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2010年9月26日 (日)

強いヤツ

(2010年9月 通信No.100より)

夏空中に、すごい子を見ました。
ソラには色んなすごさを持った子がたくさんいますが、この子は、「強い」です。
この子は、ある子に「きもい」と言いました。
「きもい」「気持ち悪い」という言葉が、人に対して言うべき言葉でないということは、大人ならわかります。
子供はどうでしょう? 
頭ではわかっているのか、それとも理解していないのか、その意味を把握していないのか・・・スクールで聞くことはたまにしかありませんが(聞けばもちろん注意します)、この子だけでなく、おそらくほとんどの子が使っている言葉だと思います。
軽い気持ちで、意味もわからず、子供の世界の中で当然のように使っているのだから、べつに注意をしなくてもいいか・・・・とは、思いません。
子供の世界特有の言葉は当然あっていいと思いますし、大人が「いけない」と思う言葉でも、子供の世界では「いい」と思う言葉もあります。
ですが、人に対する「気持ち悪い」という言葉は、大人として注意すべき言葉だと思っています。
この子は、べつにその子を「気持ち悪い」と思って言ったのではないことはわかっています。
この時も、短期集中コースで初めて会ったその子に興味を持ったのでしょう。
ちょっと話がそれますが、興味を持たれた子は、本当に興味を持ちたくなるような子なのです。
この子はチームに所属していませんが、動きが本当に良いのです。
教えられていない分、動きが自然で、子供のサッカーの中から身につけてきた動きをいつも見せます。走るコースもボールを取る動きも、ボールの持ち方も、すごく自然。しばりつけられた動きではなく、自分から発する動き。プレッシャーからする動きではなく、自分の心から発する動き。そして、活躍もする。そんな自然さが、かえって、色んなことを教わり過ぎている子が増えている環境の中では、ちょっと変わって見えるのでしょう。
本当は、こういう子が多くいるのが自然なのですが、どうにも・・・・大人のようなことやまだ早すぎることを教わる傾向が、(地域などにもよるのでしょうが)今の少年サッカー界にはあるようなので、普段、チームなどで色んな制約のある中でプレーしている子や多くの知識を与えられながらプレーしている子にとっては、大げさに言えば、うらやましい魅力、本来自分たちができるはずなのにできていない(ということに子供たちも気付いていないでしょうが)「型破り」的な魅力もあるのでしょう。
ですから、なぜか興味を持ってしまうのだろうと思います。
しかし、興味がある、友達になりたい、そういう気持ちがあったとしても、「きもい」は不適当すぎる言葉です。
言った相手が好きな女の子なら、「あなた最低!」と言われてガーンとなったり、言葉に傷ついて泣きだしてしまったりして、すぐに大いに反省をできるのでしょうが、今回、それはありません。
ですから、言っている言葉が浅いうちにしっかり反省し、改めるよう言ったのですが、それでも繰り返したので、注意です。
この子は興味を持つと、相手に冗談を言います。あだ名をつけたりもします。
ですが、その冗談を相手が喜んでいるかどうか、子供だからわからないこともあります。そのうち、エスカレートしていくこともあります。そういうことはこの子だけでなく、他の子もするでしょう。
ですから、相手に、「これは君に興味を持っているからだよ」と説明するだけで済む場合もあります。
ですが、今回は繰り返したので、いくら相手に興味があると言っても、それだけでは真実身に欠けます。
当然この時も説明はしましたが、それだけでは足りないと思ったので、しっかりと謝らせました。
お前が「きもい」と言ったヤツが今回どんな気持ちで夏空に参加しているか、楽しみにしてきた場でそんなことを何度も言われたらどんな気持ちか、周囲に知っている子が少ない環境でそんなことを言われたらどんな気持ちか。
「きもい」と言われた本人は、もしかしたら、そんなに気にしていなかったかもしれませんが、普通なら、言われて嬉しいはずがありません。
ですから、言った子にそういう説明をしてもわからないなら、そのまま家に帰す気でいました。
この子にはどうしても練習に参加してほしかったし、その日の練習も、ある理由からどうしても頑張ってほしくて、実はこの日、練習前に呼び寄せて声をかけていたのですが・・・それほど参加してほしかったのですが、こういうことをわからないのであれば、練習に参加させるわけにはいきません。こういうことをわかろうとしない、弱い男ならば、帰らせて一日しっかりと考えさせようと思っていました。
幸い、話をしている段階で言葉を理解したようだったので、しっかり謝らせた上で練習に参加させましたが・・・。
また、この子がこういう行動を取ったのは、もちろんそれまでの流れがあったからなので、その流れに関与している子にも注意をしました。
この日の練習後には、そういう軽い気持ちで言った言葉でも相手が傷つくことがあるし、また、そういう軽い気持ちで言った言葉でも、何度も言ったり、複数の人間が一人に対して言ったりしたら、相手がどんな気持ちになるかということを、子供たちに話しました。
それから、この子(私に注意された子)が見せた、強さについても話をー。
この子は、私から話を聞いた後、ちゃんと相手に謝り、相手もわかってくれましたが、それだけで済ませようとはしませんでした。
その後、コートを半分ずつにわけ、二つのグループに分けてゲームをしている時のこと。
私が見ていない方のコートで誰かが、ワーワー言っています。
そう、この子です。
自分が嫌なことを言ってしまった子の名前を大きな声で呼び、ずっと応援やら褒める言葉やらを言い続けています。
反対側のコートにいる私にも聞こえるほどの大きな声で。
あのコートでそれだけの声を出すのはただでさえきつい。それをずっとこの子は続けているんです。
普通、こういうことは、数人の子で声を出している場合や他の子も同じような声を出している場合は、子供たちもある程度続けられます(それでも、ある程度です)。
でも、自分が声を出していても周囲がまったく声を出していない時やその声に反応しない時には、少しずつ声が小さくなったり、声が止まったりするものです。
ですがこの子はずっと、大きな声を出し続けました。
べつにコーチに気に入られたいからではなく、自分で先程のことを悪かったと思って、やっていたのでしょうが、普通はできないですよ。いや、ちょっと強いくらいでも、ちょっと優しいくらいでもできないと思います。
ちょっとしたコーチでもできないだろうな・・・こいつはすごく強いなと、感心しました。
相手を傷つけてしまったなら、「そのまま終わり」なんてことはあってはならないぞ、「ちょっと謝って終わり」なんてこともあってはならないぞ。しっかり相手を復活させて終わりだぞ - そういうことも、この日の終わりに話しました。これから、(こういうことを学ぶ機会の少なくなっていくと思われる時代を)生きて行く子供たちには、知ってほしいことです。
何人の子に伝わったかな。
子供は失敗します。失敗なんてしてもいいのです。
こうして学ぶことができれば。こうして強くなれれば、優しくなれれば。
この子の強さと優しさは・・・・将来選手になれたら大いに役に立つでしょうし、選手にならなくても社会の中で大きな役に立つでしょう。頼もしいヤツです。

=サッカースクール ソラ=
千葉市で開校中 TEL : 042-534-3766
★ソラ・HPに戻る→ http://www.sonoyosade.com
★ソラ的な日々 http://solasolasola.cocolog-nifty.com/sola
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怒ります! 

(2010年7月 通信No.99より)

子供のサッカーでは「子供らしく」が大切ですが・・・「ふざける」も子供らしいことですね。
でも、ふざけすぎたら私は怒ります。「注意する」というより「怒り」ます。
「子供らしいことなのに何で怒るの?」と思われるかもしれませんが、「怒られる」ということも子供らしいので、いいのです(出た! 無理矢理の正当化 = 得意ワザです)。
結構、私は怒ります。まったく優しくありません。こんなコーチですみません。
U-12クラスのある曜日(と、ある曜日の合計2つの曜日!)など、ここのところ2週連続で怒られています。
ふざけているように見えても実は「楽しんでいる」だけのこともあり、そういう時はべつに怒りません。
でも、ふざけすぎている時は怒ります。境目は難しいところですが、ケガを防ぐため、また、頑張っている子がつまらないと思う場にしないために、ここの線は見落とさないようにしています。
おそらく、怒られるたびに、子供たちには必要なものはたまっていくと思っています。同じような話は、今回のおまけの他の部分でも取り上げているので、そういった、子供たちのことはここでは書かないでおきますね(たぶん、優しいコーチならこんなに子供たちに怒らないでしょうから、子供たちが悪いというワケではありません)。
さて・・・ここのところ、スクールを体験に来る子が続いています。
スクールの体験には、友達や保護者の方からソラのことを聞いて来る子が多くいます。
初めて来た子がいる時には、ただでさえ緊張しているでしょうから、スクールはただただ明るく、楽しく、爽やかにやってあげたいものですが・・・実際にはそうではなく、「コラ、お前ら」となることもよくあります。
体験に来た子は、ドキドキしたり、楽しみにしたりして来てくれていると思うので、大切な存在です。ですから、ちゃんとそれを頭に入れて、コーチングをします。
ですが、ずっといる子は、言うまでもなく、ずっと大切な存在です。
放っておいてはいけないこと、ずっと見てきてこれは注意しなければいけないということは、体験の子がいるとかいないとか、そういうことに関係なく、いつも通り、私は注意します。
怒らない、注意しないでいれば、そのまま時間は流れ、爽やかに終了となる場合でも、ずっといる子に必要ならば、その時のその子に必要ならば、私は注意します。いや、感情が入るので「怒り」ます。
そんな時には、初めて来た子に「ごめんよ」と思いますし、(紹介したスクールでいきなりコーチが怒ってたら、ご紹介下さった方の立場もなくなってしまうと思うので)保護者の方にも「申し訳ない」と思うのですが・・・、これは譲れない部分でして、大変にすみません・・・。
スクールを体験に来る子がいる週は、年間で考えるととても多くの週になり、その一回一回を、体験の子のことを最優先にし、雰囲気が壊れそうな(ずっといる子に対してその時に必要な)働きかけをしないように抑えていたら、ずっといる子が成長できないスクールになってしまいます。また、せっかくずっと一緒にいても、(ずっといる子に対して)付き合っている時間に相応しい突っ込み方をできないスクールになってしまいます。それでは、みんなを伸ばすコーチングなどできません(実際にはみんなを伸ばす力はまだまだありませんが、でも、努力はしなければ)。
ですから、体験の子がいる時には、「体験の子がいる」「ずっとここに来てくれている子がいる」空間だということを考えたコーチングを行います。全員に照準を合わせます。
これまでもそうだったので、今いる子たちが体験に来た時も、私が怒っていたことや、雰囲気が決して明るくなかったこともあったかと思います(こういうスクールなので、本当に、来てくれた子、子供を預けてくれる皆さんに感謝しています)。
おそらく、これからもスクールをご紹介下さる方にはご迷惑をおかけすることだと思います。
ですが、グラウンドの中では様々なことが起きていて、そして、その時の空間は決してその瞬間だけでできているものではなく、それまでの時間があってできているものなのです。ですから、過去の時間、子供たちの努力を無駄にしないためにも、これからも、この姿勢は変えないで行きたいと思います。すみません。

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最後のチャレンジ・・・

(2010年7月 通信No.99より)

※これも、先程の日=前年度の最終週の話です。
練習開始前にある6年生の子と話をしたら、「俺、ドリブルで相手を抜くの苦手だから」と・・・。
「えぇ・・・最後の最後でそんなこと言う~?」と内心思いながらも冷静に何故だか話を聞きました。
どうやらチームではディフェンスをやっていて、やはりそこから、「ボールを奪われてはいけない」ということがかなり体・心に刻まれてしまっているようでした。
これは責任感の強さの表れでもあります。ですが、責任感の強い子が成長しないのは納得いきません。
なので、チャレンジを要求。最後の練習なので、ここでできなければ、結構キツイ気持ちを残すことになりますが、でも、まだやれる時間はあるので、要求。
毎年、最後の練習はとくに何も言わずに、ただ様子を見ている感じですが、今回に関してはそんなこと関係なしです。
さぁ、要求・・・きっと、やるのは大変だったと思いますが・・・やりました。一回目のチャレンジ成功。
一回目のチャレンジの時、思わず私は声をあげてしまいました。
イカン・・・これでノる子もいるのですが、今回は、(この子の性格的に)ここで注目をしてしまうと、もう一回はチャレンジしにくくなるようなケースでした(あちゃ~、やってしまった、失敗失敗。ま、許せ!)。
まずかったかなぁと思い、慌てて静かにして・・・・
すると、その子は2回目のチャレンジを! 
しかも成功! 
さすが6年生。最後の最後に挑戦できた子、なかなかすごいじゃないか。
これからもあきらめずに挑戦を続けて欲しいものです。
さて・・・実はこの日、練習中に昔の教え子から電話がかかってきました。
この子は幼稚園の頃、転んでよく泣いていました。もう、まったく普通の幼稚園の子。その後、私はそのスクールを離れたのですが、違う場で再開。そこでも、その子はまったく普通の3年生、4年生だったので、私に怒られることもよくあり(そこでも怒っていたか、俺…)、泣いたこともあります。
その後も離れることになったのですが、さすがにその後は一緒にはサッカーはできず・・・ですが、その後もこの子は普通の小学生で、たまに突然連絡をくれ、何事かと思ったら「何となく」だったり、メールを開けたら「コーチの顔、ウンチみたい」という内容だったり・・・(小学生はウンチ大好きですからね・・・大好きなものに例えたのだから許そう・・・・って許すか!)。
あ、お食事中の方、すみません。クレームは、コイツまで。
・・・そんな子がいつの間にか高校生。
木曜日コースの最後のスクール中で、しかも出にくいタイミングだったのですが、子供からの電話なので、何事かと思い、出てしまいました。
電話で聞いたこと、話したことは・・・さすが、4月から高校生。ちょっとは成長したようで、「コーチの顔、・・・」とは言いませんでした(・・・ホッ、もしこのタイミングでそんなことを言いやがったら、マユ毛をマジックでつなげてやるからな←良い子はマネしちゃダメですよ~)。
電話で話したこと・・・まさにこの日の子たちに話すとちょうどいい内容でした。
自分のできることを少しずつやる。その結果、今の自分からはとてもできないと思うようなこともできるようになる。それをしっかり証明する、この子からのお知らせの電話でした。
すごいじゃんか、やるじゃんか、クソー。
それにしても、この電話のタイミング、なんかウソみたいです。すごいタイミング。
電話を終えたすぐ後、あまりの電話のタイミングの良さと話の内容のピッタリ感に驚き、ちょっと真面目顔で、不思議な気持ちになっていると、そんな表情の私に、練習中のある子が何かを言おうと近寄ってきました。
「お、コイツにも何か伝わったか?」と思い、話を聞くと、
「コーチ、すごいよ!  ○○が、すごいダジャレを考えたの!」
「・・・お、おう・・・」・・・・これがソラの子です。これはこれで、すごいでしょ。
でも、こんなあたり前の子供に、たくさんの可能性、力が秘められているんですよね~。
楽しみ楽しみ。

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直球

(2010年7月 通信No.99より)

※木曜日コース、前年度の最終週の話です。

U-12クラスの最終日。
子供って本当にすごいなって思います。
この日は雨で、少し気温も低めでしたが、練習を行うことにしました。
まず、6年生が一人来ました。そして、すぐに来た5年生の3人組。
この3人組は、前日にあることで私にとても怒られています。
その怒られ方は、どう受け止めるか、実は難しい部分もありました。
もしかしたら、間違って捉えてしまうかもしれない。なぜなら、私が噴火したのが、ちょうどこの子たちが私を「やーい」とバカにした直後だったので。
たまたまそのタイミングに「お前らな(怒)」となっただけなのですが、怒っていたのは、別のこと。私への言葉使いなんかで怒っていたら、毎日噴火しなければなりませんからね・・・それでは私の体がもちません。
昨日言ったことをわかっているかどうか、言ったことが伝わっているかどうか、実は気になっていました。
昨日だって、とても意味のある時間だったんです。
6年生と一緒に練習できる、残り少ない時間。その時間を壊してまで「怒って」、言ったんですから。
・・・さてさて、ちゃんとわかっているかな・・・
驚きました。わかってる・・・誤解はしていないで、ちゃんと、子供なりに捉えているようです。
来てすぐに、私に対して暴言×暴言×暴言・・・昨日、私が怒った内容を間違って捉えていれば、こんな態度はできません。ちゃんとわかっていたようです。
その後のプレーを見ても、言っていた内容を理解したのだということがよくわかりました。
子供には本当に驚かされます。直球だと本当に伝わることが多い。
ちょっと変化を加えると、間違って捉えてしまうこともあるのですが、こういう直球は受け取ることが多くて、本当に驚きます。
これからも、ここぞという時は直球で行きます。
まぁ、腕力ないので1mくらいしか飛ばないですけどぉ。だからやっぱり、たまには変化球を混ぜながら・・・変化球の投げ方知らないですけどぉ。ちなみにコントロールも良くないのでデッドボールになるかもしれないですけどぉ・・・。
覚悟したまえ、子供たち。

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不自然なことを教えると・・・

(2010年7月 通信No.99より)

※今年度の話ではありません。
ある日のU-9クラス、1人対1人の対決形式の練習をしている時のこと。
ドリブルをしている子に対して、ボールを奪いに行った子が肩でドン!  
この「ドン」がちょっと強すぎ。
当たられた子が「押すなよ」と言うと、当たった子は、「肩なら当たってもいい」ということを教えてもらったか覚えたかしていたようで、「肩だからいいんだよ」と言いました。
プレーしている相手の肩に、肩を当てて押すのは反則ではありません。でも、過剰な力やプレーできない状況(ボールが離れているなど)では反則になります。
さて、その当たられた子は、相手に文句を言ってもそう答えられてしまったので、気持ちがおさまりません。
この1対1の練習では、その後のゲームで子供たちがどんな感じになるのかを見ておくために相手を決めていたので(対戦相手が変わらないようにしているので)、もう一回順番が回ってきたら、また同じ相手と当たることになっています。
・・・もうどんな感じになるかはだいたいつかめたし、どうしようかな? 
もう一回やらせるのはちょっとな・・・ということで、さらっと順番を変えちゃいました。
順番を変えずに、気持ちのおさまらない子に「あれはワザとじゃないんだよ」と予め説明し、プレーが荒れないようにしておいて対戦させるのも一つの方法としてありましたが、あの当たり方をされたら、説明を受けてもおさまらないのが普通だろうし・・・。
それに、説明を聞いて「はい、わかりました」も、このケースではちょっと違うような気がするし(私なら納得はできないでしょう)。
なので、ここでは話をせず、その後、間を置いてから話しました。
話した内容は、
その当たった子が、まだ(その時点では)スクールに入って間もないこと、
ソラには、チームに入っている子、他のスクールに通う子、チームやスクールに入っていない子など様々な子がいること、
それぞれのチームやスクールでは、まったく違うことを教えることがあるということなどなど・・・。
そんな話をしたら、まず、「えっ、入ったばかり?」と言い、その後の話も聞き、わかってくれたようでした。
また、当たりに行った子には、「相手が痛がっていたら、自分がしたことが反則じゃなくても、“別にいい”ということはないだろう?」と話しました。
さて、当たられた子は、この後・・・けっこうケロッとしています。
この子の、こういうところが私は好きです。
悪いことやずるいことをした奴には「なんだ、てめー」となりますが、相手が勘違いをしている場合や、「なるほど」という理由がある場合は、ほどよくわかってくれる。この大きさが子供らしくていいのです。
・・・ところで・・・
不自然なことを教わり、それを意識してやると、一生懸命やっているのに、それが「反則」につながることや、成長にとってあまりプラスに作用しないということが、たまにあります。
自然にやらせておけばいい感じでプレーできる、いい感じで覚えていけるのに、段階や状況などを考慮せず、形を教えてしまったりすると、今回のようなことになってしまうことがあるのです。
同じように、子供が相手に抜かれた後、ボールを奪い返す時に、“まず体を当てに行く”ことを“意識して”やろうとするのを見かけることもありますが、“体をぶつける”をまず意識していることで、かえって動きが遅くなったり、不自然になったりして、しかも後ろから相手を押す形になってしまうこともあります(後ろから押すのは反則です)。

そんなことを考えずに相手やボールの動きに反応して素直に動けば、どこに戻ったら守れるか、どういう風に動けばボールを奪えるかという“本能的な部分”で、すごく良い動きをできるのに・・・と思うことがあります。
子供たちのサッカーでは自然にボールを追いかけていれば、自然に、結果的に肩で相手を押すような格好になったり、上手に体を使いあったりしていくものなのですが・・・。
ちなみに、そういう不自然な動きでボールを取れることがあっても、私は子供を一切褒めません。
その子は一生懸命ボールを取ろうとしていると思うので、それを否定することは避けたいものです。ですから否定はしませんが、その代わり、褒めてそれを強化してしまうようなことも絶対にしないようにしています。
そして、改善できるように違う方法でアプローチをかけるようにしています。
ちょっと、話が専門的になってしまいましたね。わかりにくくてすみません。
さてさて、実はこの前、「私はサッカーの経験がないので」と、ある指導者の方がおっしゃっていました。
ですが、ルールを知らない子供でも、「自然にボールを追う、触る」ことをしていれば、「反則」って実は起こりにくいものなんです。
「ルールがわからないから、どう教えていいかわからない」という方は、子供に自然にプレーさせることができたら、それだけで十分、子供のためになっていると思います。ですから、そのような方も安心して下さい。
子供のサッカーでは、「子供らしく」がとても大切なキーワードなのです。

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わからない

(2010年7月 通信No.98より)

子供のすごさばかりを書くのも悔しいので、大人のすごさをここで。
前にもちょっと書きましたが、私のスクールでは、子供に対する私の働きかけは外から見ていたら「なんで?」と思われたり、基本的に考えたら、正解とはまったく逆に思えたりするようなことがたくさんあります。
外からどう思われるかはわかりませんが…おそらく、意図していることの全ては外には見えないかと思います。ケンカを売っているわけではありませんよ。だって、中にいてもわからないものもたくさんあると思いますから。
ある子とある子を結ぶのに、またはある子のある部分にアプローチをかけるのに、見えない糸(意図)をいくつも張り、その掛け合わせでグラウンドは成り立っているのです。
しかも、場合によっては、その糸を張ることができるタイミングは何回かに一回、やっとあるかどうかということもあるのです。その糸が、空間にとってどんなものなのか、どんな糸を張っているのかは、(中からでさえ見えないことがあるのに)外からではなかなか見えないと思うのです。
だから、理解できないことの方が多いと思います。…別に自分のやっていることを正当化したいわけではないので、「変だ」と思ったら、変だと言って頂いて構いません(帽子が変なのは放っておいて下さい)。
誤解しないで下さい。外から見ている人をばかにしているのでは決してありません。
私も同様に、誰かが真剣にやっていること、誰かがずっと長い間、とても深く考えた上で取る行動に対しては、私がいくら考えてもわからないと思いますから(意外と素直でしょ)。 それと同じです。
(ここからが本題です)私の頭の中でさえそういうことがあるので、日本代表のサッカーに対して日本代表の監督が考えること、日本代表としてプレーして選手がグラウンドで感じることを、外からいくら考えたところで、真相までわかるとは私は思いません。
とんでもないレベルで感じ、考え、やっているのだと思います。
100人、いや1000人、いやいや1万人が考えてもわからないようなことをきっと考えているでしょう。
もちろん、同じ質で考えられる人もいると思いますが、それは限られた人でしょう。
そういえば、日本代表のメンバーが発表された頃、ある子が、「なんで○○が選ばれなかったと思う?」と聞いてきました。「わからない」と答えると、「じゃあ、なんであの試合で○○を交代したと思う?」と。その時も私は「わからないな」を繰り返しました。
スクールのゲームでも、チーム編成、メンバー交代だけで、色んな意図を組み合わせているのです。日本を代表する人が集まったところでは、とんでもない意図が含まれていることが容易に想像できますから。
そんな中で意図されていること、そんな中で起きていることなんて、私にはわかりません。
「わからない」とばかり答えていたら、「何にもわからないじゃん」と言われたので、「日本代表の監督じゃないとわからないことがあるんだよ」と言いましたが、その時に「わからない」と答えたのは、こういった理由です。
そのことについて、とんでもない質・量の情報を持ち、とんでもないレベルの経験を持つ人が、とんでもない質の眼で見て、それだけのことに集中して、とんでもなく真剣に考えて行ったことを、外からポロっと言い当てるのなんて、無理無理。
おそらく、子供たちの中には、ワールドカップ前の日本代表・岡田監督を見て、「日本弱い」とか「監督代えちゃえ」と言っている子もいたでしょう。それは、まだとんでもなく深いレベルでサッカーを考えたことがないはずですから当然で、しかも子供がその時その時で感じたことを言うのは自然なので、悪いことではありません。
ですが、今見れば、わかるでしょう? 岡田監督も日本代表も、すごいでしょ! 
大人って、すごいんだよ~ん(そして、私も大人なのだよ、子供たち!)。
あ、そう言えば、私に「何にもわからないじゃん」って言った子。
私が「日本代表の監督じゃないとわからないことがあるんだよ」と言ったら、「確かに。それもそうか」って言ってました。コイツもなかなかやりますね。
ちょくちょく色んなことを話しますが、確かにこいつは色々なことを考えている気がします。
やっぱり子供もやりますね。

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大人のいないサッカー・・・・ その2 

(2010年7月 通信No.98より)

今(これを書いている時点)、まさにワールドカップ期間中ですが、ワールドカップの歴史を振り返る時に必ず出てくるのが、1974年にオランダが見せた、「トータルフットボール」・・・全員攻撃、全員守備のサッカーです。
この時のサッカーが、その後のサッカーに与えた影響はすごく大きいと言われていますが・・・私が考えるに(とか偉そうに言ってみたりして)、多くの人を魅了したこのトータルフットボールの本質は、「サッカーを大好きな子が自然にするサッカー」です。
今は色んなことを教わっている子も多そうで、また、チームで好成績を上げることに満足する子も多いかもしれないので、どうなるかはわかりませんが・・・一昔前は、監督のいない中で子供たちが空き地で繰り広げるサッカーは、全員攻撃、全員守備が当たり前でした。
みんな、サッカーがやりたくてやっているのでボールを触りたくてうずうず・・・ポジションを「バック」と決められても、攻めたくてうずうず・・・だから、味方ボールの時には攻めてしまう。そして、守りの時には必死に戻る。
守るのももちろんバックだけでなく、フォワードとか攻撃のポジションになっても、守りの時には守る。ついボールを追いかけちゃってものすごく守っちゃうこともあるし、「俺はフォワードだから守らないよ」みたいな顔をしていたら、「お前も戻って来いよ!」と味方に怒られて守ることもある。怒られるのもあたり前で・・・「自分たちが苦しんでいる時に何もしないヤツになんて、パスなんかするもんか」ってなるのが普通ですから。
攻めの時だって、(守りの子が疲れたりして後ろの方にいて)味方の人数が少なくてうまく攻撃ができない時には、守りのポジションの子に向かって「お前らも(攻めに)来いよ!」って。
勝ちたいけど、それよりもサッカーが好きでやっているのだから、ただ要領のいいヤツや気分的にプレーするヤツになんか、サッカーで楽しい思いをさせるかって感じです。
結果的に、全員で守り、全員で攻めることに。
プレーに絡まずに仲間に怒られることもありますが、基本的にはみんな「ボールが触りたい」からやっているので、ボールを触れそうなところを探してどんどんそこに入り込んでいく動きが自然に多くなります。
また、「もし味方がボールを奪われたら、俺が拾おう」と、味方の後ろからちょうどいい距離で付いて行く動きも増える。そうすると、結構いい感じで、みんなが流動的に動けるものなんです。
ポジションは、「一応ある」って感じですね。ポジションを決めないこともよくありますし。
スクールでのゲームを見て私が楽しいと思うのは、こういうサッカーを子供たちがしている時です。
とにかく自由に動き回る。得点パターンや誰がどこでどんなプレーをするかなんて決まっていない。予測できない、連動した動きがたくさんあふれている時、「ああ、子供らしくていいじゃないか。サッカーを好きな子の動きでいいじゃないか」と思います。こういうサッカーは見ていて本当に魅力的です。
大人のいないサッカーは、実はこういう大きな魅力、可能性も含んでいるのです。

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大人のいないサッカー・・・・ その1 

(2010年7月 通信No.98より)

U-12クラスの話です。
たくさんの子のドリブル技術が向上していますが、その中に、いつも順調という感じではなく、よく自分で悩み、解決しながら成長を続けている6年生の子が一人います。
とても上達していますが、技術を身につけ満足するのでも傲慢になるのでもなく、アドバイスするとそれが自分のプレースタイルとは合わなくても吸収しようと試み、ちょっとつまずき、またさらに成長するという感じ。
見た目は凸凹。ですが、凸凹凸凹凸凸凸という感じで、長い期間で確認すると、大成長しています。
ちなみに私の髪の毛、見た目はモジャモジャ。ですが、モジャモジャモジャモジャジャという感じで、うっかり見ると大爆笑してしまいます。整えるのが面倒くさいだけです。クセっ毛が悪いのではありませんよ。
失礼・・・・・・(真面目な話をしていたんだった・・・・)話を戻して・・・
こういう成長は強いです。体や心が、成長していく時の達成感を刻んでいくでしょうから。
そんな子がいるクラスに、新しく5年生の子が入りました。
入ってから少し時間がたち、周囲の子のプレーを把握し始めた頃に、私は「この中でだれがうまいと思う?」と聞いたことがあります。みんながそれぞれ異なる部分で良いところがあり、だれがうまいとは本当は言えないのですが、この子が周囲の子のプレーをどれぐらい把握したのか、ちょっと聞こうと思いまして。
そして、この質問をした時に、この5年生の子が答えたのが、その6年生の子の名前でした。
さて、その数ヶ月後のゲームで・・・
この5年生の子が、その6年生の子からボールを取りました。
すると、その6年生の子は、すぐにボールを取り返しに動いたのですが、この時、その子はサッと腕をひっぱり、ボールを奪い返したのです。反則です。らしからぬプレー。
ちょっとぐらいの引っ張り合いなどがあっても、私はゲームを止めませんがこの時は止めました。
だって、こんなプレーをしていたら、上手にならないと私は思いますから。
正しい方法でボールを取ろうとすれば、頭の回転も体の動きもどんどん素早くなるし、多くのアイデアも浮かぶのに。この時のこの子の動きは「悪質」という感じは全くありませんでしたが、わざと腕を引っ張るのは、「取ろう」という気持ちだけでなく、「ちゃんとしたやり方では取れない」という考えが多少なりともあるからです。
これは、自分の力を成長させる考え方ではありません。
よく日本人はずる賢さが足りないと言われ、そのずる賢さの中には、こういう腕の使い方なども、場合によっては含まれていることがあります。ずる賢さは、反則でないものならいいでしょうが、反則になるものは、例え賢くても、私は認めません。審判に見破られる、見破られないに関わらず、反則は反則なのです。
だいたいそんなプレーをして、審判にバレずにボールを奪い返せたとしても、サッカーを好きなヤツがやって嬉しいプレーだとは思いませんから。そして、サッカーを好きなヤツがやられたら、すごく腹の立つプレーだと思いますから。私のスクールでは間違いなく、こういった部分は成長させません。ですから、こういう部分も含めサッカーを上達させたい人には不向きなスクールです。すみません。
プロ選手もこのような反則をすることがありますが、ここで触れると長くなるので触れません(豊田が長い話を聞く犠牲になりました)。ですが、私はそんなものないのが本来のサッカーだと思っています。
この日の練習後は、全員に対し「そんなプレーは覚えるな」と言いました。
その子はおそらく軽い気持ちでやったのでしょうし、悪意などないでしょう。
でも、この子、本当にサッカーを好きになっているのに、どんどん上手になっているのに、こんなの覚えてサッカーの“最上級の楽しさ”を味わう時間を減らしたら、もったいなさすぎるでしょう。体と心でバシッと味わうことのできる達成感。サッカーをすごく楽しみ、すごく成長しながらプレーしている時に勝手に入ってくる感覚 ― こういうものを感じる機会がたくさんあるのに、その機会をなくすのなんて、なんてもったいない。
その日は、それ以上は言いませんでしたが、言い方としてはかなりキツイもの。
こういう言い方は場合によっては逆効果にもなりますが、この子がちゃんと受け止め、また元の彼に戻ってくる自信が私にはありました。
だって、絶対に体と心に今までの成長の過程で、強い達成感が刻み込まれているはずですから。
もちろん、もう、そういうずるいプレーもサッカーの一つというような感覚が入りきっていて、私に言われても気付かなくなっている可能性もあります。
そういう段階であれば、先程のような言われ方をすれば、私に反感を持ってもおかしくありません。
さてさて、翌週の練習・・・
その6年生の子に、先週の(腕を引っ張った時の)話は特にせず、「アイツ(腕を引っ張られた5年生の子)が、お前のことを一番うまいと言っていた」ということだけをサラッと伝えました。
そうしたら、その子、「でも俺、やっちゃったじゃん」って。先週の話なんてこっちからはしていないのに。
さすがでしょ、この子。自分で覚えているし、自分から言うし。
その後、その子のプレーがまた超成長モードに戻ったのは言うまでもありません。
この子はかなり上達してきていますし、こういうずるいプレーや軽いプレーに走り出してしまってもおかしくないところまでは来ています。
でも、間違いかけても、自分でちゃんと基準の道まで戻って来ることができる。どんなプレーが楽しいのか、やっていて嬉しいのか、それをわかっている。心と体に良いものを詰め込みながら成長している証拠です。
自分で努力して技術を身につけてきた子ですから、できなかったことができるようになった瞬間や、サッとプレーがひらめいた瞬間、体がとっさに反応した瞬間の感覚、達成感を体と心が覚えているのでしょうね。
凸凹のある成長ですが、大切なものを身につけながらの成長に拍手。ついでに私のモジャ毛にも拍手。
さてさてさて、まだ話は終わらず・・・(「えーっ」という声が聞こえてきそう・・・)
一般的な話で・・・サッカーを好きな子が公園で繰り広げる「大人のいないサッカー」、いいですよ。
ムキになって、相手からボールを取りたくても、まず反則はしない。
結果的に反則になってしまうことはあっても、故意ではない。仮に一回、出来心でわざと相手の足を蹴ってしまっても、嫌な気持ちを感じたり、適当なしっぺがえしを食らったりするから、そういったことが繰り返されることがまずない(完全におふざけで、なんでもありという感じで、反則を楽しみながらサッカーをしていることはありますが、それは、それが「最高」とは思っていない上でのことですから「あり」です)。
もし本気の相手に軽い気持ちで反則をしたら、すごく怒られたりして。
お互いにかなりムキになってやりますが、反則ばかりでは絶対に成り立ちませんから、みんなで調整しながら進めるはずです。大人なんていなくても、審判なんていなくても。
なんで、こんな風にできるのかと言えば、サッカーが好きで、サッカーをやりたくてやっているからです。
何にも縛られずに、単純に、サッカーを、プレーを、楽しんでいるのです。ですから、無意識のうちに、(やってもつまらないし)反則をしようなんて思わないサッカーになっているのです。
あたり前ですよね。
審判に気付かれないように相手の服を引っ張ったり、足を蹴ったりできるようになった時の達成感と、相手を抜くことができたり、狙った所にボールを蹴れるようになったりした時の達成感と、どちらの方が強いか、どちらの方が心と体が喜ぶか、サッカーを好きな子ならわかるはずですもん。相手をあざむく達成感よりも、自分自身をより強く肯定することができる達成感の方が、人としての成長にも大きな力になるでしょうから、きっと本能でこっちを選ぶのでしょう。
― もうすぐ夏休み。子供たちはたくさんサッカーをして遊ぶと思いますが、サッカー自体、プレー自体を楽しむ経験、たくさんのことを吸収できるこういうサッカー、めいっぱいするといいと思いますよ。
どんなことが楽しく、嬉しいのか、体と心でよくわかりますから。

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効果がない練習? 

(2010年6月 通信No.97より)

U-6クラスやU-9クラスの保護者の方から、どんな練習をしたらいいのか、ご質問頂くことがあります。
子供たちは、公園などで少人数でのサッカーをしていると本当に上手になります。
例えば4人で遊んでいるなら2人チームを作って試合、8人で遊んでいるのなら4人チームを作って試合。人数が半端なら、チームの人数に差があっても構いません。これで、ドリブルもキックも、かなり自然に上手になります。
ただ、ご質問を多く頂くのは、友達と遊ぶ時のことではなく、親御さんと練習する時のことや子供が1人で練習する時のことが多いようなので、ご質問を頂いた時は、わかりやすい練習をご紹介するようにしています(子供たちは、動きの素早さや身のこなしの器用さを身につけていく時なので、鬼ごっことか、ボールの取りっこなどはすごく効果が高いと思いますし、効果が高いだろうな、という想像もしやすいかと思います)。

さて・・・ではここで何を取り上げるかというと、「本当に効果があるのかな?」という練習について、ちょっと。
皆さんもやったことがあるかもしれませんが、そうです、コーンを置いてのジグザグドリブルです。
この練習は、「あまり効果がない」と言われることがあります。
大きな理由は、試合中は状況がどんどん変わるからです。
試合中は相手が(コーンのように)等間隔に止まっていることはありません。
変化する状況の中で、判断をしながらプレーするのです。ですから、コーンを等間隔に置いたような、状況が変わらない中での技術を身につけてもあまり効果がない、ということらしいです。
こういうことは、何年も前から言われていますし、「ある国ではこういう形でのドリブル練習はやらないらしい」なんて聞くこともありますが、それでも私はこの練習形式は結構効果があると思います。
やり方によっては、試合中のプレーに近づけることができますから。
試合中にドリブルをしていて、1人目は抜けても2人目に取られてしまうのは、1人目を抜いた後にコントロールが乱れたり、2人目の相手選手が“突然表れる”形になったりすることが原因であることがあります(他の原因もたくさん考えられますが、ここでは触れません)。
ですから、ジグザグ練習でも、そういう状況にできれば、十分に効果のある練習になるのです。
スタートの方法をちょっと難しくしたり、コーンの置き方をちょっと変えたり、他にも様々な方法で、そういう効果を得ることができます。
工夫の仕方は色々あるのでここでは詳しく書きませんが、そんなに難しく考えなくても、単純にスピードを速くさせるだけで、試合に近い状況になることがあります。スピードを速くすると、コントロールが乱れ、突然、コーンが目の前に表れるような感じになることもあります。やり方次第で、等間隔に置かれたコーンでも、目の前に相手が急に表れた形にすることができるのです。
こういう状況をたくさん作り出すことができれば、とっさに判断しなければならないことも多く、試合に近い状況を多く経験でき、そのような状況で、どのようなボールタッチをすればいいのかを経験することもできます。
但し、試合中の、「相手がいてボールを取られるかもしれない状況」をイメージして練習するので、見た目には失敗を多くするような感じになりますから(そうじゃないと意味がないので)、もし、コーチや保護者の方がそばについている場合には、そのような失敗を責めていては、本当に効果がなくなってしまいますが。高学年などは自分で状況設定をして、かなり本気でできるかもしれませんが、まだそこまでの意識を持てない年代・段階であれば、無理に追い込むような形ではなく、遊び感覚で、失敗を恐れず、楽しむような雰囲気でできるといいですね。

また、課題の与え方や状況設定の仕方については、ケガを防ぐために注意した方がいい部分もあるので、無理にはおススメしませんが。
ただ、この練習を継続した子が、
・ドリブル時のバランスがとても良くなったり、
・ドリブル時のボールコントロールがすごく良くなったり、
・コントロールミスをしても、その後の対処方が良くなったり(対処できる種類が増える、或いは種類は増えなくても身のこなしがスムーズになる)、
・ゲーム時のドリブルがよくなっている
 ・・・というのは事実です。
ちなみに、ドリブル技術以外の部分でも効果があります。実際に成長を見てきた感じだと中学生くらいでも工夫次第でとても効果のある練習になるように思います。

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ある大会を見ていて

(2010年6月 通信No.97より)

ある大会で(ソラの子の所属していないチームの)試合を見ていて思ったのですが、応援する時は、子供たちの表情をもっと見るといいと思いますよ。
まずは、自分の子と友達の子の顔から見ましょうか。
そうすれば、例えば、失敗した時でも、子供がどんな気持ちだったのか、想像することができますから。
プレーの分析はできなくても(見どころがちょっと違うと、本来必要な働きかけとは全く逆の働きかけをしてしまうことがあります。プレーを正しく分析することは難しいこともあるので、できなくてもいいと思います)、子供の気持ちやその時の考えがちょっとわかれば、応援も、よりその時の状況にあったものになると思いますし。
さて、続いて見て欲しいのは相手チームの子。特に失点後のゴールキーパーの顔ですね。
自分の応援するチームが得点をしたら、応援する人は喜ぶのが自然なので、必要以上に相手チームの子のことを気にしなくてもいいと思いますが、外から見ている時には、余裕があったら、相手チームの子の顔も見た方がいいと思います。
ちなみに、この時に見た、ソラの子のいない試合。ソラの子はいないので、私はそのゲームをしている子供たちに強い思い入れはありませんでしたが、それでも、かわいそうになってしまいました。
なぜなら、あまりにも子供たちが外からの応援(?)の影響を受け過ぎているからです。
プレーにも表情にもそれは表れているし、得点をした子も、その時の表情は喜ぶというよりも「解放されてホッとする」という感じで。そんな顔でしかプレーできないのはかわいそうでした。サッカーはもっと面白いのに。
それに、自分のチームを応援しているのでしょうが、相手チームの子のプレーがどんどん消極的になるくらいの応援で、あれでは相手チームの子は力を100%出せないでしょうから。
プレーをしているのは子供たちなんですけどね。あれでは互いに自分たちの試合を楽しめないでしょう。
その時の試合結果だけを気にするのであれば、(絶対に子供の試合では必要ないと思いますが、5000歩譲って→)相手チームの力が出ないようにすることも必要かもしれません(←5000歩譲っても、相手の力を出させなくするのは、応援する人ではなく、試合をしている子供たちであるべきだと思いますが)。
ですが、相手チームが力を出せない、委縮している状況で得点を重ねても、それが本来の力だとは思いませんし、そういう状況で試合・プレーを重ねても、やっている子はあまり上手にはならないと思います。
相手がめいっぱい力を出し、イキイキしている方が、自分たちの本当の力もわかるし、上手にもなります。チームに入っている、いないに関わりなく、公園で子供たちがサッカーをして遊んでいる時はすごくみんな上手になりそうな動きをしています。これが良い例です。
もし、子供だけで試合をしていたら、そういう、イキイキとしたプレーが多くなりそうな試合でも、外からの応援のせいで、そうなっていないような試合を見て、「あぁ、ここに(よく子供の表情を見てくれているので)ソラの保護者の方がいてくれたらな」と思ったのでした。
*何年も前ですが、ゲーム大会をした時に、優勝したチームの子が全員喜んでいる中、1人だけ、つまらないという顔をしている子がいました。みんな、優勝して大はしゃぎなのに。しかも、この子はサッカーをすごく好きなのに。
気になって、なぜか聞いたら、黙ったまま、アゴである方向を指しました。隣に並んでいたチームの子が1人、泣いていました。なるほど・・・・。まだ子供なので、本当はそんなことに気付かなくてもいいのかもしれませんが、相手の表情を見て、子供でもこういう行動をすることがあるのです。
大人はよく「相手の気持ちを考えて」と言いますが、「相手の表情を見ること」は、相手の気持ちを考える時にとても大切ですよね。
「相手の気持ちを考えて」・・・子供が大人に言いたかったりして・・・。
*ソラの保護者の方と話していると、自分の応援がうるさいことをちょっと反省される方もいますが、ソラの保護者の方の声は、ちゃんと「応援」になっていると思いますよ。
ただ、もうちょっと子供のことを褒めてあげてもいいと思いますけど~。皆さん、友達の子には優しいのに、自分の子には厳しいんですから・・・。

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僕のかわりに

(2010年6月 通信No97より)

ある日のU-9クラスでのこと。
スクールで決められている約束を破り、「次は守る」と約束をしても破ってしまい、「絶対守る」も破った子に、そのすぐ後の練習は「するな」と言いました。
その子たちは、「ヤダ。絶対に約束を守るから」と言いましたが、やらせません。
だって、破られる約束はいつも同じ約束で、それはみんなのケガを守るための約束で、我慢しようと思えば我慢できることですから。「今度は絶対守る!」も、何度も何度も繰り返したら、ダメです。
それに、その注意をする前に、全員に「約束を守らなかったり、説明を聞いていなかったりすると、ケガをしてしまうことだってあるのだから、約束を破る子には練習をさせることはできないよ」と話してありましたから。
そのすぐ後に約束を破ったので。これまでに何度も注意をしてきたこともあり、「練習するな」です。
・・・ということで、2人は見学に。
すると、ある子が、私に「僕が休むから、あの2人を代わりにここに入れてあげて」と言ってきました。
冷酷な私は「それはできない」と言い、でも、「何でそう思う?」と聞くと、
「僕も、そういうことが前に1回あったから」と、その子は答えました。
その子の言う「1回」が、以前にルールを何度も破ったことがある「1回」なのか、以前に自分も同じように練習に参加できないことがあった「1回」なのか・・・どちらかはわかりませんが(どちらも可能性あるんですけど・・・)、ちょっと感心しました。
だからといって、見学の2人をすぐに戻すようなことはしませんが。ですが、本当に感心。
その子、よく私にそんなことを言いましたね。「自分も怒られるかも」と、きっと思ったと思いますが。
そういえば、この子もよく約束を破って注意されましたからね。
これまでの自分の経験から、その時の気持ちをちゃんと心で感じて、反省するとともに、強さと優しさを身につけてきているのでしょうね。そんな風に見えませんでしたが、なかなかやりますね。

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基本・・・

(2010年6月 通信No.97より)

先程のU-6クラスのことを書いた日、U-9クラスでも、(一般的な考えからは)基本とは外れている注意の仕方を私はしました。
「注意をする時は“みんなの前で”ではなく、“1人の状態”にしてから」という基本がありますが、これと逆の、みんなの前で注意すること、叱ることも、意味のあること、基本の一つだと私は思っています。
みんなの前で叱られるのは、本人が恥ずかしいと思うとか、そんなことよりももっと優先的に知らなければならないことがあるからです。恥ずかしがっていないで自分で受け取らなければならないことだってあるのです(恥をかかせるとか、注意される子・周囲の子のことを考えないでみんなの前で注意をすることはもちろんよくないと思います)。
中学、高校でも、こういった注意のされ方をすることがあるかと思いますが、それを「よくも恥ずかしい思いをさせたな」と捉えるだけでは、子供は成長できません。
なぜ注意をされたのか、叱られたのか、その本質をつかめるか、理解できるかが大切なのです。
理解させる注意の基本が「みんなの前でではなく」なのですが、それとは逆の「みんなの前で注意すること」に含まれる良い効果も、(ここでは本題からそれるのでお話ししませんが)大きな目で深く見れば、結構あるのです。
注意の仕方に気を配ることも大切ですが、注意の仕方に関わらず、なぜ注意をされたのか、本人がそれを捉える努力をするようにしていく必要はあるように思います。最近の傾向として、注意の仕方などに気を配りすぎて、本人が自分の行動を顧みることへの気の配りが逆に減っているようにも思います。子供のことを考えてあげることは大前提ですが、それによって、本来、子供が受け取るべきことを受け取れないまま成長していってしまっては、本末転倒です。非常に難しい部分ですが、子供をいかに守るのか、育てるのか、これからもよく考えていこうと思います。

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しっぺがえし

(2010年6月 通信No.97より)

U-6クラス・・・子供たちは、好き勝手にやっています。無法地帯です、無法地帯! 
なので・・・・私はもっと好き勝手にやっております! 
申し訳ありませんが、一般的な働きかけなんか無視、無視! 
でも、基本を軽んじているわけではありません。基本はとても重要なので、その上でのことです。・・・・・あ、今、電子レンジのピピピ音が聞こえました。ということで、シューマイを食べながら、続けさせて頂きま~す。
だって、今日はまさにそのU-6クラスがあった日。
ちょうど保護者の方に「U-6クラスのことも書いて」と言われたので、「書きますよ!」ということで書いているのですが、もう、エネルギー残ゼロですので・・・シューマイ食べま~す。ちなみにわんこロー君が、私がこぼすのを狙っています。こぼすか! もう立派な大人だぞ(だけどたまにこぼすからヤツはここにいる)。「お腹すいた」という顔で見ているので、ちょっとあげ・・・るかっ! 俺のだ! 
・・・話を戻します。どこまで話しましたっけ、そうそう、まだ全然話してない。戻すまでもない・・・。
えぇ、好き勝手にやっていますが、決して基本は軽んじておりません。
しかし、子供界には“見た目の基本”では通用しないことも多く、Oh,No! ・・・いやいや、応用応用なのです。
例えば、道端で子供が転んだ時に、すぐに立たないとするじゃないですか。
お母さんが自分のところに来てくれるかが心配で、まるでそれを試すかのように(意識的に、或いは無意識に)、しばらく立たないことがありますが、こういう時は、一度、そばに行ってあげると、次からは見守ってくれていると安心して、自分から立つようになることもあります。
「不安だったら安心を与える」・・・これは基本といえば基本です。
同じように、子供は「かまってオーラ」を発して困らせるような行動を取ることがありますが、基本的には、普段、十分にかまってあげるとそれで満足したり、困らせなくてもかまってもらえるのだと(見てくれているのだと)安心したりして、「かまってオーラ」を必要以上に発しなくなることがあります。
「関わりを求めているなら関わる」・・・これも基本です。
ですが、基本とは全く逆のことが必要なことがよくあります。“見た目の基本”とは全く逆のことが必要なこともよくあるので、私は、応用として捉えられるようなことでも、基本として捉えています。
行動の理由を考え、先程挙げたような基本的な対応が望ましいように思える場合でも、さらにもう少し深く考えて、それと真逆のことをすることがあります。
ソラは子供たちの作る空間なので、子供に相応しい「しっぺがえし」はあった方がいいと私は思っています。
もし、約束を破ってしまったら、悲しい思いをする。友達が自分のことを思って助けに来てくれたのに、それに応えなかったら、悲しい思いをする。こういうことは、必要だと思っています。
ですから、「こりゃ、子供の世界では通用しないだろう」ということは、放っておく(実際には放っておいているわけではありません)ことがよくあります。こういう働きかけをする時は、それなりの理由がある時ですが。
例えば、小さい子は、よく、自分からプイッとコートの外に出てしまうことがあります。「あっ、ウチのことだ」とか思わないで下さい。本当によくあることですから。
そういう時、グラウンドの中や友達の様子に全く興味・関心を示していなければ、結構強く働きかけをします。
ですが、興味・関心を示すサインを出していたら、私はちょっと放っておくことがよくあります。
そして、様子を見ながら、ちょっと声をかけます。何度か適当な大きさ・内容の声をかけて、それでも、プイッとしていたら、それ以上は声をかけないこともよくあります。
「コーチなのだからもっと声をかけてあげた方が良いのではないのか」と思われるかもしれませんが、私は理想からはかけ離れたコーチなので。
なぜなら、声をかけるのが、私でなく、子供であっても同じでしょうから。
子供の場合、数回は「どうしたの?」「いっしょに遊ぼう」と言うでしょうが、それでも、相手がそれに応えようとしなければ、声をかけるのは数回で、自分は遊びの中に戻っていくでしょう。
これは、別に優しくないのではありません。優しい子でも、まだまだ「自分が」中心の時ですから。
まだ自分の楽しさを友達に全てあげるようなバランスの取り方はしません。本人が楽しい経験をたくさんする必要がありますから(そういう年代ですから)、これが自然だし、これでいいのだと思います。
なので、私もそれに近い行動をするだけです。
さすがに、子供のする回数よりはちょっとだけ多く声をかけますが、本当にちょっと多いだけです。
その時に、(本心では戻りたいのに)自分から応えようとしないと、ちょっとさびしい思いをさせるのです(こういう時でも、子供の段階や様子によっては、もちろん、声をかけ続けます)。
こういう中で、心を使って、子供たちは色んなものをつかんでいくのです。
この前も、プイッとなって外に出た子がいます。
私は数回声をかけた後は声をかけず。すると、ある子が声をかけに行ってくれました。
声をかけられても、その子は中に戻って来ませんでしたが、声をかけに行った子は、数回声をかけた後、練習に戻ってきました。これぐらいが自然です。
声をかけてもらっても、その時に応えず、戻るきっかけをなくした子。
その日はちょっとさびしい思いをしたことでしょう。かわいそうでも、子供の世界ではあたり前の一日です。
こういうことから、自分がどこまで歩み寄るべきなのか、友達の気持ちにどう応えるのか、その他諸々のことを少しずつ学んでいきます。
・・・さて、その2週間後、この子は同じようにプイッとなり、コートの外に出ました。
この時、私は全く声をかけず。すると、前回声をかけに行った子が、また声をかけにいきました。
するとすると、声をかけられた子は、すぐに嬉しそうにコートの中に入ってきました。
前は全く同じ場面で、まだ戻って来なかったのですが、今回は一回の声で戻ってきました。
さびしさ、嬉しさ・・・あたり前ですが、子供たちは、子供たちの社会で、多くのことを学びます。
心を使いながら、何かを感じながら、簡単には線を引けないものに線を引いたり、見つけにくい基準を見つけたりして、分別を学んでいきます。そういうことがとても大切な年代なのです。
好きなように思いきり行動する中でこそ、そういう本当の線や基準は見つかるものです。
これからも全クラス、適当な大きさのしっぺがえしが来るような、自然な場であればいいなと思います。
冷たくてごめんなさい(わんコローにもシューマイはあげず。さっき、あきらめてすごすごと戻りました)。

*今回の話の中で約束を守らなかった子は、この話の1週間前、ゆびきりをしたら、約束を守りました。
その前の週(=2週間前)は、ゆびきりをしても(途中まで約束を守りましたが)、最後の方で守れなかったのに。
少しずつ成長していた子です。
こういう流れできていたので、さっきの話の週も、予定ではゆびきりをするつもりだったのですが(もししていたら、きっとこの子は最後までまた約束を守ってくれたと思います)、この時は、ある理由からゆびきりをしなかったのです(私としては、ギリギリの選択で)。
そういうことも、この日のプイッには関係していますので、私はこの日のプイッも自然なことの一つだと見ています。
*練習時は、「見えない働きかけ」がたくさんありますので、保護者の方は、スクール中はコート外からは子供たちに話しかけないようにお願いいたします。
*プイッとなっている子が、グラウンドの中に興味を持っているかどうかは、足の微妙な動きや表情、視線、様々なものに表れます。一見わかりにくいこともありますが、それらの行動から、どれぐらい興味を持っているか、どれぐらい自分で処理できるのかを判断して、働きかけの方法は決めています。
*この前、ある子がお母さんと遊んでいるのを見ました。その子は、兄弟の中ではお兄ちゃん。きっと普段はお母さんも下の子を見なければならない時間が多いと思います。そういうこともお兄ちゃんは理解していると思います。
ですが、こういう、お母さんと1対1で過ごせる時間があったなら、それはこの子にとって特別な時間で、とても安心するだろうなと思いました。

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ちょっとだけ「アピール」について

(2010年6月 通信No.96より)

「ゲームに出たければアピールしろ」なんて言葉をたまに聞きます。
だからアピールをする子も増えています。アピールをするのが悪いとは思いません。
が、その前に、本当に「出たくてたまらない」なら、その前の練習への取り組み方にも必ず表れます。
たまに、練習中は他の子に迷惑をかけても平気で、また、決して「上手になろう!」と強く思っている態度ではないのに、ゲームになると突然、「やりたいアピール」をする子がいますが、私は、気まぐれに練習に取り組んでいる子を優先するようなことはまずありません。
チームなどでも、「アピールしろ」と教える場合は、誤った学び方を子供たちがしないように気をつける必要があります。場合によっては、「その時」のアピールの部分だけに目が行き、普段の様子や練習への取り組み方を考慮しないで評価されることもあるように思います。
それでは、努力の仕方を間違えたり、正しく努力している人のことを正当に評価できなくなったりする可能性もあり、上手になるはずなのに、上手になれなくなる子も出てきます。
誤って高い評価をされてしまう子にとっても、(アピールなんてしなくても、いつも同じように地道に努力している)本来評価される子にとっても、良いことではありません。
まずは、「一時の」アピールの前に、「普段」の取り組みを見るべきです(取り組みと言っても、“大人が考える一生懸命の行動”と“子供が一生懸命にやっている時の行動”にはズレがあるので、大人主観の一生懸命のみに基準を置くことは避ける必要がありますが)。
子供の場合は、アピールの仕方を教える前に、まずは自然に「やりたい熱」「やりたいオーラ」が出るぐらい、サッカーを好きにさせることが大切です。そうすれば、練習への取り組み方が変わってきますから、それを指導者がつかめさえすれば、不自然なアピールの指導なんて不要になります。

*サッカーをやめてしまう子の中には、「一時のアピール」の不得意そうな子や、大人が考える一生懸命から判断したら、その子のサッカーの好きさを(大人が)見誤ってしまうような子がいます。もっと自然に見守っていけば、サッカーをもっと好きになるのに、という子も多くいます。そのような子がサッカーから離れるのは残念なことなので、子供の時にどのようなことが大切なのか、指導的な立場にある人はちょっと考えてみて下さい。

*「気まぐれに取り組んでいた子を優先するようなことはまずない」と書きました。
「まずない」ということは、“場合によってはある”ということです。
同じ成果を得るために、他の人の何倍もの努力をしなければならないこともあります。
同じ量・質の努力なのに、成果がすごく出る人と少ししか出ない人がいます。
こういったことを「ずるい」と考えるだけの子にはなってほしくありません。
例えば、練習中、上手な子が手を抜いていても、「その子がそこまで上手になったのは過去に人の何倍も努力をしたからかもしれない」ということを考える必要があります。
もちろん、「上手になったら手を抜いていい」というわけではありませんが、過去のその子の努力を考えず、ただ一時の様子を見て「ずるい」と思うのは、違います。
さらには、過去も今もさほど努力していないのに大きな成果を得る人もいるかもしれませんし、そういう人に、必死にやっている人がバカにされることもあるかもしれません。「くそ!」と、いくら怒ってみても、負けてしまうことだってあるかもしれません。
その時にどうするか? 腐るのか。 いや、そんなのもったいない。
腐らず努力できる方が、絶対に大きなものを手に入れることができるのです。
こういったことを教えるために、あえて、気まぐれに取り組んでいた子を優先することもあります。
もちろん、それを通じて、双方に努力の大切さやさらなる可能性を伝える(思い出させる)ためです。
・・・もっとも、大好きになれば、「ずるい」なんて考える前に、行動を起こすものです。好きなら、そんなことであきらめられるわけがないですから。
要は、どれくらい好きかです - が、年齢が小さい時は、そんなに強い「好きさ」は持てないのが自然です。
ですから、どんどん好きになるように、今の段階では見守りながら、今、必要なことを教えていく必要があるのです。

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「いつも」のすごさ・・・これが土台です

(2010年6月 通信No.96より)

U-12クラスのゲーム中。
3人チーム対4人チームの時に、人数の違いに気付いた子(=休憩中)が、「俺、助っ人で入りたい!」。
それに続いて、隣にいた子も「俺も入りたい!」と。この時は却下。べつに人数に差があってもいいので。
この時は、2番目に「俺も入りたい」と言った子は、その前の練習をしっかりやっていなかったのにそう言ってきたので、(他のみんなにも「アピール」について、話をした方がいいと思い)ちょっと話をしました。
かなり以前にも書いたかもしれませんが、「アピール」について、誤解をしている子も多いと思います。
「日本人はアピールが下手」とか「アピールが少ない」ということが育成年代のサッカー環境でもよく言われた時期があり、その結果、「アピール」を教わることも増えたように思いますが、私は、そういう不自然なアピールを見て、(まだ不要な)要領の良さを身につけてしまうように感じることや、もっと大切なものを軽んじているように感じることがあります。
この日も、もしかしたら、「アピール」を誤解するような形で教わった可能性もあると思い、「サッカーをやりたくてたまらないというようには思えない態度で練習していた奴が、いきなりゲームの時に“やりたい”と言ったって、そんな話は聞かない。そんな奴がうまくなるような練習はしない」と言いました。
ただ、最初に「俺、助っ人に入りたい!」と言った子は、練習も一生懸命やっていますし、やりたいから自然に出た言葉で、誰かを入れる必要があれば、間違いなくこの子を入れていたのですが・・・。
・・・この子は自分でも練習を一生懸命やっていたことをわかっていたと思ったので、先程のような話をしても、自分が責められているとは誤解しないと思って話したのですが…もしかしたら、誤解したのでしょうか。
その後のゲーム中、少しだけ涙を流している時間がありました。
ただ、その涙は数分で、ゲームの勝敗への悔しさ、勝負への悔しさ、自分のプレーへの悔しさ、または足の痛み・・・他にも、色々な原因が考えられ、特に理由を聞いたりはしませんでした。
(様子を見ましたが、「足が痛くて」という感じではありませんでした。)
この子のこの時の涙は、プレーを見ても、決してマイナスに作用はしていないので、必要な、自然なものだと感じ、もし、私の先程の話を誤解して悔しいのだとしても、(プレー・表情を見る限り)わざわざ本人にその場で説明して気持ちを沈める必要はないように思え、また、誤解していなかったとしても「入りたい」と言ったことを否定されてもふてくされず、いつものように一生懸命にプレーをしているので、このままにしておいた方がこの子にとっても、他の子にとっても良いと思い、そのままにしておきました。
さて、いったん休憩 - 休憩後、まずコートに戻って来た子は2人。もちろんこの子が2人のうちの1人。
1番目に来たのは他の子です。2人以外はまだまだ休憩状態。この2人だけ、かなり早く入って来たのです。
1番目に来た子は、入って来たものの、仲の良い子はまだ来ないし、「どうしよう」状態・・・。
この時、この子は、その1番目に来た子に声をかけて、パスを始めました。
実は、その1番目に来た子は、自分から積極的に友だちの中に入っていくタイプではなく(それ自体は決して悪いことではありません)、この日の練習前も、仲の良い子が来るまでは、「どうしよう…」感が強くありました。
周囲で遊んでいる子のボールが転がってきても、取ろうか、どうしようか、という感じで - こういう時、声をかけた方がいいのだろうな、声をかけられた方が嬉しいだろうな、という状況でも、周囲で遊んでいる子は声をかけず、他のボールで遊んでしまうことや自分でボールを取りに行くことがあります。
ですが、(練習前の)まさにそんな状況の時にも、この子は、その子に声をかけていました。
「○○、取って!」 - 声の大きさ、タイミング、回数・・・なんかですね、これは気のせいかもしれませんが、この子は、その子が自分たちに加わるきっかけを作るような感じで声をかけたように私には思えました。
そして、今度は休憩中に「どうしよう」状態になっているその子に声をかけ、パス・・・・。
この子は、普段から友達のこともよく見ていますから、他の子の気持ちもよくわかるのでしょう。イイ奴です。
そして、いつも変わらず前向き。「助っ人やりたい」と言った自分の考えが通らなかったこの日も。
サッカーに対する思いや強さは、否定された時などによく見ることができます。こいつはしっかり見せました。
もうこれは、体に染み込んでいる、そう、「普段」の行動、「いつも」の彼の行動の成果です。
「普段」が信頼できるヤツ。「今日はコイツ、キャプテン」…実は練習中、私はこんなことを思っていました。
*笑顔、涙、冷静な顔・・・この子のサッカー、一日にも、たくさんのことが本当に詰まっていると思います。

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千葉市で開校中 TEL : 042-534-3766
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子供の一日・・・すごいものが詰まっています

2010年6月 通信No.96より

ある日のU-12クラスのゲームで。
A君がキックインの時に、インサイドキックに挑戦。さっきまで、この子はキックインの時に違う蹴り方をしていたのですが、私がインサイドキックでも蹴ってみるように言ったので、この時に挑戦したのです。
そうしたら、失敗。その失敗を見て、そばにいたチームメイトのB君が笑いました。
A君は「笑うなよ!」と怒りました。さらに、「俺、絶対にBにはパスしない!」と。
B君は、私がA君にインサイドキックをするように言ったことを知っていたと思いますし、この失敗をバカにして笑ったとは思いません。ですが、その時は、笑ったB君に、「お前がそこでパスをもらおうとして声をかけてやれば、A君は簡単にキックをできるから失敗することはなかった」とサラッと言いました。
A君にも、A君なりに考えなくてはならないことがありましたから、ちょっと言いました。
A君は、普段、同じような場面で自分が失敗した時にゲラゲラ笑うことがあります。友だちが失敗しても、(バカにするのではなく)自分の失敗を笑う時と同じようにゲラゲラ笑うことがあります。
普段も一生懸命なのに、「ゲラゲラ」する子なのです。その子が、この時は「笑うなよ」なのです。
大人がそばで見ていると、これは笑ってもいい、これは笑ったら怒るだろうとわかることもありますが(私はよく間違えますが)、子供はまだわからないことが多くあります。
B君は、この時、普段はこういう時にゲラゲラ笑うA君に「笑うなよ」と言われ、ちょっと驚いた顔をしていましたが、そうでしょうね、「あれ?」と思うでしょう。その時の心の動きとか、見えないほんのちょっとのズレで行動や気持ちが変わることがあるんですから、わからないことがあって当然です。
ですが、こういうことがないと、同じことに関して、他の人がどう考えるのかを知ることができません。
ですから、私はこういうことがたくさんあってもいいと思います。
・・・実はこの数分前には、こんなことがあったのです。
ゲーム中(A君とB君は同じチーム)、相手の蹴ったボールにB君が少し触れ、ボールが外に出ました。
相手チームからスタートするはずですが、A君は、B君が最後にボールに触っていたことに気付かず、ボールを蹴ってスタートしようとしました。
この時、他の子が「Bが最後に触ったから、俺達からスタートだよ」と言いました。でも、A君は、B君が触ったとは思っていないので、そのままスタートしようとしています。他の子も、サッカーを早くやりたいので、「どっちでもいいからやっちゃえ」と言っています。
確かに、どっちかわからない場合もあり、そういう時は、「どっちでもいい」時もあるのですが、この時は、B君も自分が最後に触ったことをわかっているようでしたし、「俺たちからだよ」と言った子が正しいのです。それに、自分でわかっているのなら、周囲の子にがっかりされても、正直に言えた方がいいのです。周囲の子も、自分たちボールにならなかったからと言って、正直に言った子を非難してはいけないのです。勇気のいることですし、正しいのですから。こういうことも教えたいことの一つです。
ですから、A君がもうボールを蹴ってゲームは再開してしまいましたが、私は止めました。
私がB君に「触ったの?」と聞くと、「触った」と。おー、エライ、エライ。これでいいのです。
すると、A君が、B君に対して(俺が蹴る前に)「早く言ってよ」と。
「俺達ボールだよ」と言う声を押し切ってスタートしてしまったA君の気持ちもわかりますし、状況的にすぐに言いだせなかったB君の気持ちもわかります。
この時、B君は「なんで俺がお前に文句を言われるの?」と思ったかもしれません。「言う前にお前がスタートしたんじゃん」と怒ってもおかしくありません。実際には、B君はそのようには思わなかったと思いますけど。
実際にどう思ったのかわかりませんが、A君に「早く言えよ」と言われた後に、B君がA君に何かを言おうとしても、ちょっと遮られるような感じで、理由を伝えきれないようだったので、この時は、私の方からA君に(B君が言いだせないのも無理はないということを)補足しました。
こんなことの後での、先程の場面(キックミスを笑った)だったので、B君が笑った理由も、面白かったのか、さっきちょっと嫌な思いをしたからなのか、それとも、(もともと仲は悪くないので)失敗をなぐさめるつもりだったのか、目が合い、何か言わなきゃと思ってつい笑ってしまったのか・・・たくさんの理由が考えられたのです。私的には、どの理由も自然だし、怒るA君の反応も自然だし、A君もB君も「どっちも正しい」と思います。
そして、練習が終了―練習後、ふとみんなを見ると、A君とB君が並んでいました。一瞬ですが。
ただ、すぐにA君が場所を移動してしまいました。
偶然並んだとは思えないので、場所を移動したA君に、どちらが先にその場所にいたのかを聞きました。
先にいたのはA君だそうです。だとしたら、B君はA君がそこにいたのを知っていて、そこに来たのです。
A君がすぐに場所を移ってしまったので、なんでB君がそこに来たのかはわからないままですが、何か言いたかったのかもしれません。謝りたかったのか、文句を言いたかったのか、それはどちらかわかりませんが(きっと聞けば、B君はそこに来た理由を教えてくれたと思いますが、私はべつに聞いていません)。
ただ、A君には、B君がそばに来ていたことは偶然ではなく、何か理由があったからだろうということだけは伝えました。
あとは、A君とB君の心に何かが残ればいいかなと。モヤモヤでもなんでもいいのです。
あたり前のできごとで、この日のうちに無理に解決するようなことではありませんから。
もちろん、その日のうちに解決すべきだと思う場合は、そうなるように促します。
しかし、この時の、この2人のケースでは、時間をおいた方が、より互いの成長につながると思ったのです。
あとはこういうことがあったことをしっかり頭に入れて、継続して見て行けばいいのです。子供の世界には、聞いた方がいいことと聞かないでいいこととあり、また、子供たちの間に何かあった場合も、間に入った方が良いと思われることと入らないでおく方が良いと思われることがありまして・・・。
それに、この2人の場合は、今度会うまでに、今度会ってから、また成長していくことは確実ですし・・・。
・・・・そんなことがあったB君ですが、この日、先程と違う場面では、こんなこともありました。
ある子がゲーム中に転び、ゲームから外れ、コートの横で顔を伏せて泣いていました。
B君はその時に休憩しているチームだったので、泣いている子から離れた場所にいたのですが、いつの間にか、泣いている子の横にそっと行っていて、横に座り、様子を見ながら、色々と話しかけていました。
せっかくなので2人にしようと私は場所を移したので、どんなことを話していたのかわかりませんが、この時は、B君が来てくれて、きっと泣いていた子は嬉しかったと思います。B君は、こういうことに気付く子です。
ちなみに、先程のA君も、誰かが泣いていると(元気の出させ方は色々あっていいと思いますが)、話しかけて何とか頑張らせようとしたり、必死に笑わせようとしたりするタイプです。友達の気持ちを感じる子。
そういえば、B君が初めてソラに来た日、心細そうだったB君に、A君は真っ先に声をかけていたりして・・・。
こんな子供たちです。今回のことが成長につながらないわけがありません。
・・・・ついでに書くと、この日、B君は、練習前に一人でちょっとポツンとしていました。
誰かがそばに来るとちょっと寄り、声をかけそうになりながらも、間が合わず・・・こんな感じを繰り返し、少しすると、一人でボールで遊びだしました。この時はどんな気持ちだったのかな? (こういう時、私は、今までのことやこれからのことを考えて、声をかける場合や声をかけずにただ様子を見る場合があります。)
・・・U-12クラスの練習は80分。
ですが、一人一人、気持ちがグルグル動く、心が揺れる、色んなことが詰まっています。
人と接すれば、気持ちや心に動きが生まれるものです。この日のA君とB君の心の揺れ幅は、きっと大きかったと思います。心の大きさも成長したことでしょう。
・・・ここで、サッカーの話を少し入れておきます。
サッカーでは、できるプレーや、理解・対応できる戦術に幅があるほど、たくさんの楽しいプレーができたり、経験やプレースタイルの違う色んな選手とサッカーを楽しんだりできます。
そして、選手が、できるプレーや戦術理解の幅を広げる要因の一つとして、“タイプや考えの異なる複数”の監督の元でプレーしたり、タイプ・考えの異なる様々なチームメイトとプレーしたりすることがあげられます。
そうしたきっかけを経て、プレーや考えに、「幅」が出て、サッカーをより楽しめるようになるのです。
これと同じように、心の幅が大きいほど、人も人生を楽しめるのだと私は思います。
子供たちにとっては、友だちの一人一人がチームメイトであり、監督みたいなものです。
心の幅が大きく、深くなるような経験を、ぜひたくさん積んでほしいと思います。
そして、人生を思いきり楽しんでほしいですね。

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大人って勝手

(2010年3月 通信No.93より)

今年卒業する子の中には、付き合いの長い子がたくさんいます。
また、付き合いの短い子も、空間にすぐに打ち解けて、長くここにいたような感じのする子ばかりです。
その子たちが卒業することでふと思ったのは・・・大人って勝手だなぁ・・・と。
もうずっと前、コーチを始めた頃に最も強く考えていたことは、一人一人を伸ばすことでした。
当時、教えていた子は、練習中にふざけたりする子は少なめで、みんな頑張っていたと思います。
その後、何年かの間に、ニュースなどで中学生や高校生が自らの命、体、心,友だちの命、体、心を失くす、壊すような事件が多く報道されるようになりました。
そして、(「多い」というのは印象だけなのかもしれませんが、多いか少ないかに関係なく)「卒業した子のまわりでそんなことがないように」と、強く思うようになりました(もちろん一般社会の中でもですが)。
それから、一人一人を伸ばしたいという思いの前に、生きてほしいという思いが強く加わりました。
ソラでは、互いの関係を意識させることが多いですが、それは、こんな理由からです。
互いに、可能性を多く持つ存在だということをわからせる、感じさせる・・・そうすれば、自らの命、体、心も、友だちの命、体、心も、失くしたり、壊したりすることがなくなるのではないかと。
もちろん、これは私の勝手な考えなので、最低限、サッカーを上手にさせた上での話ですが。
こんな感じで練習をしてきたので、今年卒業する子や、彼らと長く一緒にいた他学年の子も、ソラの子はよく話します。友だちになります。だから、色んな話もするし、ふざけたりもします。
昔、教えていた子は、みんな一生懸命だったし、仲も悪くはなかったです。でも、ここまでの関係にはなれていなかったかもしれないと、今、思います。それは、彼らに責任があるわけではなく、私の作っていた練習内容や雰囲気がそういう方向にあったからなのですが。もちろん、彼らも最高にイイ奴らでしたし、きっと今も最高のはずです。私のメニュー、計画の不足分くらい、子供たちは補う力がありますから。

・・・そして、最近、ソラの子を見ていて・・・
子供たちは、これから生きて行くために、たくさんのことを経験しなければなりません。昔に比べ、人の表情を見て遊ぶ時間や機会の減った今だから、尚更です。
人と関わりあう中で、色んなことを乗り越える力を少しずつ、つけていかなくてはなりません。
それに、可能性をもっと強く認識するためにも、サッカーの部分でも、もっと力をつけなくてはなりません。
そう思うと、最近は、せっかくここまで互いに成長してきたんだし、ここでさらにもっとぶつかれるんじゃないか、もっと一生懸命になれるんじゃないか、なんて感じることもありました。
・・・が・・・よく考えれば、週に一回や二回しか会えないのに、よくここまでの関係になったなと思います。
さらによく考えれば・・・、彼らの状況(これまで、現在、今後)を色々と考えて、特に今年度の子に対しては、今みたいな雰囲気に持ってきたいと考えて、メニューを組んだり、接してきたりした部分もあるのに。
ここまでなったのは、彼らが一生懸命だったからで、怒ったり、ケンカしたり、色んな話をしたり、笑わせたり、立ち直らせたり、友だちが休んだことを気にしたり、気にされたり・・・お互いに気持ちや存在をぶつけあってきたからこそのはずなのに,練習にしっかり参加して、その中で、必要なことを感じとってきたからこそなのに、そんなことは忘れてしまう私・・・。ははは、本当に勝手ですね。
それに、今の状態も、子供たちは決して手を抜いているわけではないのに。
・・・でも、元の思いを忘れちゃうのも、実は子供たちに責任があるんですよ。あの子たち、本当にすごいんですから。元の思いを忘れそうになるくらい、すごい力を見せつけるんですから。すごい力つけたんですから。
そう、子供たちのせい・・・・やっぱり大人って・・・勝手ですよね(私だけじゃないでしょう?)
反省・・・・・・なんてしないですよ。だって、子供たちはもっと勝手ですもん! それに私も立派な大人ではないですもん。
卒業する子が、本当に力を発揮するのはこれから。今は、体にたくさん詰まっている状態。まだまだ全てを出してはいません。本人たちも気付いてないでしょうが。これからが本当に楽しみです。
可能性、力、存在を、さらに強く感じていってほしいと思います。

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保護者の皆さんへ・お礼

(2010年3月 通信No.92より)

■保護者の皆様へ
4月からの一年間、スクールの活動にご理解、ご協力頂きまして、本当にありがとうございました。
ソラに通う子は、良い意味で子供らしくて、とても楽しい空間を毎回作っています。
「楽しい」というのは、色んなものが詰まっているという意味ですので、怒りたくなるようなことも(実際に怒ってますが)、笑いたくなるようなことも、悲しくなるようなことも、本当に色々あるのですが、“小さな小さな大きなこと”のたくさん詰まった「子供の一日」を一緒に過ごすことができ、私も毎日がとても充実しています。
このような空間なので、外から見ていて、自分の子がちゃんとやっていないように見える時や、人に迷惑をかけてしまっているように思える時には注意をしたくなる時もあったかと思いますが、そんな時でも外から声をかけるようなことはせず、スクールの空間を大事にして下さったことに感謝いたします(私やスタッフへのご意見などは遠慮なくどうぞ)。
子供たちは色んなことを経験しなくてはなりません。
自分で色んな経験をしないで、人の気持ちなどわかるようにはなりません。
まだまだ失敗をして、間違ったことをして、その時に色んなことを感じる経験をしなくてはなりません。
グラウンドで起きていることは、その時に単発的に起こることも、これまでの日々があった上で起きていることも、その組み合わせであることもあります。
その時その時で、何を経験させるべきか、何を感じさせるべきか、何を学ばせるべきか、その判断が難しいこともあります。
その時の空間をめいっぱい感じた上で、コーチとして、何をどうするか決めているので、今のように見守って頂けると非常にありがたいです。
今年度も、子供たちは、自分たちで作った空間で、それぞれ色々な部分が成長したと思います。
それも、外から支えて下さった皆さんのお陰です。ありがとうございました。

■6年生の保護者の皆様へ
卒業まで、子供たちをソラに通わせて下さり、ありがとうございました。
感謝の気持ちは言葉でいくら綴っても表せないくらいですが、ここでは、重たくなりすぎてもいけませんし、話し過ぎるわけにもいかないので、少しだけ・・・
・・・私は、子供たち、皆さんにたくさん力をもらいました。
「君には無理だ」と言われたこと、コーチを目指した時には想像すらできなかったことに、挑戦できました。
そのきっかけをくれたのは、6年前に閉校したスクールに来てくれていた子供たち。
そして、スカイランドの方に協力して頂き、保護者の皆さんに支えられ、スクールをスタートし、スタート後も、新たに加わった子供たち、子供を預けて下さった皆さんから、さらに力をもらい、コーチになる時に夢見たことよりももっと大きなものをつかむことができました。
本当にみなさんのお陰です。感謝しています。
6年前、私がスカイランドの社長さんにスクールの話をしに来た時は、「会社として」ではなく、「個人的な形」の話でしたから、話を聞いてもらえなくても仕方ないし、聞いてもらえても、スクールを開催できなくて仕方ない状況でした。
それにも関わらず、スカイランドの社長さんは、話を聞いて下さり、そして、スクールを開催させてくれたのです。
きっと、お話しした相手がスカイランドの社長さんではなく他の方であったなら、このようにスクールを続けることはできなかったと思いますし、子供たちや皆さんに会うことはできなかったと思います。ですから、スカイランドの方にも本当に感謝しています。
当時、ここでスクールを始める時に私が心に決めたこと、それは、「絶対に、子供たちに二度も閉校を経験させない」ということでした。
子供たちに「がんばれば何とかなる」なんて言いながら、目の前でスクールがなくなる経験を二度もさせたら、「がんばっても無理なものは無理」と教えるようなものです。
もちろん、実際には、がんばっても「無理」(一時的にそう映るものだと私は理解しています)なことがあるのかもしれません。
それに、子供たちには、閉校といってもどういうことなのか理解できないかもしれません。
でも、これからそういったことを学んでいく子供たちに、まだまだ自ら多くのことに挑戦していかなくてはならない子供たちに、(その時は理解できなくても後で振り返って)がんばってもダメなことがあると強く思ってしまうような経験は絶対に二度もさせない・・・これだけは最低限守りたいことでした。これをできた上で初めて他のことを追求できる、これを守る意思を持っていて初めて他のことを追求する権利があると、自分で思っていました。
今年、ソラを卒業する子の中には、閉校したスクールに在籍していた子もまだ残っています。
今年の卒業生を送り出すことができれば、閉校を経験している子は本当に少し。その子たちは、当時はまだ年中さんだったので、その頃のことはもうほとんど覚えていないでしょう。今年卒業する子が、かろうじて覚えているかどうかというところです。
(皆さんはいつも「無理しないでいいので」と温かく、応援だけしてくれましたが)子供に接する者として勝手に自分に課した課題でしたが、それをもうすぐ果たせます。
6年前の自分のままでは、きっと果たせなかったと思いますが、スクールの再開後、たくさんの子供たち、皆さん、仲間に会うことができ、ここまで来ることができました。
最初からいた子だけでなく、一年前にソラに来てくれた子も、二年前にソラに来てくれた子も、保護者の皆さんにも、ソラに来てくれた全ての方から、本当に力をもらいました。
今までに会った子供たち、保護者の皆さん、スカイランドの方・・・本当に感謝しています。ありがとうございました。
・・・これらの思いの他にも、今年卒業する子たちは、色んな状況、環境の中で、ソラでサッカーを続けてくれた子がたくさんいて、また、ソラに来る一人一人の子がそれぞれの頑張りを見せてくれましたので、彼らに対する思い、今年の子に対する特有の思いもあります。
彼らへの思いや皆さんへの思いを綴るといつも重たくなってしまって、何度も書いては消すということを繰り返したことがあります。ですから、今回は・・あとは心だけ、ドカンと放たせて頂きます。
勝手な、重たい思いかもしれませんが、どうか、届きますように。

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一瞬・一回に詰まっているもの

(2010年2月 通信No.91より)

