やお互いに受け取れないようなものであったり、相手に投げてはいけないような言葉・行動であったりした場合は、私の方から注意をしますが、実際には「どっちもどっち」というような、(子供であれば)その状況でなら、そのように表わしたくなるものが多いので(どっちもそれを経験して成長できるような)、まずは様子を見るようにしています。
例えば、分かりやすいので子供の発する言葉について取り上げれば、子供が放つ言葉には、「お前、弱い」というような、言われたらグサッとくるような言葉も多くありますが、とても単純な言葉で、相手にそのまま届くものが多くあります。
それがどんな意味か、お互いに説明をする必要があると思った時は話しますし、放っておいたら受け取り方を間違ってしまう、あるいは、元々のことから離れてエスカレートしてしまいそうな時には子供たちの間に入ります。
また、言われた側の子が1人で処理するのは大変そうな時は、少しだけ手を貸すこともあります。
ですが、そうでない時、お互いに適当な大きさで解釈できている時、言われた側にそれを処理する力、返す力がある時はそのままにすることもあります。場合によっては複雑な心の変化もあるのでしょうが、子供がその言葉を発する元となることも単純なことが多いので、子供たちの中に入っていく場合でも、勝手にこちらで必要以上に言葉の意味を複雑にしてしまうことのないように気をつけてはいます。
そういえば、昨年の11月、U-6クラスのゲーム時、チーム分けの際に、ある子がみんなに「弱い」と言われることがありました。
「弱いからいっしょのチームやだ」と言われていました。言われた子を見ると、ちゃんとそれを返せそうでしたが、さすがに少し相手が多いので、ちょっとだけ手を貸すことにしました。
みんなに「そんなこと言っちゃダメだよ」と言ってみんなをすっきり良い方向に持っていくことも良いことだと思いますが、この時はそんなことを言わずに、「コーチはそう思わないから(その子と)同じチームになっていい?」と聞き、みんなが「いいよ」と言ったので、「弱い」と言われた子と一緒になり、ゲームをしました。極力その子の力で進ませることにしました。
そして、そのゲームでは、さっきみんなに「弱い」と言われた子はシュートを決めたり、相手のシュートを止めたり、大活躍。これで十分です。
そのゲームの後、「チームを変えるよ」と言うと、さっき、その子に「弱い」と言った子たちが、その子と同じチームになりたいと言いました。理由は、「強い」から。
こうやって、自分に対するマイナスの評価は自分の努力で覆せるという経験を、子供たちの大きさでたくさんできればいいと思いますし、友達の言った言葉の大きさを知ること(自分に対する絶対的な評価などではなく、この例のように簡単に変わる一時的なものであることが多いこと)も経験してほしいと思います。また、「弱い」と言った子たちには、「弱い」と思った子が実は「強い」ということを知るような経験もたくさんしてほしいと思います。
「優しさは教えないの?」と思われるかもしれませんが、初めから形式的に「優しさ」を教えるよりも、そうやって、ストレートな言葉を投げあう中で、相手の、泣いたり、笑ったり、怒ったりという反応をお互いに受け取っていく方が、また、自分で実際に言葉を受け取る経験をした方が、幾通りもの優しさの表し方、受け取り方も育っていくのではないかと思います。その後で、自分だったらどんな気持ちになるかを教えてあげてもいいのかなと思います。相手の立場になって考える、自分だったらどんな気持ちになるかを考えることって、実際に経験していないと本当に難しいことだと思いますので。
ちなみに同じ時期、U-9クラスではこんなことがありました。
1・2年生でゲームをした時のこと。
ある1年生の子とある2年生の子の間で、言い合い、追いかけ合いがありました。
その日、ある程度までは関係を修復しましたが、スッキリと「さわやかに仲直り」という感じではなく、お互いの関係についてはモヤッとしたまま終了。でも、お互いに、相手に対してちょっと自分が悪い部分があったことはわかっているようでした。それなら、モヤッとで帰るのもいいでしょう。
そして、翌週。
2人組でやる練習。まず子供たちに自由に2人組を組ませ(当然、その2人は一緒には組んでいません)、その後でちょっとだけペアを変えさせました。そう、先週ケンカした、その2人組にしちゃいました。
様子を見ていると、ちゃんと笑ってやっています。お互いにふざけすぎると相手に対して「お前!」と怒りたくなるようなことが起こるかもしれない練習でしたが、ある程度までふざけてもそこから2人で調整しあって、いい雰囲気に戻しています。明らかに“怒る”沸点が上がっています。前なら「ここで怒る」という状況を、お互いに飲み込んで乗り越えています。前のケンカは無駄になっていません。「やるじゃん」と感心しました。
先週のこの2人の言い合い、追いかけあいも、原因はとても単純なことでした。単純なことから、「そりゃ、子供なら言うかもな」という言い合いが始まっただけでした。もちろん、必要以上に傷つかないように、適当でない言葉が使われないようには気をつけて見ていますが、こういう子供同士のストレートな反応、言葉の投げ合いが必要なことは結構あるのです。そして、その結果、コーチの働きかけ以上の効果をもたらすこともたくさんあるのです。
その数はとても多く、数え上げたらきりがありません。
今ここに書いたようなことは、他の子供同士でもたくさん起きています。
今は落ち着いているように見える高学年も、そんなことをたくさん繰り返して来ています。
そして今ではその一つ上の段階で経験するようなやりとりを経験しています。少しずつ心も複雑になって、微妙な動きになって、その中でお互いに投げあったり受け取りあったりするような経験をしています。
ソラには本当に楽しい子供が集まっています。
「サッカーの個人技術を身につける」というと、個人レッスンのような形で、一人一人に対して個別に指導をするような印象もありますが、私はそんな個人が独立した形での上達を目指しているのではありません。
せっかくここにこれだけの楽しい子供たちが集まったのに、お互いの存在を切り離して成長させるなんてもったいないことするもんですか。
お互いの存在を認識した上での成長、友達と自分の存在の掛け合わせで生まれる成長を目指しています。
だから、子供同士が絡み合うような場面を大切にしたいのです。
今回は言い合いや言葉について取り上げて説明しましたが、他の表現なども、みんなの成長に必要なもの、生かせるものがたくさんあります。
これからも、こんな感じで行かせてもらいますが、どうぞよろしくお願いします。
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