以前、「誤解」について書きましたが、あの後も、違う子供たちの間で、似たようなことがすぐに起こりました。
ある子とある子・・・私にはジャレているようには見えない。二人はどうなんだろう。
一人はじゃれている気なのかな? でも、もう一人は嫌なんじゃないのかな。このままでいいのかな? 
この時は、ジャレている内容、雰囲気から、入っていった方がいいと思ったので、早めに入りました。
一人は、やっぱり嫌だったようです。相手の子は、それを感じていたのかな、どっちだろう。どっちにしても、やっぱり相手に言わなきゃ伝わらないこともあります。とりあえず、この時は「伝える」をさせて終わり。
翌週、この二人も、すごく仲良くなっていて、自然な関係になっていました。これは大人の前だから見せる仲の良さではありません。注意されるかどうかの子供たちのライン。
こういうことが本当によく起こるんですよね。子供たちって本当に面白いですね。
ところで、私がこの子たちを見るのは週に一回。情報を得て、次に見るのは一週間後。二人の関係を確かめるのも、一週間後。その間にするのは、情報の整理。
週に一回だけの練習ですが、その中に実は結構なものが詰まっているので、私の情報処理能力からいくと、数日間あくのがちょうどいいのです。
同じ場面を思い出し、「あれ、何でだろう」「何であんな顔したんだろう」「何であんなこと言ったんだろう」って、何度も考える時間があるので助かります。逆に、一回の練習から得られることは、それをしないと生かすことができません。でも、このお陰で、一つのことから、新しい発見をたくさんできるんです。このお陰で、グラウンドで起きた些細なことにも「ガオっ」とかみつくことがあるのですが。それまでの情報も踏まえて、考え続けてきた上で、一瞬を判断しているので、その時に自分が感じたことは信じることにしています。
そういえば、昭和ネタになりますが、何年か前は、色んな情報が今と比べるととても少なかったですよね。
サッカーに関してもそうで、私が小学生の頃は、サッカーの専門誌は確か一冊。それも月刊でした。
その本を毎月楽しみに買い、隅から隅まで読む。写真も、隅から隅まで見る。
一回や二回読んで終わりでも、一回や二回見て終わりでもなく、もう何度も何度も読んで、見て。
そして、それを繰り返す中で、どんどん新しいものを見つけられるんですよね。
情報としては、すでに一回読んでいるもの、見ているものなので新しくはないんですけど、でも、次に見た時には、また違うことに気付いたりして、発見を増やしていけるんですよね。
写真からは、視線、腕の形、ボール・足の位置、筋肉、周りの選手・・・もう、色んなものを発見・再発見。
文章でも、「足をくるっと回して、すごい芸当をやってみせた」なんて書いてあると、「こんな感じかな」と色んな風にくるっと回してみる。プレーについて書かれていれば、自分で勝手に「こうだ」とイメージしてやってみる。そして、違うパターンもあるのだとどんどん気付く。例えば、「右から来たディフェンダーをすれ違うようにかわす」という文章でも、それを実践しようとすると、いくつものすれ違い方があることに気付く。
実際には一つのプレーだったとしても、それを表現した文章から、いくつものプレーを想像して、結果的にいくつものプレーを身につけることができる。
これらは、情報がすぐに、あふれるように目に入ってくる今ではあまりないことかもしれませんね。
よく、「創造力の欠如」とか言われますけど、情報の多さも多少は関係しているような気がします。情報を整理する間もなく、(一つの形に過ぎない)正解としての形が目に入ってくる。
サッカーに関して言えば、情報を得る、活用する場合は、写真ならではの良さ、動画ならではの良さをそれぞれよく理解して、情報をちゃんと整理することが必要だと思いますが、サッカー以外の部分でも、(前通信の「誤解」にもちょっと関連しますが)相手の気持ちをわかるようになってほしい子供たちには、一回の練習から得た情報、一瞬から得た相手の表情、その時の自分の気持ちなどを整理する時間が必要かもしれませんね。
本当に、子供たちの集まる場、関わりあう場には、一瞬に、色んなことがつまっているのですから。

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踏ん張りきった

(2010年2月 通信No.90より)

これまで、ちょっと勇気を出せず、今までなかなかパスをもらえなかった子。
この子が、この日はパスをしっかりもらい続けました。
ただ声を出すだけではなく(パスをもらおうと思っていなくても、「声を出す」行為はできることがありますが、そうではなく)本当に、友達からパスをもらおうと思って、声を出して。
これは、簡単なようで、難しいことなんです。特に、もともとそれができなかった子にとっては。
でも、いつかはできるようにならなくてはいけないこと。もちろん、先に自信を芽生えさせることが好ましいケースもあります。自信を得た結果、自然にできるようになることもありますから。が、今回のこの子のケースは、他にも理由があり、「挑戦」が必要なケースでした。
だって、毎回、色んな経験をしているのだから。頑張ってきた自分に対して、(適切な)自信を持てなくては、自分に対して失礼です。
それに、自分が頑張れない時に助けてくれた友達への「ありがとう」、子供ならではのストレートな声をかけてくれた友達に対する「僕だって!」・・・こういう気持ちは持たなくては。友達の声や気持ちには応えなくては。
・・・そう思っていたのですが、昨年の間では、なかなかそこまで行けなかったのです。行ける手前まで来ていたのですが、学校行事、天候、体調・・・タイミングがなかなか合わず、行けそうで、行けず。
そして、タイミング悪く冬休みになってしまったのです。1月からは、1月のテーマ、雰囲気があるのに・・・。
さて、年が明け、1月の1回目、2回目の練習…内容・雰囲気は、この子にはちょっと挑戦が必要なもの。
タイミング悪く、12月の練習を休むことの多かったこの子には、「ちょっとキツイ」テーマ、雰囲気・・・。
それはわかっていたんです。でも、この2回は、全体のことを考えても、この子のことを考えても、どうしても、これ(テーマ・雰囲気)でいく必要があり、そして、この中で達成感を感じさせる必要があったんです。
キツイけどあと少しだけ頑張れ、その先には・・・って思っていたんです。
そして、この子はその2回を見事に乗り超えたんですよね。ちゃんと、つかむものはつかんで。
そしてそして、3回目の練習。
練習を楽しそうにやるだけではなく、ゲームでもパスをもらえる。楽しい雰囲気の時も、ちょっとキツイ雰囲気の時も。自分でちゃんと存在する、これまでとは全然違うプレー。よくここまで来ましたね。
彼の挑戦 - 耐える、進む、両方の挑戦。本当によく頑張ったと思います。

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誤解

(2010年2月 通信No.90より)

一カ月くらい前のこと。練習後に1人の子が、「あの子が、ずっと僕のことを○○(有名人の名前)って言うんだよ」と言ってきました。○○と言われるのが、嫌なようです。
言われて喜ぶ人も、嫌だという人もいそうな有名人なので、言っている子に悪気はないのかもしれません。・・・が、悪気はなくても、言われている子がそれを嫌だと思っているのなら、言っている子はそれを感じなければなりません。
言われている子も「嫌だ!」とはっきり怒れば、相手もわかるのでしょうが、半分笑っていて、半分怒った顔なので(こういうことはよくありますが)、相手に「イヤだと思っていること」が伝わらないのでしょう。
話を聞き、もう少し様子を見ていると、言っている子は、ただ「2人で楽しくなりたくて」言っているようです。
2人ともお互いに微妙なアクションとリアクションのため、誤解・勘違いをし、良くなるはずの仲が悪くなっているというところなので、言っている側には、相手の顔をもっとよく見るように言い(ちょっと見ただけでは楽しんでいるように見える顔でも、もっとよく見ると嫌がっていることがわかることがあります)、言われている子には、誰かと仲良くなりたい時にそういうことを言うことがあるという話をしました。
その後はしばらく様子を見ることに。本当にしば~らく。互いに、相手のことを色々と考える時間が必要なこともあるのです。次の練習では、少し関係がスムーズになったようでしたが、さらにこの後、どうなるかな~と。
・・・さて、そんなことがあってから一カ月ほどたった1月、ある日の2(人)対2(人)の対決形式の練習時。
この2人はペアを組むことに。そして…息の合った、というか「合いすぎ」のプレーをしているのです。
もう、本当に驚きです。どこから見ても、仲良すぎです。
この日は、その後のゲームの時にも同じチームにしてみました。くっつけたままにするか、離すか、とても悩みましたが、くっつけるタイミングとしては、今日が最高です。
くっつけることで起きそうな、ちょっと心配なこともありましたが、それは後で修正できること。しかも、この2人の関係から、良い方向に転換できることだったので。
それより、さらにこの2人の関係を感じさせることの方が大切でした。
ということで、チームを作りましたが、3人で1チームになるので、この2人に1人加わる形になります。
そのため、ゲームではどうしても「仲良しペア」の意識が強くなり、もう1人にパスが行くことが少なく・・・。あたり前ですけどね。もちろん、こうなることを考えてチーム分けしているので、大丈夫で~す。
この2人に加えた1人の子は、普段は一つ年上の、仲の良い子からたくさんパスをもらっている子でした。
この子の様子もずっと見てきましたが、明らかに上達のきっかけになったのは、その、一つ年上の子と仲が良くなったことでした。仲の良くなった一つ年上の子からパスをもらうことでサッカーの楽しさを感じたり、とても成長したりしてきた子。上達した今でも、一つ年上の、その子の存在はこの子にはまだ大きいと思います。
仲の良い友達を作るまでに、時間のかかることも子供によってはありますが、この子の場合も、ちょっと時間が必要でした。その中でできた仲良しだったので、もう少し、この関係を持続させたかったのですが、高学年になるとスケジュールの関係で曜日が変わる子もいるので、そうはいかないこともありまして。ですから、他の子とも、そういう関係を築けることに気付いてもらう必要がありました。
さて・・・そこで作った、3人チーム。
誤解が解けて仲が良くなった2人と、これからまた友達を広げて行く必要のある1人。
仲良しペアの2人にそれぞれちょっと話した後、パスがくることの少なかった1人の子にも話しました。その子に、「この2人、仲いいだろ。でも、前はすっげー仲が悪かったんだぞ」と言ったら、すごく驚いていましたね。
なんでもないことのようですが、私は、子供の時に、こういうことを知ることがとても大切だと思っています。
誤解、勘違い・・・人と人の間で必ず起こることです。
本当は好かれているのに嫌われていると思ったり、相手は嫌がっているのに喜んでいると思ったり。
知らないうちに、友達を(自分の理想とは違う)そのような気持ちにさせてしまったり。
誤解や勘違いが原因となって、こういったことが起きていることも多くあるのだということを、子供たちには知ってほしいと思います。
そして、そういった誤解、勘違いは、互いに相手をもっとよく見る、感じることで解消できるということも知っていってほしいと思います。
だって、これから先も、こういうことはずっとあるでしょうからね。
周囲にそういう経験をしている友達がいれば、1人では解決できないことや気付かないこと、2人の間だけでは解決できないことも、きっと解決していけるでしょうし。
子供たちには、お互いに伝えあうこと、お互いの心を感じることを学んでほしいと思います。
しっかり生きていけるように、色々な伝え方を覚えて、たくさん友達を作っていってほしいと思います。
ちなみに・・・誤解が解けた後では、「○○と言われてイヤだ」と言っていた子は、もう相手の子は○○とは言っていないのに、自分から○○さんのマネをよくしています。そのゲームのあった日も、しつこいくらいに・・・。
「へー、こうなるんだぁ」と、私としては、とても嬉しい光景でした。

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SHOW “和” サポーターとブーイング

2009年12月 通信No.89より

「おまけ」は、その時にお伝えしたいことを勝手に取り上げ、「子供の様子を取り上げた内容」→「少年サッカーの環境に触れる内容」という感じできましたが、これからはまた違う感じのものも載せていこうと思います。
ここ数年、「?」と思うようなことが結構あり、これらに対する考えを豊田とは話してきたのですが、彼は聞き上手なのでじゃんじゃん私がしゃべっちゃってかわいそうなので、ここにいくつか載せちゃえということで・・・。
例えば、 “世界基準”、“世界では・・・”というような言葉・・・聞く頻度が多すぎて。場所も内容も色々・・・。
聞くたびに、ヒネクレ者の私は、古き“日本”の良さをちょっと忘れてはいませんか? なんて、思っちゃいます。「世界基準」「世界発」というより、「日本発」のことがもっとたくさんあっていいんじゃない? と。
もちろん、世界から多くのことを学ぶことは大切です。自分たちにないものを学ぶことは大切です。
ですが、外に目が行くことが多すぎて、自分たちの良さを考えることを薄れさせてしまっている気がします。
内容的には、ソラの指導理念に関係なくもないと思えるものもいくつかありますので、これまでのように勝手な言い方・考えで書いちゃいます。もちろん、「正解」ではないので、別にお読み頂かなくて結構ですので。
ということで・・・今回取り上げるテーマは・・・

「サポーターとブーイング」
■日本のファン・・・
もう10年以上前、いや、んー・・・20年以上前でしょうか・・・よく、海外から日本にプロチームが来て試合をすると、試合をした海外の選手の多くが、「日本のファンは優しい、温かい」と言っていました。
その頃、「当たり前じゃん。好きなんだもん」くらいにしか思っていなかったこの言葉が、実は結構すごい言葉だったんじゃないだろうかと、今、大人になってからは思っています。
「日本のファンは温かい」・・・あまりにも普通の言葉なので、聞き流してしまいそうです。それに、日本に来てしゃべるのですから、気を遣ってくれていると思うと、なおさら、この言葉の意味は軽くなってしまうのです。
・・・が、「これはそんなに軽い言葉でもないかもな」と・・・。気を遣っての言葉ではなく、本当にそう思って言っている部分もあったのだろうと思うのです。
当時は(今もかもしれませんが)、海外から来たプロチームの応援をみんなたくさんしていました。
「日本のチーム」対「海外のチーム」でも、海外のチームを応援する人がたくさんいたし、海外のチーム同士の対決では、どちらにも応援する人がたくさんいました。
純粋に、「好きだから応援したい、応援させて」という感じで、一人一人、思い思いに応援していた感じです。
そして、バラバラの掛け声のはずなのに、それが会場では「ウワー」って。みんなの発した色んな声や言葉が、混ざりに混ざって歓声となって会場に響いて ― 「すごいなぁ」「かっこいいなぁ」って、よく思いました。
お互いに力を出し合ったプレーを見るのが最高に楽しかったから、自然に生まれた歓声、響き。
ひいきチームが相手チームから反則を受けると「きたねーぞ!」などと言う人はいましたが、ゲーム中に聞こえてくるのは、これらも含めて、一人一人から発せられた生の声、言葉、そして、その集合体の声援、歓声、ヒヤッとした時のどよめきなどで、グラウンドで選手が選んだプレーに対してみんなでブーイングをすることも、相手チームにプレッシャーを与えるためにみんなでブーイングをすることもなかったような気がします。
そういう環境でしたから、きっと、選手も観客も本当に「サッカー」を楽しめたのだろうと思います。
だから、試合後のインタビューなどで、先程のような言葉がたくさん出てきたのでしょう。
これって、日本のすごい良さだったんじゃないのかなと思います。
もちろん、今でも、海外の選手からそういう言葉を言ってもらえることがあるかもしれませんが、今は素直にその言葉通りに受け取ることはできないような気が私はします。
だって、ブーイングや心ない非難・・・ありますもんね。昔の日本からしたら、なんか違う国みたいですね。

■ブーイング
ブーイング・・・選手やチームにプレッシャーをかけたり、非難したりするためにみんなで団結(?)する。
なんでこういうことが自然に起こる環境になってきたのでしょう・・・。
もしかしたら、何となく、「日本のサッカーは世界から遅れている」とか「サッカーの文化は世界のものが本物(通)」みたいな考えがあって、海外の応援をカッコよく思って、その中の「ブーイング」をカッコイイと思う部分もあったのかな? 海外の試合の中継でも、ゲーム中のあまり良くないプレーに対して、観客からブーイングが出ると「(観客が)よくサッカーを知っていますねぇ」みたいなことを聞いたような気もしますし。
また、日本が強くならない原因に「ホームとアウェーでの環境差がない」ことも昔は挙げられることもあり(そういう厳しい環境でプレーしないから、海外に行くとアウェーの雰囲気に飲まれ、力が出せない等)、応援するチームに強くなってほしいから、サッカーを発展させたいから、生まれてきた部分もあるのかもしれません。
ブーイング・・・・確かに、相手チームへのブーイングは、相手にとっては嫌でしょうし、後押しされるチームにとっては心強いということもあるかもしれません。ブーイングを浴びる側にとっても、悪い面ばかりでなく、それで鍛えられる部分があるのかもしれません。でも、チームや選手を心底信じていれば、相手の力を封じるのは選手たちのすべきこと(できること)であって、サポーターのする行為としては不要だと(サポーター自身が)思えるのではないかと思います。それに、逆境の中でも力を出せるようになることは大切だと思いますが、そういう力は違う場でもつけられるでしょうから。
なんか、日本の選手もサッカーも好きな私としては、やっぱり、(ブーイングなどは)日本には合っていないんじゃないのかなぁと思います。「強さと発展」を得ることに対しても、ブーイングはいらないと思いますし。
さて、ではここで、ブーイングなしで試合をしたらどうなるかをちょっと考えてみましょうか。相手への応援もたくさんあるとして。
きっと、乗り込んできた相手チームは委縮することなく、100%の力を出せますよね。そうしたら、相手がプレッシャーを感じてプレーする場合に比べて、その試合で(こちらが)負けてしまう確率は上がるでしょうね。
これは良くない結果? ・・・・でも、長期的に見たら、どうでしょう。
自分たちのホームの試合なのに、相手が100%の力を常に出せる環境で試合を続けたら(常に100%の力を出せる相手と戦っていけば)・・・当然、こちらだってどんどん鍛えられていきますよね。
耐える力、対応力だってつくだろうし、良さを遠慮なく出す相手から多くのことを学び、吸収できるでしょう。
そうした環境に慣れれば、海外に行って、相手が力を出しやすい環境で試合をしても、日本でやる時とあまり差を感じない部分もあるでしょうし。もちろん、普段、自分たちの国内では浴びたことのないブーイングを浴びて、やりにくいということもあるでしょうが、そんなのにも負けないくらいの、とんでもない強さを、ブーイングなしの状態を続けることでもつけることができるのでは? と思います。
お互いに力を出し合える、100%の相手と戦えることは、それぐらい価値のあることなのだと思います。

■サポーター
相手チームに対するものだけでなく、応援するチームのプレーが悪くてもブーイングを浴びせたり、横断幕に応援にならない言葉が書いてあったりするのをたまに見ますが、それも残念なことだと思います。
・・・サポーターがチームに対して厳しくすることが、チームを育てる上で大切だというような話を聞くことがあります。
確かに、人を育てる時には厳しさも必要ですよね。でも、チームとサポーターの関係で見られる厳しさ(だと捉えられているそれらの行動?)は、必要なものなのでしょうか・・・。
その時、グラウンドで戦っている選手にしかわからないことがたくさんあるはずなのに。
純粋に好きな選手やチームを応援していた頃は、何試合続けて負けたって、(好きだから応援しているサポーターは)やっぱり、応援しかできなかったのでは?
もちろん、今も本当の意味でのサポーターと言える人はたくさんいるでしょうし、そういう応援もたくさん見ます。でも、だからこそ、思うんですよね、それでいいじゃんって。
何がチームを、選手を、「真の意味で」(注)強くするのか。
ブーイング?  結果が出ないチームへの厳しい非難? ・・・違うんじゃないでしょうか。
そういうことが“熱狂的なサポーターぶり”として表現されることもあるようですが(私はそういうのを“熱狂的”だと思いませんが)、そういうサポーター(?)の多さとチームの強さと、どこまで正比例しているのでしょうか。
ついでに言うと、選手って、実は、私たちにとっての「サポーター」でもありますよね。
どれだけの人が選手から、夢や希望、勇気をもらっているか。どれだけ応援してもらっているか、支えられているか。
私たちは、自分たちのことを選手のサポーターだと思っていますが、それは、選手たちが私たちをたくさんサポートしているからこそ思えること、感じてしまうことなのでしょう。

■日本でいいんじゃない? 
もちろん、応援しているチームが負けるのは嫌ですし、応援している人には勝ってもらいたい・・・。
でも、それは、応援する人もプレーする人も、みんながサッカーを楽しみたいからこそ思うこと。
敵地で、大ブーイングの中でプレーして勝っちゃうというのもかっこいいですが、それは外に行った時にできるので、日本国内では、海外みたいな応援ばかりではなく、“日本”でいいのではないかと思います。
それを見て世界の方が変わる部分もあるかもしれないし。
会場内での事故やトラブルを心配せず、家族連れで安心して試合会場に向かえるのって、いいですよね。
これもサポーターの作る立派な文化です。
ブーイングなしでも「強さと発展」、つかめそうだと思うのですが。
それに・・・
サッカーって、スポーツです。スポーツって楽しむものですよね。サッカーは人間が楽しむスポーツ。
スポーツなんだから、負けることだって勝つことだって、あるのが当然。
サッカーがスポーツだということをもっと理解した応援や環境を大切にしていきたいですね。
・・・あ、そういえば、ここ数年、日本はどんどん強くなっていますよね。そんな中、海外のチームが日本で試合をした後に、やはり選手がよく言ってくれる言葉があるのですが、この言葉はずっと以前からも言われていたんですよね。日本のサッカーがこんなに発展する、もうずっと前から。
どんな言葉だったかというと、「日本のファンはサッカーをよく知っている」でした。

※「真の意味で」と書いたのは、「スポーツの大きさでの強さって、どこまで必要なの?」ということもみんなで考える必要があると思うからです。試合の結果やプレーの良し悪しで、選手たちが、家族や自分の命の危険を感じるほどの強さや結果への要求・プレッシャーは、スポーツの範囲のものだとは思えませんよね。
「大げさな」と思われるような、このようなことも、サッカーの先進国と言われる国の中には、あることもあるようなのです。

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ムキになるなよ

(2009年12月 通信No.89より)

「ムキになるなよ」・・・4月の雨の日、ゲーム中にある6年生の子が言った言葉です。
そうかぁ、誰かがムキになったのかぁ。でもムキになるのもいいじゃないか。きっとサッカーが好きなんだろう、だからムキになったんじゃないのか。きっとサッカーを愛しているんだよ。良い子なんだよ、その子・・・。
ところで誰がムキになったの? ・・・・はーい、私で~す(良い子で~す)。
・・・実際にはムキになったのではないのですけどね。
ここのところ、ある子が、ボールを奪い返す楽しさ、真剣にボールを追いかけるサッカーの楽しさを感じかけているのです。それまで、口では強そうなことやかっこいいことを言っても、それに行動が伴わないことも多かったので(こういうことは、頑張りや本当の努力などに関係なく何かを得ている時に起こりがちなので)、実は心配だったのです。ですが、今度はちょっと成長できるかも、本当の強さもわかるかもと・・・。
やっとここまできたのに、この日は以前のようなプレー。つまり、言葉では強そうなことを言うわりに、プレーには本当の強さを持っていない。
「かまってほしくて何かを言う」にしては不適当な感じです。そういった言葉や態度については、その子には既に話を十分にしたことがあるので、もう今回は言いません。
そのかわりに、「もうこれ以上こんな偽の強さを本当の強さだと錯覚させない」「こういう状態で感じた浅い楽しさが本当の楽しさだなんて錯覚させない」と思い、接しました。頑張っている時のその子を思いきり認め、違うものは違うと伝える。この日だけでなく、そうしたことをここのところ続けていたので、その子も自分自身でプレーの楽しさ、充実度、達成感を感じるようになりかけていたのです。まだまだ、本当には感じきっていないでしょうが、「もう少し」というところまでは来ていたのです。
せっかく成長線が上向きになっているのに、それをまた以前のような下向きに戻すわけにはいかないので、この日も、その子がつかみかけていた本当の強さと本当の楽しさを思い出させようとしたのです。
私は、思い出させるためのプレーをしただけなのですが、その日、その子は何とも軽い「失礼な言葉」も何度も何度も私に言っていたので、それを見ていた他の子はきっと私がその言葉に怒ってムキになったと思ったのでしょう。
一緒にプレーしていた、ある6年生の子が「ムキになるなよ」と私に言ってきたのです。
その場で説明し、このことは落ち着いたのですが、この「ムキになるなよ」がとてもいい感じだったんです。
きっとこの子は、私がムキになってしまって、そのままだとゲームの雰囲気が壊れていくと感じたのでしょう。
言い方は雑でしたが、大人に対してちゃんと届く強さと、友達を守ろうとする優しさも含まれていて、本当にその場の雰囲気をコントロールしようとする気持ちを含む、何とも言えない空気を含んだ言い方でした。
こやつ・・・。生意気な言葉を言われながらも、思わず心の中で笑ってしまいました。
この子は、私に対して対等な言葉を使うことがよくありますが、言うだけのことはやるし、また聞かなければいけない言葉は聞く強さももっています。私は注意する時はかなり厳しく注意します。そんな時には聞くのが辛いこともあると思いますが、それでも本当に聞かなければならないことは、この子は笑ってごまかしたり、反省していないふりをしてかっこだけ強く見せるようなこともしません。かなり信頼できます。
この日も、あんな雰囲気の中で、こんな言葉を言えるほどになったとは、本当に嬉しいですね。
これからのさらなる成長がとても楽しみです。

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ありの「ヤダ」

(2009年11月 通信No.87より)

ある日のU-9クラスの練習。
「2人組を作って」と言うと、ある子が、A君に「やろう」と言いました。
でも、A君は「ヤダ」と一度断り、1秒後に「やっぱり、いいよ、やろう」と。
ただ、一度断ったため、タイミングがずれ、断られた子はもう他の子を見つけていたので、2人組にはなりませんでしたが。
最初に「一緒にやろう」と言われた時のA君の「ヤダ」は、私は「あり」だと思っています。この子は「ヤダ」なんて、まず言いません。でも、この時は「ヤダ」になったのです。
今までに、たくさん一緒に練習をしてきて、2人組をよく組んでいましたが、気持ちをわかってくれないことがあったので。
「これ以上、僕の気持ちを聞いてくれないのなら、もうヤダよ」と、相手に伝えても、それを聞いてもらえないことがあまりに多かったなら、「ヤダ」って言うことも、当然あります。
こうして、少しずつ、相手の気持ちをもっと考える必要があることを知っていきます。
「あの段階までは喜んでいたと思ったけど、あれ以上は、やっぱり嫌なんだ」って、「あの子が、あのように言う時には、本当に嫌な時なんだ」って、知っていきます。
子供たちにはこういう機会が必要なのです。だから、今回の「ヤダ」はありなのです。
もちろん、「ヤダ」と言われた子も、友達の気持ちを全くわからないというわけではありません。優しいところもたくさんあります。でも、子供だから、相手の本気のヤダをわからないことや、わかってもごまかしちゃうこと、わかっても、その前に自分の気持ちを押しつけちゃうことがあるのです。
お互いに接して、少しずつ、気付いていくしかないのです。
この時、A君が一度断った後に、「やっぱりいいよ」と言ったのは、「ヤダ」って言ったすぐ後に、「ヤダって言われたら、嫌だよな。かわいそうかな」って思ったからだと、表情の動きを見て私は思いました(違うかもしれませんが)。
この子だって、「ヤダ」って言ったことで、心に何かが来たのです。
自分の気持ちと相手の気持ち、友達の嫌なところと好きなところ、自分のわがままな時と相手の子のことを思う時・・・色んなことを、色んな時に、子供ながらに考えることが大切です。
これからも、心が揺れたり動いたりしちゃう、そういう経験をたくさん積んでくれたらなと思います。

・・・「ヤダ」と言ったA君のことと、「ヤダ」と言われた子の、それぞれのおまけのおまけです。

■「シュートが決まらなかった、の先」
先程の日の、U-9クラスの練習後・・・
3年生の子に混ざってゲームをした2年生の子に、「どうだ? 3年生とやっても頑張れたか?」と聞くと、「うん、頑張ったよ。でも、もうちょっとで点が(入るところだったのに)入らなかった」と。
この子がA君です。
ゲーム、頑張りたかったんですよね。その前の練習でも上手になりたかったんですよね。
この子の場合の「上手になりたい」は、とても自然で、子供の大きさ、子供の顔で、当然、面白いことには反応するし、友達と楽しいことも言うし・・・。
一生懸命な友達の失敗だって許せるし、自分に対しても、「できなきゃダメなんだ」というような辛すぎる感じもないし、ただ、その瞬間瞬間で、自分が一生懸命。色んなことに一生懸命。
でも、あまりに友達が気持ちをわかってくれない時には怒っちゃうという、本当に自然な「上手になりたい」でした。

最近は、子供たちのサッカーの大会などで、1、2年生でもとてもプレッシャーのかかる形で試合をしているのを目にします。その影響か、低学年でも、たまに、「まだ年代に合わないのでは?」と思うような「上手になりたい」を見ることがあります。
友達が優しさから出す、ほんのちょっとのおふざけや子供ならあたり前の失敗を友達がした時に、それを許せずに、大人のような口調で注意したり・・・
上手になりたい気持ちが、“自分発”というよりも、何かに押されているというか焦っているというか、そんな印象を受ける「上手になりたい」を見ることがあります。
そんな光景を見ると、「もともとの年代に戻さなきゃ、子供のサッカーを楽しめる状況まで戻さなきゃ」なんて思うことがありますが、この子の場合は、そんな心配はまったく必要ない「上手になりたい」で、いつも、見ていてこちらも楽しくなる「上手になりたい」でした。

―さて、この日の試合では、そうか、点を取れないのがちょっと残念だったのか、でも頑張ったんだな。
そう思っていると、その会話を聞いていた3年生の子が、いきなり、「あの子、あの子いるじゃん。ほら、今、車に乗ったあの子!」と言ってきました。
いきなりだし、慌てて言っているので、何のことかよくわからないのですが、とにかく何かを今、伝えたいようです。
よく聞くと、その、車に乗った3年生の子が、A君のシュートを止めたのだそうです。
もう少しで入りそうな時があったようなのですが、それをその3年生の子がギリギリで防いだそうです。
そのことを、一生懸命に教えてくれました。
A君は、シュートが決まらなかったのは残念でしたが、もっといいこと、ありましたよね。
こういうことの方が、私は大切だと思うのですが - A君がどれくらい頑張っていたのか、A君が友達のことをどれくらい見ているのか、A君が友達にどれくらい見ていてもらえたのか - それがすごくよくわかって、嬉しかったです。
子供たちに「ありがとう」、ですね。

■「ヤダ」って言われちゃうこともあるけれど
あの日、2人組で練習しようと友達に言ったら、「ヤダ」と言われてしまった子(この後も登場するので、この子のことをB君と呼ぶことにしますね)。
B君については、「優しいところもたくさんあって、でも、子供だから、相手の本気のヤダをわからないことや、わかってもごまかしちゃうこと、わかっても、その前に自分の気持ちを押しつけちゃうことがある」と書きましたが、この子ならではの、こんな場面も、実はあったのです。
ある日、練習の最初からちょっとおふざけの過ぎる子がいました。
その子のことを、B君は、練習前によくかまってあげています。
かまうというより、半分見守ってあげているという方が合っているでしょうか。
おふざけ具合などを見ていると、兄貴分と言えば兄貴分のような感じですね。
さて、ある日、おふざけがあまりに過ぎていた子は、(みんなの前ではない場所で話を十分にした後で)子供たちを集めた時にもおふざけが過ぎていまして、これは注意しないとな、と。
そして、(みんなを集めた状態ですが)「さて(注意せねば)」と思うと、私のその時の表情を見て、B君はわかったのでしょうね、“サッ”と座り場所を移動し、私とおふざけ君の間に座ったのです。
これではおふざけ君を見ることができません。
「今のはもしかして?」と思い、私が首を横に動かしておふざけ君を見ようとすると、やっぱり同じように動き、さりげなく邪魔をしています。本人はさりげなくしているつもりなのでしょうが、顔がちょっと緊張しているのがわかります。必死な感じです。
はは~ん、おふざけ君を私から守っているのか。
それでも、おふざけ君は、B君が自分を守ってくれていることにも気づかず、まだ、過ぎたおふざけをしています。この場合はやはり注意が必要です。
私はB君には気を留めず、目でおふざけ君を追います。すると、今度はちょっと大げさな動きをして、私の気を引こうとしています。B君の頑張りは認めるけれど、「でも、ダメ。怒るよ」ということで、結局、おふざけ君を言葉でつかまえ、注意はしました。
それにしても、粘りましたね、B君。B君だから、わかったのでしょう。
実際には守ろうとしたのか、それとも、わざと私の視界に入り、この子もふざけたのか、わかりません。良いことをした時には、聞いても本当のことを言わないので、本人には聞いていません。でも、あの、ちょっと赤くなった頬からは、十分に一生懸命さが伝わってきたので、たぶん、守ろうとしたんじゃないのかと私は思います。
もし、違ったとしても、私がこう思うぐらいに、この子にはこの子なりの優しいところがあるんです。

ソラには本当に色んな子がいます。
強さの表し方も、優しさの表し方も、好きさの表し方も、勝ちたさの表し方も、楽しさの表し方も・・・色んなことの表し方が、みんなそれぞれ。子供特有の、それぞれ。
だから、受け取る側が反対の意味で取ってしまうこともあるし、送る側がそれに気づかないこともあって、ちょっとした気持ちのすれ違いやぶつかりあいが起きることもあるのです。
それぞれに良さがあり、(良さはあっても)それぞれに学ぶべきところがあり、本当に面白い関係です。
嬉しいし、楽しいし・・・、私自身、学ばなくてはならないことが多すぎて、なんか、とんでもない空間なんですけど・・・(最近、歳を取るのが早くなったような気が)・・・・・・・・・こんな空間、最高です。

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子供の「試合」? 

(2009年11月 通信No.87より)

週末、夕方に公園でちょっとボールを蹴っていると、そばに2~3年生くらいの子が来ました。
私は隅でチョコチョコとボールを蹴っていたのですが、そぐ横で「ヨシ、取るぞ!」という声が。
「あの子もボール持ってたよな。“取る”って、俺のボールのことじゃないよな」と思いチラッとその子を見ると、ありゃ? その子がダーッと来ました。どうやら私のボールを「ヨシ、取るぞ」だったようです。
前にも、同じくらいの子が来て、目が合い、「取りに来る!」と感じた瞬間、本当に“ダッ”と取りに来たことがありました。もしかしたらあの時の子かな? スクール時はコンタクトをしていますが、こういう時は裸眼なので、ちょっと離れると顔が見えず、顔を覚えられないのです。
取りっこが始まり、すぐに仲間が1人加わり、2人対1人に。さらにまた1人登場し、3対1に。
取りっこの間、子供たちは元気にじゃんじゃんボールを取りに来ていました。本当に何度も何度も。
何回か取りに来てダメだと、「あっこさん登場!」「○○ファイヤー」「中村登場」なんて、次々と新技を繰り出してきて。「あっこさんって誰だよ!」と言うと「今、考えた」と答え、みんなゲラゲラゲラ~。ゲラゲラしていても決して手を抜いているわけではなく、次から次へガンガン取りに来て、休む間もなく、ツライけど、面白い。もちろん、スクール時同様、子供たちの安全には十分に気をつけてやっています。
そして、途中、ボールが離れたところに行った時には、ちょっとしたハプニングがー。
ボールを取りに行った子が、少し離れたところからこっちにボールを蹴ろうとしたのですが、そこからこっちまで飛ばすにはベンチの屋根(つるが巻きついている)を超えなければなりません。角度、距離から言って、まず、その屋根の上に乗るであろうと思われ・・・なので、「そこから蹴ったら、ここに乗るかもしれないからダメ」と言おうと思ったのですが、「乗ったら乗ったで、面白いな」なんて頭によぎっちゃたので、言うタイミングが遅れ、・・・やっぱり、乗りました・・・。ベンチには人がいない安全な状態ですから。
面白いのはいいのですが、屋根の中央に乗ったので、ちょっと取るのが大変…なぁんて、あまり困らず。だって、さっきチャンバラごっこをしていた子がいたのもちゃんと見ていたので。あの棒があれば平気! 
そばにいたチャンバラ君(もうチャンバラには飽きたようで、ベンチ横で話をしていました)を意識しながら、「こりゃ、棒じゃなきゃ取れないなぁ」と言うと、チャンバラ君が、「俺、棒、あります!」と(Yes!)。
「へぇー、かしてくれる?」と言うと、得意気にダーッと草むらへ。隠してあるんだね、ハハハ。
そして、棒を手に入れ、ボールを取ることに。チビッ子が「やりたい」と言い、危なくはない感じだったので、やらせてあげても良かったのですが、ボールが取れないところに行ったらお手上げなので、やらせてあげませんでした。そのかわりに、もう夕方で、私には葉の緑に溶け込んだボールが見えないので、棒の誘導役をお願い。その役でも喜んでくれるかわいいチビッ子。ボールは無事に落ち、棒を貸してくれた子に、「ヒーローだ」とお礼を言いながら返すと、またダーッと隠し場所へ。コイツもかわいい。
さて、ボールが元に戻り、再開。でも、もう帰らないと。もともと、ほんのちょっとだけ蹴るつもりだったし。
…ということで、「そろそろ帰らなきゃ」と言うと、「えー、試合やろうよ、試合!」と言う子がいまして。
「お前らも帰らないとダメだろう」と言うと、「まだ平気」らしく、「試合やろう! 試合やってから帰って!」とずっと言ってきます。すると、他の子が「これ(今やっている、ボールの取りっこ)が、もう試合だろ?」って。おお、わかってるじゃん!  通信のおまけ読む? っていうか、おまけ書く? 
そうそう、そうなんです。これが、もう「試合」なんです。同じくらい面白い。同じくらい本気。
コートにラインなんかはありません。人数も格好もバラバラ。大人から見たら正式なサッカーではないし、試合には見えないかもしれないですけど、でも、やっている僕らにとっては試合と同じ。
これが子供のサッカー、子供の発想力、子供の感受性。他のことでも、子供ってこういうことありますよね。真似ごとでも十分、子供の大きさで得られる最大限の楽しさを味わっていることが。もちろん、「これじゃ、本物じゃない」っていうこともあると思いますけど。
さてさて、そんな“試合”でしたが、さすがに、「もうボールも(私だけ)見えないし」ということで終了。
子供たちに「気をつけて帰りな」と声をかけ(ましたが、まだ遊んでいました)、公園を離れると、ピョコンと顔を出し、「じゃーねー」と。「んじゃなー」と返し、また、「ばいばーい」と、懐かしい子供のバイバイ。
バイバイが終わると今度は「明日の4時、ここに来てねー」と。アバウト! これも懐かしい、子供の約束。
来れないので「ダメ―」と答えると、一度、顔を引っ込め、また顔を出して「明日の5時ねー」「ダメ―」「4時30分ねー」「ダメ―」・・・これを繰り返しながら帰宅。
面白いでしょう、この子ら。こんな感じで、きっと毎日遊んでいるのでしょう。なかなかうまかったです。
皆さんの中にも、ちょうど、同じくらいの子を持つ方がたくさんいらっしゃいますよね。
2年生、3年生・・・年代が上がってくると、子供がサッカーを好きになっていった時のことを考えて、今、チームに入っていないことを気にしたり、急いでチームに入らなければならないかと心配になったりする方もいるかもしれませんが、こうやって、ボールをたくさん蹴れる時間が持てれば、後のことを考えて、今、心配になるようなことはないと、私は考えています。
実際に、公園で毎日サッカーして遊んだり、週末に1時間でもボールを蹴って遊んでいる子は、本当に上手になっていますもんね。正式な11人対11人でなくてもサッカーはできるし、面白いのです。
そして、面白いのが子供のサッカーなのです。面白いからめちゃくちゃ上手になるのです。
・・・この日の公園でのサッカーは、全部が自然で、でもちょっと特別で、なんか子供の一日って感じで、楽しかったです。5、6年生くらいだと、また違う子供のサッカーがあるんですよね~。
帰り道、ソラの子たちも、こんなサッカーをどこかの公園でしていたらいいなぁと思ったのでした。

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伸び悩んでいるのかどうか

(2009年10月 通信No.86より)

少し前、ある方から、(その方が見ているチームの)「子供たちが伸び悩んでいるように感じる」とのご相談を頂きました。試合で苦戦する様子を見て、「伸び悩んでいるのでは」と思ったそうです。
私なりに、考えられる状況などをお話しさせて頂きましたが、その中の「思うように技術が伸びていなかったのかもしれない」ということが当たっているかもしれないと、その方は思ったようです。
さて・・・もしかしたら、指導方法やチームの戦績などで悩んでいる方が他にもいらっしゃるかもしれませんので、ちょっとだけ、ここでも戦績と子供の伸びとの関係などを説明させて頂きますね。
皆さんもご存知の通り、小学生の時は技術がどんどん身につく時です。
ですから、育成するための年代だと認識しているチームであれば、コーチが、
・「今日は絶対に苦手な足だけでプレーしろ」などの課題を子供に与える
・「自分のゴール前でもクリアは禁止。取られてもいいからドリブルをしてみろ」と課題を与える
といったことをすることもよくあります。
また、試合のメンバーもレギュラーなどを固定しなかったり、ポジションも全く決めずに試合をしたりすることもあります。ポジションを決めないというのは、試合ごとにポジションを変えるということではなく、試合中のポジションさえ決めない、つまり、試合中に好きなように動いてよいという意味です。効率の悪い動きもOK、キーパーのドリブルも“当然OK”なくらいに。
重要なポジションのキーパーだって、じゃんけんや単純な順番で決めるチームもあるでしょう。
公式戦でも、このような形で試合に挑むチームがあっても全然不思議ではありません。
もちろん、試合に勝てる可能性が下がるような課題を与えるからと言って、子供たちの勝ちたい気持ちを無視するのではありません。子供の気持ちを大切にしながらも、子供たちが将来、もっとサッカーを好きになった時に、よりサッカーを楽しむために必要な技術を習得させていくためにこうするのです。
このような戦い方をするチームがある年代なので、戦績と子供の伸びとの間にはあまり関係がないと私は思っています。ですから、試合で苦戦すること自体は大きな問題ではないと思います。

・・・ところで、ご相談頂いた方ですが、この方は、子供たちを見ていて、「中学、高校でも、サッカーを続けていくだろうか」と心配になったそうです。
教え方、サッカーのやり方、プレー中の子供たちの表情・・・色々と思うことがありますもんね。
こういうことに気づいてくれる方がそばにいることは、とてもありがたいですね。
中学、高校と進んでいった時、子供たちのサッカーへの思いは今よりももっと強くなっています。
子供たちがサッカーの楽しさをもっとわかるようになった時に、めいっぱいサッカーを楽しんでほしいと思うのであれば、今、子供たちにどんなサッカーをさせてあげるべきか、やはり考えますよね。
まだまだ、プレーすること自体の楽しさを感じるべき小学生の年代で、結果ばかりを追いかけ、擦り切れてしまうと、中学生、高校生になった時に、突然サッカーをやめてしまう子もいるかもしれません。結果ばかりを追い、プレーの楽しさを十分に感じることができなくなってしまったら、いつの間にかプレーする楽しさを忘れてしまうかもしれません。残念ですが。
これらのことを考えると、やはりこの年代で大切なのは、サッカーが楽しいという気持ちを大切にしてあげること、それを戦績などで得る一時的な喜びで代用しないことだと思います。
子供たちがサッカーを続けていった時に、それぞれのステージでサッカーを楽しめるように。
中学生、高校生の年代で、子供たちはまたグンと伸びます。
子供に接する皆さんには、長く、深い目で、戦績ではなく「子供たち」をしっかりと見ていって頂けたらと思います。
・・・締めくくりかと思いきや・・・まだ続きます。
この方から、また後日、ご連絡を頂きました。
試合の結果よりも、子供たちの「動きが良くなったこと」を喜ぶ気持ちがとても伝わってきました。
こういうコーチの方って、幸せだと思いますよ。
結果をあげるよりも、子供を伸ばそうとするサッカーを子供たちにさせる。
そうしたら、子供は、グングン伸びます。そして、それを目の前で見ることができるのです。
「子供が伸びることが嬉しい」コーチにとっては、もう、嬉しくてたまらないわけです。幸せですよね。
そして、子供たちも自分が上手になるのがわかって、楽しくて、嬉しくてしょうがないわけです。
さらに、楽しそう、嬉しそうな顔をしている子供を見て、保護者の方も嬉しくなるわけです。
これって、すごいですよね。みんな、楽しい、嬉しいんですから。
この方は、「私自身も、目先の勝負にこだわっていたのかもしれない」とおっしゃっていましたが、大人として、しばらくあるやり方をやってきてから、変わること・変えることって難しいですよね。
でも、それだけにすごいことを得られるんですよね。
そういえば、数年前にも、同じようなご相談を頂いたことがありました。
その方は、時間がたった時に、「私自身が変わった」とおっしゃっていましたが、子供を見ようとする人って、本当にすごいですよね。変われるんですから。
こういう方、応援していきたいと思います。頑張ってください! 

□■□■□■□
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勢いをなくさないでほしい

(2009年10月 通信No.86より)

高学年の子でも・・・
練習して、サッカーが上手になることを自分で感じて、どんどんボールを追うようになる。動きに勢いがあっていい、エネルギーがあっていい。そして、どんどん上手になって、今まで手に届かなかったようなことに手が届くようになったり、目標にしていたものに選ばれるようになったりする。
・・・すると、子供によっては、それまでの勢いがなくなる子がいるのです。
これは、選ばれたことで覚えてしまうことにも関係があるのかもしれないと、私は考えています。
「勢いがなくなる」とはどういうことかというと、一言で言うと、失敗が減るということです。
正確には、「一見、失敗していないように見えるプレーが増えてくる」のです。
「失敗に見えないプレー」は良いプレーのように見えるかもしれませんが、実は、“最もチャレンジしなくてはいけないことにチャレンジしていないから出てくるプレー”なのです。
「まだ早い何か」を覚えることで、そこにたどり着くまでの大きな力だった、“子供だからこそ”の勢いのある動きを忘れてしまい、まだまだ大きくなれるのに、小さく、キレイにまとまってしまいそうになることがあるのです。これが非常に残念です。もちろん、何とかしますが。

私は、ある子が何かに選ばれたという話を子供たちの前ですることがほとんどありませんが、その理由の一つには、こういった現象を見ているということもあります。
そういうことを挙げて子供たちの目標にさせ、成長したいと思わせるのも一つの方法かもしれませんが、それよりも、「まだ早い何か」を知らない時の成長力の方が凄まじいのです。
こういう子を見ると、その「もったいなさ」の伝え方にとても悩みます。
目標への努力、目標を達成することのすごさ、これらを伝えるのは大切なことです。
ですが、目標を達成することで、失うものがある場合、話をするのは非常に難しいのです。
子供によっては、今は否定してはいけないこともある。そして、こちらから話したことを、子供の大きさでどのように理解するのかということを、こちらで正しく推測することも非常に難しいので。
だったら、放っておけばいいのかもしれませんが、「成長力の大きさ」が、今の子供たちの最大の武器であり、魅力。それを体から忘れさせたくはないのです。
ですから、難しいかもしれませんが、グラウンドでは、必要なことだけは伝えて行きたいと思います。

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どんぐり君

(2009年10月 通信No.86より)

ある曜日のU-9クラス。
半数ぐらいの子は、ゲーム中にたくさん動いている(ボールを自然に追いかけまわしている)のですが、どうも「パス」やら「ポジション」を覚えた感じのある子たちはあまり動かないことが多く・・・。その日だけでなく、動きがどんどん減ってきているので、「これ以上は放っておけない」ということで、2週間、グループ分けをいつもとは違う分け方にしました。

そのグループ分けを見て、「どういう風にわけたの?」と聞く子がいたので、動きが少なくなっている子たちには(聞いてきた表情を見た上で)、「あんまり動かなくなったから」と、バシッと言いました。
この子たちは、ゲームでは上手にパスを回し、簡単に点を取っています。上手にもなっているのでしょうが、それが彼らの成長力にあった上達かどうかということは、見ていればわかります。
キレイに点を取って、上手そうに見えても、残念ながら、パスやポジションなんかをあまり覚えていない頃の方が圧倒的に上手になっているのです。その頃の方がよく動き回っていたので、今に比べて、一つのゲームの中でも、ボールタッチや身のこなしがどんどん良くなっていっていました。
それが、効率的なことを覚えたあたりから、動きがどんどん少なくなってきたのです。
当然、技術の伸びがそれまでのような幅になっていない・・・。なんとももったいない。
だから、先程のようなグループ分けをし、しかも、あんな言い方をしたのです。ひどい言い方かもしれませんが、自分の今の技術を誤って認識しているために、本当に頑張っている子に対して(その頑張りの良さや、やっているプレーの良さをわからずに)適当でない言葉や指示を出すことも、実際に増えてきていました。それでは言っている子も言われている子も、両方とも伸びていけないので、しっかりと認識させる必要があったのです。
「みんなはあんまり動かなくなったからね」という説明を聞いて、「えっ?」という顔をした子、「そんなことない」と口を尖らせる子もいましたが、残念ながら本当のことだったので。
本来、子供たちはどんどん動いてしまうのが自然で、このような、本来なら無意識にやってしまうようなことを、わざわざ意識させなくてはならないというのも残念なことなのですが・・・。
この日、「動く」を意識してやったゲームは良かったですよ。みんなでボールを追いかけていて。
相手もボールを必死で追うから、点を取るのは大変だったでしょうが、点を入れた時の嬉しさは、「あまり動かずにパスをもらい、簡単に決めた」時よりも、大きかったでしょう。
子供たちの動き、表情・・・どんぐりがコロコロ、楽しそうに転がっているようで、良かったですよ。

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酔っぱらってはいませんので

(2009年10月 通信No.86より)

ある日の練習中に、「お酒飲んでるでしょ?」と子供に言われました。
実は、他地域でコーチをしていた時も、よく練習を見学して下さっていた保護者の方に、「練習中、酔っぱらってますよね」と言われたことがあります。もちろん、どちらも冗談でですけど。
一年くらい前には、やっぱり子供に「日本一“変”なコーチだね」と言われたこともあります。
そして、ちょっと前には、卒業生に、「日本で○○の次にうっとうしいね。日本で二番目にうっとうしいんじゃん?」と言われました。私、○○さんのことを大好きですから、それだけで嬉しいのですが、その時は数秒後に「やっぱり○○と同じくらい、うっとうしい。いや、勝てるかも」と言われまして。
子供は悪口を言っているつもりでしょうが、私にはこれ以上ない褒め言葉なんですけどぉテレテレ)。
フフフ、「酔っ払い」も「日本一“変”」も「うっとうしい」も、私にとっては全部、褒め言葉なのです。
次の週には「なんかテンション低くない?」と言われましたが、こういう時もたくさんあります。
ハイテンションに見える時もあるかもしれませんが、ずっと無口にしている時もたくさんあるのです。
「テンションが低い」と言われた日は、こう言った6年生の子ともう一人の6年生の子が楽しそうに練習をスタートしたのですが、どうも雰囲気が怪しくて・・・。ケガなどをするのが怖かったので、話す場合も注意口調にし、彼らの練習モードをちょうどいいところまで持ってこようとしただけです。
案の定、その子のうちの一人は自分で「ヒヤッ」とする場面があったようで、その後、「テンションが低いんじゃねぇよ」という私の説明をきちんと理解してくれたようでした。
こういう雰囲気をまだ子供たちはわからないことがあるので、こちらで大ケガの起きない方向に持っていく必要があるのです。本気モードでもケガが起きることはありますが、おふざけでした場合とはまったく含んでいるものが違います。おふざけの大ケガは防ぎたいですからね。
一度、ピシッとギアがはまれば、あとは“お楽しみモード”でもどんどん上昇していきます。
楽しい雰囲気でも、どんどん行けるのです。子供の時にしか味わえない、おふざけに似ていてもおふざけとはちょっと違う「お楽しみモード」。
無口で渋くキメる指導は、残念ながら私には似合わないこともわかっているのですが、子供たちの雰囲気がそこまで行くまでは、こんなふざけた私でも、お楽しみモードは我慢なのです。
その場その場で、「どうしようか」と、これでも、ない知恵を絞っているので、日によって、まったくの別人に見えることもあるかもしれませんが、全部、もとは同じです。
色々に見えるかもしれませんが、私にとっては見え方はどうでもよく ー ですから「いつも同じ」でなくてもいいのですが、でも、いつも100%でありたいと思っています。
だから、100%だからこそもらえる、さっきのような言葉はどんなものでも私にとっては最高の褒め言葉。これからも、こんな褒め言葉をもらえるように、100%でいられるように、頑張ります。

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コーチだってやったじゃん! 

(2009年10月 通信No.86より)

9月のU-12クラスの練習で、“2対2”(2人対2人で対決する)の練習をやっている時のこと。
練習中の注意事項として、「自分の順番が終わった子が、次の子へボールを渡す際は、コートの中を通さないように」と言いました。転がされたボールを、プレー中の子が踏むと危ないので。
・・・こう言いながらも、私はコートの中を通して子供にボールを渡します。
すると、子供が「コーチだって(子供たちに注意したことを)やってるじゃん!」と。
それに対し、「コーチは危ない時には絶対に通さないからね」と答える私。嫌なコーチでしょう。
子供の場合は、悪気はなくても危ない場面でボールを通してしまうことがあります。だから、内容に応じ、まだその段階では気付けないことなどは、こうしてルールで決めてしまうこともあるのです。
他にも、子供たちに「やってはいけない」と言っていることを私がやり、「ずるい」と言われることがよくありますが、その場合も「だって、大人だから」と答えます。えぇ、嫌な大人です。
その答えを聞き、「えっ!?」と驚いた顔をする子もいますが、こういう答え方は、何年も前からしています(理想的な大人だと思ったら大間違い)。
「大人だからズルイ」と言う子に対しては、「文句を言うなんて、いいじゃん」と嬉しく思います。変だと思ったら、コーチに対してでも言えないといけませんから。そして、嬉しく思いながらも「俺は、やってはいけない時は我慢できるぞ。お前ら、できるか?」と問います。答える相手によっては、「やってはいけない場面で我慢できる、約束を必ず守れるなら、もちろんやってもいいよ」と言うこともあります。
実際に、数年前、そこで「できる」と答えた6年生の子たちには、ある行動を許可しました。彼らは自由を得るだけでなく、責任を持つことにもなりましたが、普段の行動を見た上で与えたことですから、彼らだけでなく、私にも自信はありました。もちろん、彼らは許可された行動が原因でケガをする、させることなどなく、無事に卒業していきました。
・・・子供に「やってはいけない」と言っていることは自分もやらないという理想的なコーチが多いかと思いますが、私の場合は、内容によっては、やります。
悔しかったら約束を守ってみろ、友達を本気で注意できるようになれ、友達のために本気になってみろ、自分のために本気になってみろ ― そう思いますし。
形だけの優しい子ではなく本当の優しい子に、芯のある、強さのある優しい子になってほしいなと、勝手に思っています。我が子に違う理想像をお持ちの方、ごめんなさい。でも、練習の範囲内でのみの働きかけにしていますので、お許しを。
自分勝手な「自由」(とは言えない自由=わがまま? 甘え?)ばかり主張するようにはなってほしくありませんし、良いプレーヤーになっていくためにも必要なことだと思いますから、これからも、自由と責任、強さと優しさなどについては、必要なことは現場で伝えていきたいと思います。
ですので、嫌な大人は続けていきます・・・と言うと嫌な大人を演じているようですが“素”ですから。すみません。

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昔の遊びってすごい! 

(2009年9月 通信No.85より)

コーディネーション能力っていう言葉、聞いたことありますか? 
「能力」というと特別な力のようで、私はこの言葉を好きではないのですが・・・「自分の体を、その時の状況に合わせて思うように動かす力」みたいなものですね(ざっくりとした説明・・・)。
子供たちが自由に動き回れるサッカーをしていれば、結構養えそうですが・・・。
さて、子供のサッカーの話はここでは置いておいて(長くなっちゃいますから)、この、コーディネーション能力の大切さを聞く時には、たいがい、昔の遊びの例が出てきます。
そういえば、昔の遊びって、知恵と工夫、運動の欲求、考える欲求・・・子供が一番身につけたいものが詰まっていますよね。なるほど、すごい。
そんな昔の遊びの例としては、鬼ごっこ、缶けり、かくれんぼ、だるまさんが転んだなど・・・。
あ、これらは全部、相手をよく見る必要があるものですね。
他にも・・・木登りでは、先に登った子がこれから登る子にアドバイスをする時に、「違う、右手をそこの出っ張りまで。左足をそこ!」とか、非常によく相手の動きを見ています。後から登る子も、先に登る子の足や手の運び方をよくみています。
これらの、からだ全体を見るものだけでなく、ゴムだんなんかでは相手に飛ばせないように、指の先にちょっとだけゴムをかけて、それを見て相手が、「ずるい」って言ったり、飛んでる時の相手の足がゴムに触れないかよく見たり。体の一部をよく見て、そこから緊張を感じることとか、相手の気持ちを察することとかも、自然にしていましたよね。
将棋やオセロなどの「板」のゲームでは相手の表情や指の動きを見て考えを察したり・・・。
にらめっこなんて、本当に相手の顔しか見ないですもんね。
様々な身のこなしを養えることも大切かもしれませんが、それよりも、実は、それらの遊びに含まれていたこれらの要素 ―「相手を見る」っていうこと、人の動きやしぐさから、相手の気持ちを感じるっていうことー が、子供たちが成長していく時にはものすごく大切だったんでしょうね。
さすがですね。
「人と接する」という、本来、子供に最も大切な、最も自然な気持ちが、しっかり詰まっていたのですね。すごい・・・。

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取り取り

(2009年9月 通信No.85より)

「自分の子が足を引っぱっているように思えて、つい子供を怒ってしまった」なんていう経験、皆さんはありませんか。私も、自分の子のミスが原因で、他の子の努力が台無しになってしまったら、怒ってしまうかもしれません。
自分の子を大切に思っていれば、他の子が大切に育てられていることもよくわかります。
自分の子が頑張っていれば、他の子が頑張っていることもよくわかります。ですから、その子たちに嫌な思いをさせるのは申し訳ないと思う方もいらっしゃるでしょう。
でも、本当は、見ている方が、自分の子が「足をひっぱるかどうか」心配にならなくてはいけない試合なんて子供には必要ないし、本人たちもそんな風には考えていないのではないかと思います。見ている人がこう思ってしまう環境に子供たちのサッカーがなっていること、試合をそういう意味を持つものにしてしまっている環境が問題なんでしょうね。もし、子供が「あいつが足を引っ張った」なんて思うような感じのチームなら、そのチーム作りは間違っていると私は思いますが。
・・・そうそう、子供の頃、ドッヂボールの時とかに取り取りでチームを決めませんでしたか? 
『取り取り』・・・リーダー格の2人でジャンケンをして、勝った方から、「○○がいい」と言って、チームメイトを選んでいく。
当然、上手な子から先に選ばれ、その遊びが不得意な子はなかなか選ばれず、ちょっと嫌な気持ちに・・・。それでも、毎回、「ドッヂボール、やりたい人?」と聞くと、そのなかなか選ばれない子も「やる」と言って来ませんでしたか? 
もし、本人は気が進まなくても、友達が「やろうぜ」と声をかけ、やりに来ることが多かったでしょう。
残酷なようですが、「あり」ですよね。だって、「勝ちたいから強いヤツを選ぼう」だけでなく、「(上手じゃなくても)アイツが好きだからアイツと一緒になろう」とか、他にも「アイツには前に負けたから、違うチームになろう」「アイツとアイツは仲がいいから同じチームにしよう」「アイツ、元気ないな。同じチームになろう」など・・・色んな思いが含まれていましたもんね。
その上で決めたチームだから、そりゃ、負けたら悔しくて、ある程度の文句や不満を言っても、誰が足を引っぱったなんて言うことはなかったですよね。もしあっても、適当な大きさの言い合いやケンカが起きて、そんな時は誰かが、言われた子の気持ちを考えて、「そんなことを言うな」と言うなど、ちょうどいい大きさで収まって。そして、もちろん次の休み時間も『取り取り』。

それに、取り取りの評価は、ドッヂボールで「頑張れば、次は早く選ばれる(強くなったと仲間に認められる)」こともあって、固定的なものではなく、頑張り次第で変えられました。友達の声でも変えられました。
そして、当然のように、ここに限っての評価 ― 休み時間が終わり授業に戻れば、取り取りでなかなか選ばれなかった子が知識の豊富さで周囲に認められ、グループで答えを考える時には頼れるリーダーになることもありました。
他にも、図工で「すげー!」、音楽で「うまい!」、冗談で「面白い!」なんて認められたり。
体育の時間だって、足がみんなのように速くなくても、力強さで活躍できる子がいました。
ちょっと残酷な(?)取り取りは、嫌な思いも少しはあるでしょうがその時だけのものでした。
こう考えると、昔の授業の感じ、雰囲気って良かったですよね。
一人一人のことを、先生だけでなく、周囲の子が見る時間がたくさんあって。泣いている子の様子が気になり、授業が中断することもありましたもんね。
みんな、普段の友達のことをよく見ているから、自分にも得意なことや苦手なことがあることを知っていて、友達にも得意なことと苦手なことがあることを知っていて、そして、それをわかった上で遊んでいたから、「足をひっぱる、引っぱられた」なんて、大人になった私たちが思うほどには思ってなかったんじゃないかと思います。そんな毎日を子供たちは楽しんでいましたよね。
取り取り、得意、不得意、自分、友達・・・たくさんのことを含んだドッヂボール。
ドッヂボール、子供たちは真剣ですよね。
サッカーも、真剣ですよね。同じじゃないですかね。
サッカーも、そういうサッカーならば、みんな、「また明日もやろう」になると思うのですが。
「負けたのはお前のせいじゃないよ。明日もやろうぜ」「うん、明日もやろう」になると思うのですが。
こういうサッカーをしていたら、見ている側が先程のように思うことはないでしょう。メダル、賞状、順位なんてものを必要以上に気にしないでいい環境で子供たちがプレーしていたら、先程のようなことは思わないでしょう。
プレーする子が楽しそうで、見ている人が笑顔で - こういうサッカーがたくさんありますように。
=付け足し= 
ちょっと話がそれるかもしれませんが・・・ある日のU-12クラスのゲーム。ある子がシュートをしようとした時に、そばにいた味方の子がそのボールをシュートしてしまい、しかもそのシュートが外れ、チャンスを逃すということがありました。
こういう時に、「邪魔すんなよ!」とか、「俺がシュートしようと思ったのに」くらいは言うことがあるでしょう。でも、ボールが自分のところに転がって来て、シュートを打てる場面でしたから、そばにいた味方の子が蹴ってしまっても、別におかしくありません。実際に、プロの試合などでもよく見る光景です。相手にずっと覚えられているような失敗ではないでしょう。
が、この時に、「また“あの時”のように邪魔したな」という言葉が出ました(実際にはもっと具体的な言葉でした)。言われた子は、“あの時”のことも含めたような表情で謝っていましたが、そんなのおかしなことです(“あの時”が、かなり前のことなのは確かです)。

実際に、「現時点でのうまいかどうか」ではなく、今後「より上手になっていくかどうか(成長していくかどうか)」という点では、言われた子の動きやプレーの方が、ずっといいのです。
もちろん、言った子には話をしましたが、もっと問題なのは、そう感じてしまうサッカー、一生懸命にしたプレーを、こう捉えられてしまうサッカーがあるということでしょう。
子供たちが、「子供の挑戦」をたくさんできるサッカーをずっとしていたなら、こういう言葉は滅多に出てきません。本来求めるべきものを求めているサッカーなら、こんな風に思い出されることも、こんな風な言われ方をすることもないでしょう。
挑戦し、失敗してもいいということがわかったら、もっと適当な大きさで捉えるはずです。
失敗は誰にでもある、チャレンジした証拠。それに、一生懸命になれば周りを見れなくなることもある・・・この子のしたようなプレーを、「邪魔」とか「あいつのせいで」と思うような選手にはなってほしくはありません。
子供の大きさ、子供の責任、子供の自由・・・そんな子供のための、子供のするサッカーを! 

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ある6年生の成長

2009年9月 通信No.85より

ある子について、ずっと気になっていたことがありました。

ボールが自分のところに来れば、いいテクニックを使うし、練習したワザにも挑戦をする、でも、「ボールがほしくてたまらない!」という感じではなく、ボールを相手に取られてもしつこく追いかけることはなく・・・。練習への取り組みは、比較的一生懸命・・・。
「サッカーが大好きなのか、そうでもないのか、どっちなんだろう?」と不思議でした。「そこまでサッカーを好きではない」ということが悪いと言っているのではありません。「友達がやっていたから何となく始めた」人が名選手になることもあります。スタート地点、好きになるスピード・段階は人それぞれでいいのです。ただ、この子が、今、どの段階にいるのかがわかりにくかったので。そして、気になっていたことをそのままにしておくわけにはいかなかっただけです。
サッカーが好きな子は、ボールを取られると悔しくてすぐに取り返しに行きます。ボールを取った相手をしつこく追いかけます。実際には「悔しい」とか思う間もなく、体が反応していることの方が多いかもしれません。ですが、チームなどで、いわゆる「ポジション」というものを与えられると、与えられ方によっては、次第に、そういう動きを抑えるようになることがあります。
この子の場合も、もしかしたら、そんなに貪欲にならなくてもパスがくる経験をしてきたのかもしれないと思いました。その結果、「ボールがほしくてたまらないから、動きまわって触る」ことが減っていき、そして、それでもパスは来て、パスが来たらある程度のプレーができて評価されるから、それでも満足でき、次第にボールを貪欲にほしがることが減っていったのではないかと・・・。
さて、この子にどうしよう ― (予想では)こうなったのは、行動を抑えるという“行動”の結果。
ですから、同じく行動で思い出させることに。「行動は動機を強化する」作戦です。
とにかく、ボールを追いかけさせる。損か得かではなく。そして、そうやって追ってボールを触った時の達成感を思い出させる。そうすれば、もっと追いたくなる。これを繰り返していこうと。
ということで、夏前から特に「ボールを粘り強く追うこと」を強く指示し、夏休み中にこの達成感を体に染み込ませることに(夏空中の、この子に対するウラテーマでした)。
すると、ボールを奪われた後に、取り返すことが無理そうな状況でも追いかけることや、実際に取り返すことが増え、ボールを持った時の動きもさらによくなりました。そして、ゲームでも「サッカーが大好きな子のするような動き」をたくさんするようになりました。大成長です。
相手をとことん追うと、相手の動きに対応するために不得意な動き、自分の経験したことのない動きをします。その中で様々な動きを吸収するため、ボールを持った時の動きも、より多様に、スムーズになります。小学生年代は、持久力などよりも、こういった体の動きの器用さを、より吸収できる時期です。
この子・・・その後の成長が、以前の何倍もすごいんです。
パスした後の動きが積極的になり、相手ゴールに向かう動きがかなり増えました。それを見て、「○○みたいな動きをできるようになったな」と言ったのですが(○○という選手は1980年代のスーパースターの一人)、その2日後には、○○選手がある大会で見せた、取られそうで取られない、倒れそうで倒れないドリブルを見せたんです。これも、バランス感覚や体のコントロールが以前よりも利くようになったからでしょう。こうしたこと(○○選手を思い出させる動きを2回続けて見せたこと)だけでも驚きですが、さらなる成長も、この子は見せてくれました。

この子は、明らかに以前よりも周囲の子へ気を配るようになりました。

(ある日のブログより抜粋します)
「一人の子がまず休憩から戻り、「ボールちょうだい」と言い、渡すと遊び始め、もう一人が来てパスが生まれ、次に来て・・・(中略)・・・人数が増えてくればボールを触れない子も出てきます。ボールは一つだけなので。また、休憩から戻っても、遊びに入っていいものかどうか考えて入れなかったり、恥ずかしくて入れなかったり、なんていう子もいます。そういう子を見つけて、「ほらよ」とパスをする子もいます。それを受けて、嬉しそうな顔で中に入ってくる子もいます。
そう、気持ちを受け取りなよ、なんて思います。友達から気持ちを投げられてもそれを受け取ろうとしなければ遊べないじゃん。投げる方だって勇気がいることがあるんです。それに答えなきゃ、遊べないじゃん。それができずに「つまらない」になっても私は助けません。だって、友達だって、「入りたいけど、どうやって入っていいかわからない」子の気持ちを受け取って、パスをしているのだから。それに、チャンスは一度だけではないから。友達はその後も投げてくれるのだから。こういう場面でも、受け取ろうとする子は伸びていきます。
うまくできるかではなく、受け取ろうとしているか、それを友達は感じるのでしょう。
べつに失敗しても、頑張っていたらボールは行きます。・・・」

・・・ブログには今回の話に関係のない文章も入っていますが、この中の、「入れないでいる子」に「ほらよ」とパスをしたのがこの子です(こういうことって簡単そうですけど、今はゲーム機の中で遊ぶことが多いからなのか、子供同士の接点が減っているからなのか・・・難しいようですね)。
そして、この2日後には、練習のやり方がわからずに困っている4年生に、「こうやるんだよ」とさりげなく教えてあげ、(4年生の子は最初はなかなかできなかったのですが)その4年生が苦戦しつつもやっとできた時に“絶妙のタイミング”&“絶妙の強さ”で「うまいじゃん」と言ってあげて。
その評価は大きすぎず、小さすぎず。適当な大きさの「うまいじゃん」なので、その4年生の子にも、すっと入っていったんでしょう。嬉しそうな顔をしていました。
本当に、一生懸命な子や他の子のことを、以前よりも考えられるようになったと思います。
・・・2回続けて、それぞれの日に「技術と心」の両面での成長を見せたのは、成長が確かなことである証拠でしょう。子供発の「サッカーが好き」という気持ちが、成長していく時に最も大切なことだということも、よく表していると思います。
ちなみに先程のブログの、その前の文では他の6年生の子に触れています。
(これです↓)
「・・・年代によって、受け取れるメッセージや気持ちの内容・大きさは違いますよね。この子は本当にしっかりとメッセージや気持ちを受け取ることができる-だから伸びる。練習前や途中途中ではふざけたことを言ったりしても、ちゃんと受け取っている。自分でもどういうプレーをすべきかわかっていて、それを周囲に流されることなくやることができる。自分を失いそうになっても、それに対して言葉をかければ、自分自身で戻ってくる。これからの成長は、「×3」くらいでは行くでしょう」

・・・6年生が色々な面で成果を出し始めてきたこれからの数カ月、とても楽しみですね。
6年生と絡むことのある4年生、5年生の伸びも期待できます。相乗効果での伸びはすごいんですから。 

*「今が一番いいかも」と本人が感じるほどの今回の大成長。この大成長の最も大きな要因は、この子の素直さだと思います。ものすごく生意気なヤツですけどね。
実際に、「ある場所で待っていればボールが自然に来る」「ボールを取るために動き過ぎたら、試合の勝ち負けなどの面で損をする(本当は損でもなんでもないのですが)」という経験が多い場合、今回のような指示を出してもなかなか元に戻れないこともあります。6年生にもなれば、誰かに言われたことをやるのが嫌なこともあるでしょうし、実際に、言われたことを「ただやる」ことは良くないこともあります。ですが、私の場合は、これまでのその子の様子やチームでの動きを見た上でアドバイスをするようにしています。
普段は生意気でも、真剣な話はきちんと理解してくれる子が多いことにとても感謝しています。

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2010年9月25日 (土)

失敗に隠されたもの・・・発見してみませんか

(2009年7月 通信No.84より)

ある日のゲームで、相手チームの子が誰も守っていないゴールへのシュートを外した子が、他の子に「外してやんの~!」と言われました。
状況としては、自分の後方から来たボールを、そのまま止めずに相手ゴールにシュート。
その時、ゴールはガラ空きでしたから、簡単そうなプレーに思えますね。
でも、こういう、自分の後方から来るボールをシュートするのって、実は、難しいんですよね。横とか斜めとかから来るボールならもう少しやり易いのですが。
後方からのパスをシュートする場合は、(ゴールは見づらいので見ずに)ボールをしっかり見て、「たぶんゴールはあの辺にあるぞ」というイメージでシュートすることが結構あります。そうすると、入ることもあるんですよね。
こういう風に「ゴールはあそこ」とイメージして(わかっておいて)、ゴールを見ないでシュートすることが大切なこともあるんですが、説明を短くするためにそのあたりの話はカットで・・・。
さて、シュートを外してしまったこの子の場合、ボールが後ろから転がってきている間に、実は一瞬、ボールから目を離し、ゴールの位置を目で確認していました。この時の目がですね、いいんですよ、澄んでいて! 
ゴールを見た直後にボールに目を戻しシュートしたので、ずっとボールだけを見ていた場合よりもボールを捉えにくいのです。だから、ミスすることもあるでしょう。私も子供たちとのゲームで、同じような感じで結構失敗します。この時の目がですね、濁っててですね…ま、濁ってるのは目だけではないんですけどね! 
話を戻し・・・でも、このように、ボールが転がっている間にゴールを一瞬見るということは大切なことなので(もちろん、サッカー経験や技術の成長段階によります。段階によってはこれをしない方が身につくものもあるのでみんなに「やれ」と私は言いません)、これをした結果、外してしまったのなら、ナイスチャレンジということですね。
しかも、ボールがほぼ真後ろから来ているので、ゴールを確認するのは、ボールが横から来ている場合に比べ何倍も難しいのです。しかもしかも、ボールは結構速いボールが転がってきていましたから。
この子は、ゴールを確認する時も走りながら見ているので、その時点で、“今、自分に蹴られたボールがこのコースにこのタイミングで転がってくる”ということを早く認識できたのでしょう。だからゴールを見ることができたのでしょう。なかなかたいしたものです。外から見ている私にとっては、ちょっとかっこいいプレーでした。
さてさて、試合中は、このように、ボールが行った先々だけを見ていると、それがどのようなことを含んでいるプレーだったのか正しく認識できないことがたくさんあります。
この場面も、子供たちにとっては、パスが渡ってシュートをする瞬間だけが、この子のプレーとして目に入るため、単なる「失敗」に見えるのです。・・・私の失敗もそうですよ~。単なる失敗に見えるだけですよ~。もちろん、・・・ウソですよ~・・・
一緒にプレーしているのは子供たちなので、そういう見方をしてしまうのは仕方ないのですが・・・。
ちなみにこの日、この子は子供のサッカーでは最も大切な、「自分のチームが攻撃に入った瞬間には全力で攻撃に参加し、自分のチームが守備になった瞬間には全力で守備をする」というプレーをしていて、“ボールを奪われたら奪い返すためにとことん追いかける”というプレーをしていました。
そのため、他の場面でも動き回った直後にボールが自分のところに来て(=決してボールが来るのを“余裕”で待ち受けている状態ではないので)ちょっとボールコントロールやキックを失敗してしまう場面がありましたが、これも、その瞬間のプレーしか目に入ってこない子供たちには、ただの失敗に見えたかもしれません。
・・・が、が、が! こういう、ボールをどこまでも追いかけてしまう動き・・・効率が悪く見えたり、無駄なように見えたりもするこの動きが、実は子供たちには最も大切なことなのです。

どこまでもボールを追いかけて奪い返す達成感や、どこまでも追いかけて来る相手を振り切った時の達成感は、子供たちのプレーや動きを、より速く、より正確にしていきます。
また、その結果、自分の力をより信じられるようになったり、(めちゃくちゃ頑張ってもボールを取れなかった場合などは)相手のことを正しく評価できるようになったりして、その後の努力、成長につながるものです。
ですが・・・実は最近、こういうプレーをする子が少ないように思うこともあります。
つい前まではどこにボールがあっても追いかけ回していた子が、あるポジションでボールを待っているとか、自分がボールを追いかけまわさなくてもきっと誰かが取るだろうから攻撃に備えておくとか・・・、そういう「追いかけ回さないプレー」をするようになることも・・・。得点するには効率がいいのですが、こういうのは“動き回るエネルギーを持て余す”子供たちがするプレーとしては、なんとももったいないと思うのですが・・・。
・・・そういえば、3月頃、チームのコーチをされている方に「どんな練習がいいのでしょう?」とご質問頂きました。その時は、「“3人対3人”から“5人対5人”くらいまでのミニゲームをひたすらやるといいですよ」と答えましたが、理由は同じです。
ポジションのことなどを理解したり、パスの仕方を練習したりするよりも、まずはボールをひたすら追いかけまわす楽しさを、体と心で感じることが大切だからです。
もちろん、ボールを持った時の自分に自信が持てないことが原因で、ゲームをしてもボールをあまり触れないのはもったいないので、そのような場合は技術練習などが必要でしょう。
が、たくさん失敗しながら、そんな失敗を自分で感じる以上にただ楽しさの方が強くてボールを追いかけちゃっていい時だと思うので、「自信がない」と思わないような雰囲気で、自由にプレーさせられたらいいでしょうね。そうすれば心も体も技術も本当によく成長していきます。
優先順位的に、今、必要なことを感じる、学ぶということを考えても、どういう練習をするか悩む場合は、少人数でのゲームはおススメです。
また、他の方からも「サッカー経験がないけれども」という話を聞いたことがありますが、経験がないことでお悩みでしたら、無理はいけませんが、(体が動きそうでしたら)子供たちと一緒にゲームをするのもいいでしょう。
もちろん、その場合は“大人の力”はある程度「封印」して下さい。力強くボールを蹴ったりしないで、子供たちのプレーに少し合わせてあげましょう。
子供とのプレーに慣れている場合は、体を上手に使ってプレーするのも大切ですが、あまり慣れていない場合は、力強く体当たりなどは(やらないでしょうが・・・)しないで、子供のようにプレーしてみて下さい。小さな力でちょこちょこと・・・。子供として身を置くことで、色んなことがわかります。
面白いし、大変だし、子供の気持ちがわかるし、良いことがたくさんありますよ。
ボールがない時の動きなども、自分で実際に経験するとよくわかると思います。
こんなに走ってもボール来ないこともあるんだなぁとか、疲れたら、そりゃ失敗もするよな、とか。
経験がないことを子供たちと一緒にやってみるというのは、大人としては勇気のいることかもしれませんが、(一緒にプレーするかどうかは別として)勇気のある方は子供たちを本当に伸ばしていくことができますから、やれる範囲でサッカーを子供たちと一緒に楽しんでみてはいかがでしょうか。
苦しみながら、楽しみながら、子供たちの失敗に隠されたものを発見できるかもしれませんよ! 
子供たちにとって最も大切なものが何なのかも、より感じられるかもしれません・・・。
>ここまで書いた翌日、ある子の練習を見に行くと・・・あるお父さん(=コーチをされている方)が子供と一緒に一生懸命ゲームをしていました。この方はサッカー経験がないとのことですが、ボールを追う表情、子供に声をかける顔を見て、きっと子供たちは伸びていくだろうなぁと、嬉しくなりました。
今回のおまけは“夏休み前”とか“学期の終り”とかとはまったく関係ない内容で、しかもまとまっていないまま出しちゃいましたが・・・これが嬉しかったので、出しちゃいました。

=サッカースクール ソラ=
千葉市で開校中 TEL : 042-534-3766
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20cmの大きさ

(2009年6月 通信No.83より)

ある日のゲームでこんなことがありました。
ボールがラインを割って、相手チームの子がスタートをしようとすると、そのすぐ前に立って邪魔をする子が・・・。相手チームのキックを邪魔するのは悪いことではないのですが、近すぎて、その近さでは相手の子がスタートすることができないのです。
こういう時は、相手の子や周囲の子が「近すぎる」と言うと、たいがいの場合、渋々と少し離れるものです。すぐには離れないこともありますが、そういう場合でも、2、3回そういうことをすると、自分にも得にならないと思い、少し離れるようになります。
・・・が、この子は離れない! (“この子”と書きますが、よくあることで、こういうことをする子はたくさんいます。普通のことで、この子が特別ということではありません。)

実はこの子はその前の週も同じことをしています。その時は友達が背中を優しく引っ張ってくれたおかげで、非難が強まる前にゲームが再開され、セーフ。こういう優しい友達に感謝です。こういうことがないと、非難がさらに強まっていきます。その時に、渋々でも離れるのならいいのですが、それでも離れないと(実際には、意地になってしまうこともあり離れにくいのですが)、そして、それを何度も何度も繰り返すと、さすがに周囲の子もまだ子供なので、今度は友達との距離が少しずつ開いていってしまいます。だって、ゲームを早くやりたいし、たくさんやりたいし。だから、こういう、注意をしてくれる友達の存在はありがたいのです。
…しかし、その日、この子はその後も同じことを続け、その日のゲームでは“セーフ”の回数は1~2回くらい。この子は友達が引っ張ってくれても(←ほどよく冗談っぽく、ほどよく優しく、ほどよく注意気味に・・・私にはできない芸当でした)下がらず、引っ張られて下がってしまってもすぐに元の位置まで戻ってしまうことを何度も繰り返していました。しかも、引っ張ってくれた友達に対して「強く引っ張った」と思ったようで、その後もちょっと文句を言ったり。子供なのでわからないんでしょう。なので、この時は、「さっき、○○が引っ張ってくれたけどさ、…」と、友達が引っ張ってくれたから、その後もみんなでゲームをできたということを説明しました。少しだけでも、わかればなと。

さて、そんなことがあった翌週の「ある日」の同じような場面だったのです。
この時も同じように、相手のすぐそばに立ちすぎて、相手がスタートできず困る状況に。
すると、先週同様、ある子がピョコピョコと背中を引っ張りに。
それでもやっぱり下がろうとはしないで、相手のすぐそばにいる。
・・・・ふ~ん、どうしようかな・・・・と、ちょっとため息をつきかけた瞬間、発見! 
この子、前は、引っ張られて20cmくらい下がってしまうとすぐに元の位置に戻ったのに、この時は戻らないでいます。相変わらず、引っ張った子や周囲の子が「下がれよ」と言うような距離にいるものの、でも、それまでのように意地になってさらに前に行くなどしないで、その20cmくらいずれたところに留まって邪魔をしてる。それでもかなり相手はやりにくい距離で文句を言いたくなるような邪魔の仕方ですけどね。
・・・確実な進歩。邪魔する態勢も、周囲に言い返す言葉も雰囲気もそれまでと同じなのでわかりにくいですけど、これは進歩です。以前よりももっと友達の気持ちを感じるようになっています。友達と自分の「どっちが正しいか」の時の“押したり引いたり”を、少しずつ覚えてきています。この子にとっての成長。
小さなことのように思えることでも、こういう成長が生まれる場にしたい、そう思っています。だから、こういうことにもっと気づけるようになりたいと思っています。甘く見てあげるとかとは全く違います。私、かなり厳しいです。
実は、こういうことって、(恥ずかしい話ですが)現場に一緒にいても気づかないこともあるんです。もう長く一緒にいる子も多いので、他のことが気にかかり、こういう小さなことに気づかなくなることがあるのかもしれません。この子のおかげで、小さなことの大きさを、再確認できました。感謝です。現場では、もちろん、「こらっ、てめー」の方が多いですけどね。

わずかでも必ず成長を見せてくれる子供たち、大きな成長を見せてくれる子供たち。
たくさんの子がソラに来て、色んなことを私たちに教えてくれます。
そんな子供たちに応えられるように、これからも努力していきたいと思います。

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6年生の子たちに手紙を書いたワケ

(2009年5月 通信No.82より)

子供たちはスクール以外でも、チーム活動や近所の子とのサッカーなど、色々な場でサッカーをしていると思います。
今回、U-12クラスの子に手紙を入れた理由は、スクールでのゲーム時に、そうやってスクール以外の場で覚えたことを、少し強めに持ちこんでしまうことが多くなってきたからです。
それが、一人だけで行うようなプレーならまだいいのですが、2人で行うプレーなどもあり、ちょっと気をつけなければならない場面が出てきたからです。
例えば、昨年多かったのが「ウラを狙う」というプレー。これについては以前に通信のおまけで取り上げましたが、他にも「ギャップ」という言葉を子供たちがよく使うこともありました。
それらを基本的なことから理解しているのであれば、強く意識してプレーしても問題はありませんし、また、基本的なことを理解していなくても、子供たちが所属しているチーム内などで意思疎通が十分に取れるような状況であれば、強く意識してもいいでしょう。
しかし、スクールに来ている子が普段、サッカーを楽しんでいる環境は色々です。
自分がある環境で覚えたことを他の子へ強く要求しても、要求する本人も要求された子もそれだけのことを吸収できないことがあります。
もちろん、それらの内容を子供たちがきちんと理解できていれば応用することもできるのでしょうが、例えば先ほど書いた「ウラを狙う」とか「ギャップにパスを通す」というプレーをしている頃の子供たちのプレーを見た感じでは、基本的な部分への理解がまだ不十分で、形式的にプレーを覚えているという印象がありました。
プレー中の現象としては、それらのことができない場合でも無理にそのプレーを狙ってしまったり、無理に狙った結果、それがうまくいかなかった場合に(これらのプレーにはパスを出す側、受ける側があるので)タイミングの合わない相手に対して不満を言ったりすることなどがあり、それらの知識を生かし、プレーの幅や自由度を広げるというよりは、逆に、他の選択肢を持つことができなくなるなどの方が多かったように思います。
また、最近も、プレーのイメージが少しずつ狭くなってきている様子を目にします。
例えば、味方にパスを強く要求し、そのタイミングにパスが来なかったり、自分の思ったコースにパスが来なかったりすると、文句を言ってしまうなど。文句を言うのは決して悪いことではありません。でも、文句を言うだけで、その次のプレーを探そうとできない・・・自分のイメージしていることが正しい、または、イメージしていることのみやりたいという感じです。そのようにイメージすることが悪いということではありませんが、実際には、そうやってパスをもらおうとしているポジションがあまりよくないことも、パスをしないでプレーを続けた子のプレーの方が自然で良いプレーであることもあります。
他にも、守備の時に、自分は後ろで守りながら、味方の選手に守備の仕方を指示する様子を見かけます。そして、自分の前の子の守備が悪いと「何で抜かれるんだよ」となり、前の子の守備がいいと「OK」となる。
「OK」となれば良いかと思うかもしれませんが、前の子の守備が良ければ良いほど、後ろにいる子は守備をする機会がなくなるので、実践の中でこそ得られる守備力や身のこなしの素早さなどを身につける機会は減ってしまいます。ちなみに、ここで言う「守備が悪い」というのは自分の指示したように守っているかどうかで、実際には「良い守備」をしていても、その結果、抜かれたら「何で抜かれるんだよ」となり、実際には守備が悪くても、自分のイメージした通りに守備をして(前の子が)抜かれた場合は、(自分がボールを取る準備をできているので)「OK」になることがあります。
また、前の子が抜かれて、自分が守備をする機会を得たとしても、そういう場合は、(抜いてきた相手の選手は)一人目を抜くためにスピードをあげた後で、ボールコントロールが乱れたり、体勢が崩れたりしていることも多く、あまり良い守備でなくてもボールを奪うことができてしまいます。つまり、自分の守備が良いかどうかはわかりにくいのです。
もちろん、ドリブルをする選手が、そのような場合でも2人を抜けるぐらいのテクニックを身につけることは必要ですが、そのテクニックも、守備力が高く、どんどんボールを取りに来る相手に対し、日頃からドリブルをしていれば必然的に身に付きます。

ですから、攻撃時のテクニックを上げるためにも、守備時のテクニックを上げるためにも、2人でボールを奪うプレーを覚える前に、まずは一人一人が自分自身の守備力をあげるべきなのです。
味方に対し要求することや指示を出すことはとても大切なことです。
そういう力もつけなくてはなりません。でも、そういう力はこれらのこと以外でも身に付きます。
子供たちは、覚えたことを実践しようと、ただ積極的にやっているだけなのでしょう。
覚えたことを他のみんなに知らせる、覚えたことを他の場でもやってみる、思っていることを伝える・・・それ自体はとてもいいことなのです。積極性があるとも言えるでしょう。
ですが、覚えること、身につけることには段階があります。基本的な部分を理解しているというよりは、形式的に覚えてしまっている感じなので、子供たちの積極性とは無関係に、現時点では(他の選択肢の方が正しい場合でも、それに気づかず)自分自身の成長する機会を逸しているようにも思います。
これからもっと成長できる可能性を考えると、まだまだ“当たり前のことをそこそこのレベルでやれる”ということで満足させてしまったり、プレーのイメージを“今、知っているわずかなものだけで固めてしまう”というのはなんとももったいないというか、残念なので、こういった状況を改善しなくてはならないと思っていました。
しかし、これらのことをスクール中のコートの中だけで修正しようと思ったら、(自分のイメージするプレーだけを強く要求して他の子の考えやプレーを受け付けられなかったり、その子自身が上手にならないようなプレーを選択している時に)かなり強めに注意をしなければならないかもしれません。
なぜなら、このような時の子供たちは「正しいことを知っている」という感じでプレーしていることが多いので、それを普通に認めるような形で話すと、「正しいと思っている」という部分を強めてしまうこともあるからです。認めた上で「でも、こういう場合はこうだよ」と話しても、「レベルの高いことを知っている」というような感じで捉えている場合は、それを基本的な部分までさかのぼって理解しようとはできないこともあります。
そこで、強めに注意をしてしまうのがいいと思うのですが、しかし、強めに注意をしたとすれば、覚えたことを一生懸命にやった子が「間違っている」という感じにもなり、そういう状況は本人にとっても、また、それを見る周囲の子にとっても、あまり良いことだとは思えません・・・。
決して悪気はなくても、プレー中は、「正しい」と思っていることは強気で言うことがあるものです。
それは、自分のためであることもあるし、友達のためであることもあるし、チームのためであることもあります。かなりキツク言われた場合は、その子がコーチに注意されているのを見たら、「あいつ、間違ってやんの」と思うかもしれません。子供たちがそう思うのも、思われるのも、ちょっと違うように思います。
だから、やはり認めるような形で注意をしたいのですが、先ほど書いたように、形式的に覚えてしまった事柄については、それが難しいこともたまにあるのです。・・・また、子供が相手に強く要求することに応えてもらうことから信頼が生まれ、仲がよくなり、次第に一方的に要求することがなくなり、結果的に相手の考えも受け取れるようになる-そして、そのような経験から、他の多くの子の考えも受け取れるようになる、ということもあったりします。一見、“良くない”と大人の目には映ることからも子供たちは大成長することもあるので、そういったことがまた「どう話すべきか、どこを取り上げるべきか、どう様子を見るべきか」の判断を難しくします。・・・
ここには挙げない他の理由もあり、そのような注意の仕方はしたくないのです(もちろん、これらの考えがある上でも、そのような注意の仕方が必要だと思う状況になれば、そうします)。
そこで、どうしようかと考えた結果、まずは手紙で伝えてみようと思ったのです。

子供たちへの手紙には、これらの他に、相手に何かを言われた時に、「ただ嫌だと思ってだまる」のではなく、自分にも考えがある時には相手に伝えるようにも書いています。
子供たちが覚えるべきこと、経験していくべきことは本当にたくさんあります。
私も手紙でうまく伝えきれない部分がありましたが、伝えることー受け取ることといった、自分の存在や相手の存在を感じることについては、子供たちの積極性が空回りすることのないように、来ている子の存在価値が十分に発揮されるような形で伝えていきたいと思います。そのような場にソラをしたいと思っています。

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子供の作る凸凹

(2009年5月 通信No.82より)

ゲーム中に、ある子が味方にパスを出し、そのまま、またパスを受けるために走りましたが、味方からパスが戻ってくるのが少し遅れました。
すると、「なんで(パスを)出さないんだよ!」と言い、自分のイメージ通りのプレーにならなかったことに対して文句を言っていました。
こういうことを目にすることがたまにありますが、サッカーでは状況は常に変化しています。
パスを出す側も、パスを受ける側も、その変化しつづける状況でプレーを選択しなければなりません。
プレーのイメージが少ないと、その思い通りのプレーにならない時に、文句を言って動きを止めてしまうこともありますが、これはなんとももったいないことです。
味方に、「俺はあのタイミングでパスがほしかったんだ」とか「このコースにパスがほしかった」などと意思やイメージを伝えることは大切なことでもありますが、味方の子が自分のイメージ通りにプレーをしてくれなくても、(色んなプレーをこれから覚えていく、プレーのイメージをたくさん増やしていく)今の段階で、それを否定するのは間違っています。相手にも、同じように、プレーのイメージがあるのですから。
それに、先ほど書いたように、状況は常に変化します。その中で、「これがダメなら別の動き」「もっと良い動きをしよう」と、どんどん新しいイメージを持っていけることが大切ですし、今の自分が持っているイメージも、たくさんあるプレーの中のほんの一つに過ぎないのです。しかも、そのイメージも、子供の頭で考えたならとんでもなく面白いことができるかもしれないので、できるなら、“どんなことでもあり”の“子供の発想”から出るプレーや友達が考えている(自分とは違うイメージの)プレーは大切にしてほしいのです。
さて、先ほどのことのあった日、私は、「自分の思い通りに味方の子がプレーをしないこともあること」「味方の子が自分の要求に応えられない状況があること」を子供たちに話しました。
その話をしている時に、ある子が、ゴールに寄りかかって座り、口笛を吹きながら聞いていました。
9000歩譲っても怒鳴りたい気持ちでしたが、この時、私がこの子に対して注意をしなかったのは、ここには書きませんが理由があります。他の子は、(その子に対して私が注意をしないのは)なんでだろうと思ったかもしれませんが、理由はちゃんとあります。ちなみに、この子には練習後に電話をし、注意をしています。
スクールには、こういう、気持ちと気持ちのぶつかりというか、色んな子の気持ちが存在してできる凸凹というか、色んなものがつまっています。
さてさて、それにしても・・・どんなものでも、特徴には良い面、良くない面がありますよね。
この子の口はよく動きます。それが良さでもあるのですが、相手が嫌な気持ちになるようなことも言ってしまいます。でも、もし、相手が本当にその言葉で傷ついてしまうような様子を見せたなら、この子はちゃんと反省します。ただ、相手の子が傷つくような様子を見せないと、この子は気づかないことがよくあります・・・。
そんな時には、相手の子の気持ちを代わりに伝えると、ちゃんと反省します。
つい前も、ゲームの時に、この子の相手チームだった子が、この子との言葉のやりとりが原因でゲームへの積極性をなくしてしまったことがありました。その後、チームを作り直し、この2人を同じチームにして様子を見ましたが、積極性をなくした子は後ろの方に立っているだけという感じで・・・。それにようやく気付いたか、この子、ある場面で、他の子がその子(積極性をなくした子)へ出したパスを途中で自分が受け止めてしまった時に、普段なら言わない(気づかない)状況なのに、「あ、○○、(パスを取って)ごめん」と言ったんです。
実際には、この時には、この子がパスを受けた方が良い場面で、この子はそのままシュートを打って決めているので、自分より後ろにいたその子に謝る必要などないのですが、その子が積極性をなくした原因を感じているので、それまではなかなか言わなかった「ごめん」をちゃんと言ったんです。
そうしたら、その“積極性をなくしていた子”がどんどん前に行くようになりました。明らかに、その「ごめん」の後からです。
その後、「ごめん」と謝ることができた子に、「さっきまであいつはずっと後ろの方にいたが、お前が謝ってから、前に行くようになったんだぞ」「お前はそうやってちゃんと“ごめん”と言えるところも良さだぞ」と伝えました。そうしたら、次のスクールの時にこの子、ウォームアップの練習でペアを組んだ子に対して、謝る謝る・・・・。
こびるとかではなく、悪い時は謝る、謝れば相手が気持ちよくプレーできる、自分も気持ち良くプレーできる、そういうことを少し感じたのでしょうか、とても楽しそうに「ごっめーん!」と言って練習する姿がありました。
明らかに、それまでとは比べものにならない量の「ごっめーん」です。こんな時でも私には謝りませんが…。
その日は私は特にその「ごめん」については何も言いませんでしたが、その翌週も、同じように、2人組でする練習で「ごっめーん!」「あっ、今の俺(の責任)だぁ!」と・・・。
ちゃんと相手の気持ちに気づけば行動を変化させられる素直さがあるのです。
ちなみにこの日に2人組を組んだ相手の子に対しては、それまで、時には否定的なことを言ってしまうこともあったのですが、この日はその子のことを「○○ってさぁ、本当に守り強ぇ!」と感心しながら言っていました。その子に聞こえるように言いたかったのかもしれませんが・・・。
本当に、ちょっと前までは、否定的に言うこともあったんですけどね。それまで、誤解とかで否定的に見てしまっていたということに気づいたのでしょう。
あ、でも、その「○○ってさぁ、本当に守り強ぇ!」と言った直後に「シュートは弱いけど」とまた余計なことを言っていたんですけどね・・・・(ったく)。
まぁ、今のこの子の段階にはこれぐらいがちょうどいいのかな、と思います。
きっと、この子はこれからもこうして少しずつ成長していくのだと思います。
私としても、急に“おりこうさん”になってしまうより、こうして、ちょうどいい早さで成長していってくれた方が安心します。
一人一人に対して、違う注意の仕方をしたり、同じ子でも状況によって全然違う注意の仕方をすることがありますが、特別扱いの子はいません。・・・というか、私にとってはみんな特別です。
一人一人の違いも、それぞれが、みんな特別です。
「違い」は、常に「良さ」として表れるわけではないので、ソラの空間はいつも凸凹です。
でも、だから、一人一人がたくさん成長できるのだと思います。
まだまだ力が足りず、一人一人を思うように成長させられないこともたくさんありますが、子供の作る凸凹の空間を大切にしていきたいと思います。

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悔しすぎる2月

(2009年3月 通信No.80より)

2月の2週目、U-12クラスのある曜日、私は子供たちに混ざってゲームをしました。
1月はかなり厳しめの雰囲気にしたので、2月からは楽しいモード全開でやらせてあげたいと考えていました。本当はもっと早くそういう時期が来ても良いと思っていましたが、なかなかそうならず、この時期まできてしまったのです。
ですから、時期が遅くなった分、2月はただただ笑顔で、その中で程よいケンカや言い合いがあって、子供が子供のリズムで、子供の感覚でスクールの空間を、サッカーを楽しむような、そんなスクールになればと思っていました。
そんな予定の2月を迎えるため、実は、1月中に、「伸びていないかもしれない6年生がいる」こと、「それは俺の働きかけが良くなかったからかもしれないから、申し訳ないと思う」という話をしました。
そして、「だから、悪いが、お前ら(6年生やみんな)も、自分が成長するように努力してくれ、友達が成長するように努力してくれ、自分から周囲に関わろうとする,周囲に関わろうとしていない子がいたら、関わらせようとする努力をしてくれ」と話しました。
「してくれ」と言っても難しいかもしれませんが、その努力をしてほしかったのです。行動に移すまではいかなくても、他の子をもっと見ようとは思えるはずです。
困って、行動に移せない、それでも別にいいと思います。
まず、もっと関わろう、関わらせようと思う、これが今の彼らにはすごく大切なことだと思っていました。
だから、本気で話したんです。ここでは伝わらないかもしれませんが、かなり本気で話しました。2月を迎える前にできる、最後の手段かと思って話し、彼らも聞いていたと思ったのですが・・・それなのに。

2月のその日、私は怒りました。実際には「怒った」のではないのですが、子供たちにはそう思えたでしょう。
てめーら、約束したじゃんか、という気持ちです。責任転嫁もいいところですが、でも、お前らにだって頼んで、お前らだって受けただろうが、という気持ちです。ところが・・・
実は6年生には、6年生全体へ宛てた手紙を何度か書いていました。
「本当にうまくなりたいなら、一人もほうっておくな。全員でうまくなれ。全員に挑戦させろ、努力させろ。自分もめちゃくちゃ頑張るし、友達にもめちゃくちゃ頑張らせろ。学校も所属チームも関係ない。ここにせっかく集まった仲間なんだ。全員で関わりあってうまくなれ」・・・他にも色々と書きましたが、こんな言葉の入った手紙を何度も書いたり、消したり、直したりしました。何度も書いたのですが、書いた後にいつもどうするか考え、その度に渡すことはやめようと思い、結局、一度も渡さなかったのでした。
そういう手紙を書いたことがあることを、その日は何度か6年生に話していました。
何で話したのかと言えば、1月に話したことをまだ理解できていないと思ったからです。
このままではいけないと思い、これが(今の彼らの受け取る力、表現できる力を考えると)話をできる本当に最後の最後だと思って話しました。まだ、その時点ではその日の練習の締めくくりであるゲームまでには時間があります。だから、それまでに何とか伝えられればと思い、話したのです。

そして最後のゲーム。
私のミスで失点することもあり、子供に責められることも。別に責められることは構いません。今までにもそんなことはたくさんありましたから。でも、そんな雰囲気がエスカレートした時、ついに、私の怒りも頂点に達しました。
その日にやったどのゲームも、私に文句を言う子やゲームでシュートを打つ子、それを避ける子も、みんな、バラバラな感じ。自分で好きなプレーをして、自分は関係ない顔をして、関係ない顔をしている子のことなどおかまいなしで、みんな好きなことを言ったり、好きにプレーしたり。
さっき話をした時間はなんだったのか、こんなに互いの関係がバラバラで何を楽しそうにしているのだろうか。そう思うととても悔しくなりました。
私に文句を言うのが全員なら別にいいんです。でも、限られた子だけ。シュートを決めるのも、喜ぶのも、限られた子だけ。相手のシュートや攻撃を適当に避けて、シュートを打った側の子は相手が(自分の打った)シュートを適当に避けても、つまり相手が本気で守っていなくても何も感じないで、ただワーワーとやっている。それが6年生のプレーか。一緒に練習をしてきたやつらのプレーか。それで本当に楽しいのか。
そんなゲーム、他のところでやってくれ、うすっぺらい関係のやつらだけでやってくれという感じです。
そんなゲームを自分たちがしていることに誰も気づかないので、怒りました。
ゲームも嫌な感じのまま終わりにしました。最後だけ取り繕うなんてこと、私はしません。
もう終わろうと言った時に、「わかった、ちゃんとやる」と言った子がいましたが、あの日、あそこまで話して、それまでに十分に気づく機会があっても気づかなかったことに、その後すぐには気づけないでしょう。
それまで友達を真剣に見ようとしなかったのに、ゲームがしたいから見るというのもふざけた話です。
そんな軽い気持ちで友達のことを考えてほしくありません。だから、嫌な感じのまま、終わりにしました。
なんでバラバラなのだろう。子供たちは、私が“みんなに文句を言われたから怒った”と思った子もいるかもしれませんが、そんなことじゃありません。そんなことの何十倍、いや何百倍も悔しいことだったんです。
この日の練習後、子供たちに次のように話しました。
手紙を書いたけれど、みんなに配らなかったのは、それがなくてもみんなが自分でできるかと思ったからで、その方がみんなにとって良いことだと思ったから。でも、結局、そこに書いてあるようなことを話してしまったのは、俺が自分で勝手に「配らない方がいい」と思ったせいで、みんなが成長せず卒業したら、それは申し訳ないから。だから、話すと。
自分から変わろうとする努力が必要な時に、自分でそれをしない、周囲がそれをさせようとしないのなら、私はもう、どんどん言います。もちろん、何も言わずに様子を見ることもします。でも、放っておきはしません。
そういうことをわかった上で来いと言いました。それが嫌なら、来るんじゃねーとも言いました。これは、彼らと付き合う私の本気です。
自分の殻を破ろうとしない奴、友達のことを何とも思わない奴らにはバンバン言うと、何度も言いました。

そして・・・翌週は違う曜日で、同じようなことがあり・・・。この日はゲームではなく、練習で。
2人組を作らせ、「同じ所属チームの人と組むのはダメ。もし自分がペアを組めても、他の人が同じ所属チームの人と組むことになってしまったら、自分のペアを崩して組み直すこと。そして、全員が所属チームの違う人と組めるように協力すること」と言ったのです。すると2人余り、その2人は所属チームが同じなので、組むことはできず…。それなら、誰かが自分のペアを壊して組み直せばいいのです。が、それができない。
もちろん、ペアを組んだ子と離れることは「相手に悪い」と思うこともあるかもしれませんが、その時の子供たちの表情は、ペアの子のことを思って動かないという顔には私には見えませんでした。誰かがやってくれるのを待っている、きっと自分はしなくても大丈夫、そんな顔に見えました。
「ふざけるな」です。大切なのは実際にできるかどうかではなく、やろうと思えるかどうか、です。やろうとして「できない」のと、「誰かがやるまで待つ、やらないで待つ、だからできない」のとでは全然違います。
その後、子供が一人増え、人数は奇数に。一つメニューをやった後、また、同じように2人組を作らせました。一人余り。そして、違うメニューをやり、また2人組を・・・また、同じ子が一人余り。
一人余った子にも、他の全員にも「ふざけるな」です。
子供ではわからないことがあってもいいと思います。でも、「これぐらいはわかるだろうよ」と思います。
それとも、そういうこともわからない、或いはわかっても動けないのか? ・・・本当に悔しいです。
友達同士が公園でベンチに座り、お互いに別々のゲーム機を手に持ち、それぞれのゲーム機の中で作られた表情の人物と対話したり、作られた人物を操ったりしているような光景をよく見ます。それが悪いことだとは思いません。私も今の時代の子供だったらゲームを欲しがるでしょう。ですが、こういう時代だからこそ、目の前の友達と触れ合う経験がより必要なのではないのかと思います。
スクールでは十分にそのような経験を大切にしてきたつもりでしたし、また自分自身努力してきたつもりでもありましたが、友達を感じる経験をもっとさせるべきだったのではないかと、今更ながら強く反省しています。
大人のように気を使うとか、そんなことは全く望んでいないけれども、人がそこにいることを感じる、子供の感じ方でいいから感じる - そういう経験を、もっともっとさせるべきだったかなと、深く思います。
そこにいるすべてのやつの存在を感じろ、こんな程度のつながりで卒業させてたまるか、そう思っています。
おとなしい子が悪いわけではありません。声が小さい子もいるでしょう。でも、それが普段の彼ら、本当の彼らなのか。私はスクール以外の場での子供の姿、スクール以外の友達といる時の子供の姿も見ています。できれば、本当の自分でいてほしい。自分を出せる場、そういう場、そういう仲間にしたい。
もちろん、場所によって、態度やふるまいが変わるのも自然なことですから、今の成長段階に合わないことは強要すべきではないでしょう。でも、そういうことと違い、自分が他の子に関わらなくても時間が流れ、空間が作られていくーそれをそのままただ受け身で見ているということは、自分から選んできたここ、ソラではすべきことではないと思うのです。
ソラに来たなら、ソラにいるやつらを一人一人が感じろ、その中に一人一人しっかり存在しろ、存在させろ、そう思います。こんなことを感じた2月でした。

みんなに同じように笑ってほしいのでも、同じように怒ってほしいのでも、同じように一生懸命になってほしいのでもありません。ただ、自分らしく存在してほしいのです。ソラはお前らの場所だとわからせたいのです。
話がそれますが、だいぶ前、ブログにちょっと書いた、「高校の時の自分が嫌いだ」という文を呼んだ後輩から、「なんで嫌いなんですか?」というメールが来ました。私のことを語ってもしょうがないので一言で言うとすれば、「自分らしくなかった」からです。どんなに後悔しても、その時にはもう戻れません。もちろん、それによって多くのことを学ぶことができたのかもしれません。だから、今があるのかもしれません。
今、私はソラでコーチができて、本当に幸せだと思っています。こうしてソラの子供たちと一緒にサッカーができて、コーチができて、世界一幸せなコーチなんじゃないのかと、よく思います。それでも、自分らしくなかった時のことは一生後悔すると思います。私は高校生だったのに、自分らしくないということに全く気づきませんでした。自分を見失っている時や自分らしくない時というのは、もしかしたら自分では気づかないのかと思います。もちろん、自分の経験を子供たちに当てはめることが良いことだとは思いません。でも、他の人の話でも、「自分らしくなかった」時期に自分では気づかずに大きなものを失ったという類のことはよく耳にすると思います。自分で気づきかけることも、気づくこともあるかもしれません。でも、自分では気づかないこともやはりあるのだと思います。
ソラに来てくれた子供たちには、こんな後悔、経験はさせたくない、させるべきではないと思うのです。
だから、一人一人、自分らしくあってほしいと思うのです。・・・・・・これが、2月に書いたことでした。

そして、もう最終月。
さすがに、もうこれまでに、言うべきことは言ってきたので、あとはできる限り様子を見て、変化を見ていきたい、すべきことのみに集中していきたいと思います。
子供たちのグラウンドでの行動は、これまでにどのように接してきたかという私の責任が大きいので、子供たちをただ責めているのでもありません。
それに、ソラの子は決して友達の気持ちをわからない子でも、友達との関係を軽く考える子でもないということだってわかっています。
ただ、もっとくっつく力、関わり合える力を持っていると私は思うだけです。
もっと、今よりもっと、一人一人がしっかりと存在して、その存在を掛け合わせたような空間を作れると思っているだけです。だからこそ、それができなかった、その部分がもっと成長できたかもしれないのに、その力があるはずなのに見せてくれなかった2月が悔しかったのです。
お前ら、子供ではあるけれど、もっといけるだろうよ、そう思ったのです。

・・・さて、もうすぐ最終週。
今年度最後の練習、空間まで、自分の責任を十分に感じつつ、でも、子供たちが伸びるように必要な働きかけはしながら、しっかり見たいと思います。

=サッカースクール ソラ=
千葉市で開校中 TEL : 042-534-3766
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あっかんべーの子が成長を

(2009年2月 通信No.78より)

ちょっと遅いですけど・・・高校サッカーの話でいきましょう。
昔見ていた子で、高校に進学する直前、入寮する直前に会った子がいました。会ったのは3年前なので、今、高校3年生。彼にとって、冬の全国高校サッカー選手権は今回が最後です。
あれから3年、どんな風に成長したのか、登録メンバーに入ったのかどうか、ちょっと気になっていました。
そこで、お正月に、「えいっ」と実家に電話して聞いてみると、メンバーには入れなかったとのことでした。
もちろん、レギュラーで試合に出ている方が、その子が嬉しいでしょうから私もその方が嬉しいですけど、何と言っても「まだまだ」成長過程ですし、大切なことがたくさんあります。ですから、実は、「もしかしたら、メンバーに入っていないかもしれない」と思って、電話をしたんです。
その子の技術を疑うわけではありませんが、全国大会の常連校なので競争が激しいことは予想できます。今回もその高校は県代表として全国大会に行っていますが、その中で、メンバーに選ばれなかった場合はどんな気持ちでいるのか、サッカーを続けるにしても、続けないにしても、自分ではっきりとした考えがあるのか、なんとなく決めてはいないか、それが気になって電話をしました。
電話をした時には、その子は不在で、お母さんから話を聞きましたが・・・、すごく嬉しい話を聞きました。
その子は、今回のメンバーには入れなかったようですが、フットサル(イメージ的には小さなコートでやるサッカーのようなスポーツ:正確には違いますけどね)の方で、将来的なことに関して、いくつか話があったそうです。
なるほど、メンバー入りはしていなくても、技術的には他メンバーに負けていないということですね。さすが、たいしたものです。あ、これが嬉しかったのではありません。
この子、話のあったフットサルではなく、「まだサッカーを続けたい」から、大学でサッカーを続けることを選んだんです。これが嬉しかったことです。
もし、この子が、今回メンバーに入れなかったことから、自分で納得していないような形、サッカーへの思いを残したまま中途半端な形でサッカーをやめるのなら、それはしない方が良いということを伝えようと思って電話したんですが、この子にはそんなこと不要でしたね。
自分の進路については、(もし、なったとしても)プロになった場合の、その後のことも十分に考えて、決めたようです。そんな成長した考えをできるとは・・・小学生の頃の彼からは、想像が・・・。
そして、今は先生になりたいという夢もあるみたいです。やんちゃな自分のような子を何とかしたいから、先生になりたいという夢を今、持っているようです。そのために、教員免許も取りたいと思っているみたいです。彼がこう考えるようになったのは、高校で出会った先生の存在がとても大きいようでした。こういうことも、とても嬉しいです。
今、持っている夢は、もしかしたら、追いかけていくうちに、また、形が変わるかもしれません。
でも、夢を持ち続けるのは、本当に大切なことだと思います。
夢に向かいながら新たに見つける夢は、成長した自分だからこそ見える新しい夢です。
夢に向かって一日一日努力する中で、その日までの自分よりも一日分成長して、そういう成長を繰り返して新たな夢を見つけた時の自分は、走り始めた時の自分よりも成長している自分です。こうして、夢を持ち続けて成長し続けることができれば、どんなに素晴らしい人生だろうかと思います。
あ、そうそう、ちなみに、この子は小学校高学年の時、所属していたチームを辞めています。
大切なのは、チームに所属しているかどうかではなくて、サッカーを続けること。思いきりサッカーをすること。そして、サッカーを好きだという気持ちを持ち続けること。
この子は、別にサッカーが嫌いでチームを辞めたのではありません。
こういう子は他にもきっといるでしょうから、彼のような子が、その後、ここまで成長してくることは、色んな意味で嬉しいですね。

さて、ここまで成長したこのサッカー少年の、小学生の頃は・・・・なかなか面白いヤツでした。
練習中も冗談を言ったり、超真剣だったり。バラバラのような感情、行動に思えるかもしれませんが、根底に流れているのは「サッカーが好き」という気持ちなので、そばにいた私には表面上の行動は別に不自然には見えませんでした。子供とはこういうもんです。練習後には、早く帰した方が家の人も安心だろうと思い、「早く帰れ」と何度も言うのですがなかなか帰らず、冗談ばかり言っていて。その時に話していたのは、その日の練習のことや、学校のこと、特に話すことがない時には、お互いの足の短さをネタに「お前の足なんて30cmじゃん」「コーチなんて3cmじゃん」とか・・・そんなことでしたが・・・。自転車に乗ったまま柱をつかみ、ずっと冗談を言っていたり、おにぎりを食べながら冗談を言っていたり・・・。そして、さようならの前には気持ちを思いきり入れて「あっかんべー」を見せたりして。あの小僧が、ここまで精神的にも技術的にも、人間的にも成長するとは。本当に、親御さんから話を聞いて、「へぇー!」の連続でした。・・・本当に子供たちの持つ可能性はすごいですね・・・って別に驚いたりはしませんけどね、それが子供ですから。
「全国大会で活躍する」・・・素晴らしいことですし、その子を知っている者とすれば嬉しいことです。
でも、周囲の人に恵まれ、周囲の人と関わりながら、高校の3年間で体も心も大きく成長したこと、子供の持つ可能性をちゃんと私たち大人に教えてくれたこと、こういうことが本当に嬉しかったです。
これからも、この子が周囲の人に恵まれ、また、自身でもこれまで同様に努力を続け、さらに成長を続けて行くことを願っています・・・なぁんて思わなくても、成長していくことでしょうが。
この子の努力とこの子を支えた全ての人に、感謝! 

*小学生の頃に所属していたチームにそのまま残るような子だったなら、この子の場合は、もしかしたら、サッカーを嫌いになっていたのかもしれません。嫌いにはならなくても、枠にはめられたような、“その時の指導者的に正解”と思えるだけの小さな範囲でのプレーしか覚えていけなかったかもしれません。
私はこの子のプレーを見ていて、「サッカーが好き」という気持ちを常に感じられましたから、この子が辞めたくなるほどのチームであれば、辞めた方が良かったのだと思います。それは逃げるとか、とりあえず自分に合っていないから合っているところを探すとか、そういう安易なものではないと思います。このように、「サッカーを好きな子なら耐えられない」環境や「サッカーが好きな子が、だんだんサッカーから興味をなくしていく」環境があることも事実です。
もし、皆さんの中にも、チームなどで指導する立場にある方がいらっしゃいましたら、ちょっと振り返ってみて下さい。ソラの保護者の方の中にはそのような指導をしている方がいないことを望みますが(普段、よく話をして下さる方も多いので、そのような方は安心ですが)、これからどんどん伸びていくかもしれない、大きな可能性を小さくまとめてしまうような、指導者の考えの枠の中に入れてしまうようなことをしていないか、少しだけ振り返ってみて下さい。
*子供たちは、友達がサッカーやチームをやめるという経験をするかもしれませんが、それは、ただ弱いとか、サッカーが嫌いだとか、仲間を裏切るとか…決してそんなことではないということを親御さんからも教えてあげて下さい。

*昨年末、ある子に「ねぇ、ソラの子から、将来、日本代表が出たら嬉しい?」と聞かれました。私は「あぁ、嬉しいね。でも、出なくても嬉しいよ」と答えました。思いを全て話すと長くなるので、思いきり短くして話すと、子供たちには生きていってほしいと思っています(短かっ!)。
でも、サッカースクールなので、サッカーが上手になりたいと思っている子の気持ちを裏切らぬよう、最低限、サッカーを上手にさせることは達成した上で、そういう自分の勝手な思いを持つようにはしています。日本代表になるかどうかなども、もし代表になれば、その子が嬉しいだろうから私も嬉しい、知っている子が頑張っている姿を見ることができるから嬉しい、そういう感じです。なので、日本代表にはならなくても、その子がサッカーから得たものを大切にして、どこかで頑張っていて、幸せに暮らしているのなら、しっかりと生きているのなら、それで嬉しいです。もちろん、子供たちは日本代表を目指しているでしょうし、私が勝手にその気持ちを軽く見てはいけないので、選手として成長させるためにも、練習では持っているものを全て出していきます。

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6年生の強さ

(2008年12月 通信No.77より)

ある日のU-12クラス。
子供の会話で本当に許せない内容のものがありました。
話していた子にはかなり厳しく注意をしましたが、この時のその子への話し方、注意の仕方は、その時の思いつきでそうしたのではありません。これまでにも、適当な大きさ、形で、その子には、色々なことを伝えてきたつもりです。他の子同様、一瞬の行為だけを見て言っているのではありません。
・・・さて、その話の最中、端にいた6年生の子が数人、小さな声で笑い始めました。
ある子が注意されている、真剣な話をしている、その時に笑っています。みんなに関係のある話です。この子にだって話しているのです。とても笑える状況ではありません。
「友達のことを関係ないと思っているお前らにもサッカーを教える気なんかないから帰れ」と、この子たちにも言いました。その後はこの子たちも話を聞き、話し終わった後に私は、この6年生の子の中の一人(話しかけていたと思われる子)を呼びました。この子が呼ばれたのを見た他の子は、「きっと怒られるんだ」と思ったかもしれませんが、違います。笑っていた理由を尋ねるためです。
私は話している間に言葉を言い間違えることもあったので、それがおかしかったのかもしれません。それは仕方ないことだとも思うので、(でも、あそこではこらえてほしかったので)「そういう気持ちもわかるが、あのような場では、笑うのは抑えろ」と言おうと思ったのです。
そして、理由を尋ねると、私の予想は外れ。この子は、「コーチの言ってたこととは関係のないことを○○に話して、笑ってた」と答えました。大切な話をしている時に、それは許せないことではありますが、そのことについてはさっきすでに注意をしているので、「そうか、俺は、俺の言い間違えがおかしかったのかと思った。それで笑っているのだとしたら・・・」と話し出すと、すぐに「そうじゃない」と答え、「でも、あの時に、コーチが言ったように友達のこととか、みんなのことを考えていなかったのは、そうだから、すみませんでした」と改めて謝ってきました。さっきもちゃんと謝っているし、もうわかっているだろうから改めて謝らなくてもいいのに。
話して改めて感じました。強くなりましたね、コイツ。
自分の悪い部分は、(認めなくてはならない場面では)きちんと認めることができます。
そして、私が、「わかった。でも、俺が言い間違える時があるだろう? その時はおかしくても我慢してくれよな」と言うと、“そんなことはわかってる”という感じで、「よく間違えるもんね。間違えすぎだよ」と・・・。何とも生意気な奴ですが・・・・・でも、とても信頼できる子です。
その後、休憩中などに私がこの子とこれまでと同じようにふざけたり話しているのを見た、最初に注意された子が、(この子と同じように)私のところにふざけてきましたが、私はふざけあったりはしませんでした。だって、その子は自分が注意されたことをちゃんと受け取ってはいないと思えたから。
6年生の子もその子も、みんなの前で厳しく注意されたということでは同じですが、含む内容も、どこまでちゃんと受け取ったかということも、全然違います。同じようにふざけあえるわけがありません。「ちゃんと気づけ」という意味でも、私はそのふざけるような言葉に対して、ただ冷静に答えました。
さて、ここではその話がテーマではないので、話を6年生の子に戻しましょう。
この6年生の子は、4年生の頃、かなり厳しく注意をしていた時期がありました。お父さんが見学に来ている時でも、みんなの前で厳しく注意をすることがありました。色々な理由から、そうする必要があったのですが、4年生の子に対する注意では、私の経験上、過去最高の強さだったでしょう…。
幼稚園の頃のこの子も、2年生の頃のこの子も、3年生、4、5、6年生になったこの子も、ずっと見てきました。ずいぶん長く、この子とは付き合っています。お父さんとも、たくさん話をしてきましたが、技術面だけでなく、精神面でも、この子は本当によく成長したと思います。
これからも、きっと、もっと信頼できる子に育っていくのでしょう。
信頼は、私だけでなく、友達からも、たくさん得ていくのでしょう。
そして、もちろん、他の6年生の子にも、良いところ、強いところがたくさんあります。ゲーム中に見せてくれる良いプレーの中には、良い「気持ち」の部分が表れていることが本当にたくさんあります。
4年生の子には、まだあまりピンと来ないかもしれませんが、一緒にゲームをすることも多い5年生の子には、6年生の技術面だけでなく、こういう強さ、卑怯な強さではなくて、知っていかなくてはならない本当の強さも、見てほしいと思います。

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皆さんへ―2008年末のご挨拶

(2008年12月 通信No.77より)
今年も一年、色んなことがありました。
毎日毎日、反省の日々です。←本当はこんなことを言うような真面目な性格ではないのですが…。
帰り道の途中、色んなこと、色んな場面を思い出すと、「なんでもっと優しくなれなかったのだろう」「なんでもっと厳しくなれなかったのだろう」「もっと話を聞いてあげるべきでなかったのか」「理由を聞き過ぎたことが、かえって問題を複雑にしてしまったのではないか(もっと、シンプルに対応してあげた方が良かったのではないか)」「途中段階での材料(練習メニューや働きかけの仕方)が良くなかったのではないか」・・・等々、考えることがたくさんあります。
現場では、それまでの自分の経験を全て活かして、頭をめいっぱい働かせて、子供たちに働きかけをしているつもりですが、帰りの車の中では、自分がやったことは本来すべきことと正反対ではなかったのかと考えると、なかなかその答えを見つけ出せず、自分の額を拳で打ったり(もちろん優~しく)、自分の未熟さに腹を立てたりすることもありました。正解がないとは思っていても、最低限、自分が納得するだけの理論的な説明はつけられるようにしなければなりません。でないと次に進めません。
・・・そんな毎日でしたが、大きな事故やケガもなく、今年も最後の月を迎えることができました。
自分のできなどに関係なく、これは、本当に嬉しいことです。これも、皆さんのご理解、ご協力のお陰です。本当にありがとうございました。
今年も、スクール中はとてもたくさんの思いを経験することができ、また成長させてもらいました。
2008年最後の練習が終わるまで、気をしっかり入れて、グラウンドに立ちたいと思います。
そして、少しでも多く、子供たちを成長させたい、自分自身も成長したいと思います。
来年も、きっとたくさんの失敗をすると思いますが・・・、よろしくお願いいたします。

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困ったプレー

(2008年12月 通信No.77より)

最近、ある3年生の子が面白いプレーをよく見せてくれます。他にも面白いプレーを見せてくれる子はたくさんいるのですが、この子の場合は、「少し困りながらのプレー」という特徴があります。
例えば、ゲーム中に、
自分の目の前でボールがバウンドする
→手の高さまでボールが上がってきた
→蹴りたいけれど手は使えない
→「どうしよう」
→そして、つい手が出てしまう
→でも、「いけない!」と、とっさに手を引っ込める
→ボールが下に落ち、また弾んで上に来る
→また手が出そうになる
→でも、とっさに引っ込める
→そして、足でボールを捕らえようとする・・・
・・・困っていることがよくわかりますが、困りながらも、次のボールの捕らえ方を見れば、サッカーの技術をバンバン吸収していることがよくわかります。
他にも、味方が蹴ってくれたボールを、(自分が周囲の状況を把握していない時は)ついその子に蹴り返してしまって、この時に、足の甲で蹴るので(力加減が難しく)、ちょっと強く蹴ってしまったり・・・。
友達へのパスは、浮いてしまうと相手の子がボールを触りにくいので、ゴロで蹴る方がいいのですが、前から転がってきたボールを足の甲で蹴る時には、ゴロにすることが難しいのです。でも、この子は、そういう時でも足の甲で蹴ろうとするんですよね。
相手の子はびっくりするかもしれませんが、この子がボールを蹴るまでの目の動きを見ていると、本当によくボールを見ていて、丁寧に蹴っているつもりなのがよくわかります。だから、私は、いいプレーだと思います。
・・・実はこのおまけを書いている数週間前、この子に、「ねぇ、ボールが浮いちゃう。どうしたら浮かないの?」と聞かれたので、「ここでこうして蹴れば浮かないよ」と見せたら、何度も自分で練習して、ちゃんと浮かさないで蹴れるようになったことがあったのでした。なので、ゴロには蹴れるのですが、力加減が難しく、まだちょっと強くなってしまう時もあるのです(一般的には足の内側のキックが最も正確なのですが、低年齢の子は、体の構造的に足の内側でのキックはまだちょっと難しいのです)。
なので、この子が困りながらも、自然に足の甲のキックを使うのを見ると、面白いなと思います。足の甲のキックは、強さと方向の調整が本当に難しいので、たまに、「あれ?!」となりますが。
また、ドリブルも、困りつつのドリブルをよく見せています。
困ってボールを引く、そして逃げる。でも逃げ切れず、またボールを引く。相手が足を出すので、さらに引く、引く・・・。それで切り抜ける時もあれば、取られてしまう時もあります。でも、取られたらすぐに追いかけます。そういうプレー、困った時のプレーが本当に自然でいいんですよね。
ちなみに、困ったプレーの中でも、初めに書いた「浮き球の処理」は、かなりGOODだと思います。
こういう時に、どうしていいかわからず、手を使ってしまう子、ふざけるしかなく、手で取っちゃう子、わざとじゃないけど無意識に手でボールを触る子・・・色んな子がいます。
さらに、わざとだけど、周囲にバレないように器用に手を使う子もいます。こういうのを「ずる賢さ」と言う人もいるようですが、これは「ずるい」だけだと私は思っています。いいプレーだと私は思いません。
その何倍もいい、「困った」プレー。これからも、こういうプレーをたくさん見せてほしいと思います。

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チャレンジャー

(2008年12月 通信No.77より)

12月のU-9クラス。対決形式(1人対1人)の練習をしている時のこと。
ふざけているように見えるプレーがあったり、一生懸命なプレーがあったり・・・色んなプレーが出て、しかも、みんながバラバラでなく、程よく「負けたくない」気持ちが表れて、いい雰囲気でした。
それだけでも、「やるじゃん」と思えるのですが、さらに「ウォッ!」と思ったことがありました。
1対1での対決は、次のようなルールで行いました。
攻撃側がボールを持ち、ドリブルを開始して対決はスタート。攻撃側がシュートできるゴールは2つ(2つのどちらのゴールにシュートしてもOK)。もし、守備側が攻撃側からボールを奪ったら、その時点で攻守が逆転する(守備側だった子がシュートできる)というルールです。
この対決では、有利なのは、初めにボールを持って攻撃をできる、攻撃側の子(ゴールも2つあるし)。
…なので、もし、守備側の子が相手にシュートを打たせないで終れば、「勝った」という感じにもなります。
さて、練習。たくさんの良いプレーの中で、私が最も「ウォッ!」と思ったのは、ある子の守備時のプレー。
この子の守りがかなり良く、相手がシュートを打てず困っている場面 ― 攻撃側は、シュートを打ちやすい体勢にしたいのですが、そうすると、この守備の子にボールを奪われそうで、それができません。
一方、守備の子も、不用意にボールを取りに行ったら、相手の子はテクニックがあるので、シュートを決められてしまいそうです。ちょこちょこ動きながらも、均衡状態。
そこで、私が「あと10秒」(でこの対決は終り)と言うと・・・先に動いたのは、なんと、守っていた子の方。
そのままの体勢なら、たぶん、守り切れたはずなのですが、そんなことは考えていません。
ボールを取るために動きました。ここでボールを奪うことだけを考えたら、他にも動き方があるのですが、自分がボールを奪ってシュートを決めるとしたら、ここでの動き方は、その子のした動き方ぐらいです。
その動きをして奪えなければ、かなりのピンチに・・・というか、相手がシュートを決めてしまう可能性大なのですが、引き分け狙いでなく、勝ちに行くとしたら、この動き方ぐらいしか方法がありません。
どんな動きかと言うと・・・一言で言うと大人的には「そんな無茶な!」という動きです。
残り時間が短く、ただボールを取りたかったのか、それともこれぐらいのことを考えてやったのか、どちらかわかりませんが(子供の自由な発想は本当に色々なアイデアを生み出しますから、瞬間的にこれぐらいのことを考える、動くことは当然あり得ることです)、いずれにせよ、そのままなら引き分けの(守備側の子にとっては“勝ち”に等しい)状況から、ボールを取りに行ったところがかっこいいですよね。
こういう「損をするような動き」「負けるかもしれないけれど」ということを含んだ上での「ボールを触りたい」という動きができると、すごくサッカーも楽しいだろうなと思います。
本当に良いプレーだったので、みんなに説明しても良かったのですが、まだ3年生ですし、この日はその練習中に他の子もそういうプレーを自然にする可能性が高かったので、説明して時間をなくすようなことはしませんでした(説明するとすれば、最低限言わなければならないことだけでもちょっと時間がかかりますし、それに、まだ、理論的に覚えてほしいことでもないので。
でも、本当に良いプレーでしたよ!  
まさに、「失うものは何もない、チャレンジャー」という感じの、子供にピッタリのプレーでした! 

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本来の楽しさを見失うな! 

(2008年11月 通信No.76より)

最近、ソラの保護者の方だけでなく、以前に教えていた子の保護者の方からも「チームに入った方がいいか」「どういうチームがいいか」というご質問をよく頂きます。
そこで、まだ小さな子にはあまり関係ないかもしれませんが、そのような方たちにご参考になる部分もあるかなということで、少し前に見にいった子供たちの大会での様子を見て感じたことをお伝えします。
>>>
少し前に見に行った、子供たちのミニゲームの大会。
ある子の、一つのプレーが気になりました。
この子のプレー以外にも、気になることはたくさんありましたが、それらの気になる内容も詰まっているような、一つのプレーです。
この子のドリブルはスクールで何度も見ています。スピードの変化、方向の変化がものすごく自然で、ゴールに向かってドリブルすればするほど、技術、素早さが向上していくような成長力、吸収力も持っています。ドリブルをしながら、まさに一瞬一瞬、新しいものを得て上達していくような感じです。
さて、その子の、気になったプレーとは・・・
ドリブル中に相手チームの選手のタックルを受け、相手の足がかかり、転倒したプレー。
自然に見えるかもしれませんが、不自然です。だって、スクールでの動きを見る限り、あれぐらいのタックルなら十分に察知できるし、飛び越えてドリブルを続けることもできたはずなのに。
転倒してフリーキックをもらえれば、キック力のある子がシュートを打てる。小さなコートだから、考えようによってはどこでもシュートを打てる距離なんです。そうすれば、チームが勝つチャンスが生まれます。だから転んだのでしょうか? 
あの転倒は誰のためなのでしょう。
―あそこで相手の足を飛び越えて、その結果バランスを崩してドリブルが失敗したら、あの子は怒られちゃうのかな? 
転んでいれば得られたフリーキック、得点のチャンスを逃して、怒られちゃうのかな? 
でも、飛び越えた方が、本人は絶対に楽しいだろうに―。
ケガをしないために、きれいに受け身を取って転ぶこともありますが、そういうのとは違います。
本当のプレーなら、相手の必死のタックルを飛び越えてドリブルを続けたり、バランスを崩しつつもゴールに向かったりする時の楽しさを思いきり感じられるのに。そういう時の頭と体の動きはものすごく、たくさんのことが体にズバッと入ります。
自分に今ある力のちょっと上のことに挑戦し、それを手に入れる。そして、今度はそれを「今の自分の力」「土台」にして、また挑戦をして・・・。そして、どんどん楽しく、上手になっていけるのに。
―あのプレーは・・・きっと、自分のしたいプレーじゃないということは自分でもわかると思います。それとも、まさか、もう、わからなくなっているんでしょうか。自分の気持ちに素直にゴールを目指すプレーより、倒れて反則をもらう方に喜び・安心を感じるようになっているとしたら、なんてもったいないのでしょう。これからたくさんの、「自分の可能性」を感じる経験をしていけるはずなのにー。
そういえば、ボールを相手に取られた時に、すぐにそのボールを取り返そうとできない子もいます。
自分のポジションや役割を考えて「追えない、追わない」経験をしているうちに、気持ちのままにボールを追う動きが自然に減ってくるのでしょう。これもさっきの転倒と同じです。
ボールを取られて悔しいからどこまでも追いかける、そして追いつく、或いは全力で追ったのに追いつけないという経験もとても大切です。頭と体の働き、こういう時はものすごく、とても成長します。
こういう自分の可能性をたくさん感じられるプレーの楽しさこそ、これから伸びていく子がもっとも知らなくてはならないことだと思うのですが、それを知らず、自分のプレーを抑え、勝利を重ねていくような場面をたくさん見ると、子供たちが本当の楽しさを知っていけるのか、心配です。
自分の本来のプレーをすることを我慢しても、その後で「優勝」や「レギュラー定着」といった良い結果を得られるから、プレーに満足していなくても、それがあまり気にならなくなる。本来すべき挑戦を抑えることで他の嬉しさを得る結果、いつの間にか、自分が本当に挑戦した時の楽しさより、周囲に評価される肩書きを得る方が楽しい、嬉しいと錯覚していってしまう・・・なんてことにもなりかねないのではないだろうかと思います。
もちろん、メダル、順位、資格といったものを子供が欲しがるのは自然です。子供の自信や成長に大きくプラスになることもあります。ですが、子供がこれらを目標にするのと、大人が目標にするのでは意味が違います。子供のそういう気持ちをいかに成長に結び付けていくか、これが大人のすべきことだと思います。
本当は、試合には勝てなくても、100%の達成感を感じられることもあるし、試合に勝っても、100%の達成感を得られないこともあります。ある時点での対外的な一つの基準に過ぎない目の前の目標に向かって、もっと大切なものを犠牲にしながら一生懸命にボールを追いかけている子を見ると、そういう、自分自身の体中で感じることができる本物の達成感を、しっかり知っていって欲しいと強く思います。

これまでに見てきた子の中にも、実際に、「もともと子供らしい、挑戦のつまったプレーをすることの楽しさを知っていた子なのになんでだろう」と思うほど、プレーの質が変化してしまう子がいます。
自分自身の可能性(自分だってまだ気付かないくらいの!)を感じられるプレーをする楽しさよりも、外からの評価を得ようとするプレーが多くなってしまうことがあります。
自分がサッカーを上手になるために、資格、順位などを得ようとするための姿も、「挑戦」と捉えることができるかもしれませんが、見ていると、それを手に入れるためのプレーは「失敗しそうなことよりも成功しそうなことを選ぶ」といった行動が多くなるようです。
これを、挑戦と言えるのか。例え、言えるとしても、子供たちの、これからの可能性に相応しい挑戦かと言えば、そうではないと思います。子供たちは、好きなことでは「強くなりたい」「良い成績を取りたい」と思うのが当たり前なので、良い成績を得ることで自分たちが強くなった、うまくなったと思うのも自然です。それらを得ようと努力するのは自然なことですし、そういう気持ち自体が別におかしいというのではありません。ただ、見ていると、外から得る評価・成績と、子供たちの成長とのギャップが大きいと私は思うのです。また、評価される部分が必要以上にクローズアップされてしまっているとも思います。そのような中では、尚更、本質的な楽しさを、もっと強く知っていく必要があると思います。
このように、本人的には同じ「挑戦」をするようなプレーをしているつもりでも、「質」が大きく変化してしまう子を、何人か見てきました。
実力がつき、一時的にちょっと自信過剰になる、ということはよくあることですが、それ以上に、プレーの本質まで変わってしまう。本当に不思議でした。
そんな中、先ほど書いたある大会を見に行ったんです。
この大会(ミニサッカー)には、この「不思議」に感じた子たちは来ていませんでしたが、そこでのプレーを見て、感じたことはこれまでに書いたようなことで・・・。
そして、ミニサッカーでの子供たちのプレーとは全く別に、「なんでプレーが変わったんだろう、なんで楽しいと思う部分が変わってきたのだろう」ということもずっと考えていたら、そういえば、この子たち(プレーの質が変化した子たち)も、だいぶ前に試合を見に行った時、今回のミニサッカーで見たようなプレーをしていたということを思い出したのです。
別に無理にこじつけようとしてはいません。実際に、考え始めた時点では、全く別の問題として私は見ていました。本質的な楽しさをわかっていた子のプレーが変化する理由となるような背景は理解したのですが、それにしても、「なんでその背景がこんなに影響する?」と考え続けていただけでした。
そして、今回、全く別のことが気になり、ミニサッカーを見に行き、さっき挙げたようなプレーを見て、「こんなプレーを続けていたらどうなっていくんだろう」・・・と考え続けていたら、「不思議」と思っていたこととミニサッカーでのプレーがくっついたんです。
もしかしたら、こういうプレーを続けることが、結果的に先ほどの「不思議」な現象に結びつくこともあるかもしれないと。もちろん、他の考え方もあるはずで、自分の考えが絶対に正しいとは思いません。まだまだ考える必要はあります。それでも、(これでも)もう何年も、何人もの子供たちを見てきた上での考えなので、(今回のケースに当てはまるかはともかく)こういうことも可能性的にはあると思います。
成長するんですよ、子供たち。これからも、とても。

元プロ選手だった方でさえ、子供たちに指導する立場になった時に、「コーチのサッカー経験を子供に押し付けないこと」「コーチのサッカー経験で子供に教えすぎないこと(戦術的なものも含め)」ということを、コーチングの大切なこととして述べている方がたくさんいます。
プロになるほどサッカーの本質的なプレーを楽しんだ方たちですから、楽しんでいる時にどれだけ伸びるかということ、指導者の考えの枠内に押さえつけることが、色んなプレーをできるようになる可能性のある子供たちにとってどれだけもったいないかということを良く理解されているのでしょう。経験を伝えることと、自分の経験してきた枠に子供をあてはめることとは違います。
それぐらい、子供の発想力は本当にすごいものなのです。
ですが、指導者の考えの枠の中で、“枠内で得られる最高”を得る経験をしていく子の中には、こういう枠や常識にとらわれない発想・発見の楽しさやすごさを忘れていってしまう子もいます。
本当に子供たち、これからずっと、成長していくんですよ。

子供たちだけでする草サッカーでは、審判がいません。
もちろん、反則を受けたために転んでしまったら、審判がいなくてもちゃんと転んだ子から始めるでしょうが、わざと転んでもみんなプレーを続けるでしょう。そういう時でも、余裕のある相手の子は、転んだ子から始めさせてあげようとすることもありますが、こういう時は、転んだ子は、「反則なんてとってくれなくていいよ」と断ることがあります。それが自分のプレーでないことに気づくからです。そんなことしてボールをもらっても楽しくないことに気づくからです(お互いにふざけあって「転倒」を楽しんだり、テレビなどのマネで転んでみたいと思って遊ぶことはよくありますが)。
そして、相手が必死でしたスライディングタックルを見事に飛び越え、ドリブルすることができたなら、先ほど挙げた自分自身で感じられる楽しさに加え、相手からも「テメー、やるじゃん」という「形には見えない」勲章をもらえるのです。
奪われたボールを取り返そうと、とことん追いかけるのもそう。相手の子はそのボールを奪い返そうとしつこく追いかけてくる子のことを肌で感じるのです。「もう追いかけて来ないだろう」と後ろを振り返ったら、“マジ顔”のヤツが追ってくる。それを見て、「ゲッ、コイツ、しつこい!」「こいつの本気、すげーコエー! (怖い)」と思うのです。これも、メダルや賞状にはなりませんがすごく意味のあること。
草サッカーで、自分の意思でプレーする子たちの顔、いいですよね。
きっと、夢の詰まったプレー、「上へ、上へ向かうプレー」を、子供たちがたくさんできるから。
このような、一つ一つのプレーから楽しさを感じることができるものが詰まった試合と、スコア上の勝利や順位で得られる楽しさに比重が大きくかかる試合(それも、ある枠の中で得られる勝利や順位) ― 今、成長段階にある子供たちにとって、どっちがいいのでしょう。
子供の時には、対外的な評価、メダルとか賞状とか資格とか・・・そんなもの一切なくても、楽しくてのめりこんでしまうような、そんな本質的な楽しさを伝えてあげたいですね。
「本質的な楽しさ」は、対外的には目立たないことかもしれませんが、一つ一つ、大きな意味があると思います。こういうものを見つけられたらどれだけ楽しいか、嬉しいか。目に見えるもの、対外的に価値を指し示すものに走ってしまうと、本来の楽しさ、嬉しさを見失うことがあるということは、大人にも当てはまるかもしれませんが・・・。
ここのところ見に行った大会などを見る限り、子供たちだけでは錯覚してしまう環境があるようです。
周囲の大人の、子供にあった目が必要だと思います。だからこそ、子供を伸ばすために、大きな目で見ている指導者の皆さん、大変かとも思いますが、どうかそのまま、子供たちを見てあげて下さい。
ミニゲームの大会の時に、会場でお話しさせて頂いた方は皆さん良い目をされていました。他にも、よくご相談下さる方などもいらっしゃいます。子供たちのことを考えている皆さん、頑張って下さい! 
大会などでは良い成績などが出にくいこともあるかもしれませんが、子供が伸びるプレーを一つでも多く経験させてあげることは間違いなく子供たちの財産になります。それこそ、何年も意味を持つような。
子供たちは成長するんです、本当に。成長を楽しめる、これほど、育成年代のコーチにとって嬉しいことはありません。皆さん、頑張って下さい! 
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子供たちから「優勝した」「○位になった」「○○に選ばれた」と聞いても、これまでに書いてきたようなことが頭の中にあるので、私は「良かったね!」とすごく喜んだり、褒めてあげたりということができません。頭の中にある考えは置いておいて、せめてその場だけでももっと喜んだり褒めてあげたりすればいいと思うのですが、それができません。
自分が頑張った結果を喜んでくれない、認めてくれない - 私が子供の立場だったら、なんて嫌なコーチだろうと思います。でも、子供に合わぬものを追いかけさせられた結果、大好きなサッカーから離れてしまった子も見ています。そういう、本来なくてもいいはずのことが起きている中での「優勝」や「○位」ということを聞いても素直に喜ぶことができません。ですから、そういう時は、その分、お家の方が喜んであげて下さい。子供の努力を間近で見ているでしょうし、子供の喜ぶ顔を見ることが自分自身の喜びでもあると思います。親として、たくさん喜んで、褒めてあげて下さい。お願いいたします。

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子供ら、やりすぎ! 

(2008年10月 通信No.75より)

■ガマン
・・・今年も夏空には色んな子が来ました。
初めて会う子もいたでしょう。初めてペアやグループを組んで練習し、相手が自分の思ったように一緒に練習してくれないこともあったでしょう。
最近(といってもこの文を書いていたのは結構前ですが)、少し思うのは、一緒に練習をする相手がちゃんと練習をしてくれない時や、友達に迷惑をかけたり自分勝手な行動をしたりした時に、自分が我慢してしまう子が多いことです。
その時に我慢して、その後もそのまま何事もなかったかのようにしている子もいれば、やっぱりつまらなかったので休憩中に「相手がちゃんとやってくれなかった」と私に言ってくる子もいます。
私に言ってくる子に対しては、「まずは友達に言ってみろ」と私は言っています。また、自分が我慢してばかりいる子には、「文句言わないでいいのか」と言うこともあります。
相手に不満を言うのではなく、自分が我慢して何とかしようとしている子は、そうしなければならないことも今後の人生でたくさん出てくると思いますし、そうすることで自分も周囲も成長することもたくさんあるでしょうから、立派ですし、すごいとも思うのですが、それでも、本当に文句を言わなくていいのかと、声をかけることがあります。
これまでに、相手の子と充分にケンカをしたり、言い合いをしたりして、色んなことを学んできたのなら理解できるのですが、まだそこまでの経験がないかもしれません。
相手に対してどう気持ちを伝えるのか、優しく言うのか、それともストレートにぶつけるのか。
同じ相手に対してでも、状況によって優しく言った方がいい時と厳しく言った方がいい時があるでしょうし、同じ状況でも相手によって言い方を変えてあげた方がいい時もあるでしょう。
また、本当に気持ちを伝えるのを我慢した方がいい時もあるでしょう。
が、まずはそれらを経験した上で、相手の表情や行動を見て、「あ、言いすぎた」「もっと言わないとわかってもらえないのか」「まずは俺が行動で見せよう」などの様々な思いを感じてもらいたいと思っています。
それらを経験せずして、自分の気持ちを抑えることばかりを覚えていくと、どんな時に気持ちを出していいのか、どのように気持ちを出していいのか、わからないで育ってしまいそうで・・・。
もちろん、常に気持ちを出せば良いというものではないでしょうが、少なくとも、出し方を少しずつ覚えていくことは大切でしょう。その中で、気持ちを抑えることも覚えていけると思います。
これは、気持ちを伝えない子にも、伝えてもらえない子にも、いいことではないと思います。
友達が嫌な気持ちになっていたり困っていたりすることを、友達が言ってくれなければ、自分で気づけないこともあります。自分では、みんなと楽しんでいるつもりで、何も文句を言われないから相手は困っていないだろうと行動を続ける。そして、いつの間にか、さっきまで友達だと思っていた子が離れてしまう。それでは悲しすぎます。
気持ちを伝えると、お互いに対する考えが違っていたことに気づくこともあります。
「なんだ、コイツ、いい奴じゃん」とか、「あれ、俺、こんな風に思われてたのか」とか。
まだまだ彼らは子供です。今のうちに、人との関わり方を自然に覚え、言われているのはどんなことなのか、自分を否定されているのか、それとも自分のある行動を否定されているだけなのか、自分が言っていることは相手を傷つけることなのか、それとも相手に必要なことなのか、少しずつ覚えていけるのではないかと思います。
彼らがソラを卒業し、大人と子供の中間になった時に、友達から何かを言われても、過剰な受け取り方をせず、自分に対して適当な大きさで受け取れるようになってほしいと思っています。
ただいつも我慢するのではなく、気持ちを出していい時と出すことを我慢した方がいい時があること、気持ちを出すといっても相手に伝えるためには色々な方法があること・・・
色々なことを、今、ここで充分に感じていってほしいと思います。
子供のサッカーって(サッカーだけではないと思いますが)、昔はそういう場、子供同士の関係から色々学べる場がたくさんあったと思うんですけどね・・・。
あまりに自分勝手なことをやっていたら、「あいつにはパスするのをやめようぜ」ということになり、子供のルールを覚えていく。
例えば、“やっていて楽しい”攻めの時だけボールを追いかけて、“つらい”守りの時に何もしなければ「(守りに)戻ってこいよ!」と言われることになる。それでも戻らなければ、例えその子にパスをすれば得点できるようなシーンでも「あいつが点をとっても(チームとして)面白くない」ということでパスをしない。そして、好きなことばかりでなく、みんなのために嫌いなこともやらなければならないことを覚えていく。
これは、単純に周りに合わせるというのではなく、「一緒に遊んでいるのに友達のことを考えないでいたら、そりゃ、一緒に遊んでいてもつまらないから遊ぶのをやめよう」とか、「頑張っていれば認めるけど、頑張ってない奴は認めないよ」という、子供の社会での当然のルールなのです。
もちろん、友達が勝手にしている時や頑張っていない時だって、ただ受け入れない、認めないというのではなく、手を貸した方が良さそうなところまでは手を貸すよ、という手助けはあります。言葉を発したり、行動で示したり、その形は色々です。ちゃんと、応援ありの中での、子供のルール。
最近、子供の試合を見ていると、完全にポジションが決まっていて、頑張りや子供同士の気持ちなどに関係なく、試合で勝つために、当然のようにパスをもらう光景を見ることもありますが、このようなことが多すぎたら、チームメイトの一員として感じることができる本当の嬉しさや悔しさを、どこまで感じられるのだろうかと思うこともあります。
子供が子供としての気持ちを十分に感じられる場が、たくさんありますように。

・・・と、色々書いてきましたが、夏空の2週目、ある日のU-12クラスで・・・。
対照的な2つの光景がありました。
夏空で初めてソラに来た子、この子は本格的にサッカーをした経験がありません。しかも、4年生。
クラス内では一番下の学年です。周囲には学年が上、サッカー経験が自分より長い子がたくさん。
ですが、練習も一生懸命やっているし、ゲームでも本当に一生懸命ボールを追いかけています。
かっこよくボールを相手から取ることができなくても、何とか追いかけて取ろうとしています。
経験の長い子から見れば、この子がまだサッカーを始めたばかりということはわかるでしょう。
ゲームでは、この子のそばに相手チームの子が何人もいる状況では、この子にパスをしても、相手にとられてしまう可能性があることもわかるでしょう(そのような状況でボールをもらうのは、経験のある子でも大変なので)。
ですが、この子はこの日、たくさんパスをもらっていたんですよね。色んな子から。
自然にボールが集まっていました。経験とか、初めて会ったかどうかなんて全然関係なく、ただ、仲間として、みんなからパスをもらっていたんです。当たり前の光景ではありますが、でも、すごいなって思いました。
一方、他のチームではこんな光景が。
ある子がシュートを決める。その子は喜ぶ。でも、同じチームの子はほとんど喜ばない。
この日、この子はゲーム前の練習で、友達にパスをする時に相手のことを考えないパスを繰り返したり、練習で使うために友達が用意したボールをどこかに蹴ってしまったりといったことがありました。練習やゲームの開始の時も、悪く言えば邪魔と言えるような行動をしてしまうこともありました(本来は“邪魔”の一言で表してはいけないのですが)。
もちろん、それらの行動がこの子のすべてを表すものではありません。
とても明るく、初めて会った子とも自然に話をできたり、名前を呼べたり。ただ、その明るさが、その日の練習では、良い方向に表れていなかったのです。
友達は良い方向に出ている部分をまだ見ていなかったので、(それまで、自分たちの気持ちと反対のことをされることが多かったので)その子が点をとっても嬉しくないのは自然なことなのです。
勝ちたいゲームで点をとった時に、友達が喜ぶのと喜ばないのとでは、楽しさが全然違います。
こういう経験も大切だと思うんです。こういう中で、友達との関わり方を覚えていける部分もあると思うんです。
チームメイトの一員として感じることができる本当の嬉しさや悔しさを感じられるサッカー、夏休みにちょっと見せてくれました。夏だけの空間で、よくやりましたね、子供たち。

■補足
私は、練習でいつも同じ友達とばかりペアやグループを組む子に対しては注意をしますが、それも、今、色んな子と関わりを持つ経験をすべきだと思うからです。もちろん、「いつも一緒」「絶対にコイツがいい」ということは悪いことではありません。
ですが、今、色んな子と関わる中で、自分の良さを相手に伝えることや、知らない子の良さを知ること、自分が(いつもの仲良しの子なら許してくれるけれど)本来なら許されない行動をとってしまっていることがあることなども知ってほしいと思います。そして、自分を省みたり、普段一緒にいる仲間のありがたさをもっと理解したりする必要があることにも気づいてほしいと思っています。
じゃないと、何も気づかぬまま、大きくなっていってしまいます。そして、これまでに許されていたことが許されない時に、成長とは全く反対の行動をとってしまうかもしれません。
人と関わりを持ち、育っていく中で、色んな言い方や表し方をみんな投げたり受けたりしていきます。表面上は全く逆の言葉や行動でも、伝えようとしていることは同じということもよくありますし、表面上は同じでも、実際は全く異なることを伝えていることもあります。
ソラの子だって、笑い方は一人一人違うし、怒り方も一人一人違います。うるさいくらい明るい子、物静かな子、色々いますがこれでいいんです。多くの子、色んな子との関わりの中で、本当に楽しいと思う経験,本当に悔しいと思う経験を子供たちがしていってくれたらと思います。そして、子供たちが伝えられていることの本質を自然につかむことができるようになっていってほしいと思っています。

■追加・・・1
と、もう終わる予定だったのですが、夏空4週目にちょっとしたことがあったので追加します。
・・・夏空4週目、子共たちがさらに少し成長した姿を見せてくれました。
そう、頑張っていない味方には、その子がいいポジションにいてもパスをしない・・・。
ゲーム中、ある子が、守りに参加しないのに、失点したら残念がるような言葉を発していました。
その言葉は、GKを責めるというものではなかったと思いますが、それでも、守りをしていないのに、そんなこと言う権利はないんじゃないのか、という感じでした。
ここで私が注意や説明をしても良かったのかもしれませんが、子供たちの成長を見るため、その後、数分、子供たちのプレーを見ることにしました。そして、その間、この子が(得点するためにはいいポジションで)パスを呼んでも、パスはそこには行かなかったんです。
この子は「へい!」と大きな声を出しています。でも、ボールを持っている子がパスを出さない。
パスをしない子にしてみれば、味方が声を出しているのにパスを出さなければ、もしかしたらコーチに「仲間にパスをしない自分勝手な奴」だと思われるかもしれませんし、「まだ技術的に仲間を見ることができない」と思われるかもしれないのに。特に、この日はテーマ的にも、「パスを呼ぶ味方を信じてパスをすること」を子供たちに何度も言っていたので、パスをしなければ、それを理解していないと思われる可能性の方が高いのです。
逆に、パスをすれば、「こいつはみんなにパスをする良いヤツ」とか「遠くまで見ることができるボールコントールを持っている」などと思われ、さらに「テーマをよく理解、実践している」と良い評価を得られるかもしれません。それなのに、パスをしない。技術のある子も、理解のある子も。― 頼もしいです。「子供」です。
たぶん、私が子供でも、自分たちが一生懸命に守っている時に守りに来ないで、自分たちが攻めの時だけパスをもらおうとする子には、パスはしません。それだったら、他の、一緒に頑張って守ろうとしてくれた味方にパスをします。その方が楽しいんです。
もちろん、その子はべつに守りをさぼっていたのではないと思います。悪気もなかったのでしょう。
もし、「そんなこと言うんだったら守りに戻ってこいよ」という仲間がいれば、気づいたのかもしれませんし、気づけばいいプレーもたくさんできたでしょう。でも、まだ(期間的に)そこまでの関係にはなっていなかったので、このようなことになっただけです。
それでも、夏休み中の一か月のメンバーで行う子供のサッカーとしては、上出来です。
これでいいと私は思います。こういうサッカー、どこまで子供たちが発見できるのか。
これからも、「子供」のサッカーからどんなものを子供たちが発見できるのか、楽しみです。

■追加・・・2
・・・と、ここで終わるつもりがなんとなんと、2学期最初の水曜日コースで、出ました! 
「だって、お前どうせパスしないじゃんかよ!」という声が。こういう声が必要なんです。
ゲーム中、ボールを持つとまずゴールを目指す…すぐにシュートを打てなければ、ドリブルからシュートに持ち込もうとする。ドリブルですぐに相手が抜けなくてもなんとか抜こうとする。
だから、パスをすることがあまりない・・・というように思ったのでしょうね。味方の子が、そのようなプレーをしている子に対して、さっきの言葉を発しました。
もちろん、相手はそういうつもりでなかったかもしれませんが、あまりにも自分勝手にプレーしていたら、そう言われるのです。
実際に、この時は、これを言われた子は、確かにドリブルが多く、また雰囲気的に自分勝手にやっているように見える感じもあったので、そのように言われても仕方がないと言えば仕方ないのですが、違うチームの時には、ちゃんとパスをしている場面がたくさんありました。
もちろん、ドリブルでガンガン行くプレーも多かったですが、無理に狙えばシュートを打てる場面でも、味方の子に、優しいパスをする場面もありました。ですから、決して自分勝手にだけプレーをしていたわけではありませんでした。
この子のプレーが自分勝手なようになる時と、そうでない時の違いは、相手チームの守備でした。
さっきのことを言われたゲームでは、相手の守備がそこまできつくなかったので、この子がボールを持った時にはすぐにシュートを打てる場面ばかりでした。だから、パスをせず、打っていただけです。また、ドリブルで相手が抜けず、この子がつらい態勢になっても、そこでさらにボールを奪いに来るような守備者がいなかったので、またこの子がボールをキープしながら色んなことを考える余裕があったのです。
その結果、(あまりきつくない守備なので)パスを要求する味方の声も、「今出せ!」というような緊張感のある声よりも「へ~い」というようなリラックスした声が多く、また、パスをもらうための動きもサッと動くような感じではないので、パスが出ず、この子が一人でボールを触る時間が長くなったのです。
言った子も言われた子もどちらもべつに悪くなく、強いて言えば相手の守備、全体の守備意識が問題だったので、この原因は子供たちにはわかりにくいかなと思い、この時は、もっとボールを奪いに行くように全体に話しました。
ただ、私がその説明をする前に、すでに、さっきの言葉を言われた子はもっと周囲を意識するようになりましたし、言った子も言った手前、頑張らないわけには行かないのでさらに頑張り、お互いのプレーが良くなっていました。
何かを言われると、その時は感情的に言い返すことがあったとしても、それにより、何かに気づいてプレーが変わることもあります。また、言った側も、相手が自分の言葉を受け取った時の顔やその後の行動を見て、プレーがより良くなる、相手への考えを改めることもあります。
こうして、お互いに多くのことに気づき、そして、技術的にも成長していくことがあるのです。
・・・なかなか面白くなってきました。日に日に成長を見せています、子供たち。いいぞ! 

■引き寄せろ
しつこいくらいに続きます・・・すみません。←一応、“しつこい感”を少しでも和らげるために、「引き寄せろ」という題にしてみました。本当は、「追加・・・3」という題なんですけど。
先程のことがあった日、その、自分勝手にやっているような子に対し、別の子がとった、ある行動。
ゲームで並ぶ時に「べつに並ばないでいいよ~」と言い、なかなか並ばないその子。
みんなは早くゲームをしようと並んで待っていました。
そして、やっとその子も並んで、みんなで“よろしくの握手”。この時もこの子はちゃんとせず、相手の顔も見ず、雑に相手の手を面倒くさそうにさっと触り、(相手は握手をしようとしていたのに)すぐに離れてしまいました・・・いや、離れられません! 
なんと、相手の子が、さっと離れようとしたその子の手を強くつかみ、ぐっと引き寄せたのです。
ちょっと決心したような顔で顔は赤く、少し笑って、でも、しっかりと強く、引き寄せました。
引っ張られた子は、一瞬驚き、その後は、照れと嬉しさと混ざった顔でニコッと。
このすぐに離れてしまおうとしていた子、それまでの並ぶところでも、なかなか並ばなかったり、好き勝手なことを言ったり、並んでも、一人だけ練習に関係ないことを言ったり・・・少し、他の子との雰囲気上の差が出てきていました。
ただ、この日は水曜日。水曜日は「大人なしでサッカーしてみろ」的な部分もあるので、私はほとんど注意もしませんし、子供たちの間にも入りません。ですからこの時もじっと見ていました。
そして、さっきの場面になったのです。
その時、腕をグイッと引っ張った子の、ちょっと「間」があっての引っ張りと表情を見て、私は、友達がその空間から離れてしまう、孤立してしまうことを止めたかったのではないかと感じました。
「そんなこと考えつく?」と思われるかもしれませんが、この子なら、できるかもしれません。
この日は、練習前からこの2人は遊んでいて、練習中も2人組を組んでいました。
もともとそんなに絡む方ではありませんが、この日、2人はかなり絡んでいました。
練習前の遊んでいる様子も、初めて友達になる時のように、ちょっとぎこちないのですが、それでも「一緒に遊ぶ」という心でつながっていたようでした。
ですから、さっきまで一緒に練習していた子が、急に周囲と違いすぎる方に行っている、何かおかしい、何か嫌だ、何とかしたい・・・そういう思いから、引っ張ったのかなと思います。
もしかしたら違うかもしれませんが、言葉にはできない思いが働いての行動だと思います。
あの時、本当に、ただサッと手が離れてしまったら、本当に好き勝手なことばかりして、きっと、周囲の子はその子と一緒にやるサッカーを楽しいとは思えない状況になっていたでしょう。
そうしたら、その(離れた)子がかわいそうです。良いところがたくさんある子なのに。
それを食い止めたかったのかなと思います。子供たち、本当に頼れるヤツラになってきています。

■おならが出る? 
もう、いい加減に終りにしてという感じでしょうが、実はさっきの話と続いていますので。
文句があるのなら子供たちに言って下さい。だって、書きたくなるようなこと、するんですもん。
さて、その「グイッと腕を引っ張った子」が、ゲーム中に転倒してしまいました。
相手チームの子の足が引っ掛かってしまい、結構勢いよく転び、おしりを打ちました。
その子が「おー、痛ぇー!」と言うと、足をかけてしまった子が「ごめん、大丈夫?!」とすぐに声をかけました。本当に心配して謝っているのがよくわかります。
すると、この転んだ子、「オナラが出る~!」と。心配した子も、そばにいた子もゲラゲラ状態です。
きっと、心配させないように、こんな冗談を言ったのでしょう。結構、痛そうでしたけどね。
この子、本当に心も体も強くなっています。上手になっているのは明らかですし、親御さんからの話を聞いても、心身ともに成長していることがよくわかります。それがよくわかる、一場面でした。
さっきも書きましたが、水曜日は大人なしでのゲームをイメージしています。
この日は、2学期最初の水曜日コースで、子供たちは一人一人、自分のイメージではじけていて、ゲーム開始時点では、みんなバラバラでした。
色んな言葉、他人に関係ない独立した言葉、自分だけの好き勝手な言葉が飛び交い、ゲーム開始後も10分くらいは「この後、どうなるのだろう」と思って見ていました。
場合によっては、注意に入らなければならないかと思いながらも、見極められる限界までは見極め、その上で大人として子供の中に入るなら入ろうと思っていました。
そんな中、さっきのような状態まで、子供たちが持って行ったんです。
本当に、開始直後には想像できないくらいの、立派な「子供サッカー」でした。
ここまで子供たちに力を見せられたら、こっちもさらに、頑張りたくなりますよね。お互い、切磋琢磨して(勝手に子供たちの仲間に入れてもらっています)、良き空間を作っていきたいと思います。

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相手をバカにするプレー

(2008年9月 通信No.74より)

子供の時に、遊びのような感覚の中で覚えた方が良いプレーはたくさんあります。
そのようなプレーの中で、その習得する過程を見るコーチとして非常に見方、捉え方に苦しむのが、「相手との駆け引きを楽しむプレー」です。
普通に、「対決」という感じで駆け引きをしていれば捉えやすいのですが・・・。
子供が遊びのような感覚で、成長する範囲内で、相手との駆け引きを楽しんでいるのかどうかという捉え方が、非常に難しいのです。
例えば、“相手”対“自分”の、“1”対“1”の対決形式の練習で、もう相手を抜き去っていてシュートを打てる状況なのに、わざと相手が守りに戻ってくるのを待ち、その戻ってきた相手を再びかわす、そして、また、シュートを打たず、わざと隙を見せるようなふりをして、またボールを取りにきた相手をかわす・・・なんてことを子供がすることがあります。
見ている大人としては、何度もかわされる子も大切な子なので、その子をバカにしたようなプレーはさせたくありません。これはその時のお互いの表情を見て感じることなので、状況にもよりますが、そのようなプレーをされる子のことを考えても嫌ですし、子供がそういうプレーをするのを見るのも嫌です。
そのようなプレーを見ていると、「お前、ふざけるな」と言いたくなります。
ですが、実は、この、わざと隙を見せておいて、相手がきた瞬間にかわすことや、自分が余裕を持てる範囲を計りながらプレーすることを覚えることは大切なことなのです。
相手との間合いやタイミングの取り方を覚えていく上で、遊びながら何度もやることは必要です。その中で、何種類ものかけひきを覚えていくことができます。そんなかけひきには、何とも説明しようのない相手との「間」をつかむ感覚であったり、ぱっと何かをイメージする頭の働きであったり、そういうものがたくさん詰まっています。また、何度もボールを取りに行く子も、その経験を繰り返す中で、「こう走ったら、このタイミングで相手が動くかな、こうやって俺を抜こうとするかな」という感覚をつかんでいくこともでき、何度抜かれたとしても、ボールを取りに行く子にはメリットがあります。
ただ、コーチとして、こういったプレーを見る時に気をつけなければならないのは、これらのかけひきを楽しむプレーは、ただ「相手をバカにするだけのプレー」にも変化することがあるということです。
ふざけているように見えても、お互いに遊びの範囲内で、「対等な立場」で、相手をバカにしているように見えるだけなのであれば、問題はないと私は思います。もちろん、見ている側として心理的には苦しいですが、もっと奥を見なければならないし、もっと先を見なくてはなりませんので。
でも、(バカにされているように見える)一方の子が、全力でやって負けるのが恥ずかしいから、余裕でやっている子に対して自分もふざけたような感じで対応するというのは、これは、この子が自分で負けると思っている時点で、「対等な立場」とは言えないので、よくないと私は思っています。
何度行ってもかわされる、現段階では相手の方が上といような状況で頑張るのは大変かもしれませんが、バカにされているように見える子が頑張るべきだと思います。
ふざけてやっているように見える相手、余裕を持っている相手は、実はちゃんと距離を図っていたり、動きのタイミングを計っていたりして、結構、頭を使ってプレーしているのです。だから、手を抜いている、バカにしているように見える“見かけ”ではなく、中身に対して、対等に行ってほしいと思います。
表面上は簡単に負けちゃいそうな顔をして油断させておきながら、いきなりガッと奪いに行くとか。こういうのは、こちらも別にふざけているわけでもなく、しかも、あきらめているわけでもないので、関係としては対等です。もしそれでかわされてしまっても、「ちくしょう」「ちぇっ」と思えますから。もちろん、表面上も中身も全力で取りに行く、何度かわされても恥ずかしいなんて思わず、ただボールを奪いたい、悔しいから取りに行く、そういうプレーをできる方がすごいと思いますが。
また、相手をバカにしているように見える子が、一生懸命な相手に対して、本当にただバカにしているのなら、それも対等な立場とは言えないのでよくないと思います。
バカにしているように見えても、相手の全力に対して、実はちゃんと準備をしている、そして、わざと隙を見せる、というのならいいのですが、そうではなく、ただ実力差を見せたいだけでプレーしていたり、自分に対して全力で来ている者をバカにするだけのプレーをしたりというのは、成長につながるとは思えないので、よくないと思います。
そんなことをしていたら、努力することの大切さをわからなくなってしまうかもしれません。そうなってしまったら、本当の成長、大きな成長を続けていくことはできません。
実は、7月のU-9クラス、ある曜日の練習ではこんなことが繰り返されて、上のどちらにも当てはまる部分があったので、見ていて、捉え方、評価の仕方が非常に難しいことがありました。大人としては、どちらの子のことを思っても、相手をバカにしているように見える時点で注意をしたくなるところなのですが、その行為の中に含まれていることが、ただバカにするだけということとはちょっと違うので、また、相手の子の吸収力、成長力を見ると、言葉を飲み込む必要もあり・・・。
このように、大人から見たらなかなか理解できないようなこともある、非常に難しい中で子供たちはサッカーをすることもあります。成長していくこともあります。
子供たちは、せっかく色んな子に関わり合える場に来ているので、お互いの存在として、同じ立場で対等に、その上でバンバンぶつかり合いながら、成長していってほしいと思います。
そして、そういう場になるように、子供たちのプレーを注意して見ていきたいと思います。

*高学年の子なんかでは、これに戦術的な意味も含めて、「そのプレーは良くない」ということもあります。また数年前は、U-15クラスの子に、その後のことを考えて、敢えて私たちが子供たちをバカにするようなプレーをし、その中でさらに差を示し、そういうバカにされたような状況でも自分は全力でやらなければならないことも伝えました。中学、高校では相手をバカにしたようなプレーをする子も出てくるかもしれませんから。でも、そこまでの技術を身につけるには相当努力をしたはずです。もちろん、努力をして上手になったら相手をバカにしていいということではありませんが、それまでの努力の結果としての現状(自分がそれまでに頑張っていた以上に、そいつはそれまで頑張っていたということ)もわかった方がいいですし、それをわからずに、ただ相手がちゃんとやらないことに不満を持っていてもしょうがないので、(それに最終的にはそんな相手も乗り越えなくてはならないので)そんな話もその時にはしました。
非常に難しい、微妙な部分もありますが・・・。

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見ていない時間が多いのです

(2008年7月 通信No.73より)
ところで、先ほどの「オウンゴール」(かなりいいゲーム)のあったクラスの始まりは、実は「こら、テメー、帰れ!」なのでありました。
ゴールにぶら下がった子がいたので、その子に「帰れ!」と言いました。
実はその前の週もこの子はゴールにぶら下がり、その時に「ゴールにぶら下がってはいけないこと」をちゃんと説明していたので。
もう6年生の子ですし、前回きちんと説明し、本人も「わかった」と言ったので、今回は、「もう帰れ」です。
ちょうどその直前にお父さんの姿も見えたので、連れて帰ってもらってもいいかと思い、「帰れ」と言ったのですが、一応、みんなにも説明をし、今回は最後の注意にすることにしました。
ゴールにぶら下がる・・・たかがそれだけでそんなに怒らなくても・・・と思う方もいるかもしれません。
スクールのゴールは重りで固定されていますので、子供がぶら下がっても倒れることはまずありません。だったら、尚更そんなに厳しくしなくてもいいと思うでしょう。ですが、子供たちは所属チームで大会に出ることもありますし、スクール外での活動がたくさんあります。その行く先々で、ゴールが固定されている保証なんてないのです。
子供が数人ぶら下がれば、小さなゴールなどは倒れることもあるかもしれません。遊びのつもりが、大きな事故につながることもあるのです。
約束を守らなかった結果、ほどよく痛い目に合い、約束を守ることを覚えていく、やってはいけないことを体や心で覚えていくということはとても大切だと私は思っています。そのような機会をわざわざ作ることもあります。
ですが、ゴールにぶら下がることに関しては、そんなスタンスでやっていいことではありません。「痛い目にあってから」では遅いのです。命に関わるようなことは、(まだ子供で深く理解できないために)言ってわからないのであれば、形で覚えさせることも必要だと私は思っています。
・・・他にも、スクール中に、コーチの働きかけで「なんで?」と思われることがあるかもしれませんが、これまでにも言ったことがあるかもしれませんが(実際に色々とご相談頂いた方には随分と色んなお話をさせて頂いているので)、私は、私たちが子供たちを見ることができるのはスクールの時だけで、子供たちにはそれ以外の時間が圧倒的に多いこと、私たちが見ていない時間が圧倒的に多いということを十分に承知しています。
安全に関わること、友達との関係、サッカーのプレー・・・たくさんのことが気になります。
「ゴールにぶら下がるのがダメ」なのは、その中の一つです。
「たかが」と思われるかもしれませんが、ご理解頂ければと思います。

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怒られたからと言って「悪い子」ではありません

(2008年7月 通信No.73より)

6月のU-12クラス。
ゲームの時にオウンゴールが一回。
守ろうと思ってゴールの方に戻っている子の足にボールが当たり、そのまま自分のゴールに入ってしまいました。高学年になると「オウンゴール」という言葉も知っている子が多いので、「オウンゴールだ」と何人かの子が言いましたが、本人も一瞬、「あぁ!」と悔やんだものの、次の瞬間にはもう動き出していて、数秒後には自分でちゃんと得点を決めてきました。しかも、その得点は、色んな技術と気持ちの組み合わさった、まさに本日のベストゴール! 
オウンゴールは、守ろうと思って足を出した子がよくやってしまうこと。つまり戻ろう、守ろうとしている子、頑張っている子のプレーです。こういう子はいいプレーができるんですよね。4~6年生の子がみんな混ざってやるゲームだったのですが、この子はその中で一番下の学年の4年生。
結構、6年生や5年生を相手にプレーするのは大変なんですけどね。しかも、その中で自分のミスを自分でちゃんと返して・・・。しかも本当はミスじゃないのに! 
いいじゃん、いいじゃん! 
点を取った時は本当に「やったー!」と喜んでいました。私も、驚くと同時に喜んじゃいました。
点を決めても嬉しくない時もあるじゃないですか。そういう時に無理に喜ぶのってどうかと思いますが、こういう自然な喜びってやっぱりいいですよね。
これからも、本当の表情をたくさん見れるスクールにしたいですね。
・・・と、ここまでの文は、ブログに載せた内容なのですが、実はこの子、その前にもブログに登場しています。その内容が次のものです。

(天候不良の関係で)今日はU-12クラスしかできませんでした。
そのU-12クラス、かなりみんな頑張ってましたね。
途中から大ゲームをしましたが、本当にみんな良かったです。ーが、途中から一人だけ様子に変化が。動きが少なくなり、表情もさっきまでとは違います。しばらく様子を見ましたが、元に戻る様子もなく・・・。さっきまで頑張ってたのに、どうしたのだろう? 
他の子はそれまで通りいいプレーを続けています。練習終了まで残り10分くらい。さぁ、どうしましょう。
このまま放っておけば、この子を除く8人の子は「ナイスプレー」で笑顔で終了。
スクールとしてもいい雰囲気です。ーが、そんなのイヤですよね。同じグラウンドに立ってて。そんなのを良しとするのはコーチじゃないですよね。
もちろん、悔しさやつまらなかったという気持ちを持ち帰らなければならない時もありますが今日は違います。
だから、どうしてなのか、聞きました。無視をされても、何度も聞きました。
本当はすぐに「おい!」と言いたくなるところでしたが、誰でも素直になれない時もあるし、もし「怒られる」と勘違いしていたら、怒られたくないので声が聞こえないフリをすることもあります。だから、感情的にならず、なんとか話を聞こうとしました。
そして・・・それでもちゃんと話をしてくれないので、強めに話をしました。
素直になれない時があってもいいと思います。理由を言いたくない時や、特別な理由のない時もあるでしょう。でも、そういうことを考えた上でも、自分を心配する人に対して、とるべき態度かどうか。
その時のその子の態度は、親、友達、仲間・・・自分を心配する人に対して、とっていい態度ではなかったと思います。だから、叱りました。本当は、もう一人、大人としてそばにいれば、その人が叱ればいいことなのですが、この時は豊田コーチには他の担当があったので、私が自分で叱ることに・・・。自分の言うことを聞いてくれないから怒るようで、あまり格好よくないですけどね・・・。この時はしょうがなく・・・。
普段の、じゃれあったり、言い合ったりする関係は表面上の関係か? そんなつもりで私は子供たちに接しているのではありません。それも伝えました。・・・こんなことを私がしなければ、見栄え上は90点のいいスクールになったのですが。こんなことをした結果、見栄えはかなり悪くなったことでしょう。でも、私はこれからもこれでいきます。9人来たら9人が伸びる空間を目指します。90点なんかいりません。そして、本当の信頼関係を築けぬまま、コーチと子供としての表面上の付き合いをつづけるよりも、本当の関係を築くことを目指します。だから、見守りはしても、放っておきはしません。何と言われようが、これでいきます。

・・・と、まぁ、こんな感じの日があったりなんかしたのでした。
私はよく子供たちに注意したり、叱ったりということがありますが、注意されている子、叱られている子が、決して「悪い子」などということはないということです。みんな、すごいんです。
たまに、親御さんから「うちの子が話を聞かずすみません」とか「うちの子は生意気ですみません」というようなことを言われることがありますが、決して謝られるようなことではありませんので。
私が怒っていたら、「あぁ、またあのオヤジ、怒ってやがる」程度で見て頂けたらと思います。

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自然に出た手に拍手

(2008年7月 通信No.73より)

U-12クラス。
子供たちは、特別に仲のよい友達が一人だけいる子や色んな友達と仲良くしている子がいます。
どちらもいいことです。でも、周囲にいる色んな子の良さを知ってほしいし、周囲の子に自分の良さを伝えてほしいので、友達や仲間はたくさん増やしてほしいとも思っています。
さて、6月のU-12クラスで次のようなことがありました。
ゲーム中に、自分のキックを止めに来た相手の子が転ぶ。それに対して、ボールを蹴った子が、転んだ子が体を強く打たないようにさっと手を出す。転んだ子の勢いは、その手に触れるほど強いものではなかったですが、さっと手が出たんです。そして、使わなかった手を引っ込めて、転んだ子に「大丈夫?」と。
当たり前のこと ― そう思われるかもしれません。でも、これは特別なことでした。
私は本当に嬉しかったです。心配して手を出したことが、とても、本当に、嬉しかったです。そして、その後の、「大丈夫?」の一言も。
この子は、ある特定の子とはとても仲がよく、表情もとても素直に出します。その、仲の良い子と一緒にいる時はとても子供になって、体もよく動いているし、声もよく出ているし、表情もいきいきしています。
でも、その他の子とは少し距離がありました。別にこの子が悪いわけでもなんでもありません。本来、この子には何の責任もないのに存在する距離 ― この距離が気になり、ずっとどうしようか考えていました。
考えて働きかけをしても、それがすぐに効果を出すことはなく、考えて、考えて・・・働きかけては様子を見て・・・という日が続いていました。
これまで何年も子供たちを見てきています。じっと待たなければならないことがあることも、焦ってはいけないことがあることも、私も十分にわかっています。それに、働きかけたところで、今の私の力で、この距離をすぐに取り除くことができるかと言えば、正直、そんなことはできないかもしれません。
でも、一年は長いようで短いものです。何もしなければ、一年はあっという間にたってしまうんです。
できるかどうかではなくて、これは、コーチとしてやるべきことなんです。努力することはできるんです。
今のクラスで練習をするのは一年間。だから、この中で得られるものは得られるだけ得てほしいと思います。ここにいる中で得られる成長は、できる限りしてほしいと思います。
どこまで伸びるのかということをおそらく本人はわからないでしょうが、この年代の子はとてつもなく伸びるんです。たった一年でも、存在の掛け合わせの力は非常に大きく、それが力を発揮した時には、その伸びには限界などありません。
それをこの子にもしっかり知ってほしくて、この一年を大切にしたくて、考えて働きかけて、・・・なんてことを繰り返していたのでした。
そして、今日見れた、一見、当たり前の、でも、実は大きな意味のある光景・・・。
実際に、私たちの働きかけが効果を上げたのかといえば、そうでない確率の方が高いでしょう。
でも、こうして自然に他の子に接する姿を一日も早く見たいと思っていたので、例えそれがコーチの働きかけの結果でなかったとしても、それはそれとして謙虚に受け止めて、そんなこととは全く別に、ただ嬉しいんです。
はじめの一歩 ― 歩き出したんですよ。
もちろん、これからまだまだ伸びていかなくてはいけません。距離だって、まだ全てがなくなったわけではありませんし、私との距離も、まだ残念ながらあります。これも私の責任、問題です。力不足を痛感しつつ、でも方法を見つけ、絶対に何とかします。まだまだ伸びることができるんですから。油断しないで、妥協しないでしっかり見ていきます。とにかく、私は私にできることをするだけです。
それに、例え私の力が及ばなくても、一歩自分で前進した子、前進させた周囲の子たち・・・この子たちならやってくれる、そう思っています。

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子供の言葉

(2008年6月 通信No.72より)

U-6クラス、U-9クラスでは、子供がふざけたり、友達に意地悪なことを言ったり(言われたり)という様子もよく見られますね。
見ている親御さんは自分の子に注意をしたくなる時もあるでしょう。
特に、自分の子が練習の雰囲気を壊しているように見える時には、一生懸命に練習をしている他の子がかわいそうなので、ちゃんとやらないように見える我が子に注意をしたくなると思います。
ですが、そういう時でも、皆さんには言葉を外からかけないように私はお願いしています。
おふざけ、言い合い・・・色々ありますが、一人だけでなくみんなが成長していくためにはどうすべきかを判断するために、まずは様子を見るようにしているので、これからもご協力をお願いいたします。
子供の行動には子供ならではの理由があることもあったり、理由がありそうでなかったりなんてこともたまにあるかもしれませんが・・・理由を考えた上で(こちら側で)どうするか考えなければならないこともありますし、また、理由の有無に関わらず、周囲の子のことを考えずに行動した結果、周囲の子がどう思うか、自分が何と言われるかというようなことを友達の言葉や反応から知った方がいいこともたくさんあります。
周囲の子も、自分や相手のために、例え相手が仲の良い友達だったとしても何かを言わなければならないときがあることを覚えていかなくてはなりません。
もちろん、子供の取る行動・表現が周囲に対してマイナスにしかならないという場合やお互いに受け取れないようなものであったり、相手に投げてはいけないような言葉・行動であったりした場合は、私の方から注意をしますが、実際には「どっちもどっち」というような、(子供であれば)その状況でなら、そのように表わしたくなるものが多いので(どっちもそれを経験して成長できるような)、まずは様子を見るようにしています。
例えば、分かりやすいので子供の発する言葉について取り上げれば、子供が放つ言葉には、「お前、弱い」というような、言われたらグサッとくるような言葉も多くありますが、とても単純な言葉で、相手にそのまま届くものが多くあります。
それがどんな意味か、お互いに説明をする必要があると思った時は話しますし、放っておいたら受け取り方を間違ってしまう、あるいは、元々のことから離れてエスカレートしてしまいそうな時には子供たちの間に入ります。
また、言われた側の子が1人で処理するのは大変そうな時は、少しだけ手を貸すこともあります。
ですが、そうでない時、お互いに適当な大きさで解釈できている時、言われた側にそれを処理する力、返す力がある時はそのままにすることもあります。場合によっては複雑な心の変化もあるのでしょうが、子供がその言葉を発する元となることも単純なことが多いので、子供たちの中に入っていく場合でも、勝手にこちらで必要以上に言葉の意味を複雑にしてしまうことのないように気をつけてはいます。

そういえば、昨年の11月、U-6クラスのゲーム時、チーム分けの際に、ある子がみんなに「弱い」と言われることがありました。
「弱いからいっしょのチームやだ」と言われていました。言われた子を見ると、ちゃんとそれを返せそうでしたが、さすがに少し相手が多いので、ちょっとだけ手を貸すことにしました。
みんなに「そんなこと言っちゃダメだよ」と言ってみんなをすっきり良い方向に持っていくことも良いことだと思いますが、この時はそんなことを言わずに、「コーチはそう思わないから(その子と)同じチームになっていい?」と聞き、みんなが「いいよ」と言ったので、「弱い」と言われた子と一緒になり、ゲームをしました。極力その子の力で進ませることにしました。
そして、そのゲームでは、さっきみんなに「弱い」と言われた子はシュートを決めたり、相手のシュートを止めたり、大活躍。これで十分です。
そのゲームの後、「チームを変えるよ」と言うと、さっき、その子に「弱い」と言った子たちが、その子と同じチームになりたいと言いました。理由は、「強い」から。
こうやって、自分に対するマイナスの評価は自分の努力で覆せるという経験を、子供たちの大きさでたくさんできればいいと思いますし、友達の言った言葉の大きさを知ること(自分に対する絶対的な評価などではなく、この例のように簡単に変わる一時的なものであることが多いこと)も経験してほしいと思います。また、「弱い」と言った子たちには、「弱い」と思った子が実は「強い」ということを知るような経験もたくさんしてほしいと思います。
「優しさは教えないの?」と思われるかもしれませんが、初めから形式的に「優しさ」を教えるよりも、そうやって、ストレートな言葉を投げあう中で、相手の、泣いたり、笑ったり、怒ったりという反応をお互いに受け取っていく方が、また、自分で実際に言葉を受け取る経験をした方が、幾通りもの優しさの表し方、受け取り方も育っていくのではないかと思います。その後で、自分だったらどんな気持ちになるかを教えてあげてもいいのかなと思います。相手の立場になって考える、自分だったらどんな気持ちになるかを考えることって、実際に経験していないと本当に難しいことだと思いますので。
ちなみに同じ時期、U-9クラスではこんなことがありました。
1・2年生でゲームをした時のこと。
ある1年生の子とある2年生の子の間で、言い合い、追いかけ合いがありました。
その日、ある程度までは関係を修復しましたが、スッキリと「さわやかに仲直り」という感じではなく、お互いの関係についてはモヤッとしたまま終了。でも、お互いに、相手に対してちょっと自分が悪い部分があったことはわかっているようでした。それなら、モヤッとで帰るのもいいでしょう。
そして、翌週。
2人組でやる練習。まず子供たちに自由に2人組を組ませ(当然、その2人は一緒には組んでいません)、その後でちょっとだけペアを変えさせました。そう、先週ケンカした、その2人組にしちゃいました。
様子を見ていると、ちゃんと笑ってやっています。お互いにふざけすぎると相手に対して「お前!」と怒りたくなるようなことが起こるかもしれない練習でしたが、ある程度までふざけてもそこから2人で調整しあって、いい雰囲気に戻しています。明らかに“怒る”沸点が上がっています。前なら「ここで怒る」という状況を、お互いに飲み込んで乗り越えています。前のケンカは無駄になっていません。「やるじゃん」と感心しました。
先週のこの2人の言い合い、追いかけあいも、原因はとても単純なことでした。単純なことから、「そりゃ、子供なら言うかもな」という言い合いが始まっただけでした。もちろん、必要以上に傷つかないように、適当でない言葉が使われないようには気をつけて見ていますが、こういう子供同士のストレートな反応、言葉の投げ合いが必要なことは結構あるのです。そして、その結果、コーチの働きかけ以上の効果をもたらすこともたくさんあるのです。
その数はとても多く、数え上げたらきりがありません。
今ここに書いたようなことは、他の子供同士でもたくさん起きています。
今は落ち着いているように見える高学年も、そんなことをたくさん繰り返して来ています。
そして今ではその一つ上の段階で経験するようなやりとりを経験しています。少しずつ心も複雑になって、微妙な動きになって、その中でお互いに投げあったり受け取りあったりするような経験をしています。
ソラには本当に楽しい子供が集まっています。
「サッカーの個人技術を身につける」というと、個人レッスンのような形で、一人一人に対して個別に指導をするような印象もありますが、私はそんな個人が独立した形での上達を目指しているのではありません。
せっかくここにこれだけの楽しい子供たちが集まったのに、お互いの存在を切り離して成長させるなんてもったいないことするもんですか。
お互いの存在を認識した上での成長、友達と自分の存在の掛け合わせで生まれる成長を目指しています。
だから、子供同士が絡み合うような場面を大切にしたいのです。
今回は言い合いや言葉について取り上げて説明しましたが、他の表現なども、みんなの成長に必要なもの、生かせるものがたくさんあります。
これからも、こんな感じで行かせてもらいますが、どうぞよろしくお願いします。

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コーチングについて・・・

(2008年5月 通信No.71より)

*「おまけネタ」はすでにいくつも用意していたのですが、今回はそれらを後回しにしました。
スクールにはチームに入っている子も入っていない子も通っていますが、新学年になり初めて子供がチームに入った方や、チームの体制が新年度から変わり不安を持っている方もいるかもしれません。
また、保護者の方の中には、サッカー経験などがなくてもコーチをしなければならない方もいるかもしれませんので、そのような皆さんに参考になればということで、今回は、コーチをする保護者の方も含め、チームに入っている子をお持ちの親御さんにぜひ聞いてほしい話を取り上げさせて頂きます。
※一般的な考えの部分もありますし、私の個人的な考えの部分もありますので、ご参考ということで・・・。

>>コーチング・・・たまに見る風景から気になることを>>

■コーチとしてしない方がいいこと・・・行き当たりばったりの指導
では・・・子供たちのサッカーの試合中の場面から・・・。
例えば、こんなことがありますードリブルをしてボールを取られた時に、コーチに「なんでそこでドリブルするんだ」と言われ、次にボールを持った時にドリブルするのをやめてパスをしたらパスを失敗し、またコーチに「なんでそこでパスをするんだよ」と言われる・・・。
こんな感じで言われたら、もう次にどうしていいかわからないですよね。
他にも、外側にドリブルしたら、「なんで外に行くんだ」と言われ、次に中側にドリブルしたら「なんで中に行くんだ」と言われ・・・、もう「どこへドリブルすればいいの?」と、どうしていいかわからなくなりますよね。
このように見て気づいたことをその度に指導をすることは、指導の現場では、「コーチとしてやらない方がいいこと」として何年も前から知られています。理由は簡単-そのような指導では上手にならないからです。
では、何でそのようなコーチングが行われるかと言うと、それは、コーチ自身がうまくいかない原因を正しく見極めることができなかったり、改善すべき事柄の優先順位を整理できていなかったりするからです。
そのような、原因の見極めや改善すべきことの優先順位を整理することは難しいものですが、それをやろうとせず、できないままでコーチングをしてもそれは行き当たりばったりの指導となり良い結果を生みません。
逆に、それをやろうとしているコーチは、子供たちに対して言っていることの的が絞られているものです。
自分のチームの子供たちに今一番必要なことがどういうものなのかを考え(優先順位をつけ)、それに関してだけコーチングをし、他のことについては、言うことを我慢するのです。
だから、言われる子も色んなことに気を取られることなく、意識すべきことに集中でき、その結果、情報を整理、吸収することができ、上達していくのです。「コーチにも我慢が必要」・・・よく聞く言葉ですが、本当にその通りなのです。
子供たちのサッカーの試合で、一つ一つのプレーに対して“ああだこうだ”とコーチが指示を出しているのを見ることもありますが、それはコーチ自身が見るべきポイントを整理できていないことを示すようなものです。
サッカー経験のない方でも、サッカーチームに所属する子をお持ちの方はコーチをしなくてはならないこともあるかと思います。そのような方は、サッカー経験のあるコーチがそばで自信満々で色々と言っているのを見ると正しいと感じるかもしれませんが、サッカー経験がある方でも行き当たりばったりの指導をしていることがよくあります。
実際には、「サッカー経験のある・なし」よりも、こうした、子供たちへの情報の与え方や指示の出し方の方がとても大切なのです。
皆さんの中にも、もしコーチをする方がいたら、行き当たりばったりの指導にならないよう、子供たちのプレーを見て何かを言いたくなったら、言う前に、それが予めその日に課題としていることであるのかを考えてから言うようにするといいのではないかと思います。
また、コーチが子供に対して「同じ注意を何度も繰り返している場面」を見ることがありますが、これは「言っていることが整理されている」ということとは違います。
「ちゃんとパスしろよ」「またパス失敗したじゃんかよ」なんていうことを聞くことがありますが、同じことを何度も注意するということも、コーチ自身がその失敗の原因をわかっていないということの表れです。
本来なら、「何度も同じミスをするのは何故か」ということを考え、それを子供に伝えるのです。
伝え方は、子供が原因を考えるという方法でもいいでしょうし、子供が考えても気づかない内容・原因なら直接教えてあげてもいいでしょうが、「何故か」ということを意識できるようにするのがコーチの仕事です。
何度も「ほら失敗した!」「また失敗した!」なんて言われる状況では、子供が萎縮してしまったり、イライラしてしまったり、子供が本来のプレーをできる状況ではないので、そのような言い方を繰り返しているコーチには正しい原因などを見つけることはできないと思いますが・・・。
コーチの方も、初めから改善すべき点の優先順位を正確に判断したり、原因を正確に見極めたりすることは難しいかもしれません。しかし、大切なのは、今すぐそれをできるようになることではなく、努力していくことです。
実際に指導現場では、「“これが絶対に正しい”という指導方法はない」とよく言われています。
それほど難しいことでもあるのですから、時間が少しかかっても、自分なりに原因は何なのか、何を子供たちに言うべきなのか、子供の本来のプレーを多く見る中から見つける努力や工夫、挑戦をして頂けたらと思います。

・・・すでに書いた通り、子供に本来のプレーをさせるためには(=正確な原因を見極めるためには)「我慢」が大切ですが、もしかしたら、この「我慢」が一番難しいことかもしれませんし、(コーチとしての資格なんぞよりも)良いコーチかどうかの判断基準と言えるかもしれませんので、コーチをされる方は、「我慢」ということを頭の片隅にでも入れておいて頂けたらと思います。
きっと、行き当たりばったりの指導とは全く違う展開になるはずです。

■心配・・・
また、保護者の方で、自分の子がコーチに色々言われている姿を見ることがある方は、たくさん色んなことを言われる子ほど「色々できない」と思ってしまうかもしれませんが、色々言われるということは、(これまでに書いた内容をご覧いただければおわかりだと思いますが)逆に気にしないでいいと思われることも多くありますので、必要以上に心配しなくていいと思います。
さらには、コーチが言っていることが整理されているとしても、子供たちのすべきサッカーかどうかということも考える必要があります。
子供が、まるで大人のようなサッカーをしている(やらされている)のをたまに見ることもあります。
そのような試合をするチームの中ではサッカー経験のない方は、知識的な部分で自分の考えに自信を持てないこともあるかもしれません。
しかし、考えて下さい。
大人の皆さんが考えてもわからない、説明を聞いてもわからないような戦術的なサッカー、子供たちが試合をしているのに子供が戸惑うサッカー、いつも元気に動いている子供が戸惑っているサッカーって・・・? 
サッカー経験のないコーチの方、保護者の方、ぜひ子供たちの表情を見てあげて下さい。
生き生きしているのか、見てあげて下さい。

■保護者の方へ
たまに、素朴な質問で、「良いコーチってどんなコーチですか?」と聞かれることがあります。
それに対する答えはこれまでの文をお読みいただければ何となくおわかりになるかと思いますが、最後に一応、ちょっとまとめます。
特に「これが良いコーチ」とは書きませんが、これまた参考に・・・。
子供のチームでコーチをされている方がサッカー経験のないこともあるかもしれませんが、そのような場合でも子供は伸びます。
サッカー経験の有無よりも大切なのは、子供を見ようとしているかどうかです。資格や経歴よりも、子供を見ようとしているかどうかです。
試合に勝つかどうか、強いチームかどうかよりも、子供たちが伸びるサッカーをしているかどうか。
試合にあまり勝てないチームでも、子供のことを考えているコーチの下でプレーできている子は伸びます。
このように書くと、「子供たちは勝ちたいと思っているんだ」と思う方もいるかもしれませんが、子供たちが「勝ちたい」と思うのは、「強いチーム=自分が上手になっている証拠、プロになれるかもしれない」と思うからです。
子供の気持ちを大切にしたいのなら、そういう気持ちを持っている子が「勝つための試合」を重ねる結果として「上手にならない」というような試合をしていいものか、わかると思います。
子供の「勝ちたい」という気持ちを大切にしつつも、その先にある子供たちの夢を考えて、そこに近づけるようなサッカー、今吸収すべきことを吸収していくサッカーをすることはできます。
コーチのプライドで試合をしているのか、それとも子供たちのために試合をしているのか、そこを見て下さい。
そして、子供のことを見ようとしているコーチの方がいたら、ぜひ応援してあげて下さい。コーチだって応援されたら嬉しいものです。
特に、自分にはサッカー経験がないのに(普通ならコーチをやるのは大変なはずですから)、「子供たちのために」自分の時間を削ってコーチをしている方がいたなら、ぜひ応援してほしいです。
私もよくコーチの方からご相談いただくこともありますが、経験のない方でも頑張っている方、子供を伸ばしている方はちゃんといます。
資格や経歴などなくても、高い資格、経験のあるコーチよりもはるかに素晴らしい伸ばし方をしている方もちゃんといます。
子供たちの生き生きしたプレーを見るために、いいコーチがいたなら、応援していきましょう。

■チームに関わる方へ(指導に携わる方、保護者の方)
良いチームは、コーチ、子供、保護者の方のつながり方がいいものです。
コーチはオープンマインドで、保護者の方からの言葉をちゃんと聞くことができるし、子供がコーチにちゃんと考えを言うことができる。
色々なことを聞くことができない雰囲気や間柄では本当の信頼関係は生まれません。
しかし、お互いに相手の立場を尊重しながらもきちんと話をできるような間柄であれば、お互いに理解をしながら進み、信頼も生まれ、好循環が生まれます。
結果として、子供が伸びます。
もちろん親御さんも嬉しいし、コーチだって嬉しいし、誰より子供が嬉しい。
そういうチームが増えるといいですね。
続いて、細かいことですが、最近子供たちに質問を受けたことがあるので、ここでちょっとお答えします。
柄になく真面目な話をしてしまったので、ここからはちょっと軽い気持ちで読んで頂けたらと思います。

>>理由あれこれ>>
■「コーチのソラT、何で黒なの?」
・・・と数人の子に聞かれました。理由は、「ハチに見える色だから」です。
「ウソ?」と思うかもしれませんが、これが理由です。子供たちに渡すシャツに黒を入れていないのは、もし公園などで着ていた時に、ハチに刺されると嫌だからです。逆に、私達が黒を着るのは、万が一スクールにハチが着ても、子供たちの服より私達の服の方が目に入ればいいかなと思っているからです。冗談のようですが、テレビで「ハチには黒いものが見える」ということを見たので、それをとりあえず私が信じているのです。
ソラTの色のことなどは1~2年くらい前から豊田とも色々話しているので、豊田には言っている部分もありましたが、そんな変な理由をわざわざ皆さんに言うのも・・・ということで特に言わなかったのです。
ちなみに、スタッフの黒いウェアは「ベースボールシャツ」と「ホッケーシャツ」です。サッカースクールなのに、変でしょう。これにも理由がありますが、これについては(これまた長くなるので)説明は省きます。
まぁ、「?」なのはこれだけではありませんが・・・。

■「何であっちのコートを使ったらダメなの?」
・・・通常、スクールでのゲーム時は、コートを2つに区切って、入口のある側でゲームをするグループと、入口のない側でゲームをするグループに分けています。
この「入口のある側のコート」と「入口のない側のコート」、プレーさせるグループには決まりがあります。
「入口のある側」は(同じクラス内の)学年の下の子たちで、「入口のない側」は学年の上の子たちです。
例えば、U-12クラスでは、4年生は「入口のある側」、6年生は「入口のない側」になります。同じように、U-9クラスでは、1年生は「入口のある側」、3年生は「入口のない側」になります(各クラスの中間の学年はその都度分け方が異なります)。
つい前、このコートのことで、5年生の子から「俺、あっちのコート(=入口側)でゲームしたい」と言われました。4年生のグループがそっちを使うのでダメと答えると、「いいじゃん。じゃあ、コート(グループ)ごと、(入口のある側と入口のない側を)入れかえてよ!」と言われましたが、それもダメと言いました。
理由は、安全上の理由です。
ゲーム時はゴールに向かって子供たちはシュートをしますが、シュートが外れることもあります。
また、子供たちは、急にトイレに行きたくなったり、忘れ物を取りに行ってしまったり、(声をかけるように話しても)コーチに声をかけずに入口に走ってしまうことがあります。さらに、他の機会に(コーチが注意をした上ですが)入口に向かうこともあります。入口付近の子にボールが当たらないように十分に配慮はしていますが、このような時に、ゲームをしている子供たちのシュート(外れたシュート)が当たってしまうといけません。
もし、年下の子が「入口のある側のコート」でゲームをしていたなら、年上の子が入口付近に行った時に万が一ボールが当たってしまっても(年下の子の蹴ったシュートなので)あまり痛くはありませんが、その逆に、年上の子が「入口のある側のコート」でゲームをしていて、年下の子が入口付近に行った時にボールが当たると、(自分より年上の子のキックなので)これはかなり痛いことになります。
このように、万が一、子供の蹴ったボールが当たり大きなケガなどにつながるといけないので、比較的キック力の低い年下の子のグループに「入口のある側のコート」でゲームをさせているのです。
※これらを踏まえて上で、ある理由からコートの使用を逆に設定することもあります。

■マーカーも
主に使うマーカー(お皿みたいなやつです)の色は、黄色と赤色の2色です。
練習では、マーカーのところに子供を並ばせることもありますが、私はよほどの理由がなければ、並ぶところのマーカーを黄色にはしません。
これにも実は理由があり・・・それは「黄色のマーカーには虫がよく来るから」です。
意外にコートの中には1~2ミリくらいの小さな虫が飛んでいるんですよね。
こんなふざけた理由なのですが、練習時は結構重要なことなのです。
コーチの見本(というほどかっこいい見本をしたことがありませんが・・・)を見る時に、マーカーに小さな虫がいたりすると子供が虫を見てしまいます。
そりゃそうです。目の前で虫がピコピコ動いていたら、気になって見てしまいますよね、普通。
そんな自然な行動をとった時に「こら、見ろ!」と言うことはできないので(虫が動いているのに反応しないのもちょっとさびしいですし)、赤色にしているのです。
そうすれば虫のせいで見本を見ないということが少なくなりますから。そして、見ていない時には「こら、見ろ!」と言ってやるのです。フフフ・・・。そう、単にイヤな奴なのです、私は。

>>コーチングと理由>>
■理由って・・・せっかくなので、先に書いたコーチングとの関係からも「理由」について考えて見ましょう。
これまでに取り上げた「小さなこと」でも「わかりにくい」(←変なところに細かいので)理由があったように、子供たちのプレーが起こる原因・理由にも同じように様々なものがあります。
この原因を見極めることが難しいということを先ほど少しだけ書きましたが、つい最近、私も見誤ったことがあったので、ここで紹介したいと思います。
U-12クラスのゲーム時、シュートの場面で、ある子が守っている相手の正面にシュートをしてしまいました。
相手とは1対1の関係で、しかも、ゴールから2メートルくらいの至近距離からのシュートです。
さらに、相手の両脇が空いているのに、なぜかシュートは相手の正面に。
ただ、この時のシュートはインサイドキック(←威力は出ませんが最も正確に蹴れるキックです)だったので、シュートを丁寧に打ったことがとてもよくわかり、その部分を褒めました。
私のそばにいた子と「右と左のどっちを狙ったんだろうね?」という話になり、その時の態勢から考えて、ゴールの左端を狙って蹴っていたらまず失敗しない態勢、キックで(また、右端を狙って失敗したらボールが中央(相手の正面)に飛ぶ態勢、キックだったので)、しかもこの子はキックがかなり正確なこともあり、左を狙ったのに外したとは考えられず、「きっと右を狙ったんだよ」と自信満々で言いました。
さて、実際にその子に答えを聞いて、予想をしあった子から「すごい、当てた!」と言われる・・・はずが、答えは「左を狙った」と。
―えっ!?!  でかい声で子供に解説しちゃったのに、そんなバカな・・・。でも子供の答えた声がはっきりしてなくて「左」とはっきり聞き取れなかったぞ。聞き間違いかなと思い、もう一回聞くと、今度ははっきり「左!」。バカー! 
私はそのままコケました(カッコ悪・・・)・・・が、左を狙って何であそこに飛んだ? 
だとしたら考えられるのは、「シュートをする瞬間にボールから目が離れた」ということ。
狙うところを意識しすぎた結果、または無意識のうちにドリブルする時のようにボールをあまり見ず相手を見てしまい、シュートを打つ瞬間にボールを見ていないで蹴ってしまうことがあります。すると、ボールを蹴る瞬間に、自分の思った位置にボールがなく(ほんの少しだけボールがずれている結果)、シュートがずれることがあるのです。おそらくそういうことだろうと思いながらも、また違うといけないので一応その子に確認をすると、シュートの瞬間にボールを見ず、相手を見てしまったそうです。今度は当てましたよ~。すでに選択肢ほとんどなかったですけど・・・。
この、シュートが相手の正面に飛んだ場面で、そのプレーの表面上だけを見て、もし「もっと相手を見ろ」とか「もっと端を狙え」と強く言ったら、それをさらに強く意識して、シュートの瞬間にボールから目が離れてしまうことをさらに強めてしまうかもしれません。また、原因を確認した後でも私は強く「シュートの瞬間にはボールを見よう」とは言っていません。この時、私は軽く理由を聞き、「そうか」と言ったぐらいです。
それは、「一回のプレー」からでは、原因を正しく特定できないこともあるからです。
何でシュートの瞬間にボールから目が離れたのか - もしかしたらこの原因を先に考える必要があるかもしれません。例えば、そばに他の相手がたくさん来ているかと思って焦ってしまったとか。
だとしたら、ボールを受ける前に予め周囲を見ておくことが大切ですから、「先に周りを見ておこう」というアドバイスが適当です。
が、「先に周りを見ておく」ことができなかった原因もたくさん考えられます。また、「先に周りを見ておく」ことができるようになると、段階によってはかえって身につかない技術があることもあります。
詳しくは書きませんが、他にも色々なことが考えられ、このような、あらゆる可能性の中から、もっとも適当だという部分に修正をかけていくことが大切なので、「一回のプレー」から判断してはいけないこともあるのです。ですから尚更、普段、子供たちが自分の力を全て出せるような環境、雰囲気でプレーさせてあげることが大切なんです。それらを見た中で、理由を見極めることが大切なんです。
理由・・・わかりにくいこともあって大変ですが、大切なものですね。
では、最後に、修正すべき部分を間違えるとどんなことになるかということを、ある人のマヌケな文で示し、修正すべき部分を正しく見極めることの大切さと、それを可能にするために原因・理由を正しく見極めることの大切さを再認識して頂ければと思います。
あるサッカースクールのホームページ内の文章から(抜粋)~
『・・・ゲームの時に、5年生の子達に「6年生と一緒にゲームをしたい子いる?」と聞くと数の子が人手をあげました(「数人が手をあげました」という文を「数人の子が手をあげました」という文に修正しようと思ったら、こうなりました。「カズノコがヒトデをあげる」・・・なんか面白いのでそのままにします。)・・・・』
この文章を書いた方は自ら誤ったことを認め、そのままにしていますのできっと素直な方なんでしょうね。素晴らしいですね・・・ヘーックション・・・あ、くしゃみが。
さてさて、この例のように、修正すべきポイントがちょっと違うだけで(ちょっとか?)、全然内容の違うものになってしまうんです。子供のサッカーも同じです。修正すべきポイントが違うだけで、本来子供たちがすべきサッカーから大きくかけ離れてしまっていることがよくあります。
皆さんは、きっとこれからも子供たちのサッカーと関わっていくと思います。
今回は主にコーチングにおける修正のかけ方(行き当たりばったりにならないように)、修正の際に大切な原因・理由について、お話しさせて頂きました。
立場は様々でしょうが、子供たちが伸びていけるよう、子供たちのサッカーを見る時、考える時に、今回ここでお話ししたことが少しでも参考になれば、とても嬉しく思います。

おまけのおまけのおまけっけ≫≫≫最近、教えられたような「キレイなフォーム」(足首をキレイに伸ばして一回一回ボールを蹴る)で子供たちがリフティングをしているのを目にしますが・・・ちょっと気になります。
スポーツニュースやCMなどでプロ選手がリフティングをしている映像が流れることがありますが、フォームが色々ですよね。しかも、教えられたような「キレイなフォーム」でリフティングしている人って、私はあまり見たことがありません(ほとんどの選手の足首が少し曲がってますよね)。リフティングは、フォームをビッシリ教わり身につけるというより、プロ選手が楽しみながらやっているような感じで、子供たちがボール感覚を養っていく程度でいいと思うのですが・・・。

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子供たちが最後に選んだ空間

(2008年4月 通信No.70より)

・・・ここにいる間に子供たちがどう育つか(育てることができるか)、卒業する時に子供たちを一番いい状態に持っていけるか、それを考えてスクールをやっています。今回は、最も大切な、子供たちの卒業時の様子をお伝えします。

<月曜日コース・U-12クラスの最終週>
この日、私は「注意しない宣言」をしていたので、まわりからそっと見ていました。
最後の日にできることは実はありませんし・・・。
もちろん、あると言えばありますが、ここまで接してきて、最後の最後に修正を加えなくてはならないスクールなんてやってきていないつもりです。子供たちはこれまでに十分に色んな経験をしてきたので、あとは信じます。どうしても(子供たちでは)気づかないことを指摘するくらいです。
試合と同じです。
練習でやってこなかったことを、いきなり試合で「やれ」と言っても選手はできません。試合前までに、実はコーチのすべきことはほとんど終わっているのです。
さぁ、この日は色んな表情が一つのゲームの中に見られました。
笑った顔、怒った顔、真剣な顔、つまらないという顔、冷静な顔・・・。
以前に通信で何度か書いた、「子供のサッカー」をしていましたね。
そんな、子供のサッカー、子供の社会の中で、お互いに絡んでいた、関係しあっていたのは本当に嬉しかったです。
冗談を言いながらトォキック(つま先のキック:正確性が他のキックより劣ります)をずっと繰り返していた子も、真剣にボールを追いかけていた子にパスをする時にはインサイドキック(←正確性の高いキックです)を使ったり(←本当に、ずーっとトォキックをやっていたのに、いきなりインサイドに切り替えるんですよ!)、真剣にボールを追いかけていた子も、冗談を言っていた子が自分の方に近寄って来てくれると楽しそうな顔になったりして。
それまでマジメな顔をしていた子でも、冗談ばかりを言っていた子が自分にも絡んで来てくれた時はとても嬉しそうで、その後の休憩中の表情がとても明るくなっていました。
本当に表情って変わるんですよね、関わり合いの中で。
大人の私が無理に作らせるような顔じゃなくて、外から見ていて本当にいい顔でした。

<火曜日コース・U-12クラスの最終週>
・・・練習が終わると、ある子が「今日は○○のせいでつまらなかった」と大きな声で言いながらコートの外に出ました。
自分のゲーム中に、コートの外から(休憩中の)○○君が「ボール出た」など色々と言っていたのが嫌だったのでしょう。それを聞いた○○君はちょっと気まずそうな顔でコートから出てきました。
すると、ちょうどその2人と仲の良い6年生が、「ちょっと怒りすぎ~」と、○○君を傷つけないような、しかも怒りを吸収するような、2人の関係を悪くしすぎないような声をかけました。
おそらく、この2人の仲がいいことをわかっていたから、関係が悪くなりすぎないようにお互いをつなげようと思ったのだと思います。その場にいた私は、優しさから出た声だと思いました。みんなの前で「今、あの子がこう言ったけどさ・・・」と言うと、「は? 俺、そんなこと言ってないし」と大きな声で言っていましたが・・・。本当に素直じゃない・・・照れ屋さんが多く、良いことをした時ほどみんな本心を言わないので困ります・・・。
この子は超~生意気な態度を私によく取ります。でも、こういう友達の気持ちがわかればいいと私は思っています。
もちろん、「超生意気」は「あり」ですが、本人が気づいていないことは私もちゃんと話をしますし、そういう時は、ちゃんと話を聞いています。
もうだいぶ前になりますが、この子の蹴ったボールが、出席簿を取ろうとしている私の手に当たりそうになったことがありました。ここでは詳しく話しませんが(←詳しい内容は通信No.65の「おまけ」に載っています。読んでいない方もいるかもしれませんが、内容が長く・・・まとめ下手なのでここでは載せません)、それ以来、この子は私に同じような状態でボールを蹴ってきたことが一度もありません(お、いい話?)・・・ボールではなく、直に私を蹴ってきますから・・・ってバカタレ! (やっぱり)・・・でも、ただじゃれているだけですので。
ちなみに、今回登場した「怒った子」「○○君」「6年生の子」は、前通信No.68(「持って帰れ」)に出てきた3つめのグループ(私に何度も注意されていたグループ)だった子です。子供たちのこういう少しずつの成長が本当に嬉しいです。
私が嬉しいのは、「コーチの言うことを聞くようになる」ということではなく(←超~生意気なのは変わらず、「聞かないこと多々」ですから!)、その起きた内容を少しずつ体に蓄えて、お互いに関係し合って成長していけるということです。最後の練習でも、みんな、ちゃんと成長した姿を見せてくれましたね。

<金曜日コース・U-12クラスの最終週>
この日の最後のゲームは、コーチとして見るのが非常に苦しいゲームでした。
どんな感じだったかというと、真剣にやる時があったり、笑いながらやったり、冗談を言いながらやったり・・・これらがほどよくミックスされている感じでした。みんなそれぞれのモードに関わっていて、どのモードになってもその空間から離れる子、みんなと距離が生まれていく子はいませんでした。
みんな、それぞれのモードで「一生懸命」と言うこともでき、最後に彼らがその空間を選んだならいいかと思って見ていたのですが・・・・、途中から一人だけ、違う表情、違う動きをする子が出てきました。
この子は、真剣にやりたいようです。みんなが笑っている場面でも、顔を赤くして、次の動きをしようとしていたり、次に自分のパスを受け取ってくれる人を探そうとしたりしています。そして、その度に、周囲との動きに少し差が生まれているのです。気持ちが強くなればなるほど、差が生まれていくのです。
今は、笑ってしまう場面がたくさんあって、楽しみながらするようなサッカーも、真剣にプレーしてたくさんの達成感を得られるようなサッカーも、どちらも良いと思います。サッカーの好きさ、精神的な発達度で、楽しみ方、楽しいと思う部分が違うだけなのです。
この年代の子供たちには「形式的に真剣にやること」を覚えさせることはさけたいので、自然にサッカーが好きになっていく中で、真剣にやった時の悔しさと嬉しさ、それがかけ合わさって生まれる達成感を覚えていってくれたらと思います。その自然な、笑いもあるサッカーを経験せず、形だけの真剣モード(やらされるようなサッカー、子供の顔が引きつってしまうような、表情に無理のあるサッカー)を先に経験すると、本来、自然に成長していけば真剣モードのサッカーが楽しいと感じる年代に入った時にふと疲れてしまったり、その時に初めて笑いながらの楽しみモードのサッカーを知ることで極端にそっちに走っていってしまったりして、もっと強い達成感、成長を経験できなくなってしまう可能性もあると思うのです。
さて、この子は、その真剣モードで得られるサッカーの楽しさを、今、自分から得ようとしています。もちろん、この子だって普段はゲラゲラ笑いながらプレーすることがたくさんあります。ですから、急に、そういう部分の楽しさを全て捨てて真剣モードだけのプレーしか楽しめなくなるなんてことはなくていいと思います。
ただ、自分で、本当に「自然に」それを見つけようとしているなら、それは邪魔してはいけませんし、その子の行動は決して間違っていないので、そんな子がつまらないと思う空間は良いものではありません。
「笑いモード」と「真剣モード」―どちらも子供たちには大切なもの。でも、放っておけば、みんながお互いをわからぬまま離れていく状態。なので、少しだけ、口を挟ませてもらいました。本当は、最後の練習なので、私は注意も、誉めることも全くせず、自分達だけで最後まで雰囲気を作って行けと言っていたのですが、この時は、口を出しました。
しかし、言葉で少し説明をしてもすぐにみんなが変わるわけではありません。
「笑いながら」と「真剣にだけ」の、どちらかを強要するようなことは言いません。どちらも大切なので。極力自分たちの力で良い方向に持っていけるようにするための、最低限必要な言葉しか言いません。「これだけで気づいてくれ」という気持ちでした。でも、雰囲気は、ある程度までは変わりそうになっても、目標とするレベルまでは到達せず・・・。
それでも強制はしたくなかったので、雰囲気がまとまるようにチームのメンバーを変えました。
さて、チームメイトを変え、ゲームが始まり、様子を見ると・・・「笑い・しゃべり」チーム(学年が上の子が多い)が得点を重ねていきます。どんどん得点差は開いていきます・・・。
学年、経験を考えれば自然な現象です。でも、得点や勝敗より、同じ「真剣にプレーしたい」という気持ちになればいいと思っていたんです。それまで、一人だけ「超真剣」にやってしまっていた子が、周囲の子が自分と同じ気持ちでプレーしてくれていることを感じられるくらいにはなって欲しかったんです。
でも、「真剣にプレーしたい子」のいるチームは、「笑いながら」でも楽しめる子が多いので、雰囲気的にはそれまでと大きく変わらず・・・。
同じチームにした子が、プレーでの接点が少しでも多くなれば自然に超真剣モードに傾いていくかと思ったのですが、そこまで感じる段階には、まだ来ていなかったようです。まだ4年生の子が多かったので、無理もないのですが。
なので、1人、2人に、「笑いながらやるサッカーと真剣なサッカーと、どっちのサッカーも良いのだけど今は“真剣だけ”でやってみて」と言いました。
最後の手段です。笑いながら楽しいサッカーをやっている子達の雰囲気を否定しないまま、みんなで同じ方向に行ければと思いました。
すると、「真剣モード」チームの「真剣」が本物になり始め、それまで離れてしまっていた「真剣にプレーしたい子」とチームのみんなのプレーが合うようになりました。そして、実際に得点を入れ、その後の形勢は逆転してしまいました。
・・・それにしても、「なんで?」と私は思っていました。
「笑いながら」チームの6年生、5年生の子は、どちらかと言えば「しゃべりながら」の楽しさを選ぶ子ですが、どちらのモードでもプレーできる子です。しかも、その日は、何度か「友達の気持ちも考えながらプレーすること」を話し、普段ならそれで十分に気づく子たちだったのに。
「何で今日は最後まで変わらないのだろう・・・」
終了しても考えていました。
そして、練習後の彼らの雰囲気を見て、「あぁ、そうか」と思ったのです。
―会えるの、最後か。
この日、本当なら翌週の木曜日の練習に参加できるはずの6年生の子がいました。この子がこの日の「お笑い・おしゃべりチーム」の雰囲気を強く作り出していたのですが、この子は先週の木曜日の練習を休み、さらに翌週の練習にも参加できないことになってしまったんです。だから、この日、金曜日の練習に参加したのでした。
そして、この日に来た子たちの中には、本来、先週この子と一緒に練習できていたはずの子、来週も一緒に練習できるはずだった子がたくさんいたのでした。先週、友達の休みを知って「なんで来ないの?」「えーっ!」って言ってましたから。
頭では私の言うことをもっとわかってくれていたのかもしれませんが、もう会えなくなる友達とのチームを楽しみたいという気持ち、会いたいとか一緒にいたいとか、話したい、楽しみたいという気持ちが強かったんでしょうね。
なるほど・・・練習後の子供たちの顔、関わりを見てやっと気づきました。何とも頭を使わせる、楽しい子供たちです。

<木曜日コース・U-12クラスの最終週>
木曜日は休日の関係で「振替練習」という形になり、木曜日コースの練習が年度末の最後の練習となったのでした。
さて、本当に最後です。どうなる?? ? 
そして・・・ほぅ、やるね・・・そう思う空間になったのでした。
まったりしている時はまったりしつつも、聞くときは聞く。見る時は見る。なるほど。楽しみつつ、でも外さない。
ゲームでは、さっきまで仲良くしていた子同士がバチバチぶつかりあい、でも、楽しい雰囲気も残して。超真剣マジメモードとお楽しみノビノビモードを自然に操っているような。
勝敗にこだわる6年生も、(自分でドリブル突破できるような場面でも)4年生の子にパスをして絡ませて、なかなかいいサッカーをしていました。
この日は5年生がいなかったのに。
4年生と6年生だけ。間の5年生がいないんです。いつもなら、6年生と4年生の間を5年生が(雰囲気的に)うまくつなげる役をするのですが、その5年生がいない。
・・・なのに、ちゃんとつながっていました。
さすがに今年度最後の練習だし、子供たちが気づかぬうちに雰囲気が悪くなりすぎたら、私が中に入っていこうかと思っていましたが、その必要はありませんでした。
練習後はみんな、なかなか帰らなかったですね。話したり、じゃれたりしていて。
本当に見ていて楽しくて、無理がなく自然な空間で、子供の表情も良くて。
しんみりなんてせず楽しいまま「さよなら」。でも、また「いつでも会える」という雰囲気の「らしすぎる」終わり方でした。
成長・・・・・・・していましたね、思っていた以上に・・・。

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以上が最後の週の様子でした。
なんか、曜日ごとに全然文章の量が違いますが・・・文章の長短と子供たちの成長の良し悪しとは一切関係ありませんので。文章が短いのは「書くことがなかった」とかではないですからね~。なので、このアンバランスなままにしてあるのです。
この文章は、それが起こった日の夜にパソコンに打ち込んでいますので、長く打ち込めないこともあるのです。
また、起きている内容によって長い説明が必要なことも説明が短くていいこともあるので、短い時は短いのです。
打ち終わった後で、「短いから長くしよう」なんて無理にふくらますようなことはせず、文章を整える程度に留めているので、こんな感じになっています。・・・文章、整ってないですけどね・・・・。
それに、曜日は違っても、ソラの子はソラの子。
一応、わかりやすくするために曜日毎に書きましたが、実際には、曜日に関係なく、同じようなことが毎日起きていて、今回書いたようなことは、実はどの曜日の子にも当てはまることなんです。
そう、どの曜日も、まさに「子供」がたくさんの、大きな価値のある空間でした。
その集大成の最終週、本当に楽しかったですよ。
またこの一年、子供たちの未来に向かって、走っていきます。・・・な~んて格好よく決めてみたりして・・・。
よろしくどうぞ! 

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卒業にあたり・・・

(2008年3月 通信No.69より)

今年の卒業生は色々ありましたね・・・本当に色々ありました。
ずっとスクールにいる子も、途中からスクールに来た子も。
子供らしくて、無邪気で、気分屋で・・・。笑ったり、急に怒ったり、真剣すぎるぐらいに入り込んだり、冗談ばかり言っていたり。私もたくさん誉めたり、たくさん怒ったり、すごく嬉しくなったり、すごく悲しくなったり。
こんな子達が卒業・・・もう、昨年の終わりごろから、卒業のことはずっと頭にあり、なんと、こんな私でも、「うるさかったヤツラともお別れかぁ」、なんてしみじみ思うこともありました。
でも、中学生クラスも必要なら開催するし、私はまだソラにいるし、会おうと思えばいつでも会えるので、すぐに、「平気、平気」状態になるのでした。・・・のはずなのですが、今の6年生が小学生としてプレーする空間、今いるみんなと作る空間は、卒業後は作られることは決してないので、それを思うとまた残念に思ったりして・・・。
そんな気持ちが交互に表れる、魅力ある子供たちでした。
それから、この3月、実は6年生の子以外にも卒業する子がいます。そう、中学3年生の子、2人です。
この子たち(と言っても2人ですが)は、小学生のクラスを卒業後、よくスクールに遊びに来ていました。
小学生の頃のこの子たちも、子供らしい、なかなかいいヤツでした。卒業後の2人は、中学生ならではの、大人と子供の中間を一生懸命に生きていて、(当時はまだ中学生クラスがなかったので)学校が終わるとよく遊びに来て、色んな話をしてくれました。
そんな彼らの話を聞いていて、中学生クラスを作らなければならないと思い、当時の月曜日コースの時間を変更するなど、皆さんに色々とご協力頂いて、ソラのU-15クラスはスタートしたのでした。

卒業しても、6年生の子は、落ち着いたらU-15クラスに来る子もいるかもしれないし、中学生の子も、高校生になってもまだ会える機会はあるでしょう。これからも必要な時にはお互いに会おうと思えば会えるので、「卒業」というのは形の上でのことだけですが、とりあえずは卒業ということで、彼らを送り出すにあたり、私が今、最も強く思うことは、「コーチは色々な子に出会うことで本当に成長できる」ということと、「コーチの方が、子供たちに成長させられる」ということです。
実は、コーチングで最も使うのは知識でも体力でもありません。
知識も体力も、それを活かすコーチング技術ももちろん大切なものですが、最も使うのは心です。
他の年代のコーチングでは、逆に心を極力使わないことが必要な場合もあるかもしれませんが、この年代のコーチングでは、最も使うもの、最も大切なものだと私は思っています。
彼らといると、自然にそんなコーチングになりました。コーチング技術云々より、心を使っているかどうかで、スクールの流れ、スクールの質が決まりました。私にとっては、彼らを育てることができるのか、毎回が勝負でした。
だから、スクールをより良くしようと常に思うことができ、彼らに相応しい場にする努力、コーチングの質を上げる努力をする必要性を常に肌で感じることができました。自分自身が成長しなくてはならないと強く思うことができました。本当に、彼らのおかげで、たくさん成長できたと思っています。さて、そんな彼らが卒業です・・・。

U-15クラスを作るきっかけをくれた中学生、子供の心をどうすれば見ることができるのか、課題をたくさんくれた6年生。本当にありがとう。そして、子供を通わせて下さった保護者の皆さん、本当にありがとうございました。

彼らからもらったたくさんのものを大切にし、また活かしながら、これからもコーチをしていきたいと思います。

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持って帰れ

2008年3月 通信No.68より

U-12クラスのある曜日-子供たちが楽しみにしている「ゲームをたくさんやる日」です。
ウォーミングアップで基本的なテクニックを練習し、その後はゲームをひたすら行う予定でした。
もっとも、「ゲームをひたすら行う」といっても、時期的には来月で一年間の練習が終わり、さらに6年生は来月で一度「卒業」という形になり一区切りになるので、上手にならなくてはなりません。
また、ここで大けがをしてしまったら、今年度内に復帰するのは難しくなるので、気が緩んでのケガなどは絶対にさけなければなりません。
そんな日のウォームアップ。
グループを3つに分けて行ったのですが、練習に取り組む雰囲気が各グループで全く異なりました。
1つのグループは、学年、技術レベルがバラバラです。経験の長い子も、まだ経験の浅い子もいます。
練習中は、きっとお互いに意思疎通が難しい時もあったと思います。それでも、自分のため、友達のために練習に一人一人が取り組んでいました。仲良しの子が集まってやっているわけではないので静かですが、グループ全体として練習にしっかり取り組んでいて、経験値に関係なく一人一人が上手になる雰囲気でした。
2つめのグループは、学年が同じ子が多く、仲の良い子も集まっています。しかし、経験値に多少バラツキがあるので、例えば相手にボールを蹴ってもらうような場面では自分が予想していないボールを相手が蹴ってくるようなこともありました。しかし、仲が良いからこそ出る、相手を気遣う声や相手に要求する声を出し合うなど、うまくできない部分をお互いの仲の良さで補いながら練習していました。自然な声、楽しそうな声がたくさん聞こえる雰囲気で練習していました。
そして、3つめのグループ。ここは学年が同じで仲の良い子が3人、それに、学年は違うけどその3人と仲の良い1人。そして、学年の違う子1人。しゃべりながらやったり、失敗して他の子に迷惑をかけてもおかまいなしであったり、みんな同じ感じです。ただ、「同じ感じ」でもお互いのことを尊重しあっているのではなく、好き勝手にやっている、各自で「こんなもんでいいか」と勝手にやっているように見えます。
そのグループでは一度、2人の子の体がぶつかり、もめたことがありましたが、それも、そんな雰囲気の中での行動から生まれるものだったので、うまく消化できなかったようです。その場面では、私はそのグループに行き、話を聞きましたが、やはりバラバラの状態のようでした。
そのグループに(上手にさせるために)働きかけを多くした後、同様に、一生懸命に練習をしている子たちにも働きかけをする必要がありますので、私は他のグループの練習を見に移動しました。
そして、みんなにわかってもらった方がいいことがあったので、みんなを集めてその練習の大切さを説明。
・・・できればここで、その「バラバラ」のグループにも練習の大切さをわかって欲しかったのですが、それでも雰囲気は変わりませんでした。
そのグループには、今とても上手になっている子が2人もいるので、もっと良い形に持って行けるはずで、他の日にはそのような光景を何度も見ています。
でも、この日はそれができない。やろうとしない。
そのグループにあったのは、「仲の良さ」ではなく、ただの「お互いの甘え」です。お互いに「自分がやろうとしなくても何も言われない」ので、弱いところを出し合っているようです。さて、この子たちはゲームでどんなプレーをするのでしょう。予想はつきますが、まずは何も言わずに見てみることに。

さぁ、一度休憩を入れてゲームです。
ゲームでは先程の練習とは全く関係なくチームを組みました。もちろん、色々な意図があります。
プレーを見ていると、そのグループだった子が、いつもなら簡単に決めるようなシュートを外しています。プレーを見れば、シュートを打つ前に、いつものように「決めよう」と思って打っていないことがよくわかります。
そこで、(別に練習は止めず)その子にのみ、「練習の成果はこういう時に出るから、覚えておいた方がいい」と言いましたが、「平気、平気」と言っています。その答え方を聞いて、「こりゃ、わかってないな」ということでもう少し話しましたが、「はい、わかりました」と今度は“形だけの良い返事”が返ってきました。別に周囲を気にしているのではなさそうです(この時はみんなの前で注意するのではなく、そばに近寄って話すようにしました)。
もともと高い技術があるので、「やる気になればできるさ」とでも思っていたのでしょうか。
その後も、普段は失敗しないような場面で失敗して、言葉をかけても気づいていません。
その子が数回失敗した後、先程の練習を一生懸命やっていた子が、(練習中に一生懸命にやっていた)ターンを決め、その子にパスを出しました。
「ターンの後に顔を上げる」「ターンの後のプレーを早くする」「早いだけでなく正確にする(相手を見る)」…これまでに言ってきたポイントをその日の練習でもしっかり意識していて、それらを発揮して出したパスです。ディフェンスのプレッシャーを受けながらも、とても正確に、とても適当な強さで出しました。
そして、その「一生懸命練習していた子」からパスを受けてしたシュート。これも、普段のその子なら外さない距離、状況でしたが、やはり外れました。
ここまで来るとこれまでとは違う形で伝える方がいいので、この時にはかなりきつく言いましたが、おそらく本人は、この時点でもまだ「今からやろうと思えばできる」と思っていたのではないかと思います。
その後は、急に本気になりプレーをしていましたが、それでもやはりミスが目立ちます。もちろん、私に注意されたことで冷静になれないという部分もあるでしょうが、力が入りすぎている様子ではありません。
いつもと同じようにやっているように見えないでもありません。でも、明らかに、彼の技術ならしないようなミスを多くしています。そんな中で、強引なドリブルから力強いロングシュートを一度決めましたが、ただのわがままのプレーで、「ナイスプレー」ではありません。その後もミスは目立ち、最後までこの子の本来の力は発揮されませんでした。
・・・この子はかなり良い選手です。
実は、この子がいない時に、その場にいたみんなにこの子の良さを話したことがあります。ちょうどこの子のすごさをみんなに話した直後にこの子が来て、この子にはみんなに誉めたことを内緒にしたままでプレーさせたことがありました。そのゲームでは良さを見事に発揮して、その直前に話を聞いていた子たちが本当に驚いてその子のことを見ていたのを覚えています。そんな力のある子です。
でも、この日は違ったということです。
別にリラックスしているとか楽しんでいるというレベルであれば、途中から真剣モードに切り替えても力を発揮できるのでしょうが、自分が本来できることをしないままゲームの準備をしていたら、ゲームで本来の良さを出せないのはあたり前です。
(前にもお話ししたかもしれませんが)だいたい、一生懸命に練習に取り組んだ子とそうでない子で、満足度に差がないような練習、成長に差がないような練習を私は考えません。同じ子でも、一生懸命にやっていた日とそうでない日でゲームで同じ「楽しさ」を経験できるというようなことは、まずありません。
・・・・また、この日は、この子が相手をドリブルで抜きに行った際に、相手の足がひっかかり倒れた場面もありました。相手選手の反則です。普段、こういう場面でも私は滅多に笛を吹きません。特にこの子の場合は、こういう場面でもすぐに立ち上がり平然とプレーを続けることが多いので、相手選手の反則をとることはありません。しかし、この日は良い部分も悪い部分もより正当に評価した方がいいので(本人に対して、より公平な形でプレーさせた方が、本人も自分の良し悪しがよりわかるので)、笛を吹いて反則をとろうかと・・・思いましたが、口まで持っていった笛を吹くのを私はやめました。その時の倒れ方を見たからです。
普段なら、相手の当たりを避けきることができなくても、続けてプレーするために極力倒れない体勢をこの子はとり、ドリブルを続けます。倒れてしまっても、すぐに立ち上がれる体勢をとります。でも、この時は違いました。
倒れることを想定しての足の動き。ひっかかったまま。十分すぎるほどの受け身の取り方。本来のこの子にはないプレーです。ここで笛を吹いたらさらにこの子のプレーは悪くなるので笛を吹くのをやめました。
すると、足をかけてしまった子が自分の反則に気づき、倒れているこの子にボールを渡しました。
ですが、この子は「いいよ、続けろよ」と言って、倒れたままそのボールを相手に返しました。
きっと、この子だって、それが自分の本当のプレーじゃないなんてことはわかっているのでしょう。
この日、いつもなら、うるさいくらいに話をして元気に帰って行くこの子は、とてもつまらなさそうに帰りました。私は「じゃあな」とだけ言い、他には特に声をかけませんでした。
もう、自分で十分にわかっているはずです。
これまでにも色んなことがあって、その度に成長してきた子です。
あとは、また今度スクールに来た時に、ちゃんと練習で成長を見せてくれるはずです。それを待つだけです。
さて・・・この子はその3日後に練習に来ました。
練習開始後、「ヘッド」か「キャッチ」のどちらかを相手に指示する2人組の練習では、「ヘッド アンド キャッチ」と言い合いながら(←本当はこんな指示を出したら相手が困るのですが・・・)楽しみ、でも、ちゃんと互いに協力すべき部分では協力して練習をしていました。いい表情です。
もちろん、この日のゲームではいつもの良さを発揮していました。

子供たちは、日々、色んな表情を見せます。子供なのでたくさんのことを経験してほしいと思います。
ゲームは、もちろん練習の成果を発揮する場であるのですが、この年代の子は、ゲームの中でも本当に成長します。
ゲームに向かう練習での取り組み方次第で、ゲーム中にどれだけ成長できるかが決まります。
そして、ゲームでは、ただ上手くできたかどうかではなく、この成長の幅の方が大切なのです。
スクールは1日で終わりではありません。継続して子供たちを見ていくことができます。
だから、「毎回楽しく帰れる」なんてことじゃなくてもいいと思っています。
その日、自分がどれくらい挑戦したのか、頑張った場合もそうでない場合も、ちゃんと、“その日の自分”への相応しい成果として、その時の気持ちを持って帰ってほしいと思っています。そして、その時の気持ちを覚えておいてほしいと思います。

今年度の練習も残りわずかですが、年度最後のゲーム時に、みんなが一番良い、成長力を持ったプレーをできますように。

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育成年代のコーチに大切なこと(・・・と、私が思うこと)

(2008年2月 通信No.67より)

お正月、皆さん高校サッカー観ました? 見ていると燃えてきますよね。
むか~しスクールで見ていた子がこの高校サッカーにもちょくちょく顔を出すようになりました。
当時、私が所属していたサッカースクールでは、私は新規開校などでスクールを移ることが多く、長期間同じスクールで指導をできたことがなく(長くても2~3年)、「ちょっと見ていた」という感じですが、それでも嬉しいものです。
そして、その子たちを思いだすと・・・本当に色んな子なんですよね。面白いですよ。
その中でも最も面白い例をちょっと挙げますね。
数年前の年末、お正月の高校サッカー(全国大会)の前、昔のコーチ仲間から、サッカーどころの県代表(全国大会の常連校)に「あの子達が出ますよ」と連絡が入ったのです。
あの子達 - その時、その高校には3人いたのですが・・・
一人はいつもふざけてばかりの子。スクール中はおふざけやケンカで・・・とにかく忙しい子でした。
もう一人は周囲と比べると動きがゆっくりで、一生懸命プレーしているしチャレンジはしているものの、器用にプレーをこなすというタイプではなく、ドリブルを取られてしまったり、パスをカットされたりという感じの子でした。
残る一人は、とても器用にプレーをする子。「上手だな」と素直に思って見ていました。
本当に、技術レベル、プレースタイル、性格の全く違う3人でした。
そして高校生になり・・・その全国大会で3人はチームで活躍し、「おふざけ」の子は大会後の海外遠征メンバー(優秀選手)にも選ばれました。
本当に驚きましたが、つくづく、自分の仕事、少年サッカーのコーチの仕事について考えました。
私達の仕事で(サッカーの分野で)大切なことは「続けさせること」だと。
もちろん、実際に上手にさせること、心と体とともに育てていくこと、その他の諸々の大切なことを含んだ上でのことですが、本当にサッカーが好きな子に対しては、続けさせてあげること、続けたいという気持ちを持たせることが大切だと、改めて思った大会でした。
当時から「上手」だった子は別として、「おふざけの子」は、もし、形にこだわったり、型にはめたりするチームに所属し、そこで型にはまったプレーをしてコーチに気に入られて試合に出場する機会を得たとしても、(それは自分の最大の魅力を削るようなものですから)その後ここまでは伸びなかったと思います。きっとこの子のいた環境は、コーチに気に入られるかどうかで「試合に出る、出ない」が決まるチーム環境ではなかったのでしょうね。本当に良かったです。
「器用ではなかった子」も、すぐに得点などの結果に結びつくようなプレーや綺麗なプレー、判断の速いプレー(一見、速いと見えるプレー)などを好むチームやコーチには否定されてしまうような子だったと思います。そのような環境下では、この子もここまで伸びなかったと思います。
あの3人が、全国大会の舞台で同じチームで・・・不思議だし面白く、嬉しかったですね。
しっかりと次の年代につながれば、(もちろん本人の努力が必要なことは言うまでもありませんが)そこで必要な指導を受け、どんどん成長していく可能性があるということを3人がはっきり示してくれました。
きっと、この3人は、成長の仕方、道のたどり方は全く違っていたと思います。お話ししたように性格もタイプも違いますから。ただ、その子達にふさわしい方法で伸びていった、伸ばしてもらったのでしょう。
中学、高校年代で本人の努力があったことは言うまでもないでしょうが、そこで彼らに相応しい指導を行った方々、周囲で支えた方々、そして、次の年代につなげた小学生時代のチーム関係者、素晴らしいですね。

新しいことを始める勇気やチャレンジも大切です。もちろん、そういう部分も育てながら、でも、今やっていること、今好きなことを次につなげる大切さをいつも頭に入れて、コーチをしていきたいと思います。

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子供のこと・サッカーのことなどはこちら
  過去の通信文章です。
  子供のプレーや言動を理解しやすくなるかもしれません。
  http://solasolasola.cocolog-nifty.com/omake/
◆天候不良時などの開催情報はこちら
=サッカースクール・ソラ 連絡先=
TEL 042-534-3766
Adre_2
ソラ・ホームページ http://www.sonoyosade.com

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皆さんと施設の方へのお礼

(2008年1月 通信No.66より)

最近はやたらと略語が流行っているようですね。スクール中も子供たちが私に向かって“KY”などと言ってくることがあります。まったく・・・。ま、私はあまり略語を使いませんが。
さて、「おまけ」ですが文字が多いので皆さんが飽きないように“イラスト”を混ぜながらいきたいと思います。
では・・・
■昨年末・・・①
前通信で「子供の深さ」について書いたところ、ある方から「日頃の自分の態度を反省・・・」とのご感想を頂きましたが、私は「反省などしないで下さい」ということと、「それが親子」というようなお答えをさせて頂きました。
また、かなり前に他の方とお話をしていて、「自分の子となると冷静になれない」「つい厳しくしてしまう」という話があった時も、「それが親子ではないでしょうか」というお答えをさせて頂きました。
そういうことがあるからこそ、子供は他人が自分(子供)に持つものとは違う愛情、親だからこそ持つ愛情を知っていくのだと思います・・・というようなお答えをさせて頂いたことが、これまでにも何度かあります。
実際、前通信であのように書いた私も、図々しくも勝手に「親モード」になる時には、「子供の深さ」に関係なく、大人としての立場から子供たちに話をしていきますし、子供たちの中に入っていきます。「子供にあんな言い方をしなくても」と思われるような言い方だってします。空回りしていたって、格好悪くたって、そんなこと関係ありません。
ただ、私の場合、基本は「サッカーコーチモード」なので、前通信でお話ししたような感じになるのです。
ちなみにどんな時に「親モード」になるのかと言うと、命に関することを話している時です。
命の大切さを話している時は子供がふざけていたら厳しく注意します。2、3度注意してもわからないようであれば、(わからないのもしょうがないという前提の上でも)さらに厳しく注意します。こういうことに関しては幼稚園の子に対しても中学生の子に対しても同じです。命の大切さ、これはわからなければいけないことですから。
残念ながら2学期最終週のある曜日でそのような注意をしなければならないことがありましたが・・・。これは私どもスタッフの力不足であるので本当に残念なことでしたが。
ところで、2学期最終週の練習は、いつも使っているコートが補修工事のため、普段とは違うコートで行いました。子供たちがスクールに十分に慣れ、友達とふざけたり遊んだりできる雰囲気で、しかも、もうすぐその年が終わるという時期でもあります。そわそわしている子もウキウキしている子もいる、そんな中での普段使ったことのないコートでの、年内最後のスクールです。おまけに「ゲームをたくさんやる」という、子供にとっては楽しい練習日。
・・・ケガや事故はこういう時に起こりやすいものです。子供は好奇心のかたまりです。突然走ったり、予想もしない行動を取ったりすることが少なくありません。学期末の練習で、子供たちは楽しい気持ちだけで参加したかったかもしれませんが、安全面については「このぐらいでいい」というような軽い気持ちで取り組むことはできないので、この時も最も気をつける必要があり、少し固い雰囲気になってしまいました。ちょっとかわいそうでしたが・・・(冬空のU-12クラスでは、かなりふざけたような内容の練習をしましたが、だからこそ、実は最も気をつけて見ていたのは事故やケガを起こさない“ふざけたような中での集中力”でした)。
年が明け、新しい年となりましたが、子供を守ることに関しては、今年も今までのままでいきたいと思います。

おっと、まだイラストが入っていませんね、ではここで・・・

・・・・・・・・・・とスペースを空けながら結局何も描かず・・・・。では、続きまして・・・

■昨年末・・・②
先ほどコートの補修工事について少し触れましたが、もう少しお話しさせて頂きます。
今回、施設の方が人工芝を一面全て張り替えて下さいましたが、実は、これまでも芝の一部が剥がれる度に補修して下さっていたのです。
私も仕事やプライベートでたくさんの施設を見てきましたが、このような部分的な補修も含め、コートの様子を細かく見て下さる施設の方は、実はそう多くはいらっしゃいません。
子供たちとボールを蹴る時、その土台となるコートが愛されているかどうか、きちんと手入れされているかどうか、これはとても大切なことだと私は思っています。
子供たちに伝えたい、た~・・・くさんのことの中の一つに、“物を大切にすること”もあります。そんな私にとって、このような施設で練習できること、子供たちとボールを蹴れることはとても有難いことだと思っています。今まで補修をして下さった時も、「あっ、治ってる!」と子供が気づき、イタズラッ子どもに話をすることができました。
可能性のある子供たちが集まる場にコーチとして立てることと同様、きちんと手入れされているコートに立てることは、コーチとしてとても光栄なことです。
また、コートだけでなく、施設の方は他の部分にもとても気を配って下さっています。子供の送り迎えなどの際、車の駐車位置やエンジンをかけたままにしないこと、子供の施設内の行動について、施設の方から注意を受けたことがある方もいるかもしれませんが、ポケットバイクやフットサルのお客様、スクールの子などが同じ施設を安全に楽しむため、無用な事故やトラブルが起きぬように皆さんに注意をして下さっています。楽しむ種目の異なる人が多く集まる場なので、立場上、厳しく注意をしなければならないこともあり大変だろうと思いますが、このように注意をして下さる方がいるお陰で私どももスクールに専念でき、この点も大変に有難く思っています。
子供たちの可能性に見合うコーチング、コートに見合うコーチング、空間に関わる方たちに見合うコーチングをしなくては・・・成長すべき事を肌で感じさせてくれるこの空間で、これからも成長していきたいと思います。
ちなみに、補修工事の終わったコートをイラストで表すとこんな感じです↓

と、やはり何も描かないまま次へ・・・(そろそろイライラしてきました?)

■冬空にご参加頂いた方へ・・・①まずはお詫びから・・・
終了時にろくに挨拶もせずすみませんでした。しかも、ちょっとの挨拶しかできないくせに、帽子も取らずに・・・。
言い訳をさせて頂きます(「言い訳」と言い切るところが男らしいでしょう?)・・・帽子をかぶったままでの挨拶は失礼かと思うのですが、帽子をとったら“とんでもない髪の毛模様”が目に飛び込んできたら皆さんどうですか。リアクションにきっと困りますよ~。皆さんを困らせないための優しさです! 
それに、「ありがとう」とお礼を言いながら、いきなり“モジャ頭”を出したら、かえって失礼な気もしますし・・・。
「じゃあ、仕事前に整えて来いよ」と思うかもしれませんが、それでも練習中に必ずモジャモジャになりますから。それに朝の5分は貴重で・・・。鏡を見て「ウッ、すごい状態」と思っても相棒がいれば(←ただの帽子ですけど)「平気じゃん」という気になり、出してはいけないOKサインを自分に出してしまうんです。・・・この時間の有効活用から練習メニューを考えるのでお許し頂ければと・・・。今後もこの調子だと思いますがよろしくお願いします。
あ、そろそろイラスト入れますね。モジャモジャ頭なら描けそうですから・・・・いやいや、やっぱりここでは表現できないですね、あの不必要なモジャモジャ感は。・・・・・・もう気づきました? 

■冬空にご参加頂いた方へ・・・②練習風景について
・・・U-9クラスのテーマは「相手に向かう」でした。・・・これには土台として気持ちと技術の両方が必要です。
冬空は短期間なので習得できるものは限られていますから、土台の中でも本当に基本となる部分を植えつけることができればと思っていました。種をまくような感じでしょうか。そうすれば、自分たちの場(チームや遊び場)に戻っても、刺激が加わって(適度に思い出し)いずれは花開くかと思いまして。
そこで、今回特に意識したのは、気持ちの部分です。
「相手に向かう」というと、“強い意志”、“負けない気持ち”・・・等々いかにも強そうな気持ちが連想されそうですが、気持ちの部分としては「年代に応じた気持ち」というものを少しでもわかってくれたらと思っていました。
「相手に向かう」と、結果としては失敗と成功が結構はっきりします。ドリブルで相手に向かったなら「相手を抜けるかボールを取られるか」、ボール持つ相手に向かったなら「相手に抜かれるかボールを取れるか」。
この勝敗・結果を、適当な大きさで、成長につながる受け止め方をできるようにしたかったんです。
こんな言葉、よく聞きませんか - 「失うものは何もない」「失うものがあるから守りに入ってしまった」・・・。
うぉっ、いきなりテーマが大きくなってしまった・・・。そんな話はできないぞ・・・。戻そうっと。
ということで、では、ジャンケンをちょっと思い出してみて下さい(いきなりテーマが小さくなりましたね・・・)。
鬼ごっこの鬼を決めるジャンケンなら、ちょっとのドキドキで「ジャンケンポイッ」(地域柄や年代が出ますので・・・発音はお任せします)とできますが、「負けたらお前の大切なもの全部もらうからな」なんて言われたら、とてもできません。絶対やらなきゃならないならやりますが、何を出すか相当悩みますね。相手の顔見て、心を読んで・・・一回のジャンケンで汗びっしょりでしょうね。失うものが大きければたかがジャンケンでもこんな感じです。
サッカーを好きな子供たちにとって、ボールは大切なもの、ゴールは大切なものです。
もともと大切に思っていることを失うかもしれないという状況で行くんですから、この対決の結果は自分に適当な大きさで跳ね返ってくる程度でいいと思うんです。「ちぇっ、負けた。でも次は負けないぞ」とか「失敗しちゃった、へへへ」とか。そういう子供に相応しい程度で受け止めてほしいので、必要以上にクローズアップされることや自分で深く受け止めてしまうことのないようにしてあげたかったんです。クローズアップしすぎたり、深く受け止めすぎたら、パスやクリアーで逃げたり、じっとしていたり、相手に向かえなくなるのも当然です。
・・・ジャンケンで「5マ」や「3マ」をした時の雰囲気で相手に向かえればいいかなと。実は、相手に向かう時には、「相手との間合い」(ここでは“自分がボールを優位に扱える相手との距離”ぐらいで考えて下さい)が大きなポイントになるのですが、この「間合い」なるものは、「100マ」くらいのつもりで何回も相手に向かって行かないとつかむことはできません。そして、「間合い」をつかむことができなければ自信は生まれません。だから、自信を持たせていくためにも、何度も相手に向かうこと、失敗と成功を経験する機会を持たせてあげたいと思いました。
そして、自信が持てたら、それまでより相手に向かって行けるようになるでしょうし、そうすれば、色んな対決から「間合い」の取り方に磨きがかかってさらに上手になり、気持ちも技術もどんどん育っていくでしょうから・・・な~んてことを考えていたのでした。子供たちは本当によく頑張ったのでこれからの活躍を楽しみにしています! 

・・・U-12クラスは・・・冬空の開催案内ですでに触れましたので、ここでは簡単にしかお伝えしませんが、冬空のテーマのイメージがわき、コーチ仲間に話したら、「うちの会社ではできません」と言われた内容でした。
そりゃそうでしょう、「ク○技術を学ぼう」ですからね、テーマが。「正統派サッカースクールにできるもんならやってみろ」というテーマです(ソラも本質の部分では“超”がつくほど正統派なんですよ!)。
トイレに入るところから終わりまでをテーマに練習・・・こんなものはキレイなスクールにはできないでしょう。
わざわざサッカースクールで取り上げる内容ではないでしょうし。でも、子供たちを見ていると思うんです。

綺麗な格好をしていたら守れない、格好を気にしていたら守れないものもあると。まぁ、綺麗なところも必要ですから、そういった部分は綺麗なスクールに任せて、これからもソラはソラで行きます。
ちなみに、コーチ仲間に話した時点では、「ク○技術」といってもサッカーに近い形でわかりやすく練習する予定でしたが、スクールに在籍している子の参加人数が予想以上に多かったので、ふだん練習する技術からは極力離そうと、さらに内容をふざけたようなものにしたのでした。実際にそんな内容で開催し、雰囲気的には1日目、2日目とかなりふざけた感じで練習ができました。1日目、2日目が良かった分、3日目に硬くなってしまったのが非常に悔しいですが・・・。たぶん、2、3年はこの悔しさは消えないでしょう。ただ、特に2日目には今回のテーマに最も近づくことができ、イメージしていた子供たちの表情を見ることができて本当に良かったです。私にとっては、あの、メキシコワールドカップ最終予選での、木村選手のフリーキックが決まった瞬間のようでした・・・。

・・・U-6クラスは・・・体調不良等でお休みの子が多くちょっと残念でしたが、冬空中は、1日の終わりがU-6クラスのコーチングだったのでとても大切なクラスでした。しかも、3日目のU-6クラスは冬空最後のコーチングであると同時に2007年最後のコーチングでもあり、良い形で終わりたいと思っていました。そして・・・その最終日は参加者が1名!  2007年最後のスクールがどんな形で終わるかは、この1人の子に託されることになりました(他人任せ!)。 でも、1人だとうっかりすると疲れ過ぎてしまい、だからといって抑えてやっていたらつまらないはずで最後までやりたいと思わないでしょうし。だから最初から飛ばし、あとはこの子の頑張りに期待・・・(超他人任せ!)・・・そして、この子が頑張り、なかなか楽しく締めくくることができたのでした。大感謝です。

おっと、まだイラスト描いてなかったですね。ではここで描きましょうか。なぁんて描かないのです。
だって、ほら、「イラ(・・)イラ」・・・「スト(・・)レス」・・・たくさんあったでしょう? 「イラ(・・)イラ」と「スト(・・)レス」、略して「イラ(・・)スト(・・)」。ね、嘘はついてないですよ~…と、新年早々KYの私(ぎゃっ、ここでも略語使った!)・・・と、ここまで書いて、「前にもこんなこと書いた記憶が・・・」と思ったのですが(デジャヴ?)、今からこれまでの「おまけ」を読み返す余裕はTN(とてもなく)・・・。前にも書いていたならHG(本当にごめんなさい)ということで・・・。きっと、そろそろ皆さんAK(頭カンカン)ということで(しつこいでしょう)・・・やめますね。まだこの紙、破られていませんか・・・? 
ほら、略してばかりじゃ良くないでしょう。おまけに人を不快にすることも。気をつけて使わなければ・・・。

では、冬空にご参加頂いた皆さんに、改めまして・・・
冬空中はメニュー作りに多くの時間を割くため、終了時に皆さんに感謝の気持ちを全てお伝えすることはできませんでした。略すことは決してできないことなので、今さらですがここで・・・。
当たり前ですが、やっている時は楽しさも辛さもたくさんあります。子供たちを見た後で、翌日までにメニューを修正した方がいいと思った時には、ない頭をヒネリます。こんな頭なので、ひねってもなかなかピッタリくるメニューが浮かんでこないこともあります。そんな時は浮かぶまで時間との闘い、自分との闘いです。でも、そんなことがあっても、翌日の子供のプレーがそれらを全て楽しさ、嬉しさに変えてくれます。そして、改めて思いました。やっぱりやって良かったです、冬空。子供たち、皆さんに会えて嬉しかったです。本当にありがとうございました。

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ネットを揺らせ! 

(2007年12月 通信No.65より)

「ネットを揺らせ!」か・・・。
おー、サッカーっぽい題ですねぇ。ゴールネットを揺らす場面、感動的ですもんね。
たまに、「日本の課題は得点力不足」とか「ストライカーが育たない」なんて話を聞くこともありますし、「ある国ではネットを揺らす時の“サッ”という心地よい感覚を小さい頃から植えつけるためにゴールとゴールネットを使ってシュート練習をする」なんて話を聞いたこともあります。
そう、「ゴールネットを揺らせ!」。だいたい日本のサッカーはさぁ・・・なーんて私が考えるわけなくー(ププッ)、だって子供たちにとっては“空き缶”だってゴールになりますもん。子供同士で“空き缶”でゴールを作ってサッカーをしている時は、その空き缶だって子供たちにとっては立派なゴールで、ゲームの内容やプレーによっては、シュートを決めた時は本物のゴールと差なんてなく、すごく嬉しいんですから。こういう、形じゃなくて本質をつかんだり、感じたりする感覚を育てる方が大切だと私は思っています。それに日本代表、すごいと思いますもん。
では、なんの話かと言いますと・・・。
U-12クラスでのこと。
ゲーム時、人数が多いチームは、1人ずつ「お休み」をすることにしました。コーチが、ある目的から「お休み」の順番を指定することもありますが、この日は子供たちで順番を決めさせました。
すると、この順番決めで軽い言い争いが起こったのです。「たかが順番」だとも思うのですが、子供なりにこだわりがあるようで。2人の子が、「俺、2番がいい」「俺も2番がいい」「はぁ? 早い者勝ちだし」「何それ、絶対、俺2番じゃなきゃやだ」・・・こんな感じです。おー、険悪な雰囲気。これから楽しいゲームだと言うのに。
とりあえず、その言い合いの雰囲気を感じるために、その2人の間を素通りする私。
そして、通り過ぎながら、「大丈夫」と確信。ちゃんとお互いに気持ちが届いているし。
あとはちょっと様子を見ることに。すごいんですよ~、ソラに来ている子たちの力。
試合が始まり、もめつつも休憩は1人ずつちゃんとして1試合目終了。ちょっと偉いと思ったのは、自分のチームのもめごとをゲーム中に出さなかったことですね。ゲーム中は、言い合って順番をゆずらないことはありませんでした。そんなことすると、相手にも迷惑かかるし、他の子たちにも迷惑かかりますから。そういう場面で、不本意ながらも順番を守った子、偉いですね。順番決めでもめるというのは協調性なさそうですが、ゲームにそれを持ちこまないというのは立派な協調性の証。
1試合目が終わり、そのチームがコートの外に出る際、「俺、こんなチームやだ」「俺もやだ」という声が聞こえました。私にも聞こえる声で言っていますが、私は聞こえていないフリ。相変わらずひどい人・・・。
休憩・・・「さて、どうする?」と見ていると、「やだ」と言った2人がお互いに少し離れて座りました。状況としては、言い合いをした子のうちの1人を含めて4人がまず座り、言い合いをしたもう1人がそこから離れて1人で座っています。離れている距離は、5mくらいでしょうか。
距離のとり方、座り方が子供らしいので、私は子供たちのいる場所からは見えにくい場所に移動し、気配を消して様子を見ます。
子供たちは、みんな少しだけネットに寄りかかって座っているのですが・・・・・ちょっとすると、4人で並んで座っている子たちが、寄りかかるのを利用して「ネットをゆらゆら」し始めました。その振動はネットを伝わって、5m離れた子にも届きました。
― ゆれが届いた瞬間、ちょうど、言い合いをした2人の子の目があって。
振動が伝わることがわかった子は、さらに伝わるように、もう少し強く寄りかかって。振動を受け取った子も、同じように少し振動を返して。
受け取ってもらって、返してもらったら、安心したのでしょう。お互いにネットをもっと強く揺らし始めて、振動を伝え合っています。伝われ、伝われー!  揺らせー! 
お互い気まずそうな顔から、少し笑顔になって。ネットの振動の大きさと比例して、表情が大きく変わって、どんどん良い顔に。お陰で汚れきった私の心もすっかり浄化されました。
最終的にネットは“ブンブン状態”。普段は、ネットに強く寄りかかったり、ネットをブンブン揺らしたりしていると注意をします。が、その注意は今度することに。
言い合いやケンカをすれば、謝らなければならないこともあるでしょうし、謝らなくていいこともあるでしょう。
色んな仲直り、気持ちの伝え方があります。それを知るためには、「嫌でも謝る必要があること」や「謝られなくても気持ちを受け取る必要があること」などを知っていく必要があります。
色んなことを経験して、適当な大きさで苦しんだり、跳ね返す - そんな経験を繰り返して、友達を助けたり、協力したり、自分で頑張ったり・・・たくさん成長していくんですね。
これまたあっぱれな子供たち。あ、ゲームもちゃんと見ていますよ、サッカーコーチなので。
ヒネクレ者の私に「あっぱれ」という言葉で今年最後のおまけを終わらせた子供たち。来年も期待しましょう! 

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復活を支える子供たち・・・敵? 味方? 

(2007年12月 通信No.65より)

1年生のゲーム。
自分で蹴ったボールが顔に当たり、痛くて立ち直れない子がいました。この子、普段は涙を流すことはあってもプレーが止まることはないのですが・・・。相当痛かったのでしょう。立ったままです。
すぐさま駆け寄り、「大丈夫か?」と優しく声をかけるコーチ・・・ではなく、(理想のコーチ像からはほど遠い)自力での復活を待つ私なのでした。
実は、この日は一度、子供たちに「(大変なことを)無理だとあきらめてはダメ」ということを話していて、さらにゲーム中に子供が必要以上に私に頼ってきた際に「コーチより強いヤツなんかたくさんいるぞ」とも言っていたので、それを目の前で子供たちに見せるためにも、この子に頑張ってもらったのでした。やりますよ、この子は! 
もちろん、逆効果になったら全部私のせいです。が、子供たちはすごいので信じて平気なのです。
立ったまま、まだ動かぬ状態の時に、その子に、(ボールがコートの外に出た時、スタートするために行う)キックインを「やってみろ」と無理やり押し付け(ひどい私)・・・。が、1度目は復活するに至らず。
ならばと、その後も「やってみろ」と押し付け・・・。しかも、(スタートしたら)「俺が(お前から)ボールを取るからな」と前に立ち・・・。さらにひどい私。
さぁ、勝負です。コーチとして、子供に関わる者として。
どうなる? 
―と、鬼の体を後ろから誰かが抑えました。あ、相手チーム(キックインする子と同じチーム)の子だ。
ありゃりゃ? 
今度は鬼コーチの前に誰かが来たぞ。
あれ? 俺と同じチームの子だ。
ん? - 復活しようとする子を助けているのか? ・・・いつの間にか「鬼コーチ  対 子供たち」の図になっているぞ。ま、いいか。これで復活できるなら。
友達がここまで整えてくれた状況を、この子が無駄にするわけがなく、復活! 
ケラケラとドリブルを始め、ドドーっとゴールまで行き、ピシャッとシュートを決めてきました。
この後は完全復活。
ゲーム終了後、「無理だと思ってもあきらめないように。それから、コーチより強いヤツはいっぱいいるぞ」と話すと、さっき“涙”状態から復活を見せた子のことを「つえー! (強い)」と言って見る子がいました。
これでいいんです。・・・「つえー!」と言った子たちもすごいのに、自分のすごさには意外に気づかないのかな? 
そこにいたみんながすごかったですね。
子供たち、あっぱれ! 

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格好いいとか悪いとかじゃなく

(2007年12月 通信No.65より)

かなり前に(通信No.21です・・・)、『その時の注意の仕方は、“みんなの前で大きな声で、その子のみに”注意・・・(省略)・・・このような状態では、他の気持ちや感情が混ざってしまって、コーチからの注意や話を素直に受け取ることはできないでしょう。』と書いた私ですが、11月、U-12クラスで1人の子に注意をしました。
それは、(その通信内で書いた)『みんなの前で注意をすることが必要な場合もあるでしょうが』というケースに当たるからでした。
私は練習前に子供とボールのぶつけっこをして遊ぶことがあります。
でも、このぶつけっこ、暗黙のルールがあるのです。当てる場面、当て方、タイミング、ボールの強さ・・・結構あるんですよ、暗黙のルール。
その日、ある6年生の子がかなり強いボールを全く無防備の状態の私に蹴ってきたのです。たまに無防備のフリをすることもあり(ボールが蹴られた直後によけて「残念でした」と言ってやります)、そんなことをこの子もわかっているので、そういう状態で蹴ってくることは別にいいんです(子供から見て私が気づいているのかはっきりしないような時は、子供がわざと外すように蹴ってきたり、わざと気づかせるように蹴ってきたりすることもあります)。でも、この時はボールが私の手をかすり、さらに手に取ろうとしていたケースに当たり、ケースが落ちました。もしこの球が手に当たっていたらかなり痛かったでしょう。本人もその場に合わぬボールだったと気づいたはずです。
だから、「ごめん」という言葉が出てくるかと思ったのですが、出てきませんでした。
以前、同じようなことがあった時(その時は思いがけずボールがちょっと強めに当たってしまったのですが)、この子は、「あ! ごめん」とすぐに謝ってきました。そういう子です。
この時に謝らなかったのはまだ彼の中ではお互いの遊びの範囲に入っていると思っていたのかもしれないので、ここではまだ彼に強く注意をしようとは思っていませんでした。ただ、当てるボールの強さが遊びの範囲として適当かどうか、他の子供たちも知っておいた方がいいと思い、出欠を取るために子供たちを集めた際、「さっきの強さのボールが手に当たったら大けがをする」ことをきちんと話し、その子にさっきのはしていいことか聞きました。
答えは、「さあ?」でした。恥ずかしくて下を向いてしまう、内容を理解して困って何も言えない、そういうことなら別にいいんです。気持ちを理解した上でもう一度、合った話し方をします。
でも、「さあ?」に隠れた気持ちは違いました。確かめるため、もう一度、同じことを話し、さっきのはしていいことか、どうするべきか聞きました。それでも、答えは「さあ?」でした。
明らかに周囲の子を意識しています。
悪かったと思うことよりも、周囲への変なプライドの方が勝っていて、葛藤の様子もありません。
ここで私はその子に注意をしました。
「人にケガをさせるようなことをして、その後、自分がどうすべきかわからないようなヤツは帰れ」と言いました。その子は、「それは困る」と言いましたが、そんなこと言われても内容が内容です。内容を認識した後でも、「みんなが見ているから」ということが勝って謝れないような子の「それは困る」という言い分を私が「はい」と聞くわけもなく、「これからこの子を帰すこと」を家に電話で伝えるため、コートに電話を持ってきて、一応、最後の質問。
※これは脅しやポーズでしているのではありません。家に子供を帰して平気か確認する必要もあります。親御さんも理由を知らないで子供が突然帰って来たら驚くでしょう。また、親には伝えられていないと子供が思っている状態で子供だけを帰したら、途中で子供が寄り道などをして練習の終了時間に合わせて家に帰るようなことをしないとも言えません。安全面からも、お家に電話をする必要があるのです。
さて、さっきのはやっていいことか、どうするべきか。
その子は、「やってはいけないこと、謝るべき」と答えました。
この年代でみんなの前で、過ちや失敗を認めるのは大変なことでもあります。でも、そんな周囲への見栄や変なプライドで過ちを認めないというのは強さでも格好良さでもありません。そういう姿勢を受け入れていくのであれば、それは弱さを育てているようなものです(通信No.21の時とは全然違うのです)。こういうことはみんなが知っていかなくてはならないことです。
そこで、周囲の子-「さあ?」と答えた子を笑って見ていた子、「面白い」「格好いい」「勇気あるな」・・・そんな目でその子を見ていた子供たちにも同じことを言いました。
「人にケガをさせてもいいと思っているヤツにここでサッカーを教える気はない」こと、「みんなが見ていたって、恥ずかしくたって、謝らなくてはいけないことがある」こと等々・・・。
ちなみに、変な上下関係なんかを教えたいのではないので、その子が「謝るべきだ」と答えた後で、実際に私に対して謝らせるようなことはしていません。そんなことをさせたいのではありません。
その直後、ストレッチを4・5年生と6年生の2グループに分けて行い、私は4・5年生とストレッチをしましたが、子供たちに「みんなの前で間違ったことを認めることが大変なこと」を話し、「その子がちゃんとみんなの前で“謝るべきだ”と自分で言えたことは勇気のあることで、さすが6年生だ」と言うとみんなもそれはわかってくれたようでした。
・・・当たり前ですが、「6年生で卒業したらもう終わり」なんて思ってサッカーコーチをしているのではありません。子供たちが中学生、高校生になった時を頭においてコーチをしています。
中学という年代はとても大切です。
子供たちは卒業後、そういう年代に入っていきます。
子供から大人に向かっていく中で、「ちょっと悪いフリをするのが格好いい」「周囲への見栄から、本心を隠して行動する」、そして「そういう行動をすると周囲から認められる」そんな状況にも、子供たちは置かれることもあります。
そんな中で、さっき書いたような弱さを育てていってしまうことはしてほしくありません。
また、どういうものが強さなのかということも知ってほしいと思います。これは、今、少しでも教えておかなくてはなりません。
6年生の子と一緒に過ごせる時間はあとわずかです。
一日一日を大切にしていきたいと思います。
※後日談・・・というか後「年」談? ・・・この通信を書いてから何年もたち、中3になった今も、この子はちょくちょく学校帰りにスクールに顔を出しています。嬉しいことです。

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チームメイト

(2007年12月 通信No.65より)

11月のU-12クラス、月曜日。
その日のゲームは、楽しさと激しさが微妙なバランスで混じっていて、子供のゲームらしい、なかなか見ごたえのある内容でした。・・・その中で、相手のキックを防ぎに行ってボールが体に当たったり、激しい体の接触があったり(かなり高い集中状態でやっているのでケガはありません)、ミスをして落ち込む子もいたり・・・。本来だったら子供のそばに駆け寄ってあげたくなる場面がたくさんあったんです。―が、もうずっと一緒にやっている仲間。まずは素知らぬ顔で見ておきました。―と、見ていると、ちょうどいい優しさを見せてくれたんですよね、たくさんの子が。
ボールが当たって痛がっている子のそばにさり気なく駆け寄って声をかけてあげる子、相手との接触で倒れている子にそっと駆け寄る子、ミスをして動きが止まっている子に後ろから駆け寄り、「上がろうぜ(相手の陣の方に攻めようぜ)」と軽くお尻を叩いて行く子。やるでしょう! 
そして、プレー時以外でも、「ほぉ」と思った場面が。
あるチームの休憩中。
ゲーム中にボールが強く当たったのが痛くて、チームメイトから離れて泣いている子がいました。
チームメイトの子たちは、そこから離れた場所で4人で楽しそうに話していたのですが、みんな、その子のことをちょっと気にしていました。放っておいてあげた方がいいのか、声をかけるのがいいのかちょっとわからない、それに、みんなで話しているところから抜けるのもいいのか悪いのか・・・なんて顔を、みんなが交互にしていたんですよね。
その間もなかなかその子は泣きやまなくて、みんなの場所には来なくて。
すると、ある6年生の子が、すっと動いて、その子の横に座ったんです。その子に「心配しているよ」と言うのではなく、周囲の子に「励まそう」と言うのでもなく。すっと座って、そばにいる。
ちょっとニコニコしていて、でも少し困っていて、ただ、そばにいる。それがその子の出した、泣いている子への優しさでした。そうしたら、他の子もその子の横に移動。そして、結局チームごと移動。泣いている子の横には黙ってはいるけどしっかり応援している、支えているチームメイトが。
私はそれをゴールネットの影に隠れてそっと見ていたので細かい会話は聞こえなかったのですが、「お前ら、やるじゃん」と拍手を・・・送るほど素直ではなく、「フン」っと、腕を組み、ゴールに寄りかかって全く別の方を見ていたのでした(なんつーオヤジじゃ・・・)。
泣いていた子は、その後のゲームで、それまでと同じように超ナイスプレーを見せていました。
そう言えば、別の子は、1点先取制の勝ち残りゲーム(1点先に取った方の勝ち。負けたら休憩チームと交代)で、開始早々ボールを止めるのをミスして(私のパスが強すぎたのですが)、そのミスが元になり失点し、チームは休憩になり・・・その休憩中、チームメイトと交わらずに、ネットにもたれかかってそっと一人で次の試合を待っているという場面もありました。
ちゃんと、子供たちにとって必要な悔しさを感じて、必要な責任を感じて、子供たちはプレーしているんですよね。ちなみに、その日の練習後も、私がちょっと真面目な話をしだしたとたんに、場に合わぬ(と大人なら考える)冗談を言う子が・・・(クソー、でもこれが子供の深さなんですよね)。
ま、すごいところも十分見せてくれた日だし、いいでしょう。

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「嬉しさ・悔しさ」・・・子供の受け取る大きさは・・・

(2007年12月 通信No.65より)

サッカーが上手になるには、成功の喜びを味わうことも、失敗の悔しさを味わうことも必要です。また、友達の気持ちを感じることも大切です。チームに入っている子は、試合に出る子、出ることができない子(←本当はまだ勝つための選手起用なんて、特別な場合を除いては必要ないのですが)がいるでしょうから、試合に出る子が試合に出られない子の悔しさを感じたり、チームに入っていない子も、遊びや友達とのゲームの中で、失敗した友達の気持ちを感じたり・・・。
でも、この感じ方、これが子供と大人では全く違うようで・・・。
子供が悔しさを感じているように見えないこと、友達の気持ちを理解していないと感じることが、皆さんはありませんか。「本当に悔しければそんな行動にならないだろう」「友達の気持ちを考えたらそんな態度とれないだろう」・・・「悔しくないのか」「優しくないのかな」と思ったこと、あるのではないでしょうか。・・・私はありました。
子供たちと同じ空間を過ごす中で、「この子の気持ちはわかるだろう」と思って話す。
一人一人の優しさや強さも見てきています。だから、「こいつらならわかるだろう」と思って。
なのに、例えば、誰かが苦しい時に、その子のことを考えたら、冗談なんか言えないはずなのに、冗談を言う子がいる。「えっ、お前、なんでそんな冗談が今言えるの?」- そう思ったことが何度もあります。同じように他人事だとしか思わず、話を聞いていない子がいる。
何でわからない? -「いや、話せばわかるだろう」と思い話す。でも、話せば話すほど子供たちが離れていく。気持ちをいくら伝えようとしても、分りやすい言葉をいくら使っても、いくら真剣に話しても。そんな経験を何度もしました。
でも、その場に合わない冗談を言う子も、話を聞いていない子も、悔しい経験をしたことがないわけではないし、同じように苦しんだり、悔しがったりした子ばかりです。そして、決して人の気持ちがわからない子ではなくて・・・。何で? ・・・ずっと考えて、そして、ようやく出た結論。
それは、子供は、子供の深さでしか、まだ悔しさを受け取れないのだろうということです。
人の気持ちを理解するのもそう。子供の深さでしか受け取れない、感じられないのだと思います。
そのかわり、大人にとっては小さなことでも傷つくことがあるように、子供の深さまでは十分に感じることができるんですよね。ただ、それを超えるとまだ感じられないということなんでしょう。
・・・私がそう思うだけかもしれませんが。
だから、例えば、大人から考えたら、「悔しい思いをしたばかりなのに、そんなことすぐに忘れているじゃないか」-そう見えることがあっても、本人は悔しくないわけではないんですよね。
そう思うようになってからは、子供の深さ以上のことは私も話すのをやめるようにしました。決してあきらめたということではありません。ただ、まだわからないことよりも、わかる部分のことを、彼らが受け取ろうとしていることを、受け取れる範囲のことを必要な分だけ話すようにしました。
それにしても、もともとはもっと「子供」として見ていたはずで、子供だからまだこんなことはわからないだろうと、大人のような深さで話すことはなかったのに、何でこうなったんだろう・・・。
きっと、長い時間いっしょに過ごす中で、まだまだ子供だと思っていた子が高学年くらいになると急に話し方も生意気になるし、時には大人顔負けのプレーも見せるようになって、そんな様子を見て、子供を認める部分がかなり出てきて、いつの間にか大人のように見てしまう部分が出てきたのかな、と思います。
さて、子供の持つこんな深さ、大人の私にはわからない現象・・・これは一体何なのか・・・。
きっと、これは子供が自然に、無意識に取る、自己防衛の行動なのでしょう。まだ、自分に起きたことを大人の感じる深さで受け取れる心と体の状態ではないということなのだと思います。
必要以上に受け取ってしまったら、心や体がこわれてしまうこともあるのではないかと思うのです。
まだ体が出来上がっていない子供たちは、体に合わぬ努力を続けたら体が持たずケガをすることもあるでしょう。心の部分も同じことが言えるのでしょう。だから、必要な深さまで、自分がそれを成長への材料に変化させることができる深さまでで、無意識に食い止めているのではないでしょうか。
考えてみれば自然なことです。
感情が育つためには、自分で感じ取れる、相応しい大きさでの嬉しいことや悲しいことが必要でしょう。色んな経験を通じて、色んな気持ちが育って、その結果、色んな人の気持ちを理解できるようになる。もちろん、嬉しさや悔しさも感じて、強く、優しくなっていくのでしょう。
それが、「大人から見たら」とても悔しい経験をした。「これはリベンジのために一年間かけて練習してやる、それまでは楽しいことは辛抱だ」と、ちょっと嬉しいことがあっても「いや、俺はこれで喜んでいちゃダメだ」とか、他に興味を持ちたくなることがあっても、「今はそんなことに目を向けている場合じゃない」という感じで大切な時間を過ごしたら、いったいそれだけの感情が育つでしょうか。
嬉しさをとっておく、悔しさをつねに自分に置いて。そんな時間を過ごしたら、本当は色んなことから感じるべき楽しさ、嬉しさ、面白さ、悲しさ、悔しさを感じる機会が減ってしまいます。
機会が減ったら育つべき感情が育たないかもしれません。
成長して、自分の見ることができる世界が少しずつ大きくなっていった時に、本来そこで感じられる嬉しさ、楽しさ、悲しさなどを感じられなかったら、なんとつまらない世界でしょうか。
きっと、成長していくその世界の楽しさを感じるために、成長を楽しんでいくために、今は、必要以上に、悔しさなどを受け取らないのではないでしょうか。私はそう思うようになりました。
「一年間、辛い思いをした後に得られる嬉しさは、辛い思いをしなかった時に得られる嬉しさの何倍もすごい」かもしれませんが、それも、「嬉しさ」を感じる経験がたくさんあって、「嬉しい」と感じる心が育っているからこそ、得られるものだと私は思います。
今という時期は色んな感情を育てるための時期でもあるのでしょう。子供も、心と体を発達させるために、一生懸命なんですね。・・・・・・偉そうに書きましたが、「と、思います」ということで。

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子供のこと・サッカーのことなどはこちら
  過去の通信文章です。
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◆天候不良時などの開催情報はこちら
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Adre_2
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ちょっとした勇気・・・子供の自然な考え

(2007年11月 通信No.64より)

ある日、U-12クラスでマークの位置について話をした時に、(マークの位置としては)「Aの位置とBの位置、どっちが正しいと思う?」と子供たちに質問しました。
「Aだと思う人?」と聞くと、みんなが手を挙げ…と思ったら、一人だけ手を挙げていません。
すでにみんながAに手を挙げたのを見た後で、この、Aに手を挙げていない子がどうするのかと思い、「Bだと思う人?」と聞いてみると、ほぉ、感心。この子、ちゃんとBに手を挙げました。
他の子の様子を見て、「あれ、間違ったかな?」という顔を一瞬しましたが、答えがAになる理由が思い当たらなかったのでしょう。「・・・でもB・・・」というような感じで、手を挙げました。
この子はチームに入っていません。他の、チームに入っている子や自分より学年が上の子が、自分の考えとは違う方に手を挙げていたのですから、こういう状況では、自分の考えを変えてしまう子もいるかと思うのですが・・・。
ちなみに、Aに手を挙げた子は、すでに知識として知っていた子がほとんどのようでした。
しかし、そのような、形式的にどこかで教えてもらっていて「A」と答えた子でも、本質まで教わっている子はあまりいなかったようでした(その後の練習を見て、それは一目瞭然)。
実は、この質問に対する答えは、どちらが正しいかと言えば「A」でしたが、自然に考えれば、この子の挙げた「B」でも全然おかしくなかったんです。この話とは関係ないですけど、子供の自然な考えだからこそ、吸収できることがたくさんあるんですよね。
さて、自分以外の子が全員、Aに手を挙げたのを見た後でも、ちゃんとBに手を挙げた子。
みんなが手を挙げるから正しいわけじゃない。声の大きい者の言うことが正しいわけじゃない。

自分の考えをちゃんと言った子。本当にすごいと思います。
こういう良さをずっと大切にして欲しいですね。
こういう子の良さ、すごさをみんながわかる場にしたいと思います。そして、みんなが自分の考えをきちんと言える場にしたいと思います。

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友達同士の関係・・・「友達なのに?」

(2007年11月 通信No.64より)

■友達なのに・・・①
スクールには、同じ学校や同じチームから来ている子もいますが、そんなことに関係なく、ゲームの時はチーム分けをしています。
ある日、U-9クラスのゲーム中、ある子がボールを取ろうと走っていると、相手チームの子が後ろから追いかけてきました。この2人は普段の所属チームが同じです。
きっと、ボールを追いかけていた子(ボールに近かった子)は、後ろから来る子は普段一緒に練習している仲のよい子だし、ボールも外に出そうだから、自分には当たって来ないと思っていたのだと思います。―が、“ドン!”。
それほど強い当たり方ではなかったのですが、前にいた子にとっては、思ってもいなかったことだったので、この時は転んでしまいました。そして、なかなか起き上がらないのでした。
体の接触の衝撃や転倒時の衝撃はほとんどなかったと思うのですが、なかなか起き上がらず・・・。やがて起き上がり、その後は普通にプレーしていましたが、きっと、「友達だと思っていたのに」(なんで他の人に当たるように俺にも当たるの?)という感じだったのではないかと思います。
少し手加減してくれるだろうと思ったのでしょう。同じくらいの当たりにはいつも耐えているのに、この時になかなか起き上がれなかったのは、心理的なショックもあったのでしょうね。
でも、この「強い当たり」も、一歩進んだ友達だからできること。だから、良いことだと思います。
だって、普段一緒に練習しているのに、「こいつは頼りないから弱く当たってやるか」なんて思われていたら、嫌ですもんね。そりゃ、わかり易い優しさも必要ですけど、優しさが一歩進んだ形が、「お前なら大丈夫だろ。だから、今は行くぞ」というものだと思います。「ゲームでバンバン当たっても、ゲーム後はいつも通りになれる」という、相手への「信頼」もあるのでしょう。
なかなかよろしいんじゃないでしょうか、こんな関係。

■友達なのに・・・②

10月、U-12クラスのゲーム時に、所属チームが同じ子を同じチームにしてみました。
そのチームの子が、相手にボールを取られた時、「だって、○○が動かないんだもん!」と大きな声で言いました。
こういう場合、誰か一人が悪いということはまずないのですが、言い合うことでわかる部分もあるので、(子供たちに説明する場合もありますが)この時は様子を見ていました。
すると、名前を出された子は、(本人はそれまでも頑張っていたのですが)ただ黙って、言葉を飲み込み、それまで以上にボールを追い掛け回すようになりました。頑張っている、一生懸命だけど、黙々と、友達に認めてもらうために動いているようで、本当はそれまでのプレーでも十分に認めてもらえるはずなのに・・・。そんな様子を見て、ちょっと辛かったです。このまま、この子の頑張りに、誰も気づかないのだろうか・・・。
すると、そんなことはないのです。
ちゃんと友達は気づくのです。もともと、(この子達の場合は)さっき言った、「だって、○○が動かない」という言葉も、普段から一緒にプレーしている仲間だからこそ、出た言葉なのでしょうね。
そう言った子は、その後、とても自然に、○○君にパスをしていました。そのパスはちょっと長めで、蹴る(パスする)のはちょっと大変だったはずですし、他にも、(普段から所属チームが同じ)味方の子はいたのですが、その時点で最も自分から遠いところにいた○○君に、名前をしっかり呼んでパスをしていました。
―そのパスの直前、実は私は○○君を見ました。そして、名前を呼ばれた瞬間の顔も見ました。表情が気になっていたので。
その子、それまで、いかにも「黙々と動く」という感じで、一生懸命だけど寂しさがちょっとある表情だったのに、名前を呼ばれた瞬間、嬉しそうに、口元がほんのちょっとだけゆるんだんです。
後で、その時のことを話すと、その子は、「表情はかわってない」と言っていましたが、しっかり見ていましたから、私(家政婦じゃないですけど)。
一瞬ですが、本当にちょっとですが、安心から出るような、ちょっとした口元のゆるみ、嬉しそうな表情、見せたんですよね。
きっと、さっき文句言われて、「俺だって頑張っているのに何で」と、ちょっとだけ残念に思っていたのではないかと思うんです。その「何で」と思った相手の子が、遠くから、自分の名前を呼んでパスしてくれて・・・心がちょっと、表情に出たんだと思うんです。
友達だから、わかってもらえないと残念に思って、でも、わかってもらえなかったのではないんだとわかれば、それだけで嬉しい、頑張れるんですね。
その後の動きはさらによくて、見ていても、こっちがとても嬉しくなるような元気の良さでした。
友達 ― 色んなものを与え合っていくんですね、やっぱりいいもんですね。

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2010年9月24日 (金)

指導者コース開催のご案内

(2007年10月 通信No.63より)

指導者コース開催の「ご案内」ですが・・・文字が多いので、お茶やコーヒーでも飲みながら、リラックスして読んでください。
疲れてしまうといけないので。

■指導者コースの開催にあたり

以前、通信で、「お父さんからのご要望をどうぞ」とご案内を差し上げたところ、「ぜひ指導者コースを開催してほしい」という声が、まったくなかったのですが、企画してみました。
指導の現場では、コーチをしたくて指導している人もいるかと思いますが、チーム事情などから、サッカーの経験がなくてもコーチをしなくてはいけない方もいるのではないでしょうか。
そこで、今回は、経験の有無に関係なく、「子供をみる機会のある方にとって大切なこと」という基本的な部分をお話しさせて頂くことで、皆さんのお役に立てないかと思い、このような機会を持たせて頂きました。

では、ちょっとだけ・・・
まず、皆さんにお伝えしたいことは、「コーチにとって大切なことは、いかに伝えることができるかということ」だということです。
「100の知識があるけれど、3しか伝えられない」よりも、「10の知識しかないけど、それを全て伝えることができる」方が、子供たちは伸びるのです。
但し、ここで注意したいことは、「ならば、知っていることを全て教えてしまおう」となりそうですが、子供たちにやたらと教えても、不要な分は、かえって邪魔になることもあるということです。
小学生の子に電卓の使い方をやたらと教えてもしょうがないでしょう。子供が遊ぶ時に「電卓を使わなくてはできない計算」なんて、そう出てこないでしょう。
集まった子供同士でチームを2つに分ける、お菓子をみんなで分ける・・・そんな時に電卓は使いません。
鬼ごっこなどでは、電卓を使わないどころか、持っていたら邪魔になります。
遊びを例にするのはちょっと極端かもしれませんが、学校の算数でも、電卓がなければ困るという内容は、ないでしょう。
・・・こういった、「対象にあったことを伝える」ということも含めて、大切なことは、「伝える力」なのです。
じゃあ、伝えるにはどうすればいいのだろう・・・(さりげなく話を続けます)
このような感じで、このコースでは、サッカー協会の行う講習会や資格検定などとは全く無関係に、「子供を見る」コーチとしての「視点」について、ソラ的に(←怪しいぞ)お話ししていきたいと思っています。
経験者が集まるような堅苦しいものには参加しづらい、でも、コーチってどんなものかちょっと知りたいな、という方が気軽に参加できるようなものにしたいと思っています。
また、子供を支え、子供のプレーをよく見ているという点では、親御さんもお子さん専属のコーチと言えますので、そんな皆さんにも、何かしら役立つものにしたいと思っています。つまり、誰でも参加できるんです・・・。
そうですね、お茶やコーヒーでも飲んで、リラックスしながら参加して頂ければと・・・。
・・・ということで、ここで講習会の内容をちょっとご紹介させて頂きます。

■予定している講習内容
1.伝える時に大切なことは? 
・・・ポイント1.相手があって、伝えることができます。
・・・ポイント2.伝えるべきことは、相手によって変わってくることもあります。
・・・ポイント3.「相手を知ること」が大切です(相手とは、子供です)。

↑「お、項目挙げて整理しだしたぞ!」と思わせたところで・・・
↓また文章に戻したりして・・・

2.「相手を知る」時に大切なことは? 
・・・「知る」ということは、「何で?」から、スタートしようと言うことです。
例えば、  ①ボールが遠くに飛ばないのは何で? 
②ボールをうまく止めることができないのは何で? 
③ドリブルをうまくできないのは何で? 
・・・これらに対し、「練習が足りない」と言って片付けてしまったら、問題は解決しません。
ここでは、とりあえず、「①ボールが遠くに飛ばないのは何で?」について考えて見ましょう。
考えられる理由は、
1.筋力がまだないから
2.フォームが良くないから
 ― とりあえず、2つだけ書いてみました。
では、1について、もう少し深く見てみましょう。
「筋力がないからか? …でも、同じ体格で距離が飛ぶ子もいるぞ、何で?」→新しい「何で」が出てきました。
・・・「ということは、筋力の関係ではないのか? 何で飛ぶ距離に違いが出るんだ?」
と、いうことで、(ここでは)2の「フォームが悪いのかな?」という部分を見てみることにします。
「・・・でも、フォームってどこ見ればいいのかわからないな。 あ、そうだ、本を見てみよう。
ジャーン! “少年サッカー入門”。
・・・なになに、立ち足(踏み込む足)はボールの横で、膝を軽く曲げて、蹴り足は固定・・・色々書いてあるな。
とりあえず、うちの子の蹴り方を見て、一つずつチェックしてみよう。まず、立ち足-ちゃんと踏み込んでるぞ。膝もやわらかくしている。あれ、蹴り足がグラグラだ。これが原因かな? 
ちょっとアドバイスしてみよう。(アドバイス後、練習を繰り返し・・・)あ、飛ぶようになった。
でも、もっと遠くに飛ぶ子もいるのになぁ。何でだろう」
ということで、遠くにボールを蹴ることのできる子を見ると、
「もっとボールが飛ぶ子を見ると、ボールが変な回転をしているな。それに、成功している時と成功していない時の差が極端だ。そうか、あそこまで飛ばそうとするとどこかに無理がでるんだ。じゃあ、ある程度、正確で、ある程度、ボールが飛ぶ、このくらいが適当なのかな」・・・ということになります。
自分で書いていて、もし読む側なら「こんな風に調子よく思うか」という流れですが、続けます・・・。
子供の場合は、距離が飛ぶ子でもフォームの悪い子が多くいます。
それらの子は、中学生くらいになって、周囲の子に筋力がついてきた時に非常に苦しむことになります。
他の子は、正確に蹴る技術の上に、筋力をプラスしてきます。一方、それまで、力に頼って蹴っていた子(蹴らされていた子)は、筋力をプラスしたところで、正確性はすぐには身につきません。
結果、それまでの飛距離とは関係なく、それまで正確にボールを蹴っていた子が、サッカーをより楽しめます。
・・・小さい年代では技術を身につけることが大切です。それは覚えておいた方がよいでしょう。

ところで、(足の甲の部分で蹴る)インステップキックなんかだと、本当に極端にボールが飛ばない子がいます。
あまりに飛ばないので気になる方もいるでしょう。
・・・が、インステップキックの特徴は、威力のある、低い弾道のボールを蹴れることです。
小さいうちにこれをマスターしても(良いフォームで蹴っていても)、筋力がまだないので、大人のように飛ばないことは自然なのです。なので、そのままのフォームで蹴らせておいてよい子もたくさんいます。
逆に、低いボールを蹴るキックをしたくてもそれができず、ボールが浮いてしまうことがあります。
これは、立ち足(踏み込む足)の位置が浅いから(ボールより手前だから)起こることもありますが、単に靴が大きくて、つま先で地面を蹴ってしまいそうだから(それが怖くて)深く踏み込めないということもあります。
このように、「①ボールが遠くに飛ばないのは何で?」だけを取り上げ、理由を2つ示しただけでも、しかも、自然な方向でお話ししてきたにも関わらず(?)、色々なことを考えたり、見なくてはならないのです。
・・・「ということは・・②のボールを止めること、③のドリブルのことも、色々なことを考えたり、見なくてはならないのか・・・やっぱり面倒だ・・・」と思うかもしれませんが、心配ご無用! 
今、ここに書いてきた中で唯一、専門っぽいことは、「フォーム的なこと」だけですが、それは、子供用のサッカーの本にわかりやすく、十分に載っています。
それ以外の、筋力があるとかないとかの話は、他の子と極端に比較するのではなく、年代を考え、冷静に見ることができれば、理解できる範囲のことです。

このように、サッカーの部分で、この年代のコーチが本当に知っていなくてはならないことは、実は、ほとんどの場合が、子供の本に載っている範囲のことなのです。
「じゃあ、本を読めばいいじゃん。指導者コース、いらないじゃん」と思うでしょう。
ならば言いましょう・・・・「そうかもね!」・・・あ、言っちゃった。
でも、「子供用の本に載っていると言っても、それを読むのも、結構、大変なんだよね」という方もいるかもしれませんし・・・・(やっぱり、「指導者コース必要?」と思わせておいて・・・)
ちなみに、そのような方も安心して下さい。(結局、結論は変わらず。)
外で遊んでいる子を見ると、フォームなんぞは、楽しそうにボールを追いかけている子は、よく整っています。楽しく、ボールを追いかけ続けることができれば(そういう自然な環境にあれば)、極端に不安に思うようなことはありません。本を読まなくても、「子供の笑顔を追いかけていれば大丈夫」ということもありますから。
あ、今、「やっぱり指導者コース、いらないじゃん!」って思いました? (思いますよね・・・)
でも、やりますよ。
「必要ないからやらない」になるか、「やる」になるか・・・「やらないでいい派」(多数)と「やった方がいい派」(1人?)の戦い、絶対に負けませんよ。フッフッフ。(しまった!  ノリで戦いを挑んでしまった・・・。この案内が終わるまでに関係を修復せねば・・・。)

・・・指導者コース開催の必要性を訴えているのですが、雲行きが怪しくなってきたので、急いで続けます。
では、皆さんの興味のありそうな、試合での子供のプレーを見ること、練習での子供を見ることについて、「伝えるために、相手を知ること、相手にあった伝え方」を、考えていきましょう。

と、いうことで、続いて項目3・・・(「えっ、続いてたの?」と思ったでしょう。続いているのです。)

※ご注意
コーチングの世界では「この教え方が絶対に正しいということはない」という言葉をよく聞きますが、私もそう思います。
以下の文章中に「こういうコーチはGOOD」という表現も出てきますが、これはソラ的な考えのもので、正解というわけではありません。
また、地域柄やチーム事情などは全く考慮していませんので、ここで書かれていることを、皆さんの関係しているチーム事情にそのまま当てはめて考えることはオススメしません。
こんな考え方もあると、参考にして頂ければと思い、書かせて頂くものです。

では、
3.見て感じよう(練習や試合で)
<見る場面の例>
状況1.「顔を見ると緊張している」…なんで? 
⇒考えられる原因(例)
・みんなが見ている
・前に失敗した
・失敗した場合の周囲の声が気になる
・・・等々

状況2.「相手のボールを取りに行けない」・・・なんで? 
⇒考えられる原因(例)
・取りに行って抜かれるのが怖い
・相手の足が速くて、うっかり取りに行くとあっさり抜かれてしまいそう
・グラウンドの凹凸が気になり、ボールがイレギュラーしそうだから(ボールを取りに行くために走っている途中でボールがイレギュラーすると取り損なってしまう)
・・・等々

<見る時、原因を考える時に考慮する点>
★その状況で取る行動は、過去の経験・得た知識・見たこと・聞いたことから生まれた判断だということ
(だから、それまでのプレーを、さかのぼって思い出してみることも大切)
⇒コーチとしては、原因を考え、原因となっていることを取り除く、或いは、それに対応できるようにアドバイスすることができるといいですね。

「失敗」という現象や「行動」だけを見て注意をしたりするのではなく、原因を探った上で(探ろうとした上で)声をかけているコーチはGOODでしょう! 
ということでしょうか・・・。

4.言葉をかけよう…の前に、皆さん、目薬さしました? 私は今、さしました。文字ばかり見ていたら目が疲れ、さらに気持ち悪くなってきました・・・。皆さんは大丈夫ですか? (気遣いはいたしますが、クレームは受け付けませんよ・・・。)
では、
4.言葉をかけよう(練習や試合で)
<ぜひ言葉をかけてほしい時>
(例1)すべき失敗をした時 - 「たくさん失敗しないと基本的なことはつかめない」
どんなことでも「基本」は大切です。様々なケースや状況の中で、成功や失敗を繰り返し経験することで、基本として必要な部分と、応用として活用すべき部分をつかめます。ですから、「基本」をつかむまでは、たくさんの失敗、たくさんの経験が必要なんです。成長するために必要な失敗をした時には、失敗しても大丈夫だと安心できる声、失敗を通じて理解できたことがあったと知らせる声をかけてあげたいですね。

(例2)前向きな失敗をした時 - 「挑戦をするからこそ生まれる失敗がある」
あえて何かに挑戦をして失敗をしたのなら、挑戦した部分を認めてあげましょう。でなければ、成功ばかり望んで、挑戦しなくなってしまいます。挑戦せず、安全に、大きな失敗をしないようなプレーをすると、確かにミスはしていないように見えますが、プレーの幅はどんどん小さくなっていきます。プレーの幅を広げて行くためにも、たくさんの挑戦をさせてあげましょう。挑戦をしたからこそ起きたような失敗は、大いに認めてあげる必要があります。前向きな姿勢を見せた時には、それが失敗に終わったなら尚更、(その後も前向きにプレーできるように)努力や挑戦を認める声をかけてあげたいですね。

<どんな言葉が必要か>
★対象にあった説明を(質・内容) - 「決して知識をひけらかすようなことをするのではない」
子供を見ていると、「俺、そんなこと知ってるよ」という顔をして、「知っていること=(イコール)すごいこと」だと思ってしまっている姿をたまに見かけます。そのような場合、そういう子が本当に知っているのかを確認するために、ちょっとしたテストをすると、理解すべき部分を理解していないこと、つまり、表面上の知識をもらっただけだということがあります。
きちんと理解をしていない状態なのに、子供がそれを「知っている」と思ってしまうと、その後で本当に理解をさせるのは、何も知らない状態から理解させることに比べ、非常に大変になります。
今は、テレビ、書物など、サッカーに関する情報が周囲に溢れていますが、「知っていることがすごいこと」というような感じで、知識を得る機会があるとしたら、影響はあるかもしれません。
知っていることよりも、子供たちがやれること、努力できること、気づくことの方がすごいのですが・・・。

⇒コーチとしては、子供たちにとって、まだ不要な高度な理論や、テレビでの解説のような大人向けの説明よりも、子供にわかる言葉で、子供に必要なレベルのことだけを話せることが、大切ですね。
かける言葉の量についても、その時に理解できることを適切な量で・・・。後で言った方が良い内容か、その場でちょっと言っただけでわかる内容なのかを判断することも必要です。

難しい専門用語を使ったり、サッカーの知識や戦術論を披露するようなことなく、子供らしい、お母さん、お父さんが見ていても、単純明快なサッカーを子供にさせていればGOODでしょう! 

5.まとめ
今、ここでお話ししてきた子供のサッカーには、大人のサッカーや、中学・高校年代で必要とされるような、いわゆる高度な「チーム戦術」なんて入っていません。これでも十分なのです。何故なら、考えて見て下さい。
子供の頃のストリートサッカー。多くの名選手が育ったこのストリートサッカーや空き地でのサッカー。
人数は、2対2や16対16、さらには7対4など色々だったでしょうし、年齢だって、違う歳の子が混じっている場合もあったでしょう。
人数も年齢もバラバラ。そこに、高度な戦術が存在するなんて、皆さん考えられますか? 
あるのは、1対1の対決や駆け引きであったり、コンビや小グループでの駆け引きであったり・・・。
それがいくつも連鎖して、全員で試合をしているような感じになりますが、決して、代表クラスでやるような高度なチーム戦術や、ハイレベルでのディフェンスラインの上げ下げ(←わからない方、わからないままでOKです!)なんて存在しないでしょう。
だから、一人一人がしっかりと力をつけていくことができ、その結果、やがて、チームの一員としてプレーすることが大切になる、後の年代でもしっかりプレーすることができる、チームの一員として存在できるのだと思います。個人として大切な力を蓄えずして、そんなことはできないのです。
・・・そうですね、初めの部分で書いた、「子供をみる機会のある方にとって大切なこと」のまとめとしては、「自分がやらせたいことを子供にさせるのではなく、子供がやりたいことを良い方向に持っていく」のがコーチだと私は思いますので、「子供を子供として見ることが大切」ということでしょうか。

・・・・・・・と、講習会の案内にしては、随分長かったですね。それにしてもこの紙のどこに講習会の案内があるのか・・・皆さん、もうおわかりですね、はい、ないのです。案内にしちゃ、どうも文章が多いと思ったでしょう、皆さん。途中で、「もしかして、講習会、始まってる? ・・・」と思った方・・・『正解』! 
実は、「指導方法・環境をソラ的に見る基準」を示すことは必要かとずっと思っていて、「今年こそ指導者コースを」と考えていたのですが、「これはみんなに伝えた方が良さそう」ということで、お伝えすることにしたのです。そこで、もともと入力していた指導者コースのMY資料を「修正して出しちゃえ」ということにしたのでした。
私の頭では、どう考えても、コーチの方と保護者の方の立場は同じ、「子供を支える立場」なんですね。
 コーヒー飲んでます? リラックスしてますか? 
もう、これが講習会なのでした。皆さん、ご参加ありがとうございました。
共感できる部分、できない部分、色々あったと思いますが、少しだけでも、お役に立てたらいいな、と思います。

6.気になる勝敗の結果は
―ということで、指導者コース、「やらないでいい派」(多数)と「やった方がいい派」(1人?)の勝敗は・・・。
「もう、やっちゃった」ので、皆さんは「参加済み」ということになります。皆さん大人ですから、「やらないでいい」ということには参加しないでしょう。「参加した」ということは、「やった方が良かった」ということで理解させて頂きます。が、それでは皆さん「ふざけるな、コラァ!」ということになると思いますので、ここは「引き分け」ということにいたしましょう!  これで「関係修復」ということでよろしいですか? 
ちゃんと、対象(大人、良い方ばかり)を理解して、くどくど謝らず(これ以上、文を引き伸ばしたら、もう取り返しがつかないような気が・・・)必要な分だけで修復しましたよ~。修復できていなかったりして・・・。しばらくは目を合わせるの、やめようかな・・・いやいや、見て感じなきゃ・・・。今後ともよろしくお願いします。

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褒める・叱る・あれこれ

(2007年9月 通信No.62より)

たまに、「褒めて伸ばすタイプですよね」と言われますが、残念ながら、そう言われるほど褒めるタイプではありません。
褒めるべきところがあるので褒めているだけなので、必要じゃない時は褒めませんし、ただ形式的に褒めるようなこともしません。
U-12クラスの練習を見ている方はご存知でしょうが、「ほとんど褒めない」時もあります。「叱るだけ」の時もありますから。
曜日(コース)によって練習の雰囲気は違い、また、同じ曜日(コース)でも、日によって雰囲気は違います。ですから、褒める言葉が多く、楽しい雰囲気でやっている時もあれば、叱る言葉が多く、厳しい雰囲気でやっている時もあります。その雰囲気の差を見たら、「同じスクール?」「同じコーチ?」と驚くかもしれません。
ただ、見た目は全く違っても、奥に流れている本質は全く変わりません。
同じものを追求しています。
褒めてはいけないタイミングでうっかり褒めると、逆効果になってしまうこともあるのです。
全体的に雰囲気がかなり良くない時には、一人だけ、あるいは少数の子を極端に褒めるようなことを私はあまりしません。それは、褒められた子にとっても、周囲の子にとっても、効果的に作用しないことの方が多いからです。その場に合った取り上げ方、接し方をします。
少し前のU-12クラス(木)がまさにそうでした。
本当は、もっと褒めたい子も、もっと褒めたいプレーもあったのですが、その日はみんなの前で大きく取り上げて褒めるわけにはいきませんでした。グラウンドでは色んなことが起きているので・・・。
極端に数人を褒めることができないからといって、もし全体的に褒めたなら、本来、その時点では褒めてはならない子が、自分の状況を取り違えてしまう可能性もあります。そんな時はうっかり褒められないのです。
このような場合は、メインコーチとアシスタントコーチが協力して働きかけをする必要があります。
メインとしてどう持っていくか、アシスタントとして、どう調整していくか。
叱る場合も同様です。様々な状況があります。
U-9クラスでは、楽しく練習をすることも、楽しく働きかけることもとても大切ですが、ただふざけてしまっているような場合は、頑張っている子、楽しんでやっている子がケガをするような可能性もあるので、かなり厳しく注意していきます。
子供からの、「見て欲しい」というサインに応じる場合もありますが、応じてはならない場合は(=ケガの起きる可能性を増加させてしまいそうな場合)、そのサインにはそのまま応じず、違う形で応えていきます。
頑張っている子への働きかけ、自分で努力している子への働きかけ、ふざけてしまっている子への働きかけ、楽しんでいるのかふざけているのか微妙な感じの子への働きかけ、集中して働きかければ立ち直りそうな子への働きかけ・・・・必要な子への、必要な働きかけを、いつ、どのようにすることが、その場にいる子供たちに対して(対するコーチとして)正しい対応なのか。
どうすることが、一人一人に伸びる機会を与えることになるのか - こんなことを必死に考えて子供たちに接しています。
子供の練習の場合のコーチングは、「頭」というより「心」を使うものです。「頭」から子供たちの中に入っていくと見えないものがたくさんあります。
だから、「心」から行きます(もちろん、年代や状況によっては、逆に「心」を抑えて「頭」を冷静に働かせる必要もあります)。
子供たちは色んな面を見せてくれます。それに対し、片一方からだけの働きかけでは強く成長できないので、両方から働きかける必要があり、こんな感じで褒めたり叱ったりしています。
・・・練習を毎回見ることができる方は少ないと思いますので、もしかしたら、見ている時にたまたま「褒めている」ことが続いて、「いつも褒めている理想的なコーチ」というような誤解があるといけないので、毎度のことながらここでお伝えしておきます。
ちなみに、あまり見たことがないかもしれませんが、“練習をさせない”(コートの横に座らせてしまう等)、“「帰っていい」と言う”、“「コートから出ろ」”と言う場合もあります。
もちろん、これらの働きかけを単純な理由から用いることはありません。
が、そうしなければならない時、そうすることが子供の安全や成長を守るために必要な時は、そうします。「帰っていい」と言う働きかけを、子供との心理的なかけひきに使うコーチもいるかもしれませんが、私はかけひきになんか使いません。本当にそうした方がいいと思った時しか言っていないので。

―ところで・・・「褒めることは難しい」とか「叱ることは難しい」とかよく聞きますが、本当にその通りだと思います。
どちらも難しいと、私は感じています。
実は、私は保護者の方が見学に来ている場合、その方の子をみんなの前で褒めるようなことはあまりしません。いつもなら褒めるようなことでも、ちょっと抑え気味にして、褒めないようにすることさえあります。それには、ある理由があるのですが、ここでは触れません。
もちろん、「親の前で褒められる」ことは、子供としては嬉しいでしょうし、子供の喜ぶ顔を親御さんが見ることも大切なことだと思いますので、「抑え気味」と言っても、「これはみんなの前で取り上げるべきこと」という時には取り上げますので、ご安心下さい。
・・・ですから、逆に言うと、保護者の方が見ている前で、もし「褒められる」ことがあった子は、「褒められたこと」に対して、本当に自信を持って欲しいですし、素直に自信を持って欲しいと思っています。そして、そばにいる保護者の方にもしっかりと認めて頂きたいと思っています。
一方、「叱る」「注意する」ということを「抑える」・・・ということはまずなく・・・すみません。
不公平な感じがするかもしれませんが、これも、ここには書きませんが同じ理由です。
ただ、子供を叱っている、注意をしている場合でも、そうなっているのは(良い状態に持っていけなかった)私の責任なので。

最後に、さぁ、「褒める・叱る」の判断基準は? 
過去に努力した結果、今の技術状態にあること(その日に“その日のための”努力をしていなくても、良いプレーをできることも多々あります)、
その日に努力した結果、その時の技術状態にあること(過去に努力していなくても、良いプレーをできるケースもあります)、
その時点、その状況でこれらを、どのような比率で評価するのか。
「これからが大切」「過去より未来が大切」とよく聞きますし、その通りだと思いますが、過去があっての未来、今、です。
過去の努力(或いは努力が足りなかったこと)を認めることも、今の努力(或いは努力できなかったこと)を認めることも必要です。
また、練習に来ることがなかなかできないけど、練習に来ている時には人一倍頑張っていること、
練習にたくさん来るけれども、毎回の練習では頑張りきれないことがまだ多いこと、
これらを、どのように見ていくのか。
グラウンドで表れる、“さっきまではたまたま気が乗らなかったけど、今日まですごく頑張っていたから、気が向けば良いプレーができる”状況、“昨日まではあまり頑張れなかったけれども、今日頑張っていたから、良いプレーができる”状況・・・。
置かれた時点、状況で、どこの部分までを認めるのかが非常に重要な場合、これらに対して誤って働きかけてしまうと、自分や友達の「努力」「成長」の捉え方を誤ってしまうケースも出てきてしまいます。
簡単に線を引いた方が良い部分、良い状況もありますし、簡単には線を引かず、複雑なラインを見定める方が良い部分、良い状況もあります。
頭から湯気が出てきそうですが(実際に出てるときがありますが・・・)・・・褒める、叱るは、私なりに、こんなことも考えてやっています。

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子供のこと・サッカーのことなどはこちら
  過去の通信文章です。
  子供のプレーや言動を理解しやすくなるかもしれません。
  http://solasolasola.cocolog-nifty.com/omake/
◆天候不良時などの開催情報はこちら
=サッカースクール・ソラ 連絡先=
TEL 042-534-3766
Adre_2
ソラ・ホームページ http://www.sonoyosade.com

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コーチの仕事って

(2007年9月 通信No.61より)

■貫禄
7月、U-12クラス、ある曜日のストレッチ中・・・話の流れ的に、私が「あ、ごめん、実は俺、仙人だったんだ」と言うと(←どんな流れだ・・・)、子供たちが「ウソだー!」。
「ホント、普段は雲の上にいる」・・・と言ったものの「あれ、雲の上にはいないよな」と思い、「それとか山奥にいる」と付け加えたのですが(そういう問題じゃないですよね)、この“雲の上”に子供が食いつき、「はー? ぜってい(“絶対”のムキになった時の発言型)ウソだ!」とある子が言い、さらに他の子が、「(雲の上に)行ってみ!  5分でいいから行ってみ!  絶対無理だから!」と、顔を真っ赤にして力いっぱい声をあげ・・・・。
『お前ら、ウソだってわかるだろ。そんなムキになるなよ。それに「5分でいいから」って・・・長いよ!  俺には5秒だって無理だ、雲の上に行くなんて。』(以上、心の声)
その後、ちょっと練習をしてから休憩に。数人が「トイレ行ってくるー!」と。
すると、さっき「5分でいいから行ってみ!」と言った子が、素の顔で「あ、トイレ・・・」と言いかけた後すぐに「あぁ・・・、トイレ行っていい?」と言い直しました。
あれ? 何で言い直した? 言い直してそれ?  -ん? 普通にしゃべりそうになったところを敬語に置き換えようとしたんじゃないの? 
どうやら逆だな、丁寧に聞きそうになったところを普通の言葉に直したんだな。
んー・・・、それにしても、子供たちが、こんなにコーチに突っ込んでくるスクールって・・・。
練習中も、見本を見せる時に失敗すると嬉しそうなんですよね。見本が上手くいくと、「今ゆっくりだね」(=「だから上手くできたんでしょ」の意)やら、「もっと速くやってみて」(=「きっと失敗するから」の意)などという言葉をかけ、“挑発”してきます。そんな言葉を受けて速くやる時もあります。それで失敗すると嬉しそう。逆にそれでもうまくいくと「じゃぁ、もっと速くやってみて」とまたムキに・・・。
見本って、きれいなのを見た方が嬉しくないの?? ? 君たち。
いったい彼らは私のことをどう思っているんだろう? 
あの話し方、表情からすると、友達・・・いや、友達ならもっと優しくしてくれるよな。
ライバル? ・・・でも、ライバルだったらもっと敬意を持っても良さそうだし・・・。
生意気でうるさい人? ・・・んー・・・たぶん、これだな。
コーチに対してこの態度。
尊敬しているわけでも憧れているわけでもないコーチのいるスクールに(普通はもうちょっと“キラキラ”している目でコーチを見ると思いますが、あいつらの目はギラギラしている・・・)、いつもここに来てくれているということは(ちなみに「仙人」の話をした日は“雨”!)、コーチではなく、色んな友達に会えるこの場が好きで来ているということなので、(ちょっと悲しいですけどぉ)実はこんなに嬉しいことはないのですが・・・。
まぁ、こんな“貫禄”のない私ですが、かわりに豊田コーチに貫禄が・・・あ、まだな~い! だって、今はまだまだ“エネルギー”、“情熱”、“若さ”が持ち味の時期ですから。私にはないすがすがしさ、躍動感があります。
・・・ということは貫禄ある人物不在? えーっ、それは困る・・・

あ、ああ、あああ、いたぁ! 見学されている皆さん、貫禄ありますよ~! 良かった、良かった。これで安心。

■コーチの仕事って
そして他の日のU-12クラス・・・この日、私は5・6年生のゲームを見たのですが、期間的なポイント・目標としていることが、多少はできているけれども(学年を考えると)まだ良くなりそうなので、プレーの吸収状況を確認するために私もゲームに参戦。
すると、ある子から「コーチが(ゲームに)入ると何かシラける」という言葉が。
コーチとしてこんな言葉を言われることは対外的にかなり格好悪いことなので、わざわざ取り上げることもないかと思うのですが、実際にグラウンドであったことですし、今さら格好つけるようなキャラクターでもありませんので。それに、今までの接し方(これからも変えませんが)からもらった言葉なので(=自分の責任)載せちゃいます。
こういう言葉をそのまま受け取るようなことは私はしません。私自身、子供の頃にちょっとかまって欲しい人に嫌な言葉を言うこともあったし、じゃれたり、言い合いを求めることもあったので、(この子が私に好意を持っているのかどうかは別として)「私」に対する子供の言葉には、まず感情的には反応しません。子供が、他の子供に言う言葉や、豊田コーチに対して言う言葉には、子供の理解の度合いによって、話をするようにしていますが。
もちろん、私も人間なので「子供に好かれたい」という気持ちはありますが、あくまで「育てる」のがやりたいこと、やるべきこと。好かれた上で子供が伸びたら、それは結構なことですが、何よりも嬉しいのは(例え好かれなくても)子供が伸びること。これは格好つけているわけでもなく、これまでに色んな子と接してきて、色んな場で色んな子を卒業させてきて思っている自然なことです。あ、「好かれなくても全然平気」なんてことはありません。そりゃ、残念だし悲しくもなります。それでも、「子供が伸びれば、別にそれでいいや」―このスタンスでここまでやってきた上でのことなので、今回の子供の発言も自分の中では納得できることなんですよね。話すと長くなるし熱くなるのでこれ以上お話ししませんが、「子供を伸ばすこと」にこだわるために作ったのがソラですから(来た子は必ず伸ばします!)。
さて、この日 ― 私にそう言った子に対しては、練習が始まる前から、実はかなり厳しめに(ゲーム中のプレーには)私がプレッシャーをかける予定でした。かなり前にも、この子には同じようにかなり厳しいプレーで接してみたことがあります。その時に、すごく強い動き、速い動きを見せたので、機会を見て、この刺激を与えるようにしているのです(ここではこの子に対してどう接する予定だったかということを取り上げていますが、同様に、他の子にも、「この子はこういう感じで働きかけて今は伸ばす」というものがあります)。
この日は、先ほどの言葉を言った後なので、その子は「さっきの言葉を言ったから」と誤解してしまう可能性もありましたが、これで行く必要があったので、決行! 
かなり厳しくボールを奪い、可能な限り負かそうとしました。
あ、「コーチなんだから、勝つに決まってるでしょ」なんて思ってる人、います? 
そんなことないんですよ~、私ですから! そして、相手の子だって、十分に育ってますから。
そのゲームの中で、(やりあう中で)こんな場面がありました。
その子のドリブルしていたボールがラインの外にでる。普段なら、ボールをドリブルしていた子に「出た・出ていない」を判断させ、その子がプレーを続けたなら続けさせます。
―が、この日は、その子はプレーを続けましたが、私が、「出てる。こんなの(自分で)気付かなきゃだめだ」と言って、ボールを返させました。
その時、彼がコートに戻るのと私が外に行く際に、たまたま彼の肘と私の肘がぶつかりました。別に私は謝らず。そうしたら、次にボールが外に出た時、今度は、すれ違いざまにその子から私に腕をぶつけてきました。私はこんなの、大好きです。暴力を振るうとかでなく、汚いことをするとかでもなく、悔しいこと、お前には負けないということを相手に伝える。簡単にあきらめるのでもなく、ムキになれる。相手がコーチだって、ゲームを一緒にやっていれば関係ないでしょう(こういう段階に全ての子が来ているわけではないので、まだそういう段階にない子に無理やりこのようなサッカーを強いることはしません)。
楽しみ方は、「今の年代、現時点での経験、現時点での好きさ」で違うのです。でも、サッカーを好きになればなるほど、年代が上がればあがるほど、真剣にやった時の、こういう勝負、こういうゲームがしたくなるんです。
今、ふざけるような感じでゲームをすることもありますが、それも、後でこういう真剣なサッカーの楽しさを知るためです。段階があるんです。先に、まだそこまで耐えられない状況で無理にここまで真剣なサッカーをやり、形だけでそれを覚えてしまうと、その後で、ふざけるようなサッカーを知った時に、(それまでにその楽しさを知っていないと)そっちにのめり込んでしまうこともあります。そうなると、本来、心の発達的にも、体の発達的にも、真剣なサッカーに耐えられる(そういうサッカーの中で、心身ともに成長できる)年代なのに、それに耐えられず、本当のサッカーの楽しさや自分の可能性を知らないで終わってしまう可能性もあるのです。それでは順番が逆なんです。ふざけてやる、手を抜いてやる楽しさは、真剣にプレーする時の楽しさ、悔しさには到底かないません。そうならないためにも、年代、クラスによって、“今”楽しむべきサッカーを楽しんでいるのです。
あ・・・すみません、話がちょっとそれました。戻します。
そう、そうして体をぶつけてくるほどムキになって「対決オーラ」を出している子。
でも、ゲーム中、彼が浮いているボールをコントロールしようとしている時に私が奪いに行くと、そのボールがほんの少し彼の腕に当たっただけなのに、プレーを続けるのを彼は自分でやめました。“明らかにやめる”というのではなく、「手に当たったから本当は俺のボールじゃない」という感じで、相手(私)にボールを譲る格好です。本人がどう思ったか知りませんが私にはそう受け取れました。そこまで思っていなくても、「手に当たったことを黙ってプレーをそのまま続ける」気がなくなったのは確かでした。つまり、ムキにはなっていても、頭にはきていても、正々堂々とプレーしているのです。ずるをして勝つのではなく。
他の場面でも一生懸命やっていたのはわかります。だからこそ、この「対決オーラ」を出している子の挑戦を、適当に私が受けるわけがなく、できる限りのことをしたのでした。
もう6年生。生意気な口だってきく時期です。うまく気持ちを伝えることができないことだってあるでしょう。私達も、接し方を考えなければならないでしょう。でも、接し方を考えることはあっても、逃げるようなことをしてはならないのです。
この日は、最後までバシバシ行きました。
この子のプレーは2年生の時から見ています。この子が急激に成長したのは、4年生の時のサマースクール。もちろん、それまでも子供らしいすごい速さで上手になっていました。しかし、それまでとは全く質の違う成長でした。それまで、ただ可愛かっただけの表情を見せていたこの子の表情に、強さが加わりました。また、子供から大人に向かう途中の複雑な表情も時おり見せるようになりました。子供らしさ、男らしさ、素直さ、素直になれない苦しさも。
それぞれの段階で、一人一人、伸び方は違いますが、しっかり成長してほしいと思います。
一人一人、“今”楽しむべきサッカーは違っていいのです。
今の彼らが、それぞれの立場で楽しむべきサッカーに優劣などありません。
どれも、素晴らしいサッカー、魅力あるサッカーです。
これからも、みんなが、それぞれのサッカーを楽しめますように。
そんな子供たちの成長を見るために、子供に何と言われようが、私はまだまだグラウンドに立ちます。これからも、どうぞよろしく。

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2010年9月23日 (木)

子供の素のサッカー

(2007年6月 通信No.58より)

U-12クラス。この日は子供たちの“素”のゲームを観戦することに。ほとんど声をかけず、そっと隅で見学。
ゲームは4~6年生ごちゃ混ぜ。コミュニケーションをあまりとる時間もなくゲーム開始。学年も、学校も違う子達と一緒になって、どうなるかと見ていました。
初めは随分スローな展開です。まだ周囲の子とコミュニケーションをほとんどとっていない中でいきなりゲームが始まり、様子を伺っているのでしょうか。それでも私は最小限の働きかけのみ。「お前ら~」と言いたくなるところをガマンガマン。まだ始まったばかり。
それに、こんな「子供たちの素のサッカー」を見れるチャンスは滅多にないので。
・・・・やがて、動きが活発に。そりゃそうです。褒められる、褒められないに関係なく、ただなんとなくやっていたらつまらない。そんな相手に合わせていてもつまらない。
だから、みんなが、「自分」が楽しめるように動き出します。決して明るくというわけではなく、でもちゃんと「自分」から動いている。ウォーミングアップでは、周囲の子と名前を呼び合うようなことはしていないので、「きっと自分にはパスはこない」と思って立ち止まっている子もいます。でも、パスは突然来る。そして、仲間が自分にパスをすることがあるということがわかれば動く。「もしかしたらパスくるかも」と思って自然に動くようになる。そんな感じで、少しずつみんながくっついていきました。知らない子が集まってサッカーをしたら、きっとこんな感じです。まさに子供の世界。良かったです。
相手ゴール前でただ待つだけではパスは来ない。動き回ってやっと手に入れたボール。苦しい時に何もしないで、都合のいい時にだけ出てくる人にはパスをしない。当たり前です。そして、次第にみんながボールがどこにあってもプレーに絡むようになる。
「都合の良い時のみ登場する人」にはパスをしないが、一生懸命ボールを追いかける仲間には、さっき失敗していたってパスをする。「勝ちたいから、勝とうと思ってプレーする」、でも、それだけにしばられない。自分たちが納得するプレーを選択する。友達の気持ちをわかってプレーする。いやぁ、すごかったです。
時には笑いながら適当なコミュニケーションをとってプレーしますが、ワーワー楽しそうにしているわけでも、名前をたくさん呼び合っているわけでもありません。でも、途中で、「こういうサッカー、いいと思う」と言いました。それまでほとんど褒めなかったのですが。
「こういうサッカー、いいと思う」に続けて、「ゴール前でただ待っていてもボールをもらえない」と言うと、ある子が「だって苦労して(相手チームからボールを)取るんだもん」と。その通り。それでいい。それで、みんなが絡みだしたのだから。こう言った子は6年生。
また、相手のボールが自分に転がって来た時に、(ボールをくれて)「どうも!」と言う子。“あり”です。だから相手が程よくムキになり、「この~」とボールを取りに行く。お互いに成長・・・。「どうも」と言った子も6年生。
先ほど「一生懸命走ってくれる仲間にはパスを出す」と書きましたが、特にそれが印象的だった子も6年生。・・・6年生の子から4年生の子へのパスが(パスの相手には)とても間に合いそうもないパスだった時、相手の子(パスの受け手)は、ボールがラインを割るまで必死に追いかけました。パスを出した6年生の子は、かなり「負けるのが嫌い」な子です。
でもその子、その後、自分で突破できそうな時でも、その4年生の子にパスをたくさんしていました。相手の4年生の子も、何とかこたえようと一生懸命でした。また、この6年生の子に、相手チームの4年生の子がボールを何度も取りに行く場面があったのですが、なかなかこの子からボールを取れず・・・でも、その6年生の子がボールを持つたびに、その4年生の子は取りに行って。6年生の子は、ちゃんとその挑戦を何度も何度も受け止めてあげていて、「まだまだ」というのを教えてあげていました。こんなのもすごくいいことです。
そして、ちょっと前の通信で、声を出すことについて、かなり厳しい言われ方をした子が、走るだけでも、名前を呼ぶだけでもなく、このゲームでもすごくみんなに絡んでいました。この子も6年生。
この日にいた6年生の子は、子供のサッカーを、「子供」らしく見事に引っ張っていました。だから、4、5年生も、良いプレーがたくさんできたのでしょう。みんな、ナイス! でした。
そして、翌日の金曜日。天気も良く、通常の練習。U-12クラスのゲーム。
いやぁ、前日の木曜日とはまったく対照的なゲーム。とにかく賑やか。
笑う、話す、呼ぶ・・・うるさい(おっと!)賑やか。ふざけてるのか? と言いたくなるほど。前回(と言っても連休をはさんだので随分前ですが)、みんなが“バラバラ”な感じでゲームをしていた金曜日クラス。だから、今日はみんなが同じように動いて、参加して欲しかったんです。前回は私の注意の仕方、雰囲気の持って行き方に問題があったのでしょう。働きかけるタイミングが少し早かったのかもしれません。話し方も良くなかったのでしょう。前回の子供たちの表情の変化をよく思いだし、変な方向に持っていかないように、自分自身に注意。「グオーッ!」と言いたくなる場面でも、きつい言い方をしないようにあえてスキップしてコート内を動いてみたりして。この歳でのスキップは・・・・。
そして、雰囲気を壊さぬように、必要に応じて、何度か子供たちに説明をしたのでした。
なぜ、「ふざけてるのか?」というゲームでもそこまでガマンしたのか(年甲斐もなく、見ている人に不快感を与えるようなスキップまでして)というと、出ているプレーが、ふざけていたら生まれない、成功しないプレー、ふざけていたらケガをするようなプレーだったからです。特に、まさに「ふざけてるのか、どっちだ?」という「?」状態最高の時に出たプレーが、最高のプレーでした。
自分のところに来たボールを、相手が取りに来たのを瞬時に察知し、サッと浮かし、相手とすれ違う・・・文字だとわかりにくいですが、かなり頭が働いていないと出ないプレーです。・・・その時はそのプレーを褒めていません。間違いなくいいプレーですが、みんなの前で褒める結果、みんながそういうプレーにこだわるようになることを防ぐためです。とっさに判断し、体を動かした。さらにそれを成功させる技術があった。全部が組み合わさったのが良かったのです。うっかり褒めると、表面上だけを真似るプレーが多くなる危険があります。このプレーは、表面上だけ真似てできるようなプレーではなく、そうなるのを防ぐ必要があり、褒めませんでした。ただ、心の中では「やりやがったな、このヤロー」。驚きと感心です。・・・
また、転がっているボールを、前方に速く走りながら、「足の外側で行きたい方向にそのままコントロール」なんてプレーも出ていました。動いているボールを自分が動きながら、行きたい方向へ動かすことは難しく、それを足の外側でやるのは、さらに難しいことです。
他にも、浮き球のコントロール、ボールの奪い合いなど、気を抜いていたらうまくできないようなことが成功して・・・これはおふざけではないと思い、黙っていました。
気づけば、「初めての場が苦手」と言っていた子が大きな声でボールを呼び、走り回り、ボールを何度も触るような、見どころ満載の、みんなが関わっているゲームになっていました。
対照的な2つのゲームでしたが、どちらも良さがある、子供らしいゲームでした。
今はそれぞれのゲームからそれぞれの良さを、子供の頭、肌、心で、十分に感じてほしいと思います。いずれは、「真剣」に勝負するサッカーを求める時がくるでしょう。その時に、おふざけの魅力に取り付かれてしまって、そっちに引っ張られたら、もったいないですから。体が、超真剣モードのサッカーに対応できる体になり、精神的にも超真剣モードで楽しさを感じる年代になった時に、そのサッカーでしか味わえない達成感、充実感をしっかり吸収できるように。今はその準備段階。今しかできないサッカーで、十分に成長してほしいですね。
・・・ついでに言えば、体と心が超真剣モードのサッカーを求めるようになる頃には、当然チーム練習が多くなります。家族で過ごせる時間(過ごすべき時間)が十分にあり(必要で)、その中でサッカーやサッカー以外のことをたくさん経験できる「今」を、皆さん大切に! 

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競争環境

(2007年5月 通信No.57より)

思いつくままに、今回は書かせて頂きます。まとまりのない文章ですがお許し下さい。
現在、月曜日に開催しているU-15クラス。ここに在籍している2人がうるさいうるさい。
さすが、中学生にもなると、通信を自分で読んでいる、さらにホームページもちょこっと見ているらしく、「ねぇ、また俺たちのこと書いてないじゃん」「中学生クラスのことも書いてよ」、時にはホームページにもケチをつける・・・などなど、いちいちウルサ~イ!  
お前たち(←中学生のことです)とは、練習後にたんまりと話をしているではないか! スクールのことも、お前らよくわかってんだろうが。ホームページだって、(ホームページの)充実よりお前らのメニュー考える時間の方が大事だし、やりたいことなの。←さり気なくホームページが地味なままである言い訳を入れてみました。
・・・ついこの前の練習後も、「俺たちのことも書いて」とうるさく・・・。「なので」というわけではありませんが、今回は、この2人のことをちょっと書きます(嫌々?)。
おそらく、この通信も、渡したらすぐに読むことでしょう。そして、こんな書かれ方をしているのを見て、すぐに文句を言うのでしょう。
さて、そんな中学生クラス。ちょっと練習の内容をご紹介しますね。
中学生クラスでは、基本的なことをもちろん練習しますが、それぞれの練習で、スタミナが必要な強度になっています。それは、心肺機能が発達する時期だからです。たまにヘロヘロにしています。**小学生クラスは、年代的に技術の習得がしやすい時期なので、そんな練習をしています。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、技術の習得は頭が働いていないとできませんから、ヘロヘロ状態にはせず練習してます。**
・・・・・・・・・
それにしても、4クラス(U-6,U-9,U-12,U-15)の練習を見ていると、各クラス、年代の「らしさ」「魅力」がよくわかりますね。特にゲームでそれが表れます。しかも、各年代の「らしさ・魅力」に加え、一人一人の「らしさ・魅力」が存在します。それらが十分に表現された時には、何とも面白いサッカーになり、見ていると、「このあとどこまで自分たちの可能性を広げるんだろう」とワクワクします。・・・ただ、いつもそういうプレーばかり見られるわけではなく、(損か特かに関係なく)ボールを出さないようにプレーしていた子が、出れば自分に有利になる場面ではボールをそのまま外に出してしまったり(出さなければ大変な思いをするけど必ず上手になるのに)、相手のボールを取る時に、自分でボールをキープしようとせずにすぐに外に蹴りだしてしまったり(ピンチは脱出できますが、自分にも、他の子にとっても、成長のチャンスがなくなります)・・・。さらには順番的に吸収すべきことがまだ残っているのに、上の年代でやるような“戦術”的なプレーに走ったり・・・なんてプレーを見ると残念になります。もちろん、残念な気持ちになると同時に、どうにかせねばと思い、必ずや成長につなげたいと思いますが。
さて、話は変わりまして・・・5月に入ると、チームに入っている子は様々な大会があるようですね。仕事柄、コーチの方からのご相談を頂くこともよくあります。
やはり、育成年代だという大前提を踏まえている方が悩むのは、「個性」をいかに発揮させるか、ということのようですね。
「個性」を、「偏った技術」と捉える見方がありますが、それは違います。「個性」は、「基本」の上に、成り立ちます。多くの方がご理解されている通りです。
しかし、この「基本」自体の理解を誤っていると、本来、受け入れるべき「個性」をも受け入れないことが出てきてしまうかもしれません。私は、サッカーでの「基本」とは、その年代に必要な、その年代に身につけることができる(身につけることが適当な)技術・体力だと思います。
何も、大人のサッカーに必要な技術が基本なのでも、大人のサッカーのような戦術の理解が基本なのでもありません。子供の年代に合ったものでいいのです。
それがわかっているコーチは、子供の良さをなくさないように、生かすように、伸びる要素を捨てずに、みんなが成長するように考えるから、苦悩するのでしょう。
子供の試合は、単純に「勝ち」=「子供の成長」(「負け」=「成長せず」)なんて式が成り立ちません。そのかわり、「伸びる」という本来の目標に絞ってサッカーをすることができれば、何とも魅力的なサッカーになるのです。

・・・・・・・魅力的なサッカー。U-6,U-9クラスは、いつも魅力的なサッカーをしてますね。
U-12,U-15クラスは、子供が精神的な部分でも色々と変化する時期でもあるので、いつも「魅力的」とはいきません。そんな日があってもいいと私は思うのですが。あ、もちろんゲームが魅力的でなくなるのは私の責任です。すみません。
特にU-12クラスの4月の最終週(ゲームをたくさんやる週)は、曜日によって全く雰囲気が違いました。
ある日は、笑ったり、怒ったり、すっごく真剣になったり、適度~にリラックスしたり・・・色々な表情がありましたが、全部本当。まさに子供度100%のサッカーをしていましたね。
そして、その日の、その“子供サッカー”の中心にいたのは、とても子供らしい6年生。
頼りになるこの子は、普段、私に注意されることもかな~りあるのですが、笑ったり、叫んだり、「燃えたり」しながら、色んな子とプレーを楽しんでいました。
逆に、「あれ、お前らどうしたの?」と思うゲームをする日もありました。今までの彼らなら、「こういう働きかけをすればこうなる」というようなケースで、そうならず・・・。
友達との絡み方がちょっとバラバラすぎる感じで。
4月の第1週から第2週にかけて、曜日によっては、年代的にちょっと早すぎることをやろうとしている子が数人いたので、(まだ覚えるべきプレーではないので)そのことについて話をした日がありました。その月の最終週でのプレーがそんな感じだったので・・・色んな表情があっていいと思いますが、大人のような顔は、大人になってからすればいい、みんな、もうしばらく、子供でいてほしいと思う日があったのでした。
・・・話がずいぶんそれました・・・そろそろ中学生がブーブー言い出すころなので、話題を中学生の子達に戻しましょう。
今は2人で活動しています。高学年の子を練習に参加させることもありますが、子供達はもっと人数がいた方が嬉しいようです。子供たちにはちょっと申し訳ないのですが、それでも(彼らに必要な間は)彼らが伸びる環境は何とか作っていく気です。
さて、この中学生。2人ともいい奴です。実はちょっと前に嬉しいことがあったんです・・・「書いて」なんて言われなくても書く気だったのに、先に言うんだもんなぁ。反抗期なら書くのやめるぞ、やい、中学生! 
ちょっと前、1人の子が練習を続けて2回休んだ時がありました。その時、練習後に1人の子と話をしていると、「あいつがいないと何か・・・」というようなことを言っていました。「何か」の後には、「さびしい」「つまらない」「やりにくい」等の言葉が続きます。
私は、2人がこう思える関係にあることを嬉しく思います。
2人なので、練習内容によっては競争関係になることだってあります。当然、3人、4人での競争に比べ、競争相手がはっきりします。それでも、これまでに、助けたり、助けられたりということがあったから、ちゃんと相手の良い部分を認め合い、協力すべき時は協力する、競争する時は競争する、互いに成長する・成長させることができるような関係になることができたのだと思います。この子達ももう中学3年生。いつまでスクールに来れるかはわかりませんが、いい友達を見つけたものですね。

・・・と、ここで、競争についてちょっと、触れます。
最近、練習に、よく「競争」形式のメニューを取り入れていたので、ご説明を加えますね。
子供達は競争が大好きです。中には嫌いな子もいるかもしれませんが、楽しめる範囲のものは基本的に好きですね。なので、やる気を高めるために、それを利用することはよくあります。
例えば、ワザの練習をやる時に、「もっと早く、速く」と言っても動きの変わらない子が、「競争やるよ~」と言うと急にビュンビュンしだすこともあります。
「お前、それは気持ちの部分が足りないんだろう」と言いたくもなりますが、(実際に言うことも結構ありますが)言ってもダメだけど、やり方やルールを変えれば気持ちが変わるということは、まだその(例えば口で言う)方法よりも違う方法で動きを高める方が自然であったり、言い方を変えて伝える必要があることを示しています。もちろん、その方法でも十分に伝わる段階の子もいますので、併用していきますが。
さて、そんな競争形式。誤解があるといけないのでお伝えしておきますが、取り入れるのは、「子供たちにあった状況、子供たちにあった程度で取り入れる」という大前提があるということです。気持ちを高めたり、より楽しませたり、ドキドキに慣れたり、達成感を持たせたり、逆にリラックスさせたり・・・他にも理由・目的は様々で、取り入れ方も色々ありますが、「子供の成長のため」が大前提です。なので、子供に合わない取り入れ方はしません。
今、心と体がすごく成長する大切な時期なのに、子供たちを適当でない競争環境におくと、逆効果になることもありますから。
何でもかんでも、競争下に置けば、それに勝ったもの、勝とうとする者が強くなるかと言えば、そうとは言えません。
今は、サッカー選手でも海外のチームに行く選手が多く、移籍先での「レギュラー争い」などがテレビなどでもよく話題になりますね。
「フムフム、さすが一流だ。やっぱりもまれないとな」「争いがあるから、強く、上手くなるんだよな」とも思いますが、まだ、自分や相手のことを勉強中の子供たちに、大人と同じような、(彼らに合っていない)「競争」を課したらどうでしょう。
子供がそれを自然に跳ね返しているうちはいいかもしれませんが、うっかりすると、競争に勝ちたいから他人(競争相手)の悪いところを見つけようとしたり、ジャマをしてみたり、自分や他人に適当でない順位のつけ方をしてみたり、レッテルを貼ってみたり・・・オーバーなようかもしれませんが、競争環境の与え方が合っていなければ、時間の経過と共に、そこまで発展する可能性だってあります。
子供のとる、それらの行動は自然と言えば自然です。でも、自然だからいいかと言えばそうではありません。
もともとの状況が、子供たちに合った競争環境でなければ、そこで表れる行動がいくら自然でも、彼らには合っていないのです。***子供が作り出す環境下であったり、発する側・受け取る側の子供にとって無理のない範囲でのものなら、それが成長につながることも、成長するための仮の行為であることもありますから、それらの行動自体が悪いのではありません。例えば、「どっちが先に的にボールを当てる?」というような競争で、先に失敗した子が、“声を出したり”、“笑わせたり”というような方法で、相手の子の邪魔をするのは、どちらも適当な大きさで受け取る・返すことができるので、成長する上ではあっても良いことだと思います。***
適当な競争関係にあれば、友達を素直に認めることができ、それらが良い意味で表れ、吸収し、成長していけるでしょう。友達を認めるのには勇気が必要なこともありますので、強くもなっていくでしょう。しかし、子供の範囲を超えた関係ではそうはなりません。
そこでの勝者になっても、一見、強くなったように見えても、それを支えているのは絶対的な自信でも、自己に対する正当な評価でもありません・・・。
まだ適当でない段階で、適当でないものを求めると、逆に弱さを強さのように出して、弱さを育てることにもなりかねないのです。
どんな競争関係でも、ちゃんと素直に認め合ってほしいと思いますが、子供は今、強さだって身につけている途中 - 適当でない競争環境下におかれ、(正しい努力をすることなく)他人を抑えることや他人が失敗することによって自分が優位に立つことを成長だと勘違いして育ってしまったら、これは本当に残念なことです。
今は、自分を信じること、友達を信じること、それによって互いが成長することをまずしっかり覚えてほしい年代です。そのためには、自分が自分のために頑張ることも、自分が友達のために頑張ることも必要です。また、友達が自分のために頑張っていることを知ることも必要です。
あたり前のことですが、助けたり、助けられたり、それによって、自分の存在や力を知ったり、友達の存在や力を知ったりすることができ、お互いに、(1人でいる時の何倍もの)成長をしていけるのだと思います。
スクールの中での競争メニューや競争環境は、そこからスタートしての、年代にあった「競争」の取り入れ方をしています。どうぞご安心を、ということで・・・。
・・・随分と脱線したようですが・・・中学生の2人は、そんな過程をしっかり踏んできたように思います。だから、今、2人で成長しているのだと思います。

では、競争~友達~成長ということで、最近あったことを。
U-9クラスの子。非常にチャキチャキ足の動く子がいます。
この子、ゲームの時に練習したテクニックによく挑戦しています。自分が上手になるために、自分が楽しむために。でも、それだけじゃなく、友達のためにもテクニックを駆使します。
ある子に得点を入れさせたいから、ドリブルで相手をどんどん抜き、そして友達に点を取らせようとする。パスしたい子に(パスをしたいけれども相手が邪魔をするので)ドリブルにこだわって、そこでテクニックにも挑戦する。そして、成功したらパスを出せる。
自分のためにドリブルをしていても、ボールを取られたら取り返す努力をしますが、友達のためにドリブルをしている時の方が、ボールを取り返そうという気持ちは強くなります。だから、とても成長します。そして、友達が点を入れた時には、すごく嬉しそうな顔をしています。
この子だって、競争に負けるのが大嫌いで、競争に負けると口を尖がらせたりしています。程よい感じで文句も言います。でも、子供の受け取るべき大きさの競争の勝敗なので、合った大きさで上手に、強く、優しくなっているように思います。
ちなみに、友達のためにというのは、(その子が)「サッカーを続けるため」であることもあるし、「(玩具の)ゲームをできなくなるのを防ぐ」ためであったりと、これまた子供たちにあったもので、本当にいいなぁと思います。こういう範囲で、友達を助ける、友達に助けられる、ということを経験することが必要なんですよね。
助けてもらった友達は、少しずつ自信だって出てくるし、自分の存在・力を、友達の存在・力を、子供にあった大きさでわかっていきます。少しずつ、自分のためにも、友達のためにも、頑張れるようになります。
助けられる側、助ける側の双方にとって、自分が頑張ったことを友達が喜んでくれる環境が生まれます。だからこそ、みんながうまくなる - 今はこれでいいんです。
すごく伸びている子が、「僕達が成長するのはこういう時さ」というのを体中で表現してくれているような気がします。
さすがさすが。
・・・・・・最後に、O(オーバー)-30クラスの話を・・・(まだの方もいます? もうすぐもうすぐ!)
ある方(コーチをされています)と話をしていると、その方が、友人のコーチが変わった(とても良いコーチになった)と話して下さいました。その方自身、ご自分のことを「変わった」と言っていました。以前は、勝敗の結果に意識が行き過ぎていたらしいのですが、今では子供の成長を、より考えるようになったとのことです。
これまで、その方とは随分と色んな話をしてきました。子供のプレーについて、子供のすべきサッカーについて、子供が成長するサッカー、成長していくプレーとはどんなものなのか・・・他にもたくさん、一緒にお話をさせていただきました。
最初の頃は、お話の内容も、試合の結果やスコア、戦術的なことが多かったのですが、色々お話をしていくなかで、今では、それらのことはあまり話題に上ることはなく、子供のプレーについて話をするようになりました。
その方が言っていた、友人のコーチの方の変化、これは当たり前と言えば当たり前です。
例えば「勝利」や「優秀な成績」を求めるとしても、それが「子供のため」「子供の成長のため」と思って、子供たちに求めているのであれば、当然、子供のことが気にかかり、子供の顔を見るようになり、表情を見るようになっていきます。そうすれば、次第に子供たちにとってどんなサッカーが良いのか、より深く考えられるようになります。それが、「変化」として表れることもあるのです。
また、別の方が勝った試合の後で、「子供達は頑張っていたけれど、私達のベンチワークが反省点です」と言っていましたが、コーチも子供も、一緒に成長していける、それが少年サッカーの、何よりの魅力、本来の魅力なのかもしれませんね・・・。
あ、皆さんの成長ばかりを書いてしまったので最後に私達の成長話も書きます。悔しいので。
ソラは今、ペアを組んでコーチングにあたっています。せっかくペアが組めるので、一人でグラウンドに立つ場合よりも効果が出るようにしたいと思っています。また、これまたせっかく違う人間が2人なので、それも活かしたいと思っています。
同じような2人がグラウンドに立つ場合よりもさらに効果を高められればと努力しています。
テクニックを指導する際の役割分担(説明役、見本役など)や雰囲気作りの際の役割分担、運営上の役割分担・・・様々な役割分担があります。
コーチ間の意思統一は必要ですし、行動がバラバラではいけませんが、子供をより成長させるためには、それぞれが、相反する役割を担わなければならないことも必要です。
ですから、私が「フンガー! (怒)」となった時には、豊田は落ち着いていて子供をフォローしています。逆に、私がフニャフニャしている時には豊田がビシッとしています。ちなみに、もし私が子供たちにとって良くない言動をしたら、きっと豊田のグリグリヘッドが飛んできて私をKOするでしょう。それぐらいの信頼関係はできています。
子供が起こす行動は、単純に線を一本引いて評価できないことが多いので、様々な役割が必要で、この2人の関係がうまくいかなかった時には、かなり反省です。悔しいですが、そんな時は、その都度話し合って、成長につなげる努力をしています。
さて、まだ今年度は始まったばかり。まだまだたくさんの表情が生まれることでしょう。
皆さんや子供たちに負けないように、頑張っていきますので、どうぞよろしく! 

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「子供が声を出さない」というご相談

(2007年4月 通信No.56より)

よく、「声が出ない」ということで、ご相談いただくことがありますが、「声が出ない子に対して、みんなの前で“声を出すように”と注意をしても、出せなくなるのが普通です」という話をしています。注目されるのが恥ずかしい場合も、まだ失敗を恐れている段階でも、責任感が強い場合でも、他にも様々な理由から、こうなるケースが多いのです。なので、まずはその原因を確かめ、次に、みんなの前で注意をするような感じではなく、声が出せるようにもっていくのが普通です。もちろん他にも方法は色々ありますが。

※通信には書きませんでしたが、「声を出さない」ことに関するご相談が多いので、このブログの一番下に、もう少し、説明を書きますね。

・・・・・・が、4月に入ってからまだ10日しか経っていない段階で、私はこの、“みんなの前で「声を出せ」”という注意の仕方を、U-12クラスの2人の子にしています。
以前、この子達が声を出せなかった頃は、一般的な働きかけをし、声が出るようになりました。が、今回はその時とは違い、“みんなの前で”「声を出せ」というやり方です。
4月からクラスのメンバーが変わったので、これまでのように自然に声を出すことができなかったのでしょう。おそらく、そのクラスに馴染んでくれば、放っておいても声が出るようになるのでしょうが、その前に、(既にその子達はその高さの壁は乗り越えているので)今度は自分で(壁を)乗り越えさせないと。馴染んでから声が出るんじゃ、前に、まず馴染むように働きかけた後の状況と同じになってしまいます。冷たいようですが、すでに「声を出す力」のある子に対して、また前のようなやり方で声を出させるのでは、その部分での成長はまだまだということです。誰かが状況を整えないとできないのでは、まだ本当の力ではありません。ですから、今度は自分で「挑戦して」その力(ここでは声を出す)を出して欲しかったのです。それができた時に初めて、その(声を出す)力がついた、その部分は成長したと言えるのだと私は思います。もちろん、この2人はそれくらいのことを乗り越えられると確信しているからこそ、このような働きかけができるのですが。これで成長しなかったら、当然、責任は(彼らの成長段階を読み違えた)私にあります。
6年生の子は、特に厳しい状況にしました。厳しく働きかけた後に出た声は、たった2回。しかも小さめの声。この2回の声をどう評価するのか。
私は、「プレーし易い状況でのチャレンジ」の何倍も大きな努力だと思いました。しかし、周囲の子はまだそこまで感じられなかったようで、それがちょっと残念で悔しかったですね・・・。   ・・・・・・・・・と、ここまでの予定でしたが、今日(さっきのことがあった日の2日後)、すごいことがあったので続けます。その子がまた練習に来ました。とりあえず登場時はいつものように私にちょっかいを出し、練習中もいつもの感じです。
そして、さぁ、ゲームの時間。
現時点での、素の状態での彼を見るために、この前、最後に見せた成長が本物かどうかを見るために、私は2日前のことなんか覚えていないような顔で、いつものように、ゲーム開始。
開始して数分―嬉しかったですね。すぐに友達の名前を呼び、プレーに絡む。以前、声を出していた頃の何倍も大きな声でボールを呼ぶ。もう、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
・・・コーチングの基本の一つに、「コーチは、全体を見れる所に立つ」というものがあります(練習のセットや形態によっては、それが難しい場合もありますが、基本の一つです)。
が、そんな基本なんか無視してグラウンドに立たなければならない時もあります。見たいけれども見てはいけない、無関心を装って、背中を向けて、背中で感じ取らなければならないこともあります。ただただ心の中で応援することしかできない時もあります。
先ほどの、2日前の、厳しい働きかけをした時も、そうでした。こちらから働きかけた後は、(彼が成長しようと思えば乗り越えられるのであれば)ただ見守るしか、してはいけません。ついさっきまで厳しく働きかけ、本人が今、苦しみながら、それでも乗り越えようとしている時に、まだ乗り越えていない段階で、ちょっとつまずいたから優しくするなんてことをしたら、せっかく乗り越えられそうなのに、その力をつけられそうなのに、その邪魔をしてしまうことになります。彼の努力が無駄になってしまいます。もちろん、助けが必要な場合は助けますが、彼がより大きな成長をつかむために、本人の力、やろうとしていることを黙って見守らなければならない時があるのです。
2日前は実はそんな感じだったので、その後の彼のプレーを見て、本当に嬉しかったんですよね。成長したのは彼であって、私がこんなに嬉しがってもしょうがないんですけどね。
4月、U-12クラスは「プレーに関わること」「自分が今の自分よりレベルアップすること」を目標にしています。努力すべき部分、挑戦すべき部分は一人一人違います。一人一人がそれを意識するように、また、みんなが他の子の挑戦、苦しさをわかる場に、気付ける場に、もっとしていきたいと思います。もちろん、他のクラスの子も。

◆子供が声を出さないことについて(補足)
まず、その原因を考えることから始める必要があります。これは、簡単なようで難しいこともあり、さっと解決しないこともあります。原因を把握することが難しい場合は悪循環に陥ることも、解決できないこともあります。また、原因を把握できた場合で、時間がかかることもあります。
声を出せない・出さないことについてはご相談頂くことも多く、また、ここに来て声を出せるようになったと言って頂くことも多いので、すごく簡単に例を挙げますと・・・・

まず、練習中に見るとしたら、個人的なことが原因なのか、グループ、全体として原因があるのか、それを見ます。
例えば、個人的なことの場合だったとして、それでは、原因は何なのか。
その原因が「自信がないから」だと思える場合、では、「なぜ自信がないのか」-自信が持てないのは何故なのか。
・・・というように、改善すべき部分や働きかける部分を見極めてから、アプローチをかけていきます。
「自信がない」という場合でも、そこに結びつく理由は様々です。いくつも原因が考えられます。実際には、「自信がない」だけが直接的な原因ではないこともあるくらいです。自信がなさそうな子でも声を出せる子はいますし、自信がなさそうな子でも声を出せることはありますから。

このように、原因を見極めていくことは難しいこともあります。ですが、まずはここを把握した上でないと、働きかけを行っても改善が難しい場合もあります。
私も現場でこの課題の改善を行う場合は、色々と状況を把握して、その上で、丁寧にアプローチをかけていきます。

また、現在のサッカー環境や、サッカーだけでなく一般的に子供の置かれる環境や子供の遊び方など・・・そういったものも影響しているように、最近は感じられます。

「声が出なくて」・・・という場合、原因を把握することが難しい場合は、まず、色んなものを取り払うことから始めるといいかもしれませんね。

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表情・手の先・足の指先・体の動き・・・

(2007年4月 通信No.56より)

・・・などから、子供の様子を判断します。「こいつは今、やろうとしているな」とか、「ちょっと様子がおかしいぞ」とか。一目見ただけでは違う(例えばマイナス的な)捉え方をしてしまうことでも、そういう部分を見ると、全く別の見方・評価(プラス的な)になることもあります。
さて、ちょっと話がかわりますが、「スピードを出したボールを止めようとする」「できるだけすぐに追いついてボールを止めようとする」という気持ちの時に出やすい動きがあります。
実際にボールが速いかどうかではなく、また、実際に追いつくのがすぐかどうかではなく、“本人”がそのボールのことを(速いかどうか)どう捉えているか、“本人”がそのボールにすぐに追いつこうとしているかどうかという、心理的な部分が(大きく影響して)生み出す動きがあります。文字だと説明しにくいのでどんな動きかは説明しませんが、そういう動きがあることをちょっと覚えておいて下さいね。後の文章で出てくるので。

さてさて、第2週目にあった一コマです。
U-12クラスでは、ドリブルのスピードを変える練習をちょっとしました。
「ゆっくりの状態から急に速くする」という内容です。練習ではこれを2回続けさせました。
2回続けると
①ゆっくりドリブルして (1回目の“ゆっくり”の状態)
②急に速くする   (1回目の“速くする”の状態)
③また一度(止めるくらいに)スピードを落とす (1回目と2回目のつなぎ部分)
④ゆっくりドリブルして (2回目の“ゆっくり”の状態)
⑤急に速くする   (2回目の“速くする”の状態)
・・・という感じになります。これは意外に難しいんです。
特に、③の「1回目と2回目のつなぎの部分」が難しいんです。
②の部分で速くしすぎると、③の部分で十分にスピードを落とせず、2回目の「ゆっくりから急に速く」ができないのです。
失敗なんか気にせずに②の部分をすごく速くやる子もいますし、2回目のことを考えて、(失敗しないように)②の部分であまりスピードを上げない子もいます。両方大事なことです。うまくなろうという思いは同じでも、現象が全く逆のことがあります。
また、4年生から6年生までいます。本人は「速く」やっているつもりでも、外から見ると(一般的には)6年生の速さに比べれば4年生はゆっくりに見えます。また、ずっとサッカーをやっていて、スムーズにドリブルをしている子に比べれば、比較的経験が浅く、まだ思うようにドリブルで進むことができない子は、ボールをコントロールすることに気持ちが行く(集中する)ので、スピードが落ち、ゆっくりに見えることもあります。
ここで(見る側が)注意しなければいけないのは、これらの「ゆっくりに見える」ということには、本人の努力や気持ちの部分が関係していないということです。ただ、物理的にそう見えるというだけです。本人が、「ゆっくりの状態から、急に速くするぞ」と思ってやっていれば、「速い部分」がゆっくりに見えていても、全く問題ないのです。そういう気持ちでやっていれば、絶対に上手になりますから。
・・・さて、その練習時。様子を見ていると、速くする部分のドリブルでも、周囲の子に比べると、動きがちょっとゆっくりに見える子がいました。
でも、その子の様子をよく見ると、③の部分(1回目と2回目のつなぎ部分)で、前述の「スピードを出したボールを止めようとする時によく出る動き」「できるだけすぐにボールに追いついて止めようとする時によく出る動き」をしています。
このことからわかるのは、本人としては②の部分(速くする部分)ではスピードを出そうとしているということ、2回目の「ゆっくりから速く」も、ちゃんとやろうとしている(しかも、できるだけ早く2回目の④⑤もやろうとしている)ということです。ですから、③の部分であの止め方になるんです。ちゃ~んと、「やろうとしている」じゃないですか。
他の練習でもそうでした。同じように、ふとした行動、しぐさから、「やろうとしている」ことがよくわかりました。
例えば、その日の最初のボールタッチ(足の色んな部分でボールを触る)の練習でも、「やり方を守ろうとして」取り組んでいるために、歩くくらいの速さの時もありました。しかし、そばで見るとゆっくりでも決して気を抜いているわけではなく、一回一回、例えば「足の外側だけでボールを触れ」という時には、右足・左足を丁寧に、しっかりと動かしていました。
ただ、さすがに子供。いつもいつも「超集中」とはいかないのが自然です。当然、話を聞いていないことが原因で、やり方を間違うこともありました。が、それはそれで注意すべきことで、「このメニューをやろう」という時の彼の頑張りは、見ていても気持ちの良いものでした(もちろん、話を聞いていないことは注意しますが)。
前にもちょっとお話しましたが、「今(技術レベルが)どうか」ということではなく、こういう、一人一人の「その子に合った成長」が大切な時なんです。
まだサッカーを初めて数ヶ月の子。大変だったかもしれませんが、子供らしく取り組む子が上手にならないような練習は一切考えていないので、(しつこいですが)この子は間違いなく上達します。本当によく頑張っていました。

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新年度の練習風景から

(2007年4月 通信No.55より)

新年度、クラスが変わってから初めての練習となる第一週目は、適度のリラックスと適度の緊張を雰囲気作りの基準にしていました。緊張している子もたくさんいるので、ものすごくリラックスさせてあげるのも良いかもしれませんが、緊張が強すぎるような場合でも、少しだけ和らげるような働きかけ、「適度」だと思う段階までしか、私は持っていきませんでした。また、緊張感が足りなさすぎる場合は、緊張を高めるような働きかけをしました。
もう何年も在籍している子やこの4月から参加する子など、経験年数が様々で、色々な性格の子が初めて集まる場で、事故やケガが起きないようにするには、どちらの子も近づく、重なる部分のある、このラインがいいかなと私は思います。また、成長するという面からも、せっかくクラスが変わるのに何も変化を感じないで参加するよりは、変化を感じ、その上で自然にできる、或いはちょっと緊張しながらも少しずつ自分で(友達との触れ合いや自分にできることの発見などから)緊張を溶かしていったりする方がいいのかな、と私は思います。
U-12クラスの子の中には、曜日を変えて初めての練習に参加した子が、「俺ね、初めてのところって(周囲に知っている人のいない場)、ダメなの」と言ってきました。これまでの経験で、そう思っているのでしょう。もちろん、それを克服するのも良いことでしょうし、色々な経験を重ねて自然に克服されるというのもいいでしょう。でも、「初めての場が苦手」ということ自体は、決して悪いことではないと私は思います。そういう子だからこそ感じられることや気づけることがたくさんあると思うからです。
なので、そのままでもいいのかとも思うのですが、それでも、その自分への評価(悪い評価ではないですし、自然でいいと思いますが)に、「でもいざとなればやれるんだよね、俺」とか、「でも、頑張ったらそれだけでも楽しかったな」とか、「だけど、友達を増やせたんだよな」なんてものもプラスして欲しいなと、(彼らが大成長できることを知っている者としては)思うのです。もちろん、適当でない要求は良くないと思いますが、彼らの持っている可能性に相応しいものは(彼らが自分の可能性を知る意味でも)必要かな、と思っています。
さて、そんな第一週目の練習。各クラスの様子をちょっとだけのぞいてみましょう。

■U―6クラスでは・・・
今の年長さん、みんなお兄さんになりましたね。みんな年中さんの時は・・・。可愛らしさは秘密秘密! 
子供らしい子ばっかりだったので、その時の自然な姿を見せてくれてましたね。
一人一人、行動は違っていましたし、みんなが適度に(?)、一人一人違う方法でコーチを困らせてくれ・・・大人を困らせるのは子供の仕事ですよね。仕事熱心? ・・・そんな子たちだったので、無理のない、自分の成長にあった段階をちゃ~んと経て、それぞれ今、お兄ちゃんになったんでしょうね。ものすごい成長です。
今年も、子供らし~い子ばかり。また一年、年中さんと年長さん、少しずつお兄ちゃんになっていきそうで、楽しみです。

■U-9クラスでは・・・
新しく1年生になった子で、コートの中になかなか入って来ない子がいました。
一番乗りなのに。コートの中にはボールがたくさん転がっています。幼稚園の頃はすぐに中に入ってボールを蹴りだしていたのですが、コートの中を見ても、なかなか入ってこない。「ボールが大きい」のが気になったそうです。U-6クラスのものより、ちょっとだけボールが大きいんですよね。クラスが新しくなったことのドキドキもあって、この「ちょっとだけ」の大きさの差が、この子にとっては「大きな」差に映ったのかもしれませんね。
ボールを見てはちょっと固まる、ボールを見ながら一言何かつぶやいてはまた様子を伺うという、なんとも可愛~い行動をしばらく繰り返していました。
数分経ち、コートの中に入り、少しずつ蹴り始めると安心したようで、ようやく動き出しましたが・・・。その蹴り始めも、様子を伺いながら。顔がちょっと赤かったりして。なんともなんとも・・・可愛いでしょう。

■U-12クラスでは・・・
一週目、クラスの雰囲気によっては、ゲーム前の休憩を長めにとり、「水分補給後、自分で練習をしておくように」言いました。練習をする子、ただなんとなく過ごす子、色々です。
経験はみんな様々です。
現時点で周囲に比べてどうかといったものも大切ですが、サッカーやスクールの経験が違う中で、みんなが上手になっていくためには、「今の自分よりも上手になるために」努力することがとても大切です。
一人一人がどのように練習に取り組むのかー。
木曜日、休憩中の様子を見ていると、周囲に関係なく、ひたすら自分で(相手選手がボールを取りに来ることをイメージしながら)ターンの練習をする子がいました。
同じことを何度も何度もやっています。他のワザはかなりスムーズにできる子です。このターンもそこそこのレベルではできるのですが、「より上手くなりたい」という感じで、一回一回気持ちを込めてやっていました。
この子は週に2回来ていますが、初回の練習時はここまでの行動ではありませんでした。その時は5年生・6年生の子は全体的に、「何となく過ごしている」子が多かったので、(練習開始時にも話していたのですが)練習終了後、「今の自分より上手になること」について、話をしたのでした。そして、次の練習時に、ここまで変わって(変えて)きたのです。初回練習時の、終わりの話を聞いている時の顔を見れば、しっかり吸収していることがわかりましたが、それにしてもさすがだなと感心しました。
上手いとか上手くないなんてことはあくまで現時点でのこと。
さらにパッと見の上手い、上手くないなんて、表面上のこと。努力する中でどう成長していくか、どんなことをつかむのか、学ぶのか。しっかりと中身のつまった成長をできるのか、そういったことの方が大切です。
他のクラスの子もですが、進んだり、止まったり、下がったりしながら、その都度何かを吸収し、みんなが、成長していってほしいと思います。

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卒業・・・年度初めの頃・・・相手の気持ち・・・

(2007年3月 通信N0.52より)

■卒業・・・
いよいよ6年生は卒業ですね。保護者のみなさん、6年生まで(=こんなに生意気になるまで)子供たちの顔を見させて下さり、ありがとうございました。
改めて思うと・・・やっぱり子供たちに対して出てくる言葉は、「ありがとう」なんですよね。
来てくれて、いてくれて、本当に嬉しかったです。これは私だけでなく、豊田も、子供たちも、きっと同じ思いでしょう。
今年の卒業生は、チームに入っていない子も多く、実に個性的な子ばかりでした。
「個性」「その子らしさ」、そういうものがちゃんとありました。そればかりでなく・・・。
きっと、彼らは放っておいても、「個性」「らしさ」を失うことはなかったでしょう。特に働きかけなくても、ほどよく練習し、ほどよく上手になり、ほどよく楽しみ、普通に卒業していったことでしょう。「チームに入っていないのだから、サッカーをあまり上手にならなくてもいいだろう」「この子の良さは優しいところなんだから、優しければ挑戦しなくてもいいだろう」「明るければ挑戦しなくてもいいだろう」「来てくれるだけでいいだろう」・・・そんな風に思っていたら、ほどよく毎回満足して、そこそこの楽しさを胸に、普通の顔で卒業していったことでしょう・・・が、すみません、当然そうはさせませんでした。
「個性」とか「らしさ」というものを、そのまま簡単に逃げ道には使いませんでした。
逃げ道というのは、コーチにとっての逃げ道、本人にとっての逃げ道のことです。
私達コーチが考える以上に可能性があるのに、それを気づかせられないのではいけません。まだまだ気づいていない「個性」「らしさ」があるかもしれないし、磨かなければならない「個性」「らしさ」があるかもしれません。自分だけでなく、友達にもそういうものがある、自分が(友達に)勝手に当てはめている「像」よりももっと違う「個性」「らしさ」があるかもしれません。
それを知らぬまま、知ろうとしないまま、「個性」とか「らしさ」っていう言葉を安易に使って逃げるようなことはしたくありませんでした。
もちろん、「いるだけでいい」時もあるでしょう。その子らしくしているだけでいい時もあると思います。でも、今は、その子らしさも十分に発達する時です。本人に負担になりすぎるのはよくありませんが、心と体の発達を見て、新しい可能性に気づかせることは大切だと思っています。その時に、個性の違う現れ方を知ったり、個性をより強くしたり、あるいは個性を磨いたり、なんてことが起きればと思って練習してきました。
「ここは乗り越えろ」ということや、「乗り越えるのを見ておけ」というような場面も多々ありました。ですから、いつも楽しかったわけではないと思います。苦しかったこともあったと思います。
それでも、毎回、来てくれ、成長した姿を見せてくれた6年生。本当に、「ありがとう」ですよね。
この仕事をして何年も経ちます。昔は、子供たちに、彼らの持っている可能性を伝えたい、そんな思いが一番でした。でも、時間が経ち、彼らの社会にいることで、今は「存在すること」の大切さを伝えたいという思いが一番になりました。自分の存在の大切さと自分の周囲の人(コートの中では友達)の存在の大切さを知ってほしいと思ってやってきました。もちろん、「可能性をもった存在」だということを知ってもらうために、練習の計画は細かく立てて、上達するにはどうすべきか、私なりに考えてやってきました。

「存在」をお互いが認識できる形にこだわってやってきたので、「自分だけで上手になってハッピー」というような練習はありませんでした。存在と存在の掛け合わせの中で、一人一人が上達するように考え、接してきました。一人だけで独立して存在できる空間ではなかったのです。
一人で練習している時でも、実はみんなで作っている空間だったのです。
これは、もしかしたら、子供たちにとって疲れること、大変なことだったかもしれません。
でも、同時にパワーをもらえること、前向きになれることだったのだとも、思っています。
大変だったかもしれませんが、しっかりとついてきて、自分以上の自分になるために「個性」「らしさ」を強く発揮し、時には「自分らしくない姿」で挑戦をし、存在し、大成長を見せた子供たち。存在を掛け合わせた子供たち。耐えるどころか、楽しみに変えちゃう力。やっぱりかないませんね。いやぁ、脱帽です。色んな意味で、ありがとう。これからもしっかり存在していってほしいです。

■年度始めの頃・・・・・・・さて、そんな卒業生を送りだすU-12クラス。
実は今年度が始まった頃にはこんなことがあったんです。
登場人物は、6年生の子、A君と5年生の子、B君とC君(A君、B君、C君としましたが、この中の誰かが悪いとか、誰かが良いとか、そんなことは一切ありません)。
A君はチームに入っていない、ちょっとおとなしい子。B君、C君はチームに入っていますが、当時はそんなに目立つ子ではありませんでした。さて、そんな3人の話です。
休憩に入る時(子供たちがコートの出口に向かう時)、コート内で、B君とC君の2人が、A君にちょっかいを出していました。それがA君はイヤだったようです。遊んでいるようですが、表情は困っています。笑っていても、楽しくないのはわかります。そして、コートの外に出ました。
3人が気になり、コートの外での様子を見ていました。A君がネットに寄りかかってます。それに砂をかけるB君。笑いながらやっているので、遊んでいるようにも見えます。A君はイヤがってはいますが、明らかに怒ったりしているわけではなく、ちょっとの間、それが続きます。A君はそのまま、怒ることなく、そこから離れました。すると、今度はC君が、ネット越しから(なので当たることはありませんが)A君に向かってスネ当てを投げました。これも笑いながらなので、遊んでいるようにも見えます。A君も、ちょっと笑いながら困っている感じなので、はっきりと拒絶しているのかは、B君、C君にはわかりにくいかもしれません。でも、ことの流れを見ていた私には、その笑い顔から、本当はすごくイヤなんだということが、よくわかります。
その場では目立つような注意をせず、まずはA君に気持ちを聞きました。「イヤ」だったそうです。目を見て、すごく嫌だったんだなと改めて思いました。ただ、B君、C君が、A君を嫌いだからそういうことをしているのではないということも、(ずっと子供たちを見ているので)わかっていました。ですから、「嫌いだからそういうことをしているのではないと思う」という話をA君にしました。同時に、「本当にイヤなら、はっきりイヤと言っては」というような話もしました。
A君の気持ちを確認した後、B君、C君を呼び、A君がどう受け止めているかを話しました。2人はただ楽しいからやっていたのかもしれないけれども、誰かにイヤなことをされ、イヤだから違う場所に行ったら、違う人にまたイヤなことをされる。ささいなイタズラ、ちょっかいかもしれないけれど、そんなことを1人、2人と立て続けにされたらどんな気持ちになると思うか、相手の顔をよく見ろ、(どんな気持ちの表情かわかれ)というような話を2人にしました。

もちろん、2人の気持ちも確認しましたが、A君にイヤな思いをさせるためにそんなことをしていたわけではないので、相手がどう思っているのかを話した段階で2人はわかってくれたようでした。自分の気持ちの伝え方、相手の気持ちの受け取り方、非常に難しいものですが、ちゃんと伝え合うことができるように、お互いの誤解からつまらぬ方向に行かないように、そんなことを話したのでした。これは、3人に同時には話さず、A君にはA君への話、B君、C君には2人への話をそっとしたので、“コーチの目の前で「ごめんなさい」”というような終わり方はしていません。そのかわり、そういう場がない分、相手の気持ちをわかった今、どんな行動をとるのか、自分で考え、行動するのをちょっと見ていました。相手にイヤな思いをさせたのなら、「違うんだ」「ごめん」ということを伝えなくてはなりません。イヤな思いをした側も、今からどう相手に対応するのか。私は2人の顔を見てもう大丈夫だと思い、「こうしたら?」なんてことは一切言いませんでした。
みんなちょっと大変かもしれませんが、それだけのことをしたのですから、それぐらいは自分でしないと、イヤな思いをしただけ、させただけで、経験になりません。成長につながりません。
さぁ、どうする? 子供たち。
練習は2人組や3人組でやる練習もたくさんあります。次からの2人組、3人組の練習の時に、B君、C君がとった行動はいかにも子供らしいというか、素直と言うか、不器用というか・・・。
照れながら、さっとA君と組む、組もうとする。そして、一緒に組めた時に(ストレートには言えなくても)何とか気持ちを伝えようとしていたのでした。
さてさて、その後、どうなったのかと言うと・・・
今、私の手元には、U-12クラスのスクール風景を撮った写真があります。
その中にはA君のすぐそばにB君、C君がいる写真があります。そのクラスでは、子供たちが集まっているところを撮った写真はたったの3枚。でもその貴重な3枚の全て、A君のすぐ横にB君、すぐ後ろにC君がいます。これが彼らが出した「結果」なんですね。成長の姿。偶然とった3枚で。
私も、写真を撮っている時はそんなこと考えないで撮っていましたから。今回、この話を書いて、「そういえば、写真撮ったな。あいつら、どう写っている?」と見てみたら、こんなことになっていたんです。さすがですね、子供の力。まぁ、これまでに私は十分にグラウンドでこういう結果を見せつけられてきましたから、今更驚きませんが・・・って、やっぱり驚き! (だって普通、偶然で本当にここまでなりますか?? ??)
>おまけのおまけで、3枚の写真を説明します>

2枚は前向きで写っています。いい笑顔です。そして、3枚目。これがなかなかです。1枚目、2枚目も良かったんですけど。3枚目は後ろから撮ったものです。豊田コーチの話を聞いているところだと思います。A君の後ろにいるC君が、やっぱりA君にちょっかいを出しています。ボールを持って、A君の頭に後ろからちょこんとくっつけてます。もう、関わりたくて、関わりたくて、しょうがないんですね。A君もそれを余裕で受け入れてます。
お互いに信頼関係が、もう、あるんですよね。深い部分での気持ちが分かり合っている。その上での、この“ちょっかい出し”と“受け入れ”。いやぁ・・・言葉が出ませんね。
ちなみにこのB君とC君。別の機会にA君を撮った時にも、ちゃっかり一緒に写っています。
C君なんて、私には見せないような、この上ないキラキラ笑顔で写っています。コノヤロー・・・。
こんなこともあったU-12クラスだったんですよね。しかも、これはあくまで一例で、ここに登場しないみんな、同様の成長を見せてくれたのでした。だから、「みんな、ありがとう」なんです。

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子供の一言から

(2007年1月 通信No.51より)

■「おかあさんが今日来るよ」
U-12クラスの子が、私にこう言ったんです。普段、「こらぁ、もっとちゃんとやらんかい」と注意をすることや、「んっ、コイツなりにちゃんとやっているようだから(怒らず)見ておこう」と言葉を飲み込むことも多い、実に大人にはわかりにくい子供ラインを行っている子です。子供の理想だとも思います。大人には簡単にわからない。
この子が、さっきのようなことを言い、さらに「お母さんに何か話してよ」とまで。
あることないことじゃんじゃん言うこの私に(←冗談ですよ~)「話せ」と促すとは。
どう思います? みなさん。 自分で、「自分がちゃんと練習をしていない」と思うのに「親に何か話して」って言いますか? もちろん、そういうサインを送ることもあるかもしれませんが、今回は、自然に捉えて良さそうです。つまり、やっぱりその子はその子なりに、ちゃんと練習に取り組んでいたんですね。実際、きちんとゲームの中などで成長を示していたので、みんなの前で褒めたこともありますが。このヤロー、普段は生意気なのに、かわいいんだから。
・・・本当に、自分の取り組める範囲(の中の高い集中状態)で取り組んでいるのか、子供らしく楽しんで練習しているのか、それともただふざけてしまっているのか・・・そんな様子を見て自分なりにアプローチしてきましたが、無理をさせていないか、気になっていたので、こんな言葉を聞けて、この子が頑張っていることがわかったことが嬉しかったのと同時に、この子の今の伸びる段階や、一生懸命の時の表情をよりつかむことができ、良かったと思いました。

■「長い距離、ドリブルができたよ」「左足でシュートしたよ」
U-9クラスの子です。
雨で練習が中止になった時に、一緒にゲームをした時の子供の感想(というか会話の中の一言)を後でお母さんから聞くことができました。
「長い距離ドリブルができた」ということを言っていたようです。確かに長い距離ドリブルしていました。直線的でしたが、ほぼ全速力の状態ですね。最後は左足でシュートを打っていたのですが、この時は、彼にとってはごく普通のプレーかと思っていました。最近、力もつけてきているし、これぐらいは自分では何とも思わない(段階まで来ている)だろうと思っていました。だから、その時は特にそのプレーには触れなかったのですが、後で話を聞いたら、先ほどのような一言があったようです。しかも、次に私にあった時には「この前、長い距離ドリブルして左足でシュート打てたのに」と言ってきました。この子にとっては、あのプレーがそこまで頭に残るプレーだったのですね。私的には、もう一つ上の段階の要求を考えているところでしたが、(実際に一つ上の段階の要求でも、この子はそれにチャレンジして、達成感を得ているとも思っていたのですが)その段階のことを注意したり褒めたりするよりも、まだこの段階を十分に味わう方が良かったのでしょうね。
これからグングン伸びる時期なので、「今、すごく上の段階・環境にいる」ことよりも、「今、吸収できる段階・環境にいる」ことの方が重要です。そのためには、高すぎる要求でも、低すぎる要求でもなく、伸ばせる要求をすることが必要です。さりげない一言ですが、「こんなことを言っていた」ということを聞けたお陰で、また、子供が「こんなことがあった」と等身大で興味を持った話をしてくれたことで、この子のプレーをより適当な基準から見る、より適当な段階を注意してみることができるようになったのでした。

■「でも、はじめの頃からは(比べたら)増えてるよ」
これまた子供なりに挑戦していたことがわかる発言なのです。
スクールの練習は2人組などで行うものがあります。コーチがペアを決める場合と子供たちでペアを決めさせる場合があります。また、子供たちがペアを決める場合でも「違う学年同士で2人組」や「違うチーム(学校)の人と2人組」などと条件をつける場合もあります。色々なことを考えて、こちらで決めたり、条件付きで子供に任せたり、全てを子供たちに任せることもあります。
ただ、子供によっては、色んな子と友達になってほしい場合や、普段は一緒に練習をしない子と練習をしてほしいこともあります。
・・・この前、2人組の練習などの際に組む相手にちょっと偏りの出てきた子に、「○○君とは組んじゃダメ」という条件を出しました。理由は単純に「色んな子と練習をしてほしい」「色んな子とコミュニケーションをとれるようになってほしい」からです。ゲームでのプレーや練習の様子から、今はこの子にはこういった事が必要だと判断しました。そして翌週、この子に「この前、コーチが言ったこと、覚えてる?」と聞くと、「覚えてるよ。でも入った頃より、これでも(新しい友達の数)増えたんだよ」と言いました。怒って言い返しているのでも、困って訴えているのでもなく、とても自然にこう答えました。それを聞いて、色んな友達とのコミュニケーション作りについては、「こいつもこいつなりに努力してたんだ・・・」と分ったのでした。普段の行動からだけでは、そこまで意識していることはわからなかったのですが、本人がしっかりと「増えた」と認識できるくらいまでには、ちゃんと意識して、違うチームの子の名前や違う学校の子の名前を呼んだり、2人組の練習などもしていたのですね。
・・・・・・・この話には続きがありますが、それはまた機会があったらお話しします。

■「どうやったらボール飛ぶの? (強くけれるの?)」
2年生の子が私に質問をしてきました。まだボールは強く蹴れなくていいのですが、その子はチームにも入っていますし、周囲に強く蹴れる子もいるのか、心配なようです。
その子はドリブルで色んなワザに挑戦し、テクニックを身につけてきているので、「今はドリブルが上手になる方がいい」ということを伝え、まだ不安そうだったので、(ゲームを頑張ってやっていれば、ボールを蹴る時に自然に踏み込む感覚が身についていくので)「ゲームを今のように頑張るように」話しました(スクールでは細かいボールタッチもやっていますので、蹴る時に必要なコントロールを養う要素、正確にボールを捉える感覚はどんどん身についていきます)。
本当は今の段階ではこの子の今のプレーで十分なのです。うっかり強く蹴れるようになってしまうことの方が心配です。年齢が低いうちは、強く蹴れることであらゆるピンチを脱出できたり、攻撃の時に活躍もできたりします。すると、ますます力あるキックに頼り、本来なら今の段階で身につけるべき必要な技術が伸びなくなってしまいます。そして、年齢が上がり、みんなが自然に強くボールを蹴れるようになった時には、それまでの武器だった「強いキック」だけでは、それまでのように活躍できなくなるようなケースも出てきます。頑張っていたのにそうなってしまうとイヤなので、そんな強力キックを教えるようなことはしないのです。ただ、子供が強いキックに憧れるのは自然ですから、そんな時は周囲の人がちゃんと話してあげることも必要だと思います。今回は、お母さんも、今の年代に大切なことを理解されているので、無理に(後で伸びるところを)伸ばすようなことはせず、今のプレーを認めてくれているので、子供にとっても本当に良かったと思います。

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雨降って・・・

(2007年1月 通信No.51より)

■U-12クラスの“雨降って”・・・①
もうだいぶ前になりますが、通信No.49のおまけコーナー(「コミュニケーション」という題)で、ある2人の子のことをお話しました。
※ある子が、ゲーム時の味方の子のプレーに関して感じていたことを、練習後に相手に伝えた時の話を紹介しました。
あの後、(色々考えながらやっていたので)この2人が強く接点を持たなければならないようなチーム分けにするのには、実は少し時間を置いていたんです。中途半端な時期・タイミングでは、あの時に得た気持ちが、2人にとってマイナスに作用する可能性があるからです。
そして、2人の様子を見て、もう時期的にもいいだろうということで同じチームにしたのですが・・・、本当~に、お互いが「自然に」よく絡み合う、絡み合う。
「意識して」っていう感じではなく、あまりにも自然に絡み合っているので、本当に驚きました。おそるべき子供の吸収力、回復力ですね。
U-12クラスの12月のテーマは“コンビネーション・プレー”。
自分と仲間との2人で、相手を突破して行くことをテーマに練習していました。
今まで1人で突破していたものを2人で突破する・・・「人数が増えるんだから簡単」と思えるんですが、これが実は全く反対。逆に難しいんです。
パートナーが何を考えているかなんて、なかなかわからない。こっちが考えていることをわかっているのかも、わからない。お互いに伝え合わなくては成立しない。
しかも、ゲーム中に(一回に)ボールを持てるのは数秒。その間に、お互いに意思疎通を図る・・・難しいのは当然ですよね。でも、これができるようになれば、1人の時の何倍もの力になるんです。ただ、中途半端にしか意思疎通ができなければ、逆に1人の時よりも力は下がるんです。
もちろん、ゲームでは「練習したことに挑戦しよう」ということを子供たちに言うので、挑戦しようとします。が、本当に難しいことなので、成功することはもちろん、挑戦することさえ、なかなかタイミングがつかめなかったりして大変なんです。さらに、お互いに数回うまくいかなければ、プレーが消極的になることも考えられます。
・・・そんなことがテーマだった12月。このテーマの時に、何度も何度もコンビプレーを試みることができた、成功させていたのが、先ほど挙げた2人なんです。
コンビネーション・プレーの、真のポイントは、相手の存在が自分の心・頭の中にあるかどうか、自分の存在が相手の心・頭の中にあるかどうか、です。
・・・あの時、伝え合い、心に何か残ったから、次からの練習で以前よりも相手の存在感がそれぞれの中で大きくなって、いつの間にか、自然に心・頭の中に存在するようになったのだと思います。
まさに「雨降って地固まる」ですね。

■U-9クラスの“雨降って”・・・
プレーのタイプも性格も全然違う2人が仲良くなりました。-が、その前にはやっぱりお互いに気持ちの食い違いがあり・・・で、その後、仲良くなったのでした。そして、ちょっと前にはシューズが色違いだったことで盛り上がっていたりしたんですが・・・これだけでは終わらず、この2人が2学期の最後の練習で、またちょっと見せてくれました。
1人がドリブルでガンガン行くと、それを見たもう1人が「1人で行くなよ」と。
「行くなよ」と言った子は、そう言うだけあって、(以前はその子ならドリブルをしていたような場面でも)パスを出していたので、その要求もわかります。―が、言われた子はただ積極的にプレーしていただけなので悪気はなく、言われてちょっとだけいやな気持ちになったようです。
しかしその後、「行くなよ」と言った子も、自分がボールを持った時にパスするタイミングがつかめずにドリブルをすることもあり、もう一人の子の気持ちがわかったようでした。また、その子は、その後、大切な場面でもう1人の子へ何とかパスをつなごうとする場面があり、相手の子も、「ただ文句を言われたのではない」ということがわかったことでしょう。
前にもこの2人が同じような感じになったことがありますが、その後、一度仲良くなり、さらにその後の「今回」なので、以前よりも2人の関係に深さが加わったことだと思います。
雨降って地固まる。降って、固まって、また降って、また固まって・・・。何度も何度も繰り返して、関係がより強くなっていくのでしょうね。成長は終わらず! 

■U-12クラスの“雨降って”・・・②
ある日のゲーム。
もう終了時間を過ぎました。そこで、「ボールが出たら終わり」と子供たちに告げると・・・。
ゴールキックを蹴る子がロングパス。そして得点が決まり、練習終了。
最後のプレーが、ゴールキックからの一発ロングパス。しかも、そのボールを受けた子は、いたずらっ子らしく、わざとすぐにはシュートせず、じらしてシュート。
・・・終わった後、みんなでコートの出口に向かって歩いていると、不満気な子が一人。
この子はゲーム中、かなりワザやコンビプレーにこだわっていました。だから、こんな簡単なプレーで終わり、しかも失点で終わり、納得いかなかったのでしょう。
表情を見ても、「あのプレーで終わったこと」「終わりにしたこと」に腹がたっているようで、不満顔のまま、すぐに帰りました。気持ちはすごくわかりますし、私が同じ立場でも、同じように帰ったことでしょう。でも、こんな日があってもいいと思います。
悔しい気持ちいっぱいで帰る。コーチにだって不満な顔をして帰る。気持ちをぶつけて帰る。いいじゃないですか。一生懸命やっていれば、こういう気持ちになることだってあるでしょう。
私が(大人の意見として)その子に「こんな日があってもいいと思う」と言うと、その子は「ない方がいい」と言っていましたが。当たり前ですよね。今はまだわからなくていいんです。
さて、この子はもうすぐ6年生。U-12クラスの最高学年になります。
このぐらいの気持ちでやるから、ものすごく充実した時間になって、より強く、より上手になっていくのだと思います。
悔しさもひっくるめて、サッカーの本当の楽しさを、自分でどんどん見つけていくことができるのだと思います。最高学年となる、これからの成長が楽しみです。

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2006年のお礼

(2006年12月 通信No.50より①)
もうすぐ、今年の練習が終わります。
今年もここまで大きなケガや事故等なく、スクールを開催することができました。
これも、日頃から本当に色々とご協力頂いている皆さんのお陰です。
残りわずかですが、最後まで気を引き締め、子供たちが安全にサッカーを楽しみ、楽しく新年を迎えられるよう努力したいと思います。
皆さん、今年も一年間、ありがとうございました。
・・・「ありがとうございました」・・・普通のお礼のようですが、私にとっては、こうして今年も楽しくスクールを開催でき、無事に一年を終えることができることは、本当に「ありがとうございました」なんです。

私は、(図々しくも)私なりに子供たちを守っているつもりでスクールをやっています。
本当に図々しいですよね。それに、“つもり”であってはいけませんね。ただ、私自身は「守っている」と思っていても、「実際にどうか」というのは皆さんにご判断いただくところですので、こんなに図々しい私ですが、普段、子供たちを守っている皆さんに対しては、そこはさすがに“つもり”と書かせて頂きます。

1回の練習が終わり、次にグラウンドに立つまでの間 - その短い間に、色んなことが起きています。社会でも、グラウンドの中でも -  嬉しいことも、そうでないことも。
起きていることの一つ一つに過剰に反応するようなつもりはありません。しかし、それでも、子供たちが被害者になったり、加害者になったりという出来事を見ていると、「こういうことは伝えた方がいいのではないだろうか」ということが、自然に心にたまります。
もちろん、独りよがりの考えでは良くないですし、子供達はサッカーを楽しみに来ているので、サッカーの楽しさとかけ離れているようなことは伝えません。内面の部分ですから、自分自身に問いかけ、豊田(コーチ)ともよく話をし、私の自己満足にならないように注意もしています。サッカーの上達を妨げるようなことはしませんし、むしろ、上手にすることは大前提です。
そして、そのようにして出した自分の考え、思いを、私はグラウンドで表現するようにしています。自然に出てしまっている、と言った方がいいかもしれませんが。
ですから、時には「何でそんな言い方をするのだろう」・・・もしかしたら、見ている方がそう思ってもおかしくないような激しい言い方をすることもあるかと思います。“時には”どころじゃないような気も・・・。
たくさんの保護者の方が子供を送り迎えして下さり、練習をそばで見て下さっていますが、その前でも、自分自身を出すようにしています。
こんな言い方をすると偉そうに思われるかもしれませんが、“良い評判”や“良い評価”が欲しくてコーチをしているのではありません。もちろん、会員の保護者の方に満足して頂けることは大変に嬉しく、皆さんに喜んで頂いて、その結果として「良い評判や評価」を頂けるということになれば、それは本当に光栄なことだと思っています。
信頼してくれる方がいるのなら、その方の信頼を裏切らぬよう、精一杯の努力をします。

―が、“良い評判・評価”を得ることが目的なのではありません。
ですから、誰かに見られているから態度を変えるというようなことなどはしません。
上辺だけキレイに整えるだけじゃ伝えられない、そんなことがあるので、こんな風になっています。また、スクールに来ることができない方もいるかと思いますので、通信の「おまけ」などを通じて、日頃のスクールの様子をお伝えするようにしています。私の普段使っている言葉、行動が少しでも正確に伝わり、ソラというスクールがどんなスクールなのかをよく知って頂くためです。
ご入会頂いた際や、通信のたびに、「何か気になることがあればご連絡を」とお話していますが、こういった案内をさせて頂いているのも、私が自分を出すことに対する責任からです。
少しの時間とはいえ、大切な子供を預かっているんです。
その中で、コーチという立場であるとはいえ、自分を出しているんです。子供に対して自分を出したことの責任が、きちんと自分に跳ね返るようにするのは当然です。子供が感じたこと、保護者の方が感じたことを受け入れる責任があります。
今までにも、たくさんの方からご質問、ご相談を頂き、これまでやってきました。
もちろん、まだまだ練習後に1日を振り返り、もっと良い言い方、方法があったのではないだろうかと反省をすることも少なくなく、そういう意味では、きっと皆さんにも迷惑をかけているのだろうと思っているのですが。
・・・申し訳なくも思いますが、それでも、私はこれからも今のように、色んなことを感じながら、表現しながらグラウンドに立っていきたいと思います。
挑戦しなければつかめないものがあります。
今までのように、お見苦しいところをたくさんお見せすることもあるでしょうが、ただ子供たちの成長を目標に、挑戦をしていきたいと思います。

・・・これがソラです。どう見ても、オシャレ~な、スマートなサッカースクールなんかには見えません。だから、それでもずっとここに来ている子、保護者の皆さんには、本当に、本当に、心から感謝しているんです。ありがとうございます。
ついでに言わせて頂きますと、来年もこんなソラでいきます。よろしくお願いします。
今年最後の通信で、しかも「おれい」なのに、やっぱり変な文章になってしまいましたね。
お許しを! 

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スコア・戦績? 

(2006年11月 通信No.49より③)

■スコア(戦績)①・・・スコア? 
チームに入っている方は色々な大会が一段落したころでしょうか。
大会の結果をよく教えてもらいますが、子供達も頑張っているようですね。皆さんのことですから安心していますが、結果やらスコアやら、数字に出るようなものは、ざっと眺める程度でいいでしょうね。
「負けちゃった」と言うことを聞くこともありますが、育成年代の大会は、チームが大会をどのように捉えているかが勝敗にものすごく影響しますので、試合に負けても(例えばそれが大差でも)、それが子供の技術やコーチの指導力とは関係ないこともよくあります。
大会の捉え方―“育成年代”ということを認識していても、子供をどのように出場させるか、チーム分けをどうするか、どんなプレーを目的にするか・・・などで、同じチームでも全然結果が違ってきます。
もうちょっと具体的に書くと、チーム分けでは、経験豊富な子とまだ経験の浅い子がチームにいる場合、今の経験や技術の高さを基準にAチーム,Bチームとするか、経験や技術に関係なくチーム分けをするかで結果は大きく変わるでしょう。交代要員も、状況によって交代させるのか、それとも出場時間などによって交代するのかで、やはり結果が変わることもでてくるでしょう。
どのようなプレーを目的とするかという部分では、「パス禁止」や「ドリブル禁止」「ロングキック禁止」など、個人を上達させるための制限を持たせることが結果に影響することもあるでしょうし、チーム全体でなく、一人一人にプレーの目的を与えても、同様に結果に影響があるでしょう。
その時点での良い結果を狙えば“良さ”が出て“悪さ”が出ない戦い方に、練習の成果や個人の技術を見ようとすれば、“良い(伸びている)部分”、“悪いところ(まだ改善すべき部分)”がはっきり出るような(ハードルを何かしら設ける)戦い方になるでしょう。もちろん、育成には厳しい部分も必要ですから、チームのその時の状況によって「勝ちに行く」大会があってもいいのかもしれませんが。
個人が伸ばされていて、子供を伸ばすサッカーをしても良い結果を得るチームもあるにはありますが、特に小学生年代では、子供を伸ばそうと思っているチームほど、良い結果(戦績上の)を残せなさそうな戦い方をすることもあり、実際に相手チームがその試合にどのように臨んで来ているのかは、相手チームのコーチでないと分からないこともあるので、どこのチームに何点差で勝ったとか負けたとか・・・そういうことがチーム力や個人の力の目安にならないことも多く、ましてやグングン成長していく子供のこれからの可能性の目安になどなるはずもないと思うので、私は気にしないでいいと思うのです。
■■おまけのおまけ
新しい友達が増えてきました。チームに入っていない子や、入っていてもまだ経験の浅い子もいます。「大人のサッカーを知らない」こういう子は、実に素直な動き、反応が多く、見ていてとても良いと思います。興味ある対象(ボール)に引っ張られて足が動く-これが良いですね。当然伸びるでしょうね。

■スコア(戦績)②・・・結果にこだわらない子になる? 
スクールのミニゲームでは、ゲーム毎に「○対○」とスコアをつけないことがほとんどです。なんか、子供がスコアに全然こだわらなくなりそうな環境ですが、そんなことはありません。
実際、(チームに入っていない子でも)シュートが入ったかどうかでよくケンカをしています。また、ゴールに入りそうなボールを、いつもニコニコ顔の子がスライディングして防ぐこともよくあります。
子供たちは、ほどよくスコアを気にし、自分たちにあった、ちょうどいい捉え方をしているので、特に私が言うことはないのです。ほどよく捉えていないと思う時は、逆にスコアを言って気にさせますが。
―が、ここで私が、例えばあるチームに肩入れし、得点毎に「ナイスシュート!」などとやってしまうと、ロングシュートや安全第一のクリアーなどがきっと増えてしまうのだろうと思います。
・・・なので、良いプレーかどうかを見ながら“喜び度”を調整しています。これでも大人ですから。
子供のスコアの捉え方は、経験年数、性格、その他の要因で一人一人違う部分もありますし、同じ子供でも成長するにつれ変化していくものです。
良い結果、悪い結果に関わらず、その時点での技術や経験、置かれている状況などと明らかに離れている意識の仕方をしていると、成長を妨げてしまう部分もありますので、その時の子供に応じて、適当な意識のさせ方を心がけていきたいと思います。

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成長したじゃん

(2006年11月 通信No.49より②)

子供達はよく(ピエロのように)ボールに乗りたがるのですが、これをやらないようにスクールでは注意をしています。バランスが崩れて転ぶと、手の骨や腕の骨を折るケースがあるからです(ソラではまだそんなことは起きていません)。
コートには他にも大勢の子がいますので、友達とぶつかったり、予想していないことも起こるため、一人でボールに乗っている場合より(それも危ないですが)何倍も危ないのです。
さて、10月のU-9クラス、3年生の子・・・。
ゲームの休憩時に、何度も注意されている“玉乗り”をしたり、ゴールに登る(ぶら下がる)子がいました。もちろん注意をします。しかし、ゲームをしている子が一生懸命プレーしている時に、そのプレーを見ないで、ずっと(ゲームをしていない子、注意を聞かない子に)注意をしてばかりいたら、肝心なゲーム中の子供の“一生懸命”を見失うことが出てきてしまいます。
頑張っていてもまだうまくプレーできない子も中にはいます。そういう子には、良いアドバイスを与えられれば、それを吸収してグーンと伸びる可能性があります。だから、そういう場面は見逃したくないのです。
また、注意を聞けない・約束を守れない子がいたら、その子たちも、その周囲の子達もケガをする可能性もあり、これも守らなくてはいけません。
・・・今までに何度か「自分達で注意しあう」ように子供たちには話しています。3年生と言えばまだ子供ですが、子供なりにできることはあります。実際、これまでにも友達を注意できた子もいたし、そういう場面を何度も見てきています。
さて、この日、「危険なことをしているとどうなるか」「一生懸命やっている子が上手にならない・見てもらえない環境は変じゃないか」という話をした後で、私は「ふざけたり、約束を守れない子を注意するよりも、一生懸命プレーしている子のゲームを見たい」、だから、「もうそんなこと(これまでに何度も注意して来たことは)言わない」ということを子供たちに言いました。すると、隅に座っていたある子が(コーチが言わないなら)「じゃぁ、俺が(友達に)言う」なんて言ってくれるじゃありませんか。そして、その隣に座っていた子も「俺も言う」と。
コーチに注意をされていて、声をあげにくい雰囲気…しかも、ちょっとコーチに“反発”みたいにも受け取られる状況だったのに。
コーチにもどんどん思ったことを言うように、これまでに何度か話したことはあります。が、この雰囲気で言えるのは、ちょっと、ちょっと~、成長じゃないですか! 
“友達に言う(注意をする)こと”を“コーチに対して”言っちゃって!  (偉いぞ、小僧!)
この時は、子供たちが危ないことをしないように、危ないことをする“本人(達)向け”に話したので、周囲からこんな言葉が出るとは思っていなく、驚くと同時にすごく嬉しかったです。
子供たちの様子をしばらく見守りたいですね。あぁ、楽しみ。
―と、これを書いているのは練習の翌日で、この通信を出すのはその数週間後。
そして、「俺が言う」と言った子二人は、結構・・・ふざけん坊・・・。うむむ、ちょっと心配。
「せめてこの通信が出る時までは頑張れよ、子供たち」…という希望を込めて、ペン(指)を置きます。
さぁ、どうなってるのでしょうね。
※「玉乗り」はほとんどの子が経験することです。それをスクールで注意されるのも、ほとんどの子が経験しています。一度や二度の注意で約束を守れないことも、多くの子が経験しています。→なので、今回登場した「玉乗り少年」が“悪い子”だなんてことは全然ありませんので。

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コミュニケーション・・・

(2006年11月 通信No.49より①)

ちょっと前になります・・・9月のU-12クラスの話です。
練習後、ある子が、ゲームでチームメイトだった子に話しかけました。
「あのさぁ、もっとパスしてよ。パスしてくれないから、みんな困ってるんだよ」と。
言われた子にも理由はあったのですが、何も言わず終了。惜しい・・・というところです。
せっかく友達が「こう思う」ということを言ってきたのだから、それに対してちゃんと答えて欲しかったのですが。理由があったようなので、尚更言って欲しかったですね。
2人が別れた後、言った側の子には、(気持ちを言ったのはいいことだけど)できればゲーム中に言えるともっと良かったかも、ということを話しました。その方がお互いに状況・気持ちがわかり、ゲーム中に修復できるかもしれないので。また、言われた側の子には、考えを相手に言わなければわからない(こともある)、ということを話しました。
双方に正しいところがあるし、改善しなければならない部分もありました。だから、お互いに話し合うことができれば、そこが見えてきたと思うのですが、そこまでお互いに行かなかったので、それがちょっと残念でした。もちろん、こういう状況になったのは私の責任なので、悔しいですが、根本は私がそこまでグラウンドの雰囲気をつかむことができなかったということです・・・。
そして、次の練習日。この2人が揃いました。前とは曜日が違うので、全く同じ状況とまではいきませんが、それでもその2人の関係を再構築するのにふさわしい環境(以前とほぼ同じ)を作れます。
本来責任がないのに嫌な思いをさせてしまった子供たちのためにも、絶対に何かをつかませたい、感じさせたい、お互いを前進させたいと思いました。
前のことがあったので、2人のうちの1人(「パスを出して」と言われた子)は、かなり相手のことを意識して、パスをしようと懸命にプレーしています。それは嫌々プレーをしているのではなく、ただ前向きにプレーしているように見えました。
もう一人の子(「パス出して」と言った子)は、それに絡むような動きになっていません。おそらく、前のことがあるので、「パスは来ない」という気持ちがどこかにあるのでしょう。パスをもらおうと動く時もあるのですが、その瞬間にパスが来ないと止まってしまいます。それが原因にもなりパスをもらえない状況になってしまいます。悪循環です。
前は、パスをする側の子は、パスを出そうとした瞬間に相手がパスを出せない場所(或いはパスは出せても自分のイメージと違う場所)にいるとそこでパスを出さず、自分のイメージでボールを持ち、そのせいでプレー(判断)が遅くなり、パスが出せなくなることがありました。これは改善すべき点でした。でもこの日は、パスを出す側の子は自分で意識を変えてきました。だから、あとはパスの受け手がそれに気づいてくれれば、2人の関係は良くなり、互いにもっといいプレーができるようになります。
・・・パスを出そうとしていた子が、強い意識を持ち、その後もそういうプレーを続けてくれたので、それを説明できる(受け手に伝えることができる)状況になりました。
受け手の子は、そこまで相手がこだわっていたことに気づいていなかったので、気づかせました。
「お前にパスをしようとしている」ということを(まだなんとなくしか認識できていなかったので)はっきりと言いました。それがわかれば動きが変わります。少しわかったようで、動きがそれまでに比べ数段良くなりました。それまで、「お前に来たパスだぞ」と言っても、そのパスが相手に取られてしまったら特に執着しなかった(何としても取ろうとまではしなかった)のに、それからは、何とか取ろうとしていました。相手の足をちょっと蹴ってしまうぐらいに、必死に取ろうとしていました。
少しでもお互いのことをわかってくれたらと思い、パスを出そうとしていた子が相手ゴール前でその子にパスをした時、(そのパスが通らず)相手ゴールに入ってしまった時に頭をかかえていたこと(点が入っても嬉しくない、それよりパスが通らなかったことを悔しがったこと)、パスを出してもらった子が相手の足を蹴ってしまうぐらい(もちろん故意ではありません)、必死にそのボールを受けようとしていたことを、練習後にサラッと2人に言いました。どこまで深く感じ取れるかはわかりませんが、ただ、2人が気持ちを「伝える」ことによって互いに成長したのは明らかなので、頭と体に、「こんなことがあった」ということを少しでも“経験”として覚えておいてほしいと思います。2人とも、ブラボーでした。

・・・2人はブラボーですが、私は大反省です。空間をつかみきれていなかったことが。頑張らねば! 

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練習中に見える「無理やり」風景について・・・

(2006年10月 通信No.48より②)

新しい子が増えてきたので、練習中のコーチの働きかけで説明した方が良さそうなことを説明します。
U-6クラス、U-9クラスでは、ワザなどの練習をしている時に、ボールを足のどこで触るのかわからなかったり、右と左が逆になったり、体の向きが逆になったり・・・なんてことがよくあります(これは、自然な現象なので、「できる・できない」なんてことを気にする必要はありません)。
そんな時、コーチが体に触って動かしてしまうことがありますが、これは「言ってもわからないから」困ってしているのではありません。
年齢が低いうちは言葉での説明を理解するのが難しいことがたくさんあります。なので、見せることが必要なのですが、本人はマネしているつもりでも体がそういう風に動いていないことがあるのです。
そんな時は、「いいかい、足の動きは・・・で、体の向きはこうで・・・」なんて言葉で長々と説明をするより、「体で覚えちゃえ」ということで先に体にその動きを教えてあげた方がいいこともたくさんあるのです。物事を論理的に考える力はもう少したてばどんどん身についてくるので、まだ言葉での説明でわかりにくい場合には、言葉で云々言うよりも体で覚え、言葉の説明の方がわかり易くなった段階で、そっちに重点を置けばいいと思うのです(もちろん内容にもよりますが)。
なので、スクール中にそんな風景を見た時には、決してマイナス的な評価をしないようにお願いします。
「どうすればできるか考えてごらん」と問いかけ考えさせるのも一つの方法ですが、年代により内容を考えなければなりません。また、考える機会はたくさんあるので、そっちにばかり気をとられ、体の発達をおろそかにしてはもったいないと思うのです。「考えさせた方が自主性が育つ」「考えるクセがつく」こともありますが、年代を考えバランスを大切にしなくてはなりません。

“無理やり動かされている”感じを受けるかもしれませんが、動きをどんどん吸収する時期です。
その特性を無駄にしないためにも、これからもそんな光景が出てくるかと思いますが、ご理解頂きますようお願いします。

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バランス・・・(U-6クラスの様子から)

(2006年10月 通信No.48より①)

U-6クラスには新しい友達がたくさん増えました。
新しく入った子の“いいな”と思うところは、ボールをどんどん追いかけるところです。
年代的には周囲の子との「パスをあまり考えない」で、“自分が”ボールを触りたい・蹴りたいと思うのが自然なので(その方が伸びる年代なので)、ゲームなどを行うと、同じチームの子のプレーを無意識に(結果的に)邪魔してしまうこともあります。例えば、味方チームの子のドリブルするボールを取ってしまったり、味方の子の前に立ちはだかってしまったり。これも年齢を考えれば自然なことなので放っておいてあげたいのですが、「サッカーっぽいこと」を知っている子にとっては「何で(味方の)僕のボールをとるの」「何で邪魔をするの」ということになってしまいます。そう思うのも自然と言えば自然なのですが、せっかく思いきりボールを追いかけているのに、「何だよ」と言われてばかりでは、何をしていいかわからなくなってしまい、動きが減ってしまう可能性もあります。
思ったこと、感じたことを言ったり、言われたりしながら、色んなことを吸収してほしいので、どんどん言い合ってほしいとは思うのですが、それによって言われた子が(今の年代にすごく合っている)ボールを追いかける動きを減らしてしまったら、それはとても残念なことなので、そうならない程度に、コーチからお互いに話をしなくてはいけないことがあります。コーチが口を挟むことによって、子供が思ったことを言えなくなるのも困るので、そのあたりのバランスがちょっと難しいのですが・・・。
入ったばかりの子のこういうプレーは、知識のあるなしよりも、ボールへの(年代にあった)自然な欲求が表れているだけなので、大事にしたいのです。
外から見ていればよくわかりますが、この年代の子は、ルールやらパスやら、そんな“大人のサッカー”のようなことを考えずにプレーしている時の方が(上手になりそうな)いい動きをたくさんしています。
私が、入ったばかりの子、ルールなどほとんど知らない子の動きに魅力を感じるのはそういう理由です。
個人的には(この年代は)一個のボールをみんなで追いかけ、味方にボールを取られてもそれに気付かないくらいの楽しい雰囲気の中でただボールを追いかけられるといいと思っています。

言い合えることによってお互いに成長する部分を大切にしながら、それによって失うものがないように、心と体の成長のバランスに気をつけ、年代にあった動きが生まれるように努力していきたいと思います。

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ある日の光景から

(2006年10月 通信No.47より③)

■「楽しいな」の次の瞬間
「楽しいな」「楽しいな」の“1秒後に友達が大ケガ”、“関係ない子がケガ”、なんてことが置きるといけないので、まだ子供たちが「楽しいな」の段階で注意をする必要があることがあります。
9月のU-12クラス。練習前に危ないことをしていた子達に注意と説明。でも、その後の練習でまだ「楽しい」だけに気をとられて自分のやっていること(起こしていること)に気づかない子がいました。
ドリブルの練習で、自分がコーンにボールを当ててしまっても(コーンがずれても)お構いなし。
通らなければならないゴールも通らないで並ぶ。次の子が困っていても全く気づかずそれを繰り返す。
別に失敗するのはいいんです。でも、他の子がかなり真剣にやっている中、そんな行動を繰り返されては、その子が上手くならないばかりでなく、いつ自分や友達にケガが起きるかわかりません。
その子は、“ふざけて”というよりは、仲のいい友達について行こうと、ただ楽しんでやっていたのでしょうが、もっとうまくなろうとして速くやっている子、努力している子の前や横に、転がってくるはずのないボールが突然転がってくる、あるはずの場所にコーンがない。そんな状況がいいはずありません。練習前にもその子には話をしています。自分だけ楽しければいい、そんな気持ちで練習に参加されたくないので、(自分達で雰囲気を作れなければならない年代なので、一人に言えばいい問題ではなく)一度、練習を中断。みんなに、そういうことを考えられない奴は「帰れ」と言いました。
もちろん、その子が「他の子がケガをすること」を望んでいるなんては思っていません。でも、(かなり厳しい注意となりましたが)まだ気づいていないのであれば、周りの子のことを考えないでする行動が、どんなことを起こす可能性があるのか、知らなければなりません。他の子も、です。
結局、この子はそれでも帰らず練習を続けましたが、これはその子だけの責任ではないし、その子に限った行動ではないので、お互いに注意しあえるような雰囲気作りをもっとしていきたいと思います。
ちなみにこの子はかなり子供らしい子です。まだ知らないことがあるのです。だから、(自分で気づいた方がいいこともありますが)周囲の者が知らせなければならないこともあるのです。それだけのことです。この子が「悪い」のではないということは、皆さんおわかりでしょうが・・・一応言っておきますね。
*この日は特に、仲のいい友達のそばにいたかったのかもしれません。

□■そんな雰囲気の後で
「いいな」と思うのは、コーチに激しく注意された子のそばに他の子が行く時です。
「お前何したんだよ」「それあぶねぇよ」「こいつ、バカじゃん(←バカにした言い方ではなく)」等々、子供たちは相手のことを考えながら、注意の仕方や言い方を調整しているように思います。
コーチに同調するような言い方ではなく、励ましも混じったような言い方で、私は“良い”と思います。

□□■そして
(この子にとって)次の練習。いつものようにその子がやってきました。「超真剣」というわけでも「注意されないように小さくなっている」なんてこともなく。もちろん反省した部分はあるでしょうが、この子はこの子。大人の顔色を見て練習するなんてことしないで、わかったことは体にためて、まだ解りきらなかったら解りきっていない状態で、“子供”で練習に参加すればいいんです。それを見て私達も伝え方が正しかったのかどうか、伝えるべきポイントを誤っていなかったのかを確認することができるのです。毎回“子供”のまま参加してくれるこの子は、私達にとっても、周囲の子(特に自分を出していいのか悩むことがある子)にとっても、とても大切です。前回の、注意された日の練習でも、その後に決して小さくなることなく、笑う時は笑い、燃える時は燃え、この子らしくプレーしていました。
この子がこの日に見せたプレーも、しゃべりながらも一生懸命やっている、頭がフル回転しているのがわかるプレーでした。また、テクニックも自然にジャンジャン出ていて、キレも良かったです。
小さな体ですが、たくましい子だと私は思います。そして、他にもこういう子はたくさんいます。
たくさんの表情、素の様子を見せ、毎回私達に刺激をくれる子供たち。6年生は半年後に卒業です。
この空間もあと半年 ― この日のように、みんなで色んなものを出し合っていってほしいと思います。

□□□■ところでこの日の練習中、プレーの説明の時に私が帽子を取ると、すかさず「あ、もじゃ毛だ!」という声。おかげで練習後のミーティングでもことある毎に話が脱線し、「もじゃ毛」の話題に。
もちろん、この「もじゃ毛」突っ込みのきっかけを起こした「あ、もじゃ毛だ」発言をしたのは、彼―さっき登場していた子です。こんなところでも頭はいつでもフル回転、テクニック“キレキレ”なのでした。

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「ボールを出さないプレー」続編

(2006年10月 通信No.47より②)

~さてさて、通信No.45で触れた「ボールを出さないプレー」の続きを今回はプレー面からお話します。

通信No.45では、主に「ボールを出さないプレー」が、プレーした本人に与える成長部分についてお話ししました。ちょうどその「もったいないプレー」をしたのが3~4年生の子達だったので、その年代にあった部分でお話をしたのですが、さらに上の学年に行くとどうなるのでしょう・・・。
高学年では、これがプレーした本人の成長だけに留まらず、周囲のプレーヤーの成長にもつながります。
例えば、ボールを出さないプレーヤーが次に狙うのは・・・ドリブルだけではありませんね、パスも狙います。高学年になり、協調性が強くなり、グループ意識が強くなれば、パスも当然出てきます。
空間を認識し始める年代でもあるので、味方のサポートや状況に応じたボールコントロールを覚える上でもパスは大切なプレーです。そして、味方選手とのコンビやグループでのプレーを覚えていくのです。
コンビやグループプレーの基本は、「A君とB君がコンビ」などと固定されたものではないので、コンビ、グループ内での自分の役割も様々です。そのため、その力を養うには、自分のプレーする場所(位置)・役割の固定されていない状況で、様々な立場(場所・役割)でのプレーを覚える必要があります。
そんな個人の力を身につければ、(基本を応用すればよいので)他のグループに入ってもいいプレーができます。逆に言うと、その力がないと他のグループでは「活きることができない」ことも出てきます。
―――さて、子供達は将来のために今、成長しています。ここで、将来―・・・・ずっと先はまだ想像するのは難しいでしょうから、ちょっと先、中学生になった時のことを考えてみましょうか。
今との一番の違いは・・・声変わり!  今の可愛い声が低く、太~い声に・・・って、違いますねぇ、はい。
「じゃあ・・・」ってこれを続けると終わらなくなるので本題に戻ります。
今とチームが変わる子がほとんどですね。色んなチーム、学校から、色んな子が集まってきます。
サッカーも、より好きになる年代です。「レギュラーになりたい」と今の何倍も強く思うことでしょう。
さて、新しいチームの中でどんなプレーができるか。その時に問題になるのは“その子に”力があるか、です。良くも悪くも、それまでどんなチームにいたか、戦績はどうだったかなどは関係なくなります。
さて、ここで、ゲームでのプレーを例に、「ボールを出さないプレー」について考えてみましょう。
例えば、今まではピンチの時に大きくクリアーしていた選手(そうすることを要求されてきた選手)が、同じように相手ボールをクリアーしたとします。
今までならここで「ナイスカット」という声が聞こえてきたかもしれませんが、「出すな」「つなげろ」「周りをみろ」という声が聞こえてくるかもしれません。その子にとって「クリアーするのがやっと」という状況だったとしても、それまでどんな状況でもパスをつなげようとしていた子とプレーしていた子にとっては、簡単にクリアーされるのはもったいなさすぎて注意をしたくなるでしょう。
また、今までの友達ならクリアーするような状況を(チームメイトがクリアーするだろうと)見ていたとします。今までは友達に「ナイスカット」と言いながら、ボールが外に出たところで次のプレーの準備をすれば良かったのです。だから、安心して見ていたら、「クリアーしない?!」そして、自分に来た声は「動けよ」「そこにいてもパス出せないよ」なんてことになる可能性もあるのです。
言われたからといって急にプレーを変えようと思っても、すぐには技術・判断力は身につきません。
もちろん、上のような言い方ばかりではないでしょうが、自分のことを考えてくれた優しい表現だったとしても、要求されることが、自分の考えていること(それまでに経験してきたこと)の1レベル、2レベル上なんてことも出てくると思います。その要求が年代にあっていないものなら特に気にすることはありませんが、上に挙げたような内容は(ほんの一例ですが)年代的には普通の要求です。
でも、それに慣れていないと、ただの文句に聞こえたりして、「何だよ」とマイナスにとってしまいかねません。それでは成長ができません。
こういった個人に必要な力を身につける上でも、普段から自分や友達がボールを出さないプレーをする、その大変さをわかり、それを無駄にしない動き、プレーが多く生まれることが望ましいと思うのです。
(上のような話は、今チームに所属していない方にとっては難しそうな話に聞こえ、ちょっとプレッシャーを感じるかもしれませんが、今スクールに在籍している6年生の子は、チームに所属していない6年生の子も本当に驚くほどの成長で、そのような将来にも十分に対応できそうな可能性を見せてくれています。ご安心下さい。)
試合上手になるよりも、個人の力をいかにつけるべきか、今はその年代なのです。

・・・高学年では、「ボールを出さないプレー」はここまで発展する可能性を持っているのです。
その前段階として、U-9クラスでも「ボールを出さないプレー」を(個人レベルで)要求しているのです。
そして、そんな機会を倍増させるためにも、出たら自分達(チーム)のボールになるような場面でも、敢えてボールを出さないでプレーすることを要求しているのです。

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チームに入っていない6年生のプレー

(2006年10月 通信No.47より①)

・・・正直、驚いています。いやぁ、本当によくぞここまで上手くなったね、という感じです。
スクール中も頑張っていますが、スクール時以外も、友達とサッカーをしているのかもしれません。
ゲームでのプレーをみると“素”で驚き、「おぉー!」「ほほぉ!」などと声を出してしまいます。
ある子は、パスを受ける(ボールを止める)時に、まだ足の裏で止めることが多いのですが、よくボールを見て、足の裏でしっかり止めています。足の内側(インサイド)や外側(アウトサイド)で止めることも、次のプレーに移り易いのでぜひ覚えてほしいプレーですが、今のこの子は、まだ足裏の良さを吸収できる段階なのでしょう。見ていると、「ボールをしっかり抑えたい」「ボールを受けなきゃ」という気持ちがものすごく伝わってきます。気持ちがしっかりプレーに表れていて、これはすごくいいことだと私は思います。また、この子はキックの時に、つま先のキックをよく使うのですが、これも、相手より一瞬でも早くボールを蹴りたいから自然にそうなっているので、とてもいいプレーです。足裏でのトラップとつま先でのキック・・・一般的には評価されにくいプレーかもしれないですが、とてもいいと思います。
他にも、ボールを持った時のテクニックにかなり磨きがかかってきた子、パスの感覚が非常に良い子、テクニックに挑戦しまくる子、エネルギッシュに動き回る子、いつでもしっかり動いている子・・・本当に、一人一人持ち味は違いますが、子供らしい成長の仕方を見せています。
そして、みんなに共通しているのは、ボールタッチがよくなったこと、動き自体が速くなったこと。
だからボールを持った時だけでなく、ディフェンスの動きも素早く、なかなか驚かせてくれるのです。
特に私が注目しているのは先ほど挙げたような“子供らしい成長の仕方をしている”ことです。急に上手になるのも子供らしいと言えば子供らしいのですが、自分に合ったこと(自分にできる精一杯)をするのも子供らしさの一つです。
きっとこれからも、彼ららしく成長していくのだと思います。楽しみにしています。

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子供の口から出る言葉

(2006年9月 通信No.46より②)

さっきの話とちょっと似てますが・・・
子供達は思ったことを(計算などせずに)口にすぐ出します。
それが子供の良さでもあります。時には残酷ですが・・・。
ゲームの時は相手にものすごく文句を言うこともありますし、友達のプレーに「なんだよ、それ」と言うこともあります。「ヘタクソ」なんて言葉もきっとあるでしょう。
でもそれでいいと思っています。もちろん、相手の気持ちを考えられないのは良くないことですが、初めから形式的に「こういうことは言っちゃだめ」ということで気持ちを抑えているよりも、つい出してしまった言葉で相手を傷つけてしまったり、ちょっとした一言を言われて傷ついてしまったり・・・そんなことを繰り返して友達の気持ちがわかるようになったり、自分の本当の気持ち(例え自分が優位に立っても「やっぱりこんなの気持ち悪いや」というような素直な自分の気持ち)をわかるようになってくれたらと思います。そういう経験の中から、本当の優しさや強さを身につけていってくれたらと思っています。
また、何か嫌なことを言われた時でも、言葉に込められている意味の程度をわかるようになってほしいと思います。
この先ずっと周囲の人が「優しい言葉」だけで接してくれるなんてことはないでしょう。自分が努力をしないのにいつも周囲の人が自分の気持ちを理解してくれるなんてこともないでしょう。努力をしても自分の気持ちを理解してもらえない時も出てくるでしょう。
大きくなってから急にそういう環境に入った時に、必要以上に落ち込んでしまったり、必要以上に拒否反応をおこさないように、自分を出せなくならないように、今のうちに受け取れる範囲で受け取って消化する、(自分の存在を大切にして)栄養にして成長する経験をしてほしいと思います。
子供の時は、(例えばある子に対して)「ヘタクソ」なんてことをちょっと前まで言っていた子が、同じ子に対して「うめぇー! (上手い)」「つぇー! (強い)」と言うこともたくさんあります。
だから、何かを言われてもそれが自分に対する全ての評価、これからも続く固定された評価だなんてとらえず、何かを言われたら尚更じゃんじゃん立ち向かって、自分の力を見せてほしいと思います。成長は相手にだってわかるんです。それを伝えることが、自分だけでなく相手の成長のためにもなるんです。
そして友達からの「スゲー!」、自分からの「やれるじゃん」を勝ち取ってほしいと思います。
ついこの前のU-9クラスでも、ちょっと前までは「うるせぇ、バーカ」なんて言い合っていた子が、全く同じように「あいつスゲーうまくなったよな」と(見えないところで)言っていました。
色んなことがありますがじゃんじゃん力を見せ合って、互いに認め、成長していってほしいと思います。

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違うタイプの2人の成長・・・

(2006年9月 通信No.46より①)

2学期早々・・・・ちょっと面白いことがありました。
子供たちのゲームは、(まだ3年生ぐらいまでは)ボールにどんどん集まります。だからこそ吸収できることが山ほどあるので、集まっていない時は集まらせるぐらいです。
当然、友達の足が自分の足に当たる、ちょっと蹴られるなんてこともたくさんあります。自分が蹴られたり、押されたりしている時は、「蹴られた」「押された」とよく気づくものですが、自分が相手を蹴ってしまったり押してしまっている時は意外に気づきにくいものです。そのため、よく言い合いが起こります。また、すぐにカッとなってしまう選手もいます。
個人的には“言い合い”はあっていいと思います。初めから抑えていてはわからないことがあると思うからです。
でも、言い合いをしたらちゃんと「嫌な気持ち」とか「言い勝ってもスカッとしない気持ち」、素直な感情・・・色んなものが自分の心にちゃんと返ってきてほしいと思っています。そして、少しずつでいいから、子供なりに成長してくれればと思っています。・・・なので、多少のことがあっても子供たち同士で感じあえる範囲であれば、外からそれを見ているのですが、感じ合えない範囲かなと思うと、私はそこに入っていきます。そして気づかせます。果たして、中に入っていくことがいいのか悪いのか、それは人それぞれ考えがあっていいと思いますが、私は、現場に立っている中で、自分なりに微妙な雰囲気の差を感じ、行動をとっているつもりです。子供の一瞬の目、ボールを蹴る瞬間の目、相手に向かう時の表情、目と足先の動きの関係などから、中に入るべきかどうかを判断しています。
この前も、微妙なラインを行ったり来たりしていたのですが、ラインを超えたかな、自分達で気づく範囲を超えたかな、ということで中に入っていった日がありました。違う入り方もあったのでしょうが、ちょっと厳しい入り方になりました。・・・・・が、これまでも、その時に応じて、自分なりに入ってきたので・・・。
さて、そんなことを繰り返しているのですが、その日、子供たちの成長を感じる出来事がありました。
前述のような微妙な雰囲気の中、かなり“熱くなっている”選手が、相手チームのゴールキックの際にボールのすぐ前に立ったのです。当然ゴールキックを蹴ろうと思っている選手は困っています。
その時、味方の選手が「ちょっと近すぎ」と言ったのです。
当然と言えば当然の発言で、わざわざ取り上げるほどのことではないように思えるかもしれませんが、ちょうど“言い合い”直後なので、ちょっとピリッとした雰囲気があり、言い難い雰囲気もありました。
こんな時は、相手チーム(目の前に立たれて困っているチーム)の選手が「ちけぇよ」(←「近い」の怒り形)と言うことはよくあるのですが、この時は相手チームの選手は誰も何も言いそうにありませんでした。その時に、まったく普通の調子で、「近い」と同じチームの選手が言えたのは、すごいことだと思うのです。しかも、その子は決して口が達者な方ではないし、文句をガンガン言うタイプでもありません。昔の彼なら言えなかったと思うのですが、本当にどんどん強く、優しくなっていて、(それは感じてはいましたが)成長を再認識させられた出来事でした。
また、「近すぎ」と言われた子は、昔はすぐに“熱く”なり(←悪いことではないです)、その度に、怒ったり、悔しがったり、泣いたりしてきた子だったので、(この子もその度に成長を感じさせていましたが)この時どんな行動をとるのか、ちょっと注目していました。
味方に言われたか相手に言われたかなんてことに関係なく、「うるせぇなぁ」と言うか友達の声なんか無視してそのまま立ちはだかるか - 昔ならそんな行動をとったかもしれません。しかし、この時は「あっ」と言って、ちょっと笑いながら後ろに数歩下がったのです。すごく自然に。
以前なら、自分が間違っているとわかっていても、自分から下がることができませんでした。間違っているのがわかっているのに下がれない・下がらない、これは強さではありません。でも、この時の彼は違い、成長して強さを身につけたことを見せてくれました。
悔しいことは悔しい、頭に来ることもある、でも、根本の気持ちの方がちょっとずつ成長してきたから、ただ感情的になるだけではなく、その悔しさの返し方も変わってきたのだと思います。
この子は今でも言い合いをよくします。でも、言い合いにもちゃんと気持ちが入っていて、逃げるような言い合いではなくて、言った後はちゃんと体も心もそれに反応しているから、苦しい時もありますが、やっぱり少しずつ強くなっている、成長しているんだと思います。強くなって、少しゆとりも出てきたのかもしれません。
本当に、特に取り上げるようなインパクトのある場面ではなかったのですが、私には2人の成長が感じられた場面でした。
ところで、最近はコミュニケーションを取る手段が発達して便利になりましたね。伝えにくいことも簡単に伝えられるようになりました。でも何も考えずにただ便利さだけを利用していると、コミュニケーション能力の発達が抑えられてしまう部分もあります。
相手の表情から気持ちを感じる力、言葉から気持ちを感じる力、言葉や表情で相手に伝える力、相手のことを考える力・・・。
今ほど伝達手段の発達していない頃は、伝える相手のこと、伝えた相手のことを考える時間が多かったと思います。
手紙を送って戻ってくるまでの時間・・・今、友達はどんなことをしているのかな、この前の手紙に書いてあったことはどうなったのかな、手紙がなかなか来ないけど病気かな、・・・自分の言い方、わかりにくかったかな・・・。
相手のことを考える時間が多かったし、自分のことを振り返る時間も多かったと思います。勇気を出さないと伝えられないこともたくさんありました。自分が強くなったり、成長しなければならないこともたくさんありました。
そりゃ、伝える力や人の気持ちを考える心・力は育ちますよね・・・
便利さに頼ったり、逃げたりしてばかりいると、失うものも大きいのですね。
さっきの2人 ― 仲間に「違うよ」ということができる、ちゃんと、互いにコミュニケーションがとれるというのは、こういう意味でもやっぱりすごい大切なことなんだと思います。
彼らはそこまで意識せず、普通にしているのかもしれませんが、勇気があったり、信頼関係があったり、色んなものが必要だと思います。子供のうちにそういったものをしっかりとつかんでほしいと思います。

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豊田コーチのルール講座③

(2006年7月 通信No.45より②)

豊田コーチのルール講座
第3回 テーマ 『プレーオン! 』 
 
試合中、審判が両腕を伸ばし、大きく前に広げている姿を見たことがあるでしょうか? この合図は、ファウルを受けた側の選手(チーム)に、まだチャンスが続いている場合に、「ファウルがありましたが、このままプレーを続けます(=プレーオン)」という意味を表します。この合図、私、個人的にはとても好きな合図です。それは、「決まった!」と自分の恰好よさに酔いしれるという意味ではなく、この合図をさせてくれたプレーを見ることが好きだからです。
 まだ審判が笛を吹いていないのに、シャツを引っ張られたり、押されたりして、プレーを止めてしまう選手がたまにいます。確かに、そのような時はファウルであることが多いです。しかし、そこでプレーを止めてしまうよりも、自分がいけるところまでプレーを続ける方が絶対に上手になるはずです。あるいは、味方がファウルをされたからといって、ファウルをアピールするよりも、すぐにボールを奪い返しにいったり、こぼれたボールをすぐに自分のものにしようとする方が絶対に上手になるはずです。ファウルかどうかは審判が決めることなので、選手は笛の音が聞こえるまで、がむしゃらにボールを追いかけた方がきっとパワーアップするでしょう! 
 プレーオンの合図が出たとき。それは、選手が上手になる、強くなるときだと思います。ですので、腕を大きく前に広げ、「プレーオン!」と叫ぶのが私は好きなのです。

・・・と、豊田コーチから皆さんへ
※豊田コーチの結婚を祝い、ソラでどっきり企画を行いました。それに対する豊田からのコメントです。

皆さん、先日は本当にありがとうございました。結婚式も無事に終わり、イタリアへの新婚旅行は、パスポートを取られかけるという危険な目に遭いながらも、とても充実した時間を過ごすことができました。一週間もの間、スクールを休み、すみませんでした。結婚式当日は、残念ながら雨に降られてしまいましたが、一生の思い出となる本当に素晴らしい一日でした。機会があったらもう一度やりたいくらいです。
皆さんからいただいた手紙は、ひとつひとつ大切に読ませていただきました。こんなにたくさんの手紙をもらうのはもちろん初めてですので、とっても感激でした。ありがとうございました。ファンレターをもらうアイドルの気分をちょっとだけ味わえた気がします。そして、あのサプライズ。本当にやられました…。あの場で本当のことを知らなかったのは自分だけかと思うと、今でも恥ずかしさでいっぱいです。こうやってテレビに出ている芸人さんたちは騙されているんだなぁと、身をもって実感いたしました。カメラが回ってなくてよかった…。ですが、私を驚かせるために、あんなにたくさんの方々が協力してくださったのかと思うと、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。こんなにも暖かい祝福をしていただけるなんて、夢にも思っていませんでした。本当にありがとうございました。今よりも、もっともっと成長していくためにも、この感謝の気持ちを忘れずに、毎回100%の力を出し続けていきたいと思います。
改めて言いますが、本当にソラは最高です! そして、ソラでコーチをさせていただいている私は、最高の幸せものです。皆さん、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

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さまざまなプレーに含まれたもの

(2006年7月 通信No.45より①)

■「なんで?」と思えるプレーでも・・・
いいプレーがたくさんあります。
例えば、相手チームの選手が触ったボールが、ラインの外に出そうになった時のプレー。
放っておけば自分のチームのボール(スローインやキックイン)になるのに、ボールが外に出る前に触ってしまう。そして相手にボールを奪い返されてしまったり、不利な状態になってしまったり・・・。
「なんで触るんだ?」と思うかもしれませんが私はそれを子供たちに「良いプレー」だと言っています。
逆に、「ボールが外に出るのを待っている」「追いかけてきた相手を自分の体でブロックして、ボールを外に出す」、そんなプレーを子供がした時には「出すなよー!」と言います。
なぜならもったいないからです。
スクールでは、そんな状況の時、「ボールを出さないで、そこから抜いていけ」と言ってきました。
子供によっては、そんなこと言わなくても、ボールを触りたくてしょうがないから、損得に関係なく触り、そこから抜いていこうとする子もいます。しかし、残念なことに、ちょっと知恵がついてしまった子は、そこでは触らない方が自分やチームにとって有利なので、触らないことも出てきます。
最近、実はそういうプレーが数回見られました。これが残念でなりません。
以前は「触らない方が得」なんてことはわかっていても敢えてボールを触っていた子が、ボールが外に出るまで待っている・・・こんな時の方が私にとっては「なんで(触らない)?」と思います。前までは、何も言わなくても、状況を理解した上で、自分で触っていたのに。
おそらく、その方が、
◎自分(チーム)がより良い状態でスタートできる ◎失点しないですむ(逆に得点チャンスになる)◎自分が失敗しないですむ ・・・他にもたくさんの理由から、チームや自分にとって得だと思えるからなのでしょう。―が、そういう当たり前のプレーはもったいないなぁと、思ってしまうのです。

確かに、もっと上の年代では、そういうプレーが見られます。それは組織を理解し、戦術を理解し、どういう状況で、どう攻めていくか(守るか)を理解し、それを実践する段階だからです。また、それらを実践する中でさらに技術を確認していく段階にあるからです。しかし、子供たちは、その(将来)実践するための力を、今、身につけている最中です。だから私は成長するためにも「触れ」と言うのです。
ちなみにそんな状況でボールに触ると、相手が背後からボールを奪いに来ている時には(相手が後ろにいるので)自分がボールを持ちながら前を向くのも大変な状況になります。前を向くために、相手を騙すテクニックが必要になったり、相手の力(当たりにくる力)を利用して反転する感覚、バランス感覚・・・様々なものが必要になります。逆に言えば、様々なことを吸収できるチャンスなのです。
しかも、2人、3人と、ボールを取りに来る選手が多ければ多いほど、さらに色んなことが必要になり、より多くのことを吸収できます。
技術や経験により、まだ「前を向く」ような余裕が持てない段階であれば、自分のボールにする(キープする)だけでもいいでしょう。相手が背後にいる状態でボールをキープするのは大変なことです。だいたい、出そうなボールを止めるだけでも結構大変なんです。もし相手が奪いに来ていなくて、すぐに前を向ける状態だったとしても、自分のイメージしたところに止めたりボールを動かせたら、たいしたものです。そうしようと思うだけでも、すごいことです。
スローインやキックインのように、自分がボールを触るまで相手が待っていてくれるわけではありませんので、有利な状態からはほど遠い、大変な状態からのスタートです。
こういう状況を脱出することや、自分のテクニックを試すことに楽しさを見出す子もいますが、何かに挑戦した時の充実感は安易なプレーから得られるそれよりもきっと強いものだからなのでしょう。だから、より大変な状況でも挑戦できるようになっていくのだろうと思います。
ちなみに、こういう、相手選手からのプレッシャーが厳しい状況でもボールをキープできたり、何かをしようと思える選手は、普通の状態(相手が前にいるくらい)では、かなり自然にプレーできるようになります。それは当然ですよね。普段から大変な状況でプレーしていれば、そこまで大変でない状況では「大変だぁ、どうしよう!!!」なんて焦らないですみますから。
また、“挑戦”から生まれるプレーなので、技術だけでなく、気持ちがどんどん強くなっていくことは言うまでもありません。気持ちの成長×技術の成長×気持ちの成長×技術の…×…×…という感じです。
こんな理由で、この「なんで触るの」というプレーは、私は実に良いプレーだと思うのですが、皆様いかがでしょう。

■「よくやった」と思えるプレーでも・・・
「んー・・・・」と首を傾げたくなるプレーもあるのです。
例えば、相手選手と接触して転倒した時に、しばらく倒れたままになってしまうこと・・・。
痛い時にはしょうがないと思います。でも、以前は同じ状況ですぐ立っていた子なのに立たない(立とうとしない)、或いは、以前はよけたり、転倒しないように踏ん張れたのに、よけないで、踏ん張ろうとしないで、転倒したまま・・・実はこういうプレーもここのところ数回見られました。
これまではそんなの乗り越えていた、乗り越えようとしていた子が、簡単に転倒し、倒れたままにしているのを見た時は本当に残念でした(転倒することが必要な場合のことは除いてお話します)。
転倒して反則をとってもらい、フリーキックになれば自分(チーム)が有利な状態でスタートできます。もしかしたら、それで「良かった」経験をしたことがあるのかもしれませんが、成長の面から考えると・・・。
バランスが崩れかける・崩れた状態からバランスを回復させる力、バランスが崩れた状態でプレーする(バランスを何とか保つ)力を身につけるチャンスなのに・・・。しかも、危険を避ける力も、「避けよう」という気持ちから体が動き、動きがどんどん良くなっていくのに・・・なんて思ってしまいます。
倒れそうになった時や倒れた時、プレーを続けると、その結果、その後のプレーがうまくいかない、相手にボールを奪われてしまう、失敗してしまうなんてこともあるでしょう。損するような感じもします。
それでも、初めの話と同じ理由で、その方が成長するだろうと、私は思います。
ちなみに、スクールでは、基本的にはゲーム中にほとんど反則を取ることはありません。
反則をした個人に対し「今のは反則だ」と知ってほしい時には伝えますし、全員に認識が必要だと感じた時や他の必要性を感じたときには反則を取りますが、基本的には自分達で「気づけ・乗り越えろ・(双方が楽しくプレーできる環境を)整えろ」という感じでやっています。
また、子供が「反則かどうか」を誤解しているような時にはそれを伝えます。
ちょっとそれますが、“反則をしたから”(審判が反則と判定したから)相手に謝るのではなく、審判の判定に関わらず、わざとであるか・ないかに関わらず、自分で「悪い」と思った時には謝ること・気持ちを伝えることは必要だと、必要な時には子供たちに話しています。高学年にもなると、意図していなくても、結果的に自分のしたことが反則になってしまった時などは、自分でプレーを止め、相手ボールにします。
今の損得なんて小さなものではなく、乗り越えられるものは乗り越え、気持ち・身体面ともに成長して、もっと大きなものを摑んでいってほしいと思っています。

■気持ちはわかるプレーでも・・・
やはりもったいないプレーがあります。
点を取りたいから相手ゴールのそばで待つ、または、負けたくないから自陣ゴール前から滅多に離れないというプレー。こういうプレーをすることが悪いというのではありません。
勝ちたい・負けたくないという気持ちや責任感から、そういう位置にいることもあるのだと思います。きっと、そういう位置にいることで、実際に「勝つ」経験、「負ける」経験をしたことがあるのでしょう。
でも、「勝つ」「負ける」を繰り返すことよりも、どんなプレーをしているのか、個人の成長を考える時にはここが重要です。
ほとんど動かず、ポイントポイントでボールを触る・・・。ただ、勝敗から見ると決定的な場面でボールを触るので、十分にボールを触っているようにも見えるかもしれません。本人も満足しているかもしれません。が、実際にはゲーム中にボールを何度、どのように触ったのか、どんな刺激が入ったのか・・・。
例えば、点を取るために相手ゴール前でずっと待っているケース。それでもちょっとはドキドキするでしょうから、得点するのは難しいのかもしれませんが、ただ、それを繰り返していても、かなり自分が有利な状態からのスタートなので、様々なテクニックが身につく年代だということを考えると、とてももったいなく思います。
また、失点を防ぐためにずっと自陣ゴール前にいるケース。
相手が攻めてきた時に、ただボールを跳ね返す・・・これはさすがにスクールでは見られません。そこからドリブルで相手を抜いて行きます。ドリブルで一番後ろから抜いて行くのは大変なので、これでいいかとも思うのですが、そういうタイミング・状況からは相手を抜く技術をすでに持っている子の場合は、もっと違う形にも挑戦するべきです(もちろん、グラウンドの前から後ろまでボールを追いかけまわり、それで自陣ゴールから相手ゴールまでドリブルで行くプレーはとてもいいと思います)。
一番後ろ(自陣ゴール前)に止まっていると、相手がボールコントロールを失敗して(ボールを大きく蹴ってしまったりして)奪い易い状況になることも結構あります。そういう形でばかり守っていては、相手のスピードや動きに反応する力や、相手との距離を測りながらボールを奪う技術は身につきません。
せっかくゲームをしているのですから、色んなところに動き、色んなところでボールをもらう・奪う経験をした方がいいでしょう。
いつも同じ形でばかりボールを触ったり、プレーが同じようなものが多くなるのでは、そのプレーだけを抜き出して練習するのと同じです。むしろその方が同じ行動を短時間で多くの回数できるでしょう。でも、これではゲームをやる意味がありません。
勝ちたい気持ち、これは否定しません。が、「勝ちたい」と思うことが原因で成長する機会が減るのはあまりにももったいなく、これは(子供はそのプレーに満足していることもあるので)子供ではなく、大人が言ってあげることも必要なのではないかと私は思っています。
彼らは“今”結果を出す年代ではなく、“後”で結果を出すために「成長」する年代です。
これからもどんどん“損をするようなプレー”をしながら、成長していってほしいものです。
そして、その過程での成長こそが、今の彼らにとっての結果なんだと私は思っています。
子供としての結果=“成長”のために必要なプレーを、どんどん応援していきましょう。

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見えなくなるもの・・・

(2006年6月 通信No.42より②)

家に帰ると、玄関で子供のクツが飛び散らかっている,或いはランドセルが投げ捨てっぱなし・・・こんな光景、よくありますよね。
「だらしないなぁ」と思いつつも、小さい頃からの成長を見ている皆さんは「相当急いで家に入ったな」「トイレでもガマンしてたのかな」「きっと帰ってすぐにジュースでも飲んだな」「友達の家にすぐに遊びに行きたかったんだな」・・・というところまで、イメージできちゃうんでしょうね。
子供たちのプレーを見ていると、いつもと同じプレー、いつもと違うプレー、その子にとっては珍しいプレー、ずっと挑戦を続けているプレー・・・などなど様々なプレーを見せてくれます。
一見、普通のプレーでも、ずっと挑戦を続けていたことを知っていれば、すごいことだと思えますし、嬉しく感じます。ちょっと雑なプレーでも、それまでの経緯を見ていたら納得できることもあります。
子供のやっていることですから、日常生活もサッカーの練習も同じですね。
その現象が生まれる前の段階の行動を、一緒に見ていたり、知っていたらわかることがたくさんあるんですよね。でも、気がつくと一緒にいる時間が短くなったり、見ていない時間、知らない時間が多くなって、その現象の前の段階の状況をイメージできなくなったりして、それで、その現象に対する捉え方に差 - 過去と現在の捉え方の差,子供と自分の捉え方の差 ― が、生まれてしまい、成長に気づかなかったり、困っていることに気づかなかったり、一緒に喜べなかったり、悲しめなかったり・・・なんてことが、私達コーチや親御さんにも起きてくるのかもしれませんね。
日常の中での成長に、皆さんきっとたくさん気づいてあげられているのだと思いますが、私はサッカーコーチなので、サッカーのことで話をすると、子供たちを支えている人間が、そういう成長に気づくことは、ちょっと難しくなっているのかもしれませんね。今やサッカーは人気スポーツ。あらゆるところで「すごい少年」を見る機会が増えています。また、大会での戦績で評価を与えられることも増えています。周囲に見えるものが増えたことが原因で、見えなくなったものがあるのかもしれません。周囲(スクール生以外の子の空間)の様子を見て、最近ちょっとそんなことを感じます。

- 普段の生活では、授業時間や習い事が増え、少しずつ一緒にいる時間は少なくなっていきます。サッカーでも、自分で練習する時間が増えたり、親やコーチの前で練習する機会は少なくなっていきます。それは仕方ないことです。だからその分、こっちが色んなことを思い出し、見えない時の姿をイメージすることが必要ですね。「転んだ時はいつも泣いていた」とか、「ヘラヘラしてても実は傷ついてた」とか、「器用じゃないから周囲の子の何倍も努力してた」とか・・・。

コーチも、その時の現象しか見えず背景や経緯を摑めないと、現象の捉え方が浅く、子供を伸ばすことなどできません。子供のそばに普通にいること、これは大変なことなのかもしれません。でも、伸ばそうと思ってそばにいる以上、そういった背景や経緯を常に思い出す、イメージすることを忘れてはいけないと思います。そんなことも感じて、グラウンドに立ちたいと思います。

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スクールでの会話・・・

(2006年6月 通信No.42より①)

U-9クラス、ある二人の会話です。
私が練習のやり方を説明していると、ちょっと遠めに座っている子が、となりの友達に話しかけているのがわかりました。何を話しているのかと思い、さりげなく、説明をしながらその子達のそばに行きました。もちろん説明しながら彼らが何を話しているのか聞いていま~す。
すると、「○○(友達の名前)、好きな人いる?」「お前は?」なんて話をしているのでした。
学校もチームも違うのに、こんな話をしているのが面白く、嬉しく、その場では聞かぬフリをしてあげました。もちろん、説明を終え、練習開始直後に「お前ら、話聞いてなかっただろう!」と言ってやりましたが。そんな話をしていた二人にはこれもご褒美みたいなもんです。
後で注意をするなら、先に注意しても良さそうですが、会話中に注意しちゃうのはあまりにももったいない会話でしたからね、あそこは放っておいてあげないと。ちょっとした親心です。
この二人は言い合いをすることも、ゲーム中ケンカっぽくなることもあるんですけどね。
高学年の子も、色々なチーム、学校から子供たちが通っていますが、(さすがに練習中はたまにしか話さないですが)練習前や練習後に、楽しそうに話をしています。
普段と違う環境での会話、なかなか見ていると面白いですよ。

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豊田コーチのルール講座②

(2006年5月 通信No.41より③)

豊田コーチのルール講座

第2回 テーマ 『ハンドって?? 』
 
皆さんもご存知の通り、サッカーは手(腕)以外の部分でボールを扱って点を決めるスポーツです。手でボールを扱うと、「ハンド」という反則をとられてしまいます。この「ハンド」は一見“わかりやすい”反則のように思えますが、実は、とても“わかりづらい”反則なのです。
ハンドについて、ルールブックには次のように記載されています。「ボールを意図的に手または腕で扱う(と反則となる)」-ここで注意しなければならないのは、“意図的に”という言葉です。つまり、選手が『手を使おう』と思って、“わざと”※手を使った場合に「ハンド」となるわけです。-A選手の蹴ったボールが、よける間もなく、相手チームのB選手の手にバーンと当たってしまった-試合中、よく見かける場面ですが、はたしてこれは「ハンド」になるでしょうか? 見た目では、思いっきり手にボールが当たっているので、つい「ピッ」と笛を吹いてしまいたくなります。しかし、本来、ここは笛を吹くのを我慢しなければならない場面なのです。
前回、このコーナーで「審判の気持ち」についてご紹介しました。審判は選手の気持ちを感じながら、自分のもつ「基準」で笛を吹いています。実は、これが最もよく表れる場面が「ハンド」なのです。“わざと”なのか、“仕方がなかった”のか。ここは、審判の“腕”の見せどころですね。

※しかし、「ハンド」の判定はとても難しく、わざとではなくても、顔に飛んできたボールを思わず手でブロックしてしまったり、相手のシュートを手を広げて体を投げ出すような感じでブロックにいくなど、本来そこには手(腕)がなくてもいい状態で手にボールが当たってしまうと「ハンド」の反則をとられてしまう場合もあります。ご注意を! 

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不っ思議! 

(2006年5月 通信No.41より②)

さてその日、実はU-9クラスではこんなことが。
ゲームの時の休憩時間を利用して、子供たちに練習して欲しい「休憩メニュー」があります。
-が、「休憩メニュー終了後をどのように過ごすか」は、子供によって様々です。
「おしゃべり」でも「プレーを観る」でも、自由に過ごしてくれればと思っています。危ない行動はもちろん×です! 
さてさて、そんな自由な時間、(休憩メニューを終えた後は)座っている子が多い中、ある子が、「休憩メニュー」中の“ステップ”を踏んでいます。ボールをマーカー代わりにして、「ザッザッ」と一人で繰り返しています。また、別の休憩時、今度は違う子が「休憩メニュー」中の“ボールタッチ”を繰り返しやっています。
この2人は、プレースタイルも性格もほとんど共通点はありません。
でも、休憩中のこんな様子を見て、「この2人を同じチームにしてみたらどんな風になるのかな」「このチャンスは逃しちゃいかん」ということで、最後の大ゲームの時には同じチームにしました。すると、本当に面白いことが起きたんです。
“ボールタッチ”を頑張っていた子は、勝ちたい気持ちが強い子です。が、その子のチームはかなり失点しています。その子は失点する度に悔しそうな顔ですぐにキックインをしていました。が、失点が重なり、残り時間は短くなり・・・終了間際、ついにキックインの際に「もう俺いい(キックインやらない)」と言って、コートの外に出てしまいました。かなり気持ちを入れてプレーしていたので、年齢を考えればよくわかります。
そして始まったプレー。相手のゴール付近まで行ったものの相手チームの選手にボールを取られてしまいました。が、そこで登場したのが先ほど休憩中に“ステップ”を頑張っていた子です。鋭いステップで相手を追い込み、一度かわされても素早く反応し、ついに足を伸ばしてボールに触り、相手ゴールにそのボールが入りました。そこでタイムアップです。

実はその“ステップ”、U-9クラスの子には言っていませんでしたが、U-12クラスの子には、“ディフェンス時に使う”“ディフェンス時の反応が素早くなる”と紹介したこともあるステップなんです。もちろん、「それを練習したからそこでボールが取れた」などと単純には言えませんが、そのゲームを始める前、みんなを集めた時に、休憩メニューにきちんと取り組んでいた2人のことを紹介していたので、彼らがその日の練習を締めくくったのは正直驚きましたし、嬉しかったです。
そして、驚くことに、その後のU-12クラスでもこれと似たような現象が起きたんです。
今は、大ゲームの中では「広がってプレーする」ことを要求しています。これが意外に大変なんです。相手ボールの時にはボールに近寄っていて、自分のチームのボールになった瞬間に今度は「広がる」動きをしなければならないのです。
しかも、広がってもパスが来るとは限らず、パスがこなければ(ボールに触らなければ)周囲の子には認知されにくい動きなので、その動きを毎回続けることは精神的にも、肉体的にも大変なんです。
-が、それを、大ゲームの中で、自チームのボールになるたびにやっていた選手が2人ほどいたのです。あまりにも頑張っているので、チャンスがあればその2人のことをみんなに伝えたいな、と思っていました。でもその2人がよく動き、パスコースがたくさんあるので2人以外の子にパスが行くことが多く、「う~ん、どう伝えようかな」と思っていました。
わざとらしく褒めるのは嫌ですし、(他の子に)わかりにくい状況で伝えても(伝わらないと)もったいないので、どこかで、その2人の動きが効果的にはっきりとプレーに表れないかなと思っていました。
そして、U-9クラス同様、「このプレーで終了」という時に、バッチリとプレーに表れたのです。
さて、その2人のチームのボールになりました。パスが来るかはわかりませんが、それまで同様、2人のうちの一人が左サイドを駆け上がりました。そして、今度はそこにパスが来ました。パスを受けてシュート。得点です。しかしシュートが決まった直後に相手ゴールのそばにいたのは、2人のうちのもう一人、逆サイドで何度も広がる動きをしていた子です。パスは来ませんでしたが、やはり同じタイミングで広がり、駆け上がっていたのです。さらに、シュートが外れた時に備え、反応していたのです。
最初から最後まで、広がる基本を徹底できた2人の良さが表れた、いいプレーでした。
「もう終わり」という瞬間に成果を出す・・・それもU-9クラス、U-12クラス立て続けに・・・。
いやぁ、事件が起きたり、不思議なことが起きたり、実に忙しい1日でした。

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過去最高・・・

(2006年5月 通信No.41より①)

「絵に描いたような」理想のスクールだというイメージを持たれてもよくないので、4月の最終週に起こったことをここでお伝えします。
木曜日、U-12クラスの練習での出来事です。
ミニゲームをやっている時にゲームをやる回数を私が数え間違えることが2回ほどありました。
その後のことです。大ゲームの準備に入りました。さて、チーム分けです。
チーム分けはかなり重要です。計画した様々な裏テーマがあるからです。さらに当日の様子から調整が必要になるので、色々考えながらチームを決めていきます。この日もそうでした。
色々と考えながらチームを決めていると、ある子が、「オレ、黄色(チーム)がいい」と言いました。私にも考えがあるので「色々考えて決めてるんだから」と言うと、「どうせ考えてないんでしょ」という言葉が聞こえました。「考えてないから(試合の数などを)間違えるんでしょ」という声も聞こえ、(それは反論するところではないので)練習メニューを書いた用紙を見せました。しかし見せている時も(彼らのことを)「考えてないんでしょ」という言葉がいくつか聞こえました。
私は、子供たちが練習をやらない・できない・話を聞かない・コーチに文句を言う・・・くらいではそれほど怒ったりはしません。今まで何度かきつい言い方で叱ったり、注意をしたことがありますが、それは本当に必要だと思った時です。しかも“注意”や“叱る”です。
―が、この時は怒りました。
考えていないと思うなら、信じられないなら、ここには来なくていいと言いました。これは叱ったのではありません。子供たちにも言いましたが、注意したのでもなく「怒った」のです。
子供たちは軽い気持ちで言ったのかもしれませんが、「考えてないんでしょ」と言われ、「そうですよ」なんて言えません。大人げないようですが、気持ちを伝える必要がありました。
コーチを始めて10年経ちますが、こんな風に“怒った”のは実は初めてです。その後、少し話をしましたが、少しは気持ちをわかってくれたかな、と思います。
吸収後はすっきりしてほしいものです。解散時にはもう私に、可愛い可愛い“憎まれ口”をたたく子が何人も。こんなところが子供らしくいいですね。
子供の受け取れる大きさで受け取り、次に進む。この大きさが、心・体の成長とともに少しずつ大きくなるように、その手助けをコーチングを通じてしていきたいと思います。

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heta ≠ hate

(2006年4月 通信No.40より②)

「お、 豊田コーチのルール講座に対抗したEnglish講座か?」
あ、私が “YES” とか “NO”くらいしかしゃべれないと思ってますね、皆さん。甘~いですよ。時々、“ オー!”とか“ワオ!”というEnglish(?)も使いますからね。はい、English講座終わり。本題、本題。
たまに子供達の中から「heta(ヘタ)」という言葉が出ますね。
「ヘタ」・・・新しい環境に入っていくこともあるこの時期、子供たちが「言われること」・「言うこと」があると思いますので、ちょっと触れておきます。子供の世界ではすぐ出てくる言葉です。が、グラウンドで、子供の口からでる乾いた感じの「ヘタ」は、相手の人格を表す言葉ではないこと、相手に対する自分の気持ちを表す言葉ではないことが多いように思います(もちろん、言ってはいけない場合は注意が必要だと思います)。
皆さんも自分の子供の頃には(←すぐに思い出せますよね。つい最近のことですよね~?)足が速い・遅い、野球がウマイ・ヘタ、勉強が得意・不得意・・・・などなど友達に様々な印象を持っていたかと思います。でも、それはあくまで一面の印象で、否定的なものであったとしても、“ある一面に対して持つイメージ”にすぎなかったと思います。例えば、あいつは「足が遅い」けど「頭はいい」とか、あいつは「野球はヘタ」だけど「足は速い」とか、別の一面に対する肯定的な感情も自然に持っていたと思います。マイナス的なイメージで友達のこと全てを評価してしまうようなことはなかったと思います。
―子供たちの「ヘタ」という言葉。相手自体を否定しているわけではないので、直後に「スゲー」という言葉が同じ感覚で出ることもよくあります。すごく上手な子でも、「ヘタ」と言われることがありますからね。みんなが笑いながら言うことも、失敗した仲間に怒って言うこともあります。本当に様々です。ちなみに私もスクールで子供たちに何度も言われています。
意外かもしれませんが、かなり「平等」に使われている言葉でもあるんですね。「だから言ってよい」とか「言ってはいけない」というようなことをここで言いたいのではなく、
「ヘタと言うこと」イコール「嫌う(hate(ヘイト))こと」ではない、と言いたいのです。
―なので、もし、子供が「ヘタ」と言われたことで落ち込んでいたら、そのあたりのことだけはお話ししてみて下さい。もしかしたら、必要以上に受け取ってしまう子もいるかもしれませんので。また、言ってしまった子には、相手が深く傷つくこともあることを、表面上だけで注意するのではなく、中身を確認しながら話す必要があるかもしれません(もちろんこれらの経験を通じて、互いに相手を思いやる気持ちを育てることが大切なことは言うまでもありませんが)。
・・・ん、何を言いたかったんだっけ? 三歩歩くとすぐ忘れるので・・・って、Hato(ハト)かぁ! 
では、お口直しに豊田コーチのルール講座をどうぞ。

豊田です! 今回から始まりました『豊田コーチのルール講座』-これは、今まで私が審判活動を通じて経験したことや感じたことの中から、「これは、ぜひ皆さんにもお伝えしたい!」と思うものを紹介するコーナーです。これから通信の中で3回にわたって紹介していきたいと思います。第1回目の今回のテーマは「審判の気持ち」についてです。2回目、3回目もどうぞお楽しみに!!

豊田コーチのルール講座

第1回 テーマ 『審判の気持ち』 

サッカーの試合を見ていると、「あれ? ファウルじゃないの??」と思うことがあると思います。見ている人にとってはファウル。でも、審判は笛を吹かない・・・。また、この逆の場合(ファウルではなさそうなのに、審判が笛を吹く場合)もあると思います。では、こんなとき、いったい審判はどんなことを考えているのでしょうか? 
実は、審判は一人一人、自分の「ファウルをとる基準」というものをもっています。ルールブックには反則として書いてあることでも、「この程度までなら(ファウルをとらず)プレーを続けさせよう」というように、一人一人のもつ基準が少しずつ違います。また、審判は選手がどんな気持ちでプレーしているのかを感じながら笛を吹くこともあります。見た目は些細なことでも悪質であればファウルをとったり、選手がわざとらしく転んだりしているときはファウルをとらなかったりします。このように、審判は選手の気持ちを感じながら、自分のもつ基準と照らし合わせながら、ファウルかどうかを判断しているのです。
 これからサッカーの試合を見るときに、審判の判定に対して、「あれ?」と思うときがあったら、審判の気持ちを感じてみてください。きっと、サッカーを見る楽しさが一つ増えるはずです! 

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モチベーション

(2006年4月 通信No.40より①)

スクールをより良くするために、私達は日々努力をしています・・・が、努力しただけではダメで、当然、結果を伴わないといけません。
私達にとっての結果とは、「子供の伸び」です。
そして、「子供の伸び」に何より大切なのが、子供がサッカーを楽しむこと、です。ただ、「楽しさ」は様々で、ある子と他の子ではその質が少し違ったり、年代によって全く質が異なったりします。その、それぞれの感じる楽しさをどこまで感じさせることができるか、これが一番重要なのです。
メニューを作るとき、私達は一人一人をイメージします。ずっとスクールにいる子、最近入ってきた子、ともに大切な子供たちです。どちらかにあわせ、どちらかを無視するような練習はしたくありませんし、そんなことがあってはなりません。だから、一人一人をイメージして、全員が伸びるような練習を考えるのです。そして、考えた後は、それをグラウンドの中で実践するのです。
考えることも難しいものですが実践することはもっと難しいものです。当然、一生懸命になります。すると“一生懸命さ”が皆さんに伝わることがあるのですが、これはもしかしたら良くないことなのかもしれません。どこかに一生懸命に動いている影で、気づかぬ別の場所があるはずだからです。悔しいですが事実です。例えば、一人の子の行動に注意(注目)している時(時期)に、他の子の行動を見失うなど。もちろんそうならないよう努力しているのですが、現実には起きてしまっているかもしれません。

子供のことで色々と保護者の方と話をする機会があります。ご相談頂いたり、気になる様子を教えて下さったりします。でも、その時に、皆さんは、子供の成長が思うように進んでいないことがあっても、それを私達のせいにはしません。子供のプレーが思うようにいっていない時でも、「コーチは一生懸命やっているのだから、コーチの責任ではない」と思ってしまうのかもしれません。
―が、ソラの中では、「それは全然違います」とここではっきり申し上げさせて頂きます。
「子供が伸びていなくてもコーチの責任ではない」と思われてしまうような甘い環境で、子供たちを伸ばせない自分達の実力に気づけないようだったら、私達は成長できません。それは、私の望むことではありません。子供にとって、私達にとって、子供を預けている皆さんにとっても、良くないことです。努力を、子供の成長につなげることができなければいけません。

グラウンドに立っていると、悔しい思いをたくさんします。子供に楽しさを伝えられない時がある、伸ばせない時がある、それを肌で感じるからです。子供も素直なのでそんな時は「楽しくない」と感じます。
実際に、少し気持ちが下がり気味の子がいたようです。これはその子の責任ではありません。
悔しいと思うと同時に、私は良かったと思っています。同じ時期、私もグラウンドで、「これじゃ、あいつらが楽しくないじゃないか」と思うことがあったからです。もちろんその時の状況でできる努力はしていましたが、それでは「届かない」ことを何度か感じたからです。子供のせいではありません。
子供とコーチと保護者の皆さんが同じように感じるということは、とても大切なことです。
悔しがるばかりでなく、同じ気持ちの子供たちが集まるこの場で、何とか子供たちも、自分達も、楽しめる状況を作っていきたいと思います。

こういったこともひっくるめて、私は今の状況を本当に幸せだと思っていますし、グラウンドで子供たちと会うことを本当に楽しんでいます。色んなことを体中で感じられる場にいられること、子供たち、皆さん、多くの仲間に囲まれていることを幸せに思っています。
この幸せが続くよう、即ち子供たちがグングンと伸びていけるよう、これからも皆さんには色んなことを話して頂ければと思います。
「一生懸命やっているのだから」ということで言いたいことを我慢したりするのはソラではナシです。「こんなこと言ったら責任感じるかな」なんていう心配も無用です―安心して下さい。そこいらのバネとは比較にならないくらいのバネにして“倍返し”で成長していきますので。何せ、“空へ”ですから。
すみません、ちょっと熱くなってしまいましたが、「見ていろ、この紙飛行機を。飛んでやる!」ということで。簡単に破けないようにちょっと厚手の紙で折っちゃいますよ~。しかも、火の中でも燃えないように水分も含ませちゃったりして。クックック・・・って、これじゃ、飛ばない・・・。
倍返し成長、頑張ります! 

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裏テーマ

(2006年4月 通信No.39より)

裏テーマ・・・今回は年度始めなので、ちょっとスクールのマル秘部分を含んだおまけをご紹介します・・・
年度末、ちょっと早めの時期に修了証を渡したのは、(最終週の練習中止なども考えられるので)通信でご説明したように「どうしても年度内に渡したかったため」なのです・・・が、実はもう一つ目的があったのです。修了証のコメントを読んだ上で最後の練習に参加してほしかったのです。コメントには、コーチからみた、その子の特徴や課題も書いています。新年度が始まってからでも課題への取り組みを見ることはできますが、特に課題を伝えたような子の場合は、年度内に同じ環境下で、どんなプレーをするのかを見たかったのです。・・・こんな表面上には出てこない、裏テーマがあったのでした。
―さて、ある子のプレーを紹介しましょう。
その子はドリブルがとても上手になっているのですが、ドリブル中に相手の足や体が自分に強く当たると、急激にプレーが崩れてしまいます。もちろん、“頭に来る”のが当たり前ですから、年代や本人の気持ちを考えればさほど気にすることでもないのですが、うまくなっているところなので、自分の上達を知るためにも、友達に「コイツうまくなった」と知ってもらうためにも、もうちょっと踏ん張れればと思っていました。そこで、修了証には、“一生懸命にはなるけれど小さいことは気にしないこと”、“相手の足が当たるぐらいは乗り越えてうまくなること”を、課題・目標として書きました。
さてさて、最終週のその子のプレーです。
ドリブルをしていると、ある子が体を当てディフェンスに来ました・・・→転びました。それまでの彼なら間違いなく立ち上がれないか、立ち上がったとしてもプレーが乱れ、やる気が空回り状態になるくらいの、相手選手の強い当たりです。ちなみに先週は同程度の当たりで、その後はプレーが乱れてしまいました。しかし、最終週のその時は、私が様子を見ようとそばに近寄ると“立ち上がった”んです! この変化はすごいことなんです。さらに、「大丈夫か?」と聞くと、ニコニコしながら「大丈夫!」と答え、男らしく(・・・・)「でも痛い」と付け加えました。正直で男らしいでしょ? 
確かに「痛そう」でしたからね。なんか、“素直さ”と“彼らしさ”と“成長”を感じられる答えでした。このぐらい乗り越えられる力があることを体も頭も覚えたかなと、ちょっと嬉しくなりました。そして、すぐに復帰。
その直後、同じ選手がまたボールを奪いに来ましたが、今度は奪いに来た相手選手の力(=体の押し)を利用して、とても自然にターンを決めました。“ニコニコだけど頑張ってるよ”モードの下、変に力みすぎず、テクニックが十分に発揮されていました。“また来たな(怒)、うぉりゃーっ”という感じで体を当てにいくプレーでは、きっとこの時はバランスを崩していたでしょう。
よくぞ乗り越えた ― こういったことが自信につながれば、より自然にテクニックを発揮できるようになります。そしてさらに自信が深まり、乗り越えられる範囲も広がり、プレーもより良くなります。
あとはこれを長続きできるよう、“ちょっと思い出させ・思い出させ”でいくだけです。もちろんまた以前の状態に戻ることもあるかもしれませんが、今の段階で、このレベルのことは乗り越える力があることを確認できたのは、その子にとってもコーチにとっても収穫です。“裏テーマ”バンザイです。
さらにこの次の練習、ゲームでも、その子は友達との体の接触を乗り越えてプレーしていました。「すごい!」と感心して見ていました。順調、順調…というところでその子を泣かしたヤツがいるんです! 
あぁ、せっかくここまで前向きに頑張ってきたのにぃ。許せないでしょう、このタイミングで、ですよ! 
何というヤツでしょう。
・・・・・・こんにちは。許されないコーチです。はい、私がその子のモモにボールを思いきりぶつけてしまいました。パスをしようとしてミスキックを・・・。でも、考えようによっては、一つの試練を乗り越えたのでまた新たな試練を与えたというコーチの愛・・・じゃないですね。すみません。
でもこんな風に皆さんにお話できるのも、スクール後にその子がニコニコしながら私に話しかけて来てくれたからです。子供のこの切り替えの早さ、スッキリさ、大好きです。ありがとう! 
さて・・・実はスクールには様々なことにおいて、こんな“裏テーマ”があるのです。それも一つや二つではありません。スクール、クラス、グループ、ペア、個人に対して。そしてそれらを複雑に絡ませています。なので、一見うまくいっていない時でも「全然OK」のことも、逆に一見「OK」でもソラ的に「×」のこともあり、「何でそこで厳しいの?」や「何でそこで優しいの?」なんてこともある“?? ?”なスクールなのですが...。今年度も裏テーマ二重三重は当たり前のウラウラ攻撃でいきますよ~。

・・・偉そうに書いてますが、年度末のスクールでは自分自身かなり反省せねばならないことがいくつかありました。初心を忘れず、さらに改善・改善でいきたいと思います。よろしくお願いします。

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伝えたいこと - 存在

(2006年3月 通信No.37より②)

スクールも3月に入り、いよいよ今年度の練習も残すところわずかとなりました。
3月、4月は色々と皆さんスケジュールが変わることも多く、子供たちの中にはやむを得ずスクールを辞めなくてはならない子が出てくることもあります。

・・・さてさてそんな時期ですが、2月の最終週、U-9クラスの練習時、こんなことがありました。
練習開始時、子供たちを集めると、ある子が、「3月からスクールに来ない」「辞める」と言うのです。本当だとしたらもう来週からスクールに来ないことになります。その時点では、まだはっきりとしたことを私は確認していなかったため、特にその場で確認をするようなことはしませんでした。
そして練習終了後、その子のお母さんと話をしていると、「辞める」と言った子とは学年の違う子(年下の子)がずっとそばに立っています。当然、「辞める」と言った子も、お母さんと私のそばにいたのですが、話が一息ついた時に、その、そばに立っていた子は「○○(辞めると言った子の名前)、バイバイ」とだけ言って帰っていきました。
その子に、「バイバイ」を言いたくて待っていたのです。
本当はもっと色んな話をしたかったのかもしれませんが、状況的に、それが精一杯だったのでしょう。
彼にとってはあまりにも突然のことで、「もう会えない」なんて嫌だったのでしょう。でももう会えないから、最後に何かを言いたかったのです。
その子はその後、車に乗りましたが、車の中で泣いていたそうです。
「辞める」と言った子とは学校も違うし、学年も違うし、スクールでしか接点がないと思うのですが、とても大切な存在だったのですね。

・・・・・・・私は10年位前からコーチを始めました。その時は、“サッカー”が好きで、サッカーのコーチになろうと思いました。ですから、当時の私の目標は、(もちろん難しいことだとはわかっていましたが)コーチとして、できる限りサッカー界的に高いレベルで指導をしたいということでした。例えばプロチームのコーチなど。そこで、まずはスタート地点として、子供の指導からスタートをしようと思ったのでした。
コーチの経験なんて全くありませんでしたから、まずは子供にサッカーを教えるために、子供を理解しようと、子供のことをたくさん勉強しました。そして、子供のことをたくさん考えながら、真剣に指導をしていました。
そう、最初は“サッカーが好きだから、少年サッカーのコーチになった”のです。
子供のことは嫌いではありませんでしたし、むしろ好きでしたが、どちらかと言えば、“サッカー”の方が好きだったんです。
・・・ですが、より良い指導をしようと、子供のことを考える時間が多くなり、さらに「もっと良い指導をしたい」という思いも強くなると・・・・・いつの間にかサッカーよりも“子供”がメインになってしまっていました。決して“良い人です”などと言いたいのではありません。前述のようにスタートは“サッカー”メインですからね。まさに“行動は動機を強化する”ですね。
彼らのことを考えれば考えるほど、ずっとつきあっていきたいと思うようにもなりました。当然、彼らが成長した後のことも考えるようになります。これは自然な流れです。
また、子供たちのことを勉強し、彼らの置かれている環境のことを知ったりすると、思っていた以上に彼らのいる社会は深いのだということに気づきました。
そして今―私がコーチをしている今、この時代、子供が被害者だけでなく、加害者になる事件が多くおきています。
そんな事件は起きて欲しくない、そう思うのは皆さんと同じです。
もちろん他の子も大切ですが、自分が一緒にサッカーをした子がそんな事件を起こしたり、事件に巻き込まれたりするのは絶対嫌ですし、彼らが生きて行く社会がそんなものであって欲しくない、いつの間にかそんなことを考えながら指導をするようになっていました。もちろん他にも色々なことを考えながらグラウンドに立っていますが、これは、今、子供と接する、そして卒業した後も子供たちと接したいと思っている私にとっては大切なことなのです。
―今、スクールの中で、子供と接する中で、自分に何ができるのか。
そして出した結論が、彼らに「一人一人の存在をしっかりと伝える」ということでした。
それも、ものすごい可能性を持った存在であるということを。

自分も、友達も、そういう可能性を持った存在なんだということを、互いに認識すること、知っていくこと、感じていくことーそれが、今起きているような事件を防ぐことにつながるのではないかと考えました。
子供たちに可能性を伝えたい-色々な理由からそう思っていますが、今言ったようなことも、理由の一つです。他の理由とは違う、こういった理由から出発した時の「可能性を伝える」は、単に理想ではなく、子供を育てていく大人、彼らと接していく大人の義務なのではないかとも、私は思っています。
そして、その一人一人の可能性をしっかりと、自他共に認識するためにも、“確かな”技術的な成長を絶対に達成し、本物の達成感を得られるような空間に、それも本人だけでなく周囲の人間もそれを感じられる空間にしようと、日々グラウンドでもがいてきました。しかも、それをより強いものとするため、一人一人バラバラの関係で達成するのではなく、互いに関係し、影響を与え合う中で達成したいと思ってやってきました。
外見は立派で整っているけれども、確かな成長のないような、空論で終わるような、逃げ道だらけのスクールなんかにはしたくありませんでした。これは、せっかく来てくださっている皆さんを裏切りたくないという、当たり前の気持ちでもありますが。

「一つ」「ある」という意味を持つアルファベット“a”という文字をスクール名に使ったソラの前身のスクール名が好きだったのも、新しいスクール名を「ソラ」(“素”の“良”さ)としたのも、そんな思いからです。
もちろん他にも子供たちに伝えたいことはたくさんありますし、こんな風に私が思っているのもあくまでも“私的”な心の部分ですので、それによって子供たちの技術的な伸びが偏るようなことのないようには注意していますし、プレーヤーとしての成長が偏ることのないようにも、かなり考えてトレーニングは計画をたてています。皆さんや子供たちに迷惑をかけることのないようには、細心の注意を払っています。単純なメニューが多いですが、一つ一つにしっかりと「その時に」「その環境で」「その子たちが」やる意味のあるもので、練習は構成しています。

こんな気持ちでグラウンドに立っていましたから、今回の、「一人の子が辞める」ことに対して、「ある子が泣いた」ということは、「辞める子」がその存在を日頃から友達に伝えていたということで、「泣いた子」も他の子の存在を充分に認識していたということで、私はとても嬉しかったです。
もちろん、“スクールにいたから”そういう子に育ったということはないと思っています。これまで育ててこられた保護者の方、周囲にいた方々のおかげであることはいうまでもありません。
また、実際には、その「泣いた子」以外にも、その子が辞めるということについてとても残念がっていた子供や保護者の方もいました。あの場ではっきりと「辞める」ということを示していたら、もっと影響があったのではないかと思います。
そんな子、保護者の方々がスクールに来てくれて、いてくれて、私は本当に幸せだと思っています。
ちなみにこの子はスクールを継続できることになりました! 本当に良かったです。
きっと一人一人が、互いにそんな存在になっているのだと思います。
まだ存在の示し方や、存在の受け入れ方は、子供特有の範囲、子供が自然に作る深さであるとは思いますが、こうした経験、等身大での大切な経験を積み重ねていくことが、彼らの今後の人生に役立つこと、大きな力になることを私は信じています。
頑張れ、子供たち。
年度末にまた、皆さん、子供たちに会えたことを嬉しく思うことができ、感謝しています。
ありがとうございました。
幸せをもらってばかりですみません。
4月以降、新年度が始まりますが、これからも頑張り続けます。
よろしくお願いいたします。

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「ダセー」・・・ちょっとだけ続編

(2006年3月 通信No.37より①)

通信No.35で、「ダセー!」と言った子を「いつでも、誰に対してでも、同じ態度」で「かなり信頼できる子」だと言いましたが・・・やっぱりそうでした。
通信No.35を出した後、まだ日があまりたっていないU-9クラスの練習時、あるメニューの時に、3年生で“できることをしていない子”がいました。しばらく見ていましたが、ポイントを伝えても変わらず・・・。一応他の子にも当てはまることなので、一度練習を止め、伝えるべきことを伝えました。あまり良くないやり方にも思えますが、みんなの前でその子がどれくらい技量があるかを見せるような形で、私はその子にパスを強く蹴りました。
一度目、強いですが、挑戦モードの彼なら止めることはできなくても足に当てることはできるパスです。でもそれまでと同じ雰囲気で受け止めようとした彼は、やはりしっかり足に当てられませんでした。
二度目、同じ強さのパスをすると、今度は止めることはできませんでしたが、きちんと足に当てることはできました。その後で「できることはやれ」と言いましたが、実はその前の一度目の失敗の直後、私は彼に「3年にもなってこんなの止められないんじゃダメだ」ときつい言葉をみんなの前で言いました。
図的には「私が激しく子供に注意している図」です。こんな雰囲気の中に入ってきたヤツがいます・・・・そう、この前「ダセー」発言をした子です。私が3年生の子に「ダメだ」と言った後(3年生の子は気まずそうにボールを拾いに行きました)、ヤツは「ドンマイ!」とでかい声をその子にかけました。コーチが怒ってるようにも見える中、友達のために声をあげることができる子、本当に頼もしい子です。二度目のパスをその子が止めることができたのは、もちろん一度目より注意していたこともありますが、「ドンマイ」の声も影響していると私は思います。
「ヤベー」「また失敗したら・・・」という気持ちでいる時に「ドンマイ」が来ましたからね。
私としては、一度目で目を覚まさせ、二度目でどうなるか、それを見て言葉をかけて、気づかせて、良い方向に持っていこうと思っていましたが、「ドンマイ」の方がはるかに効果的に、子供たちに合った形で彼を、全体を、良い方向に持っていってしまいました。「くそぉ~、俺の役目を~!」なーんちゃって、こういう、友達の気持ちを感じて言葉が出てきたことが、とても嬉しかったです。
場合によっては「ドンマイ」と声を出した子も「何がドンマイだ!」と注意されちゃう状況ですからね。そういう時でも友達を守れるこの子は、やはり信頼できます。
―とまたこの後に続きがありして・・この信頼できる子(「ダセー」と言った子)をA君としましょう。
その後、ゲームのチーム(メンバー)を変えようとした時、私がA君のチームを告げると「えー、A君、威張るからな~」と言った子がいました。この「威張るからな~」と言った子をB君としましょう。
これは“誤解”です。威張ってるんじゃないということは軽く言葉でB君に言いましたが、「ゲーム中にA君の優しさをB君に伝えてやる」と思い、ゲームを開始。さて、ゲームを始め、ボールが外に出ました。A君のチームのキックでスタートです。
するとA君が、さっき「A君は威張るからな~」と言っていたB君にパス。残念ながら届きませんでしたが、決して威張る子でも我がままな子でもないことを伝えようと、私はB君に「今のは、A君はお前にパスしたんだぞ」と言いました。するとB君は「(A君とは)違うチームだよ」と・・・。『え~、違うチームなの? 熱くなって間違えちゃった~、恥ずかしい』と思いながらも平静を装い、「おぉ、そうか」と答えた私でした。これはとんだ“勘違い”・・・。でもこんな勘違いをしてしまったのにも訳があるんですよ。
実は、その前、A君のチームのキック・インの時、A君がボールを蹴ろうとすると「俺、蹴りたい」と他の子が言った時がありました。その時はA君はその子に譲らなかったのですが(譲れない場面は絶対にあります)、ドリブルでスタートすることも多いA君が、「俺、蹴りたい」と言った、遠くにいるチームメイトにパスをしたのです。
おそらく、順番を譲れなかったことを気にしてのプレーでしょう。距離もあるし、相手チームの選手もいるので、そこを通すのは難しいパスでしたが、彼はそんなパスを狙ったのでした。
こういう、友達の気持ちを充分に感じられる子なのです。こんなプレーがあったので、私が“勘違い”してしまったのもわかってもらえま・・・・せんね、はい。
その日の練習後、A君のことをみんなに話しましたー“強いこと”と“優しいこと”を。
子供たちの“誤解”は解けるとなんかすがすがしかったり、晴れやかになるのに、コーチの“勘違い”はただただ恥ずかしさが残りますね。ビブスをつけないことのメリットは子供たちが充分に受けているのに(詳しくは通信No.25にて紹介)、ビブスをつけないことのデメリットを私が受けてしまいました。うぬぬ~。まぁいつも楽しいゲームを観れるので良しとしますか。

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空間・・・

(2006年3月 通信No.36より②)

ついこの前はすごく心地よい空間だったのに、今日は全く違う空間になってしまう...。そんなことがよくあります。そんな中だからこそ子供たちが成長するのだとも思いますが、それでも、理想の空間とかなり離れてしまった時には、悔しくて、悔しくて、たまりません。詳細はここでは触れませんが、2月の第4週も、U-9クラスでそんなことがありました。
…もちろん上手くなることは大切です。しかしスクールは“表面上”上手くなる(上手くプレーできる)空間かどうかなんてことより、そこにいることが意味のある空間であるかどうか、それが重要なのです。
あそこにいる一人一人が互いに影響を与え合って、そしてテクニックが身につくから、グラウンドに子供たちが集まる意味があるのです。表面的なテクニックなんかでなく、中身のつまったテクニック、自信、力が着くのです。自分の力だけでなく、友達の力、可能性を認識する力がつくのです。
気持ちや存在がバラバラなままで上手くなる、そんな空間にはしたくありませんし、そんな中での上達なんかに負けないくらいの、強い、力のある上達を、グラウンドでは、させたいと思っています。
―スクールの時はあらゆる言葉が飛び交います。時には許せない言葉も出てきます。よく気持ちをぶつけているように見えるかもしれませんが、あれでも実は抑えている時もあります。抑えなくてもいいのでは、と思われるかもしれませんが、抑えることが必要なこともあるのです。もちろん、そのままストレートに伝えることもありますが。
思いは伝えなくてはなりません。「お前の今の言葉は許せない」、それを伝えるために気持ちを抑えない方がいいこともあるかもしれません。でも、それでは逆に気持ちを伝えられない可能性もあるのです。
私が友達を注意しようとして、私が間違っているような時には、私に向かって「違うよ、こういう理由があるんだよ」ということを言ってくれる子もたくさんいます。こういう子が増えればいいと思います。
しかし、彼らはまだ子供です。まだ大人に“怒られる”のが「怖い」と感じてしまう年齢です。“怒る”ような形で接し、「“汚い言葉を言ったら怒られる”だから汚い言葉は言わないようにしよう」「“怒られるから”悪い言葉は言わないようにしよう」「怖い」から言うことを聞く、そんな風になってしまったら、いけないんです。形や見た目ばかり強要して、“形ばかり整える”空間、そんな風になってしまってはいけないんです。
本当に伝えるべきことを、いかに伝えていくべきかー。
私なりにその時、その空間で感じたことを、より子供たちに伝わるように伝える努力はしていますが、それでも、後で子供たちの顔を思い出し、もっと違うアプローチの仕方があったのではないだろうかと、反省することも少なくありません。
これからも、場合によってはその場にいる子供の誰かが嫌な気持ちになってしまう空間に(もちろん望んでなんかいませんが)、なってしまうことがあるかもしれません。
それでも、表面上の綺麗さや上辺だけのフェアプレー、そんなものではなく、もっと奥に目を向け、色んなことを子供たちが感じ、強い成長をできるよう、努力していきたいと思います。
至らぬ点もまだまだあるかと思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。

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2人の関係(続編)

(2006年3月 通信No.36より①)

前通信で紹介した「追いかけ・追いかけられ」2人組の続編です。実はちょっとした続きがあるのです。通信No.35で、お互いの気持ちを理解し、気持ちの面でもプレー面でもお互いに良い影響を与えあった様子はお伝えしましたが、あの、ちょっとした友情プレーがあった翌週、「追いかけた」側の子(友達に何とかシュートを決めさせようと努力していた子)がスクールをお休みしたのです。
友達が休むことを伝えると、「追いかけられた」側の子は残念そうにしていました。
そしてその翌週(休みから友達が復活)、ゲームの時にチーム分けをしようと子供たちを集め、チームにする子供の名前を「××君(実際には呼び捨てです)と○○君と...」と言っていると...
“追いかけられていた”子が、さり気なく、そろりそろりと(実際には小鳥のようにちょっとずつ跳ねながら)○○君(追いかけていた子)の方に近寄って行くではありませんか。そばにいれば同じチームになれると思ったようです。ピョンピョン近づいて行きます。思わず笑っちゃいました、可愛すぎて。今回は“偶然”同じチームになれたようで、その2人はとても喜んでいました。これからも、気持ちを伝え合う経験、失敗やら成功やらをたくさんして、多くの楽しい仲間を作って欲しいものです。

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「ダセー」

(2006年2月 通信No.35より⑤)

さて、噴火ネタです。
U-9クラス、木曜日のスクール時の話です。
ゲーム中、休憩している子が「ダセー」という声を連発しています。
ゲームをしている子が一生懸命ドリブルして起きている失敗なのに、それを見て「ダセー!」という声。
他の子のプレーに対しても。
子供達の言葉に対しては、私は素の言葉は必要だと思っています。
―が、この「ダセー」は、あまりに意味のない言葉に感じ(なんか何も詰まっていなく、スカスカの感じです)雰囲気が壊れ、私も限界に達したので噴火してしまいました。
みんながそんな声に負けず、プレーで見返すことができたり、周囲の子から「今のプレーはダサくない」なんて声が出てくれば、或いは「ダセー」と言っている子が友達の表情などから何かを感じられればと思いましたが、そこまではまだ子供達でできそうにない雰囲気でした。
本人は軽いノリで連発していたのだと思います。きっと、本人的にもあまりにも無意味に出していた言葉だったので、はねっ返りを自分でも感じられなかったのでしょう。
ちなみに、それまでにもそういうことは何度かありましたし、この子は悪気があってそんなことを言っているのではないということもわかっています。
でも、その時の「ダセー」は本人にとってもやはり意味のあるものには思えず、また、友達の中にはそんな声も受け止められない子もいるのだということ、逆に受け止め過ぎてしまう子もいるのだということを知って欲しかったのです。
何かとても文句を言いたくて「ダセー」と言うなら、本人にとっても、言われた子に対しても意味はあると思うのですが、そこまで気持ちを含んだ言葉でもなかったように私は感じ、そんな意味のない言葉で雰囲気が壊れるのは許せませんでした。
ゲームを止め、かなり厳しい口調で注意をしました。

ちなみにこの子、かなり信頼できる子です。
いつでも、誰に対してでも、同じ態度です。
自分より上の学年の子にだって同じように言いたいことを言います。また、自分が本当に悪いと思った時にはすぐに「ごめん」と言います。その表情は何とも言えず愛くるしい限りです。
ゲームの時などは、友達が自分に出してくれたパスを受け損なうと、顔をクシャッとして両手を合わせ「ゴメン!」と。可愛いでしょう。
謝る時も、誰に対しても同じように「ゴメン」を言えます。年上も年下も関係なく。
だから、それらと全く同じレベルで、感じたことを言うだけのことが多く、私もめったに噴火はしないのですが。
ただ、その時も言いたいことを言ったのなら(もちろん言って良いこと・悪いことがあるとは思いますが)、私が違和感を持つこともきっとなく、また、何らかの正しい反応が起きたのでしょうが、違ったので、何か変な空間になったのだと思います。

ちなみにこの子は私に猛烈に注意された後でも、それまでと全く変わらず元気にプレーできます。
その日も、「ヘイ、コーチ!」と大きな声で何度も私にパスを要求し、本当にサッカーが好きだとわかるプレーをしまくっていました。
そして帰る時にはいつもと同じように「コーチ、じゃあね」と元気に帰っていきました。
この子はミニゲームでも負けると本気で悔しがり、涙を浮かべることもあるくらい、いつも全力。
だから友達のミスを許せないこともありますが、それは彼のプレーを見ていればよくわかる気持ちです。
この子はいつも100%この子であって欲しいと思っています。
素晴らしき子供・・・とても私なんかではかなわない素直さを持っています。
こういう子を見ると、ウソで注意をしたり、自分の見栄で叱ったりしてはいけないと強く思います。
こういう子がいるから、コーチも人間として成長できるのです。
これからもたくさん注意されるかもしれませんが、私にとっては本当に信じることができ、そして私が成長するためにも大切な存在です。
・・・とここで子供達を振り返り・・・注意をされるのは間違いなく彼だけではないでしょうね。
スクールはそんな大切な子で溢れています。だからコーチは超幸せ者なのです。
皆さん覚えておいて下さい。
注意されているから「悪い子」なんてことは全くなく、注意されているから「スクールにいない方がいい子」なんてことも全くありません。
もしかしたらスクールを見学している時に自分の子がコーチに注意されるようなことをしていて、「他の方に申し訳ない」と思うようなことがあるかもしれませんが、そんなことは全くありません。
また、多くの子はしっかりやっているのに、一部の注意をされている子のせいで練習が中断してしまい時間がもったいないなんてことも全くありません。
みんな大切な子、お互いの成長に必要な子ばかりです。
子供とコーチががっぷり組み合うソラでは、注意をすること、雰囲気が悪くなることも含め、それらの責任は全てコーチにあるということを覚えておいて下さい。
ソラに子供を預けてくれているくらいなので、皆さんそのあたりは充分に感じられる方々だということはわかっていますが、一応、私が噴火したりすると子供が悪いと思ってしまう方も、もしかしたらいるかと思いまして、念のためご説明させて頂きました。

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子供への対応

(2006年2月 通信No.35より④)

スクール時、特にゲームの時などは友達同士で足がちょっとかかったりすると子供が転んでしまうことがあります。
コーチとして駆け出しの頃は、練習中に子供がちょっとでも倒れたりすると、心配ですぐに走り寄っていました。しかし、その後数年たち、(子供が倒れた時に)こちらとしては行ってあげたくても、本人の力で立てるかもしれないと思う時は、行くのを我慢するようになりました。
行かないかわりに、心の中で「立て、立て」と思っていました。自分の力で、もしくは友達の励ましの声で立てたりできることはすごいことだと思ったからです。
もちろん、そんな対応法を可能にするにはかなり注意深く子供たちを見なければならないですし、日頃の様子をよく頭に入れておく必要があります(すぐに様子を見に行かなければならないという時にはすぐさま駆けつけていましたし、高い集中力で現場を見るよう意識もしていました)。
しかし、その分、それまでは転んでも自分で立てなかった子が自分の意思で立てるようになったり(その時はとても嬉しいです)、友達同士で何とかしたりすることもあり、そんな光景を見ては嬉しく、またこれで良いと思っていました。
そして、おそらくこの方法が、子供のハートを育てる上でも良いのだと、自分では少し前まで思っていました・・・・が、今は違います。
自分が見ていた状況からする、自分の判断に関わりなく、まず近づくようにしています。
近づいて、まず確認をするようにしています。
すると、不思議なもので、大丈夫な場合は、みんな自分で立ち上がるのです。それまでは同じような状況でもなかなか立ち上がらなかったような子でも。
ちょっと頑張れば立てるのにしばらく倒れてしまっている時などは、こちらが心配そうに具合を尋ねると「な~んちゃって」と言いながら、明らかに痛いのにちょっと我慢して立ったり、「痛くないよ」「できるよ」と言ってすぐ立ったりして。
そして次からは同程度の転倒やケガなら私が駆けつける前に「大丈夫!」と言わんばかりにサッと立ち上がるのです。
不思議ですね、さっきまではクルクルだったのがいつの間にか天然アフロ・・・ってこれはさっきのネタじゃないかー! ・・・きっとこの時点でお読みになっている方が5分の1に減少:ソラダス予想。
不思議ですね、こちらのアプローチは全く違うのに、同じような現象が起きるんです。・・・今、気づきましたが文字で書くと“アプローチ”と“アフロ”って似てますね(あ、5分の1から8分の1に・・・)。
ただ、これでは子供が転んだ時にコーチとしてはすぐに行くのでも、遠くから見守るのでも、どちらでもいいのでは? ということになりますね。もちろんどちらにも意味があるのでしょうし、表面上の現象は同じでも子供たちの心の中で起きていることはきっと違うのだと思いますが。
それでも何故すぐに近寄るようにしたのかというと、答えは簡単です。
(そのような精神的な部分に関係なく)いくら注意深く見ていたって、ケガなどに対する自分の判断が誤っている可能性があるからです。過信するな、ということでそうすることにいたしました。
特に何かを結論づけるような話ではありませんが、ちょっと驚いたので皆さんにもお伝えしたく・・・。

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心配り

続いては、まともな題ですが実はどうでもいい話を。
1月末、かなり久しぶりに天気予報で千葉が「雨」になりました。
スクールの前日、「ゲ!」と思いつつも「いいや、絶対に晴らしてやる」とまるで天気を自分がコントロールしているような錯覚に陥り、良く朝 ― ほらぁ、降ってない「さすが俺」(←完全に勘違い)と余裕でスクールに。―が・・・運転しながらラジオを聞くとやはり雨が降るらしい...でも強運を信じ、「このまま、曇りのままで行け」と思っていると、いつの間にかワイパーを動かしておりました。敗北・・・恐るべしアメダス・・・。
そういえばこれまでの人生、別に強運なんてなかった...。
仕方なく幼稚園クラスは中止に。しかし雨がかなり弱くなり、やみかけたのでU-9、U-12からスクールをやりました。
さて、それではここで連想ゲームです。次の言葉から思い浮かぶものは? 
「天然アフロ」「すごいグチャグチャ」「クルクル」・・・・はい、正解は私の髪の毛でした! 
U-9の開始時点では雨も弱く「クルクルだよ」と子供に言われ、その後「すごいグチャグチャだよ」と言われ、長時間コートにいた結果、U-12の時にはさらに頭が進化し、ある子供に「コーチの髪、天然アフロ?」と言われました。そんなのあるかぁ! ・・・さっきまでは“クルクル”だったのに天然アフロとは・・・。全く好き放題言いおって。こんな時の子どもは実に元気に発言、イキイキしています。違うところでイキイキしろよ。
保護者の方に「帽子をよくかぶってますね」と言われることもありますが、子供の“イキイキ”をサッカーに集中させる為の心配りでございます。帽子を取るとそれはもうすごいことに! 
(↑髪の毛は噴火状態ですがもちろん噴火ネタではありません)

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2人の関係

(2006年2月 通信No.35より②)

U-9クラスの練習前、2人の子が追いかけっこをしています。一人はボールをぶつけようとして追いかけ、もう一人は逃げています。しばらく見ていましたが、「コーチ助けて」と言うので「嫌なら嫌だってもう一回友達に言ってみな」と言いました。すると怒った表情で、でもちょっと楽しそうにも見える顔で「やめろよ!」という内容のことを言っていました。
それでも同じ光景が続いていたので、子供のところに行き「追いかけていた子」に「追いかけられていた子」の気持ちを伝えました。「追いかけていた子」は話を聞いて「えっ、イヤだったの!?」という表情をしていました。友達の気持ちに気づいていなかっただけなんですね。
私は見ていて何となく「本当に嫌なのかも」と思えましたが、追いかけられている子も「半笑い状態」で、微妙と言えば微妙な表情でしたから、その(追いかけていた)友達は一緒に遊んでいたつもりだったのでしょう。ただ、「嫌」をきちんと伝えたことで、その子もわかってくれました。また、「嫌」を伝えた子も、(その子が)自分を追いかけていたのは、単純に遊びたかっただけなのだとわかったようでした。いやぁ、気持ちを伝えるということは難しいですね。大人が入らなくてもいいのでは? と思う方もいるかもしれませんが、場合によってはこうした手助けも必要かと私は思います。
そして翌週、ゲームの時にその2人を同じチームにすると・・・普通に一緒にプレーしています。お互いに気持ちがわかって良かった良かった、と思っていると、いやぁ、また子供に負けました。私の想像の上を行かれました。
チーム変えをほのめかすと、先週“追いかけていた子”が、「○○○(追いかけられていた子の名前)に一点取らせたいの!」「○○○が点を取らなきゃだめなの!」と言うのです。だからそのチームでいたいようです。そういえば、彼はゲームの時にいつもは“ドカーン”とシュートを決めるような場面でも“丁寧なパス”や“その子にボールをつなぐためのドリブル”をしていました。それでもその子(追いかけられていた子)が得点できていなかったので、それを達成するために私に言ったのでしょう。
「この前はごめん」「いじめたくて追いかけたんじゃない」ということをプレーで表していたのですね。これが、この時にこの子ができる「意思表示」だったのですね。
その後のゲームはチームを変えず行いましたが、友達が自分のために頑張っていたことを知った“追いかけられていた子”がそれまでよりも“発奮プレー”を見せたのは言うまでもありません。
なかなか面白い2人のコンビプレーでした。ちなみにその日は1チーム3人だったので、残る一人もそれを感じてプレーしていました。この子もそういう気持ちが感じられる子です。
みんなスゴ過ぎ! ・・・というか可愛すぎ! ですね。

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ボールが外に出た? 出てない? 

(2006年2月 通信No.35より①)

「それじゃ、みんな(本当のことを)言わないじゃん!」

・・・これはU-9クラスのゲーム中に出た言葉です。
ゲームをしていると、ボールがラインを割った・割らないでよくもめますね。
でもこれはその時ボールをドリブルしていた人、或いは蹴ろうとしていた人が一番わかると思うんです。ラインに並行して走っていて、しかもボールをほぼ真上から見ているので。
コーチが言わなくても、自分でボールを出したと思ったら相手ボールにする、出ていないと思ったらプレーを続けるように子供たちには言っています。
もちろん見誤ることもあるかもしれませんが、通常はコーチよりもボールを追っている子供の方が見やすい状況にあるので、攻撃側の子が「出ていない」というのであれば、基本的にそれを信じるようにしています。
また、攻撃側の選手が「ボールが出ていない」と思ってプレーを続けても守備側の選手が「出た」と言うこともありますが、その場合も私は攻撃側を信じます。

※通常、守備側選手はコートの内側(相手選手より自陣ゴール寄り)からボールを見ているので、角度的に、実際には外に出ていないボールでも、外に出ているように見えやすい状況にあります。
言葉ではわかりにくいですね、すみません。わからない方はスクールの時にでも聞いて下さい。

ついこの前もそんな場面があり、先ほどの言葉が出たのでした。
ある子がライン際をドリブルしています。ある選手がそのボールを奪いに行きます。
ドリブルをしている子はライン際をすり抜けシュート。シュートが決まりました。すると守備側の子はシュートを打つ前にボールが「出てた」ということを猛アピール。
私はドリブルをしていた子に聞いて、本人が「出ていない」と言うのでそれを信じることにしました。子供たちにも「本人が出てないって言ってんだから、信じりゃいいじゃん」と言いました。
すると、その子(「出てた」と言った子)が言いましたー「それじゃ、みんな(出たなんて)言わないじゃん!」と。言わない方が得だからか? 私は「そうは思わない」とすぐに答えました。
得かどうかより楽しいかどうか、気持ちいいかどうか、それを子供だって感じられるはずです。
ウソをついてプレーを続けていては気持ちよくありません。
周りが(ウソをついている自分を)信じてくれたなら尚更です。その後で点をとっても素直に喜べない。
初めは「いいや、出てないことにしちゃえ」と思っても、周りの子が本当に自分を信じると、「やっぱり今の出たかも」と素直に認める子がほとんどです。もしくは、出たとわかっているのに続けちゃった時などは、ちょっとニヤニヤしながら「相手ボール」と言って相手にボールを渡す子もいます。
時には味方チーム選手への責任感や重圧から、「出ていない」とウソをついてしまったり、ごまかしたり、なんてこともあるかもしれませんが、これは、正直に言えない本人にも、正直に言う雰囲気を作れないチームメイトにも、責任があります。
それでも、得点したのに自分で素直に喜べない、本当に100%喜べない、そんな経験をすれば、本当の嬉しさや楽しさが得られるのはどんなことか、子供だって覚えていきます。
ちょっと意地悪ですが、そんな経験も必要だと思っています。みんな様々な経験をして成長します。
ウソを突き通して平気・・・? みんな本当のこと言わない? 
何を言ってる、だいたいさっき「それじゃ、みんな言わないじゃん!」って言ったお前がいつも正直に教えてくれてるだろが、という感じです。
自分がボールを出したと思った時には、「俺が出した」「俺が最後に(ボールに)触った」と言ってくれます。他の子だって「出た」と思ったらそうしてます。ボールが出たら、ごまかして続けるのではなく相手ボールにして、そのかわり相手ボールをムキになって取る、ボールを取り返してもう一度チャレンジする、その方が嬉しい、楽しいということを充分に感じてプレーできるようになっています。
まったくぅ~、自分達のすごさに気づかぬとは・・・まだまだ子供。

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コドスゴ?! 

(2006年1月 通信No.34より)

サッカーをしていれば色々な悩みが出てきたり壁に当たったりするものです。
ケガ、病気、技術的なこと、ポジションや適性に関すること・・・様々なことで。
みんな様々な経験をして、その度に成長することを見てきた私にとっては、壁を乗り越える時は成長できる時なので歓迎できるものにも思えます。それでも当人や周囲の人にとってはいつも好意的にばかりとれないかもしれませんが。
今のスクールの子が、思うようにものごとが進まず困っている様子を見ると、かつて指導した、そして今元気にしている(成長した)子供たちをふと思い出すことがあります。すると、本当に「お!?」という感じでかつての教え子や保護者の方から「更なる成長を告げる」連絡が来るのです。これにはちょっと驚きですが、嬉しい報告、勇気、力をくれる報告が届くのです。この前もある女の子の話を紹介しましたが、最近もそんなことがありました。

さてさて、前置きが長くなりましたが、これも4年位前の話です。
(注)以前も書きましたが過去のスクールの子の成長などをここで紹介しているのは「私の指導は良いのです」というような意味ではありません。→毎回スクールを見ている方はおわかりでしょう、他を寄せ付けないほどのソラのドタバタぶりを。あの中で育つことができたとしたら、それは間違いなく子供の力なのです。ただ、成長し立派になった子も、まだ頑張り中の子も、みんな、まさに“子供”だったんです。
それを知って頂ければ、子供の可能性を感じてもらえたら、きっとお互いに良いのではないかと思い、ちょっと書いているのです。自慢話なら他に山ほどありますし・・・はい、ウソでーす。ないでーす。すみませーん。

さてさてさて―4年位前の話の続きです。スクールが終了すると、学校のことや友達のこと、さらには本当にバカげた冗談など、実に様々な話を満足するまで話してから帰る子が数人いました。スクール外の時間で、子供たちは色んなことへの本音を語ったり、逆に冗談ばかりを言ったり、ケンカになったり、実に様々な表情に溢れた、とても楽しい、成長できる時間でした。
そんな場、雰囲気の中で、子供たちは私に「アッカンベー、ベロベロベー」という、相手を小ばかにした態度をよく取っていました(もちろん冗談で)。話の最中、自分がピンチになり、「こりゃ言い返せん」と判断するとそうして切り抜けるのです。「くぅ~っ! (怒)このヤロー」と思いながらも、同じ状況に自分が立つと、同じ方法で私も攻撃をかわすのでありました。
※“アッカンベー防御”は逃げているようで卑怯に思えるかもしれませんが、そんな重たい話題ではなく、お互いにちょっとした楽しさ・悔しさを感じられる話題でした。本人は自分の誤りを認め、相手もそれを充分に感じています。ただ「くぉ~ぬぉ~」(←「この~!」の強化型)とは思いますが。
しかし、ちゃんと話さなければならないような時は、お互いにちゃんと話をしていました。当時のスクールには、こういう感じの子が何人も(というより全員?)いたのです。
私はそのスクールをかなり急な形で離れることになったのですが、「アッカンベー」の名手が“いかにも”という手紙を送ってくれました。
スクール時間外は先ほどのような感じで接し、スクール中は...実はさほど変わらなかったりして、タイミングを見てはその子に冗談で「足が短い」などと私はよく言っていました。もちろんその子も反撃してきましたが。この子は(他の子も)スクール中もよく冗談を言ってみんなを笑わせていました。
ただ、スクール中も時間外の時と同様、“今は相手の気持ちを受け止めるべき時だ”という時には、きちんと受け止めているのがわかり、(形式ばった練習、雰囲気を好むコーチには彼がどんな存在に思えるかわかりませんが)私にとっては、人の気持ちを感じることができる、信頼できる子でした。
さてさて、その子がくれた手紙の内容です(そっくりそのまま載せます)。
『やめると聞いてビックリしました。ぼくが初めて○○(スクール名)に入った時、コーチはとても優しい人だなぁーとまちがえたことも考えてしまいました。
4v4(※)の時は、友達できるか心配だった、でも、いっぱいできてうれしかった。
足が短い同士ガンバロー。今よりもっともっとうまくなってコーチをぬいて、プロになってやる。
じゃあ、さようなら 2年間ありがとうございました。』
※4v4・・・当時すでにそのスクールは関東を中心に多数あり、スクール対抗形式で4v4(4人対4人のゲーム)の大会を行ったのでした(詳しくは後述)。
この手紙とともに、「オレ(子供)の足の長さ 30cm」「コーチの足の長さ 3mm」という解説付きの絵があり、さらにマジックで大きく「天才」と書かれた自分の写真が同封されていました・・・ちなみに当時6年生です。

・・・らしい手紙です。あんなに明るく、ちょっと生意気だったのに手紙の中に『4v4の時は、友達できるか心配だった、でも、いっぱいできてうれしかった。』という文があります。
やっぱり普通の子なんです。友達ができるか心配だなんて、当たり前ですが子どもらしい気持ちです。4v4のメンバーは、色々な曜日の子が参加するので会ったことのないメンバーも多くいるのです。そのメンバーの中では彼は上手な方でしたが、そんな彼が、サッカー以外のこと、友達がたくさんできたことを嬉しく感じたということも、本当に嬉しく思います。
4v4の大会では、“優勝チームの子は○○旅行にご招待(外国に行って試合ができる)”だったので勝ちたかったはずですが、この子も他のチームメイトも、大変な状況でもドリブルで相手を抜こうとする、触るのが無理っぽいボールでも必死に追いかける、相手のボールをみんなで取りに行くなど、かなり損をするいつもの“子供らしい”、でも魅力と可能性に溢れたプレーをしていました(ちなみにそんなプレーで準優勝)。
パッと見は、「サッカー知らないんじゃないの?」と思う大人達がいたかもしれませんが、私は彼らの“子供”プレーに大満足だったのを覚えています。
この時子供たちが見せたプレー、自陣ゴール前でのドリブル・・・「そんなことをしていたら判断力が身につかない」「視野が狭くなる」などの意見を聞くこともありますが、その子は小学生の高学年、まさに伸び盛りの時にチームに所属していなくても、Jリーグチームの下部組織(ジュニアユース)のセレクションに見事受かり、その中でも選抜メンバーとして試合に出場できる程の力を身につけています。
・・・あんな手紙を書いた子が...「コドスゴ」です(「子供はすごい」という表現だと「またか」と思われると思い略語を作ってみました)。
ちなみにこの4v4の大会、私のスクールから出場したメンバーにはサッカーチームに入っていない子もいました。スクール内から希望者を募集して選んだのですが、スクールでサッカーを始めた子が、大会に出たいと言ってくれたことも嬉しかったです。また、周囲の子も、チームに入っている・いないとか、自分の方が誰よりうまい・うまくない、なんてことを気にせずプレーしていたのを覚えています。
誰かが致命的なミスをしても、本人はもちろんそれを取り返そうと必死にプレーしていましたし、他の子がいちいち失敗を誰かのせいにするような言葉やプレーはありませんでした。言い合いはあって良いと思いますが、責任のなすり付け合いは子供を強くはしません。
―さて、その子ももう中学を卒業します。どんな感じになっているのだろう...と、思っていると・・・携帯電話が鳴り、出ると「○○です」・・・そう、その子です。
声を聞いてすぐにわかりました。ことあるごとに思い出していた子ですから。
「高校受かりました」という報告でした。嬉しい限りです。高校サッカーのかなりの名門校に、サッカー推薦で合格したとのことです。学校名を聞いて正直ちょっと驚きましたが(このヤロー、やりやがったな、という感じです)、よく頑張ったものです。
中学時代に、その年代に必要なことを吸収し、テクニックと判断、戦術をしっかりと融合させ、大成長したのでしょう。小学生高学年の時にチームに所属していなかったのに、先取りのような練習はしていなかったのに、きっとサッカーが大好きで、たくさん自分で練習し、相応しい力をつけたのでしょう。
これからまた険しい道が続きますが、きっとヤツなら何かしらつかむことだと思います。
コドス・・・(流行りそうにないので却下!)子供は本当にすごいですね。頑張れ! 

ところで、今回この子から電話をもらい、改めて感じたことがあります。それは、子供は、子供の時は(成長するということも含め)“子供”であっていいのだということです。その中で色んなことを本当に吸収できるのだと思います。いかに本当に必要なことを吸収するか-それが重要なのだと思います。それは、サッカーの技術・戦術においても、また、それ以外の道徳的な部分でもそうなのだと思います。子供プレーを充分楽しんだ後にサッカーの部分で結果(取りあえず今の段階でのものですが)を出し、とてもキレイとは言いがたい言葉で話したり冗談を言いあっていた昔のコーチに、会わなくなってから何年もたっているのに律儀に連絡をくれたこの子が、そんなことを伝えてくれているような気がします。私の勝手な考えですが。
なんか今のスクールの子を見ていると、実に子供らしく、非常に楽しみです。

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“特別”なのに

(2006年1月 通信No.33より②)

さて、昨年末の“特別スクール”にご参加頂いた皆さん、ありがとうございました。参加できなかった皆さん、なんとも変な日程で開催してしまいすみませんでした。この特別スクール、もともとは子供たちに年末ぐらいはゲームを楽しませてあげようと思い、企画したのでありました。
U-6クラスと1年生は(多少“?!”ということはあったものの)楽しそうに練習、ゲームを行い、2005年最後のスクールが終了しました。
続いて2・3年生も、・・・・・ももももも・・・と行きたいところだったのですが、あぁ、すみません、いつもの調子で「こらぁ、お前らぁ!」という感じに...。
だって(お、いかん、これは子供が言い訳をする時に使う接続詞だ)....何故ならば(セーフ!)、先週のスクールで前述のようなことがあった後のスクールであったにもかかわらず、友達の頑張りに気づかぬような様子が子供たちから、グループの雰囲気として出る場面があったからです。
普段はもう少し余裕を持って見ている時もありますが、頑張っている友達の良さや一生懸命やっている子の気持ちがわからないのは、しかもグループとしてそんな空気を作っていることはやはり我慢できず、「お前らぁ(怒)」となってしまったのでした。
後で冷静になって考えてみれば、ほとんどの子はまだ2年生。まだまだそこまで友達の頑張りに気づいたりできる年齢ではないかもしれません。熱く話しても伝わらないことの方が多いのも事実です。大人が求めるものと、今の彼らの年代の一生懸命とはちょっと違うでしょうから、子供たちのその時の姿は、ある意味なんのこともない、普通の様子だったのでしょう。
私はグラウンドに立つ時、もちろん“コーチ”という気持ちでグラウンドに立っていますが、同時に親(あつかましくてすみません)や友達(仲間)としての立場でもグラウンドに立っています。
コーチとして,大人として,親(の皆さんと同じ気持ちで)として,友達として、子供たちに伝えなくてはならないことを、彼らが成長するにはどう伝えるべきなのか考えながらグラウンドに立っています。
現場で起きている様々なことを肌で感じ、必要だと思ったことをできるだけ伝えているつもりなのですが、後で考えると違う伝え方があったのではないだろうか、そんな風に思うこともあります。
この特別スクールも、そうでした。
私が求める、友達との絆を築くには、本当に、まだもうちょっと時間が必要なのでしょう。
今の彼らが吸収できることを思う存分吸収してから、自然に次に進むのでしょう。まだまだ自分が困ったり、一生懸命やる経験をしなくてはならないということなのかもしれません。
「今は友達を助ける時だ」「今は手を出さず見守ろう」「ここは自分で踏ん張ろう」「ここは助けを呼ぼう」...そんなことがわかるようになるにはもうちょっと時間が必要なのですね。ケンカなどを見ていてもまだ1対1の関係。見ている子が「俺の仲間に何しやがる!」みたいなことはまだ出てきません。
長い時間一緒にいると、何かお兄ちゃんに見えてきて、少し上の年代に要求しているようなことを要求してしまいます。当初の意図とは違う「特別スクール」になってしまいました。― 反省です。

>>>さてさて、高学年の特別スクールは...本当にさすがだと、つくづく思ってしまいました。
ゲームメインと言っていましたが、それまでの練習を無駄にしないためにもちょっと練習をしました。その練習には12月にテーマとしていたコンビネーションプレーなどは全く入れず、それ以前に取り組んでいた内容(のうちの基礎部分)を練習しました。そしてゲーム。
驚きですー12月にテーマにしていたプレーが、あらゆる場面で繰り返されます。それも様々な形でのコンビネーションプレー。あそこまで出るとはなかなかです。毎回意識して練習してきたからでしょう。
思えばゲーム前の2人組での練習も、気持ちが揃っていて、連帯感がありました。特に、浮き球のコントロールの練習時、(2人のうち一方の)相手にボールを投げてあげる子は、友達のために真剣にボールを投げ、相手がキックして返したボールが多少それてもすぐに拾っていました。
しかも、ゲームでは、(コーチ的に)基礎力アップを目的に取り組んできた練習の成果も随所に出ていて、意識させてきたテーマ以外の、隠れた(裏テーマとして扱ってきた)技術の成長も感じることができました。自分達で雰囲気をしっかり作っていたので、その後のゲームでもいいプレーが出ていたのでしょう。
これからも、力をメキメキつけてくれそうな、新しい一年の成長に期待大となる最後のスクールでした。

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口出す必要なし! 

(2006年1月 通信No.33より①)

ミニゲームをしているとある子が私に言うのです。「みんながちゃんとやってないからつまらない」と。
ただ、私には“ふざけている”状態とはちょっと違うように見えたので、一応その子には「でもふざけてるんじゃないかもしれない」と言いました。しかし、実際にプレーしている、子供の彼の方が友達の状況がわかるかもしれません。この「ふざける」と「楽しむ」の境目は非常に難しいのです。
この子は年下の子のことも常に考えてプレーする子です。精神的にちょっと他の子より成長している可能性はあります。サッカーの楽しみ、一つ上の楽しさをわかりかけているのかもしれません。
だとすれば、周囲の子が、決してふざけてはいなくても、楽しんでプレーをしているのであっても、そこでは楽しさを感じられないかもしれません。
かといって、その子の感じる楽しさに基準を合わせるのでは、他の子の楽しみに無理が生じます。
難しい部分ですが、ただ、そのどちらにしても、もし自分がその雰囲気では楽しくないのであれば、それを伝えることは必要なので、「俺はこんなのつまらない」「俺がしたいのはこんなサッカーじゃない」ということをプレーで表すように言いました。伝えてみなければわかりません。
そう言った直後、彼がボールを持ちました。ボールがラインを割りました。そのボールで早くゲームを再開できるよう、彼がそのボールを一生懸命追いかけます。しかしボールに追いついた直後に転倒してしまいました。前につんのめり、膝を打ちました。しばらく起き上がりません。その子に私が近づいている間、背中の方から、それを見ていた友達が(転倒した子を見て)「えびになってる」などと言っているのが聞こえ、何人か笑っている声が聞こえました。
すぐさま振り返って怒鳴ってやろうかと思いましたが、転んでいる子を見て、そこはこらえました。
この子はまだプレーができる、プレーで伝える力を持っている。だから私が代わりに伝える必要なんかないと思いました。
その子は足が痛いと言って泣いていましたが、それは悔しさの表れだとすぐにわかりました。本人にも確認しましたが、プレーはできるようです。
さっき聞こえた声、冗談・・・いつもはそういった言葉ですぐに友達が笑いながら復帰することもあります。笑った子供たちはこの子も自分達と同じような感覚でプレーしていると思っていたのでしょう。なかなか立ち上がらないその子を見て、先ほど「えびになっている」といった子が近寄って来ました。
そんなことを言うべきではなかったとわかったのでしょう。すまなかったという表情で「大丈夫?」と声を何回もかけていました。転んだ子の表情を見て、そして出た「大丈夫?」という言葉を聞いて、さっき私が出て行かなくて良かったと思いました。私が気づかせるより、子供自身で気づく方が価値があり、私に言わされた言葉より、素直な気持ちから出た言葉の方が相手に伝わります。
さて、転倒した子がプレーに復帰。
自分のやりたいプレーをします。私も、その子と同じチームだったので、仲間としてのプレーをします。
同じチームの子には協力を求めます。
相手チームの、さっき声をかけに来た子が真っ先に「俺もちゃんと(一生懸命)やろう」と言いました。何か伝わったのでしょう。少しずつみんなのプレーがかわり始めます。
いつの間にか、真剣モードになっていました。
もちろん、この雰囲気が全て良いというのではありません。この雰囲気だと、それまでのように積極的にプレーに関われなくなる子が出てくるのも事実です。プレーしていてもちょっと無理があるような。
ですからそのような子には、運動の刺激がきちんと入るように、動けるように指示を出し、プレーに入ってもらいました。
みんなが自分の気持ちでプレーして、それでお互いに影響を与え合って成長していく。そんな難しそうなこと、それがやりたいのです。
さて、そんなゲームが終わり、その子が帰っていくとき、私に今度はこう言いました。
「みんな、終わりの方はちゃんとやってたから良かった」と。
自分のプレーで友達に何かを伝えられること、その大切さをきっと感じてくれたことでしょう。
色んな経験を重ねて、少しずつ成長して行くのですね。

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復帰・復活できるんだ! 

(2006年1月 通信No.32より④)

ニュースが飛び込んできました。中学3年生の女の子の。私が他県のスクールで指導をしていた時に小学3年生だった子です。
当時、この子は本当に楽しみながら、チャレンジを繰り返し、テクニックを身につけていきました。
私は一年後には別のスクールを開校するためそこを離れてしまい、そのスクールには約1年間しかいられませんでしたが、素直な子が多く、とても楽しいスクールだったので異動後も気になり、後任のコーチに色々と様子を聞いていました。この子も順調に成長し、無事に卒業したようでした。
卒業後は、Jリーグの下部組織のチームに所属したことを聞きました。順調です。そして今は中学3年生。チームは変わりましたが、まだ元気にプレーしています。順調ーーーーいえいえ、実は全然順調じゃなかったんです。・・・この子は足の病気で、中学1年生の時に手術をしています。手術をしても「サッカーは無理」と病院の先生が言うほどの状況になっています。私がお見舞いに行ったときには病室で横になり、足を上に吊った状態で固定されていました。退院の連絡はもらいましたがその後しばらく連絡がなく、そろそろ復活できたかな、それとも復活できず苦しんでいるのかなと気になり連絡をしてみると、ちゃっかりすでに復活していました。しかし、入院、手術、退院後のリハビリなどで、サッカーの練習に参加できるようになるまでには約1年間かかったそうです。
1年間、皆さんどう感じます? 長い人生の中での1年間だと考えれば、長くないと言えるかもしれませんが、子供にとっての1年間 ― ボールを蹴ることが大好きな子です。サッカーが好きで好きでたまらない時の1年間。友達がどんどん上達していく1年間。どれだけ長かったことでしょう。
実は、私はきっとそんな状態からでもその子が復活することはなんとなく予想していたのですが(それまでに色んな子がすごい力を私に見せつけてきましたからごく自然な考えです)それにしてもよく耐えたと思います。
子供ってすごいですね。この子、U-15ナショナルトレセンに選ばれたんです。
全国から126名選ばれているのでこれからも大変ですし、選ばれていなくても優秀な選手、今後伸びてくる選手はたくさんいるでしょう。あくまで現時点で選ばれているということなので今後どうなるかはまったくわかりません。本人もそれはきっとわかっているでしょう。でもブランクの時期、期間を考えるとすごいことは確かです。サッカーに復帰どころかここまで来たんですから。
本人の努力、そしてそれを後押しする家族、友達、チームスタッフの支えがあったからこそ得ることができた成長だということは言うまでもありませんが、乗り越えたものの大きさを考えると、きっと、ただ順調に成長していた場合に得ていたであろう力の何倍もの成長する力を手に入れたのだと思います。
実際にどうなるかは、やってみないとわからないことがたくさんあります。
みんなが、自分の期待通りの結果を得られるとは限らないかもしれません。でも、子供たちの可能性は私達の想像をはるかに超えています。一人一人の子に、色々な、強い可能性があることだけは事実です。
子供たちはすごいですね、遠くにいても、会わなくなってから時間がたっていても、しっかりと私達に存在を示し、勇気をくれます。今年最後に、また力を見せつけられてしまいました。

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うん、じゃあね

(2006年1月 通信No.32より③)

U-12クラスで、子供たちがかなり頼れる存在になりつつあることを実感したことがありました。
今まではドリブルのテクニックを中心に練習して来ましたが、12月のテーマは友達との「コンビネーションプレー」です。
まず練習したのはワンツーというプレー。
ボールを持った時、相手選手が前にいる状態で、味方の選手に一度ボールをパス(と同時に走り)、相手選手の背後でパスを再び受ける(パスを返してもらう)プレーです。壁にボールを当てて跳ね返ってくるような感じです。「壁パス」などとも言われます。とてもシンプルなので、やったことのある子もたくさんいるでしょう。ただ、ドンピシャリのタイミングで成功させるのはかなり難しいワザです。
パスを出す方、返す方の息がピッタリ合わなくてはなりません。そのかわり、特に相手のゴール前などでは、成功すれば大きなチャンスを生み出すプレーでもあります。
子供たちにとってはゲームでやるのはちょっと難しいのですが、決まるとかなり嬉しいプレーなのです。
さて、練習中、ミニゲームでの子供たちのプレーはどうだったでしょうか。
・・・ワンツーに挑戦する子はたくさんいます。しかしワンツーに挑戦すればするほど失敗も多くなります。次第に守備の選手も動きが速くなり、それをかわすためにパスが速くなる、成功できるタイミングがほんの一瞬になる等、難易度が増すからです。しかし、そんな中でも失敗を繰り返しながらプレーがどんどん良くなっていきました。そこで、味方、相手が増えた状況で、色んな友達とワンツーができるか、お互いの気持ちを伝え合うことができるのかを見るために、続いて大ゲームを行いました。
大ゲームでは、ミニゲームで自信を持った子と、失敗してちょっとだけ自身を失った子が同じチームになります。チームになれば、自信のある・なしは関係ありません。同じ気持ちでプレーをする、それがチームです。チームには、いなくてもいい選手なんていないのです。自信のない子がいたらその子に自信を持たせる、自分の良さを出せていない子がいたらその子の良さを引き出す、それもチームメイト、友達の役目です。
子供たちのプレーを見ていると、守備時は頑張るのに攻撃時はちょっと遠慮気味の子がいました。この子をA君として話を進めましょう。
A君はミニゲームで数回失敗したことがあったので消極的になっているのかもしれません。でも、失敗はボールをたくさん触った、友達のプレーにたくさん絡んだ証拠です。挑戦していたからこそ得られた結果です。そういう子が、大ゲームで消極的になってしまうのは、良さだってあるのにもったいなさすぎます。いつも地味な練習にも自分のペースでしっかりと取り組んでいる子。実際に上手になっているのに、それに気づかぬままゲームを終わらせてなるものか。チームにとって大切な存在だということ、自分に力があるということをしっかりとわからせなければ―――ということで、一人の子にお願いをしました。「A君いるだろ。上手になってるのに力を出せないのはもったいない。意地でA君とワンツーを成功させろ」と、ある子に言いました。残り時間が3~4分の頃に。
それまで、ゲーム中にA君はまだ友達とワンツーを決めていません。守備ではよく動いていますが攻撃時にプレーに絡むことが少なく、しかも相手チームはみんなノリノリです。ワンツーが成功する確率は、常識的に考えればゼロと言ってもいい状況です。コーチが入ってプレーを行う時間帯でも、見え見えのプレーで自信を与えるような段階・年代でもありません。
パスを出す側でも、友達からパスを受けて返す側でも、どちらでもいいから、何とか成功をー頼むぞ・・・。
さあ、私から指示を受けた子がボールを持ちました。大きな声で、A君の名前を呼びます。
パスを出す・・・A君につながらない、パスが返ってこない、タイミングが合わない・・・そんなことが続きます。少し成功の可能性が見えても、相手チームの子もディフェンスをするのでそう簡単に成功はしません。それでも何回も何回も、ボールを持つたびにチャレンジします。
―私はたまに子供に“意地で”という言い方をします。それは科学的にどうとか、常識的にはどうだとか、そんなことを超えて、自分の気持ちで、強い気持ちでプレーして欲しいからです。単純な根性論ではなく、“気持ち”がすごい結果をもたらすことを信じているからです。もちろんそれまでの経験から技術などを自分で身につけている必要がありますが、“気持ち”が、それまでに自分の体にためこんだ技術・力を引き出すことができることを知っているからです。
・・・そして、残り1分を切った時、私から指示を受けた子がボールを持ちました。それまでと同じようにA君を探します。大きな声で名前を呼び、パス。ずっと名前を呼び続けられていたA君がそのパスを何とか受け、パスを返しました。そして、それがしっかりと相手に届きました。ワンツー成功です。
ただのワンツー。でも、それまでの状況、残り時間を考えれば“奇跡”と言っても決しておかしくないプレーです。
たった一つのコンビプレーの成功ですが、それが持つ意味は、大きく、深いと私は思います。きっと、お互いの体には、「自分・友達の持つ可能性」を感じる力が絶対に入ったと思いますから。
友達の良さを引き出す力が自分たちにあることも、少しはわかったことでしょう。
彼らがこれからお互いに成長していく時、そういったことを感じられることはとても大切なことです。だから、私はそのプレーは本当に大きな意味を持っていたと思います。
でも、すごいなと思ったのは、そんなすごいことをやってのけた子供の別れ際の様子です。スクールが終わり、私が(指示を出した子に)「ありがとうな」と言うと、「うん、じゃぁね」と言っていつもの顔で普通に帰って行きました。彼の中では「そんな大したことはしてないよ」ということなのでしょう。
私にとってのスーパープレーも、奇跡のように思えることも、彼らにとっては大きな可能性の中のほんのちょっとのことにすぎないのかもしれません。
ちなみにその翌週、A君はスクールを休み、2週間後にまた来ました。
私はこの日もA君に自分の力を再確認して欲しかったので、ゲームに入りA君とのワンツーを何度か試みたのですが、成功しませんでした。ところが別の子が、A君と見事なワンツーをあっさり決めました。
子供たちに2連敗・・・。友達の力を出すことに関して、コーチよりも力のある子供たち。
本当に一人一人が頼れる存在になりつつあります。すごい可能性ですね。

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巻き爪

(2006年1月 通信No.32より②)

私のちょっとマヌケなお話を。
サッカーをしていると、なんだかんだでつま先の方でボールを触ることやつま先に衝撃・圧力が加わることが少なくありません。
すると親指の爪の外側が指の肉に当たったりしてちょっと痛くなったりします。皆さんはどうかわかりませんが、私はそうでした。そしてその度に軽く苦しんでいました。
・・・・・もう20年近く前ですが、そうして私が指を痛がっていると、兄が「こうすればいいんだよ」ということである方法を私に教えてくれました。どんな方法かと言うと、爪が伸び始めてきた頃に、お風呂上りなど爪がちょっと柔らかくなっている時に、爪の、指の肉に当たる部分をちょっと深く、丸く切るのです。
この方法を知ってからは、ちょっと痛くなり始めるとこの方法を使い、実際に痛みがとれるので「すごくいいぞ」ということでずっと続けていました。
―が、効果があると思っていたその方法を使っても、なかなかうまく爪を切れない、ちょっと伸びては切ってみて(失敗する)、また伸びるまで待って再チャレンジしてまた失敗、なんてことが数ヶ月前に起こりました。
「痛い。どうしよう」ということで知人に相談すると「巻き爪だね」という返答。
恥ずかしい話ですが、それまで私は、“マキヅメ”なんて言葉、聞いたことがありませんでした。
“マキ・・・ヅメ?”・・・「なんじゃそりゃ?」ということで早速インターネットで調べてみると、写真やら治療(手術)の方法などの説明があり・・・・・「これはマズイ」ということで数日後に病院へ行きました。
先生に診てもらうと「巻き爪だね」とあっさり言われ「ガーン」となりましたが、でもまだ手術する程でもなく、地味~な治療法を続けることになりました。幸い悪化することなく、今では「あと少しで元に戻るかな」という段階です。ちなみに先生には、「爪は、先が四角くなるように切らなきゃ」と言われました。
お子さんがサッカーをしている皆さんはきっとご存知でしょうが、私は知らなかったんです...。
なんせ自分ではずっと前に良い方法を見つけたと思っていましたから...。

表面上はいい感じ(一時的に痛みが取れる)になっていたのが悪かったのですね。良い結果が出たことで信じてしまっていました。そして得意になって続けてしまったのでした...。
こんなことから、改めて正しい知識を養うことの重要性を実感しました。表面上の結果に惑わされていてはいけません。やはり本質を見ねば、ということですね。子供のサッカーも然り。
それにしても、20年近く続けていた「爪きり法」にこの年になってひどい仕打ちを受けるとは...。

※2014年11月25日に、この時に巻き爪をどうやって治したかを載せました。
こちらにあります。(そのページへ飛びます。)

うまく飛ばなかったら、ブログ「ソラ的な日々」の2014年11月25日の記事を見て下さい。

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判断のはやさ

(2006年1月 通信No.32より①)

さて、まずは通信No.25で「ここでは詳しく述べませんが」ということにしておいた内容です。
通信No.25おまけ中「サッカーでは、“判断の早さ”がよく問題となります。それを養うのは必要なことです。場合によってはフェイントに無理やりチャレンジさせることはそういった判断の早さを養うことを妨げるように言われますが、それは違うと私は思っています」という部分についてです。おわかりになっているかと思いますがソラ的にいきます。
内容を思い出せない方は通信No.25をご確認下さい。
さて、判断とはそもそも・・・勉強すればかっこいい答えが出てきそうですが、子供達がプレーしている時を振り返っていく方が自然なイメージが浮かぶかと思いますので、ちょっと一緒に振りかえってみます? やだと言われてももうこの時点では手遅れです。一緒に振り返って下さい。
では、例を・・・A選手がボールを持ちました。その時、B選手(相手選手)がボールを取りに来て、A君はボールを奪われてしまいました。さて、またA選手がボールを持ちました。またB選手がボールを奪いに来ました。
この時、例えばA選手が、①B選手がそばに来る前にパスをしたとします。そうすればボールは奪われず、チームにとっては良いプレーになりますね。逆に②さっきと同じようにボールを持ち、また抜こうとしてボールを奪われると、チームはまたボールを失うことになり、チームとしてはマイナスのプレーにも見えますね。一見①の方が良いプレーにも思えますが、こういった表面的な部分だけに目を奪われてはいけません。そのプレーを選択した理由の方が大切です。
判断が早く(見え)、しかも結果が良いのも①ですが、仮にパスを選択した理由が「さっきボールを奪われたから」だとするとどうでしょう。あまりにもったいないプレーです。ボールを奪われた経験から得た選択肢が「奪われる前にパス」の一つだとすると、判断の早さという部分でも、選択肢がない、少ない(自分の中で他の選択肢を持たなかった)ので、選ぶ必要がなかった(選択が簡単だった)ということです。そこに本当に判断の早さはあるのでしょうか。
「ある」と言われれば、別に否定はしません。一応その前の(ボールを奪われた)経験から出した判断ということはできるかもしれませんので。
ただ、その場合でも判断は自分の経験したプレーから生まれています。つまり、様々なことを経験した方が選択の幅は広がるのです。その中から、最もその場に相応しいと思うことを見つける・考えるから、判断なのです。
そう考えると、様々な経験を生み出す可能性のあるプレー、選択の幅を広げる可能性のあるプレーは、やはり②だと思います。
もし抜こうとすれば、B選手を「ドリブルで抜く」や(パスを受けたときの)「最初のボールタッチで抜く」という2つの選択肢を持てる可能性があります。「パスをする」場合よりも選択肢を多く持てる可能性があります。ドリブルやボールタッチでの抜き方も色々ありますから、それらを含めるとさらに多くの選択肢を持つ可能性があります。もちろん、パスも様々なパターンがありますが。
このように、一見、プレーの早さ的には①の方が勝っているようですが、②の方が判断の早さを養える、選択肢を増やすことができる、成長できるプレーだと私は考えています。
ただ、このような時にあまりに選手だけに判断を任せていると①のようなプレーが多くなってしまうこともたまにあるため、経験を広げ選択肢を増やす意味で(もちろん可能性を認識させるためにも)「ドリブル・フェイントを試せ」を強要する事も私の場合はあるのです。
そうはいっても、実際に子供たちの試合を見ていると、確かに①のようなプレーが多い方がプレー自体に早さを感じたり、判断の良い子が集まったチームに見えることもあるでしょう。―が、後でもできるプレーである(しかもその中の一つにすぎない)ということを考えると、それでいくら良いゴールや結果が生まれても、その判断の早さに感心するより、もったいなさの方が私の場合は先にきます。
自分でも抜けることを充分に知った上で「でも今はパスしよう」など、状況に応じてプレーできる。そんな選手になれる可能性は、無理矢理の経験をさせることもあった方が膨らむと思うのですが。
通信No.25ではこの部分に深く触れませんでしたが、こういったことです。
ちなみに、初めから判断が良すぎると、失うことがたくさんあると思うので、そこまで判断が飛ばないようにも注意して見ています。これは「便利なものは後で」の考えですので改めて説明はしないでおきますね。
一つの経験から、より多くの選択肢を吸収できる・持てるようになる方がすごいと思うので、しっかり吸収して次、しっかり吸収して次・・・ということを繰り返し成長していくことが望ましいと私は考えています。そして色んなものの詰まったプレーヤーになってくれたら、と思っています。

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みなさんへ(2005年末・ご挨拶)

(2005年12月 通信No.31より)

さて、今年も残すところあとわずかです。
ちょっと早いかもしれませんが、今年を振り返り、私の感じていることについて少しお話させて下さい。
まずは、暖かいご支援、ご協力を頂き、本当にありがとうございました。
時には失敗もあり、深く反省をしながらも、子供達、皆様に支えられ、今日までやってくることができました。
自分たちのありのままを受け入れて頂けることが、どれくらい有難かったことか、本当に感謝しております。

私は、自分が自分でいられる、子供が子供でいられる、このスクールが大好きです。
ここに集まる子供たち一人一人は、私や他のコーチにとって、とても大切な存在です。彼らは少しずつ大人になっていきます。いずれは社会に出ます。そして社会を築いていきます。社会でしっかりと生きる、新しい社会を築く、そんな力をつけなければなりません。一人一人しっかりと育ってほしい、育てたいと思っています。
大人になっていくまでにはきっと色々な過程があるでしょう。
私が直接関われるのは、小学生を卒業するまでの間です。その間にできる限りのことはしたいと思っています。
また、子供たちが卒業した後も、私は勝手に、子供たちといつでも関われるように準備していたいと思っています。成長していく子に、私が必要でなくなっても、勝手に準備だけはしておくつもりです。
皆さんと同じです。
子供たちが成長して、やがて親の手を借りることがなくなっても、きっと皆さんは、何かあった時に、いつでも子供が自分を頼ってこられるように準備をしておくことでしょう。それと同じです。
皆さんと同じ気持ち、同じ立場だということを、今更ですがここでお伝えしておきます。
ですから、遠慮なんかしないで下さい。子供に対して必要だと思うこと、生きる力を育てていく上で必要だと思うことがあれば、どんどん言って下さい。みんなで子供たちを育てましょう。
そして、成長がうわべだけのものにならないよう、自分や友達の可能性をしっかりと認識させていきましょう。
私はその時に絶対にサッカーの技術の向上が必要だと思っています。本当に技術を向上させて、その可能性をわからせる必要があると思っています。中途半端ではなく、しっかりと本人が、周囲が、認識できるくらいの上達が必要だと思っています。理想だけ掲げたり、形だけ整えてキレイにまとめるーでも中身はスカスカ、そんな中で得られる形だけの上達や弱い達成感ではなく、もっと強いものを追求したいと思っています。
外見や形なんかではなく、本質にこだわる、そんなスクールでありたいと思っています。
技術の向上がしっかりとあり、自分、友達の可能性、存在をしっかり認識し、様々なことを吸収していく、やがて社会で生きていく時に、少しでも力になるものをしっかりと体、心に吸収してほしいと思っています。
だから、適したものを、適した時期に、適した量で吸収できるよう、メニューにこだわっているのです。
普段のコートの中には、それだけのものが詰まっています。
ですから、今までのようにスクール時は見守って頂けたらと思います。但し、スクールが終われば、疑問に思うことや質問、意見など、色々お話下さい。「こんなこと言って大丈夫かな」「こんな質問していいのかな」...どんなことでも、言って下さい。それが、スクールを良くすることにもつながります。子供たちの成長にもつながります。もちろん、何かを言われたらすぐに方針を変えるとかそんな軽い行動は取りません。深く考えて行っているスクールです。子供たちのためにどうすべきかの判断は慎重に行います。ご安心を。

時々、スクールが子供たちにとってどんな存在か、お話を伺うことがあります。子供たちにとって「大切な存在」だと言って頂けることもあります。とても嬉しいのですが、実際には、私達スタッフ、スクールにとって大切な存在が子供たちなのです。ですから、その子供たちを大切にしている皆さんとは、先ほども言いましたように同じ立場です。
子供たちや皆さんのことを私は勝手に仲間だと思っています。大人―子供、コーチー保護者、そんなもの関係ありません。
私は、子供の頃からずっと良き仲間に恵まれてきました。今もそうです。だからここまで来れました。
時には自分でしっかりと踏ん張り、時には仲間を助ける。必要な時には助けてもらう。それが仲間です。
これからもよろしくお願いします。
仲間のみなさんへ

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試合のことなどなど

(2005年11月 通信No.30より③)

■みなさ~ん!? (チームに入ってない方には直接関係ないかもしれませんが、“参考”ということで。)
試合を見に行くと、スクールの子がいるチームを私も内心応援しています。残念ながら負けてしまうこともありますが、「試合結果=実力の差・可能性の差とは限らない」ということは覚えておいて下さい。
いい、年代に合ったサッカーをしようとしているチームの中にも負けてしまうチームもあります。だから私は、応援しているチームが負けて悔しくても、内容的に良ければ「別に~」という感じもあります。もちろん勝った場合も、プレーについてはさらに冷静に見なければならないと思っています。応援しているチームが勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。色々な思いも渦巻きますが、それでも冷静に考えることも必要なのです。

■ところで応援は...
「行けー!」「守れー!」「攻めろー!」など様々な声が聞こえてきます。これらの声援は子供達にとってもやる気の源になるでしょう。しかし、一つ気をつけなければならない声があります。それは、子供に対する具体的な「指示の声」です。「こうなったらこう動け」・・・これはコーチが出すべきものです。コーチとの間で意思疎通ができていたり、チーム的に問題がないようであれば構わないかもしれませんが、そうでない場合は控えた方がいいでしょう。それらの声により短期的には良い結果が生まれるかもしれませんが(見た目)、これはやめた方がいい声です。子供が本来すべきプレーや、成長の機会を失います。コーチをされている方は別ですが、親として試合を見る場合は、楽しんでしまうスタンス、声かけが理想でしょう。余裕を持って自分の子に突っ込みを入れられたりできるくらいなら最高です。実際にはそうはいかないかもしれませんが、ドキドキ・ハラハラ、喜び・悲しみ・楽しみ・ズッコケくらいがあった方が楽しいと思います。もちろん絶対に勝ちたい試合もあるでしょうが、それでもその「勝つ」という目標も、子供達の年代では「育成」という大きな目標の中の、一つの要素に過ぎないということは見失わないように、心の奥ではゆとりを持って応援していきましょう。
皆さんは応援はしてますがちゃんと“楽しむ”スタンスがあり、素晴らしいなと思います。

■“親だからこそわかる”感情を感じつついきましょう
チーム事情によっては、一つ下の学年の子が一緒にプレーしたり、経験の浅い子とずっと経験のある子が一緒にプレーすることもあるでしょう。当然、経験や意識の差がグラウンドで出る場面があるかと思いますが、全て受け入れちゃうくらいの余裕があるといいと思います。例えば、ボールを一生懸命追いかけている子と、砂いじりや、自分で遊ぶことに夢中になってしまう子が同時にコート上にいたりするのも珍しくありません。
自分の子がチームの他の子に迷惑をかけると申し訳ないので、つい自分の子がそのような行為をしている場合には厳しく注意したくなるかもしれませんが、本人にとってはまだその注意の意味がわからないということもあるでしょうから、必要以上に注意をしない方がいいでしょう。しかし、親がそこまでゆとりを持てるためには、周囲の皆さんのゆとりが重要です。
たまに、試合中に全く関係ないことをしている子を見ると、私なんぞは「可愛い」「面白い」ということで手を叩いて笑ってしまったりしますが、殺気だった応援の中だったりすると、浮いてしまう時もあります。
こんな中では親の方でも「うちの子かわいい」という余裕はなかなか持てないでしょう。皆さん、いつも見せてくれているゆとりをたっぷり発揮して下さいね!  もちろん学年が上がり、周囲との協調性をより育てる必要のある段階や、周囲の子の気持ちをしっかりわかった上でプレーしなければならない年代では別ですが。
子供達は自分達が楽しいからサッカーをしています。プレーしているのは子供達です。どんなことに“楽しみ”を感じるか、これも子供達の成長とともに変化していきます。みんなで、その時にコート上にいる子が楽しくプレーできる環境、応援している皆さんが素直に子供達を応援できる環境を作れるといいですよね。皆さんはすでにしていますけどね。

■自信を! 
自分の子のプレーを見ているとつい他の子と比べてしまいがちです。子どもの成長が気になるので当然だと思います。しかし、子育て経験豊富な皆さんはご存知でしょうが、成長には個人差があります。
他の子との差を認識することや比較も大切ですが、ここでもゆとりは大切です。自信・・・比較により生まれる自信も大切なものですが、他者との比較と関係なく持てる、絶対的な自信はそれ以上に大切です。子供のプレーは環境も影響します。可能性ある子供達が、彼らに似合わない劣等感や優越感などを持たず、強く成長していけるよう、良さを充分に認め、正しい自信を育てていける、伸びる環境をみんなで作っていきましょう。

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伝え方いろいろ

(2005年11月 通信No.30より②)

U-9クラスでちょっと難しいワザに挑戦した時のこと。
ある1年生の子を見ると、ちょっと泣きそうーというか泣いています。できない理由は色々あり、見本を見ていなかった、見ていたけど理解できない、他にも様々ですが、できないことが悔しくて、その時はコーチの見本や友達の練習する様子も冷静に見れず、ちょいと泣き顔になっていました。
少し時間をおき、「なんで泣いてたの?」から会話を切り出すと、自然に受け答えでき、いつものやんちゃ君にもどりました。
また、同じ練習中、別の子は練習中にそっとコーチのところに寄ってきて、真顔で小声で「ちょっと難しいかもしれない」と言ってきました。
そこで、練習の列から一度離し、軽く見本&「ちょっとやってみよう」で2・3回やってみると、すぐにコツをつかみ、みんなとの練習に復帰。
“難しい”と感じたことを伝える手段が様々で、本人には悪いですが愛らしく・・・思わずフホッと笑いが出てしまいました。

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「邪魔者」現る

(2005年11月 通信No.30より①)

9月の第3週、U-9クラス火曜日の練習中に邪魔者が現れました。一番子供達に集中して欲しいその瞬間に、やつは来たのです。
ウォーミングアップが終わり(お、今日はスムーズだぞ?)、いよいよ今週のテーマ(ワザ)に入ります。
さて、集合し、座り、(よし、スムーズ!)コーチの話を聞いて....って、みんなの目に俺が映ってないぞ、コラ。ちょっと寂しい、どこ見てる? ...空? 
―――ゴゴゴゴ...「コーチ、飛行機!」と子供の声。
指差す方を見れば、おぉ、確かにかっこいい飛行機が飛んでいる。
子供だったら見たいよな。こりゃかなわん、ということで「見たい?」と聞くと「見たい!!!」ということで、んじゃ「5秒見よう」と提案。
すると、みんなで「5(ゴー)、4(ヨーン)、・・・・1(イーチ)、0(ゼ~ロ~)」と随分長いカウント。ありゃぁ、こんなところで心が一つになってしまった。しかも最後の0は「ゼーロ」でもいいのに「ゼ~ロ~」って、必死じゃん。違うところでムキになれよ! ―以上、心の声。
そして5秒後(?)、「ピピッ」という「あぁ、飛行機に負けたぁ」という哀愁漂う笛の音色と共に練習再開。
しかし、満足したからか、ある意味普段よりかなりスッキリ練習に入れました。そう簡単に邪魔させるか! この勝負、引き分けだ! 
そして同じ週の木曜日。
同じく“これからテーマだ”という時がやってきました。飛行機は...
よし、今日は飛行機飛んでないぞ...って、子供達よ、どこ見てる? 
また空? 
「コーチ、すごい雲!」と子供の声。
おぉ、今度は雲...しかも確かに面白い雲だ。
「すごい、あっちに黒い雲!」「あの雲大きい」「黒い雲はすごく速く動いている!」―こんな調子です。
飛行機と違い、時間がたっても飛んでいかず、5秒というのもなんなので、一段落するまで待ち、練習再開。
くそ~、雲~! 今回は負けたような気がする...。
二度も空にやられてしまった。空はやっぱりすごい。ソラはやっぱりすごい。ソラは...お、おぉ、無意識のうちにスクールの宣伝をしてしまいました・・・このスクール名、当たり! 
保護者の皆様、これからもソラをよろしくお願いいたします。
子供達よ、空ではなく、ソラをよろしくお願いします。

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2010年9月22日 (水)

2人組「ヤダ」からの修復

(2005年10月 通信No.29より②)

練習時、2人組を作って練習することもありますが、この2人組はコーチが決めるケースと子供同士で決めさせるケースがあります。それぞれ目的があり使い分けていますが、9月にちょっと面白いことがありました。
同じ学校や同じチームの子と2人組を作ることがちょっと多くなってきたある日、コーチが、2人組を決める時がありました。「この2人組だとどうなる? どうする?」ということを確認するため、そうしました。
練習を始めるとある2人組が崩れ始めました。ペアで順番に行う、パートナーが重要な練習です。一見楽しそうに笑いながらやっていますが、ちょっとダラダラも入っているようにも見えます。かなり微妙な雰囲気です。
その後、他の2人組との競争形式の練習もしました。そして、練習が一区切りして、再度そのペアで練習をさせようとすると、その(さっき崩れた)ペアのうちの一人が、「この2人組ヤダァ、(パートナーが)ちゃんと練習してくれなーい!」と言いました。それまでの練習を見ていて、その2人組はふざけているようにも見えたのですが(「お前もダラダラしてる時あっただろ」とも思いましたが)その子は練習にもうちょっとだけ入り込みたかったのかもしれません。そうか、一応ちゃんとやっていたんだな。
「つまらない」と言われてしまった子の顔を見ると、そんなことを言われて驚いた顔をしています。その子なりに頑張っていたのですね。お互いもうちょっと分かり合えることができれば「この2人組ヤダ」発言は出ないですんだのでしょう。でも、一人一人は(かもしだす雰囲気はともかく?)頑張る子で作った2人組です。
年代的に、まだ自分のことが先に来るのが自然でもあり、相手の隠れた良さに気づけないこともあります。そんな時は、ちょっとだけコーチが手伝ってもいいですよね。お互いに良さがあるのに、もったいないですから。
そこでちょっと伝えました。
「ヤダ」発言の生まれる元となった練習は、2人組で1人1個ずつボールを持ち、順番にターンの練習をするものです。その2人組は、先ほど書いたように微妙な雰囲気で練習していました。
さて、他のペアとの競争です。この時には、「やだ」発言をした子がドリブルで他のグループの場所に入ってしまうこともありました。そのせいでペアの子(「やだ」と言われた子)はスタートが遅れそうになりましたが、文句など言わず、その子から少しでも早くバトンタッチをできるよう準備し、自分からその子に近づいて行っていました。やっぱり、本人的には同じ気持ちでやっていたのです。
ちょっとふざけてるようにも見え、失敗をしてなかなか帰ってこないパートナーに文句も言わず、しかも、早くスタートできるよう自分は努力している。実は文句を言われたこいつの方が頑張っていたのです。でも相手がそれに気づかなかったのですね。競争前の練習の時は、真剣には見えないけれどふざけているとも言い切れない、何ともいえない雰囲気でしたから、それはそれで仕方のないことです。どっちもどっちです。それなのに、一方が相手を非難するのはちょっとおかしいですし、パートナーの良さを知らないままでは、互いの良さを吸収して成長する機会がなくなります。
さて、文句を言った子に、その子が気づかなかった相手の行動(文句も言わず準備していたこと)を教えてあげました。すると、ちょっと「文句を言ったことを後悔顔」になり、わかってくれたようでした。また、文句を言われた側にも、そうじゃない(ふざけていない)なら「そうじゃない」と伝えるように言いました。
さて、翌週、今度は自分達で2人組を作らせました。
すると、その2人がペアを作ってるじゃないですか。しかも当たり前の顔をして2人で座っています。
ハッハッハ、見て笑っちゃいました。少しはお互いの良さをわかったのでしょうかね。
まぁ、わかりあえる(というほどまだ深くはないかもしれませんが)、一緒に練習したい友達が増えたことは、お互いにとてもいいことです。たぶん、またそのうちケンカや言い合いなどするかもしれませんが、その時には一歩進んだ(関係を一歩進める)ものになるでしょう。だからGOO-------D! です。

筋肉はトレーニングをすると一度壊され、修復される時に以前のレベルよりも高いものに回復します(超回復といいますよね)。しかし、そのためには、修復される時にその源となる栄養素が必要です。
子供達の関係も同じです。あらゆることの成長において、刺激を受け、修復される時には様々な栄養素が必要なのでしょう。それがあるかないかで、(筋肉でいう)超回復ができるかどうかが決まるのだと思います。その栄養素は、大好きなお父さん、お母さんの言葉、友達の言葉や表情、他にも色々あると思うのですが、筋肉の場合同様、ただ与えるだけでなく、タイミングや量・質が大切なのではないかと思います。与える先が心であるだけに、非常に難しいものだと思いますが。
栄養の吸収、適度な刺激、休養(回復)を繰り返して、鍛えられた体が作られていくように(1日で筋肉ムキムキにならないですもんね、そんなことがあったら恐ろしいです)、子供の成長も、(成長が著しい時期であることは間違いないですが)“徐々に”の部分も当然あります。刺激は溢れています。あとは栄養の吸収を少しでもサポートできるよう、周囲の私達が頑張らねば、です。

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アクションとリアクション

(2005年9月 通信No.28より②)

続いて技術ネタです。
以前の通信で後回しにしていた「アクションとリアクション」についてお話したいと思います。
ちょっと前にお話したように、テクニックに挑戦することは絶対にいいことです。技術面の成長にとっても、精神面での成長にとっても。
挑戦していく中では、成功するまでの過程で当然うまく行かないケースも出てきますが、それでもやはり価値があるのです。「できなかったことができるようになった」そんな体験は体にも、心にも必要です。
さてさて、そのあたりのことは色々お話していることがあるので、今回は、アクションとリアクションの時の、技術面での上達・成長について考えてみましょう。
挑戦する、自分からアクションを起こす、上達する上でこれが大切なことは誰でも感じていることです。そして、(外から見ている私達は)プレーヤーがアクションを起こした時に出る結果を見て、あぁ失敗した、成功した、といったことを外から感じたりします(本当は“失敗”ではないですけど文章をわかり易くするためにここでは“失敗”と言ってしまいます)。失敗を重ねなければ、より強い上達はできませんから、失敗も大切だということをみなさんよくご存知でしょう。
-と、ここまで見ていると、アクションのみのようですが、実は、いい失敗の時には、すんごいリアクションが生まれています。
逆に、ほどよい、可もなく不可もなくという結果の時には、“すごい”という程のリアクションはあまり生まれていないことが多いので、ちょっと残念だったりします。
ちなみに、ここで私が言っているリアクションとは、行動を起こした後に(こうなるだろうという予想のようにならなかった時に)、「あれ!?」とか「やべぇ!」と思ってとる“とっさの対応”のことです。
このとっさの対応の時に“バリバリバリバリ”と音を立てるぐらいの勢いで技術面が成長しています。
ちょっと具体例を挙げてみます。
例えば、シザースという「ボールをまたぐワザ」に、相手がいる状況で挑戦する場面を考えてみましょう。
ちなみにシザースとは
 「左足のアウトサイド(外側)で、ボールを左に蹴るふりをして、ボールの前を(足を)素通りさせる(またいでしまう)。
相手の選手はその動きにつられ自分から見て左側に動いてくれるので、(その結果空いた)右側にボールを押し出して抜いていく」こんなワザです(わからなかったら子供に見せてもらいましょう)。

・・・ゲーム中、さぁ、ボールを持ちました。相手選手が前にいます。
ワザにチャレンジ、左足でボールをまたぎます。相手がちょっと騙されました。でもここで「シザースはしたけど右に行ってもたぶんボールを取られちゃうな」と思って抜きにいかず、そのままの状態をキープ。
-こんなプレーがたまにあります。子供にとっては、またぐだけで大挑戦の子もいますから、そういった子にとっては、これでも充分に成長したと言えます。ドキドキする中でまたげることはすごいですから。またいでいる時に“バリバリバリ”(成長音)という感じです。
でも、既にその段階まで成長している子にとっては、それだけではこの伸び幅と同等の成長は生まれないでしょう。またげて「ナイス」、ボールも取られてないから「まぁまぁ成功」という感じですが、それではまぁまぁの成長、もしくはそれまでに成長している部分の認識というぐらいになってしまうかもしれません。それでも価値はありますが。しかしこんな時には「ナイスプレー」などとは優しくない私は言いません。
そこまで来ている子は、勇気を持って抜きに出るべきです。「ダメかも」と思ってその状態を保つのではなく、「きっとOK」と思って抜きに出た方が、“バリバリ”音が聞こえるように私は思います。もちろん、ダメかもと思って行かないことも、決して悪いことではありません。自分で判断しているのだし、これもリアクションと言えばリアクションと言えます。しかし、可能性のある子供だということを考えると、もっとすごい成長をする力があるので、ちょっともったいないリアクションのとり方だと思うのです。中途半端では大成できないことは、リアクション芸人の方々が証明しています。同じきっかけでも様々なリアクション! さすが。見習わねば・・・ってちょっと違う? 
話を戻して(いつも、すみません)・・・でも、そこ(ダメかもと思ってその状態をキープ)を突き破ったら、また面白いことが体験できるのです。「行っとけ!」という感じです。
ボールを失うかもしれないけれど行く価値があるの? と思うかもしれませんので、チャレンジした時、思うようにいかなかった時にどんなことが起きるのか考えてみましょう。
さて、またいだ後、(またいだ時点で「きっと行けた」と思い)抜きに出ました。ボールを押し出します-抜けたー! これ最高です。すみません、いきなり最高を出してしまいました。
話が終わってしまいますのでもう一度(ちゃんと説明しないと石が飛んできそうなのでもう一度チャンスを)。
パターン①またぐ、相手はつられて動いたはずだ、ゴー(GO)! って“騙されてないじゃん!”-“やべぇ”と思った次の瞬間、足が勝手に伸びボールをキュッと止める-「ナイスターン!」。(パチパチパチ)
しかもスピードの変化、“速い状態から急に止まる”も大成功! 
パターン②またぐ、相手は騙されただろう、ゴ...ととと、まだいる!? -“やべぇ”と思ってGOを中止、でも足は動いちゃってるから、そのままボールに触らないようによけろ、またいじゃえー「すげぇ、ダブルシザース!」。(目パチクリ)
2回またぐことができればどっちに行くのか相手にはわからず、本当に困ります。
こんな具合です。この“やべぇ”の次の瞬間、とっさの動き(上の例ではキュッと止まる、さらにまたぐ)をする時に、“バリバリバリ”と音が聞こえます。空耳? というかsola耳? ・・・←中途半端・・・ね、中途半端だと良くないでしょう? あ、石は投げないで下さーい。
予想と違ったことに対応するのですから、予想通りになった時に比べ動きは大変になります。だからこそ、体の調整、スピードの調整がものすごいレベルで必要になり、それまでに体に持っていた部品(単独の技術)が総動員されます。頭はフル回転状態、意識も集中状態だからこそ、それが可能なのです。そして“バリバリ”となるのです。次からは、この一連の動きも、すでに持つ技術となります。
シザースというワザは失敗に終わったようでも、違う部分が大成長です。もちろん、シザースの失敗も体が覚えているので、次に挑戦する時には、さっきよりも動作が大きくなったり、スムーズになったり、スピーディーになります。また意識的にもポイントを意識するようになるので(「フェイントのあとはもっとスピードをあげなきゃ」など)、繰り返すごとにシザース自体も完成度があがります。さらに繰り返して行くうちに、行くべきか、その状態を保つべきかの判断がより高い基準でできるようになります。一石二鳥どころではありません。
ところでこの“バリバリ”の時に出るとっさの動き、例えばボールを足のウラでキュッと触るとか、体をキュッと止めるとか、これが身についていなければなりません-これを生み出せるようにしているのが、無理やり(或いは方法を限定して)練習で行っているステップであったり、その日のトレーニングテーマとはかけ離れているようなボールタッチだったりします。“とっさ”の状態でも出るように、基礎部分の力を養えるよう定期的に刺激を与えています。
また、うまくいって相手を抜いた後に次の選手にボールを取られてしまったり、シュートまでいけない時などもあるでしょう。そんな時に、今度は相手選手を抜いた後のボールコントロールやスピードアップの部分、周りの状況を把握した上でプレーする必要性など、もっと良くした方が良い部分を認識できます。学年が上がり頭の方も成長してくると、2人目のディフェンスまで意識してフェイントをかけたり、周囲の選手とのタイミングを計るためにフェイントをかけるなど、一つ上の目的を持ってプレーできるようにもなります。こういった、よりレベルアップするためのヒントをつかむこともできるのです。
成功しても、失敗しても、かなり気持ちの入った状態なので、体、(今回は技術面を中心に話していますが)頭に入る刺激はかなり強いものとなり、その結果、体、頭の両方の面で成長。相乗効果ももたらす。これでもかというぐらいのナイス状態です。これが、アクション、リアクションで起こる、いいことです。
こんなことが得られるので、挑戦はいいことなのです。
ちなみに、年齢が低いうちや経験がまだ浅い時期には、あまり、アクションを強調しなくてもいいでしょう。
その前に、単純に体がビュンビュン動くようになっていた方が、すばしっこい動きができる方がいいと思うので、鬼ごっこのように瞬間の動きに反応できる方が魅力的です。ボールが自分のところに来たらゴールの方に突き進んだり、自分の好きなワザをやってキャッキャしている(動き回っている)方が自然だし、伸びるでしょう。
アクションとリアクション、このような感じです...私が思うに・・・「えー、さんざん説明して最後は“思うに”だと~!」という言葉が聞こえてきそうですが・・・。
あ、石、まだ持ってます?  逃げろ! (これもリアクション)
バリバリバリ~(聞こえたぞ、確かに聞こえたぞ~。こうしてコーチも成長するのです!)

※リアクション効果での成長はこれまでに会った数々の子供達が証明しています。ご安心下さい。

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スクールでの言葉

(2005年9月 通信No.28より①)

すみません、今回は2つほどありますので、読むと疲れてしまうでしょう。おまけですのでお読みいただかなくても差し支えない内容です。読むのが辛い方は裏紙をメモ用紙にでもして下さい。残念ですけど。
まず、前通信でちょっと触れた、私や子供の言葉についてです。こちらは短めでいきますのでご安心下さい。
前回、私がスクール中に言ってしまう言葉をちょっと挙げましたが、他には「うっせー(うるせー)」「テメー」「このヤロウ」などもあります。乱暴な言葉を並べてしまいましたが、決して皆様の反感を買おうとしているのではなく、「こんな言葉も使ってます」ということを知っておいて頂きたいだけです。ちなみに、暴力的には使わず、どちらからと言うと楽しみながらーその言葉を「楽しみ返す」子供達との関係を楽しんでいるのです。子供達もなかなかの言葉を私や友達に使っています。表現、言葉の数にキリがないのでここでは挙げませんが。
各ご家庭でも言葉使いなどには「しつけ」のようなものがあるでしょうし、汚い言葉を推奨するわけでも、「しつけ」を否定するわけでも全くありません。ただ、スクールでは、一般的な「コーチ(一般的に教える側)ー子供(一般的に教わる側)」とはちょっと崩れているような言葉使い、“?”がつくような言葉でも、“あり”とすることがあります。実際には「言葉」というより、「中身」を重視して、“あり”としていますが。
もちろん他人を傷つける言葉はよくありませんし、聞いて嫌な気持ちになる言葉もよくありません。しかし、子供の放つストレートな言葉は、多少乱暴に聞こえるようなことがあっても気持ちがストンと入っていたり、逆にちょっとテレビのマネ、誰かのマネをしたものというように言葉通りの意味なんて全くない時もあったり、悪意はないものが多いことも事実です。実際に、ストレートに馬鹿でかい声で言ったりしていますから、裏表がなく、安心と言えば安心です。また、子供が放つ言葉には、大人が作り出した環境から得たものもありますから、仮にそれらの言葉が良くないとしても、それを子供だけの責任にするわけにはいきません。
逆に、言葉はきれいでも、ハートのない言葉、自分や友達を騙すような、形だけ整えたものである場合の方が考えるべきでしょう。
「バカヤロウ」という言葉だって、悔しい気持ちが表れたものである時、しっかりしろと友達を応援する時、あきらめの悲しい気持ちから出る時、単純にカッとなって言ってしまった時、照れ隠し、仲直りの合図・・・実に様々なものを含んでいる場合があります。
こんな書き方をするとキレイな言葉や優しい言葉を否定している感じになってしまいますが、もちろんキレイな言葉、優しい言葉は、気持ちの入っている言葉、素の言葉である場合は大きな力を発揮します。大歓迎です。
ただ、子供特有の、純なアンテナがある時期、色々なことを吸収、感じることができる時期に、様々な気持ちの入った言葉を聞くこと、言うことは大切なのでは、と思います。言葉の本質というか、どんな言葉なのかを、言った本人、聞いた人間が感じることが大切なのではないかと思います。
そのためには、そういった言葉を言ったり、聞いて、その時の心の変化を感じたり、言った人の顔や聞いた人の顔を見て、本当に意味している(されている)ことや言葉の持つ意味・力を確認していく、認識していく経験を繰り返す必要があるのではないかと思っています。だから、子供が放つ「素の言葉」はしっかりと認めてもいいのかなと思うのです。・・・しつこいですが、だからといって人を傷つけてもよいということではありません。“認める=放っておく”ということでもありません。働きかけが必要だと判断すれば、そうします。・・・
スクールでは聞くことがありませんが(←皆様の日頃の子育てのおかげでしょう)、仮に他人を傷つける言葉があった場合、言った本人にその言葉の与える影響を、言われた本人にはその言葉の本当の意味を知ってもらう。そして言った本人にはその後どうすべきか、言われた本人にはその言葉の意味を受け止めた上で、乗り越えるべき言葉である場合にはどうすべきなのか、知って欲しいと思っています。そのためにも、今のスクールの、ストレートな、素の言葉のやりとりは必要なのではないかと思います。
そうした中で、お互いに何かを伝え合ったり、それ(伝える・受け取る)を失敗したりもしながら、だんだん友達の本当の気持ちがわかるようになったり、本当の優しさ、思いやり、真の強さが育っていくのではないかと思います。個の強さと絆の強さとでもいうのでしょうか。そう、サッカーに必要なもの、成長していく上で必要なもの、そのままです(“だんだん”では手遅れになるようなものだと感じたら、もちろんすぐに行動を取ります)。
そうした環境を経験した後でも、本当のキレイな言葉を言える子、本当の優しさ、強さを持った子は、育っていくように思います。中身を感じることができる、気持ちを伝えることができる子が。
とても大切なことですので、色んな子が集まる、スクールという特別な空間の良さを最大限に発揮するためにも、スクールの中では、“あり”としているのです。と、言葉についてはこんな具合です。
・・・またツラツラ、ドバドバと読む人のことを考えず勢いに任せて書いてしまいました。もっともっと相手の気持ちをわかることができるよう、私も努力します・・・。

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やっと「ホッ」-安全第一

(2005年9月 通信No.27より)ずっと気になってしまうこと、早く安心したいこと、そんなことがスクールをやっていると、たくさん出てきます。たくさんの子供と会うので、しかも子供達はいつも表情が違ったり、色々なことに敏感に反応するので、これは当然といえば当然ですが。ちょっと前も、実はそんなことがありまして・・・。

スクールを開催する上で一番大切なもの、それは“安全”です。
これは他の何よりも優先されるべきです。楽しいからといって危ない行動が許されてはいけません。子供の気持ちを優先させたいからといって、大ケガが起きそうなのを放っておくわけにはいきません。もちろん、“危険”という段階に発展しそうにないことは、(多少の失敗が必要なのはみなさんもおわかりでしょうが)逆に大ケガを防ぐ力を身につけさせるという意味でも、見守ります。大歓迎です。
ただ、大ケガに発展しそうなことや事故に発展しそうなことは、防げるのなら防がなくてはなりません。
ふざけているとも(集中していない)、楽しんでいるとも、両方の見方をできる行為や雰囲気に対しては、それが大ケガに発展しそうなことの前兆なのかどうか、見極めるのが非常に難しいものです。
それでも、コーチの人数や状況によっては、そのような場合でも、もう少し様子を見てから、もうちょっと行為や雰囲気が発展してからでも、(それが大ケガに発展しそうなことだと判断したら)すぐに修正をすることができるのであれば、それまで様子を見ることができます。そうすることによって、より自然な雰囲気の中で伸びる部分があれば、それを伸ばすことができます。しかし、同じような行為、雰囲気でも、コーチの人数が少なかったり(大変に申し訳ありませんが、「ソラ」になる前にはそのようなことが数回ありました)、人数は足りていても何らかの理由で役割分担がいつもよりうまくいっていない時には、もう少し様子を見てからでは修正をできなくなる可能性があるため、その前の段階で行為や雰囲気に対して、注意を与えるなどして修正をしなければならないことがあります。
そのため、見た目は「同じ雰囲気なのに」注意されたり、または注意されないことがあり、子供にとっては、「どっち?」と疑問に思うことも出てきてしまいます。こちらでは明確なラインがあっても、子供達にはわかりづらいことでしょう。それが続くと、子供がコーチの顔を見て行動をとるようになることもあります。これはコーチにとっても、子供達にとっても良くありません。そんな基準で行動を決める、決めさせるべきではありません。可能であれば避けたいものです。ただ、それでも守るべきものとして、子供達の安全に勝るものはないので、その優先順位を守るために、そのような注意をすることがありました。
ケガを避けることに意識が向くあまり、言い方も、表情もちょっと厳しくなってしまいました。
そんなことの何回目かに、注意をしようとした時(すでに私の顔はちょっと怒っています)、一人の子の、私を見る表情から、その子が「あ、コーチが怒る」と察したのがわかりました。それからその子は友達に注意もしてくれましたが、それは、どちらかというと怒られないようにするための注意で、(当然と言えば当然の行為ですが)かなりダメージを受けました。これは間違いなく私の責任ですので。
その子はとても伸び伸びしている子で、実は楽しい雰囲気が大好きなのは、よく知っています。冗談に絡んでくるタイミングもなかなか絶妙なものを持っています。いいところを突いてきます。
でもまだ2年生。その時は、私が注意をするから、自分も友達もそうならないよう、気持ちを抑えているように見えました。もちろん、年齢に関係なく、コーチが間違ったことを言っていたら「違う」とコーチに言えなければなりませんし、自分の思ったことを伝えることは必要ですが、「ふざける」ということは実に微妙で、「楽しんでいる」との差を認識するのは(特に友達のそれを認識するのは)非常に難しいので、抑えることになるのはある意味当然でしょう。その子も、他の子も、普段は思ったことを私にどんどん言える子ばかりですが。それでも、抑えるくらい、微妙なことで、さらに、その時の私の雰囲気がそれを助長させてしまったのでしょう。大いに反省です。
その子は「しゃべりながら練習する」時も、「黙々と練習する」時もあります。コーチが何かを言わなくても、自分で好んで、「しゃべりながら」の時も「黙々と」の時もあるのですが、両方に共通しているのは、その時の表情は、目、手の先、足の先までしっかりとエネルギーを持っていて、しっかりと動いているということです。
見かけ上は全く違う行動ですが、本質は同じなのです。身体全体で楽しんでいるのです。

ただ、その日そんな注意の仕方をしてしまったので、それからは、「黙々モード」の時はもともとの表情と変わりませんが、「おしゃべりモード」の時は99.9%くらいの“はじけ度”のように私には見えるようになりました。
100%と99.9%、その差は0.1%ですが、この差は大きいと思うのです。うすいけれど、でも見方を変えればしっかりと幅がある紙が、一枚挟まっているような感じです。「楽しそう、だけどもっとはじけられる子だったよな」そう思うことがあり、ずっと気になっていました。
本人は意識していないかもしれませんが、無意識のうちに私との関係の中で、スクールの中での「おしゃべりモード」のラインを設定してしまったのかもしれません。―これは何とかしないと、そう思っていました。
“その時のことを振り返って言葉で説明”でもいいのかもしれませんが、時間がたっていますし、もし本人が無意識のうちにラインを設定したのであれば、意識的に働きかけてもそれはなかなか外せないと思いました。
ですから、何とかするといっても、いつものようにスクールをするということしかできないのですが。
ただ、その中で、もう一度、自然に彼のおしゃべりモードがラインを超える、ラインをなくしてしまうのを待つのが一番いいと思いました。ひたすら“いつものスクールを”に徹しました・・・。
実はサマースクール中も、そんなことが頭の片隅にありました。
そしてサマースクールの第3週、この日におしゃべりモード100%! (いや、それ以上!?)の顔を見ることができたのでした。サマースクールは毎回楽しかったですが、この日は特に楽しく、嬉しくなりました。
子供は色々なことに興味を、常に持っています。それが良さです。だから、注意されたことをすぐに忘れてしまうことも少なくありません。それを超える、忘れてしまうくらいの楽しいもの、気になるものをたくさん持っているのです。また、すぐ見つけてしまうのです。さらに、注意されている時でさえ、それが興味の対象にならない話や成長にあった話でない時には、言葉は心には入らず、話を聞いているそばから、他に何か楽しいことを見つけてしまいます。だからこそ、彼らの体、心にきちんと収まるように話をしなければならないのですが(この点については悪銭苦闘の毎日です)。
言われたこともすぐ忘れてしまうような性格であったり(誰でしょう?)、もっともっとわがままであったりすれば(これも誰でしょう?)、ずっと100%のおしゃべりモードでいけたのでしょうが、彼の場合は、性格的に、発達段階的にある意味とても素直に受け入れてしまったのだと思います。
チームと同じように、一人一人が頑張っていても、ただ頑張るだけ、バラバラに頑張るだけでは良い空間はできないものです。先ほども少し触れましたが、コーチの人数的なものだけでなく、役割分担という部分でも、少しでもよりよい環境を提供できるよう、努力していきたいと思っています。彼のおしゃべりモードで見せたハッスルプレー、ナイスプレー、さらに周囲を楽しい雰囲気に持っていく様子を見て、反省するとともに、より強くそう思いました。
そして、彼のそんな表情を見れて、やっと安心できたのでした。ホッ・・・。
繰り返さぬようにせねば・・・。
ただし、だからといって甘くはなりませんよ~。
これからも「こら、小僧!」「やい、坊主!」などの言葉はじゃんじゃん言ってしまうでしょう。でも、だからきっと子供達も私に向かってあんなにひどい言葉を(うぅっ:言葉につまってしまう)、いやいや、様々なぴったりの(若い頃ならきっと傷つく?)形容詞を言えるのでしょう。
もちろんそんな言葉には負けませんし、傷つきません。良かった、ダテに年をとってないぞ。
そんな言葉を聞くと、私は「大丈夫だな、こいつら」と、さらに“ホッ”とするのです。
そういう“ホッ”は結構あるのですが。
―ちなみにサマースクール最終日もU-9クラスは注意をしているそばから、みんなで「クックックッ」。
自分も子供の頃に経験がありますが、友達と怒られている時は、なんか顔を見合わせるとお互いにおかしくなっちゃうんですよね、連帯感? 仲間意識? 怒られているのに、おかしく、嬉しくなっちゃんですよね。
そしてまさに「火に油を注ぐ」というか注ぎまくり! 状態によくしてしまいました・・・(しまった! いつの間にか回想になってる!?)
本当に子供は面白いですね。

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ビブスをあまり使わないワケ

(2005年7月・通信No.25より)

スクールではミニゲームの時にほとんどビブス(ゼッケン)を使いません。が、決してケチっているわけではありません―確かに使用したまま放っておくと子供達の素晴らしき“あせ”が見事なまでの成長を遂げ“くさっ!”に変化しますので、使ったらこまめに洗濯しなくてはなりませんが、洗濯の手間などを惜しんでいるのではありません。そんなビブスを子供達に渡すとみんなかなりエキサイトして臭いをかぎます。そして「くせー!」と叫びますー達成感のみなぎった顔で...。何なんでしょう、あの顔は。
話を戻します(汚い表現が多くてすみません - お食事中の方、特にすみません)。
さて、なぜビブスをつけないのか・・・それは、やはり子供達がすごいからなのです(やっぱりこの答えか!)。
今からもう6~7年前でしょうか、あるサッカーイベントの1コーナーに“参加希望者で4対4をやる”というものがありました。もちろんチーム分けなどはスタッフが行うのですが、まず参加希望者を募り、一列に並ばせ、前から順に4人ずつ区切りチームを作り、2チームずつ対戦をさせる,1試合数分でゲームをどんどん行っていくという形でした。その時、なんと、チーム分けの際に使用するはずのビブスが“ない!”という事態が起きました。でもゲームは行わなくてはなりません。子供達は並んで待っているのですから。初めて会った子達でチームは作られています。しかも、学年が違い、サッカー経験も様々。服装などはさらにバラバラ。もちろん名前など知らない者同士です。試合はどんどん進行して行くので試合前に名前などを覚えておく時間はありません。しかも自分の番の試合が終わるともう一度列に並び、また順番がくると4人チームを作ってすぐ試合に出て行きます。もう一度列に並ぶ子がいたり、いなかったりで、毎回少しずつメンバーが変わっていきます。毎回違う子とチームを作って試合を行うことになります。それをゼッケン(=同じチームだとわかる目印)なしで行っているのでした。
私は、この状況で子供達がどんなプレーをするのか、興味津々でした。臭きビブスの臭いを嗅ぐときの子供達と同じ状況です。
初めて会ったばかりの子で結成する即席チーム。しかもビブスなし。さて、どんなプレーだったのでしょう...。
―(試合をする子が)まずわかっていることーそれは、自分の攻める方向と守るゴール。
みんなボールが自分のところにくると、まずは唯一自分のわかっていることー自分の攻める方向にボールを蹴るーをします。蹴ったあとは、そのボールを拾うのが相手チームなのか自分のチームなのか、運任せ。しかし運任せだけではうまく行きません。たまたま自分のチームの子がボールを拾った時にはシュートにつながりますが、相手チームの子がボールを拾うことも多く、シュートまで行かない方が多いのです。
―すると、これじゃ駄目だということで(たぶん)、ボールが来ると自分でドリブルをしてゴール方向に持ち込もうとするプレーが多くなりました。自分一人でゴールまで持っていければ話は早いです。もちろんパスをできれば簡単なのでしょうが、周囲の顔を見ても味方か相手かわからないので、とりあえずドリブルするのです。そして、ドリブルからのプレーが格好よく決まることがちょっと出始めます。
-しかし、ボールを持った選手に対しては、その攻める方向を見て、「こいつは相手チームだ。邪魔をしなくては」ということで、守る選手がボールを奪いに行きます。ドリブルをすればするほど、周囲の選手がその選手のことを認識してきますから、ボールを奪いに行く選手が増えてきます。やがて、ドリブル突破が難しくなり、一人で持ち込むのにも限界が出てきました。
そんなプレーを続けていくうちに、おや、パスが出始めました。
ドリブルをする選手を見て、その攻撃方向から味方だと判断した子が、一緒に動き出したのです。
コート内の子の、「あいつは味方だ」「こいつは相手だ」という認識が深くなり始めたのです。
前に書いた通り、味方の顔や名前を試合前には覚えていません。実際、パスをする時も名前を呼んでなどはいません。自分がボールを持った時に誰が奪いに来るのか、他の子がボールをどっちに蹴ろうとしているのか、そんなことを見ながら、自然に味方と相手を認識できるようになっていたのです。数分の中で。
いくらなんでもそれは難しいはず、でも、なぜそんなことが可能になったのでしょうか。
それは、ボールの状況によって、ボールのそばにいる者、離れた所にいる者が、その時に自分にできること、それをしていたからです。自分の守る方向に戻り守ろうとする、自分の攻撃する方に行って攻撃する(味方を援護する)・・・唯一自分のわかっていたこと、それを動きに表しただけです。
それをしたら、何ともすごい吸収力で、それらの状況の組合せから、味方・相手の認識ができるようになってしまったのです。そして、初めて会った子が行うゲームの中でドリブルやパス、様々なプレーが出るようになっていったのです。これを見ていて、まさにサッカーの、子供のサッカーの原点だなと思いました。

(今はないかもしれませんが)空き地で遊んでいて、誰かが来て、サッカーをやろうということになる。また仲間(といっても知らない子だったりする)が現れる。子供達で「お前はあっち」「お前はこっち」と分けていく。もちろん、服装なんてバラバラ。でも、ちゃんと2チームでサッカーをして、やってる時は無我夢中で、終わるとなんか楽しくて、満足。また会えるかわからないけど、「じゃあねー!」「バイバーイ!」で終わり。「あー楽しかった」そんな子供のサッカー。色んなことの詰まっている、子供のサッカーです。
・・・・・すみません、ちょっと遠い世界に行ってしまいましたー話をもどしましょう。

そう、この光景を見て、子供達はやっぱりすごいやと思ったのです。
サッカーでは、“判断の速さ”がよく問題となります。それを養うのは必要なことです。場合によっては、フェイントに無理やりチャレンジさせることは、そういった判断の速さを養うことを妨げるように言われますが、それは違うと私は思っています。また、ビブスをつけないでゲームを行っていると、瞬間的に相手・味方の認識ができないので、絶好のタイミングでパスを出す瞬間を逃すこともある、瞬間的な判断を養うことを妨げるというようなことをたまに聞くこともありますが、やはりこれも違うと思うのです。
なぜなら、子供達は、“瞬間”に目に入る状況を認識できるようになる力があるからです。
ボールの状況による自分以外の子の動きから、相手・味方を認識できるようになり、自分がそれに合わせて動くことができる。それを繰り返して、その動きがつながって、より判断が速く、深くなるのです。
ビブスなしでゲームをしていて、一見遅いと思われるプレー。実はその“遅い”の中には恐るべし“速さ”が入っているのです。だって、目印のない状態で、味方と相手を認識するのですから。それをプレーに表すまでには頭の中で様々な判断があるはずです。しかも、なかなか判断できないでボールをキープしている状態でも、そんなことを考えながらボールをキープしているのですから、大したものなのです。
目印のついていない選手の動き、その動き方から、「この動きは味方だ」と判断してパスをしたり、なかなかです。さらに自分がパスを出そうとした時に2人の選手が目に入った場合、2人の位置関係や動きの様子から「こっちが味方、あっちが相手」と判断して、その状況にあったパスを出すーやっぱりすごいです。
もちろん、味方だと思ったら相手だったり、相手だと思ったら味方で、思うようにプレーができないときもありますが、それはそれでおまけのような魅力を持ってます。それによって、さらにとっさの判断、動きも生まれます。スクール的には“オチ”も生まれます―こんなことも必要です。
味方とプレーするには、“自分にできることをする”必要がある。それをしなければプレーに入れない、ボールに触れない状態になりますから、そんな、大切だけど意外と実行するのは難しい力をしっかりと養えます。もちろん、周囲の子を覚えようとする姿勢、その状況への適応力も養えます。
さらに、プレー面だけでなく、声を出して伝えること、動いて伝えることといった、「相手に伝える・相手の伝えることを感じる力」、本当に大切な力も養えるのです。それもゲームを楽しみながら。
子供達はとても自然にそんなことをこなし、成長しています。だから、ビブスをつけないことが多いのです。
その中でプレーするだけで様々な状況が生まれ、様々な判断力、基本的な力、色んな力が身につくのです。
もちろん、練習の残り時間や学年、人数、メンバーなど様々な要素の組合せによっては、ビブスをつけた方がそういった効果を生み出すこともありますから、ビブスをつけて行うこともありますが、ビブスをつけないでゲームを行う背景には、そんな考えがあったりします。やっぱり子供はすごい。だからこんなこともできるのです。
*あくまで、今、スクールに集まっている子を対象とした話です。チーム練習の事情とは異なりますのでご了承下さい。

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子供のこと・サッカーのことなどはこちら
  過去の通信文章です。
  子供のプレーや言動を理解しやすくなるかもしれません。
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◆天候不良時などの開催情報はこちら
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こんな場面が良いものか

(2005年7月・通信No.24より)

最近、子供達のチームでの活躍(というかドキドキ・ハラハラプレー!?)の様子をよく伺います。
いつも私がバタバタしているので(スミマセン)話しかけづらい事もあるかもしれませんが、子供達の日頃の様子を伺えることは本当に有難いことです。
子供達のチャレンジしている様子が目に浮かび嬉しく思うと同時に、子を思う皆さんの気持ちがひしひしと伝わってきます。
皆さん「子供に成長して欲しい」が願いですので、「こんな時はどうアドバイスすべきか」「子供がこういうプレーをするがどうだろうか」というご質問をよく受けます。
「そっとして見守るべきか、アドバイスすべきか」というご相談もよく受けますが、親御さんがこう思っている時点で子供達は幸せ者です。親やコーチのプライドでプレーさせていないからこそ、子供に言おうか、言うまいか、些細なことでも悩んだり、少し気になったりするのだと思います。
私にできるのはそれに対するアドバイスくらいですが(よく考えると、「すごいじゃないですか!」と感想を述べるだけの時も多かったような...スミマセン)、“ちょっと相談してみようかな”ということがありましたら、どんなことでもご相談ください。
私の口から出るアドバイスや返答は、私だけの考えで出てきたものではありません。これまでに一緒にプレーした子供達が私に伝えてくれたものでもあります。私だけの考えでは少し“?”かもしれませんが、子供がバックについてますよ~! ご安心を。

―と、ここで少しだけ、同じようなことできっと悩んでいる方も多いと思いますので「こんな場面が良いものか」の例をご紹介します。
子供達はワザを練習しています。テクニックが身につくまでにはなかなか大変です。
さらに、試合やゲームでワザを使うのはかなり大変です。最初の頃は、習ったテクニックを例えミニゲームなどでも使うことはなかなかできません。それは、チャレンジできる状況になかなかならないからです。
自分のところにボールがちゃんと止まっていればチャレンジできるのに、ゲーム中はボールがなかなか止まらないし、相手の選手もどんどん近寄ってくるので、ボールを思うように扱うことが非常に難しく、チャレンジしたくてもできないことがよくあります。また、相手がボールを取りに来るのですから、ボールを守る・蹴ることに必死になるあまり、“練習したことにチャレンジする”など考える余裕も持てず、体が勝手にその時に自分のできることをやってしまうということもあります。
これが、少しボールをコントロールできるようになると、ちょっと様子が変わってきます。
ボールを持ちながら相手を見ることができるようになるので、どうしようか考える余裕が生まれます。その時の選択肢の一つに、「練習したことに挑戦してみよう」というものが入ってきます。すると、これまでは、その選択肢を持てなかったから“すぐにプレー”できていたものが、選択肢が増え、考えることで若干“プレーが遅くなる”ということが起きてきます。そのために以前はボールを取られることがなかったのにかえってボールを取られるようになってしまうということも起きてきますが、「挑戦してみよう」と思えることが重要です。“挑戦しようと考えるクセ”がつけば、しめたものです。中には「その挑戦だめ!」ということもあるかもしれませんが・・・。
始めのうちは、挑戦しようと思っても、挑戦する前にボールを奪われてしまったり、挑戦が失敗に終わることもあるでしょう。
しかし、挑戦できるということは、それまで余裕が生まれなかったボールコントロールが、考える余裕を持てるまで成長したことを表しています。さらに、自分でその状況を意識的に作り出していれば、ボールコントロールがより向上している